第九話 対峙・そして知った事
「それじゃ、私はまだまだすることがあるので」
「そうか。じゃあ俺も帰ることにする」
そう言った達也に、海藤成実は少し意外そうな顔をした。けれどすぐ表情を消し去って、何も言わずに姿を消した。
「…………」
達也は佐藤の方に体を向けて、静かに礼をした。
謝罪の意ではない。しかし、何も言わずに頭を下げてじっとする。
「……すまなかった」
今まで苦労をかけて。こんな形で別れてしまって。おまえの未来を潰して。
でも、だからこそ達也は後には引かない。前に進まなければならない。その決意を目の前の佐藤に捧げたのだった。
達也は顔を挙げ目を閉じて、しばらく黙る。
自分はいつまでこうしてればいいのだろうか? 海藤成実の目的を阻止しなければならないというのに、まだ何も出来ていない。佐藤を守ることさえできなかった。
嫌な考えが頭をよぎる。もしかして、自分にはそのような力量はないのか? 今だって海藤成実を引きとめたほうがよかったのか……
不安や後悔はいくらでも出てくる。そのおぞましい感覚にしばらく我を忘れた。
『海藤成実を殺せ』
『先輩はもうちょっと面白い悪夢を見せてくれそうだから、最後に殺してあげる』
『あんたなんか嫌いだったわ』
いろんな思いが交錯する中、達也は一つの感情を読み取っている。
それはきっと、言葉では言い表せないような人の温もりだった。誰もが生まれて最初に触れる、温かくそして気高いその感情は、何に傷つけられようとも決して消えることはない。
逆にいえば、『嫌い』という感情はその感情を知っている人しか言えないのだ。海藤成実が一回も言った事がない言葉。それが、彼女の異常さと事情と哀しみを物語っている。
いや、『愛』という言葉は知っているだろう。だけど、中身を知らないのだ。それはつまり、温もりの温かみを忘れてしまったという事。人間としてとても悲しいことだ。
人間としての意味を失ってしまった彼女には、最早何も通用しない。同情も何もかも。
だから達也は、また歩いていく。