強敵
「頼むリエラ、諦めてくれ」
苦しげに嘆願する自分の婚約者に、リエラは冷たい眼差しを向ける。
細められた薄青の瞳は、彼女の心と同じように冷え冷えとしていた。
彼女は呆れ果てていた。
全く、何度目の同じやりとりだろう。
「ですから、何度も申し上げているでしょう?あなたの大事なエルゼ様を、愛人として迎え入れればよろしいではありませんか」
「できない・・・。そんなことをしても、エルゼも君も、幸せにできない」
整った容貌に悲痛の色を浮かべ、ロレントはリエラを見つめた。
決意を固めている彼の瞳には、リエラがその目に浮かべることのできない光がある。
どこまでも真っ直ぐで、濁りのない光。
(あぁ、本当に忌々しい・・・!)
殺意を抱くほど憎い存在を思い出させるその光が、リエラは大嫌いだった。
衝動的に、ドレスの襟の下に隠れたペンダントを握る。
「わたくしの幸せとは、父の命令に従ってあなたの妻となり、あなたとの間に無事男の子をもうけることです。それさえ叶えば、愛人など一人いようが十人いようが気に致しません」
リエラの声音はどこまでも冷たく、その美貌も相まって冬の女神を思わせた。
しかし、ロレントはこの美しい婚約者を愛することはできなかった。
「リエラ・・・頼む。僕は、エルゼを愛しているんだ。君と夫婦になっても、僕は君を愛せない。君だって僕を愛していない。虚しさを生むだけだ」
「貴族の結婚に、愛など関係ありません。わたくしたちには、この婚姻により双方の家に利益を生む義務があります」
「・・・君と僕は、どこまでも考え方が違うようだ」
ロレントは苦々しげに呟き、側に控えていた使用人を呼んだ。
『彼女を馬車まで』とその使用人に指示し、リエラに顔を向ける。
「リエラ、今日はもう帰ってくれ。これ以上話していても埒があかない」
「・・・わかりました。どうか、早くお気持ちを改めてくださいね」
「君もね」
疲れ切った様子で、ロレントは去って行った。
その後ろ姿に冷たい視線を投げ、リエラも婚約者の屋敷を後にした。
*
互いへの愛に目覚めた二人が、数多の障壁を乗り越えて結ばれる。
そんなロマンスは、現実世界にそうそうあるものではない。
現に、身分差を乗り越えて結婚にまで至りそうになったところで、ロレントとエルゼの恋は阻まれた。
ロレントの婚約者、リエラの出現によって。
名門貴族の息子と貧乏貴族の娘の恋物語は、社交界では有名だった。慈善事業で知り合った二人は、長い時間をかけて惹かれあっていったらしい。
そして、ともに人に好かれる性格の彼らの恋は、周囲の人間からも応援されていたという。
そこに登場したのが、ロレントに愛を抱かない、冷たい婚約者。
恋人二人は苦難に陥り、彼らを見守っていた多くの者達がリエラを敵視した。
しかし、リエラにとってはその全てがどうでもよいことだった。
重要なのは、婚姻によってもたらされる利益。
――そう、金だ。
リエラは、この世の何よりも金が大切だった。
――金が欲しい。
普段の冷静な仮面の下に、彼女はその欲を隠していた。
金に比べれば、ロレントとエルゼが語る愛情などまやかしだ。
だから今日も、リエラはロレントの屋敷に赴く。
愚かな婚約者に、自分が身を引いたりはしないことをわからせるのだ。
(――最悪だ)
午後、ロレントの屋敷にたどり着いたリエラは、見覚えのある男を見かけて足を止めた。
思わず家に帰りたくなったが、長く居座る口実のため、馬車は数時間後に迎えにくるように仕向けて戻らせてしまった。
(こっちに来るし・・・)
屋敷の扉に続く階段前で、リエラは思わず立ちすくむ。
彼女が最近最も会いたくなかった人物が、優雅に階段を降りてやってきたのだ。
リエラは、自分の不運を呪った。
ロレントによく似たその男は、リエラを見下ろす位置で足を止めた。
端正な面立ちに、意地の悪い笑みが浮かぶ。
が、それは一瞬のうちに消え去り、男はすぐに甘く柔らかな笑顔をリエラに向けた。
涼やかな声で、役者が台詞を読むように大仰に告げる。
「やぁ、愛しいリエラ。兄貴と――エルゼ義姉さんに、何か用かな?」
周りに控えている使用人に知らしめるように、兄の婚約者に『愛しい』と言う。
そして、『エルゼ義姉さん』の部分をわかりやすく強調し、リエラの神経を逆撫でする。
毎度毎度、見事な演技と挑発だ。
「それとも、俺に会いに来てくれた?」
「違います」
酔わせるような甘い声に怖気が走り、リエラは思わず即答してしまう。
彼女の婚約者の弟、キースは、相も変わらず厄介な男だった。
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