橋の上の戦い
街道沿いに段々畑を抜けて三叉路を右折し、用水路に沿って進むと草原地帯に出た。
ケルシーは時折野うさぎや蝶々に目を奪われて歩くペース落ちるものの、しっかり隣をついてきている。
体は小さいが特に体力面の問題はなさそうだ。
この辺りまで来ると徘徊する魔物も存在する。
だが標高の高いこの大陸はあまり背の高い植物が育たず、視界がひらけているので魔物の奇襲を受けたりすることはない。
依頼の要求ランクは道中の危険度も加味されている。
今回請けたCランクのこの依頼は、熟練冒険者に言わせればピクニックのようなものだった。
現にここまで魔物と遭遇することも無く、目的地までたどり着きそうだ。
階層構造の最上部に位置するこの大陸の地上は、オークやゴブリンなど敵対的な亜人勢力の影響外だ。
野生の魔物は存在するので絶対に安全とは言い切れないが、亜人たちの激しい侵攻に晒される下層大陸や地底ダンジョンとくらべると危険の少ない穏やかな地域だ。
だが水が滝となって下層に落ちてしまうので、昔から水源の確保には悩まされていたらしい。
飲料水は井戸で賄われているが、多量に必要になる農業用水は、隣の大陸にある湖から引き込んでいた。
今回の目的地、水道橋はその大陸間で水を渡すための橋だ。
黄色いレンガでつくられたその橋は連続したアーチ構造の特徴的な見た目をしており、この地方のランドマーク的存在になっている。
大陸間と言うととんでもなく長いと思うかもしれないが、じつはそれほど長くはない。
なぜなら元は地続きだったものが地殻変動で割れて渓谷になった、と伝えられている場所に位置しているからだ。
一方の高さはというと、橋脚は第二回層まで伸びている。
天気の悪い日は霧で底が見えなくなる程深い。
旧文明時代の遺跡ならもっと巨大な建造物もあるが、近代に建てられたものに限れば間違いなく最大級だ。
俺たちの歩いてきた用水路と橋は一本道で繋がっている。
そのためこの位置からでは橋の全貌を見ることは出来ない。
後で横から見える場所にケルシーを連れて行ってあげたいと思った。
世界を見て回りたいから渡りの冒険者を志した彼女の事だ、きっとこの珍しい景色を喜んでくれるはずだ。
橋は片側が馬車がぎりぎりすれ違えるくらいの幅の歩道、反対側が膝くらいの深さの水路になっている。
レンガ造りの手すり壁があるが、高さは腰までしかなく、落ちた時のことを考えると少し頼りなくも感じる。
水道橋はほぼ水平なので、手前に立っても敵の数が確認できた。
「依頼書に書かれてるより数が多いな。ざっと20匹か」
スライムは個体にもよるが強敵ではないし、人を襲うことも少ない。
なぜ討伐する必要があるのかと言うと、水辺や人工物に集まるように発生するこの魔物は、最悪の場合水路を塞いでしまう事があるからだ。
水の確保は死活問題になるので、定期的に冒険者ギルドに掃除の依頼がくるのだ。
領主とギルドの間でどういう取り決めになっているかわからないが、この手の緊急性の低い依頼は報酬も低く、人気がない。
「早速やっつけちゃいましょう」
ケルシーは新調したハンマーを両手で握ってやる気満々といったところだ。
大人の俺でも足がすくみそうになる高所のはずだが、彼女はそんなことを気にする素振りもなく後ろをトコトコと着いてくる。
俺は鞘から刀を抜いてスライムの前に立った。
予想通り向こうから襲ってくることはない。
「ケルシーは少し離れて見ててくれ」
スライムは知能も低く動きの鈍いモンスターだ。
攻撃を回避防御されることはないだろう。
俺は刀を一気に振り下ろし、敵に触れる直前に瞬間に刃を裏返す。
斬撃ではなく打撃による衝撃でダメージを与える峰打ちだ。
スライムの体はゼリー状なので抵抗をほとんど感じることなく容易く振り抜く事ができた。
体を抉られたスライムは泡立つように変形する。
自分から攻撃してこない魔物であっても、当然反撃はしてくる。
それが攻撃にうつる動作だと気づいたケルシーが叫んだ。
「ご主人様!避けてください!」
俺は駆け寄ってくるケルシーを刀を持つ手で制し、スライムから伸びた触腕を左腕で受け止めた。
「スライムの体は発生場所の水質が大きく影響するんだ。
ここは農業用水にも使う水道橋だから、やっぱり毒性の無いスライムみたいだ」
これならケルシーが狙われることがあっても危険はないだろう。
俺が無事なことを確認して彼女はほっと胸を撫で下ろしている。
「危ないことは控えてください、毒や強い酸性をもっていたらどうするつもりだったんですか」
彼女には少し怒っているようだ。
「その時はケルシーに薬をつくってもらうさ。さぁ、トドメを」
納得はしていない様子だが、気持ちを切り替えたケルシーはスライムの前に立ってハンマーを握り直した。
「行きます!やあっ!」
ケルシーが振り下ろしたハンマーが見事にスライムに命中する。
ダメージが許容値を超えたことで形状を保つことが出来なくなったスライムは、ブルブルと震えてから破裂する。
欠片が勢いよく飛び散ったのでケルシーは後ろに尻もちをついてしまった。
「ひゃあ!」
「だ、大丈夫か!ケルシー!?」
手を貸そうかと思ったが彼女は一人で立ち上がり、手の甲で顔にかかったスライムの欠片を拭った。
「びっくりしました…。
でも、いけます」
最初こそ少し危なっかしかったものの、残りのスライムは同じ手順で問題なく倒すことが出来た。
俺はスライムの欠片の中から状態の良いものを選んで瓶に容れる。
「これで全部だな、本当にスライムの欠片が薬の材料になるのか?」
「はい。ゼリーになる成分だけ抽出すれば、軟膏の基剤になります」
これはケルシーの提案だ。
スライム退治だけでは報酬が少ないので、戦利品を換金して少しでも足しにしようとのことだった。
俺は戦闘以外からっきしなので、彼女の知識やスキルに素直に感心してしまう。
「あれ、後ろにまだ1匹残ってたみたいです」
ケルシーが仕留めそこねたスライムを見つけたようで近寄っていく。
最後の方はずっとこんな調子で、俺の先制攻撃を待たずにケルシーは一人で倒してしまっていた。
本当に俺何の役にも立ってない。
ふと違和感を覚える。
橋は当然一本道なのだ、手前から倒していったのに見落としがあるはずがない。
見た目も大きさも他のスライムと変わらないが、今まさに発生した別の種類の可能性が高い。
スライムの内側で泡が大量に発生して渦を巻く。
やばい、こいつは先制攻撃を!?
「ケルシー!危ない!」
咄嗟にケルシーの鞄の持ち手を掴んで引っ張り上げた。
「きゃあっ!!」
間一髪のところでケルシーを攻撃から逃すことができた。
スライムから放たれ水鉄砲はレンガに穴が空くほどの高圧力だった。
もし当たっていたら怪我では済まなかっただろう。
「やーっ!降ろしてくださいっ!」
ケルシーがじたばたと駄々っ子のように暴れた。
彼女を鞄ごと掴み上げたままだったことに気付いて慌てて手を離す。
「すまん!こいつやばいぞ!」
謝罪もそこそこに彼女とスライムの間に割って入ると、放たれた攻撃をかろうじて刀ので受け止めて防ぐことができた。
ぶっちゃけまぐれだ。
スライムからは思考や殺気を読み取ることができず、攻撃を止められる確証は無かった。
駄目元で横に一閃、スライムを両断するが、やはりすぐにくっついて再生してしまう。
繰り返し斬りつけるがやはり峰打ちでは効果が薄い。
しかし少しでも再生を遅らせるために攻撃の手を緩めることはできない。
橋の上には身を隠す遮蔽物もなく、次また同じ攻撃をされたらもう防ぎきれないだろう。
峰打ちで体力を削りきったとしてもケルシーにとどめを任せるのは危険だ。
俺が囮になってでも彼女を逃がさなくては。
「ご主人様っ!これを使ってください!」
ケルシーがこちらに向けて袋を投げた。
あれは大工から購入していた砂、目眩ましだ。
しかし、横に振り回すように投げてよこしたのでスライムを大きく越えてしまうコースだ。
「こっ…のっ!」
俺はかなり強引に刀の軌道を変えて切っ先を袋に引っ掻けた。
袋は裂けて中の砂がスライムにぶちまけられる。
砂を被ったスライムは少し動きが鈍ったような気がしたが、目眩ましの効果は認められず次の攻撃の動作に移っている。
対して俺は袋を斬る時に大きく体勢を崩し、膝をついてしまっている。
体内でごぽごぽと泡が渦を巻いて圧縮されて放たれた。
しかし、その攻撃が俺に届くことはなかった。
スライムは粘土のように固まって動かなくなっていた。
「ご主人様!」
ケルシーが駆け寄ってくるが、不機嫌そうに眉を寄せ頬を膨らませている。
彼女を庇って攻撃を受けそうになったから怒っているのか?
「わたくしを荷物みたいに持ち上げるのはやめてください!」
「え…?ああ、ごめん気を付けるよ」
ケルシーは体が小さいので背負った鞄の持ち手が丁度俺の手に取りやすい高さにある。
だからつい咄嗟に持ち上げてしまったのだが、それが気に入らなかったみたいでプンプンと怒っている。
「それよりこれ…どうなったんだ?」
俺はもう一度スライムをの方を見る。
そこにはまるで石像のように動けなくなった魔物がいた。
「セメントです。
水と混ざると石のように固まるんです。
スライムに効くかは分かりませんでしたが、時間稼ぎになら使えると思ったんです」
「すごいぞケルシー。
正直これがなかったら危なかったよ」
「わたくし凄いですか!?」
さっきの不機嫌は何処へやら、「わたくしすごい」と繰り返し、とても満足そうだ。
ケルシーは急に思い出したようにはっとする。
「ご主人様、効果がいつまで持つのかは分かりません。
今のうちに逃げましょう」
ケルシーは散らばった荷物を慌ただしくまとめて退散しようとする。
「いや、それならもう必要ない」
液体のスライムだから斬れなかったが、石ならば話は別だ。
俺は石像に向けて刀を振り、更に二度三度斬りつけた。
刀を鞘に納めると同時に、 スライムは小石程度の大きさに細切れになって崩れた。
「か、格好いいです!」
「え?今のが……?そうかな?」
「はい!失礼ながらわたくし、ご主人様は少し頼りないお方なのかと感じておりました。
岩をこんなに細かく斬ってしまわれるなんて凄いです」
ちょっとまて俺のこと頼りないと思っていたのかと問い詰めたかったが、目を輝かせているケルシーを見てどうでも良くなった。
俺が初めて師匠と出会って、その剣術に魅入られた時と同じだ。
あの時の俺も、きっと今のケルシーのような目をしていたんだろう。
これまで自分が積み重ねてきた鍛錬を、過去の自分の目線から認めてもらった気がして、清々しい気持ちになった。