第二話 表裏一体、表と裏
「……成程、鋼の義手――いや、義足か。あの男は本当に何者なのか」
シベリア連邦首都、モスクワ。その格納庫に苦笑の混じったそんな声が響いた。声を発しているのは空色の髪を持つ女性、カルリーネ・シュトレンだ。イタリアに電撃で奇襲を仕掛け、その中枢とも言える『ヴァチカン』を制圧したガリア連合。そのガリア連合からもたらされた情報を受け、同盟を結ぶこととした『三国同盟』。カルリーネはその一国である神聖ドイツ帝国の代表だ。今は本国へ戻るための準備を待っている状態である。
「一応、〝魔術師〟マクスウェルっていう素性は割れとりますが」
そんな彼女の正面で笑いながらそんなことを言うのは、バンダナを着けた金髪の少女だ。リィラ・夢路・ソレイユ。独特の口調で言葉を紡ぐ彼女の右脚は現在、分厚いズボンを捲り上げられているために外気に晒されているのだが……その光景はあまりに異様だった。
鋼。本来ならありえない、鋼鉄の義足。
かつてのシベリア解放戦において両足を奪われたはずの彼女は、人を殺す色である『鋼』を両足とし、戦場に立っている。
シベリアで散った、反逆の英雄。彼女を誰よりも大切に想う彼が、おそらく最も望まない形で。
「ふん。そんな素性が何になる? 胡散臭さが増すだけだ」
「確かに。でもまぁ、腕は確かですよ。ウチの脚、こんなんでもきっちり動きますし」
両足の整備を終えたのだろう。リィラはズボンを元に戻すと調子を確かめるように軽く両足を動かした。軋むような金属音が聞こえる以外は特に普通の脚とは変わらない。知らなければ気付かないだろう。
だからこそ、カルリーネは本来ありえない『義足』というものをこうして簡単に造ってしまうドクター・マッドという仮面の男が信用できない。
「だからこそ信用できん。リィラ、貴様はあの男の言葉を本当に信じているのか?」
「――信じますよ」
信じている、ではなく、信じる。
カルリーネの問いに対し、リィラは即答で応じた。
「あの場所で待っとってもウチは腐るだけです。……戦場から遠ざかれた身で何を贅沢なと思われるかもしれませんけど、やっぱりウチは兵隊なんです。生き残るために殺してきましたし、それ以外の方法を知りません。そんなウチが『鬼』から『人間』になれたんはソラのおかげですから」
「ソラ・ヤナギか」
「ドクターのことは信用できませんよ? 無理に決まってます。けど、ソラの名前を出されたら黙ってることはできないんです。それだけは……できません」
「本当に生きているという保証はない。それでもか?」
「一度諦めたから、もう諦めへんことにしたんです」
苦笑を浮かべ、しかし、力強く。
リィラという女性は、カルリーネへと言葉を紡ぐ。
「ウチは一度、ソラの命を諦めました。ソラの強さは誰よりも知っているって思ってたのに。なのに、諦めました。自分で見もせずに、ただただ結果を聞いただけで諦めました。――もう、そんなことはせんと決めたんです」
口調こそ軽いが、その目は本気だった。カルリーネは小さく息を吐く。
「だが、本当に奴が向こう側についているとしたら……厄介だぞ。武力のある者――それこそ貴様のような〝奏者〟が数人敵に回ったところで私は特に何とも思わん。厄介な敵が増えたと思うだけだ。だが、ソラ・ヤナギのような手合いならば話は別。あの手の人間は敵に回すと本当に面倒な存在となる」
「味方やったらこの上ないくらいに頼りになるんですけどねぇ、本当に」
「ぶつかり合えば、殺し合うことになる。その時お前はどうするつもりだ?」
カルリーネは真っ直ぐにリィラを見つめる。それは威圧感を纏ったもので、リィラは僅かに身を竦ませた。
「どうする、っていうのは?」
「刃を向けることはできるのか?」
リィラがはぐらかそうとした言葉を、カルリーネは真っ向から切り捨てる。
「そして何より。あの男がお前に『来て欲しい』と言った時、私たちを裏切るのか?」
「……しませんよ、そんなこと」
苦笑を零し、リィラは言った。
「むしろ連れ戻すつもりです。……足りひんのですよ、やっぱり。子供らと一緒にいても、やっぱり足りひんのです。ソラが大切だから。だから、連れ戻します」
「……杞憂だったようだ。貴様に裏切られると予定が狂うからな」
「あはは、過大評価してくれてるみたいですね」
「そういうところは似ているな、貴様らは。……まあいい。ドイツまでの護衛、その後のヴァチカン入り後も貴様が私の護衛なのだろう? 使い潰してやるから覚悟しておけ」
「ありゃ? 例の《バーサーカー》さんはええんですか?」
「スヴェンは国防だ。それと、万一の時の対応も任せてある。私たちは結局、クーデターで国を乗っ取った身だ。恨まれている部分もあれば無用な火種も転がっている。今はスヴェンの妹にその不満が向かうようにしているが、それもどう転ぶかはわからないからな」
「妹さんですか?」
「私たちの議会に参加していない、『仲間外れ』の貴族だ。意図的にそうしているのだがな。気質的に向いていないというのもあるが……まあ、その辺りは政治の話だ。貴様は軍人。そうだろう?」
「ま、聞いてもわかりませんしね」
再びリィラは苦笑を零す。カルリーネは頷くと、む、と声を漏らした。そんなカルリーネの様子を見て、リィラが首を傾げる。
「どないしたんですか?」
「客だ。――どうした、シベリア王?」
「友が出発するのだ。挨拶せずに送り出すのもおかしかろう?」
振り返る。そこにいたのは二人の男女だった。
シベリア連邦国王、ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。
国王親衛隊隊長、アーガイツ・ランドール。
シベリアの最高権力者とその彼女が最大の信頼を寄せる〝奏者〟だ。シベリアどころか三国同盟における最強の〝奏者〟と神将騎は《戦乙女》と〈ブリュンヒルデ〉になるのだが、それとは別でソフィアはアランへと信頼を寄せているように思える。
もっとも、《戦乙女》についてはカルリーネも認めているが信用していないという状況なのでその辺は微妙なところなのだが。
「武運を、とでも言いに来たか?」
「聖地とやらに向かうのだ。精々、神とやらに天罰を落とされぬようにな?」
「神か。本当にいるのならば一度会ってみたい相手だ」
ソフィアの言葉にカルリーネが肩を竦めて応じる。ソフィアが笑みを浮かべた。
「ほう。何故だ?」
「問いたいことがある。――何故人間などというくだらないものを創ったのか、とな」
「くくっ、くだらぬか」
「ああ。くだらない。古代より一歩も前進していない存在など、羽虫にも劣る愚昧さだ」
「それには同意するが、だからといって手を抜いていい理由にはならぬぞ」
「当たり前だ。この背に背負った命はいつの間にか莫大な数になった。これを全て失うまでは、私は死なん」
「ならばいい。……さて、私にはもう一つ目的がある。リィラ、といったな?」
「ウチですか?」
いきなり名前を呼ばれ、リィラが驚きの表情を浮かべる。ソフィアは頷いた。
「ああ、そうだ。……聞いたところ、アリスとは親交が厚かったらしいが」
「厚かったかどうかはわかりませんけど……友人やとウチは思ってます」
「いや、そう身構える必要はない。聞きたいことは一つだけだ」
リィラの態度に苦笑を浮かべつつ、ソフィアは言う。しかし彼女はすぐさま真剣な表情になると、その問いをリィラへと投げつけた。
「――アリス・クラフトマンとはどういう人間だ?」
◇ ◇ ◇
ガリア大陸北部。そこで、二つの軍膳が衝突に時を待っていた。
襲い来るは、ガリア連合の軍勢。数は目測で二万。先陣を切るのはいくつもの神将騎と戦車。
対し、迎え撃つのは大日本帝国《七神将》第七位、《氷狼》護・アストラーデとソラ・ヤナギを中心とした大日本帝国と合衆国アメリカの連合軍。
戦闘に屹立するのは――二機の神将騎。
護・アストラーデが駆る、漆黒の神将騎――〈毘沙門天〉と。
《鬼神》神道虎徹が駆る、鬼のような威容を持つ神将騎――〈羅刹〉。
本来なら陣の奥にいるべき二人が、戦場の先頭に立つ異常。しかし、大日本帝国においてはこれこそが通常だ。
ただの英雄など必要ない。必要なのは、戦場で一騎当千の活躍ができる怪物のみ。
なればこそ、大日本帝国の将はその背を己に続く者たちへ見せ続ける。
『さて、敵が見えてきたが……調子はどうだ?』
「問題ねぇ」
聞こえてきた虎徹の声に、護は静かに応じる。心は酷く落ち着いていた。戦いの時はいつも精神が限界まで高揚し、感情を爆発させていたというのに……今は妙に落ち着いている。
いつも攻める側であり、自ら前に進んでばかりであった護にとって『待つ』という行為は非常に珍しいものだった。
まあ……だからどうというわけでもないのだが。
『ならいい。……だが、少しばかり気が入り過ぎてるな。詩音の初陣だ。あんまりはしゃぎ過ぎるんじゃねぇぞ?』
「知るか。俺は前に進むことしかできねぇし知らねぇんだよ」
『それがオメェの強さであり、弱さだな。……敵が来るまで時間がある。護、一つお前に教えといてやろう』
「何をだ?」
『大日本帝国の頂点、《武神》についてだ』
「…………」
その名が出た瞬間、護は口を閉ざした。それをどう受け取ったのか、虎徹は更に言葉を続ける。
『大日本帝国における『最強』。その意味はオメェも理解してるだろう?』
「……ああ」
護は大日本帝国に来る前に二度、《武神》とやり合っている。その両方が絶対的な敗北で、これ以上ないくらいに力の差というものを叩き付けられた。
最早あの強さはバケモノじみている。勝ち目、というものが見えないのだ。
……だが、それでも俺は……。
あの強さに一度は折れるしかなかった。しかし、折れたからといって全てが上手くいくわけではない。納得できない結末が来るならば、それを覆す力が必要だ。
だからこうしているし、ここで刃を握っている。
《武神》とは護にとって絶対的な壁であり、いずれ越えなければならない存在だ。
その『強さ』について、静かに虎徹は言葉を紡ぐ。
『暁は敗北しねぇ。だが、暁だって人間だ。限界はあるだろう。しかし、負けない。何故だと思う?』
「強いからだろ」
『そこが思考停止だな。……難しく考える必要はねぇ。暁の強さの種は簡単だ。そうだな、例えば――678×980はいくらだ?』
「はっ? いきなりなんだ?」
『答えは664440になる。まあ、勿論これは機械を使ったわけだが……さて、護。これをお前はどう思う?』
意味がわからず、護は答えを返せない。それを察したのだろう。虎徹は言葉を続けた。
『これを技術と思うか、魔法と思うか。……暁の強さはな、これと同じだ』
機械と同じ強さ。
人類の叡智と同じ強さなのだと、虎徹は言った。
『こんな計算、時間がありゃオメェも解ける。そう、時間があればだ。その『時間』ってのが能力の差になるわけだが……暁の場合、その『時間』がほとんど『無い』に等しい』
「……計算が早いってことか?」
『ものの例えだ。アイツならやりかねねぇがな。――藤堂暁というバケモノは、『究極の熟練者』なんだよ』
人が辿り着ける限界領域に辿り着いた、本来ありえない存在。
それが、《武神》藤堂暁という存在。
『人が理論上可能なことを全て限界値でやってのける。だから強い。当たり前だ。ただ身体能力が高いってわけでも頭が切れるってわけでもねぇ。ありとあらゆる人間の上位に屹立する。それが《武神》なんだから』
「……だから、『最強』か」
『全てにおいて上回ってんだ。負けるわけがねぇわな』
虎徹は断言する。藤堂暁に勝てる人間など存在しないと。
『行き過ぎた技術ってのは魔法と変わらねぇもんだ。アレはそういう存在だよ。……だからよ、オメェも諦めろ』
「…………ッ!?」
『俺たちをどうにかしようとしてんのは見てりゃわかる。だが、オメェは実力差を理解してるから手を出さない。やめておけ。無駄死にだ』
「……どうして俺にそんなことを言うんだよ」
『そりゃオメェ、ヒスイ……だったか? オメェがあの小僧と一緒に詩音を救ってくれたからだよ。恩がある。そんな奴が犬死する姿なんざ、見ていて気持ちいいもんでもねぇ』
それだけ言い切ると、虎徹は回線を切断した。
雑音が響く、〈毘沙門天〉のコックピット内。護は一度大きく息を吐くと、前を見た。
「……諦めろ、か」
きっと虎徹の言葉は本当にこちらを案じてのものだろう。だが、その言葉を受け入れることはできない。
そんな言葉を受け入れることができる程に護・アストラーデという人間が大人だったなら。
――そもそも、《氷狼》などという英雄は生まれなかったのだから。
「できねぇよ、それはできねぇ」
多くを捨ててきた。もう、残っているものは残滓だけ。
それでも、進むと決めたのだ。
――もう、泣かせないために。
だから、俺は――……
轟音と共に響き渡る、獣の咆哮は。
一体、何の覚悟を映したものだったのか。
◇ ◇ ◇
『アリスは、ずっと一人で生きて来たって言うてました』
靴の音が響き渡る。肩で風を切り、歩みを進めるのは極北の王。かつては肩を並べる者が一人だけいたのだが、今の彼女には背後に控える者こそいても、隣を歩む者はいない。
『子供の頃から引っ込み思案で、友達なんて数えるほどしかいいひんって。……本人は一人でいるのが嫌やったんやとは思います。このことを話してくれた時、凄い辛そうでしたから。
それで、両親がおらんくなって、一人で働いて、生計を立てて……。
そんな状態でも、『頼れる人』なんてのはおらんかったらしいんです。ずっと一人で生きて来たって。アリス、言うとりました。
――〝生きていくだけならどうにかなった〟って』
王の姿を確認すると、誰もが道を開けて一礼する。普段の彼女であれば『楽にしろ』とでも言葉を投げかけるのだが、今の彼女にその余裕はない。
『それで、戦争です。……《氷狼》と出会って、初めて『頼る』ことができたって言うてました。自分を見つけてくれた、って。その話をしてくれたんは統治軍の時でしたから……嬉しそうに、寂しそうに話してたんを覚えてます。でもきっと、アリスにとってはそれが全てやった。
やけど、《氷狼》と離れ離れになって……そこからは、最低のすれ違いです。
アリスは《氷狼》を探すために《裏切り者》になって。
《氷狼》は、アリスを探すためにレジスタンスになった。
それから何度も何度も殺し合った。……ああ、これを知ったんはアリスから聞いたからやないですよ? ちょっと、知る機会があって……本人から聞いたんは《氷狼》と離れ離れになった、ってとこまでで』
扉を開け放つ。視線がいくつもこちらを向き、驚きの表情が向けられる。それを手で軽く制すると、迷うことなく真っ直ぐに歩を進めた。
『ふん、ようやくわかった。初めて見た頃からあの小娘のことが気に入らなかった理由がな』
視線の先、目的の人間がこちらに気付いて振り返った。
『あの小娘の強さは認める。天才――否、天災か。あんなバケモノは交通事故と何も変わらん。一個人が戦局を左右するなど、本当に何の冗談だ。だが……それでも私は、あの小娘を認めることはできん』
その表情には微笑が浮かんでいる。それはここ最近でよく見るようになった表情であり。
――かつての彼女が、決して見せなかった〝モノ〟。
『未だに憎さが残るが、それでも私にとっては《氷狼》の方が遥かに評価できる。あの小娘はそもそも私たちと同じ場所に立ってすらいなかった。ふざけた話だ。人格と才能に因果関係がないとはいえ、神とやらがいるなら本当に残酷で――ふざけたことをする』
王は、戦乙女の前に立つ。
あまりにも歪な、その少女の眼前に。
「何かあったんですか?」
首を傾げる少女。王――ソフィアは、ふう、と息を吐いた。
その彼女の脳裏に浮かぶのは、カルリーネが最後に言い捨てた言葉。
吐き捨てるような、その言葉だ。
『あの小娘は結局のところ〝逃亡者〟だ。その人生において何かに立ち向かったことがない。そんな人間が、私はこの世で一番嫌いだ』
ソフィアは静かに少女を見つめる。破格の力を持ち、おそらく今後『英雄』と呼ばれるであろう少女を。
そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「今生の別れになるかもしれぬ。激励ぐらいはしておこうと思ってな」
「……縁起の悪いことを言いますね。私が戦死する、と?」
「いや、逆だ。貴様は死なぬだろう。死ぬとしたら私だ。そう……貴様は死ぬはずがない」
その言葉に何かを感じ取ったのか、アリスが眉をひそめた。ソフィアは一度息を吐くと、静かに言葉を紡いでいく。
「貴様は我々にとって柱だ。それは間違いない。貴様が負けるということは、こちらのジョーカーを失うに等しい。それは理解しているだろう?」
「……買い被りです。私の代わりなんて、いくらでも」
「嘘を吐くならばもう少し上手く吐け、戯け。――《バーサーカー》を一方的に沈める人間が弱卒のはずがなかろう」
ドイツ最強の神将騎とその〝奏者〟。アリス・アストラーデという少女はその存在を模擬戦とはいえ一方的に沈黙させている。
ほとんど名も知られていない彼女が総大将の立場にいるのは、その力に依るところが大きい。《氷狼》がいなくなってから、彼女は人が変わったようになってしまった。かつてはその片鱗さえも見せなかった圧倒的な暴力を、何の躊躇いもなく使うようになったのだ。
他者に危害を加えることはないし、相変わらずほとんどの時間を一人で過ごすところは変わっていない。しかし、それはかつてのような『人見知り』からくるものではないことはソフィアも重々理解していた。
今の彼女の状態。それは――……
「……貴様も、護のようになるつもりか?」
「――――」
アリスの表情から、笑みが消えた。しかし、表情が歪んだわけではない。ただただ無機質な『無表情』がそこにはある。
「貴様の過去について、リィラ……だったか? あの妙な小娘から話を聞いたよ」
「へぇ……それで、どう思いましたか?」
アリスはソフィアに背を向けると、表情を見せないようにして言葉を紡ぐ。
「馬鹿にでもしますか? 他人が怖くて、勇気もなくて、泣いてばかりだった小娘を。いいですよ。私は一人ですから。一人でしたから。護さんが見つけてくれるまで、ずっと一人だったんだから」
静かでいて、しかし、質量を纏った言葉。
彼がいた頃の彼女からは想像もできない、黄昏のような重さ。
それを感じるからこそ、ソフィアは真っ向から言葉を紡ぐ。
「戯け。貴様の青臭い過去になど興味はない。だがな、貴様は総大将だ。だからこそ、私は言わねばならぬ。
――いつまで逃げるつもりだ?」
「…………」
「私は一度、この国から逃げた身だ。そんな私にこんなことを語られるのは不愉快だろうが……それでも、私は貴様よりは遥かにマシだ。少なくとも私は、今まで多くの事に立ち向かってきた。貴様とは違ってな。
……私のような人間しか貴様にこんなことを言えないというのもまた、貴様の逃亡の結果だ。不幸なことだとそこだけは同情しよう」
「…………」
アリスからの返答はない。こちらに背を向け、ただ黙している。
「貴様が護の側にいるだけならば、こんなことはどうでもいいことだったのだがな。――いい加減、逃げるのをやめろ」
「…………」
「孤独から逃げて、傷つくことから逃げて、幸福から逃げて、損失から逃げて、自分の気持ちからも逃げて、挙句に大切な人間を追うことからも逃げて。次は何から逃げる気だ? 敵か? 戦場か? 人生か? 希望か? それとも、可能性か?」
「…………」
「貴様らが想い合っていながらも踏み込めなかったのはどうしてだ? 貴様が逃げたからだろう? ずっと逃げてきたから、逃げることしかしていなかったからだろう? だから貴様がここにいて、護はここにいないのだろう? 貴様は護の心の中にいた。護も貴様の心の中にいた。なのに、貴様は護から何も学ばなかったのか?」
護・アストラーデ。
かの英雄が示してくれたものは、ソフィアだけでなく多くの者たちの心に宿っている。
立ち向かうこと。前に進むこと。
そうすれば――道は切り開けるのだと。
なのに。
彼が愛した、この少女は――
「孤独だった? 不幸だった? 見つけてくれた? 甘えるな。一度でも最後まで立ち向かったことがあったのか? 貴様は強い。それは認めよう。私など、貴様に一瞬で殺される。だが、今のままでは貴様は壁にぶつかればそこで終わるのが目に見えている。壁はもう、目の前にあるというのにだ」
大日本帝国最強の将軍、《武神》。
今のままでは、彼に勝つことはできない。絶対に。
だからこそ、ソフィアは言葉を紡ぐ。
もう引き返せない場所まで来ているからこそ……。
「戦争だけではない。貴様の得手不得手など私は知らぬが……たとえ、何の取り柄も貴様になかったとしても。それでも逃げずに立ち向かえばボロボロになったとしても打ち勝てるモノなどいくらでもあったはずだ」
だって、それは。
ここにいる者たちのほとんど全てが、一度は通ってきた道だから。
「立ち向かえ。貴様の中に護の背中が少しでも残っているのなら。一人で不可能ならば私たちに頼ればいい。貴様は将軍になってから、一度も私たちを頼っていないだろう?
貴様に潰れられると困るのだ。今まで一人だった? ならば、今は? 今も変わらず貴様は一人か?
貴様を慕う者もいる。信じる者もいる。私とて貴様の力は信用している。
――護は一人で戦ったせいでいなくなった。貴様、同じ道を辿る気か?」
アリスが振り返る。それと同時に、ソフィアはアリスへと背を向けた。
「逃げるな。逃げるべき時は逃げても構わぬ。だが、この戦いからは――この戦争からは逃げるな。それは許さぬ。……行くぞ、アラン」
「……了解」
ずっと黙っていたアランが首肯し、ソフィアに追従して歩き出す。
――背後から、声が届いた。
「……それが……できたら……ッ」
足を止める。振り返ることはしない。
――今の彼女を、見る必要はない。
「あなただって――何もできなかったくせに!!」
響き渡る声に、周囲の視線が一斉にこちらを向いた。ソフィアは振り返らぬまま、そうだ、と告げる。
「貴様が逃げ、私が見送ったから……護は消えたのだ」
靴の音を鳴らし、ソフィアは歩を進める。その途中で、一人の少年の姿を見つけた。
――ヒスイ。
護がいなくなってから、かつて以上に他人と距離を置くようになったアリス。その彼女に近付ける数少ない人物の一人。
すれ違い様、ソフィアは囁くようにその少年に告げた。
「――アリスを頼むぞ、ヒスイ」
ヒスイが振り返る気配が伝わってくる。だが、ソフィアが振り向くことはなかった。
歩みを進めるソフィア。そのソフィアに、アランが小声で問いかけてきた。
「……良かったのですか? 彼女を追い詰めるようなことをして……」
「取り返しがつかぬことになる前に自覚させる必要があった。それだけだ」
「しかし、何も戦場に赴く直前にこのようなことをせずとも」
「ここで伝えておかねば、次があるかどうかもわからぬ」
足を止め、ソフィアはアランに視線を向ける。アランは表情を引き締めると、硬い声で問いかけた。
「何か、あったのですか?」
「これから起こる、だな。ドクター・マッド……あの男がふざけた情報を寄越してきた。――《武神》と《神速刃》が中華帝国に入ったらしい」
「…………ッ!?」
「ガリア連合と手を組んだことが表に出れば、大日本帝国との衝突は秒読みだ。東にはセクターがいるが……私たちもこれからアルツフェムへ向かう」
「そんな、危険過ぎる!」
「リスクは承知。アルツフェムを落とされる方が最悪の展開だ。それに、もう一つ。アリスにああ言った理由もある」
そこで、ソフィアは表情を暗いものにした。
ドクター・マッド。あの天才が告げてきた、最悪の情報を。
「ガリア大陸北部に駐屯する大日本帝国軍。その陣の中に、一度だけとはいえ姿が確認されたそうだ」
それは、考えないようにしていた未来。
避けられるのであれば全力で避けなければならない、しかしそうすることはできない――現実。
「――〈毘沙門天〉の姿が」
シベリアが誇る英雄が。
敵に回るという、現実。
最悪のシナリオが、足音を立てて迫り来る。
◇ ◇ ◇
《戦乙女》アリス・アストラーデを中心とした同盟軍がイタリアへと出発した、その日の夜。
重装備に身を包み、山峡を進む者たちがいた。
粛々と進むその者たちは、軍隊だ。その先頭に立つのは一人の青年。まだ年若いながら、その場にいる誰よりも圧倒的な雰囲気を纏っている。
山峡に入っていくのは、一万近い軍勢だ。その軍勢を、近くの崖から見下ろす数名の武装した男たちがいる。
「……陛下の懸念が当たったようだな」
「はい、セクター様」
シベリア連邦技術局の局長であり、ソフィアの幼少期の教育役でもあった老人――セクター・ファウストが告げた言葉に、副官が頷いて応じた。二人の表情は険しく、余裕は見えない。
「こちらの数はどれくらいだ?」
「はっ、一千人です」
「少ないな」
「付近住民の護衛にも人数を割いておりますので……」
「監視のための軍を分散したのが完全に裏目に出たようだな。大日本帝国、ここまで迅速な進軍を行うとは……」
セクターは呟くと、首を左右に振った。
「だが、仕方あるまい。ソフィア様は国こそ人と仰った。――ソフィア様を守るためならば、この老骨の命も惜しくはない」
「……セクター様」
「副官、逃げても良いのだぞ? 私に求心力がないのは知っておる」
セクターが副官へと視線を向ける。副官は首を左右に振った。
「何を仰いますか。我々はソフィア様が首都より脱出する時より共にありました。覚悟ならば、シベリアの誰よりも強いものがございます」
「自ら死地に赴くか。酔狂な」
「ええ。セクター様の部下ですから」
「……ふん」
その性格故に理解されにくい、セクター・ファウストという老人。護やレオンなどとも何度も衝突していた彼だが、護・アストラーデなどは彼のことを嫌悪していなかったと言われている。
それはきっと、そのやり方こそ過激だが彼の想いは本物だったからだろう。
ソフィア・レゥ・シュバルツハーケンを生まれた時より見守ってきた老人。
彼はいつだって、ソフィアの生きるシベリアを想っていた。
「率直に聞こう。敵は一万。先頭には《武神》と《神速刃》。――どれぐらいの時間、戦える?」
「……半日が限界かと」
半日。それはあまりにも絶望的な短さだ。しかし、既に周囲の砦や都市には通達を出している。どれぐらい意味があるかはわからないが、備えることはできる。
そして、その半日が……シベリアの民を生かす時間になる。
ソフィアが愛する、この国の民を生かす……時間に。
「ならば、その半日に命を懸けるぞ。ありとあらゆる手段を使い、ありとあらゆる覚悟を決める」
「この命、無駄にはなりません。この半日で、シベリアの民は難を逃れることができるはずです」
その言葉を聞き、セクターは口元を吊り上げた。
滅多に笑わない男。その笑みを見たのは何年振りか、副官にもわからなかった。
「――すまんな」
静かに、セクターは呟き。
セクターは眼下を行軍する敵へと向き直り、表情を引き締める。
通常ならば宣戦布告もないままに行われるこの進軍は明らかに国際法違反だ。しかし、戦争など究極的にはルールなどない。元々セクターもそういったルールを無視して戦う人間である。卑怯だとは思わない。彼らは最も効率的な手段をとっただけなのだから。
「…………」
祈るように、セクターは杖を握り締める。かつての幼きソフィアから下賜された、大切な杖を。
祈り、挽回の想いを込め――号令を発する。
「旗を揚げよ!!」
…………。
……………………。
………………………………。
山峡を行軍する大日本帝国軍――正確には中華帝国との混合軍なのだが、その左右に切り立つ崖の上にシベリア軍旗が翻った。
「敵襲――――ッ!!」
その声が上がるや否や、左右より雪崩れ落ちる落石によって隊列が大きく乱れる。
そして、先頭を狙って降り注ぐ落石。しかし、先頭に立つ二つの人影はそれを難なく避けて見せた。
大日本帝国《七神将》第一位、《武神》藤堂暁。
大日本帝国《七神将》第四位、《神速刃》水尭彼恋。
二人は素早く状況を確認すると、暁が一歩前に出た。そのまま、彼は彼の相棒を呼ぼうとして――気付く。
眼前、見下ろす位置でこちらへと銃口を向けている一人の老人の姿を。
「大日本帝国《七神将》第一位、《武神》藤堂暁とお見受けする。
我はシベリア連邦技術局局長、セクター・ファウスト。肉体労働は趣味ではないが……しばしの間、お付き合いいただこう」
対し、《武神》と呼ばれた男は笑みを浮かべた。手を降ろし、刀を抜き放つ。左右にそれぞれ一本ずつ。二刀流の構えだ。
そして、そのまま暁は彼恋、と少女の名を呼んだ。彼恋は手を翳すと、吠えるように叫ぶ。
「――来て、〈万年桜〉!!」
轟音が響き、一機の神将騎が舞い降りる。
――〈万年桜〉。《神速刃》が駆る、世界最小にして最速の神将騎。
「俺を《武神》と知りつつ挑むその覚悟に敬意を表し……直々に相手をしよう」
そして、《武神》が地面を蹴り飛ばす。
絶望の戦闘が、幕を開けた。
◇ ◇ ◇
深夜に始まった戦闘。それが終わりを迎えたのは、太陽が昇り切った後だった。
悠々と歩を進める軍勢。その先頭に立つ《武神》はその体こそ返り血に塗れているが、負傷はどこにもない。掠り傷すらない状態だ。
誰よりも前に立ち、誰よりも多くの敵を斬っていながらも無傷。
圧倒的であり、最強。
故に――《武神》。
そして、山峡の回廊。
静寂に道、木漏れ日が光を落とす中……無数の兵士たちが無造作に、そして軍の区別なく折り重なるように転がっている。周囲には血の臭いが満ちており、凄惨な戦いが繰り広げられたことを物語っている。
そんな光景の中、ピクリと動く人影が一つ。最早立ち上がる力もなく、木に寄りかかるようにして座り込むセクターだ。
彼は血を口から零しながら、苦しそうに息をしている。視線で周囲の状況を探れば、自らを庇って斬られ、目を見開いて絶命している副官の姿がある。
「…………ッ、ふ……ッ!」
残る力を振り絞って副官の顔へと手を伸ばし、その瞼を伏せる。最早言葉はない。ただただ満足げに微笑みかけているだけだ。
セクターの身体にも深い斬撃の痕がある。出血が酷く、致命傷であると一目でわかる傷だ。
彼はそのまま力なく天を仰いだ。滲んだ視界、木漏れ日が虹色に輝く。
その視界に浮かぶのは、疎まれ続けた彼が出会った生涯使えると決めた王。
ソフィア・レゥ・シュバルツハーケンの――笑顔。
「……すみま…せ、ぬ、ソフィア……様…………」
掠れた声で、セクターは呟き。
「…………永遠の…暇……頂きます…る……」
そう、呟き。
まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ち……首をうなだれた。
というわけで、遅くなってすみません。第二話です。一気に急展開です。そして文字が百万文字を超えました。ビックリビックリ(笑)
さて、今回は護とアリスのテーマが明確に出て来たかなー、と。
護は間違っていようとなんであろうととにかく『立ち向かう』人間です。それ故に多くの歪みを抱えていますが、それでも彼が『逃げた』のはシベリア敗戦の時だけで、それ以降に彼が逃げたことは一度もありません。
対し、アリスは『逃げ続けた』人間です。読み返してもらえばわかるかもですが、彼女が立ち向かったように見える時はその立ち向かうのが『逃げ道』なだけだったりします。そういう意味で、彼女は今まで逃げてばかりの人間でした。
アリスとソフィアの会話については、ずっとやりたかった会話です。ソフィアも言っていますが、アリスにこういうことを言ってくれる人間って実はソフィアと後はドクターくらいしかいません。不幸に思えますが、それもまた彼女が『逃げた』結果です。
そしてセクターの最期。正直、この大日本帝国が三国同盟とガリア連合の動きを察知していないわけがないという。先手を打っていると思えば、そうではない。大日本帝国が相手ならよくあることです、ええ。
さてさて、そんなこんなで急展開?な第二話、如何でしたか?
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!