決戦のカンタータ①
「――!」
俺は、デューの体がふらりと揺れ、後ろに崩れるのを見た。
皆が弾かれたように戦闘態勢になるのを横目に、咄嗟に彼女の左肩へ左腕を回し、右手で彼女の頬に触れる。
「デュー、しっかりしろ、デュー!」
頬は冷たい。氷のように。
体を揺すっても閉じられた瞼が持ち上がることはなく、デューは薄く唇を開け、眠りに落ちているような状態だった。
「彼女が器だとしたら、記憶を引き出したことで本来の機能を呼び覚ましてしまったのかもしれない」
駆け寄ってきたのは親父だ。
俺は、二度と会えないと思っていた……会いたかった肉親が、その切っ掛けを作ったという事実に、冷静ではいられず、反発した。
「なんでデューに、こんなっ……魔法大国を調べてたんだろ!? 本当は予測できてたんじゃないのか!?」
「落ち着くんだルークス。予測なんてしていなかったさ。ここまで育っていて、しかも意識があるなんて誰が思う」
俺の知る親父は、左の頬に傷なんてなかった。
左眼の上から、縫い付けるように縦に走る大きな太い傷が、あの日……研究所が襲われた日のことを思い起こさせる。
あの日、親父も戦っていたはずで。
俺が炎を暴走させ親父の声で我に返ったとき、その左眼は――どうだったろう。
「デューには触れさせませんわ! ルークス! 早く下がりなさい!」
ウイングが水の刃を飛ばしたのはそのときで。
俺ははっと顔を上げた。
扉のあったあたりに出現した黒い靄は、じわじわと空気に広がっているように見える。
黒い靄を両断するかに思えた刃は、伸ばされた黒い腕から雷が弾けると同時に霧散した。
そして、そのとき。ずっと見えなかったはずの表情が不意に形となり、俺の心、深いところの傷を抉った。
――どうして。なんで、お前が。
「……ティル……ファ……」
「なんだと……」
思わず零れたその名前。被せるように、親父が驚愕を浮かべる。
そう。それは……忘れもしない。
俺を庇い、斬り伏せられた女騎士の、それ。
長い時間ずっと一緒にいた、あの日失った女性。
「ウイング、俺があいつを吹き飛ばす! 水の塊で包めるか!?」
「っ、え、ええ! 問題ありませんわ!」
ランスは腰の右側あたりで両手を向かい合わせ、風を練り上げていた。
ウイングは……ティルファを知っている。
だからきっと、ティルファだってことに気付いたはずで。
それでも、いまは戦うことを選んだのだとわかった。
「デューの奴、無理しやがって……なにが器だ! ふざけんな! なんのために俺たちがいるんだよ! 起きたら説教してやる!」
「僕もそれには同感だよランス! ……ウイングの水を僕が結界で包む――所長ッ、デューをそこから遠ざけて!」
メッシュは塔内にあった幾つかの鉱石を手に、黒い靄を睨み付ける。
あれを結界塔にして、時間を稼ぐつもりなのだ。
その隣で、アストがすらりと剣を抜き、鳶色の眼を鋭く光らせた。
「――先陣は俺が行こう」
言い終わらないうちにアストが踏み切る。
飛び出した騎士は瞬時に黒い靄に迫り、黒い靄はアストへと狙いを定め、蒼白い光を弾けさせた。
「ハアァッ!」
気合い一閃。
アストはその蒼白い光を剣で横薙ぎに斬り払った。
対魔法戦術――そのためにアストが行っていたのは、剣で魔法を斬り裂き、弾き返すこと。
彼の剣には特殊な加工を施してあり、魔法に対して効力を発揮する。
雷はアストの一撃で弾き返され、塔の壁にぶつかって散った。
その一瞬のあいだに、ランスの風の塊が黒い靄に襲いかかり、ウイングの水壁が呑み込む。
「お前の結界だけでは脆かろう」
「悔しいけど当たってるよ大臣――当然、手を貸してもらうからね!」
「ふん、いいだろう」
メッシュと大臣が示し合わせたように結界塔を並べ、結界が展開されていく。
水壁に取り込まれた黒い靄、その表情は、水の流れによって揺らめいていた。
「ルークス……どうしてティルファが……!」
そこでフリューゲルが、俺と親父のもとへとやってきた。
珍しいことに、剣を握る手が震えているようにも見える。
俺は冷たいデューの肩をぎゅっと抱いて、酷く混乱した頭をなんとか働かせようとした。
あれが、ティルファを模している理由。それは……。
「おそらく、元騎士団長が彼女の魔力を集め、魔法大国に送っていたんだろう。それを利用して作られたのが、あの『崇高なる魂』とやらだな」
親父が、俺と寸分違わない予想を口にした。
驚愕はあれど、震えすらない冷静な声だ。
でも俺は。
もし、魔力のなかの記憶がそのまま活かされていたとしたら――そう思うと、恐くてたまらなくて。
もしこのまま、あの黒い靄がデューのなかに入ってしまったら、デューはきっといなくなる。
残るのは、きっと――。
「デューを連れ戻すんだ、ルークス。彼女は消えたわけではない。奥深くで眠っているだけだ。両親が行方不明のいま、それができるのはお前たち王立魔法研究所だろう。あの靄に入られたら、彼女は本当に消えてしまうかもしれない」
右眼だけになった親父は、俺を真っ直ぐ見た。
黒い靄を見るその表情は、心なしか嫌悪にまみれていて。
「……え」
聞き返した俺に、彼は続けた。
「いいかいルークス。あれはティルファなどではないよ。ティルファの記憶を持つとしても、彼女ではない。ティルファは私が看取ったんだ、深い後悔を抱えた彼女を、私が。死者への冒涜だよ、あんなものは」
「親父……」
俺は、腕の中のデューに視線を落とす。
彼女は……俺にとって、とても大切で、愛おしい存在だ。
この気持ちを、俺はずっと忘れていたんだと思う。
「……デュー」
でも、いまならわかる。
めちゃくちゃになりそうなほど苦しくて、恐くて、だからわかったんだ。
この気持ちを最初に教えてくれたのは……ティルファ、だったんだと。
だからこそ、俺は。
いまここにいるデューを守りたい。
大切な人を亡くすなんて気持ち、二度と……味わいたくなかった。
ティルファの記憶が、あの黒い靄にあるとして。
彼女は、俺を怒るだろうか。
親父は俺の肩に手を置くと、一言一言、俺に言い聞かせるように言い募った。
「ルークス。あの靄を消滅させる用意はある。ただ、いまは材料が足りない。……街道に現れている八面体がまがいものの器とすれば、この黒い靄は、そのまがいものを渡り歩いて保っているんだと思う。……だからその魔力を解析してここにそれを作り出し、靄を取り込んで封印する必要がある」
それを聞いて、俺ははっとした。
「その魔力を集めてくる時間を稼げれば……」
「――いや。親父、その時間は必要ないよ」
俺は懐からいくつもの鉱石を取り出した。
これを差し出すこと。
それが、ティルファを模した者への別れであったとしても。
俺が、いまの俺が選ぶのは……デューだった。
ちょっとシリアス入りますが最後は甘く!
なので引き続きお付き合いくださると幸いです。
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