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ルピナス

作者: 時潮 デュー

2015/03/24 : あらすじを変更しました

2015/03/29 : 一部、本編を修正しました



 視界が木々の緑で詰め尽くされている。葉の間から見え隠れする蒼穹はまぶしいが、地上に届く光は木漏れ日のみ。その僅かな光でさえ、幾重の葉に遮られて緑の色を帯びてしまう。


  人の行き交う緑の空間には、蔦が絡みつく建物が並んでいる。地面にはまるで這う蛇のような巨木の根がのさばり、それに共存するように深緑の苔が足場を悪くしていた。


 人々は一見すれば神秘的なその光景を当たり前の日常として受け入れ、軽快な足取りで根をまたぐ。


 世界が(しょくぶつ)に支配されて、1世紀が経とうとしていた。




*-*-*-*-*-*



 真昼間のこの時間、街は活気に満ち溢れている。漂う香ばしい匂いは何かの肉を焼いているものだろう。豪快な笑い声や今日のお得商品の宣伝など、賑やかな音も溢れかえる。

 すべてが植物に覆われている神秘的な景色とは裏腹に、街全体が明るい雰囲気に包まれていた。


 そんな中、1人の人物が大通りをゆっくりとした速度で歩いていた。薄汚れたローブで全身を覆い、顔は窺い知れない。手にはその人物の身長ほどもある長い杖を持っていた。

 物語に出てくる魔法使いのような風貌は誰が見ても怪しく映る。そのため誰もがその人物を遠巻きで見はしても、近づこうとはしなかった。


 まるでその人物の周りだけ、神秘が蘇ったかのように落ち着いている。しかし、追いかけっこに夢中の子供たちはそんな些細なことには気がつかない。

 後ろを向いて走っていた小さな女の子は、周りが危惧していた事態を容易に引き起こした。ようはその怪しいローブに衝突したのである。


 体格差が影響して女の子だけがはじき飛ばされ、その場にしりもちをついてしまった。ローブの人物が衝撃に振り返る。

 やはりゆっくりとした動作でローブの人物は視線を降ろし、女の子を見やった。女の子はやっと自分が怪しい人物にぶつかったことに気がつき、慌てて逃げ出そうとする。心の中は完全にパニック状態、得体の知れないものへの恐怖で女の子の心臓は破裂寸前だ。


「こらこら、待ちなさい。落し物をしていますよ」


 おそらくローブの中から発せられた声、それは若い男のものだった。容貌とは違って優しい声音ではあるが、慌てている女の子にはあまり関係ない。

 急いで散らばった落し物を拾い集める。そしてやっと逃げ出そうとした時、再びローブの男が口を開いた。


「1つ、拾い忘れてますよ」


 男はしゃがみこみ、杖を持たない手でそれを拾った。摘みあげたそのまま、女の子へと差し出す。

 男の声がおっとりとした雰囲気であったためか、女の子の緊張も幾分か和らぐ。女の子はおずおずと自分も手を出し、それを受け取った。


「あ、ありがとう……」


 こんな怪しい男にまできちんとお礼を言える、とてもいい子だと男は思った。そこで男はフードを脱ぎ、顔をあらわにしてから三度(みたび)、話しかけてみることにした。


「珍しいものを持っていますね。お花の種ですか?」


 現れた男の素顔に驚き、女の子は言葉なくコクコクと何度も頷いた。

 ローブの下から出てきたのは優しい笑みを浮かべた綺麗な顔立ちの青年だったのである。ちゃんとした服を着れば、まるで王子様のようだ、と見とれる女の子に青年はなおも笑いかける。


「お兄さんに一粒見せてくれませんか?」


 その優しい笑顔につられたのか、女の子はいとも簡単に一粒の種を青年へ手渡してしまった。

 青年は種をじっくり眺め、やがて満足すると女の子へ返す。


「本当に珍しいものを持っていたんですね。僕もルピナスの種を見たのは久しぶりです」

「お兄ちゃん、この種のこと知ってるの!?」


 女の子が驚く。今度は青年の顔ではなくその言葉に、である。

 この時、すでに女の子の中で警戒心はほとんどなくなってしまっていた。青年が存外優しかったこともあるが、それ以上にこの青年が自分しか知りえないと思っていたことを知っていて親近感が湧いたこともあるだろう。


 自分を訝しんでいた瞳が嬉々としたものへ変わるのを感じ、青年は苦笑をもらす。好意的になった女の子を突き放すようなことはせずに、丁寧な口調で言葉を語った。


「もちろん、知っています。僕のお仕事は植物に関するものですからね」

「植物のお仕事? お兄ちゃんは樹術師(じゅじゅつし)なの?」


 女の子が再び警戒心をあらわにした。

 それもそのはず。


 樹術師とは植物を操ることの出来る人間の呼称で、世界中に増殖してしまった植物を制御できるなくてはならない存在だ。もちろん、誰にでもできることではなく、出来る人は少ない。

 そして、そんな数少ない樹術師たちは自分たちこそ優れた人間であるとし、権力を振りかざして多くの人間を不幸に貶めてきたのである。一般人が彼らを邪険にするのも納得がいくだろう。

 しかし、彼らの技術の庇護を受けられないのは困るので、皆我慢しているのである。


「そんなに怖がらないでください。僕は樹術師じゃありま」

「ノゥラ!」


 すると青年の言葉をさえぎるように凛とした女性の声が響く。次の瞬間には青年と女の子の間に足が割り込んできた。

 足をたどって視線を上げると、怒りの形相をした少女が立っていた。女の子を隠すようにたち塞がり、黙って青年を睨んでいる。


 青年は仕方なく立ち上がってその少女を真正面から見据えた。青年より若干低い位置にある顔から怒りは消えない。


「こんにちは。その子のご家族ですか?」

「そんなこと、あなたには関係ないわ」


 強気な口調であった。その態度はどう見ても青年に好意的だとは感じられない。


「あんた、ノゥラに何してたの」


 怒鳴りこそしなかったものの、その言葉の節々には怒りが詰まっているようだ。だがしかし、彼女がなぜ怒っているのか、青年には理解できない。青年側からすれば特に悪いことはしていないからである。


 わらわらとギャラリーが集まってくる。何だ何だと野次馬根性の輩もいるが、彼女らに危害を加えようものなら割って入る気でいる近所の親父さんたちからの威圧が凄まじい。

 ただし、青年は何処吹く風。気づいていないのか、気づいた上で無視しているのか。とにかく彼は周りの雰囲気とは合わない満面の笑みを浮かべ続けている。


「少しお話をさせてもらっただけですよ? とても珍しいものを持っていましたので」

「あんた、アレを見たのね……」


 さらに顔を険しくする様を見て、青年は自分の考えが合っていたことを悟った。

 つまり、この少女は怪しげな青年が不埒な考えで女の子に近づいたのではないか、と考えているわけではないのだ。おそらく、女の子の持っていた種、それを見られることを危惧していたのだ。


 植物が急激に成長し、樹術師がいなければまともに生活することすら危うくなった昨今。新たな植物を育てるのは禁忌とされ、樹術師にそれが伝わると最悪の場合、死刑となるのだ。


「どうする気? このことを摘発しようって言うなら私にも考えがあるわ」


 女の子も手元の種を握り締め、心配そうに青年を見上げている。その視線を感じつつ、青年は答えた。


「どうもしません」

「どういうこと?」

「そのままの意味ですよ。僕がその子の種を知ったところですることは何もありません。もちろん、どこにも摘発なんてしません」


 少女は信じられないと眼光を鋭くした。それに合わせるように周りからの圧力が増す。

 これ以上は何を言っても無駄そうだと半ば青年が諦めていると、とうの本人が声を上げた。


「お兄ちゃんは樹術師じゃないの?」

「ノゥラは黙ってなさい!」


 怒られて涙目になった女の子、どうやらノゥラという名前らしい種の持ち主は、それでも青年から視線を外そうとはしなかった。

 青年は必死に隠そうとする少女を無視して答える。


「はい。僕は樹術師ではありません」

「ならあんたは何者? 植物に関係する仕事が樹術師以外にあるとでも言うの?」

「じゃあ、種を奪ったりしない?」

「奪うなんてとんでもない。それは君のものです」

「私の話を聞けー!」


 ノゥラと青年は少女を無視して話を進める。そのことに地団太を踏む少女だが、やはり青年はそれを気にもしない。


「ですが、ここでルピナスを育てるのはやめた方がいいかもしれませんね」

「あくまで私を無視するつもりなのね……」

「なんで? いつもこの時期に種を埋めれば花は咲くよ?」

「ノゥラまで……」


 落胆する少女も若干まだ疑っている節はあるものの、現時点での脅威はないと思ったのか、青年とノゥラが話すのを止めなくなった。

 周囲の人間も問題に発展しなかったことで散り散りになって行った。


「ただ」


 そこで青年は生い茂る木々を見上げた。相変わらず直射日光はここまでほとんど届かず、また視界はすべて若緑の葉で満たされている。

 少女とノゥラも見上げるが、そこはいつもと変わらぬ光景だ。世界が緑に覆われた今、別段珍しいところなどないだろう。何を見ているのか、推し量ることはできなかった。


「ただ何よ」

「いえ、なんでもありません。少し、騒がしくなりそうだと思っただけです」


 何を言っているんだコイツは。そんな言葉が少女の顔に書いてあるように思えた。

 ノゥラが少女の前に出てきてペコリとお辞儀をする。


「お兄ちゃん疑ってごめんなさい。それと、種を拾ってくれてありがとう」

「どういたしまして。でも、あまり見られないように気をつけてくださいね。そこのお姉さんが心配しますから」

「うん!」


 ノゥラは周囲で様子を見守っていた子供たちと一緒になって走り去って行った。これからあの種を埋めるのかもしれない。

 無事に済むよう願っていると、少女が近寄ってきた。


「いい? 摘発なんてしたらただじゃおかないから」

「しませんよ。そこにいる怖い方に粛正されちゃいますしね」


 青年がおちゃらけて言うとお腹に拳が飛んできた。丁度、鳩尾に華麗に決まった衝撃に思わず噎せ返る青年を置き去りにして、少女は歩き出す。

 少し進んだところで少女は振り返り、叫んだ。


「私の名前はリィナ! 今度からかったら承知しないから!」


 一方的に言い放つと少女、リィナはさっさと行ってしまった。

 青年はその後ろ姿に苦笑を浮かべるだけだった。




*-*-*-*-*-*



 その事件は平和な街に突如として起こった。


 その日もノゥラは大事に育てているルピナスに水をあげに来ていた。ルピナスはまだ芽吹きもしていないが、ノゥラにとってルピナスの花は母親からもらった唯一の贈り物であったため、とても大事にしていた。


 この地域は毎年、一時期だけ気温が高くなるためルピナスの花は毎年枯れてしまう。しかし、種を収穫しておいて再び植えれば、たくましいルピナスの花は毎年花を咲かせてくれるのだ。


 最初の種はリィナからもらったものだった。

 リィナは近所の子供達をまとめる皆のお姉さんで、ノゥラの家のお隣さんだ。そんな彼女はノゥラの母と生前約束をしたらしい。


 ──この種を毎年植えるように。


 そうして手渡されたのがルピナスの種だ。

 ノゥラは自分の母を知らない。でも、この種を植えて毎年花を咲かせるルピナスが母の代わりだと無意識に思っていたのか、寂しい思いをしたことはなかった。


「今年も綺麗に咲いてね、お母さん」


 幸せな彼女はその時、真後ろに立つ人物にその言葉を聞かれているとは考えもしなかった。


「お嬢ちゃん、何が、綺麗に咲くのかな?」


 聞こえてきた声は低い男性の声だ。恐る恐る振り返ると、そこには緑色のコートを来た男性が立っていてノゥラを見下ろしていた。

 男性の表情は穏やかだが、目が笑っていない。その不一致さにノゥラは体を震わせて怖がった。


「怖がらなくていいんだよ。お兄さんの質問に答えてくれればいいだけだからね。お嬢ちゃんは今ここで、何をしているのかな?」


 ノゥラでも知っている。世界を支配する緑色、それと同じ色の服は国の偉い人だけが着れる服だということ。

 その服を来ている人は全員、樹術師だということ。


「お兄さんと少しお話しようか。ついてきてくれるかな?」


 ノゥラは嫌だと首を横に振る。

 変化は急激に起きた。


「いいからついてこい! 子供だろうと植物の育成は国家反逆罪だ!」


 男性はすごい力でノゥラの腕を掴んで強制的に立ち上がらせる。嫌だと暴れるノゥラだが、所詮は子供と大人の力の差。到底逃れられるはずもない。


「フン、しかもこの反応はルピナスか。群生でもされたらたまったもんじゃない」


 ノゥラを捕まえた手とは逆の手のひらを突き出し、ルピナスが埋めてある場所へとかざす。

 樹術師の技術などノゥラには何一つわからない。しかし、それがノゥラの大事なものを奪う行為だということだけはわかった。


「やめて! やめてぇぇぇぇえええ!」


 ノゥラの悲鳴も虚しく、男性の樹術が発動する。緑の光が怪しく光り、外見上はなんら変化は見られなかった。しかし、ノゥラを捕まえて離さないこの男のことだ、ハッタリとは思えなかった。

 ノゥラは呆然とルピナスを埋めた地面を見る。母との繋がりが切れた気がして、一気に寂しさが込み上げる。


 ノゥラの頬を水滴が伝った。




「ノゥラを、放せ!」


 その時、樹術師の男性の腹部に痛みが走った。思わずこぼれそうになった苦痛の声を噛み殺し、何事かと自分の体を見下ろす。男性の横腹に矢尻のようなものが突き刺さっていた。

 こんなこと誰がやった、そう怒りの声を上げる前に今度は手首に衝撃を受けた。思わずノゥラが手から離れる。


「ノゥラ! 大丈夫? どこも怪我はない?」

「リィナお姉ちゃん……」


 男性から離れた場所でノゥラを抱くのは、リィナだった。ノゥラに怪我がないことを確認し、地面へ下ろす。そしてノゥラを庇うように後ろへ追いやり、男性を鋭く睨んだ。

 手には果物ナイフを握り、一瞬の動きも見逃さないというように視線を男性へと集中させる。


「こんな馬鹿な真似をするのはどこのどいつだと思ったら……、まだまだ青臭いガキじゃないか」


 男性は矢尻を握って勢いよく引き抜く。同時に傷口から溢れ出る血は、しかし、どこからか伸びてきた蔦によって押さえ込まれた。


「樹術師に喧嘩を売るということがどういうことか、その年なら十分に理解しているだろう」


 男性のそばの木の根がギチギチと不吉な音をたてる。根が徐々に盛り上がり、やがて先端が地面から突き出てくる。

 突き出た先端はまるで触手のようにゆらゆらと蠢いていた。


「そっちの子供は無断植物育成罪、貴様は公務執行妨害罪としてここで死刑とする!」


 男性は手を振り上げ、そして勢いよく振りおろした。それを合図に、根が意思を持つようにリィナたちを襲う。

 絶体絶命の中、リィナはどうやってノゥラを逃がすのかだけを考える。


 この子は助けなくては。

 この子だけでも、助けなくては。


 二本の迫り来る根に背を向け、リィナはノゥラを力強く抱きしめた。




 来るはずの衝撃は、いくら経ってもやってこなかった。

 代わりにリィナの意識をはっきりさせたのは、数日前に会った1人の青年の、のほほんとした場違いな声だった。


「これはまた、物騒な世の中になったものです」


 その声に顔を上げる。

 こちらに向かって悠々と歩いてくるその姿は見間違えようもない。あの怪しげなローブを着込む青年だった。

 相変わらずの微笑を浮かべ、青年はゆっくりと樹術師の前へ立った。


「初めてお目にかかります、樹術師さん。しかし、本当ならば出会いはもっと穏便に済ませたかったですけど」

「貴様……! 私の術に何をした!」


 そこでリィナはハッと自分の頭上を見た。しかしそこには何もない。そう、自分たちを襲うはずだった根さえないのだ。

 今度は地面へと目を向けると、最初からそこにありましたとばかりに自然な様相で木の根が埋まっていた。


「樹木の根とは、地面に張ってこそ自然というもの。無理に地上へ出すものではありません」

「そんなことを聞いているのではない! 貴様樹術師ではないだろう! なぜ樹術師でもないものが束樹(そくじゅ)を使える!?」

「ほう。樹術師の使う技術は束樹と言うのですね。これは勉強になりました」


 怒り狂う男性の言葉をのらりくらりとかわし、青年は持ち前の笑顔を惜しげもなく見せる。

 あれは素なのかそれとも演技なのか。どちらにしても恐ろしい。


「しかし、関心できる技術ではなさそうですね。どうやら、()()()()()()()()()()、無理やり言うことを聞かせているようです」


 青年はわけのわからないことを独りごちる。そして、手を高く上げると、指を鳴らした。

 すると突然、樹術師の傷を塞いでいた蔦がさらに伸び、樹術師の体を縛り上げる。


「ば、ばかな! な、ぜ私の、言う事を聞かない!」


 樹術師は必死に束樹をかけているのだろう、緑の光が彼の周りを明滅しているが、絞めあげる蔦は止まらない。

 身動きの取れない樹術師に青年が歩み寄る。


「なぜ、植物が僕を優先するか、わかりますか?」

「優先、だと……!」

「束樹とは人間で言うところの命令ですね。強制力にものを言わせて従わせているのです」


 青年が突然腰を落とす。すると、それに合わせるように木の根が突き出て、椅子のように彼を受け止めた。


「対して、僕は意思疎通を行い、植物と対話をして願いを聞いてもらっています。どちらかを選べと言われたら、あなただって友好的な方を選ぶでしょう?」


 信じられない思いで樹術師は青年の言葉を聞いていた。意思疎通、対話、願い。どれもが植物相手に使うような言葉ではない。

 信じられない思いを抱いたのは樹術師だけではない。それはリィンもノゥラも同じだった。


 しかし、目の前の光景は疑いようもない。どう対話しているのかは知らないが、この青年に植物たちは間違いなく従っているように見えた。


「さて、樹術師さん。僕としても人を害するのは忍びないのです。ですから、このまま国へ返してあげてもよいかと思っていました」


 樹術師は青年の笑みを見て思う。その笑みは本物であるのに、言葉だけが鋭いと。


「ですがあなたはやってはならぬことをしました。慈しんで育てていたものを壊すのは僕も許せません。しかし、僕があなたに罰を与えるのも筋違いです」


 青年は振り返り、手を伸ばした。伸ばした先、視線の先にはノゥラが怖々とこちらを覗いている。


「なので被害者の願いを叶えることにしましょう。関係ないくせにこの場に割り込んだ僕が、責任を持って彼女の願いを叶えます。──ノゥラ」


 名前を呼ばれ、ビクリをノゥラは体を震わせた。構わず青年は手招きをした。


「あなたはどうしたいですか?」


 優しい声音、綺麗な顔に浮かぶ笑顔、甘い言葉。

 ノゥラは青年へと一歩を踏み出す。


「ノゥラ!?」

「なんでも、なんでも叶えてくれるの?」


 まさか誘いに乗るとは思ってなかったリィナが驚きに声を上げるも、ノゥラはもはや聞いていなかった。視線に映るのは手を伸ばす青年の姿だけだ。


「私、お母さんに会いたい。ルピナスの花を、もう一度咲かせて!」

「わかりました。では、樹術師さんにはお手伝いをしていただきましょうか。大丈夫です、そこでじっとしているだけの簡単なお仕事ですよ」


 何をされるかわからない恐怖から、樹術師はその顔を真っ青にする。また、ノゥラも本当に願いが叶うのか半信半疑なのか、しきりに青年の顔を覗き込んでくる。


「さてさて。それにしてもここまで酷くできるなんて、人間はなんて残酷なんでしょうかね」

「そんなに酷いの?」


 ノゥラの肩を抱くように現れたリィナが、ルピナスを埋めた地面を見つめる。ノゥラはもう祈る体勢で事態の進展を待つしかなかった。


「そうですねぇ。種が水分を自ら捨てさせる、人間で言うところの自殺をさせたのでしょう」

「ひ、酷い……」

「安心してください。この種は()()のようです。これなら僕もそれほど力を使わずに済みそうです」


 そこまで言うと、青年は右手を地面の上に、左手を樹術師に触れさせる。そして最後にいつものようにノゥラに笑いかけた。


「あなたのお母さんはすごい方ですね」

「え」


 ノゥラは思わず声をこぼす。

 いつ青年に、種が母親からもらったものだと教えただろうか。そんな疑問が思い浮かぶ前に、奇跡は始まった。




*-*-*-*-*-*



 この世界の草花には、意思がある。

 彼らは突然増殖し、世界を呑み込んでいった。


 そうして生まれたこの世界で、人間は植物と共に生きていた。しかし、それは束樹という一方的な関係であった。


 この世界の草花には、意思がある。

 だから彼らは考えたのだ。人と自分たちを繋げる存在をつくろうと。


 そうして生まれた者たちは自分たちのことを植育師(プランター)と呼んだ。




*-*-*-*-*-*



 植育師に寿命はほぼないと言っていい。人間の形を保ちながら、しかしその構造は植物であるが故に、何千、何万、何億という年月を生きることさえできるとされる。


 しかし、もちろん不死なわけではない。外的要因によって死に至らしめられる可能性も十分にありうる。

 そしてその結果、遺されるのが種である。


「君のお母さんは僕の同類だということですね」

「あなたが、植物?」


 リィナが無遠慮に青年の体をそこかしこ撫で回す。若干迷惑そうな青年は苦笑いを浮かべている。

 青年は生まれてこの方、笑顔以外の表情を浮かべたことがない。なので、こういう時は苦笑いしか出せず、あまり迷惑そうには思えない欠点がある。


 閑話休題。

 つまり、ノゥラに渡された母からの唯一の贈り物は、母そのものであったと言える。


「君のお母さんはずっと君のそばにいたんですよ」


 そう言って視線を落とすとそこには立派なルピナスの花が咲き誇っていた。青年が樹術師の生命力を還元することで、咲かせたのである。


「にしても、この樹術師大丈夫なの?」


 リィナが指すのは花のそばで白目を向いている樹術師だ。泡も吹いてしまっているが、生きてはいる。


「大丈夫ですよ。これぐらいの花を蘇らせる程度の生命力を盗ったところで、人間は死にません」


 青年は愉しそうにケラケラと笑う。




 この会話をしている間、ノゥラはずっと花を見つめていた。

 これが母である、そんな突拍子もないことを言われたのに、ノゥラはそれを否定することはできなかった。これを母の代わりと思って今まで生きてきたからなのかもしれない。


 ノゥラの母は青年と同じ植育師であったという。では自分は。そう聞けば遺伝はしないと言っていた。だからノゥラ自身は人間なのだと。


「じゃあ、なんでノゥラは人間なのよ?」

「それは人間と子作りしたからでしょう。植育師とはいわば人間と植物のハーフのようなものです。その植育師が人間と交わり、人間的要素が植物的要素を超越して人間として生を受けた、といったところではないでしょうか」


 もっとも、人間と植物のハーフとはいえ、両者が交われば植育師が産まれるというわけでもない(第一、どう交わるのか)。


「さて、それでは最後の仕上げと致しましょう」

「まだ何かするの? まさか、樹術師を始末するなんて言わないでしょうね」


 そんなことをすればこの土地の人々が国から敵視されてしまう。そんなニュアンスが伝わったのか、青年はまさかと笑い飛ばした。


「この樹術師さんは僕が預かります。下手に僕ら植育師のことを国に知られるとマズいですからね」

「そ。なら私たちも安心だわ」


 さっさといなくなれ、そんな思いでリィナは樹術師の体を軽く蹴る。樹術師は気絶していてまだ起きない。


「お兄ちゃんは何をしてくれるの? もうノゥラのお願い事は叶えてもらったよ」

「おやおや、僕はただお花を咲かせただけですよ? まだあなたの願いの半分しか叶えていません」


 咲かせること以外に願いなど伝えただろうか、ノゥラは自分の記憶を探るが、

他に願いを言った覚えはなかった。

 しかし、青年はやる気満々のようで再びルピナスの花へ手のひらを向けている。


「さあ、これからが本当の奇跡です。あなたのお母さんが残してくれた奇跡ですよ、どうぞ大事に見てください」


 青年自身が緑に輝く。その輝きは樹術師の使っていた緑の光より何倍も澄んでいて綺麗だった。

 その輝きがルピナスへ吸収されていく。そしてどんどん眩くなっていく花になお輝きを注ぎながら青年は言う。


「ルピナスの花言葉は、『母性愛』。そして、『あなたは私の安らぎ』。さあご覧なさい、これが君のお母さんですよ」


 青年の言葉が終わると同時にその場はルピナスの放つ光で埋め尽くされた。ノゥラは咄嗟にまぶたを閉じる。

 暖かな光がノゥラを包み込んだ。




*-*-*-*-*-*



 恐る恐るまぶたを開けたノゥラは、初めて緑でない世界を見た。どこまでも続く真っ白な世界、しかし、そこにはノゥラだけしかいなかった。


「お兄ちゃん? リィナお姉ちゃん?」


 周りを見回すが、やはり誰もいない。寂しさが込み上げてきて、泣き出しそうになったその時。

 1人の女性の声が聞こえてきた。


「見て、グリフ。もう歩けるようになったのよ!」


 嬉しそうな声だ。そして、ノゥラはすぐにこれが誰の声なのか理解した。

 グリフとはノゥラの父の名だ。それを親しげに呼んでいるということは、この女性の声は。


「お母さん……」


 いつの間にかノゥラの目の前に、ぼんやりと3つの人影がいた。1人は父グリフだ。そしてもうひとつの影はとても小さい赤ん坊、だとすればこれな幼い頃のノゥラだろう。

 つまり、残った長身の女性こそ、ノゥラの母親である。


 ノゥラは母親をまじまじと見つめた。母親はとても嬉しそうに子供が歩く姿を眺めている。時折、手を叩いて誘導し、自分の元へやってきた子供を抱きしめる。

 あの子供がノゥラ、こんな時代があったということなのだろう。初めて見た母親が脳内に染み付いていく。


 その後もいろんな場面をノゥラは見た。

 生まれてすぐに抱き上げられたとこやまだお腹の中にいるころの母親も見れた。


「ノゥラ、お母さんはあなたのことが大好きよ、愛しているわ」


 母親の声が耳に残る。忘れないように聞き入った。忘れないように目に焼き付けた。

 薄れていく意識の中、ノゥラも母のように言葉を紡いだ。


「ノゥラも大好きだよ、お母さん」




*-*-*-*-*-*



 ノゥラが目を開けるとそこにはいつもの緑がある。

 そばではリィナが何が起こったのかわからない顔で慌てていた。ルピナスが輝いて母との大切な時間を過ごしたのはどうやら一瞬のできことで、しかも他人にはわからないものだったらしい。


「いつか僕にも来るでしょうか? あなたが過ごしたような幸せな日々が」


 青年はルピナスの前にしゃがみ、自然に話しかけている。風が吹き、ルピナスの花がゆらゆらと揺れる。その様を見て青年は少しだけ声をあげて笑った。


「そうですね、いずれはきっと。ですが、まだ僕の大切なものは世に溢れる緑たちのようです」


 ルピナスが、ノゥラの母が答えたのだろうか。


 青年が頭上を覆う植物に視線を移せば、柔らかな風が吹き、すべての植物がたゆたう。葉同士が擦れて鳴るささやかな音が、彼には会話に聞こえるのかもしれないとノゥラは思った。

 そして、本当にそうならとても楽しそうだとも。


「それでは、そろそろ僕はお暇しましょうか。この樹術師をなんとかしないといけませんし」

「もういくの? ノゥラがお世話になったし、助けてもらったお礼に奢るぐらいはするわよ?」

「魅力的なお誘いですが、あいにく僕は人間と同じものは食べないのです。地に降り注ぐ天からの惠みだけで、生きるのには困りません」

「ようは雨だけで生きれるのね。回りくどい言い回ししかできないの?」


 青年はリィナの辛辣な言葉に肩をすくめて答えると、未だ気絶している樹術師の首根っこを掴む。

 そこでノゥラは思わぬものを目にした。彼の腕に緑の刺青のようなものが描かれていたのだ。それは葉脈を模したような図柄で、緑のローブと同じ()()()()()となるものだ。


 しかし、彼は着用必須の緑のローブは着ていない。どういうことだろう、とノゥラは疑問に首をかしげる。


「そうだ、あんた名前は? なんのお返しもできないけど、せめて名前ぐらいは知っておきたいわ」

「あぁ、名前ですか」


 青年は少しだけ思案していたようだったが、やがて彼らしいゆっくりとした速度で述べた。


「僕の名前はソルギニスといいます。以後お見知りおきを」

「へぇ、皮肉な名前ね」


 リィナの感想にソルギニスは再び肩をすくめる。しかし、ノゥラだけはなぜその名前が皮肉なのかわからない。


「それでは本当にこれで失礼します。願わくば、あなた方に幸のあらんことを」


 手振りを大仰に使ってソルギニスは舞台役者のようにお辞儀をすると、樹術師を引き摺りながらその場を後にした。




 ノゥラはソルギニスの背が見えなくなったところでリィナに尋ねた。


「なんでお兄ちゃんの名前が皮肉なの?」

「ソルギニスっていうのは初代樹術師の名前なのよ」


 そしてノゥラは1つ、思い至る。刺青、名前、それらが指す彼の正体は、つまり彼こそが……──


「といっても初代樹術師が死んでからもう300年以上経ってるしね。あいつも樹術師じゃないって言ってたし」


 リィナは気がついていないようだった。ノゥラは自分だけが気づいた真実に笑みを浮かべた。

 その笑顔がソルギニスそっくりだと、リィナは思わずため息をつきたくなった。




*-*-*-*-*-*



 ソルギニスは街の外へと出てきていた。目的は達成した、もうあの街にいる必要はなくなったからだ。


「この格好だと目立ちますしねぇ」


 小汚い服、手には古めかしい杖と樹術師となれば、普段の数倍怪しいのは自覚できた。

 そして、ソルギニスの目的である樹術師は未だ気絶中である。そんなに生命力を吸ってしまったのだろうかとソルギニスは疑問に思う。


「さて、さっさと彼を植育師にして、樹術師教会に潜入させるとしましょうか」


 自分がいなくなってかれこれ約350年。まさか植物に対してこのような不敬な術が蔓延っているとは思いもしなかった。

 ここに来て初めてソルギニスはニヤリと含みのある笑顔を浮かべたが、誰もその邪悪な笑みは見ることはなかった。












 世界は緑に支配されていた。


 それゆえに、人々は植物を操る(すべ)を手にした。しかし、それを使う樹術師たちも、もちろん一般人たちも知らない。

 樹術師とは本来は植物と会話できる人のことを指す言葉だったことを。


 そうして、植物との対話が失われた今、仲人が動き出していた。




 植育師、ソルギニスが種になる(愛しい人と子を育む)のはまだまだ先の話である。



設定を詰め込み過ぎた感じはありますが、一応完結です。

風景の絵を見ていて、植物の蔦が絡んだ古い建物を想像したことがきっかけの作品でした。


また投稿後、何度も改変してしまい、ご迷惑をおかけしました。

即興で作ったような話なので、矛盾点、誤字・脱字等ありましたら、ご指摘をお願いいたします。


楽しんでいただけたら幸いです。

最後まで読んでくれてありがとうございました。








時潮 デュー

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