弛まぬ回想曲①
――冷たい石畳。
――どこかで、なにかが、息を殺している気がする。
――肌を撫でるのは、湿っぽくてどこか淀んだ空気だ。
なにもかもが、自分とは遠いもののように感じる。
牢屋の中は、扉の窓から入る灯りがすべて。
扉以外は岩壁で、人ひとり分しかない、かなり狭い部屋だった。
大きな岩をそのまま転がしたようなベッドは、私のように牢に入れられた者たちが何千、何万と迎えた日々によって、その真ん中がつるりと人型にへこんでいた。
きっと、へこみに合わせるように身を横たえ、この硬さと冷たさに辟易するんだろうな。
幸い、隅に置いてある――いや、壁と密着しているようだ――大きな石瓶には、新鮮な水が入っている。
いったいなにで汲めというのかはわからないけれど。
排泄用であろう場所はその隣。
大きな穴には頑健な鉄格子が三重に嵌まっており、身を屈めると酷い臭いがする。
底は真っ暗で見えないが、水が流れているようだ。
ほかにはなにもない。
アストが魔法対策はされていないと話していたけど、たしかに、これなら、ルークスやランス、きっとメッシュやウイングも簡単に出られるよね。
この扉くらいなら、難なく斬ってしまうか、破壊してしまうんじゃないかな。
私はため息をついて、硬い岩のベッドに腰掛けた。
かといって、私がここで魔法を使うわけにはいかないもの。
ここに入れられて、何時間が経ったのかな?
きっともう夜中だ。
それなのに、不安感で眠気は全く訪れる気配がない。
――どれくらい、ここにいることになるんだろう。
王都から、私のいた町までは馬車で十日程度だから……騎士団なら馬でもう少し早くたどり着けるかもしれない。
それでも、往復すれば二週間はかかってしまうはずで。
――ずっと、このままだったらどうしよう。
そう思って、私はふる、と肩を振るわせた。
なぜか思い出したのは、ルークスの辛そうな微笑みだった。
ぎゅっと胸がつかえて、いまさらになって、じわりと視界が歪む。
ルークスのために。そう思ってここにきたのに……。
「……う」
悔しい。
「……く」
誰かに嵌められたとしか思えない。
でも、それが誰なのかはわからないし――なにもできないなんて。
ポトポトと、膝の上で握り締めた手の甲に、雫が落ちる。
何度も何度も拭ったけれど、それは止まらない。
嗚咽を押し殺し、体を丸めて、私は膝をぎゅっと抱えた。
ルークス。私、どうしたらいいの?
――どれくらい、そうしていたんだろう。
不意に、私は得体の知れない気配を感じ取った。
「……っ、…………?」
ゆっくりと、顔を上げる。
まだ視界は濡れていたけど、薄暗い牢屋の中は、ちゃんと見えていた。
なにかは、わからない。わからないけど――なにか。
「……」
怖い。
薄闇のなかから、なにかが私を見ている気がする。
なにも見えない。見えないのに、それが、私を捕まえようと、手を伸ばしてくるような。
「……ッ」
私は、そこで初めてそれに気が付いた。
水瓶のあたりに、なにか……靄のようなものがある……!
私は逃げるように扉へ向かって転げ、ドンと背中を押し付けた。
「……誰か……」
掠れた声が、喉の奥から溢れてくる。
「ねぇ……誰か……ッ!」
それは、私の足元へとやってきて……爪先を、ふくらはぎを、ゆっくりと包み込んでいく。
なに、これ?
これは、だって――あの黒い靄の魔物……!
怖い!
パリッ……
意図せず、自分の指先から蒼白い光が弾けて、私はぎゅっと唇を噛んだ。
駄目。魔法は、駄目!
ここで暴走させてしまったら、それこそ、取り返しがつかないことになる!
歯を食い縛ったそのとき、ふうっと、耳元で……囁き声がした。
『――カラダ』
「っ、いやああぁ――ッ、ルークス!」
「デュー!?」
ばぁんっ!
けたたましい音を立て、私がぴったりと背中を合わせていた扉が開かれた。
「きゃ……ッ」
反動で後ろに転がりそうになった私は、誰かの胸に抱き留められる。
温かな光が牢屋の中を照らし、なにかの気配は一気に溶けて……。
震えながら見上げると……燃える炎のような赤髪が目に飛び込んできた。
「デュー。大丈夫か……!?」
焦った表情で、彼は私を覗き込む。
どうしてここに、彼がいるのか。全然、わからなかったけど……。
「……ッ、う――」
ぼろぼろと涙がこぼれてきて。
「デュー……?」
「うう……ルークス……う、う――」
ルークスが、いる。
来てくれた。来てくれたんだ……!
安堵と、開放感と、なによりもルークスがいること。
それが本当だと実感して、私は泣きながら、彼の胸元に額を押し付けた。
――しかし。
「え、えぇっと……その……」
「そういうときは、抱き締めてあげたらいいと思うんだけどなー、僕」
「ばっ……馬鹿言うなよ、それだとデューが困るだろ……」
「オッホン」
いろんな声が聞こえてきて、私ははっと身を引いた。
「うっ……ぇ、えぇ?」
きっと、私は涙で酷い顔をしているに違いないんだけど……見渡すと、そこには、紅くなっているルークスと、会話をしていた呆れた顔のメッシュ、いつもどおり澄まし顔で黙っていたアスト、そして険しい顔で咳払いをする門番の姿があった。
「あ……」
う、嘘でしょ……?
恥ずかしすぎて冷静になると、涙はこんなにも一瞬で引っ込むのだと、私は初めて知った。
私は冷静に目元を拭い、呻くように言葉を発する。
「あの……ご、ごめんなさ……な、なんで……ここにいるの……かな」
「魔法を使える人を隔離するのに、なんの対策もしてない牢屋しかないって聞いてね。僕が結界を施しにきたんだよ~」
慌てて聞く私に、メッシュが微笑んでくれる。
「……あ、結界の適任と……それを雇う責任者……」
思わず、アストを見る。
「……」
彼はなにも言わなかったけど、微かに、本当に少しだけ、口元が緩んだように見えた。
そっか、アストは彼らのことを言っていて、騎士団長はそれをわかったうえで、指示したんだ。
「おい、早くしろ。囚人を出すな」
私たちがさぞ間抜けに見えたのか、牢番が険しい顔で言い放つ。
「これは騎士団長からの指示だ。案ずるな」
アストが宥めてくれたけど……ゆっくりはしていられないだろう。
起承転結でいうなら、いまは承でしょうか。
引き続きよろしくお願いします!