道化に送るシンフォニー①
******
微睡みのなか、私は誰かの声を聞いた。
――ルークス。
彼女が呼ぶのは、私の心を温かくさせる名前。
でも、その声は……とても儚げで、私の胸はずきりと痛くなった。
「……」
岩の壁にもたれ掛かったまま、やることもなくぼんやりしていたので、いつの間にか眠っていたらしい。
私は目を開けて、薄暗い牢屋を見回した。
いま何時くらいなんだろ……夕飯は出てきたから、長い時間眠ってたんじゃなければ夜……なんだろうけど。
誰かがルークスのことを呼ぶ夢が、胸のなかに黒い影を落としているようで、私はカビ臭い空気を思い切り吸ってゆっくりと吐き出す。
きっと……好きだって気が付いちゃったから、こんなに意識した夢まで見るんだろうなぁ。
私はそう結論づけて立ち上がり、扉に近寄った。
「……メッシュ、いる?」
いまは誰かの声が聞きたかったんだけど……はたして、すぐに返事はあった。
(大丈夫、いるよー! お話する?)
「ありがと。メッシュは疲れてない? 付き合わせちゃってごめんね」
(ふふ、そんなの気にしないで! あとで所長にはケーキ奢ってもらおうね! 王都にはね、すっごく美味しい店があるんだよー)
分厚い扉の向こう、メッシュの声はくぐもって聞こえるけど、明るい口調に思わず頬が緩む。
「ケーキかぁ、楽しみにしなくちゃ!」
応えてから、私はふと付け足した。
「……ねえ、いま、何時くらいなのかな?」
(……んー、たぶん八時とかー? アストと騎士団長がそろそろ帰ってくるんじゃないかな! 所長たちも、早く戻ってくるといいね)
その言葉に、私はほっとする。
そっか……もうすぐお父さんとお母さんもここに来るんだよね。
きっと、すぐに疑いも晴れる……はず。
ルークスとランス、ウイングはどこまで討伐に行ったんだろう?
早く帰ってくるといいな……。
考えながら、もう少しだと自分に言い聞かせた――そのときだった。
慌ただしい靴音が聞こえてきて、メッシュの声が響く。
(えぇっ! ちょ、ま、待ってくださっ……そこは結界が……!)
(構わん!)
(かっ、構わないわけには……うわあっ!)
牢の外で、メッシュと誰かが争うような音がする。
私は慌てて扉に両手を付け、小さな窓に向けて声を上げた。
「……メッシュ!? どうしたの……!」
そのとき、私のいる牢の周りで、バチンッと……なにかが弾け飛んだ。
ガチャ……
重い音を立てながら、扉が開く。
私は、そこにいる人物を認識して、言葉を失った。
白髪交じりの黒髪に、きっちりと揃えられた顎髭。吊り上がり気味の眼が、薄暗いなかでも鋭く射貫くような視線で私を見下ろしている。
――大臣。
「……え、いま……」
メッシュはその後ろで呆然としたまま呟いた。
でも、大臣は彼に見向きもしなくて。
いきなり屈強な右腕を伸ばして私の左手首を掴むと、力任せに引っ張ったのだ!
「……来いッ」
「え……きゃあっ!」
い、痛い!
鍛えられているのだろうその手の力は、ものすごく強かった。
体勢を崩す私を引き摺るようにして、大臣はそのまま牢屋を出る。
なにか、尋常じゃない空気を纏っているのはわかるけど……いったいなにがあったのかはわからない。
どうしていいかわからず、私はそのまま引かれるがままになってしまった。
「だ、大臣っ! 待ってください!」
我に返ったメッシュが、私を連れ出そうとする大臣を引き止めてくれたのは、そのときで。
「なにがあったんですか、デューをどうするんですか!」
その言葉に、大臣はギリ……と歯が鳴るほどに食い縛り、空いていた左腕を振った。
「説明する暇はない! その牢屋を結界で囲め、いますぐ!」
「え、け、結界……?」
「こいつを助けたいなら早くしろ愚か者!」
「うわっ!」
「メッシュ!」
突き飛ばされたメッシュは、私が入れられていた牢屋の前で尻餅をつく。
思わず彼を呼んで駆け寄ろうとする私を、大臣の手は放さない。
メッシュはすぐさま体勢を立て直すと、キッと大臣を睨む。
「……っ、どういうことか説明してくれないと……判断できません!」
「いいから結界を張れ! ……さもないと――」
大臣はなにか言いかけて、小さく呻いた。
その目線をたどった私は、思わず悲鳴に近い声を上げてしまった。
「う、あぁ……っ、メッシュ! 離れて!」
――私がいた牢屋から、黒い靄が染み出していたのである!
「……ッ!」
メッシュはすぐさま飛び離れると、手を地面に当て、魔力を注いだ。
――ぐにゃ、と。
空間が歪んだように見え、一気に広がったそれは、空気の膜のようなものだった。
あれは……たぶん、簡易的な結界だろう。
メッシュの表情が、ぎゅっと険しいものになっている。
「そのまま耐えておれ! 牢番! なにかあればお前が食い止めろ!」
大臣はそう言って、再び私をぐいっと引いた。
「え……わ、私が……!? いや、は、はっ!」
控えていた牢番は、狼狽えながら、おそるおそるメッシュのそばへと並ぶ。
黒い靄はメッシュの結界に阻まれているのか、それ以上出てこられないようだ。
けれど、メッシュの額には、すでにびっしりと脂汗が浮かび、唇は白くなるほど噛み締められていた。
あのまま耐えられるなんて思えない……!
「待って……メッシュ! メッシュが!」
私が、雷で……!
そう思って、掴まれていない右手を咄嗟に上げる。
しかし、大臣に左腕を捻り上げられて、私は悲鳴を上げてしまった。
「あ、ううっ」
「デュー! ……くっ」
「すぐにフリューゲルが来よう。……それまで持ちこたえる力もないのなら、王立魔法研究所にいても意味がなかろうて!」
吐き捨てるように言う大臣に、私は目を見開いた。
魔法を嫌う人間の筆頭のようだと思っていたけど、その言葉が、なぜか暗にお前なら耐えられる……と励ましているように聞こえたのだ。
メッシュもそう感じたのか、ちらりと私に目配せして唸った。
「……デューに、なにもしないって……約束してくださいっ……大臣……!」
「……ふん。それはこの雷使い次第だろうな。……行くぞ」
「メッシュ……!」
「大丈夫……っ、僕は、大丈夫だから……行って、デュー!」
震える体は、容赦なく大臣に引き摺られ、細い階段へと押し込まれた。
私は、背中に剣の柄のようなものが当てられているのを悟り、無言で階段を上がる。
いったいなにが起きているのか。
「……ルークス……」
こぼれた名前は、誰が応えるわけでもなく――闇に消えた。
ぽちっと!
投稿ですーデューのターンがやってきました!
よろしくお願いしますっ!




