少年の夢
いきなりキース視点です
貴族の位を捨てて、商いの道を極める。
キースの胸にその夢が芽生えたのは、11歳の頃だった。
貴族社会の居心地の悪さに、少年時代の彼はうんざりしていた。
行動の一切についてまわる、細密すぎる礼儀作法。
醜い本音を、飾り立てた言葉で覆い隠す貴族たち。
そして、豪華な暮らしを甘受している自分自身。
その全てが、彼は大嫌いだった。
だが、キースの家族は豚のように肥えてもいなければ、使用人を虐げたりもしない。
父も、母も、兄も、誠実さと分別を持った立派な人間だ。特に、優しさゆえに不器用な兄のロレントを、キースはとても好いていた。兄を始めとする家族に対し、愛情と敬意は持ち合わせている。
それでも、貴族として生きることへの違和感は拭えなかったのだ。
ある日兄が、キースにとある人物を紹介したいと言ってきた。
その人物とは家にやって来る商人で、何度か話しているうちに友人のような関係になったらしい。兄曰く、『いい人生教師』らしい。
(人生教師ねぇ・・・)
キースは初め、その商人が自分の人生を導いてくれるとは思っていなかった。
人生論を語られるのは、大嫌いだったのだ。なぜなら、自らの半生を進んで語りたがるのは、大抵おごり高ぶった成功者だから。
しかし、彼の予想ははずれた。それも、かなりいい意味で。
『よう、坊ちゃん。調子はどうよ』
初対面の時、その商人――バルカスは、おどけた口調でそう言った。
キースが想像していたよりもずっと若く、彼は二十代後半くらいに見えた。人懐こい笑顔を浮かべてはいたが、そうとう賢い人物であることは一目でわかった。
『坊ちゃんは、兄上とはあんまり似てないねぇ。彼は、善良貴族の模範生って感じなのに、君はなんかこう・・・気難しそう』
そう言って、バルカスはキースの顔をまじまじと見つめる。
他の貴族であれば無礼ととるような口調も態度も、キースは特に気にはしない。
そんなことは問題にならないほどに、彼は感嘆していた。
(この男・・・)
バルカスは、外面のよさに隠されたキースの本音を見抜いている。両親でさえ彼をよく出来た子どもだと思っているというのに、この商人の洞察力はかなりいい。
ただ、『坊ちゃん』呼びされたことだけはいただけなかった。
『僕の名前はキースと言います。坊ちゃんではありません』
『おお、怒らせちゃたかな?短気はいけないよ、坊ちゃん?』
『だから・・・!』
キースはわりと最初から、バルカスに対して自分を繕ったりはしなかった。
それはとても幸福なことで、いつのまにか彼はバルカスを家族のように慕っていた。
彼は大抵、旅の話をしてくれた。
遠く離れた土地の風土、慣習、そこに住む人々の暮らし。その中に、人生の教訓になりそうな事柄が少しずつ混じっている。
バルカスは、兄の言う通り、いい人生教師だった。だが彼は、自分の人生論を語るわけではなく、自身の五感で感じ取ったことをありのままに話すだけだ。
『俺も、バルカスみたいになりたい』
バルカスと交流して2年が過ぎ、キースは心の底からそう思っていた。自由と強さを持って、自分の力で生きているという実感がほしかった。
輝く瞳で自分を見つめる少年に、バルカスはナイフのように鋭い視線を浴びせた。
『才能と運で、自分の手で自分の人生を切り拓いていく。それが商人の特権だ。お前はそれに惹かれてるんだろ?・・・だがな、でっかいでっかい地獄の底が、いつも俺たちを待っている。何度も見てきたよ、仲間がそこに落ちていくのを』
いつになく冷たいその声音に、キースは本能的な恐怖を感じた。
怯んではいけない。反対されることなど最初からわかっていたのだから、覚悟の強さを見せなせれば――
しかし、キースは何も言い返せなかった。
沈黙の後、バルカスが困ったように笑って告げた。
『貴族の坊ちゃんを、危ない道に引っ張りこみそうになっちまったな・・・。やっぱり潮時なのかもしれねぇ』
『どういうこと?』
もはや、『坊ちゃん』呼びに文句をつける気はなくなっていた。バルカスらしくない哀しげな笑みが、キースの胸に不安を植え付ける。
『王都の方に、商売の拠点を移そうと考えていたんだ。・・・つまり、ここにはもう来ないということだ』
『・・・俺が、変なこと言ったから?』
反射的に、キースは答えていた。少年の瞳には涙が滲み、その声は震えている。
バルカスは、少年の頭にぽんと掌を置いた。
『いや、俺の言い方が悪かった。かなり前から、考えていたことなんだ。それに今、ここの流行り病の猛威に不安がってる部下も多い』
『誤魔化さないで』
『いや、お前に嘘は吐かないよ。』
バルカスはそう言うと、キースの髪をかき回してくしゃくしゃにした。
『達者でな――キース』
初めて、名を呼ばれた。
尊敬している人物に、ようやく認めてもらえた気がした。
嬉しいはずなのに、キースの胸はちっとも晴れなかった。
バルカスは言葉を違えることなく、キースの元にはもう来なかった。兄に聞いたところによると、すでにこの地を離れて旅立ったらしい。
バルカスが事故死したという知らせは、それから数週間後に届いた。
*
丘の上に並ぶ墓の数は、この数ヶ月で何倍にも
膨れ上がった。
猛烈な勢いで人々の命を刈り取っていった、恐ろしい流行り病のせいだ。
しかし、キースが花を添えた墓地に眠る人物は、病に殺されたわけではなかった。
(バルカス・・・どうして)
王都を目指したバルカスの馬車は、崖崩れに遭ったらしい。
バルカスは、部下達を逃がし、御者を逃がし、積み荷を彼らに託し――崖の下に転落した。
生き残った者たちが、涙ながらにそう証言した。
(バルカス・・・俺はやっぱり、あんたと同じ道を目指すよ)
遺志を継ぐなんて、大層なことはできない。
ただ、彼と同じ道を志す限り、バルカスが心の中にいてくれる気がした。
自分を笑い飛ばして、叱りつけて、褒めてくれるような気がした。
11歳の頃に芽生えた子供じみた夢は、13歳になった今、生きる目的へと変化していた。
祈りの言葉を呟いて、キースはバルカスの墓を後にした。
墓地は、喪失への悲しみと虚無で溢れている。誰も彼もが涙を流し、墓の上に突っ伏して慟哭している者さえいた。
ふいに、キースの目が一人の少女を捉えた。
彼と同い年くらいであろう、人形のように整った容貌の少女だ。
キースは彼女に――正確に言えば、彼女が持っているものに目を奪われた。
墓地の雰囲気に余りにそぐわない、大輪の紅薔薇の花束。
ピンク色のリボン、真っ白なビーズ、花模様のレースなどで、派手に飾り付けられている。まるで、幼い令嬢の誕生日にあげるブーケだ。少女時代の甘い幸せを全て詰め込んだかのように、過剰なほど可愛らしく豪奢だ。
しかし、きらめいた雰囲気を放つ花束とは正反対に、少女の顔には生気がまるでなかった。
薄青の瞳に光は射しておらず、何もかもが虚ろでおぼろげだった。
(今にも死にそう、って感じだな)
少女が自分の前を通り過ぎる時、キースは彼女がか細い声で同じ台詞を繰り返しているのを聞いた。
『ごめんなさい』、『ごめんなさい』と。
*
それからしばらくして、キースは家を出た。
父の猛反対も、兄の説得とキース自身の意思の強さに押し切られた。
しかし、待ち受けていた現実は、やはり甘くはなかった。
失敗、失敗、失敗、稀に成功。また、失敗、失敗、失敗、失敗、失敗――
バルカスの言う通り、自分は地獄の穴に落ちていっているのかもしれない。
資金も底を尽きそうだ。
だが、キースは簡単には折れなかった。
(バルカスが、見てるんだ)
そのうち、成功の回数が徐々に増えていった。
小さな成功から、大きな成功へ。
そしてそれが積み重なり、キースは予想外の成功者と謳われるまでに成長した。
家族の元にも、ようやくまともに顔を見せることができる。
そう歓喜し、キースは実に久々に実家を訪れた。
そこで待っていたのは兄の結婚問題だった。
どうやら兄は、厄介な女に捕まったらしい。他に愛する者がいるのにも関わらず、だ。
父もそう簡単には断ることのできない相手らしく、決断を渋っていた。
『あなたがロレント様の弟君?』
扇で口元を覆い、冷淡な声で問うてくる佳人。
薄青の瞳に、人形のような面差し。
キースは愛想よく振る舞いながらも、違和感を
感じていた。
(どこかで、会ったような・・・)
兄の婚約者として現れた、リエラという名の令嬢。
目には鋭く冷たい光をたたえ、身にまとう雰囲気も凍てついている。
『あなたからも、あの方に言ってくださらない?真にふさわしい人間を妻に迎えるようにと』
『それはあんたのこと?だったら無理だね』
キースは、心の奥底にくすぶる疑念を押し殺した。
何よりも優先すべきは、兄の幸せを守ること。
この女を追い払い、エルゼを新たな家族の一員として家に迎える。
そう、自らに言い聞かせた。
それなのに、リエラのことを知りたいという欲求が、その心に触れたいという願いが、キースの中に生じ始めた。
夕暮れ時の薔薇園で、彼女が少し心を開いてくれたように思えた、あの瞬間。
キースはその想いを自覚した。
そして、父が折れて、兄とエルゼの問題が解決した時に決意した。
リエラの信念を利用して、彼女を自分のものにしようと。
それは、どこか危険で昏い欲望だった。
『キース、今のお前はおかしい』、と。
頭の中に、亡き師の声が響いた気がした。
閲覧ありがとうございましたm(_ _)m