第五話 神へと誓う、その手の理由は
起きたのは、雪崩だった。シベリアというのは永久凍土とも呼ばれる地域である。山はほとんど年中雪が積もっており、特に冬場である今は山にとんでもない量の雪が積もっており、雪崩も良く起こる。
轟音が視界を埋めた。モニターの色が、黒に染まる。
そして――……
「…………ッ?」
護は、目を覚ました。衝撃で一瞬、意識が飛んだらしい。
コックピット内は真っ暗だ。あれだけやかましく『損傷』だの『危険』だのと映していたモニターは黙り込んでおり、動く気配はない。
「…………」
潰れたか、と護は思った。十分ではなかったが、エネルギーは残っていた。それがこういった形になっているということは、そういうことなのだろう。
――負けた。
声には出さず、護は呟いた。生きていることなど結果論だ。
《赤獅子》――大戦において圧倒的な力を振るい、その名を轟かせた英雄だ。だが、英雄とは味方にとっては英雄であっても、敵にしてみればただの大量虐殺者でしかない。
事実、あの姿を見ただけで護は激昂した。
二年前、外壁を食い破り、自分を叩き落としてくれたのがあの神将騎だ。
全ての始まりの、敵――……
「くそっ……」
顔に手を当て、護は呟く。どうしようもない虚無感が、波となって体を襲う。
「俺は、何を……」
吐き出す。ただただ、感情のままに。
「何を――やってんだよ……ッ!!」
言ったのだ。子供たちに。
――お前たちのことを守れるくらいの力はあるつもりだ。
言ったのだ、アリスに。
――約束は守る。
だというのに、自分は。
ここにいる、大馬鹿者は。
「何も……何もできてねぇじゃねぇか……!!」
口だけで。
何一つ、守れない。
本当に……自分は――……
――どれくらいそうしていたのか。長い時間そうしていたように思えるし、僅かな時間だったようにも思える。
護は体を起こすと、立ち上がった。身を屈め、手動でコックピットのハッチを開ける。心の整理はついていない。だが、生きているのだ、自分は。
生きているのなら――生きていかねば、ならないだろう。
ハッチを押し込む。だが、噛み合わせが悪くなっているらしい。開いてくれない。いや、雪で潰されているのかもしれないが、それにしても。
「…………ッ!!」
判断は早かった。
ガンッ、ガンッ、という金属を叩くような音が連続で続く。そして、四度目の音が響くと同時に、〈フェンリル〉の背中のハッチが吹き飛んだ。
護はそこから身を出し、息を吐く。上手く背中の部分は雪に埋もれずに済んだらしい。機体の半分以上は雪に埋もれていた。
「…………」
護は、動かなくなった相棒を眺める。二年……長いようで短い間、共に戦ってきた。
だが、それもここまで。
「……ありがとな」
言って、護はその場を去った。近くにはまだ統治軍がいるだろう。急いで離れる必要がある。
走り出す。手に持つのは、使い古して馴染んだ突撃銃だ。型は古い。二年前の戦争ですでに型落だったような銃だ。しかし、兵器とは性能ではない。信頼性だ。
愛銃を手に走り出す護。雪山を進むが、不意に、その歩みが止まる。
「……雪……」
呟く。雪が降り出したのだ。護は小さな舌打ちを零した。この時期の雪は厄介だ。一瞬でブリザードになり、人を食い殺す。
だが、チャンスだ、とも護は思った。この雪に紛れて逃げれば、追っ手を捲くことも可能だろう。そうすれば。
「そう……すれば?」
不意に、護は呟いた。
そうすれば――逃げ延びれば――どうなるというのだ?
神将騎を失い。
戦いには敗れ。
誓いも約束も、何一つとして果たせずに。
そんな自分が――どこへ行くという?
「俺は」
白い吐息を零し、俯こうとしたその視線。その先に。
「何だ……?」
護は、洞窟の入り口らしきものを見つけた。
◇ ◇ ◇
「リィラ、アリス!」
外壁の内部。雪が降り出し、ブリザードが予測されるために外へ〈フェンリル〉を追って出ていた部隊が帰還して一時の休息を取っているその場所に、そんな声が響いた。声の主は――ソラ・ヤナギ。第十三遊撃小隊の隊長だ。
あくまで一時的な休息のため周囲は騒がしく、ソラを見ようとする者はいない。いや――誰もが敢えて視線を外している。
見ないように。見るべきではないようにと。
「あ、隊長や」
「お、お疲れ様です」
ソラの姿を認め、二人はそれぞれの反応を示す。ソラは頷いた。
「〈ワルキューレ〉はどうだ?」
「特に問題はありませんよ~。せやけど、まあ、ちょっと稼働に気合入れ過ぎたさかい、エネルギーは七割ってとこやけど」
「す、すみません……」
「ええですよ中尉、そんな気にせんでも。なぁ、隊長?」
「ああ。よくやってくれた。十分過ぎる戦果だ」
「あ、その、ありがとうございます……」
アリスは俯く。それに対してリィラと共に苦笑を浮かべると、ソラはさて、と言葉を紡いだ。
「こんな状況だが、お前らに新入り二人の紹介をする。といっても、リィラは知っている相手だが――」
「……その、後ろでクネクネしとる変態のことですか、隊長?」
「おおっと、変態とは失礼だねリィラくん」
ははは、と仮面の内側から笑い声を発したのはドクターだ。彼はリィラが指摘したように体をくねらせながら、楽しそうに言う。
「つれないじゃないか、あんなに楽しんでいたというのに」
「ウチにはあんたとおって良かった記憶なんてあらへんよ」
「手厳しいね」
くっく、とドクターが笑う。全く堪えた様子はない。その最中、あの、とアリスが声を上げた。
「その子は……?」
言葉に、全員がそちらへ視線を向ける。そこにいたのは、小さな子供だった。
所々跳ねた、色素の抜けた白い髪。感情のこもっていない翡翠の瞳。軍服を纏ってこそいるが、全く似合っていない。見た目でいうならこんな場所には明らかにそぐわない子供がそこにいた。
「…………」
リィラが、ドクターを見てから険しかった表情を更に険しくする。だがアリスは気付かず、ええと、と口を開いた。ドクターが頷きながら応じる。
「ああ、そうだ紹介を忘れていたねぇ。この子の名は、ヒスイ。私と共にここに配属されるようになった身だ。一応、階級は准尉相当官ということになっている。――アリス・クラフトマン中尉、キミと同じ〝奏者〟だよ」
奏者――その言葉をドクターが紡いだ瞬間、アリスたち以外の者たちの動きが一瞬、止まった。誰もが視線をヒスイに向け、しかし思い出したように視線を逸らす。
ああ、とアリスは思った。
やはり、奏者とは。自分たちとは、こんなにも……
「えっと、ヒスイちゃん?」
膝を折り、死線を同じ高さに合わせながらアリスはその子の名を呼ぶ。可愛らしい顔だ。おそらく、女の子。
「その、よろしくね?」
精一杯、笑って見せる。上手く笑えているだろうか。ここ二年、心の底から笑ったことなどなかったために、笑い方を忘れてしまったような気がする。
ヒスイはアリスをじっと見つめている。相変わらず、その瞳に感情は籠っていない。
だが。
「…………ん」
ヒスイが、その小さな手を差し出した。アリスは驚き、しかし、微笑みを返す。
「うん、よろしくね」
もう一度、確認のようにその言葉を紡ぎ、アリスはその手を握り締める。
小さな手だ。しかし、確かな温かさも持っている。
ん、と、ヒスイが頷いた。それを見て、ドクターが仮面を揺らす。
「フフッ、ヒスイが手を差し出すところなど初めて見たよ。これは中々、興味深い」
「ドクター」
「安心したまえ。彼女はまだ幼い。そういう興味はないよ」
半目で言うソラに、肩を竦めてドクターが返す。アリスは首を傾げたが、その視線の先にとあるものを捉えて表情を変える。
ヒスイはそんなアリスの変化に気付いたのか、握っていた手を離した。応じるようにアリスが立ち上がり、他の者たちも振り返る。
――紅。
目にした人物の第一印象はそれだった。まるで血のように濃い色をした紅蓮の長髪。統治軍の制服である灰色の軍服に反し、異様なほどに目立っている。
鋭い目つき。それは間違いなくこちらを射抜いていた。
襟元に着けられた階級章は――大佐。
「……敬礼」
静かに、ソラが言った。すると、ドクター以外の全員が敬礼をし、男を見る。男――朱里・アスリエルは、手を降ろせ、と呟いた。
「規律も礼儀も必要だが、今はいいだろう。作戦中だ。――違うか、ヤナギ大尉」
「そうですね――アスリエル大佐」
射抜くような視線と共に放たれた言葉に、ソラは肩を竦めて応じる。《赤獅子》と呼ばれる男は、相変わらずだな、と息を吐いた。
「挑発にも乗って来ないか」
「乗ってどうするんです、大佐? 上官の命令は絶対でしょう?」
「ならば俺が死ねと命じれば、お前は死ぬか?」
「死んでもいいと思っていたら。まあ、そうでなければ逃亡しますけど」
「相変わらずだな」
「成長していないということです」
言葉は静かだが、内容は過激だ。見ている側は息を呑んで見守るしかない。
ごくりと唾を飲み込むアリス。アリスも朱里の神将騎――〈ブラッディペイン〉の戦闘を見ていた。自分がギリギリでようやく左腕を奪うにとどまった相手を、あれほど容易く打ち砕いた。聖教イタリア宗主国最強の神将騎と奏者。その名は伊達ではない。
そんなことを思っていると、不意に朱里がこちらを見た。そして。
「お前が〈ワルキューレ〉の奏者か?」
「は、はい。あ、アリス・クラフトマンです。階級は中尉です」
「聞いている。あの神将騎の左腕を破壊したのはお前らしいな」
「は、はい」
「――よくやってくれた」
朱里が言う。えっ、とアリスが言葉を漏らすと、朱里は頷いた。
「どういうわけか、ここの者たちはお前を評価していないようだが……俺が容易く奴を狩れたのも、お前の働きがあってこそだ。軍功の半分はお前にある」
「え、あ、でも、いや、その、しかし……」
「自分を卑下する必要はない。……ヤナギ。いい部下を持っているな」
「本当に、恵まれてますよ」
ソラが笑いながら肩を竦める。朱里は頷くと、後ろを振り返った。聞こえてくるのは足音だ。
こちらへ来るのは、部下二人を引き連れた女性軍人。カルリーネ・シュトレンだ。スラム制圧の指揮を執り、一時的にではあるが大尉という階級でありながら首都に駐在する統治軍の指揮権を預かっている。
そのカルリーネは朱里のところまで来ると、部下と共に敬礼した。朱里もそれに応じる。
「着任早々の任務協力、感謝します」
「いや。治安維持が統治軍の任務だ。その目的を違えさえしなければ、新任も古参も関係ない。そうだろう?」
「仰る通りです、大佐殿」
カルリーネが頷く。その中で、しかし、と朱里が言った。
「ここの防衛の指揮を執る大尉に確認ぐらいはとるべきだった。すまない、独断専行だ」
「……いえ。大佐には到着次第、私の権限を引き継ぐように指示されていますので。問題ありません」
では、と言い、カルリーネは部下に命じて朱里に資料を渡す。だが朱里はそれを受け取ると、それを一瞥して言葉を紡いだ。
「その権限だが……このまま、総督と将軍の帰還まで大尉、貴官に預けようと思う」
「……何故です?」
カルリーネは眉をひそめる。朱里は、単純だ、と言葉を紡いだ。
「俺はここに来て日が浅い。現状の理解はおろか、統治軍の状況の把握さえも満足にできていない。理解無き者が動かす軍隊は悲惨だ。敗戦しか待っていない。その点、貴官ならば理解もしているだろう?」
「……承知しました。しかし、EUからの指示もありますので、私が大佐殿の補佐官という形でも?」
「名目は何でもいい。だが、そうだな……ここに一日も早く慣れるため、中隊一つと小隊一つの指揮権はもらおう。構わないか?」
「了解しました」
「助かる。どの部隊かは追って連絡する。今は雪崩に巻き込まれた神将騎の捜索だ。出来るならば確保したい。大尉、腕を振るってもらうぞ」
「――はっ」
カルリーネが敬礼をする。そして、立ち去る寸前。
――アリスとカルリーネの目が合った。
ゾクッ、とアリスは背筋に悪寒を感じた。カルリーネの目。それは。
まるで――虫けらでも見るかのような目だった。
カルリーネが立ち去る。それを見送った後、ふむ、とドクターが吐息を零すように言葉を紡いだ。
「良かったのかね? 指揮権を渡しても?」
「……あんたは」
「久し振りだねぇ、アスリエルくん。――妹君は元気かね?」
「――――」
「おっと、そう怖い顔をしないでくれたまえ。何、興味だよ。ふとした世間話のようなものだ。踏み込むつもりはない。……それで、どうなのかね?」
「それがEUからの指示だ」
ふう、と朱里は息を吐いた。そのまま、カルリーネが去ったほうを見ながら言葉を紡ぐ。
「統治軍は名目こそEUの連合軍だが、実際にはその七割近くが精霊王国イギリスの軍隊だ。その証拠に、総督も将軍もイギリスからの派遣だろう? 千年ドイツ大帝国はイギリスと仲がいい。だから、ドイツの名門貴族であるあの大尉が総指揮なんてふざけたことができる」
「でも、大佐はイギリスと仲が悪いイタリアの人間ですからねー。向こうも易々と指揮権を渡せない」
「理由は多くあるが、まあそういうことだ。これは茶番だ、ドクター。最初からああなるようになっていた」
朱里は言う。そう、EU連合とはいうが、実際は足並みがそろっているわけではない。権力、権益争いの巣窟だ。
特に、王政、貴族政を敷くイギリス・イタリア・ドイツの三国と、革命により共和制となったフランス・スペインなどは仲が悪い。イギリスとフランスについては歴史上の闘争もあるので尚更である。
それを聞き、ふぅむ、とドクターは笑みを浮かべる。
「くだらない話だね、実につまらん」
「くだらんということには同意しますよ、ドクター」
ソラが肩を竦める。それを見て、それではな、と朱里が口を開いた。
「俺は〈ブラッディペイン〉の調整に入る。死んでいようといまいと、俺も捜索に出なければな」
「雪崩を起こしたのはキミの神将騎だからねぇ……大したものだよ、実に」
「…………」
朱里は無言。ドクターを無視して行ってしまおうとする。その背中に、待ちたまえよ、とドクターが言葉を紡いだ。
「キミの神将騎は超が付くような一級品だ。整備班は用意しているのだろうね?」
「…………」
朱里は無言。しかし、その歩みを止めている。その背中に、アリスが眉をひそめた。
「どういう、ことですか?」
「……本国の人らはホンマに頭が悪いゆーことですよ、中尉」
隣で吐き捨てるように言ったのは、リィラだ。ドクターが、ふむ、と言葉を紡ぐ。
「キミ一人でやるというのならそれも構わんが、どれくらいかかるのかね?」
「…………」
朱里は変わらず無言。その姿を見かねてか、ソラが言葉を紡ごうとした瞬間。
「――警報!?」
誰かが声を上げ、その言葉通りのものが響き渡った。次いで、アリスたちがいる場所にも放送が入る。
『緊急連絡!! 正体不明の神将騎が出現!! こちらに害意あるものと判断!! 神将騎は至急出撃してください!!』
その場の全員が――ドクターとヒスイ以外――弾かれたように外を見た。外は変わらず吹雪が吹き荒れており、視界が悪い。だが、その中でも確かにわかる。
黒と白――騎士とはまた違う、欧州では見たことがない形の甲冑を着込んだような姿。
そこにいた者たち――その中でも、前大戦を知る者は、その機体を見て一つの言葉を口にする。
「……サムライ……」
かつて、前大戦の引き金となったクーデターを起こし、大戦においては自国へどの国も踏み入れさせずに圧倒的な力を以て世界にその存在を知らしめた強国――大日本帝国。
その最強の軍隊の頂点に立つ七機の神将騎と奏者――《七神将》。
その姿は、最早滅びたとされる侍のものだったという。そして、今目の前にいる機体は――……
「ひ、あっ」
誰かが、声を漏らした。声の主――リィラが自身の両肩を抱き、震えながら一歩下がる。
「あ、いや、あっ」
普段の彼女の雰囲気は感じられない。怯えたように、リィラは後ずさる。
その目は正体不明の神将騎を捉えて離さず、しかし、まるでそれを拒否するようにリィラは首を横に振る。何度も、何度も。
リィラさん、と、アリスは名を呼ぼうとした。だが、その前に。
「――落ち着けリィラ」
リィラの背後から、ソラがそう言いながら彼女を抱き締めた。そのまま、ソラはリィラの顔を彼の方に向けると、自身の胸元へと引き寄せる。
「大丈夫だ。深呼吸して、目を閉じろ」
「う、あ……?」
「大丈夫だ」
繰り返しソラは言うが、リィラの震えが治まらない。その様子を見、ドクターがふむ、と声を漏らした。
「大丈夫かね?」
「大丈夫ですよ。ただ、ちょっと今は仕事できないかな、と思います」
「構わん。――ドクター」
言ったのは朱里だ。彼はドクターを睨み付けるようにして見据えると、問いを発する。
「『獅子咆哮』で傷ついた機体の調整、どれくらいかかる?」
「――十分」
ドクターは、笑みを零しながら言い切った。
「無論、全開にしろというのなら倍はかかるがね。ああ、機体全体に負荷がかかってしまっているような状態でも倍で済むのは、この天才の活躍がすでに織り込み済みということを理解しておいてくれたまえよ?」
「……本国のトップチームでさえ、戦える状態に持っていくのに三十分はかかる。つまらん冗談はやめろ、ドクター」
「冗談?」
その言葉に、くくっ、とドクターが笑みをこぼした。
「実現できる冗談程、つまらんものはない。――私はジョークには拘る方だ」
言い切るドクター。朱里は、ふん、と鼻を鳴らした。
「いいだろう。任せるぞ、ドクター。だが妙なことをすればその場で射殺する」
「ふっ、妙なこととは心外だね。しないさ、そんなことは。……ヒスイ、来たまえ。手を貸してもらおう」
「……はい、ドク」
ヒスイが頷き、二人の後ろを追っていく。その過程で、朱里がソラの方を振り返った。
「ソラ。〈ワルキューレ〉は待機だ。万一の時は、後詰めを頼む」
「上官命令ですし、断る理由もありませんので了解しますが……そういうのは、シュトレン大尉に頼むべきでは?」
「信用ができん」
朱里はソラから視線を外し、そう言い切った。
「……別に他意はない。ここがどういう場所かもわからない中で、俺が信用できるのはお前たちだけだという話だ。任せたぞ、ソラ」
「成程、了解」
ソラが敬礼すると、朱里も敬礼をし、ドクターとヒスイを連れて共に立ち去っていく。それを見送ってから、さて、とソラは呟いた。
「俺はちょっとリィラを後方に下げてくる。アリスはここで待機。無いとは思うが、大佐が増援を要請したら出撃してくれ」
「は、はい。……あの、リィラさんは……?」
「ああ。大丈夫だ。……色々あってな。戦争ってのは、本当に碌なもんを残しやしねー」
アリスの視線が、リィラを捉える。未だに彼女は震え、怯えていた。
ソラは、それじゃあ頼むわ、と言い残し、立ち去っていく。その背中を見送ってから、アリスは大きく息を吐いた。
そして、窺うように外を見る。そこでは正体不明の神将騎に対し、六機の神将騎と十台の戦車が出撃していた。
そして、アリスはここからは見えない場所――スラムのことを思う。
――無事でいてくれると、いいけど……。
スラム――出来るだけ人目につかないように、何度も何度も訪れていた場所だ。今でこそ小隊の中でアリスは受け入れられ、受け入れているが、元々そういったコミュニケーションと呼ばれるものが苦手だったアリスにとって、統治軍はとんでもないストレスがたまる場所だった。
その中で正体を隠してアリスがスラムに行ったところ、同じシベリア人だというだけで多くの人に助けられた。その恩は忘れていない。
だから、と思う。だから。
――嫌だな……。
失われることを恐れるのは、やはり、自分が色々なものを喪ってきたからだろうか。
両親を失い、誇りを見失い、ただただ、たった一つの約束へと縋り付いて。
「護さん……」
アリスは呟く。
多くのものを犠牲にして、失って、それでもここを選んだ。
彼ともう一度会うために。
ただ、それだけのために。
「……私は……」
呟こうとした言葉は。
声にならず、吐息となって空気へ溶けた。
◇ ◇ ◇
コツン、コツン、という乾いた音が反響する。足音の主である護は、ただただ困惑していた。
「なんだここは……?」
周囲を見ると、朽ち果てたという表現が相応しい壁が目に入る。だが、材質はマモルが見たことのないもので造られているらしい。手触りが、今まで触れたことのないそれだった。
「遺跡、か……?」
ポツリと護は呟く。遺跡――それは、現代において大きく二つの種類に分けられる。
一つは、文字通り古代の文明の残滓を残すもの。古代に人類がどういった生活をしていたのか、文明を築いたのかを教えてくれるものだ。これは歴史的な価値があり、ものによっては世界遺産として登録されたり重要文化財に登録されたりする。
そしてもう一つ――『大崩壊』と呼ばれる、一度文明が途絶える事件が起こる前の黎明の時代を伝えるもの。こちらは現代では復元不可能な技術の残滓や、神将騎などが見つかることもあり、非常に重要視されている。
今、護が歩いているのはおそらく後者だ。だが、人が通った形跡がある。新しい遺跡ではないようだ。
――まあ、首都の近くだからな……。
見つからない方がおかしいだろう。おそらく、調査を終えて放置された場所なのだろう。
そんな風に周囲を分析しながら、急がなければ、と護は思った。どうにかしてこの吹雪のうちに首都から離れなければならない。時間が経てば、完全に逃げ道を見失う。
「……くそっ」
吐息を零すように、護は呟く。納得できない、認められない――そんな理由で飛び出してきて、この様だ。
スラムはどうなったのだろう、と思う。あの居心地の良かった場所はどうなったのだろうか、と。
足を引きずるようにして進む。負傷しているわけでもないのに、が重い。体が怠い。
もういいではないかと、そう自分に囁きかけてくる何かがいる。敗北して、こんな無様を晒す自分などもう必要ないのではないかと。
しかし、それでも足は前へと進む。まるで、止まることを拒否するかのように。
どれくらい歩いたか。思考をすることさえも閉じかけた護。
いつしか、暗闇の中にいた。しかし。
――バツンッ!!
不意に凄まじい音が響いた。同時、閃光のような光が視界を覆う。
「――客人とは、珍しいですね」
声が響いた。視線の先――誰かが座っている。護は反射的に手にしていた突撃銃を持ち上げた。
「誰だッ!?」
「人に名を問う時は、まず自分から名乗るのが礼儀ですよ。それに、ここは私の領域。丸腰の女性一人相手に銃を構えて怒鳴るとは、押し入り強盗か何かですか?」
目を開け、護は前を見る。そこにいたのは、一人の女性だった。
肩にかかる程度の短い黒髪と、黒縁のどこか気品を漂わせる眼鏡。その黒い眼差しは、真っ直ぐに護を捉えている。
白衣を纏い、この寒い空間で短いスカートをはいたその女性は、どうしました、と微笑を浮かべた。
「滑稽だとは思いませんか? こんな、無知故に見知らぬ相手を撃とうとする自分が?」
「テメェは、誰だ」
「……何をそんなに怯えているのです?」
クスッ、と女性が笑みを零した。護は、ぐっと唇を引き結ぶ。
「無知とは罪ではありませんが、必ず後に後悔を生み出します」
女性は、問う。
「現実を知ったのでしょう? 叩き付けられたのでしょう? そうして、地に堕ちたのでしょう?――ここで終わりですか、氷原の餓狼?」
「……何の、話だ」
「ここに閉じ篭ってこそいますが、外の事情は昔の伝手で調べることができましてね。事情は察していますよ。《赤獅子》……私でも、正面からは少々厳しい相手ですね」
言って、女性は彼女の右側を見る。そこにあるのは、巨大なモニターだった。そこに、一つの映像が映り出す。
それは――闘いの記録。餓狼と獅子が戦い、狼が敗北する姿だった。
「…………ッ」
「監視カメラというものです。ここのシステムの99%は壊れていますが……これは残っていました。まあ、とはいっても神将騎のシステム、装置は未だにブラックボックスが多いですが、映像システムと統合システムについては研究が進んでいます。私個人の試算では、後何十年もかけて成長する場所へ、文明が歪に到達していますね。この程度のことなら、どこにでもというわけにはいかないのでしょうが、あるところにはあります」
どうでもいいですが、と女性は肩を竦める。そう、神将騎の出現により、こういった電子機器の文明は著しく進歩した。
元々、コンピュータという装置は砲弾の着弾予想点を計算するところから始まった。しかし、世界中のあらゆる国が神将騎の軍事利用、解析を始めた結果、システムが大きく進歩する。有線を使った映像システムが構築され、監視カメラという概念が生まれ始めている。
尤も、それはあくまで始めているというだけで、一般人にはコンピュータなど空想の代物で、まだまだコストも大きくかかる。だからこそ、本格的なコンピュータというものは護も見たことがない。
「ちなみに個人的な予測では近い将来、全世界を有線、もしくは無線で繋ぐシステムが構築されるでしょうね。まあ、そのためには表面上であっても各国の協調を促す組織を創らなければなりませんが。……と、くだらない世界情勢の話はここまでです。問題はあなたですよ、少年」
女性は笑みを浮かべ、腕を組む。そのまま、護へと言葉を紡いだ。
「あなたには二つの選択肢があります。――みっともなく、抗いながら戦うか。潔く、ここで死ぬか」
見なさい、と女性が彼女にとっての左側を示した。そちらを見、護は驚愕する。
――そこにいたのは、神将騎だった。
白と黒の、護の父の故郷――大日本帝国にかつていたという、侍武者の威容をした神将騎。その背部には、何やら大きなユニットが装備されており、それが異彩を放っている。
「乗りますか? いえ、違いますね。――乗れますか?」
問いかけ。護は、ただただ黙して神将騎を見つめていた。
銃は降ろしている。降ろしてしまっている。
「あなたが乗っていた機体……名は知りませんが、動きから察するにいいところ中の下の性能でしょう? この機体はそれ以上であることを保証します。極東の島国を守ってきた守護の要。その力は一騎で千軍に値します」
「…………」
「もっとも、あなたに資格があるのならですが」
奏者――神将騎の乗り手たる存在にも、格というものが存在する。奏者であればどんな神将騎にも乗れるというわけではないのだ。護は確かに〈フェンリル〉を操っていたが、だからといって他の機体を操れる保証はない。
神将騎は、乗り手を選ぶ。それも強力な力を持つ機体であればあるほどにだ。
乗れるのか、と思う。無様な敗北を晒した自分が。こんな自分が。
「さて、時間はありませんよ、少年。吹雪が止めばここは包囲されるでしょう。そうなれば終わりです」
「……あんたはどうするんだ」
「どうとでもなりますよ。これまでがそうでしたし、これからもそうでしょう。さて、選択の時間です。乗るか反るか、選びなさい」
妙な話だ、と護は思った。
敗北し、ギリギリで逃げ込んだ場所でよくわからない女性に出会い。そして、神将騎に乗れという。
なんなのだろう、と思った。ここで、自分は何をしているのだろうと。
ただ。
自分を見下ろしている神将騎を見て、こう思う。
「なぁ、あんたの目的は?」
「目的、目的……そうですねぇ、一応、神将騎の調査ということにしておきましょうか」
「何故、俺に乗れと言うんだ?」
「面白きことなき世を面白く……理由はそれでいいのですよ、いつだって」
私にとっては、と女性は言った。
そして護は、思う。
――上等だ、と。
みっともなかろうが、無様だろうが。
抗うと、そう決めたのだから。
そして。
護は、一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇
コックピットに座ると、護は大きく息を吐いた。そうしてから、ゆっくりと操縦桿へと手を伸ばす。
握り締める。いつもなら、それで〈フェンリル〉は反応して動いてくれたのだが――……
「……ちくしょう」
動かない。暗闇は、何一つとして光を灯さない。
「ちくしょう……」
選ばれなかった。認めてもらえなかった。
それが、結論――……
『――少年。あなたは、何のために力を振るうのですか?』
無線らしい。声が届いた。女性の声だ。
『生きることは戦いである……確かにその通りですが、それならばここまでの危険を冒す必要はなかったはずです。尊厳がなくとも飯があれば生きていける。飯がなくとも尊厳があれば生きていける。その両方を失えば人は何にでも縋るようになりますが……今のあなたはそうではない。何のために、戦うのです?』
何のために。何のためにここまで来たのか。
『色々聞きましたよ。二年もの間、よくぞ耐えてきたものです。人とは強欲で貪欲で救いがない生き物でしてね。国のため、などという綺麗事ではそこまで耐えられないのですよ。――故に聞きます。何故、あなたはここにいるのです?』
土を食み、泥を啜り。
血を浴び、血を流しながら。
『あなたが戦う理由の根源は、どこにあるのです?』
ここにいる理由。戦う理由。
その全ては、二年前だ。
『もう戻れない場所へあなたは来ています。そこで戦い抜く理由を、戦わなければならない理由を示しなさい。論理でもなければ、経済でもなく、暴力でなければ――血で血を洗う闘争でなければならなかった理由を』
あの日、約束をした。
あの日、伸ばした手は届かなかった。
手を伸ばした。虚空へと。
強く、強く、その手を握り締めた。
何も掴めない、掴んでいない手。だが。
今度こそ掴むために、俺は――!!
「あの日」
拳を、思い切り叩き付ける。
「戦争に狂わされた。壊された。その中で出会った」
日常を失った中で。
誰とも共にいられなかった自分が、唯一、側にいられた少女。
約束のために。
そのためだけに。
「大切なんだよ……もう、それしか、俺には、それしか残ってねぇんだよ!!」
手に入れたものがある。知ったものがある。
だが、その全てはあの少女と出会ったからこそだ。
そして、あの少女は生きていた。生きていてくれた。
だが、自分は弱くて。
再会したのに、何もできなくて。
「親も!! 日常も!! 何もかもを奪われた!! 失った!! ああそうだよ!! 俺が弱かったからだ!! だから掴めなかった!! 何も!! 何一つ!! ふざけんな!! 認めるかよ!!」
ヴン、という音が響いた。
光が灯る。護を中心に、力が躍動する。
「あの日掴めなかった手を!! 今度こそ俺は――掴んでみせる!!」
理由は、二年前から変わっていない。
ただただ、そのためだけに戦ってきたのだから。
エゴだろう。だがそれでいい。自分には、国というものがわからない。そこまで俯瞰して見れる程に大人でもなければ、頭が良いわけでもない。目の前のことしか考えられないような子供だ。
だからこそ、それでいい。
護・アストラーデは、それを理由に戦っていく。
――新規設定。過去の記録を削除しますか?――
機械の声が聞こえる。同時に、女性の声も。
『往きなさい、少年。滾る想いを胸に抱き、逸る心を捻じ伏せて。前へ、前へと』
――新規登録。……完了――
『神将騎――〈毘沙門天〉。軍神のお披露目です。存分に暴れなさい』
そして。
餓狼は鬼武者となり、戦場へと駆けていく。
◇ ◇ ◇
吹雪の中現れた敵の数は、相当なものだった。
神将騎――〈ゴゥレム〉が六機と、戦車が十台。歩兵がいないのは吹雪の中だからか、それとも神将騎相手では足手纏いになるだけだからか……おそらくは両方だろう。
ふう、と、護は息を吐いた。そして、前を見る。
戦うのだ。抗うために。抗い続けていくために。
たった一つの、約束に向かって――
「行動開始だ!! 行くぞッ!!」
〈毘沙門天〉が動く。その腰には両腰合わせて二本ずつの合計四本の刀が装備されている。四本の刀が一纏めで〝海割〟というらしい。
そのうちの一本を抜き放つ。刀――西洋の剣とは違い、斬ることに全てを懸けた刃だ。その切れ味は凄まじく、同時にその美しさからも世界の称賛を浴びる。
銃火器はない。あの女性は必要ない、と言っていたが――
「――ふっ」
息を吐く。同時に、思い切り地面を蹴り飛ばした。瞬間。
「なっ……!?」
護は驚愕する。凄まじい跳躍力だ。〈フェンリル〉とは比べ物にならない。一瞬で見ている角度が大きく変わってしまった。
――一騎で千軍に値する――
女性の言葉を思い出す。あれはあながち嘘ではない。圧倒的な出力。成程、使いこなせれば確かに一騎当千の活躍ができるだろう。
エネルギー残量を見る。残量は十分。問題はない。
〈ゴゥレム〉四機が一斉にアサルトライフルを構えた。吐き出される弾丸。しかし、〈毘沙門天〉の速度を追い切れず、当たらない。
〈ゴゥレム〉は欧州で多く発見される神将騎だ。専門家によると、古代においては〈ゴゥレム〉が欧州の主力だったのではないかという推測が挙がっている。
その〈ゴゥレム〉の厄介な点は、耐久力の高さだ。通常の神将騎ならば戦車の砲撃をまともに喰らえば致命傷となるが、〈ゴゥレム〉は三発程度なら負傷しながらも耐え切り、動いてくる。故に護も、前回戦った時は腹部の少し下――関節部分を貫き、突破した。
あの時は〈フェンリル〉の出力の関係からそうした。武器もそう位の高いものではなかったため、余計にだ。
だが、この機体――〈毘沙門天〉ならば? この手に持つ〝海割〟ならば?
『――迷いは捨てなさい。大丈夫、しくじったところで死ぬだけです』
心を読まれた。……本当に何者なのか。
まあ、いずれにせよ、今は。
戦うだけだ。
――ドンッッッ!!
凄まじい轟音。蹴り上げた雪原の雪が跳ねあがり、白い霧を形作る。豪速によって生まれる衝撃波が進路上の雪を巻き上げ、まるで〈毘沙門天〉の道を創るように舞い上がった。
――一閃。
振り抜かれた刃は、驚くほど軽々と〈ゴゥレム〉を引き裂いた。吹き飛ぶ機体。護はすぐさま無手の左腕を右腰に回すと、そのままもう一本、〝海割〟を抜き放つ。
一閃。近くにいたもう一機が吹き飛んだ。十台ある戦車の砲台がこちらを向く。
爆音。同時に放たれたそれらの一撃を、しかし、護は空中へと飛び上がることで避け切った。雪原に着弾し、爆音と共に白い雪を巻き上げる砲弾。それを背に、空より飛来した護は戦車を一機、〝海割〟で貫くと、そのまま引き裂くように刃を流した。
爆散する戦車。そこから飛び退きつつ、護は視線を巡らせる。敵はまだいる。まずは神将騎――そう思い、残る二機の〈ゴゥレム〉のうち、近くにいた機体へと突撃を敢行しようとした。
だが。
――ピピピッ!
警報が鳴り響いた。護はすぐさま視線を上へと向ける。灰色の空と、吹雪によって舞い上がった白い雪で染め上げられた空に、そいつがいた。
紅蓮の、獅子の姿を象った神将騎。
《赤獅子》が駆るその機体の名は――〈ブラッディペイン〉。
「…………!」
視線が合った。そう感じたのは気のせいだろうか。〈ブラッディペイン〉は一切の容赦もなく、手にした巨大な剣を構えた。対艦刀――重量、破壊力、耐久性のみを追求し、文字通り『神将騎で戦艦を砕く』ための武装だ。その重量や取り回しの難しさから、開発は断念されたはずだが――
――ゴンッッッ!!
考えている間に一撃が来た。思い切り振り抜かれた一撃が地面を砕き、雪を巻き上げながら冬場は姿を見せることがない土の大地を打ち砕く。
凄まじい威力だ。しかし、故にこそ隙がある。
突き。神速の一撃だ。頭部を狙ったその一撃はしかし、〈ブラッディペイン〉が顔を背けたことで躱される。
自然、〈毘沙門天〉の胴が空く。ほとんど反射的に、護は突き出した腕とは逆の腕を腹部に持っていった。
――衝撃。機体が揺れる。
反動で飛びずさる〈毘沙門天〉。その視界の中に、護は見た。
対艦刀とは別に、小太刀のようなものを持っている。護は舌打ちを零した。
「厄介な……!」
呟く眼前、〈ブラッディペイン〉が右腕一本で、その全長よりも大きい対艦刀を振り回している。凄まじいパワーだ。あんなことができる神将騎など、この世に何機あるか。
戦艦を打ち砕くための刃を、ああも簡単に扱うとは。
やはり、化け物だ。たった一機で首都の外壁を砕いたのは伊達ではない。
――衝突。振り上げられた対艦刀が、再び大地を粉砕した。
飛び散るのは雪と土。〈毘沙門天〉は大きく後方へと飛びずさると、左手に持った〝海割〟を鞘に納めた。二刀を扱うことには慣れていない。一本で向かっていく方がいい。
ザザッ、というノイズの音が響いた。聞こえるのは、女性の声だ。
『……成程。流石は音に聞こえた《赤獅子》とその愛機。〈毘沙門天〉とそのスペックにおいて互角以上とは。少年、予定変更です。五分、耐えなさい』
「五分耐えたら何かあんのかよ?」
『撤退の準備が整います。そもそも、ここで決着を着けることは不可能なのです。撤退は当然の選択ではありませんか? それに、今後を考えればそれなりの戦果を用意しておくことも重要。《赤獅子》と競り合った事実は、後々のあなたにとっても良い材料になると思いますが』
「……俺はそういうことはわかんねぇ」
難しい……いや、難しくはないのだろうが、それはそれだ。
今必要なのはそういうことではなく、もっと単純なこと。
――勝つこと。
「ただ、今この瞬間は戦う。これからも、ずっと。――約束に手が届くまで」
『左様ですか。――武運を』
言葉を聞いた瞬間、〈毘沙門天〉が大きく跳ねた。振り抜かれる対艦刀。振り上げられるようなその一撃を、身を縮めて躱す。そのまま、〝海割〟を振り上げた。
だが、それは小太刀に防がれる。凄まじい金属音。だが、均衡は一瞬だ。
ギギッ、という鈍い音を響かせながら、〈毘沙門天〉が空へと駆け上がった。それを追うように〈ブラッディペイン〉の頭部が上を向く。
「――ふっ!」
眼前で火花が散った。受け止めようとした対艦刀と、振り下ろした〝海割〟の激突の結果だ。
甲高い金属音。〈毘沙門天〉は弾かれ、その足裏で地面を噛む。その時。
「おおっ……!」
護は、大きく両足を踏み込んだ。
カキン、という何かが嵌ったような音が響く。同時、護の体に凄まじいGがかかった。
〈毘沙門天〉――その背部に装備されている加速装置が点火し、轟音を響かせながら火を噴く。
生み出されるのは爆発的な加速力だ。速さとは力である。一瞬であらゆる神将騎を凌駕する速度にまで到達する〈毘沙門天〉の瞬間出力に勝てる神将騎は、この世に存在しない。
だが、〈ブラッディペイン〉は冷静だった。突如信じられない速度を弾き出してきた〈毘沙門天〉に対し、対艦刀を地面に突き刺して盾にすると、踏ん張る体勢に入る。
――轟音。
振り抜かれた一撃が、衝撃波を周囲に撒き散らした。雪が舞い上がり、一瞬、両者の力が拮抗する。だが。
「おおおっ!」
更に加熱するブースターが、更なる速度をたたき出す。結果、均衡が崩れ――
――〈ブラッディペイン〉が、対艦刀ごと吹き飛ばされた。轟音を響かせ、その機体が背中から地面へと落下する。
音が響いた。煙を吐きながら、空を舞う無数の小型爆弾がある。煙幕弾だ。準備とは、このことだったらしい。
また、同時に背後の山からも轟音が響いた。振り返れば、山の中腹――先程の遺跡があった場所から煙が舞い上がり、それをきっかけに雪崩が起きようとしている。
そして、護に通信が入る。
『撤退ですよ、少年。……出撃の際に言った場所へ』
「ああ」
頷き、護は煙幕でその姿を消そうとしている〈ブラッディペイン〉に背を向けた。そうしてからブースターを吹かし、全速力で退避する。
〈ブラッディペイン〉は動かない。仰向けに転がり、黙している。あれで潰れたとは思わないが、別にいい。
「…………!」
護は行く。真っ直ぐに。
避けられぬ戦いが、迫っていた。
◇ ◇ ◇
連続して通信が入る。あの機体がレーダーを振り切ったらしい。
そんなことをぼんやりと確認しながら、朱里はじっと灰色の空を見つめていた。〈ブラッディペイン〉――好きではないが、必要な戦争を生き残るための相棒から出ると、白い息を吐く。
彼の周囲は惨劇だ。雪崩や、破壊された神将騎。自身が粉砕した地面など、短い間に随分と荒らしてしまった。
だが、と男――朱里・アスリエルは思った。これでいいと。これが戦争だと。
『――大佐』
不機嫌そうに鼻を鳴らす朱里。その彼に無線で通信が入った。ソラだ。
『聞く必要ないかもですけど、ご無事で?』
「ソラか。ああ、問題ない」
『ほう……ならば敢えて問おうか。何故、逃がしたのかね?』
「……ドクター」
朱里は呟く。そう――朱里は、あの神将騎……〈毘沙門天〉を逃がした。一度しか見たことがなかったため、断定はできないがおそらく間違っていないだろう。
確実に殺せたかというと、微妙だが……何となく、以前のそれとは動きが違った。あのままやり合えば、押し込んで潰すことも可能だっただろう。
だが、それをしなかった。何故か。
「ソラ、ドクター。俺は戦争が嫌いだ」
『好きなのは変態と国の偉いさんだけでしょ?』
『私は好きだよ?』
『あんたは変態でしょうよ』
ソラの一言に、ドクターが笑う声が聞こえる。朱里は、だが、と言葉を紡いだ。
「俺には、戦争が必要だ。俺はこれしか知らん。だからこそ、俺は人を殺そう。あれはそのいい的だ。戦争になるためのな」
『……キミのそれは、妹君のためかね?』
「ドクター」
ドクターの言葉に対し、僅かに感情を乗せてそう言うと、朱里は無線を切った。
そうしてから、朱里は虚空を見つめる。
「……俺は、必ず」
背負うのは、たった一人の家族。
懸けるものは、命。
◇ ◇ ◇
格納庫で、アリスは俯いていた。彼女にも手伝えることはあるはずだが、小隊の外で手伝おうとすると露骨に嫌な顔をされる。故に、〈ワルキューレ〉が格納されている一番奥の一番隅で膝を抱えて俯いていた。
――私は……。
吐息のように漏れるのは、聞かされたスラムの状況だ。一部とはいえ、壊滅状態。そこに住んでいた者たちは、ほとんどが粛清という名目のもとに殺されたという。
あの場所にはいつも駆け寄ってくる子供たちがいた。正体に感づきながらも受け入れてくれた人たちがいた。
大切な――場所だった。
それなのに。だというのに。
――私は……。
何もできなかった。この国のために、人たちのために。そう思ってこちらに来た――いや、違う。そうやって誤魔化してきた報いが来たのだろう。
ソラは言った。そういう道を――自分を捨てて、国のために戦う道を選んだのだろうと。
私は頷いた。だけど、本当は違う。
ここにいる少女は――約束のために、彼と会うためだけに、その道を選んだのだ。
「私は……ッ」
呟きが漏れる。こんな時に泣けないのは、何故だろうか。
これが――人と関わることを避けてきた、傍観者の末路なのだろうか。
俯く思考。堕ちていく意識。
そこへ――
「……アリス」
名を呼ばれた。見ると、そこにいたのは一人の子供。
先程紹介された、ヒスイという女の子だった。
「……大丈夫?」
ヒスイが、首を傾げながら言う。アリスは苦笑した。
「大丈夫だよ。ありがとう」
こちらが座っているせいで、ヒスイを見上げる形になっている。苦笑しながら言った言葉を受け取り、ヒスイは頷くと、こちらの隣に座ってきた。身を寄せるように。
アリスは驚きながら、どうしたの、と問いかける。ヒスイは頷いた。
「……前に、教えてもらった。寂しい時、側にいると温かい」
「……そっか」
頷き、アリスはヒスイの頭を撫でる。ヒスイがこちらを見上げた。
「……アリス、くすぐったい」
「ごめんね?」
言いつつも、アリスは頭を撫でるのを止めない。そうしつつ、ああ、と思った。
こんなにも自分は弱っているのかと。多くのことが起こった中で、失って、こんな小さな子にまで気を遣われて。
駄目だな、と思った。
約束のために歩んできたのだ。今更戻れない。彼とは出会うことができた。今はまた離れたが……再び、会える日が来るはずだ。その時にこそ、約束を果たそう。
そして、想いを伝えよう。
私にとって〝特別〟な、あの人に。
隣にいるのが彼でないことに、少しだけ残念だと思った私は。
どこまでも浅ましいと、そう思った。
◇ ◇ ◇
「……それで、東へ?」
「ああ。俺のとこの参謀がそうしろって言っててな」
〈毘沙門天〉の内部で、強引に二人乗りをしながら会話する二人。護の膝上に女性が乗っている構図だ。
とりあえず東へ向かう――そう聞いた女性はふむ、と頷くと、承知しましたと微笑んだ。
「私はついて行きますよ。興味がありますし。……そういえば、名前を聞いていませんでしたね?」
「つかその前にもう少し離れろ大体当たってんだよ!」
「あら、当てているんですよ?」
「しがみつくな息を吹きかけるないいから離れろ――ッ!」
叫びがコックピット内に響く。クスクスと、女性が笑った。
「初心ですねぇ」
「うるせぇ。……護。護・アストラーデだ。妙なことになったが、とりあえず頼む」
「ふふっ。私は天音。出木天音です。先生と呼んでください」
微笑を浮かべる天音。護は、いいか、と言葉を紡いだ。
「こいつを貸してくれたのには感謝してる。けど、信用はできない」
「差し上げますよ、〈毘沙門天〉は。……ですがまあ、信用はしてもらわなくて結構ですよ。こういうのは後々してもらうものでしょうし。今は、利害の一致というだけで十全」
「ああ」
頷き、護は思う。
多くのものを失った。だが、ここからだ。まだ死んではいない。
氷原の餓狼は、生きている。
ならば、まだ――
……アリス。
あの場所にいるはずの彼女のことを思う。生きているかどうか、無事かどうか、不安は尽きない。
それでも今は、信じるしかない。
手を伸ばした先に、今度こそ掴むために。
戦争で狂わされた人生で出会った人を、取り戻すために。
掲げたのは、約束。
懸けたものは、命。
ようやく序盤戦終了……遅くなって本当にすみません。
全速力で進んできましたが、次回からちょっとだけペースダウンします。まあ、ウダウダ必要のない話をするのは好きではない上に得意ではないので、皆さんを置いてきぼりにしない程度に進んでいくと思います。
ではでは、謝辞を。
長々とすみませんが、読んでくださった方、ありがとうございます。わかりにくい点などがあれば遠慮なくお願いしますね?
感想など頂けると幸いです。
ありがとうございました。
そして次回からですが、できるだけ一週間以内に最低一話の更新を目指そうと思います。春休みに入ればもう少し早くなると思いますが……一月は少し忙しくて。
では、ありがとうございました。