衝突
主人公が情緒不安定です
数日後、寝不足が続くリエラの元に来客があった。
応接間に案内されたその人物は、彼女にとって一番邪魔な位置にいる娘だ。
「あの・・・こんにちは、リエラ様」
向かい合ってソファに座ると、彼女はか細い声で挨拶を述べた。
「こんにちは、エルゼ様」
ロレントの恋人――エルゼは、一目見てわかるほどに緊張していた。リエラには、震える子犬のようにすら見える。
春の陽光の如くと称えられる笑顔も、凍てついた視線を前にしては見る影もない。
「今日は、この間のお礼をしに参りまして・・・」
「そうでしたか」
そっけない応対に、エルゼはますます縮み上がる。
(そんなに怖いなら、さっさと帰ればいいのに)
リエラは、エルゼに会う度同じことを思っていた。
しかしエルゼは――リエラにとっては厄介なことに――最後には必ず覚悟を決める。今までも、そして今日もそうなのだろう。
意思の強さを秘めた澄んだ瞳が、真っ直ぐリエラに向けられる。
「先日は本を寄贈して頂いて、本当にありがとうございました。不安なことが多い最中でしたから、子どもたちも大喜びで」
“不安なこと”というのは、孤児院がある土地を賭博場にしようという計画の話だろう。
エルゼとロレントが猛烈に反発しているのものの、あまりの立地条件のよさから相手側も引き下がらないらしい。
「捨てようとしていた物ですから。礼には及びません」
「いえ、本当にありがたかったんです。あんなにたくさんの本を頂けるなんて・・・」
「別にいいですから」
リエラは、あまり寄贈品のことに触れて欲しくなかった。
しかし、一旦決意を固めたエルゼは一気に饒舌になった。
「お姫様が出てくるお話がいっぱいで、女の子たちは特に嬉しそうでした。やっぱりリエラ様にも、ロマンチックな童話に夢中になっていた時期があったんですね」
「・・・まぁ、そうですね」
嘘だった。
エルゼが働く孤児院に寄贈した児童書は、リエラが読んでいたものではなかった。
ロマンチックな童話に夢中になっていたのも、彼女ではない。
「あ、これ、子どもたちが書いたお礼の手紙です」
リエラの胸中など知る由もないエルゼが、ボロボロの鞄から封筒の束を差し出す。
可愛らしいリボンで結われたそれを、エルゼは愛おしむように見つめている。
しかし、リエラはただ冷たく言い放っただけだった。
「読むつもりはありませんので、結構です」
心無い一言に、エルゼの顔が悲痛に歪む。
「そんな・・・!受け取ってください!」
「受け取るだけならいいですけど、捨てますよ」
「子どもたちが、リエラの様のために書いたものなんです・・・!」
必死の嘆願と冷たい声音が、室内で交互に響く。
涙でも流しかねない様子のエルゼに、リエラは吐き捨てた。
「どうでもいいです、そんなこと」
その一言に止めを刺されたように、エルゼは押し黙ってしまった。
長閑な午後に似つかわしくない、重たい沈黙が部屋を包む。
(何なの、一体・・・)
リエラは、無性にうんざりした気分になった。
目の前の心優しい少女が、今まで以上にうっとうしく思える。
この間ロレントと会ったときも、同じような苛立ちを感じた。
孤児たちを――自分の愛する存在を、必死に守ろうとする。
資金集めに奔走して、懸命に働いて、子どもたちの笑顔を何より大切にしている。
滑稽なほど、似て見えた。
愚かだった、幼き日の彼女自身に。
だがあの時のリエラとは違い、ロレントとエルゼは愛する者達を守り通せている。
その事実が、リエラは許せなかった。
「リエラ様・・・どうしてそんなに頑ななんですか?」
エルゼの悲しげな声が、長い長い沈黙を破った。
ソファから立ち上がり、彼女は座ったままのリエラを見下ろす。
怒りと哀れみが混ざった視線が、容赦なくリエラを射た。
「は?」
リエラが半ば乱雑に応じても、エルゼは怯える様子を見せない。
その芯の強さが、彼女はますます嫌になる。
「キースがよく言うんです。あなたはいつも、何かを隠すために、頑なに冷たく振舞っているみたいだって。本当の心に、触れさせてくれないって・・・」
エルゼの言葉に、リエラは思わず目を見開いた。
寝不足のせいで頭が冴えず、心を落ち着かせることもままならない。
「キースは多分、あなたのことが・・・」
エルゼの小さな呟きは、もはやリエラの耳に入らなかった。
心臓が高鳴り、握りしめた拳が震えている。
真っ白な頭の中で、最初に芽生えた感情。
その正体を理解した瞬間に、彼女の中で何かが崩れた。
(何なの・・・!!)
心を塗り潰したどす黒い怒りは、キースに向けられたものではなかった。
彼の言葉に、一番最初に喜びを感じた自分。
それが、この上なく腹立たしかったのだ。
昨日、彼への奇妙な気持ちを心から追い出したばかりなのに。
「あなたは本当に、ずっとそんな風に生きていくつもりですか・・・?」
エルゼの問いに、リエラは答えることができなかった。
自分を追い詰めるだけだとわかっているのに、心の中で問い続ける。
十一年間続けてきた生き方を、本当はずっとやめたかったのか。
エルゼとロレントのように、愛情を信じていたかったのか。
違う、絶対に違うはずだ。
馬鹿げている。
愛情なんかで、大切な人を救えるわけがない。
必要なのは、愛ではなく金だ。
エルゼたちだって、資金がなければ孤児たちを守れないはずだ。
愛情だけで、彼らは一体何が出来る?
愛情は、人を愚かにするだけだ。
その愚かさは、いつか大事な者を殺すのだ。
あの日の絶望を思い出せ――
リエラの脳裏に、重なるように声が響き続ける。
十一年前の罪を永遠に刻みつけたペンダントが、彼女の胸元で揺れた。
「リエラ様、どうか本当のことを――」
「うるさいっ!!」
半狂乱になったリエラは、思い切りエルゼの肩を突き飛ばした。
エルゼの細い体が、絨毯の上にどさりと倒れ込む。
「・・・うっ」
したたかに背中を打ち付けたエルゼは、痛みに耐えるように目をつぶっている。
彼女が動いた拍子に漏れた呻き声に、リエラの体がぴくりと震えた。
「・・・あ」
我に返ったリエラは、己の所業の跡に言葉も出なかった。
自分の心を守りたい一心で、何ということをしてしまったのか。
「だい、じょぶです」
苦痛に顔を歪めながら、エルゼはなんとかリエラの方を向いた。
「エ、エルゼ・・・怪我は・・・」
普段の冷徹さの欠片もないリエラに、エルゼは困ったような笑みを向けた。
「大丈夫ですから、ね?」
リエラの心は、自己嫌悪と罪悪感でいっぱいになった。
勝手に取り乱して、人を傷付けてしまうなんて――
『本当にごめんなさい』
そう言って、リエラがエルゼを助け起こそうとしたその時。
「――エルゼ!?」
男の悲痛な呼び声が、部屋の入り口から響き渡った。
リエラとエルゼがとっさに振り向けば、そこに立っていたのはロレントだった。
そして、その後ろにもう一人、男の影が見える。
「リエラ、彼女に何をしたんだ!?」
怒声を上げるロレントの声を、リエラは呆然と聞いていた。
彼の後ろにいる人物の正体に、息を呑んで目を見開く。
そこにいたのは、眉根を寄せてリエラを見つめるキースだった。
閲覧ありがとうございましたm(_ _)m