第三話 渦巻く策謀、舞う血潮
一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出していく。
余計な思考は全て排除する。必要なのは前を見ることと、生き残ること。それ以外の思考は全て置き去りにしなければならない。そうしなければ、あの領域へは辿り着けない。
……超えなきゃならねぇ。あのバケモンを。
圧倒的な力を持つ、文字通りの最強――《武神》。
勝てないと思ったからこそ、護・アストラーデは頭を下げた。今更プライドなどない。元々、生き残ることに全てを懸けてきたのだ。頭を下げることに躊躇などなかった。
だから、折れたのは別の理由。
守れると思っていた。守り切れると、この背と両手は大切な者を背負い、繋ぎ止められると信じて疑わなかった。
だが、現実は。
護・アストラーデは、何一つとして守れなかった。
……力がいる。
守り切るための力が。背負い切るための力が。
絶対的な力が――必要だ。
「…………」
眼前、迫り切る軍勢の名は――ガリア軍。
彼らに対し、護は恨みもなければ嫌悪もない。しかし、退かない。退くことはできない。
「恨みはねぇ。納得してもらおうとも思わねぇ」
自身の愛機〈毘沙門天〉を起動する。背後のブースターが、唸りを上げた。
「だが――退くつもりもねぇ」
轟音。凄まじい音を立て、《氷狼》と呼ばれる英雄が戦場へと舞い降りる。
策も何もない、正面からの突撃。しかし、小細工がないからこそ――その突撃はあまりにも強靭で、防ぐ術がない。
「悪く思うな」
振り抜かれた〈毘沙門天〉の新たな武装――『秋桜』。その刃が、前線にいたガリア塀を吹き飛ばす。
――それが、衝突の合図となった。
◇ ◇ ◇
『総大将が先陣切って戦ってんだ!! 俺たちが後ろで黙ってる道理はねぇ!! いいなテメェら!!』
『『『おうっ!!』』』
『往くぞ――第一、二隊前へ!! 遅れるな!! 総大将より獲った首が少ねぇなんざ恥だと思え!!』
『『『おうっ!!』』』
『押し出せ!! 放て!!』
号令と共に銃声と砲撃音が戦場に響き渡る。通信機越しに聞こえてくるその号令を耳にし、大日本帝国警邏部隊
『真選組』局長、神道虎徹は笑みを浮かべた。
「賑やかだな。いよいよ祭じみてきやがった」
「おやっさん、俺たちは本当に待機でいいんですかい?」
「馬鹿野郎。外では局長と呼べ局長と。……今回の作戦指揮はソラだ。アイツがいいって言ったんだからいいんじゃねぇか?」
問いを発してくる部下へ、虎徹はそんな返答を返す。ソラですか、と部下の男が訝しむような表情を浮かべた。
「信用できるんですかい? あんな小僧」
「少なくともオメェらよりは頭がキレる。それは十分身に染みてるだろう?」
「つ、次こそはこっちが賭け金巻き上げて見せますぜ!」
「そういう思考の時点でアイツのカモになってるんだよ馬鹿野郎。……まあ、どんぐらいキレるかっていうなら……そうだな、下手すりゃ天音の馬鹿ぐらいのことはできるんじゃねぇか?」
天音と同格。虎徹が発したその言葉に、周囲の部下たちが驚きの表情を見せた。慌てて虎徹へと言葉を紡ぐ。
「流石にそれは言い過ぎでしょう、局長。姉御レベルって……」
「方向性が全くと言っていいほど違うから一概にゃ言えねぇがな。ソラは今回みたいに最後まで冷静に、一番後ろからそれこそ将棋の棋士みてぇな感覚で戦場を操作する。それに対し、天音の馬鹿は自分自身が王将のくせに棋士としても行動する。まあ、どっちが厄介かなんて俺は知らねぇが」
どちらもその知略で戦果を弾き出す人間だ。その辺の、ただただ武力を鍛え上げただけの人間なら容易く利用されて駆逐される。
まあ、それ故に彼らは想定外の存在――それこそ《武神》や《剣聖》のような明らかに一個人の可能とする能力を超えた存在を苦手としている。計算できない不確定なものというのは彼らの戦略を狂わせるのだ。
今回のガリア戦役だと、相手方にいる〝世界〟の系譜がそうなる可能性を秘めていたが……現状、出て来ていないなら問題視する必要はない。
「どの道、オメェらみてぇな馬鹿には関係ねぇ話だよ」
「酷ぇぜおやっさん! 俺たちゃ馬鹿だけど、その分腕には自信がありやすぜ!?」
「黙れ脳筋共。大体な――っと、どうした詩音? 暗い表情じゃねぇか?」
適当に部下たちをあしらっていると、娘――神道詩音の姿が視界に入った。その表情は暗く、何かを考え込んでいるように見える。
その様子に気付き、虎徹の部下たちも一斉に騒ぎ出す。
「大丈夫ですかお嬢!? おいお前ら! 急いで薬持って来い!」
「へいっ! どの薬を!?」
「そりゃ何かお前……あるだろ!? 何にでも利く薬とか!?」
「あるわけねぇだろ黙れ馬鹿共」
部下の背中を思い切り蹴り飛ばしながら、呆れた調子で虎徹は言う。改めて詩音の方に視線を向けると、詩音は苦笑を浮かべていた。
「……どうせ、戦うことについて考えてたんだろ? 初陣だ。気持ちもわかる。だが、詩音。そんなこと考えてられんのは今だけだぞ」
返事はない。元々から声を発することができない詩音は、慣れないと意思の疎通も難しい。小さな頃は木枯と共に本当に苦労した。
血の繋がらない娘――しかし、詩音は自分のことを本当の父親だと思ってくれているし、自分もそう思っている。ならば、それでいいとも思う。
いつかその真実を知った時、答えを出すのは詩音だ。それまでは、最大の愛を注いでやりたいと思う。
「今回の戦は、オメェが最前線に立つことはねぇだろう。だが、次はこうはいかねぇ。これから先、世界はそれこそ取り返しのつかねぇような戦乱に突入する。その時、オメェは最前線で刀を振るってるだろう。それこそ、下手すりゃ俺たちよりも前に立ってだ」
ある意味において大日本帝国最強の武家一族『神道』の純血とも呼べる存在――神道詩音。
帝の言うことが本当であるならば、詩音は《武神》を継ぐ者になる可能性もあるのだ。
「だから、今は覚悟を決める時にしろ。《氷狼》――護・アストラーデ。あの小僧はある意味で武人の究極だ。前に進むことしか知らず、だからこそ進み続ける。ああなれとは言わねぇが、学ぶことはあるはずだぜ?」
詩音は静かに頷く。周囲で、虎徹の部下たちが騒ぎ始めた。
「そうッスよお嬢! お嬢の強さは俺たちが一番知ってます!」
「頼りにしてますよお嬢! おやっさんとお嬢が一緒に戦場に立って、そこに姐さんも加わるなんて……想像しただけで鳥肌もんだ!」
「やっぱり俺たちが負けるはずなんてねぇ!」
好き勝手なことを騒ぎ始める部下たち。虎徹はため息を吐くと、詩音を見た。部下たちに囲まれた状態の詩音はどこか困惑気味だが、笑っている。
戦場で、十歳の少女が笑っているという現実。それの是非は隅に置き。
虎徹は、視線を最前線へと向ける。
「……発破をかけたとはいえ、やっぱりあの小僧は侮れねぇな。ソラも放っておくと何をしでかすかわからねぇ。しかし、EUも放置できないとなると……」
面倒臭ぇなぁ、と虎徹は呟いた。
「木枯はアジアで天音のサポート兼、監視。そうなると手ェ空いてんのは大老と正好か……仕方ねぇ、正好を呼び寄せとこうかね。シベリアも動き出してやがるらしいし」
視線の先。文字通り破竹の勢いで敵軍を屠る〈毘沙門天〉の姿を見ながら、虎徹は呟いた。
「《氷狼》との契約は、『向こうが手を出してこない限りこちらからは手を出さない』こと。さて……シベリアが動き出して、今頃暁と彼恋がシベリアに圧力をかけてるはずだが」
つまらなさそうな表情で。
虎徹は、何の感情も込めずに言葉を紡いだ。
「シベリアが敵になった時、オメェは一体どうするつもりだ?」
◇ ◇ ◇
進軍中にもたらされた情報は、かなりの衝撃を部隊にもたらした。
シベリア連邦首都、モスクワを出発して丁度一日。大日本帝国と中華帝国の連合軍がシベリア東部に侵攻を開始。セクター・ファウスト率いる部隊が迎え撃つが、全滅。進軍速度こそ遅いものの現在も進軍中だという。
数は一万。大日本帝国と中華帝国という規模を考えれば少ないのだが、《武神》と《神速刃》の姿が確認されているという。
宣戦布告がない以上、どういうつもりかは不明だが……捨て置けることではない。
しかし、イタリアへの援軍も中止するわけにはいかない。一行の首脳はドイツで一度進軍を止め、今後の進軍について話し合いを設けていた。
「宣戦布告もないままに侵攻とは、大日本帝国も思い切ったことをしてくる」
ドイツの首脳陣や今回の行軍における将軍たちや重要人物が集まる会議室に、そんな声が響き渡った。様式など気にしている余裕はない。声を発した人物――カルリーネ・シュトレンは更に言葉を続ける。
「ドクター。ガリア地方に大日本帝国は出撃しているのではなかったのか?」
「現在も交戦中のはずだよ。ガリア北部では我々ガリア軍とEU軍の戦闘が行われている。予定通りならば、今頃激戦が行われているはずだ。イタリアへはイギリス軍が救援に向かうことになったという情報が信頼できる筋から来ているのでね、迎え撃っているのは大日本帝国のはずだ。猶予はあまりないと思ってくれたまえよ?」
「無論だ。不要な議論はするつもりはない。……シベリア王は城塞都市アルツフェムへと向かうと言っている。ここで我々が決める必要があるのは、戻るか進むかだ。各人の意見を聞きたい」
ドクター・マッドの言葉を受け、鋭い視線をカルリーネは室内の者たちへ向ける。その中で、一人の女性――リィラ・夢路・ソレイユが声を上げた。
「まずは状況の整理が必要やと思います。……ウチらはイタリアへガリア軍の救援に向かいたい。せやけど、その途中で大日本帝国と中華帝国が突然シベリアへ東側から侵攻を開始した。今の状況は簡潔に言うとこんな感じでええんでしょうか?」
「状況だけならその通りねぇ。けれど、重要なことがいくつかあるわ。まず、三国同盟はガリアと同盟を結んだこと。敵の敵は味方、っていう論理でね。もう一つは、今から戻っても救援に間に合うかどうかわからないということ。シベリアの女王様が直々に動くっていうことは相当マズいんだろうしねぇ……。
――そして何より、ここには《戦乙女》がいるということ」
リィラに続いて声を発したのは、妖艶な雰囲気を纏う黒髪の美女――神道絶だ。彼女は楽しげに唇の端を吊り上げると、黙り込んで壁に背を預けているアリス・アストラーデの方へと視線を向ける。
「その子はこちらにとって最強のカード。同時に《武神》に対抗できる唯一の手段でもあるわ。進むか戻るかなんて言葉の濁し方はやめなさいな。要はその子をどこに配置するか……そういう話でしょう?」
「小娘一人の力がどれほどのものだ。これは――」
「――くだらない意地を張るのは止めたらどうかしら?」
カルリーネの言葉を遮り、絶が言い放つ。
「あなたたちは何を見てきたの? 大日本帝国の《武神》とエトルリアの切り札である《戦乙女》の激突――それを見ていたのであればわかるはずよ。どうしようもない理不尽というのは間違いなく存在する。そもそも、神将騎は大戦において理不尽の象徴だった。ここにいる人たちも、その理不尽さに打ちのめされたことがあるはずだけれど」
大戦における神将騎という存在は、あまりに理不尽の存在として知られている。
単純計算において一騎が戦車十台に匹敵するとされ、銃火器の発達により所謂『英雄』は生まれなくなったとされる現代の戦争において幾人もの『英雄』を生み出した現代最強の兵器。
一万人に一人という奇跡。それに選ばれた者は、誰一人の例外もなく戦場でその暴力を振り翳した。
――そして。
そのたった一騎の神将騎と一人の奏者が戦況を覆す様も、冗談ではなく現実のものとしてここにいる人間たちは見てきている。
「認めなさいな。理不尽はある。不条理もある。《戦乙女》は、正しくあなたたちにとっての希望よ」
「あなたたち、とは。他人事のように言うのだねぇ?」
「他人事だもの。私は少し気になることがあったからこっちに同行してるだけ。朱里がいない今、ここに留まる理由も実はないのよ? ねぇ、ドクター?」
「くっく、確かにキミの場合はそうなのかもしれないねぇ……。まあいい。とりあえず、状況の整理からだ。悪巧みをするには、そこから始めなければ。そうだろう、ドイツ王?」
「私は王ではない。……まあいい。最善の策などこの状況では時間が足りなさ過ぎて導くことは出来んだろう。故に、『最悪の事態』を避ける方向で策を決定する。異論はあるか?」
カルリーネが問いかけるが、応じる声はない。カルリーネは頷くと、更に続ける。
「ここで取れる方法は三つ。一つは、当初の予定と目的通りにイタリアへ増援へ向かうこと。先行している部隊によれば、イギリス軍の到着と我々の到着はほぼ同時。そして状況が状況である以上、すぐに開戦というわけにはいかないのは自明の理だ。そうなれば、迎え撃つのは十二分に可能となる」
「この増援が全てイタリアに向かってくれるのであれば、イタリアにおいて敗北することはないだろうねぇ。こちらの切り札と《戦乙女》の二人ならば、《姫騎士》であろうと打ち破れるだろう」
「だが、そうなれば当然シベリアの防備が薄くなる。シベリア王からの連絡は『アルツフェムへ向かう』というメッセージのみ。普通なら増援の要求がない以上進軍するべきなのだろうが、相手は大日本帝国。それも《武神》が出張ってきている。宣戦布告も無しに、とは思うが戦争のルールなどあってないようなものだ。
そこで二つ目の選択肢。シベリアへ引き返し、シベリア王の援軍へ向かうということだ。そこの小娘を《武神》にぶつける上ではこの策が最上だろう」
「勝てるかどうかはわからないけれど、ね。どうかしら、アリス将軍?」
「…………」
絶の言葉に、アリスは薄く両の瞳を開けただけで応じる。返事をする気はないらしい。出発の時からこんな風に苛ついているので、カルリーネは無視することにした。
「だがその場合、イタリアへの増援はなかったことになる。同盟も破談だろう。ドクター、ガリア軍だけで制圧したイタリアを守り切れるか?」
「知ってのとおり、イタリア軍そのものは哀れなぐらいに脆弱だ。イタリア軍だけが相手ならばどうとでもできるだろう。だが、イギリス軍までもが出張ってくるというのならば話は別だ。流石にEUの本拠地で生き残れるほどの軍勢ではない。元々が少数精鋭の電撃作戦による制圧だったからねぇ」
「……成程、一度戻って再びというのは不可能か」
「その場合は同盟破棄という形になると言っておくよ。こちらもそこまで余裕があるわけではないのでね」
「ならば第三の選択肢。『部隊を分ける』。ある意味一番現実的なのがこれだろう」
カルリーネの言葉に反論はない。反論がないということは、今はとりあえずであっても支持しているということだ。
「だが、現実的であるが故に悪手だと私は考える。シベリアもイタリアも、敵の背後に控えているのは大日本帝国だ。部隊を分け、それぞれで迎撃した結果共倒れになれば……それは最悪の事態だ。文字通り、私たちは蹂躙される」
そう、それが現状考え得る最悪の状況だ。
二つの戦場。その両方で敗北を喫すれば、そのまま三国同盟もガリア連合も大日本帝国に踏み潰される。そしてその結果、《女帝》の言っていた大日本帝国の目的が達成されていくことになる。
平等という名の支配に甘んじる世界に。
平和という名の自由なき世界と成ってしまう。
「故に、私はまずイタリアへの増援を第一と考える。双方共に緊急性のある状況だが……最も切迫しているのはイタリアだ。その上、最悪シベリアが敗北したとしてもイタリアの制圧およびイタリア軍の撃退が上手くいけばEU全土を掌握することも可能となるだろう」
「シベリアは見捨てるということかしら?」
「そもそもシベリア王より救援要請が来ていないというのも私が第一の選択肢を推す理由だ。王が直々に最前線に出るなど正気の沙汰とは思えんが……そもそも城塞都市アルツフェムはシベリアで最も堅牢な都市。そう容易く落ちるとは思えん」
「成程、それは確かに道理だねぇ。だが、相手は《武神》だ。ただ耐えるだけでは打ち破られるが?」
「だからこその同盟だろう? 貴様らへの救援が済んだら、今度はこちらにも協力してもらう。イタリアにおける戦闘がどう転ぶかで流れが変わるが、私の予測ではイギリス軍を撃退できればEUのほとんどは我々の側につく。そうなれば、規模としても大日本帝国・合衆国アメリカ・精霊王国イギリスとも対等に渡り合えるだろう」
ドクターに対し、カルリーネは凛とした調子で言い放つ。ドクターはその言葉を聞くと、鷹揚に頷いた。カルリーネは室内を見回し、時間もない、と言葉を紡ぐ。
「反論がないようであれば早急にイタリアへ向かう。その後、一部の部隊でシベリアへの救援へと向かうことになるだろうが……何か、これ以上の策はあるか?」
返答はない。その沈黙は、肯定の証。
カツン、という靴の音が響いた。アリスが壁から背を離し、部屋を出て行こうとする音だ。それを切っ掛けに、その場の者たちはそれぞれ言葉を交わしながら移動を始める。
カルリーネは一度息を吐くと、部屋を出て行った一人の少女が向かった方へと視線を向けた。
――《戦乙女》、アリス・アストラーデ。
理屈と理性では理解している。彼女こそが、自分たちにとっての切り札。そして希望なのだと。
世界、最強。
あまりにも理不尽なその存在に対抗できる、唯一の可能性なのだと。
「さて、見事に彼らを焚き付けた指揮官殿は随分と浮かない顔をしているようだ」
「不確定要素が多過ぎる以上、悪い予想ばかりが先行するのは当然だ。私は戦争だけをしていればいいわけではない。情報操作を始め、やるべきことが多過ぎる」
「頑張ってくれたまえ」
「貴様に言われるとやる気が失せる。とっとと消えろ、ドクター」
「つれないねぇ」
「そもそもだ。シベリア王は貴様の言葉を信用していたが、私はどうにも腑に落ちないことがある」
「ほう、何かね?」
「そもそも、貴様らガリア連合の喉元には〝レコンキスタ〟が突きつけられている状態だ。イタリアへの電撃作戦は見事だと言えるが、あのイカレた宗教軍団を本当にどうにかできるのか?」
そう、カルリーネが疑問に思っていたところはそこだ。ガリアと手を組まなければじり貧になっていくことは自明の理であるために同盟は承諾したが、逸れには一つの前提条件がある。
――ガリア連合が健在であること。
EU軍と〝レコンキスタ〟を中心に、大日本帝国や合衆国アメリカまで参戦している状況でここまで耐えているのは実に見事だ。しかし、彼らはイタリア襲撃のためにどうにか耐えられていた理由である互いが互いを挟み撃ちにしているという状況を崩した。おそらく今頃ガリア連合の首都は〝レコンキスタ〟の攻撃を受けているだろう。
それを耐え切れるのか。そもそも、ガリア大陸を守り切れるのか。カルリーネはそれが疑問だった。
「己の感情でしか動かない人間ほど、御しやすいものはない。ガリアについては心配してもらわなくても大丈夫だよ。我々がイタリアへつく頃には、一つの結末が見えるはずだ」
「どういう意味だ?」
「――時に、キミは物語が好きかね?」
「……何だ、いきなり?」
カルリーネは眉をひそめる。ドクターはカルリーネに背を向けると、楽しげに言葉を紡ぎ始める。
「私は創作というものが好きでね。アレらを読む度、人の想像力というものの素晴らしさを思い知る。
そして、その物語には総じて一つの共通点がある。それは〝敵〟――それも所謂〝バケモノ〟は必ず人の手によって討たれるという点だ。病でも寿命でもなく、〝バケモノ〟は人の手で殺される」
「……物語である以上、人の手が介在するのは当たり前だ。ただバケモノが年老いて死ぬ姿を描いた物語にどれだけの面白みがある?」
「別にそういった物語を否定するつもりはないよ? キミの言う通りだ。エンターテイメントである以上、『面白さ』のためにドラマチックな演出は必ず付随する。現実を描いたところでそれはやはりズレが生まれてしまうからね。では、そこで疑問だ。バケモノが人に殺されるための存在なら……人は誰が殺すのだろうね?」
仮面によって表情は見えない。だが、ドクターが笑っていることはわかる。
わかりたくもないのに、わかってしまう。
「人を殺すのは人だ。多くの物語においてな」
「これは妙だね。ならば何故、バケモノは殺される? 彼らは人に殺される――即ち、人を殺していないというのに」
「言葉遊びだ。バケモノも人を殺す」
「ならばその〝バケモノ〟とは……何なのだろうね?」
物語において語られる、〝バケモノ〟という存在は。
一体――何を意味しているのか。
「人を殺し、人に殺される存在……おや、そういえばそんな存在が登場人物にいたねぇ?」
「…………」
「〝バケモノ〟とは〝人〟であり、〝人〟とは〝バケモノ〟だ。人は誰しもその心に怪物を飼っている。その大きさや凶悪さは人によって様々だが……『ガリア』という『人』は何百年とそのバケモノを飼い続けた。ははっ、どのようなものが出てくるか――想像できないこともないだろう?」
ドクターが部屋を出て行く。その背に向けて、カルリーネは言葉を紡いだ。
「貴様の目的は何だ、ドクター・マッド」
「私の目的? それは『私自身』だ。それ以外に存在しないし、必要もない」
その返答は、酷く乾いたもので。
カルリーネも、それ以上は追及しなかった。
◇ ◇ ◇
激戦が繰り広げられている、ガリア大陸北部。
一見すれば大軍同士の衝突であり、その数においてほとんど互角であるために一進一退の攻防が繰り広げられているように思えるが……実際は、明らかにガリア軍が圧されている。
数は互角。それどころか前線に投入する神将騎の数ではガリアの方が多い状態。
それでも、『英雄』と呼ばれる存在が――《氷狼》という名の暴力が、不利な状況を覆す。
「……敵の時にも思ったが。味方の時でも本当、理不尽だよなぁ」
陣地の最奥。普段は外の警戒のために用いられる塔の一室で、一人の青年が呟いた。
ソラ・ヤナギ。《本気を出さない天才》との蔑称を受け、逆にそうまで言われた程の才覚を持つかつてのイタリア影の英雄であり最悪の反逆者。
その彼は窓の外に見える自身の相方――《氷狼》の駆る〈毘沙門天〉の活躍を見、呟きを漏らす。
「折れたと聞いたが、意外としぶとい。……これならどうにか『賭け』のところまでは持っていけるか?」
呟く。ここ数か月見て来てわかったが、護・アストラーデという人間は未だ折れていない。《武神》に叩き潰されたと聞いていたが、それでも這い上がって来たらしい。
もっとも、本調子でないのも見ていたらわかる。敵対していた頃の、抜身の刀のような感覚――殺意を常に纏っていた時のような感覚がないのだ。
まあ、その辺りはこれからだ。もう止まれないところまで来ている。先程天音から書簡で伝えられた情報――《武神》と《神速刃》がシベリアへ侵攻を開始したという情報も、どうにかしてプラスにしなければならない。
「これを聞いたら護がどう思うのかねぇ……。普通にブチ切れそうなんだが……ああ、だから局長がいるのか。あの人脳筋に見えて頭回るし」
煙草の煙を吹かしつつ、ソラは呟く。灰皿には十本近い吸殻が乗っており、その中には燃えた紙片の欠片も混ざっていた。
天井を見上げ、壁に背を預けた格好になる。ソラの表情は……暗い。
「……流石に帝は怖い。シベリア侵攻とか、完全に先手打たれた形だ。どっから漏れたんかねぇ……詩音どころか護にさえ漏らしてない情報なのに」
出し抜く、というと言い過ぎだがそういうつもりで動いて来たし問題もなかったはずだ。なのに、この状況は……。
「ドクター辺りがしくじったか、それとも俺が嵌められてるか。……まあ、前者だろうな。ガリアの情報管理は相当杜撰だし。でもまぁ、〝レコンキスタ〟がそれ以上の馬鹿で本当に助かった。挑発すりゃ動き出すんだもんなぁ」
だろう、とソラは室内へと視線を向けた。部屋の隅――気配を断ち、まるで溶け込むように一人の女性がいる。
鋭い眼光と、それこそ刃のような雰囲気をその身に纏ったその女性の名は――出木氷雨。
「……気安く話しかけるな。私は貴様を認めたわけではない」
「出木天音は殺してないんだ。今後も殺す気はない。それでいいんじゃないのかねー?」
「黙れ。義姉上にロシアンルーレットなどやらせておいて……!」
「渡した瞬間頭に銃口突きつけて引き金引くとは思わなかったよ」
氷雨の言葉にソラは苦笑を返す。出木天音――ソラが大日本帝国に与する条件として、彼女の殺害の機会を設けるというものがあった。そして実際、ソラは天音と一対一で向かい合うことになる。
その際、ソラはリボルバーに五発の弾丸を装填し、天音へと投げ渡した。確率六分の五のロシアンルーレット。あり得ない確率の勝負。
通常ならどんな人間でも躊躇するその賭けを、天音は笑って受け入れた。何の躊躇いもなく引き金を引き、結果、弾丸が吐き出されることはなかった。
――理解するしかなかった。
出木天音という存在は、自分には殺せないのだと。
そして殺せないならば、利用するしかないと。
「でも、結果として俺の方から命を狙う理由はなくなったわけで。俺の中ではその件は清算されてんだけどな」
「……信用できるか。貴様は義姉上を殺す、その目的のためにこちら側についたのだろう? それが一度殺し損ねた程度で諦めるなど、信じられるわけがない」
「氷雨さんは、俺に出木天音を殺して欲しかったってこと?」
「――斬るぞ」
「冗談冗談。……恨みはあるし、納得もしていないけどさ。正直、今はそれどころじゃないから」
出木天音を殺すと決めたあの時と、今の状況では。
守りたいものも、守るべきものも。その方法も大きく違う。
「目的が一緒なら、とりあえずは手を繋いで協力した方が合理的だし効率的。だから出木天音も俺に協力してるし利用しようとしてる。それでいいんじゃないのかね?」
「貴様の論理などどうでもいい。……ただ、役目は果たしておく。ガリア連合総帥からの伝言だ」
そう言うと、氷雨はソラへと一通の手紙を投げ渡した。ソラはそれを受け取ると、どうも、と言葉を紡ぐ。
「とりあえず、氷雨さんはさっさと帰った方がいいんじゃ? バレりゃヤバいでしょ、色々と」
「今更だ。私が誰の義妹だと思っている?」
「それもそうか」
頷き、手紙を開けるソラ。そのソラへ、なぁ、と氷雨は問いかけた。
「一つだけ、私の興味を解決してくれ」
「答えられる範囲なら」
「――リィラ・夢路・ソレイユ」
ピクリと、ソラの体が小さく反応した。氷雨は鋭い視線をソラに向けたまま、更に言葉を続ける。
「事情など知らんし、知る必要もないのだろう。だが、私は報われない想いの結末を知っている。……後悔はしないのか?」
「俺は彼らにとっての敵で、大日本帝国の味方。今はこの立場を失うわけにはいかない。その先のことは、その時になってから考えるよ」
「……貴様が納得しているのならそれでいい。私は帰るが、義姉上に伝えておくべきことはないな?」
「『賽は投げられた』、と」
「伝えておこう」
氷雨が部屋から立ち去って行く。ソラは手紙を読み終えると、即座にそれを火にくべた。
「さて、〝レコンキスタ〟への情報は潰してある。上手く転べば歴史が変わるが……はてさて、どうなるかね?」
外を見る。空は決して快晴ではなく、遠くには暗雲が見えた。
まるで、これから起こることを暗示しているかのように。
「何人殺せるのかね……〝核兵器〟、ってのは」
◇ ◇ ◇
大日本帝国・合衆国アメリカ連合軍とガリア軍の戦いは、約一日続いた。
とはいえ、終始ガリア側が圧され続けていたこともあり、連合側の被害は軽微。また、ガリア軍は降り出した雨に紛れる形で撤退を開始した。
それを追撃するという案も出たが、指揮官であるソラと虎徹がそれを押し留めた。敗走しているとはいえ、ここは敵の本拠地である。雨の中で地の利がある敵を相手にしては思わぬ痛手を受けかねないという判断からだ。
そして、会議室。イタリアがガリア軍の奇襲によって首都であるヴァチカンを攻め落とされ、その救援に向かっているイギリス軍からの定時連絡を待っていた時。
「ほ、報告します!! 〝レコンキスタ〟より通信が入りました!!」
――耳を疑うような情報が、連合軍へともたらされた。
「ガリア連合の主要都市『シャムス』へと侵攻を開始した結果……ぜ、全滅と……!!」
会議室がざわめき、全員が報告に訪れた諜報員の方へと視線を向けた。
……その中で。
ただ一人、ソラ・ヤナギだけが小さく笑みを浮かべていたことに気付いた者は――いない。
「ガリア連合は『シャムス』に最低限の兵力だけを残し撤退!! 〝レコンキスタ〟を『シャムス』内へと引き入れ、その後『シャムス』ごと焼き払ったとのことです!!」
自国最大の都市を囮に使うという、常軌を逸した作戦。この場にいるほとんどの人間が、その行動を理解できなかっただろう。
――だが、冷静に考えればわかること。
ガリアという地域は、迫害されてきた黒人の者たちが住む場所。どれだけ大きな都市であろうと、そこは彼らにとって暗い歴史を抱える場所なのだ。
故の、囮。
発案したのは、自らもまた祖国へと憎悪を抱く者。
「使用された爆弾については新型のものという形でしかわかっていませんが――」
「――〝核兵器〟」
その言葉を引き継ぐように、虎徹が言葉を紡いだ。その表情は苦々しいもので彩られている。
「古代において〝最悪の兵器〟とされた大量殺戮のみを目的とした爆弾だ。都市一つ吹っ飛ばすような爆弾なんて、それぐらいしかありえねぇよ」
歴史が変わるぞ、と虎徹は言った。
頭がキレるからこそ、最悪の状況を予測できるからこそ。
彼は、言う。
「二度目の世界大戦が、始まっちまう」
というわけで、状況は動いていきます。今回は護側。短編におけるソラの策とはすなわちこれです。〝ガリアとの取引〟。
そして登場〝核兵器〟。自身の都市を敵ごと焼き払う――最早狂気の沙汰。ここまでやるか、という状況ですね。
そんなこんなで次回からはイタリアでの戦いを含め、どんどん状況が変化していくものと思います。最終章、ノンストップで頑張りたいですね。
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!