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悲しい愛の物語

作者: Aki

 高校二年生となった春。僕は相沢麗子のことを気がつけば目で追っていた。理由を問われたならば美人だったからと答えるのが無難なのかもしれないけれど、僕は彼女の摩訶不思議な雰囲気に目を奪われているというのが正しい表現な気がした。腰まで伸びている凛とした黒髪がたなびく様は散りゆく花弁を思い出させるほど切なく見えたし、彼女の所作全てが自然を感じさせる動きなのだ。この心情を友人の田中に伝えたことがあるが、返ってきたのは曖昧で理解ができないといったような相槌であった。

「何か考えごと?」と麗子が訊いてきた。

 彼女は僕の隣の席に座っていて、僕は窓際の席に座っていた。なんとなく清々しく笑顔を浮かべた空を見上げていただけなのだが、彼女はそう訊いてきたのだ。「考えごとなんてしてないよ。空を見上げていただけ、意味はきっとないだろうね」と僕が言った。彼女は口元を緩めて笑顔を浮かべた。授業も始まっていない朝の時間だというのに、こんなにも妖艶な夜の顔ができるものなのかと僕は感心した。

「残念。あなたが考えごとをしていたら、邪魔でもしてあげようと思ったのに」

「しないでくれ。君は邪魔をする側じゃなくて、されるべき側なんだ」と僕は突き放すように言った。

 彼女がほんのすこしだけ悲しそうな顔をして何か言いたげにしたが、丁度よく担任の先生が教室に入ってきた。教室に散らばっていた生徒たちが各自、自分の席へ戻っていった。僕はまた、意味もなく空を見上げた。

 僕と麗子が知り合ったのは三ヶ月前だ。隣のクラスに可愛い女子がいると噂があったことは覚えている。しょっちゅうクラスの明るい男子が隣のクラスに向かって行って、彼女と話しただとか笑顔を向けてもらっただとかの話をしていたのだから間違いないだろう。しかし僕にとって接点はないに等しかった。美人だろうが稀代の不細工だろうが、端的に言えば興味がなかったからである。きっと彼女も僕に興味がないだろうし(まず第一に僕の存在を認識していないだろう)僕も彼女に興味がない。ならばどうして彼女と知り合うことが出来たのだろうか。それは別段難しいことではなく、ありふれた日常の延長であったのだ。

 僕が週末の暇つぶしに映画でも見ようと友人の田中を誘い、出かけた日のことだった。待ち合わせ場所についた時刻は集合時間の五分前だった。到着したと連絡しようと思い、携帯電話を取り出して田中に連絡をしようとした。すると田中から「今日は気分が乗らない。やはり行けないみたいだ。すまない、学校で会ったときに飲み物でも奢るから許してくれ。ただし、半額だけ」という連絡が来ていたので、僕はため息をついて肩を竦めた。

 予定を変更して別の場所に出かけることも考えたのだが、適当に映画が観たい気分であったので目についたラブ・ロマンス系の映画のチケットを一人分購入した。

 薄く照らされた劇場に入り、予約していた席に座った。人がまばらに存在し、カップルや家族づれが小声で談話をしている。大半の席が男女のカップルによって形成されていて何故だろうと思考を巡らせたが、今から観る映画がカップル向けに作成されたものだと思い出し、無性に帰りたくなった。僕は確信したのだ、この映画がつまらないものだということに。過去に戻れるならば自分にビンタをしてでも観る映画を変えさせただろう。僕は欠伸をしながら上映を待っていた。

 隣の席のひとつ隣に誰かが座った。髪の長い女性であった。この女もどうせカップルでこの映画を観に来たクチなんだろうなと思い、不躾に彼女を見つめていた。彼女がこちらを向いた。僕は目を逸らそうとしたが、目が離せなかった。思わず口を開けて吸い込まれるように彼女に視線を合わせてしまった。

「あなた〇〇高の人よね。見かけたこと、あるもの。ねえ、隣に詰めていいかしら」と彼女は言った。

 僕は反射的に頷いてしまったが、本当は嫌だった。彼女のことなんて知らないし、見かけたことがあると言われたら不信感が募ってしまうのも当然のことだ。彼女は腰を浮かせ、僕の隣の席に座った。何か話した方がいいのかと思い口を開こうとしたが、劇場の明かりが消えてスクリーンに映画の広告が耳をつんざく大音量で流れ始めたので、ほっと一息をついてそれを眺めていた。


 映画の上映が終わって、劇場が明るくなった。どこからか女の人がすすり泣く声も聞こえたが、僕はどこに泣ける要素があるのか全く分からなかった。なので、その女の子は上映中に彼氏に振られたのだろうと無理やり納得することにした。僕はうんと伸びをして、席を立った。隣では先ほど話しかけてきた女性が小さな寝息をたてていた。どうするか迷ったものの、肩を軽く叩いて彼女を起こした。

「起きてください。もう映画は終わりましたよ」

「あら、寝ちゃってたのね。どういう結末だったのかしら?」

「男と女が駆け落ちをしてキスをして終わりました。無駄を凝縮したような映画に感涙してる女の子もいたくらいです。これならあなたと寝ていた方が幸せだったかもしれません」

「おとなしい顔してあなた、過激なことを言うのね」

 僕が言った冗談に、更にくだらない冗談を彼女は被せた。相手のこともよく知らないくせに冗談を言った僕が悪かったのかもしれないが、彼女の冗談が気持ち悪く思えたのでため息を吐いてから、劇場を後にしようとした。

「あ、待ってよ。少しくらいお話しましょうよ」

「映画の感想を語り合おうにも、あなたは寝てたじゃないですか。喋ることなんて、あります?」

「同じ学校なんだからあるでしょう。もしかしてあなた、私のことを知らない?」

「知りません。きっと知っていたら、忘れることもなさそうな顔ですし」

「あら、ありがとう」

 僕たちは自然と二人で並び歩いていた。美人と一緒にいるのは純粋に嫌でもなかったし彼女のことが気にかかり始めていたのもあったので、僕たちはファミレスに行くことになった。映画館の近くにあるファミレスは混みそうであったが、今はお昼どきでもなければ夕食にも早い時間であったので待つことなく席に案内された。お洒落なバックグラウンドミュージックが店内に流れ、客の程よい喧騒と料理の匂いがファミレスという存在をより強固にしているのだなと僕は思った。

「それじゃあ、初めまして。一年二組の相沢麗子です。今日は暇だったから映画館に来たわ」

「一年三組の羽柴誠です。友人にドタキャンされたので一人で映画を観てました。隣のクラスに可愛い子がいるって聞いてたけど、君のことなんだろうね」

「ありがとう、私のことは麗子でいいわよ。私も誠くんって呼ぶから」

 彼女は作ったような笑みを浮かべた。「馴れ馴れしいね」と僕は言った。「駄目かしら?」と彼女が首を傾げた。「嫌いじゃないよ」と僕は彼女に笑みを返した。

 そこからは取り留めのない雑談を二人で交わしていた。あまりにも内容がなさ過ぎて雑談をする行為に意味があるのだと言われたら疑うこともなく納得してしまうほどだろう。それが、僕と彼女の出会いだった。


 別れ際には連絡先を交換した。それを言い出したのは麗子の方からであった。あまり見かけない性格を面白がったのかもしれない。別に劇的に何かが変わることもないだろうと僕はそのまま彼女と連絡先を交換したのだ。確かに劇的に何かが変わることもなかった。だが、たまに行う電子を介した彼女との会話はささやかな僕の楽しみとなっていた。彼女が面白いと思った出来事を僕に教え、それを僕が冗談めかしつつ相槌をうつ。言わば、性格が合っていた。田中にそれを話してみると、「そんなことがあったなら映画館に行けばよかった」と嘆いていた。

 昼休みに、コンビニで買った弁当を鞄から取り出して食べ進める。温かくもない弁当は好きではないが、空腹はもっと好きではなかった。隣の麗子の席には男子生徒が集まっていた。他のクラスの男子もいるし、やはり彼女は人気なのだと再確認させられる。自分がその立場になりたいかと問われれば悩むことなく首を横に振るだろうが。

 友人の田中は他の友人たちと食事を共にしている。二人で会話をしているときに、「本当はまこっちゃんと食べたいけどね」とこぼしていたのでその友人のグループで食べるのは本意ではないのだろう。

 僕はコンビニの弁当を食べ終えると、空になった容器をレジ袋に入れてゴミをまとめた。隣で麗子に好かれようとありとあらゆる楽しげな話を披露している男子生徒たちの声を聞き飽きたので、僕はゴミを捨てるついでに自動販売機で飲み物でも買おうと考えた。そうして僕が立ち上がると、麗子が横目で僕の方を覗き見た。僕は彼女の視線を気にせず、手に持っていたゴミを教室に置いてあるゴミ箱に捨てた。僕はポケットに財布があることを確認して、教室から出た。


 自動販売機前に到着すると、飲もうとしていた甘いジュースが売り切れていることに気がついた。仕方なく僕はコーヒーを買うことにして、小銭を自販機に投入した。

「私のお勧めはこれよ」

 後ろから声がして、細い指が自販機のボタンへ伸びていった。飲み物が決定され、落下した音が聞こえた。どうせ麗子だろうと思いつつも振り返り、それが麗子だと決定するとなんだかやるせない気持ちになった。

「追いついてきたのか。あの男子たちはどうしたんだよ」

「別に? 私が一緒に食べようって言ってる訳じゃないし、話も特に面白くないしね」

 僕は自販機から購入したアルプスの天然水を取り出し、隣にあるベンチを指差して麗子にアイコンタクトを送ってから僕はベンチに座った。彼女が半人分くらい離れて僕の隣に座った。

「これ、君のお勧めらしいけど。理由を聞いていいかい?」僕はアルプスの天然水の入ったペットボトルを揺らしながら訊いた。

「誠くんってていつも鬱蒼としてるし、アルプスの水で浄化されたらいいんじゃないかと思って。水は嫌いかしら」と麗子が恭しく言った。「嫌いじゃない」と僕は言った。

「でも鬱蒼ともしてない。なんなら今日はこれ以上ないくらい明るい日だよ。だから朝に空を見て感動してた」

「意味はなかったんじゃないの?」

「意味はなくても感情はあったんだよ、きっと」

 僕はペットボトルのキャップを開け、中身を仰いだ。水道水となんら変わりのない味だと思った。僕が微妙な顔をすると、麗子がそれを見て微笑んだ。

「どこの哲学者よ、あなた」

「君の隣の哲学者」

「いいわね、それ」と言って麗子は指を鳴らした。「ところで、こんな状況を私の帰りを待っている男子が見たらどう思うかしら」

「どう思うって?」と僕はとぼけた。

「怒るのか、嫉妬するのか。はたまた『今の男は誰なんだ!』って彼氏面をしちゃうのか。気にならない?」

「気にならないけど。そんなに知りたいのなら一緒に教室に戻る? なんにもならないに賭けてもいいけど」

「それじゃあ不審な目をするに明日提出の数学の課題を賭けるわ。どうせまだやってないんでしょ?」

 僕は「乗った」と言って立ち上がった。教室に帰るところを、麗子は後ろからついて行くように歩いていた。

 教室に入ると、麗子の帰りを待ち望んでいた男たちの目が輝いた気がした。少なくとも、不審な目はしていない。僕は後ろにいる麗子に、「賭けは僕の勝ちだな」と呟いて自分の席へ戻った。彼女は、わざとらしく頰を膨らませていた。

 放課後に田中に一緒に帰らないかと誘ったが、「悪いけど、今日は学校で宿題をしたい気分なんだ」と言われて断られたので一人で帰ることにした。夕焼けが肌に刺さる。ぼんやりと駅まで歩いていると、ノスタルジーな気持ちになってしまった。

「待ってたわ、誠くん」と声がした。

 駅に着くと、壁に寄りかかって麗子がこちらに手を振ってきた。彼女の言葉からするに、僕のことを待っていたのは間違いないのだが、なぜ待っていたのかは分からなかった。

「どうしたの、麗子」

「一緒に帰ろうと思って。あなた田中さんに振られてたもの、少し早足で駅に来て待ってたの」

「そう。構わないけど、そういえば麗子ってどこに住んでるの?」

「知らないの? あなたと同じ駅が最寄りよ」

「知らなかった。なら一緒に帰ろうか」

 僕は麗子と並び歩き、改札を抜けて駅のホームへと向かった。学生やサラリーマンなどの姿がちらほらと見えて、もしも同級生が麗子のことを見つけて話しかけてしたらどうたち振る舞えばいいのだろうとぼんやりと考えてしまった。

 数十分ほど麗子と雑談をして、電車の到着を待った。ようやく到着した見慣れた電車は、いつもより混んでいるようだった。

「あら、これじゃ密着しちゃうかも知れないわ」

「そういうの、気にする人なら僕は車両を移るよ」

「気にしないわ。ただ、どくどくと心臓がうるさかったら気にしちゃうかも」

「なら問題ないな。乗ろう」

 僕たちは二人で電車に乗り込み、最寄駅までの間を電車に揺られた。一つ目の駅で乗客のほとんどが降りたので、僕と麗子が密着する時間は長くなかった。彼女は僕の心臓の音が聞こえなかったのが不満なのか、口を尖らせていた。

 僕たちの最寄り駅に到着して、電車から降りた。改札を出て東口に向かおうとしたところ、彼女は西口方面に家があるのか、そちらに向かっていた。

「そっちなのか。それじゃ、また明日」と僕が言うと、彼女は含みを持たせた笑みを浮かべて、「さよなら」と言って振り返って歩いて行った。

 彼女と共に下校をした次の日。学校に来て教室に入ると、麗子の席は空席であった。彼女が休むなんて珍しいことがあるものだと思いつつ、僕はいつもの自分の席に座った。

 案の定、ホームルームが始まるころにも彼女は学校に来ていなかった。今日はゆっくりと昼ごはんを食べることができそうだと思った。今年に四十代となった担任の先生が、いやに真剣な目をしてクラスを見回していた。彼は、「いまからとてもショックなことを伝えますが、皆さんは慌てないでください」と前置きをした。僕は何を言ってるんだかと呆れていた。

「昨日の帰りに、相沢麗子さんが車に轢かれて、意識不明の重体となりました。ですので、その、彼女は暫くは学校に来ることができません」

 僕は頬杖をついていた手を離し、目を見開いた。先生の言葉が海に流れるボトルのように浮き、僕の心に引っかかってしまった。彼の言葉の意味を理解したくなかった。昨日まであんなにも元気だった彼女が突然、意識不明になっただと。悪い冗談にもほどがあるだろう。ふざけてるんじゃあないぞと叫びたい気持ちを抑え、僕は下唇を噛んだ。

 その後の先生の言葉は全くと言っていいほど耳に入らなかった。大事なことは言ってないと思う。彼が最後に何かを呟いて教室から出て行くと、生徒たちがざわめき始め、別のクラスに麗子のことを伝えに行く奴もいた。ホームルームが終わったらトイレに行こうと思っていたはずなのに、体が固まって動かなかった。

「まこっちゃん。気を確かに」と声をかけられた。僕は手放しかけていた自意識を手に取り戻し、目であたりを見回した。そこには、友人である田中が心配そうにこちらを見つめていた。

「なんだ、田中か。なんだよ。驚かすなよな。気は確かだよ。事故だ、麗子に事故があったってだけだろ? 別に何か言うことなんてないだろ?」

 僕がそう言うと田中は大きなため息をついた。「今日は一緒に帰ろう。寄りたいところがあるからね」と言って田中は自分の席へと戻っていった。僕はその後ろ姿を昨日みた麗子の背中に照らし合わせて見てしまった。


 今日の授業の内容は全く理解できなかった。先生に問われたときも声が上手く出なかったし、昼ごはんに関しては一口も食べることがなかった。あっという間に放課後となり、家へ帰ろうと下駄箱へ向かった。

「おいおい、なんで一緒に帰る約束を忘れるかな」

 田中が後ろから声をかけてきた。僕は、「すまない」とだけ言って下駄箱の中からローファーを取り出し、上履きと履き替えた。

 田中と並んで歩き、僕はぼんやりと空を見上げていた。真っ赤に染まった空が、何故か僕を責めているように思えた。横目に田中を見てみると、悲しげな目をして僕を見ていた。

 駅に到着し、電車に乗った。途中で田中が、「ここで降りよう」と言って田中の家の最寄駅で僕たちは電車を降りた。田中が足早で歩いたのでついて行くように僕が歩くと、到着したのは田中の家であった。田中の家は、変哲のない青色の屋根の一軒家であった。僕は何も考えずに、案内されるように家にあがった。田中が階段を駆け上がり、「ついて来て」と言ったので僕も階段を上がった。

 僕がたどり着いた所は、田中の部屋であった。柔らかそうなベッドにうさぎのキャラクターのぬいぐるみなど、彼女の普段が出ている部屋であった。田中がブレザーを脱ぎ、ベッドに投げ捨てるように置いた。

「田中、お前。制服くらいハンガーにかけろよ。女子力のかけらも無いのか?」

「無くて悪かったね」

 田中はそう言って、黒い髪の毛をポニーテールとしてまとめていたヘアゴムを外し、肩甲骨あたりまで伸びた髪をおろした。僕は麗子の腰まで伸びた髪の毛を思い出し、田中が目の前にいるというのにぼんやりと心に靄がかかってしまった感覚がした。

「ねえ、まこっちゃんって相沢さんと仲良くしてたから、傷ついてるんだよね」

「認めたくないね。別に、凄く仲良くしてたわけでもないんだよ。たまに会話をして、たまに一緒に帰って。少なくとも一緒にいた時間はお前の方が多いんだ。それなのにどうしてかな。分からないけど、彼女の存在が大きくなってたみたいだ」

 僕は自重気味に笑った。田中がまた、悲しそうな目をして僕を見つめた。

「君のことが好きだよ。女子らしくないありのままの喋り方をしても受け入れてくれる、君のことが」

「俺もお前のこと、嫌いじゃないさ」

 田中が大股でこちらに近づき、胸ぐらを掴んできた。突然の出来事に驚いていると、彼女は僕の唇を奪った。蛇のように舌を唸らせ、僕の口内をまさぐった。歯や舌の根を全て掌握されてしまうのではないかと思うほど、丁寧で激しく舐められる。僕は抵抗する気も起きずに床に背を預ける形となり、田中が僕に対して馬乗りのような格好となった。彼女は唇を離すと、こちらを見下ろしながら舌舐めずりをした。僕は彼女の顔を久し振りにまじまじと見つめたが、以前より可愛くなっているんじゃないかと思った。それは、キスという魔法が僕の目を惑わせている可能性もあるのだが。

 田中は立ち上がり、「脱いでよ」と言った。僕は、まぁそうだよなと思いつつ立ち上がり、自分のブレザーやワイシャツを脱ぎ捨て、上半身を裸にした。彼女は僕の上半身を見つめると、うっとりとしたような表情を浮かべた。彼女はワイシャツとスカートを脱ぎ、桃色の下着を纏うのみとなった。彼女の肉体美がミロのヴィーナスを思い出させた。古代の人々が、この芸術を彫刻で表そうとした理由がはっきりと分かった気がした。

 彼女が歩き、ベッドに腰掛けた。そして、照れた様子で「なんだか、こういうのは恥ずかしいことだって再認識したよ」と言った。

 僕は彼女を押し倒し、唇を重ねながら右手を彼女のショーツへと伸ばした。撫で回すように指先を動かし、彼女の甘い声を聞いて反応を確かめながら、刺激を強めたり、弱めたりした。やがてショーツから生暖かい汁が染み出してきた。「田中、これ」と僕が言うと、「いまは紗枝って呼んでよ」と言われたので、「そう」と言って僕は再び彼女に唇を重ねた。

 僕は慣れていない手つきで彼女の下着を脱がし、僕もズボンと下着などを脱いで二人は産まれたままと姿となった。手順なんて教科書載ってなかったので、僕たちは手探りでやりとりをすることとなった。紗枝に触れているだけで、僕の心はどこかに飛んでいってしまう気持ちがした。二人で体を舐め合い、触れ合った。体は火照っている。抱きつくたびに紗枝の豊満で優しさに満ちた乳房が体に当たった。


 紗枝との行為が終わった後。僕は罪悪感から逃げるように彼女の家を出た。僕は紗枝を抱き、果てるときに彼女のことではなく麗子のことを考えていたのだ。紗枝は僕の思考に敏感であった。彼女は捨てられた子犬のように僕を求めたのだが、僕はその気持ちに応えることなく逃げてしまった。制服の袖に腕を通しているときには彼女の顔を見ることができず、ただ背中を向けるのみであった。

 きっと、学校で会ったときには以前と変わらない様子で話しかけてくるのだろう。今日の出来事を無かったかのように笑顔を向けてくるのだろう。そして僕はその優しさを甘受してしまうのだ。今日だって、彼女の優しさが僕を裸にさせたのだ。彼女が優しくなくて、僕のことをただの友人としてみていたのなら、今日のような出来事は起こり得なかっただろう。

 僕は駅まで走ったのだが、嫌なことを忘れることなんて出来なかったし、ただ疲れを上塗りしただけであった。

 土日を挟んでの月曜日の学校は、まるで麗子のことなんて忘れているかのように平凡であった。僕はクラスメートが彼女のことを忘れているのではないかと、訊いて回りたくなったがそれはやめた。

 放課後に担任の先生の元へ向かい、麗子がいる病院を教えてもらった。彼女はこの学校近くの大学病院に入院しているようだった。なぜ素直に病院の場所を教えてくれたのかを尋ねると、「君は相沢さんとなにか関係を持っていたんだろう? 彼女のことを伝えたときの反応を見たら分かるさ」と言われた。僕は気づかぬうちにそんなに動揺していたのかと、乾いた笑いを漏らしてしまった。


 僕は先生に教えられた大学病院へ向かい、受付で彼女の名前を伝え、見舞いに来たと言った。制服を着ていたからか、特に面会を拒否されることなく彼女のいる部屋番号を教えてもらった。僕は駆け足気味に階段を上がり、彼女の元へ向かった。扉を開け、病室に入ると改めて病室特有の匂いを感じた。ベッドに横たわっている麗子の姿は、儚い生命を慈しむために描かれた絵画のように繊細な雰囲気を放っていた。白を基調とした部屋が、いやに死を感じさせて僕は頭に血が上りそうになった。

 僕は麗子が横たわっているベッドの近くにあった椅子に腰掛けて、彼女を見つめた。やはり彼女の顔は美しい。このまま何時間だろうと見つめ続けることだってできるだろう。世界から必要とされているはずの彼女が、こんな状態になってしまっていることに悲しみを覚える。不思議と僕の右目から、塩辛い涙が溢れてしまった。彼女が僕を待たずに一人で帰ったら、事故は起きなかったかもしれない。そう考えてしまうと、心が痛んで仕方がなかった。

 気が付かぬうちに、僕は麗子の手を握っていた。人の体温を保っているのだが、これが自然な体温だとは思えなかった。しかし彼女の手は僕の罪を包んでくれるように優しく、柔らかかった。僕の目から涙が溢れだし、止まることはなかった。たかが少し仲が良かったというだけなのに、なんでこんなにも彼女を失ってしまうことが心苦しいのか。僕には分からない。

「ま……こと」と麗子が呟いた気がした。

 僕は彼女の口元に耳を寄せたが、なにかを呟くことはなかった。先ほど、僕を呼んだのは気のせいなのかもしれない。僕は彼女のあの明るく戯けたような声をまた聞きたかった。

 僕は彼女の手を握っていた手と反対の手で、彼女の頭を撫でた。気がついていた。しかし僕はその感情に気がついていない振りをして蓋をしていたのだ。僕は麗子が好きだ。心の底から愛している。彼女の意識が戻るのなら代わりに僕の意識を投げ打ったって良いのだ。

 告白でもしておけばよかったのか、もっと話しをしておけばよかったのか、デートでもしておけばよかったのか。まるで無い物ねだりをする子どもである。

「世界は相沢麗子のために存在している。これを否定することは出来ないが、肯定は僕がすることができる。君の隣の哲学者より」

 僕の言葉は虚しく病室に消えていった。窓から見えた夕焼けが、僕を強く強く責め立てていた。

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