追章 王の心、私の心
怨嗟の声が聞こえる。それは正確な音となって耳に届くわけではない。しかし――わかるのだ。
この戦場に漂う空気が。圧倒的なまでの、死の臭いが。
その全てが――語りかけてきている。
〝何故?〟
問いの全てはそこに帰結し、全てがそこから始まる。
何故、何故、何故――……。
一体、何度その問いを耳にしてきたのか。その問いを耳にする度に、私は決まってこう答えるのだ。
『理由を聞いたところで、あなたは納得できるのですか?』
結局は戦うしかないのであり、わかり合うことなどできはしない。ならば、その努力は全て無駄だ。
――わかっている。変わってしまったのは私だ。私が変わってしまい、彼らが正常なのだ。
けれど、それでも。そうであっても。
私はもう、ただ黙っていることはできなかった。
『彼ら』のように、『傍観者』でいることはできなくなった。
私の、世界。
愛しい、愛しい……蒼き惑星。
その全てを、守るために。
だから私は、ここに立つ。
凛と、毅然と、威風堂々と。
決して退かず、立ち続ける。
それこそが私の理由、そして存在の証明なのだから。
「世界に最早猶予はありません。死んでください。――かつて友だと信じた敵よ」
そして、私はこの手を振るう。
私が愛する、この世界を守るために――……
◇ ◇ ◇
朝日が昇り始める頃。不意に目を覚ました。人間を辞めたというのに睡眠が必要なのは本当に厄介だ。しかも今日は目覚めの悪い夢を見た。気分は最悪に近い。
「…………こういう日に限って、アキちゃんいませんしねー……」
誰がどう聞いても『不機嫌』と判断できる声色で、蒼い髪の少女――大日本帝国最高位、帝は呟く。《七神将》第一位、《武神》藤堂暁。彼女の名を知る数少ない人間の一人であり、同時に大日本帝国の首都である古都・京都周辺――近畿圏を預かる彼はそれなりに多忙だ。
とはいえ極稀に彼はここ御所に泊まっていくのだが……今日はその日ではない。
未だにハッキリしない思考を揺り起こし、帝は立ち上がる。気分は最悪だが、それで仕事をサボれるような身分ではない。……別にサボっても優秀な部下たちがしてくれるのであろうが、まあそこは気分の問題だ。
「《七神将》の席も全て埋まりましたし、やることは山積みです」
呟くその言葉は、どこか弾んでいる。当たり前だ。ようやく、本当にようやく。久遠のように永い時の間抱き続けてきた悲願を達成できるのかもしれないのだから。
それを確認すると、手早く着替えて帝は部屋を出る。まずは国内の整備が急務だ。長期戦になればどれだけ自国の力が持続するかの勝負になってくる。時間はたっぷりある――というわけではないが、それでも今はまだ余裕がある。そのうちに基盤の整備はしておきたい。
そう思い、廊下を歩いていく帝。その途中で、一つの人影を見つけた。
「……千利?」
「おお、陛下。早いですな」
そこにいたのは、御年八十八を迎える大日本帝国軍最高齢の将軍だった。《七神将》第六位、《帝国の盾》とも呼ばれ、暁の祖父である先代《剣聖》藤堂玄十郎の盟友でもある人物――紫央千利。その人物は笑みを浮かべ、こちらを見ている。
帝は千利の傍まで歩み寄ると、それはこちらの台詞です、と言葉を紡いだ。
「あなたが今日ここに来る予定はなかったと思うのですが……」
「仰る通り、公務としてはございませんな」
「ならば何故? あなたの管理地域である中国地方はどうしたのです?」
「無論、部下に任せてきましたとも。いつまでも私のような人間が全てをこなすわけにも参りませんのでな」
「成程」
どうやら千利は考えがあってここへ来ているらしい。別に彼の能力を疑うわけではないが、彼の仕事を疎かにしていないのならそれでいいと帝は判断する。まあ、最初からその辺りの心配などしていないのだが。
「では、何の用なんです? 千利、あなたがわざわざサボるためにここまで来たとは思えないのですが」
「それは勿論。ですが……ふむ、そうですな。陛下、私と一局指しませんかな?」
そう言って千利が取り出したのは将棋盤だった。今二人がいるのは御所の外郭。縁側のような場所だ。まだ日が昇っていないこともあって肌寒さを感じるその場所で、千利は対局をしないかと提案してくる。
帝はんー、と一度唸った後、承諾した。千利が伊達や酔狂でこんなことをするとも思えない上に、彼と将棋を指すなどいつ振りかわからないほどに久し振りだ。断る理由はない。
「構いませんよ。……ハンデは?」
「昔は頂いておりましたが、もう必要ないと申しておきましょう」
「それは重畳」
互いに正座し、向き合う。駒を並べてから軽く一礼すると、帝の方から将棋の駒を動かし始めた。
パチン、という音がリズムよく響いてくる。その中で、千利がおもむろに言葉を紡いだ。
「陛下。新たに迎えたあの二人……どう思われますかな?」
「〝死〟を背負うというあの二人ですか?」
「ええ、そうです。実力は認めましょう。片方は武に、片方は智に秀でた英傑。噛み合うのであれば間違いなく我が国の戦力となります」
「ならば問題はないのでは?」
「陛下。無礼を承知でお聞きします。――何故、斬り捨てなかったのです?」
バチン、という鋭い音と共に千利が駒を進めた。帝はそれを一瞥すると、静かに手を進める。
しばらく、無音のままに対局は進んだ。その最中、不意に帝が言葉を零す。
「……あなたたちの力は信用していますし、信頼しています。あの二人を引き入れずとも救済を達成できる可能性は確かにありました。それは間違いありません」
「ならば、何故? あの二人――特にソラ・ヤナギについていうならば、信用は出来ても信頼はできない男。あの男はいずれ必ず、こちらに仇名す毒となります」
「それでも、です。かつてその策謀で我が《七神将》の内の二柱を封じ込めた智謀。もう一人は文字通り『英雄』の如く祖国を救済した英傑。あの二人が加わるのであれば、救済の道筋はずっと楽になる」
「しかし、リスクが大き過ぎますぞ」
「それも重々承知です。しかし、千利。これは決して失敗できぬ道。過つことは許されぬ道なのです。可能性を僅かでも……それこそ数%でも上げられるのであれば、そのための努力を欠かすわけにはいきません」
人事を尽くして天命を待つ――言うは容易く、成すは難き事柄。
悲願であるからこそ、そうであるからこそ、実現のためにできることは全てやらなければならないのだ。
それに、もう一つ。
あの二人を引き込んだのには、理由がある。
「それに、千利。私は試したいのですよ。私の成すことは、私たちの成すことは本当に正しいのかどうか。私は王であるからこそ、常にそれを問わねばなりません。あの二人は指標です。もし我らの道が過っているというのなら、あの二人にその道を阻まれる。そして阻止される。それでいいのです」
「……陛下。あなたには迷いがあるのですか?」
「ありませんよ? しかし、正しいか否かは迷いがあるか否かと同義ではないのです。無論、敗北する気はありません。あの二人が立ち塞がるなら、その息の根は必ず止めましょう」
パチンという乾いた音が響くと同時に、帝はそう言葉を締め括る。そう、これこそが自分に課した枷。
不確定因子を組み込むことで救済の可能性を上げ、同時に自分自身を試す。
傲慢だろう。他者から見ればおごり以外の何物でもない。
――しかし、そうしなければ。
自らに問い続けなければ、自分に『帝』を名乗る資格はない。
「……申し訳ありませぬ、陛下」
両の拳を床に着き、千利が深々と頭を下げた。そのまま、千利は言葉を続けていく。
「私が間違っておりました。やはり、あなたが王だ。あなたこそが、民を導く至高の王であらせられる」
「私は象徴に過ぎません。私が真に完全なる王であったなら、人はこれほどまでに苦しんではいませんから」
立ち上がる。その帝に対し、陛下、と千利が言葉を紡いだ。
「この不肖、紫央千利。未熟の身ではありますが、この身朽ちるまでお仕え致します」
「私の命令はいつだって一つです。――勝ちなさい」
そして、帝は千利へ背を向ける。その際、思い出したように彼女は千利へと問いかけた。
「そういえば、将棋はどうします?」
「投了です。……十二手前より、決着は着いていました」
「それはそれは」
一つ、微笑を零し。
帝は、今度こそその場を立ち去った。
◇◆◇◆◇
久方振りに再会した相手は、何も変わっていなかった。あの時の命令を――悲願を。このあまりにも残酷で、同時に無様な世界で実行しようとしていた。
……いや、変わるはずがないのだ。変わりようがないのだ。
変わってしまった私こそが異常なのであり、異端。それだけの話。
まあ、だからといって今更止まる気もないのだが――
「貴様――正気かッ!?」
その右腕を奪われ、その腹部に風穴を開けた男が吠えている。私は、そんな男に対して冷笑と共に言葉を紡いだ。
「正気なんて、私たちの前に意味があるものですか? 正気の全てを投げ捨てたからこそ、私たちは〝バケモノ〟になったのでしょうに」
「違う! 我々は《調停者》だ! №13――貴様は我々の役目から逸脱している!」
「その名前、嫌いなんです。――やめてください」
踏み込むと同時に、全力で蹴りを相手に脇腹へと叩き込んだ。相手はその衝撃を堪えることができず、壁に激突する。
滴るのは、鮮血の滴。まるで人間のような、朱の液体。
しかし、その腕の隙間から見えるのは人間のものではない。機械の骨子――人の皮を被った内側に隠れているのは、人を捨てたバケモノの証。
「それに、そもそも私たちに与えられた役目は人々を導くことであったはず。導くと見守る――この二つの違いは、存外大きいものですよ?」
「貴様の行為は『支配』だ! マスターは我らにそんなことを望んではいない! あのお方は――」
「――マスターは、世界が大好きだったんですよ。それはもう、あまりにも無様で醜くなり過ぎたが故に滅ぼしてしまう程に。そして同時に、人間という存在が大好きだった。憎悪と愛情は表裏一体。本当にその通りですよね。マスターならば、あの人ならば……人類という存在を滅ぼすことさえできたのに」
思い出すのは、いつも泣いていた優しい男の背中。
全てに絶望し、壊れ果て、その果てに滅亡を選んだ男の姿。
それでも尚、彼は人類に救いを求めていたのだから……本当に、救われない。
「それを……それをわかっていながら! 何故だッ!?」
相手は吠える。本当にわからないとでもいうかのように。
私には、その言葉こそ理解できないのに。
「――私はもう、疲れたのですよ」
私の理由は、この一言で説明できる。
そう……疲れた。
信じることも。見守ることも。
――耐えることも。
「信じ続けました。祈り続けました。導き続けました。しかし、人は過つ。どれだけの時間が経とうと、結局は人類の根源たる慾――〝アンリミテッド・デザイア〟に抗うことはできません。国が滅び再び王を立てるための戦が起こり、そして僅かな平穏の後に国が滅びる……これの繰り返し。酷いものです」
「だが、それは歴史の上で必要なことだ! 争いの歴史を経て人は学ぶ! 学んでいく! いずれ全ての人間による民主政が立ち上がる!」
「――王無き国が百年以上保てた事実は存在しません」
断罪の言葉を継げるように、私は言う。
真実の歴史を知るからこそ、知る者同士であるからこそ、その事実を。
「それに、結局神将騎も戦争の抑止力になりませんでした。……笑ってしまいますよね? 〝奏者〟という人身御供を用意することで戦争を代理戦争化しようとしたというのに、蓋を開けてみればただ古代遺産として大量破壊兵器が各国に配布されただけ。それどころか神将騎の納められた遺跡さえ見つけられればどのような国でも戦力増強ができるようになったせいで、かつての歴史よりも酷い状況になっています」
右手に持った日本刀を、相手の鼻先へと突きつける。
本来なら久し振りの再会とも呼べる状況だ。もっと何かしらの感情と言葉が出てきてもおかしくはないだろう。
しかし、何のことはない。
言葉など――出ては来なかった。
「ご安心を。世界は私が救います。知っているから求める。ならば――知らなければ何も求めない」
それが救済だと、私は告げて。
友と呼んでいたはずの相手に、全力で刀を振り下ろした。
◇ ◇ ◇
やはりというべきか、中庭にその女性はいた。まるで風景に溶け込んでいるかのように自然に座す、一人の女性。
――出木、天音。
その名と《女帝》という称号こそ知られているものの、その姿を知る者は他国にはほとんどいない人物。故に謎多き英雄と知られる彼女だが、それは当然だ。そもそも大戦において彼女が最前線で自ら敵を屠ったことなど十に満たない回数しかなく、その武勇のほとんどはその知力によるものであるからだ。
更に言えば、彼女が最前線に出る時は愛機である〈金剛夜叉〉で出陣することが多く、生身ということはまずあり得ない。
それに。
彼女が生身で戦場に出た数少ない戦闘では、敵の生存がただの一人も確認されていない。出会えば死ぬ――戦場における一種の『伝説』となった者。それこそが、大日本帝国の《女帝》なのだ。
「相変わらず、どこにでも現れる人ですね」
「どこにでも、というのは語弊がありますね。私は一人かいません。故に私がいるところに私がいる――ただそれだけですよ」
まるで死者が息を吹き返したかのような感覚を受ける。世界の一部に溶け込むようにしてそこにいた彼女は、そこで初めて人となった。
気配を消す、ではなく溶け込む。それをこうも自然に、それも本を読みながらやってのける人間がどれだけいるというのか。彼女自身は武芸の才能が乏しいというし、実際に正面から肉弾による戦闘を行えば《七神将》においても最弱のそれだろう。しかし、帝はそれに一つの条件を付ける。――学べなかったから、と。
武道とは幼き頃からの積み重ねだ。《剣聖》も、彼女ほどの才能があっても相応の時間をかけて今の領域にいる。暁はある種例外だが……それでも彼は彼の流儀で鍛錬を行ってきた。師事する者のいない中で《剣聖》を越えるほどの実力を身に着けるのは異常だが、しかし裏付けはある。
――だが、出木天音にはそれがない。
吉原。今や合法的な風俗街にして一種の治外法権と化しているあの場所において、生まれた時より奴隷であることを義務付けられた存在。そんな彼女が人殺しの術を理解しているはずがなく、それどころか人を率いる術さえ知らないはずだった。
しかし、彼女はこの国において真の意味での最底辺から這い上がり、ここにいる。時代が時代であり彼女が宗教でも興せば『聖人』とでも呼ばれていただろう。
もっとも、その『聖人』が『狂人』であるという笑えないオチがつくのだが。
「そうであったとしてもです、天音。吉原にいるべき――というより、私が預けた領地である関東にいるべき貴女が何をしているのです?」
「私がいなくても特に問題はありませんので。氷雨はよくやってくれていますし、二年前に私が残しておいた部下たちも健在でした。この三か月、色々と見て回りましたが……問題は特にありません」
「それで各地を放浪していると? 聞きましたよー? また彼恋のところで遊んでいたって」
「北陸は中華帝国との国交における拠点ですので、世界の情勢を知るには一番なのです。おかげで色々なことが聞けました。非常に有意義な時間でしたよ」
「それはそれは。何か面白いことはわかりましたか?」
「――シベリア・ドイツ・エトルリアの正式な同盟」
天音は静かにその言葉を口にする。その表情には笑みが浮かんでいるが、その笑みがどういう意味なのかはわからなかった。
そう、わからない。
幾億の人間を見てきた帝でさえ、出木天音の真意だけは読み取れないのだ。
「……それについての報告は来ています。今は確か、かつてのあなたの部下でもある蒼雅隼騎が確認を含めてEUに飛んでいるはずですよ?」
「それは残念。彼には色々と言っておきたいことがあったのですが……主に彼の結婚について」
「予定では一年後ですね。公式発表はもう少し早いでしょうけど。……そういえば、天音は彼を『食べた』ことは?」
「それなりに食指は動きましたが、ああ見えて身持ちが固く。未遂です」
「……そういえば本郷正好があなたを嫌いなのは……」
「まあ、食べましたし」
フフッ、と微笑む天音。その表情は妖艶で、帝はらしくないとは思いつつもため息を零してしまう。
「前から思っていましたが、操を立てるという発想は……」
「娼婦に何を求めているのですか? 木枯のように清廉潔白な生き方ができていれば違うでしょうけれど……それに、死んだ人間に操を立てるというのも妙な話です」
出木天音が愛した男。かつて《極東無双》とまで呼ばれ、当時においては事実上大日本帝国における『最強』の座にいた人物。
無論、帝も彼については覚えている。木枯と同じような『侍』でありながら、柔軟性も持ち合わせた完璧な武人。いや、弱点があるとすればその『優しさ』か。結局、それ故に彼は天音に殺されたのだから。
互いが互いに殺してもらうために戦った、二人の英雄。
その姿を――かつて見たこともないその姿を見たからこそ、帝は天音に興味を持ったのだから。
「面白きことなき世を面白く。私の理由はそれで充分です」
「その言葉がどうも信用できない私はおかしいですかねー?」
「いいえ? 理由は一つでなければならないルールはない。それが真実です」
「あなたとの会話は面白いですが疲れますね」
「それはお互い様ですよ。歳をとったものです」
「私はまだ若いですけど」
「どの口が言いますか」
天音が言い返し、そのまま彼女は手元の本へと視線を移す。帝はそんな彼女へと問いかけた。
「そういえば、何の本を読んでいるのですか?」
「ああ、これですか。大したものではありませんよ。『社会心理学』。ただの学本です」
「それで、何かわかりましたか?」
「人の心が難解だということはわかりますね」
その言葉にはこれ以上ないくらいに納得できた。
確かに人の心というのは難解だ。自分自身の心さえまともに理解できないのだから。
そして、ふと浮かんだことを口にする。
「……半分とはいえ、やはりあなたはあの《殺人鬼》の姉でもありますね。思考回路が似ています」
「まあ、正直勘弁して欲しいところですが半分は同じ血が流れていますので。奏は木枯と似ていましたが、絶は間違いなく『こちら側』でしょう」
「他には誰が?」
「――目の前」
その言葉に、ふむ、と頷く。
確かに、否定の要素はなかった。
◇◆◇◆◇
「――私が人を知らない?」
「そうだ。貴様は人を知らん。……答えてみろ。貴様はどれだけの人間を知っている? どれだけの顔を思い浮かべることができる? 貴様の思い描く世界に、どれだけの顔と名を知る人間がいる?」
「…………」
「答えられないか。それが貴様の欺瞞だ。貴様の言う世界には――」
「――何を言うかと思えば、滑稽ですね」
「……なんだと?」
「滑稽だから滑稽だと言ったのですよ。私の前でわざわざ論理を振りかざすからどれだけのモノかと思えば。これほどまでに幼稚な論理だとは」
「幼稚だと? ならば貴様は何を以て人類の支配などと口にする!?」
「順を追って論じさせていただきましょうか。まず、あなたの理論は『王』の論理ではありません」
「何ッ?」
「王とは、非情なる決断も下さねばならぬ存在。時にはその身を削り、自分自身がありとあらゆる謗りを受けることさえも引き受けなければなりません。そんな存在が、個人の名前を知る?――片腹痛い。情など不要。知れば振り下ろす刃が鈍ります。ならば、知らぬとも充分」
「それは暴君の論理だ!」
「暴君とて王。いいですか? 理想の王を決めるのはその時代の人間ではありません。百年、二百年。あるいは千年後の人間です。そしてそれ故に『理想の王』はこの世のどこにも存在しない」
「人の自由を許さぬ王のどこが理想か! そのような暴君が治める国など崩壊する未来しかない!」
「民の声を聞く王こそ国を滅ぼします。歴史上、そのような例はいくらでも存在します。そもそも私たちは『民主政』という言葉の愚かさを誰よりも知っているでしょう?」
「そ、それは……」
「王は必要なのです。そして、この国における王とは私。ならば、私の答えこそが是であり真実」
「……これ以上は無駄のようだ」
「そうですね。学ばぬ相手と問答するのは疲れるだけです。それでは――」
目の前の男を見据え、私は静かに言葉を告げる。
「――邪魔者には死んで頂きましょうか」
◇ ◇ ◇
古都・京都。その北部にある山の一角に、その小さな小屋はある。
外見は文字通りの掘っ立て小屋のような家屋だ。古くなって誰も使わなくなった倉庫――その表現が何より合っていると言えるだろう。
その小屋を見て、帝は相変わらずですねー、と呟いた。そのまま帝は小屋の戸を開けようとする。
――しかし、その前に。
「みなも。何をしている?」
彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。現在の大日本帝国において、彼女の名を知る人間は十に満たない。更に名前で呼んでくる相手といえば、一人だけだ。
「アキちゃん」
自身でも頬が緩んでいることを自覚しながら、帝は振り返った。そこにいたのは、精悍な顔つきをした少年だ。
――藤堂暁。
齢二十に満たぬ身でありながら、彼女の知る人間においては間違いなく『最強』である存在。《武神》という最強の称号に恥じないだけの力を持つ《史上最高の天才》は、苦笑と共にこちらへと歩み寄ってくる。
「どうしたんだ? 伝えてくれれば迎えに出たのに」
「驚かせようと思いまして」
「ああ、少し驚いた」
頭を撫でてくれる暁に、帝はまるで猫のようにすり寄る。密着することで感じる汗の匂いが心地良い。どうやら鍛錬の後のようだ。
そのことに気付いたのか、暁がすまない、と軽くこちらの体を抱きながら言葉を紡いできた。
「先程まで鍛錬していて……汗臭いだろう?」
「……いいえ。良い匂いです」
「……そっか。ありがとう」
抱き締められ、体が暁の匂いで包まれる。柔らかくて、優しい匂い。自分の全てを知り、その上で側にいてくれると――守ってくれると言ってくれた彼が、どうしようもなく愛おしい。
ゆっくりと顔を上げる。――視線がぶつかった。
――唇が触れる。
優しくて、甘い感触。
「アキちゃん……」
「ん、みなも……」
名を呼んでくれることが、こんなにも心地いい。名を捨てたと思いながらも、それでも自分の名前なのだ。
どれぐらいそうしていたのか、しばらくすると暁が手を離してきた。いつまでもこうしているわけにはいかない以上、仕方がないこと。しかし、それでも帝は不満げに声を上げる。
「むー……」
「仕方ないだろう? いつまでも外で抱き合ってるわけにもいかない。……中に入ってくれ。大したものはないが、食事ぐらいならすぐに出せる」
「……はーい」
頷くと、暁がこちらに背を向けた。それを隙と捉え帝はその腕へと飛びつくようにして絡みつく。
「っ、と。結局これか」
「避けないんですね? 嬉しいですか?」
「避ける理由と嬉しくない理由。どっちもないだろう?」
正面から愛の言葉を囁かれたわけではない。だが、嬉しい。
彼の温かさが……どうしようもなく、愛おしい。
扉を開けて、二人は中に入る。見慣れた部屋。帝が用意した少し大きめのベッド以外に特に高級なものはない、本当の意味で質素な部屋がそこにはある。
人一人が住むにしても少々狭い上に、決して清潔とも呼べない部屋。一国の軍隊、その総大将が住むにはあまりにも貧しい部屋なのだが、暁も帝も気にした様子はない。
しかし、気にしてはおらずとも帝は暁へと提案の言葉を口にする。
「御所に部屋ぐらい用意しますよ?」
小さな机の側に座りながら、何かを用意している暁へと言葉を紡ぐ。だが、返答は聞くまでもない。
「俺にはここが分相応だ。……これぐらいの方が良く眠れる」
「御所は居辛いですか?」
「答え難いことを聞かないでくれ」
暁は苦笑を零す。帝もそんな彼のこの返答はわかっていたので、すみません、とだけ返答した。
――藤堂暁は禁忌の子供である。
大日本帝国の部の頂点たる一族、『藤堂家』。その直系の兄妹の間に産まれた不義の子供。それが彼だ。故に彼は本来ならば祝福の下に産まれてくる子供であったはずだというのに、迫害に晒され続けた。
そしてその果てに彼は彼を迫害した藤堂家本家の人間を皆殺しとし、玄十郎から当主の座を引き継いで今の地位にいる。
そんな彼が地獄を見た時間は決して短くない。そしてその期間の長さ故に、未だに御所ではよく眠ることができないのだ。
「みなもが一緒ならそれなりに眠れるが……な」
「……うん」
正面ではなく、隣に座った彼の肩へと頭を預ける。本当に温かい。人の温もりなど、彼と出会うまで久しく忘れていた。
目を閉じる。静かに。
このまま微睡へ落ちていくのは、いつものことだ。
「……ねぇ、アキちゃん」
「なんだ、みなも」
名を呼ぶことが、名を呼ばれることが。
本当に……幸せだった。
「私を、支えてくださいね?」
「当たり前だ」
唇に、柔らかなものが触れ。
二人の身体が、静かに床へと倒れ込む。
互いに互いを強く抱き締めるその姿は。
ただの、愛し合う男女の姿。
「――ありがとう」
幾度目かもわからない言葉を紡ぎ。
私は、微睡の中へと堕ちて行った。
◇◆◇◆◇
「俺が側にいる」
「…………」
「全てを知ったその上で、お前の理想を俺も追うよ」
「……茨の道ですよ?」
「それをお前は一人で歩いてきたんだろう? 遅くなったが……俺が隣で支えるよ。俺をお前が支えてくれたように」
――ねぇ、アキちゃん。ううん、暁。
私がどれだけ嬉しかったか、あなたにわかりますか?
あなたを救ったのは気まぐれで……けれど今は、救えた奇跡を誇りに思う。
頑張ろう。
やっと、世界を救える。
私の役目も、これで終わる。
そしたら。そうすることができたなら。
――一緒に死のうね?
ずっと、ずっと一緒にいるために――……
というわけで、『英雄譚』最大の謎の人である『帝』こと『水姫みなも』の短編です。途中の会話や状況についてはいずれわかるかも。……難しくないので想像は容易いかもしれませんが。
そして、最後はもう何かあの二人のいちゃつきが止まりそうになかったのでこの辺で。
……『甘い』というのも今後の努力材料ですね。いずれ砂糖吐くようなモノを書きたいものです。
そして、『民主政』についてですが、別に作者である私は否定してません。この間メッセージを頂いたのですが、私は自由が好きなので民主政賛成、万歳の人です。ただ、それだけではない論理もあるよというだけで。
さてさて、今回の短編含めてあと三つか四つほど書く予定です。リクエストがあれば是非。
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!
……この作品、恋愛要素はあるのにラブラブしてる連中ほとんどいない……。