ここはどこ?
ヘンリーは目を覚ます。しかし目を開くことができない。それどころか、身体を動かすことすらままならなかった。
それでもどうにかして動こうとする。すると右手だけは動かすことができるのが分かった。そして、自分はどういうわけか、土の下に埋められていることもわかった。息をするために口を開くと、土が雪崩込んできたからだ。
訳の分からない状況と、口内に進入してきた土に驚き、半ばパニック状態に陥り、一心不乱に、手で土を掘る。しばらく掘り進めていると、ようやく左手も自由になる。空いた両手を使い、まずは顔の上の土をどかそうと躍起になる。口の中の土の感触に耐えきれなくなってきたころ、土の隙間から太陽の光が差し込んでくる。ヘンリーは一気に身体を起こし、ようやく窮屈な地中から抜け出した。
顔を背け、土をすべて吐き出す。地面に落ちた土の中から、小さな芋虫が這い出てくる。それを見たヘンリーは吐き気を感じた。
「ここは……?」
ヘンリーは辺りを見渡す。周囲には、不気味な雰囲気を醸し出す石碑……、というにはずさんで、形もまばらな石が転がっているのが見える。その様相が、ヘンリーにここを墓地と思わせた。それが正しければ、ヘンリーは、生きたままここに埋葬されたということになる。
いや。ヘンリーは死んでいたのだ。少なくともさっきまでは。だからあの世である三途の川で、死神と名乗る小野塚小町に出会ったし、死んでいたからこそ土の下に埋められていたのだ。
では一体誰がこんなことを? わざわざ見ず知らずの死人を埋めるような真似を、果たして常人がするだろうか?
それに、ニューヨークで死んだ自分が、息を吹き返したらこの訳の分からない世界で目を覚ますなんて馬鹿げてる。小野塚小町と話していた時は、ここが自分の知っている世界ではないことに納得していたが、やはりいろいろと不自然だ。
頭や衣服に付いた土を払って立ち上がる。道路に出て、街か人を見つけなければ。
そう考え、ヘンリーは獣道を歩き出す。するとそれを待っていたかのように、激しい頭痛に襲われる。
「うっ……」
不快な痛みだ。それに耐えているうちに、不意に、視界に何かの風景が映る。それは最初の内はぼやけていたが、意識を集中させていると、そのビジョンははっきりと見えてくるようになった。
どうやら夜の竹林のようだ。そして視界の中央には、一人の少女。後ろ姿から、金髪で十代後半から二十代であることが分かる。
彼女は深くため息をついて、近くにあった切り株に座り込んだ。その手には何か紙切れの様なものを握りしめている。
ヘンリーは、その紙切れが何なのか、無性に気にになった。少しだけでも見せてもらおうと思い、少女に近づく。すると少女は驚いたような顔で振り向き、切り株から立ち上がった。そして全速力で逃げていってしまう。
ヘンリーは追いかけようとするが、彼女が持っていた紙切れが地面に落ちていることに気づいて立ち止まる。それを手に取った途端、視界がぼやけ始める。
意識を失って倒れていたのか、視界が元通りになって目に入ったのは、九十度傾いた元の世界だった。
「やはり変化なしか」
辺りを見回し、相変わらず、自分が元いた世界に戻ることができないことに、若干の無念を抱きつつ、立ち上がる。
そして自分の手に何かが握られていることに気づく。
「紙?」
それはさっき見た少女が持っていた紙切れのようだった。思えばここは竹林。この紙切れは、あの少女が落としてから自分に拾われるまで、ずっとこの場所で野ざらしになっていたのだろうか。
紙切れの裏には文字が書かれているが、風化のせいか、とても読み取れるものではなかった。
一応持って行こうかと思っていると、誰かがこちらに近づいてくる気配を感じる。仕方なくヘンリーはメモを投げ捨てて草むらに身を潜め、音を立てないようにできるだけ身を低くし、この場を後にした。
―
「喉が渇いた……いつまで続くんだ?」
歩けど歩けど、一向に終わりが見えない道を歩きながら、ヘンリーはため息をつく。長時間による移動のせいで疲労が溜まり、目眩がして仕方がない。
とにかく水分を補給したかった。このままでは一人虚しく飢え死にするだけだ。せっかく生き返ることができたのに、飢え死んであの世行きなんていう無様な最期だけは避けたかった。
ふらふらと歩いていると、微かに聞こえる流水の音に気づく。
もう何も考えられなかった。
草を掻き分け、見えもしない水のありどころに向かって一心不乱に走る。やがて視界が開け、そこに広がっていたのは、底が見えるほどには澄んだ穏やかな川だった。
ヘンリーは水に手を突っ込み、それを手で掬って一気に飲み干す。一瞬にして乾きが潤い、自分が生きているということを改めて実感した。
「はあ……」
川の水を掬っては飲み、掬っては飲みを繰り返して満足してくると、深いため息が漏れる。そして、極度の緊張から解き放たれた安堵感からか、強い眠気が襲ってきた。
ヘンリーは川沿いに寝転んで目を閉じる。
少しだけ。少しだけ休憩したら先に進もう。そう考えているうちに、意識はまどろみの中に消えていった。