RE:START 其の八
院内には少しだけ沈黙が続いた。僕が僕らしくない行動をとっているせいか古山さんは僕に顔を向けようとせず、涙を拭って診察室の方へと指をさす。
「ありがとうございます、古山さん。まあ、この先の未来は・・・・・もう知っているんですよね。 泣かせて・・・・・すみません」
僕はそう言って常に異様な雰囲気を漂わせている診察室へと移動し、そのままをノックすることなく入り込んだ。中には黒衣を纏った男がいつも腰かけている椅子にもたれかけていた。普段、扉を開くとその男が正面に堂々と座っているのだが、今日は何故か後ろ姿を見せている。
「おい、手崎。 いつも通りこっちに体を向けろ」
僕の呼びかけに反応し、手崎はゆっくりと椅子を回転させた。睨みつけるようにしている僕とは反対に手崎は穏やかに満面な笑みを浮かべている。
「やぁやぁ、凪月君。君の方から来るなんて珍しいじゃぁないか? 何かあったのかい?」
「とぼけるな!」
知らず知らずの内に僕は怒鳴り声をあげていた。
「古山さんの『未来予知』は万能だ。それに古山さんはちゃんと報告もしている。被害者が出る前に連絡してくれたら事前に阻止できたはずだ」
感情が無いにも関わらず胸元が無性に熱くなる。手崎は少しだけ考えるように「あー」と発声して全体重を背もたれに押し付ける。発声を終えると同時に手崎は怪しげな笑みを浮かべた。
「・・・・・凪月君さぁ、何かのために自らを犠牲にする人間と何もせずに、何もわからないまま得をする人間、どっちが人間らしいと思う?」
僕は瞬時にして手崎の目の前に移動し、手崎の首元に万年筆を突き立てていた。ほんの少し力を加えて押し込むと首に小さな穴が開き、横に振ればおそらく人が死ぬには十分な致命傷になるだろう。
「そんな質問をしていないで僕の質問にちゃんと答えろ・・・・・言っておくが、次は無いからな」
とても冷たい口調で言いながら、万年筆を手崎の首に少しだけ押し込む。筆先からは少しずつ血が流れ始めたが手崎の表情は変わらない。それどころか鼻でふっと笑って口を開く。
「冬丘冬華は、自分で自分の家族を殺したってのが結果だ。理由は君がよく知っていると思うけど僕が解決しようにもすでに手遅れだった。っていうのが正直なところだ。君には言い訳に聞こえるかもしれないが僕は『医者』であって、便利屋ではない」
「・・・・・そうだな。お前から『依頼』を受けた時点ですでに事件は終わった後だった・・・・・」
「ハハハ、そうなんだよ。まあ、わかってくれたならこの万年筆を下げてくれないかな?」
僕はそう言われて手崎の首元から万年筆を下げて懐にしまったが僕は訝しい表情で手崎を睨みつけ、手崎は観念したように笑ったまま口を開いた。
「僕は僕の興味でしか行動しない。君を助けたのも冬丘さんを助けたのも僕自身が『面白い』って感じたからだが、事件が起こる前に解決する『誰か』さんとは違い、僕は事件が、いや被害者が出てからしか行動しない。医者としての善意はあるが、医者として働くのは患者がいなければならない・・・・・ハハハ、実にこの仕事は僕に合っている」
「そうか・・・・・それは良かったな」
僕は呟くようにそう言って、部屋を出た。
部屋には中年男性が1人取り残された。首筋には鋭い何かで切られた跡があり首からは大量の血が溢れ出ている。呼吸が出来ない苦しみと出血の痛みで助けを求めようと部屋から出ようとするが、首からの大量出血のせいか男はすぐに意識を失った。
診察室から出ると、受付には古山さんが立っていた。悲しいような表情で彼女は僕を見つめ、僕は真剣な表情をしたまま顔を合わせる。最初に口を開いたのは古山さんの方からだった。
「終わった・・・・・んだね。コレ、たぶん凪月君が知りたい事をまとめた資料」
僕は礼を言ってそれを受け取った。おそらく手崎には黙って作成していた資料なのだろう。どうして僕にそこまでしてくれるのかはわからないが古山さんにはとても感謝している。
「古山さんはどうしてこんな所で、いや、どうして手崎の下で働いているんですか?」
「留学生で一人暮らしするにはどうしてもお金が必要だからね」
古山さんは控えめにそう言うと、いつものように微笑みを僕へと向ける。 嘘だ。留学費用を稼ぐために手崎の下で働いているなんて・・・・・
僕でも普通に討伐できているのだ。古山さんほどの黙示者なら留学費用なんて余裕で稼げるはずだろうが・・・・・ 余計な詮索は止めよう。
「そう・・・ですか、それじゃあ僕はこれで失礼します。今度、書類のお礼にご飯でも奢りますよ」
出来るだけ自然な笑顔を作り僕は言うと、古山さんはいつものように優しい笑みを浮かべる。
「ありがとう。 それじゃあ、約束だよ」
「はい、約束します」
そう言って、僕は病院を出ようとしたその時だった。
「・・・・・行ってらっしゃい」
辛うじて聞こえた古山さんの声は優しさと悲しさの両方を帯びていた。僕はゆっくりと振り返り笑顔を見せて病院を後にした。
殆ど日が沈みかけており、空はすでに黒色に染まっている。雲が多いせいか星は見えないが淡い月光が雲を突き抜けている為、ぼんやりと形は分かる。僕は病院から少しだけ離れた近くの公園で暫く空を見上げていた。
「あまり、綺麗には見えないな」
夜の公園で独り言を呟き、嘆息を漏らして手元の資料へと視線を戻す。資料は1枚の紙に要点が分かりやすくまとめられていた。殆どの事は僕も分かっていたが、それ以上に古山さんは知っていたらしい。
『 冬丘冬華に関する重要書類 』
5月7日 午後6時13分 冬丘冬華(被害者)は凪月君が先日討伐した憎悪と遭遇。
憎悪と遭遇した被害者は憎悪によって操られ、一時的に意識を奪われる。
午後7時39分 被害者によってその家族が呼ばれる。場所はこの前の建設現場。
憎悪は被害者を操り、その家族を自分の手によって殺させる。被害者だけを残して憎悪は立ち去る。
被害者達は憎悪の能力『操作』によって黙示者としての力が強制的に引き出される。その影響か被害者は徐々に黙示者としての力が発揮されてしまう。被害者達の黙示は憎悪を討伐することによって黙示者としての力は元に戻る。
※憎悪は2体、討伐した個体と同じ個体です。
頑張って、凪月君。 古山より
という、事が記載されていた。僕は書類を鞄にしまうと公園のベンチから立ち上がると家へと帰った。
家に着くと幸いにもまだ誰も帰ってきていなかった。僕はいつものように自分の部屋に入り込んで、机に鞄と眼鏡を置いて上着を脱ぎ、制服のまま布団へと倒れこむ。顔を布団に押し付けたまま軽く左右に振って最後に身体を返して天井を見据える。視力はもの凄く悪いので色でしか物を判別できないが普段から見慣れている光景のせいか無性に落ち着く。 さて、始めるとするか・・・・・
ゆっくりと目蓋を閉じると軽く深呼吸して僕は一気に目蓋を開いた。動画が巻き戻るように僕以外の空間がもの凄い早さで戻っていく。すぐにそれが終わると僕は飛び起きるように起き上がり携帯で今日の日付を確認した。
5月7日 午後7時12分 晴れ
と表示されていた。部屋は先ほどの5月28日と特に変化はないが少しばかり変化があるとすれば両手の爪が多少短くなっている事だろうか? 僕は携帯をポケットに戻し、すぐに上着を着て部屋を飛び出した。
「あら、樹島。どこかに出かけるの? もう少しでご飯出来るから早く帰ってきてね」
「ああ、わかったよお母さん。 たぶん8時くらいには帰ってこれる」
急いでいることが伝わったのか、普段は止められる所なのだが今回は止められなかった。僕は急いで家を飛び出し書類に記載されていた建設現場へと急いで向かった。
必死の思いでようやく現場にたどり着くと僕はすぐさま携帯で時間帯を確認する。
5月7日 午後7時30分 晴れ
何とか時間内には間に合ったようだ。ここに来る途中に弟の野島に会って自転車を借りていなければ僕は間に合わなかったかもしれない。まあ、僕がそのまま現場に向かったらっの話だが・・・・・
建設現場は3週間後と同じく防音シートで周りを覆われている。中はまだ綺麗に整地されておらず、荒れ地だと言っても過言ではない程に荒れている。そのせいか重機や建設に必要な材料はまだ用意すらされていない。荒れ地の丁度中央くらいには虚ろな顔をした女子高生が呆然と立っていた。 やはり、今は操られて意識がないのか?
シートの隙間から覗き込んで観察していると2人の男女がこちらの方へと歩いてきた。2人とも50代くらいで女子高生と同じく虚ろな顔をしており、どちらにも自我は全く感じない。
女子高生と向かい合う形で2人が並ぶと突然、自我が戻ったように3人は口を開く。
「え? 私、どうしてこんなところに?」
「と、冬華? あなた一体、急にこんな所に呼び出して何のつもり?」
「そ、そうだ。 急に呼び出したりして、今がどれだけ忙しい時期なのか分かっているのか!?」
冬丘冬華は困惑し、その両親は少しだけ困惑していたが冬丘を見るやいなや怒りに囚われたように怒号を浴びせた。冬丘は両親と目を合わせようとせず恐れおののいており、両親は一方的に問い詰めている。僕はシートの隙間から気づかれないように中に入って辺りを見まわした。
冬丘とその家族はこんなところで『進路』や『将来』の事を話している。冬丘がどういう心境なのか多少気にはなるものの僕は『憎悪』を探していた。
冬丘の両親が入ってきた方の防音シートのすぐ傍にソイツは居た。昨日(正確には約3週間後)と同じ容姿をしているがそこにいたのは最初に討伐した男の方の憎悪一体だけだ。おそらく、この前と同じく女の方の憎悪はすぐ近くで観戦しているのだろう。2~3分ほど一方的に話していた冬丘の両親は突然として口を開かなくなった。自然と僕の視線は憎悪から冬丘達の方へと変わる・・・・・どうやら始まったらしい。
「「体が・・・・・動かない?」」
冬丘の両親は同時にそれだけを発して硬直した。2人は突っ立ったまま動かず、口だけが自由を得ているらしかった。しかし、冬丘は驚いたように両親を見るとゆっくり右手を前にだして手の平を地面へと向けた。
「え? な、なんで? 体が勝手に・・・・・」
冬丘がそう言った次の瞬間、地面から手の平に向かって手で握れるほどの細い氷柱がゆっくりと形成される。それを見た冬丘達は驚きのあまり声が出せずにいるようだった。
「何? ・・・・・コレ?」
怯えきった声音で冬丘はそう言うと、自分の胸元程まで伸びた氷柱を掴んだ。地面にくっついていた先端の氷は蒸発するような音を立てて綺麗に消え、氷柱から先端が鋭く尖った氷の槍へと変貌した。冬丘はそれを構えて父親の方へと向けた。この状況が危ない事を理解するが僕はもう少しだけ様子を見守る。
「と、冬華・・・・・何をする!?」
驚愕の口調で冬丘の父親はそれを言うが、この場にいる全員が同じ心境だろう。少しの沈黙を破ったのは甲高い男の声だった。
「ハッハッハ、面白い。どこからでも楽しめるいい場面じゃあないか?」
ゆっくりと冬丘の方へと男の憎悪は近づき、冬丘とその両親の間へと入り込むと実に楽しそうな声をあげて笑った。
「さぁ、お嬢ちゃん。 君の産みの親を君の手で殺して見せてくれ。その映画のような現実を俺に見せて楽しませてくれよ」
「な、なにを!?」
冬丘は憎悪を見るやいなや恐怖と驚きのどちらとも見て取れる顔でそう言ったが、次の瞬間、冬丘は氷の槍を少しだけ手前に引くと全体重を乗せるようにして槍を父親の方へと向けて突っ込んだ。流石に危険だと判断した僕は考えをまとめると同時に冬丘の方へと駆け出していた。不思議なことに目に映っている映像はゆっくりと流れており、そして僕の動きもゆっくりと流れている。分かりやすく説明すると、ある事に集中しすぎて本来数秒という短い時間が永延とした長い時間になっているように感じる感覚だ。
ゆっくりだが確実に、槍は父親の腹部の方へと進んでいく。すでに腹部との間隔は拳一つ分程にまで間隔を狭めている。僕は目蓋を限界まで引き上げると思いっきり地面を蹴っていた。自らの黙示によって僕の体は弾丸のような速さで接近し、距離を詰める。すぐさま両親の腰を掴んだ僕はつい先程まで立って居た入口へと戻る。黙示のお陰で時間は殆ど流れていないが入り口に着くと同時に時間は流れを取り戻す。冬丘の槍は父親を捉えることは出来ずに空を裂いた。一瞬の出来事だったので僕以外の『者』は何が起きたのか理解できておらず唖然として立ち尽くしている。僕は懐から万年筆を取り出して冬丘の両親の首筋に突き刺した。普通なら血が出るのだが黙示者の道具であるため一滴として血は出ない。
「この出来事は綺麗に忘れて、すぐさま家に帰るんだ」
僕がそう言うと2人は意思を失ったように立ち上がりスタスタとこの場から離れて帰っていった。早過ぎた行動のせいか、冬丘と男の憎悪はようやく僕の方へと視線を向ける。
「き、君は!?」
「一体!? 何が起きたんだ!?」
冬丘と男の憎悪の声が重なり何を言っているのかよく聞き取れなかったが、驚いている事は何となくわかった。僕は眼鏡を掛けなおしてゆっくりと振り返った。
「な、凪月君!?」
冬丘は更に驚いたように口を開いたが、言葉とは裏腹に僕の方へと槍を構え直す。楽しみが奪われた憎悪は名前の通り凄まじい憎悪を僕へと向ける。
「ほほう、黙示者か・・・・・ 俺様の楽しみを奪った小僧は死体すら残らないと思え!」
激しい怒号で叫びながら僕の方へと指さしたのと同時に、槍を構えた冬丘が僕の方へと突っ込んできた。それは普通の高校生程の速さではなく、もはやオリンピックの選手を超えている。黙示者は生まれつき黙示があるだけでなく、一般人を遥かに上回る身体能力も持ち合わせている。まあ、黙示も身体能力も個々の成長や努力次第で向上するのだが、今の冬丘は憎悪によって黙示も身体能力も限界まで引き出されている状態なのだろう。
「凪月君、逃げて!」
「・・・・・大丈夫」
冬丘の叫びが響く中、僕はサッと左に避けるとそのまま右腕を槍へと振り下ろした。槍は壊れなかった・・・・・が、進行方向を変えられた槍はそのまま地面へと突き刺さるのと同時に冬丘の突進は静止した。その状態を確認するように一瞥し、予定通りになっている事を確認した僕はすぐさま男の憎悪へと駆け出した。
一気に憎悪へと距離を詰めると、拳を握りしめて殴りかかる。しかし男の憎悪は軽々と2発の拳を避わして後ろへと高く飛ぶと距離を取った。僕の拳は空を裂き、再び距離を詰め直そうとしたが右足が上がらない。どうしてなのかわからず、僕はすぐに右足へと目を向ける。
「・・・・・氷か?」
「ハーハッハ、俺様ばかりに注意が行き過ぎたな。まあ無理もない、俺様は黙示者であろうと操れる能力『操作』が使えるんだよ。まあ、何故かお前は操れないが・・・・・動きさえ止めれば関係ないぜぇ! ガーハハハハハ」
一瞬だけ憎悪の方視線がいったが、すぐに足の方へと視線を戻す。既に僕の右足は太ももの方まで凍っており、そこから線が伸びるように氷の跡が残っている。その跡を目で追うと地面に刺さった氷の槍に繋がっており、隣には槍を握った冬丘が虚ろな顔でこちらを見据えている。意識も完全に操られているらしい。
「へぇー、それでお前の相方はどうしたんだ? 近くで僕の死ぬ姿を見物しないのか?」
わざとらしく諦めた台詞を吐き捨て、僕は眼鏡を掛けなおした。冬丘の黙示で出来た『氷』により左足にも氷が纏わりつき始める。
「っふ、フハハハハハ。 そうだな・・・・・おい、お前もこっちに来いよ」
男の憎悪は甲高い声で高笑いしながら女の憎悪を呼び出した。男の憎悪の少し前方の地面から突然、細い手が突き出てくると、ゆっくり地面が盛り上がって憎悪の本体が這い出てきた。ホラー映画でも中々見られない場面だが、感情を失っている今の僕は黙って事の成り行きを見守った。
地面から這い出てきた女の憎悪は軽く汚れを叩いて落とすと訝し気に僕の方へと視線を向けた。
「まあまあ、黙示者を殺すのは初めてだけど? どうやって楽しむのかしら? ねぇ?」
「ふん、そうだな・・・・・ 四肢を体から引きちぎるってのはどうだ?」
実に楽しそうに憎悪達は話しており、女の憎悪は「実に面白そうだ」と言って賛成すると憎悪達は僕の方へと顔を向けた。僕はわざとらしく少しだけ愛想笑いをして口を開いた。
「残念だけど・・・・・それがお前たちの最後の台詞になったな」
両方共、唖然としたまま僕の方を見て口を開こうとした瞬間に、僕は開いている目蓋を限界まで引き上げた。一瞬にして世界は活動を静止した。何度も経験している事だが空気や時間と言った目に見えないモノから目に見えるモノまで全てが活動を静止している。しかし、この静止した世界で動けるのは僕だけだ。
僕は深く深呼吸をすると自分の足を再度確認した。やはり凍っていて動けない・・・・・が、幸いにも氷は僕の足を固定しているだけで足の筋肉が凍っているわけではない。しかし、足に力を入れてもしっかりと固定されていて外れない。
「・・・・・仕方ないか」
孤立した世界で僕は少しだけ嘆息を漏らしてそう言うと、憎悪の近くに落ちてある大きめの石へと注目した。瞬時にして僕は石の方へと移動しており、僕の元居た場所にはその石が僕の胸元程の高さで宙に浮いていた。ぞくに言うテレポートだが、これは僕が父親から譲り受けた黙示『シフトチェンジ』だ。この黙示は場所の交代だけではなく色々と応用が利く黙示なのだが・・・・・まだ使いこなせていない為、それに似合った集中力と体力を消耗する。まあ、これは僕の黙示で解決しているのだが・・・・・
僕はゆっくりと憎悪達に近づくき、男の憎悪の醜く朽ち果てている顔面に向かって2発だけ軽く殴った。この前1発だけ殴っても憎悪は生きていたからな、痛覚があるかは分からないが楽にした方がこいつらにとってもいいだろう。男の憎悪を殴った後、僕はそのまま女の憎悪にも同じことをした後、憎悪達から少しだけ距離を取って指を鳴らした。それと同時に世界は活動を再開した。
バシュっという破裂音に似た肉の弾ける音が2回続けて鳴り響き、男の憎悪と女の憎悪の顔は完全に弾けて辺りに大小様々な肉片が散らばった。殴った方の右手は今の所異常は無い。憎悪達の首から下はゆっくりと倒れて、僕の『シフトチェンジ』によって場所を交代した石が地面に落下したと同時に冬丘の悲鳴が鳴り響いた。
「いやああああああああああああ」
冬丘にとって、いや普通の人にとっては想像しがたい程の残酷な光景だ。叫んでしまうのも仕方ないだろう。僕はゆっくりと歩み寄ろうとしたその時だった。
「・・・・・こ、来ないで」
冬丘は酷く怯えた様子で僕を見据えたままゆっくりと後ずさる。僕は言われた通りに足を止め、今冬丘が怯えているのがこの光景ではなく『僕自身』に対しての『恐怖』であることを理解した。理解したと同時に胸が無性に苦しくなる。あれ、なんだこの苦しみは? 久しぶりに経験するこの痛みは・・・・・何だっただろう?
「だ、誰にも・・・・・言わないから・・・こ、殺さ、ないで」
怯えながら冬丘が放った一言は僕を壊すには充分過ぎる程だった。しかし、僕は依然として表情を変えずにただその場に立ち尽くしたままだった。
冬丘はゆっくりと入口へと移動し、僕はそれを黙ったまま見ていた。
「ほ、本当に・・・・・言わないから」
「・・・・・」
自然と視線を逸らしてしまう。入り口から出ようとした冬丘に突然、純白の透き通った左手が冬丘の口を塞ぐようにして覆った。流れるように早い作業で右手の万年筆を首筋に差し込んだ。倒れこむようにして冬丘は腰を下ろすと、その後ろから聞きなれた綺麗な声が聞こえた。
「今日あった嫌な出来事を綺麗に忘れて、そのまま家に帰りなさい」
冬丘は虚ろな顔をしたまま立ち上がりスタスタと入り口から出て行った。先ほど僕が冬丘の両親にやったのと同じだが、これは黙示者の道具(僕の場合は万年筆)の共通した機能の一つだ。人に見られたり、憎悪によって被害を受けたりすると『記憶を消すため』にこの機能を使う事が多い。まあ、この機能は最後の切り札的な奴なのだが・・・・・
冬丘と入れ替わるように防音シートから見慣れた美少女が入って来た。その美少女は白の半袖シャツに水色のジーパン、おしゃれなサンダルを履いていて、白シャツが透けないように下には黒の半袖シャツを着ている。純白の肌に長い金髪が一際目立ち、着ている服も良く似合っている。昨日(正確には3週間後)の私服とは違って体躯が強調されている。しかし、僕は漠然としてそれを見ていた。視界に映る全てのモノがどうでもいいと思えるほど、僕はボーとしている。
「何とか・・・・・いや、間に合わなかった・・・・・ね」
美少女は優しい口調でそう言い、ゆっくりと歩み寄って来た。いつの間にか視界はぼやけており、両の頬に水のような物が流れている感覚が肌を伝う。僕は咄嗟に右手で右の頬に触れる。それは嬉しい時や悲しい時に人間が本能的に目から流す現象『涙』だった。なんでだろうっと不思議に思っていた僕だったが、胸が引き裂かれそうなほど苦しく、息が詰まってさらに胸が苦しくなる。目から次々と溢れ出てくる涙を認識し、僕はようやく状況を理解した。しかし、それを口に出してくれたのは僕ではなく古山さんの方からだった。
「凪月君・・・・・ごめんね。 君が今、泣いているのは君が自身の黙示で切り離していた『感情』が戻ったから・・・だよ」
わかっていた事だった。少なくとも、手崎と古山さんからはすでに助言され、事前に知らされていた事なのだ。しかし、『悲しみ』という見えない刃は僕の胸に突き刺さったまま離れず、逆に深々と突き進んでいく。それに耐えきれず僕は、嗚咽しながら地面にうずくまり両手の拳を握りしめる。僕の傍へと歩み寄った古山さんは腰を下ろし、慰めるように僕の背中を撫でると優しい口調で語り掛ける。
「凪月君、君は・・・ううん。君が傷つく事は無かったわ」
わかっていた。僕が傷つくことは助言を受けた時から・・・・・ だが、僕はその助言の意味を深く理解していなかった。だから古山さんはあんなにも悲しく、今にも泣きじゃくりそうな顔をしていたのだろう。そして、あの男『手崎 輝』のあの質問「何かのために自らを犠牲にする人間と何もせずに何もわからないまま得をする人間、どっちが人間らしいと思う?」というあの質問は、古山さんからこの事を聞いたからだろう。手崎は自分の興味でしか行動しない人間だが、古山さんは純粋で優しい人だ。 こうなる事を知っていたからこそ手崎にも助けを求め、自分で行動も起こしたのだろう。だが、結局僕は気づけなかった・・・・・
「凪月君は冬丘さんが最悪の状態になることを事前に防いで、冬丘さんを助けることが出来た。けれど、冬丘さんにとっては君は脅威でしかなかったの・・・・・ でもね。私は君が正しい事をしたと思うよ」
優しい口調で話を続け、うずくまる僕に古山さんは体を寄せた。触れている部分から温かみのある熱と柔らかい感触が伝わる。そして、古山さんは僕の耳元で囁いた。
「君は・・・・・優しすぎるよ」
その優しい言葉を聞いて、黙示者になってから蓄えられていた『悲しみ』『苦しみ』が、涙という形になって解き放たれる。その場にはしばらく、うずくまって涙を流し続ける僕と傍で慰めるように寄り添う古山さんが淡い月明かりに照らされていた。
どれくらいの時間が過ぎただろう。しばらく涙を流し続けた僕だったが、いつの間にか涙は止まり眼球の水分が渇いている事を実感する。僕はゆっくりと体を起こし、古山さんの方へと顔を向ける。
「古山さん・・・・・ありがとうございました」
僕は久しぶりに自然な微笑みで語り掛けた。古山さんも優しい微笑みを向けて口を開く。
「ええ、凪月君とは長い付き合いだから・・・・・無理をすることは前から分かっていたからね」
「そう、でしたね・・・・・」
古山さんとは以前から関りがあるが、迷惑しかかけていない事を改めて実感する。 一人で落ち込んでいた僕を、慰めるように優しく微笑んだの古山さんが口を開く。
「でもね凪月君。 私は自分が傷つくことを惜しまずに人を助けるって人、好きだよ」
その一言を聞いた僕は思考が停止し、目が点になって顔が熱くなるのが分かる。古山さんはそんな僕を見て少しだけ首を傾げたが、なんで僕がこうなっているのかに気づくと、驚いたように目を見開いて顔を赤く染めた。
「そ、そそ、そういう意味ではないよ!」
「あ、ああ、は、はい、わかっています」
自然と僕らは早口になっていた。少しだけの沈黙が訪れ、顔を逸らす。何かを言わなければっと考えるが、感情が戻ってきたり、今のこの状況だったりと色々重なってしまい考えがついていかない。
「えっと、凪月君。 今日はもう帰らない?」
普段と変わらない優しい口調で古山さんは話しかけてきた。時間が過ぎたお陰で、僕らの顔色は普段と変わらない顔色に戻っていた。
「え? あ、そ、そうですね。 送っていきますよ」
ぎこちない動きで僕は立ち上がり、座り込んでいる古山さんに手を差し伸べる。古山さんはにっこりと微笑んで手を握り、ゆっくりと立ち上がる。柔らかく温かみのある手が僕から離れ、僕より少し前に出た古山さんの「っさ、いこ」と言う掛け声と共に、僕らは帰路へと歩き始めた。
夜の帰り道
僕は戸惑いを隠せずに古山さんの隣で一緒に歩いていた。野島から借りた自転車を押しながら古山さんを視界の端に捉え、何か会話が出来そうな話題を考える。半分とはいえ感情が戻ったことにより色々と緊張感が出てしまう。こんなにも美人が隣にいるのだ、気にしない方がおかしいだろう。そんな事を考えていたからだろうか、今回も話しかけてきたのは古山さんの方からだった。
「凪月君、何を考えているの?」
少しだけ怪訝そうにぷいっとした表情でそう言われ、僕は不意に言葉を探す。
「え、えっと・・・・・」
様々な感情が複雑に絡み合って言葉が出ない。まあ、この際だ感情が戻ったことだし、正直な言葉を口に出して言った方がいいだろう。
「古山さんが彼女だったらって思いましてね」
僕は一体どんな顔でその台詞を言ったのだろう。自分でも信じられないほど恥ずかしい台詞だったが、意識しないでごく普通に言っていた。目の前の古山さんはきょとんとした表情でこちらを見据え、僕も古山さんと顔を合わせた。純白の肌により少しずつ顔が赤く染まっていくのが分かる。
「ハハハ、冗談ですよ」
僕は笑ってそう言うと、再び歩き出した。
古山さんは優しい上に見とれてしまう程の美人だ。普通に考えて彼氏がいてもおかしくない。僕に優しくしてくれるのは古山さんの『人を助けたい』という優しい意志が、僕の本来の目的と一致しているからなのだろう。
「えー、絶対嘘だよ」
普段と違う可愛らしい声音を出して跡をついてくる美少女を背に、僕はゆっくりと歩みを進めた。
とりあえず、1話目(RE:START)はここで完結となります。
最後まで読んでくれた方にはとてつもない程の感謝を申し上げます。
「読んでくれて、ありがとうございます」
次回からは2話目となりサブタイトルも変わりますのでご了承ください。(作品名に変更はありません)
1話を最後まで読んでくれた方、評価してくれた方、これからも読んでくれる方
全ての人に感謝して後書きを書き終わらせていただきます。 いい月