第十七話 終わりの始まり
大日本帝国の英雄たち。《七神将》。その全員が誉れ高き武人であり、一騎当千の力を謳われる猛者である彼らの力を疑っていたわけではない。
アリス・クラフトマンは今まで多くの『英雄』を見てきた。戦いもしたし、言葉も多く交わしてきている。彼女にとって一番大切な人――護・アストラーデもその一人だ。
彼女と今共闘するアーガイツ・ランドール――アランもその護と並ぶ実力を持つシベリア救国の英雄の一人であるし、ここに自分たちを逃がしてくれた《赤獅子》朱里・アスリエルは尊敬すべき英雄だ。《女帝》出木天音については、未だに底の見えない人物でもある。
更に言えば、イタリアの英雄……自分のような人間を重用してくれたソラ・ヤナギもまた間違いなく英雄の一人。
そして、英雄を知るからこそ彼女は覚悟をしていたはずだ。
――その強さを。
底の見えなさを。
覚悟して、受け入れて、それでもどうにかできる可能性を見つけようと思ってここに立った。
なのに。
だと、いうのに。
「……強過ぎる……!」
反応さえも許されない、文字通り神速の抜刀術。追えるのは、僅かな白銀の軌跡のみ。
避ける方法はただ一つ。刀を抜くその瞬間に、全力でその攻撃範囲から逃れること。
『どうした?――逃げてばかりでは私の首は獲れんぞ!』
鋭い音が響き、地面に斬撃の痕が入る。大日本帝国が誇る《剣聖》の力は、文字通り怪物のそれだ。
大日本帝国《七神将》第二、第三位同時襲名。《剣聖》神道木枯と、その愛機たる〈村正〉。
かつて護の駆る〈毘沙門天〉と相対した時に見た力は、所詮その実力の片鱗に過ぎなかったのだと――心の底から理解させられる。
力の差がどうという話ではない。アリス・クラフトマンは、その生涯において敵に対し初めてその感想を抱いた。
――勝てない。
あまりにも簡潔で、絶対的な答えを。
「――――ッ!?」
退避が間に合わず、主武器であるツインブレイド――〝デュアルファング〟を盾にする。通常なら刀の一撃くらいは耐え切れるはずの強度を持つ、アリスの武装。
しかし。
刀術を極めし《剣聖》は、『防御』さえも許さない。
ゾンッ、という、思わず身震いするような音が響き渡り。
――〝デュアルファング〟と左腕が、斬り飛ばされた。
『……生半可な防御では我が刃は防げん』
カチン、という、刀が鞘に収まる音が届く。
〝デュアルファング〟と斬り飛ばされた〈スノウ・ホワイト〉の左腕が地面に落下し、鈍い音を立てた。
――斬られる。そう思った刹那。
『跳べ!!』
無線を通じ、その一言が耳に届けられた。アリスは咄嗟に機体を操作し、事後のことを考えずに空へと全力で跳躍する。
〈村正〉がそんな〈スノウ・ホワイト〉を追って視線を上げた。しかし、追うことはしない。
――轟音。
〈スノウ・ホワイト〉の背後から放たれた砲撃が、〈村正〉を爆炎で飲み込む。アリスが背後へ視線を向けると、そこにいたのは二門の砲門を背負った一機の神将騎。
シベリア連邦国王親衛隊総隊長、アーガイツ・ランドールが駆る神将騎――〈セント・エルモ〉だ。
爆音が響く中、アリスは機体を後退させる。完璧な援護射撃だ。あの咄嗟の指示がなければ、今頃殺されていた。
『油断するな!! 前だッ!!』
礼を口にする前にアランが叫ぶ。眼前、炎が揺らめく爆炎を反射的に見据える。通常なら討ち取っていてもおかしくはない一撃。しかし、相手は《剣聖》だ。
かつては《抜刀将軍》とも呼ばれ、圧倒的な力を発揮した人間を――侮るわけにはいかない。
目を凝らす。意識を研ぎ澄ませる。迎え撃つため、隻腕となった機体で前を見る。
――だが、正面から《剣聖》が現れることはなかった。
『――――ッ!?』
無線から驚愕の気配が届き、同時に爆音が響き渡る。続いて表示されるのは、『Lost』の文字。
振り返る。視界に入るは、一つの現実。
――胴体から両断され、二つの砲門が斬り飛ばされて爆発した状態の〈セント・エルモ〉と。
その傍らに立つ、〈村正〉の姿。
『砲撃は失敗だったな。貴様らの視界が潰れている間に全速で移動すれば背後ぐらい容易く取れる』
呆れを交えたような、その言葉。そこには明確な落胆が込められている。
この程度かと。
こんなものなのかと。
それは侮辱であり、誇り持つ者なら激昂するのが道理ともいえる言い回し。だが、アリスの思考には最早言葉は入って来ない。
「……う、あ、ああっ……」
自身がアランを守り、アランがそんな自分を守る。密な訓練をしたわけではなかったが、そういう連携を行っているはずだった。
それなのに、現実はどうか。
自分は素通りされ、アランは倒された。
守ることが――できなかった。
〝レイラさん!!〟
わかり合えたかもしれないあの人が殺された時の絶叫が、脳裏に響いた。
また失った。
また守れなかった。
どうして――私は。
「う、ぐ、うううっ……!」
左手を隠していた手袋を取り去り、上着を脱ぎ捨てる。
晒された左腕は、最早人の肌の色をしていない。どす黒い、漆黒の肌。あまりにも醜い、力の代償。
望んだのは、力のはずだ。
守るための、力のはずだ。
前だけを見続け、進み続けるあの人の――護・アストラーデのようになるために。
生きていくために――力を望んだのに!!
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!」
絞り出すような絶叫が迸る。目の前がスパークし、ただ、前へ進めと魂が叫ぶ。
全力で地面を蹴り飛ばし、突き進む。眼前、〈村正〉が二本の腕をそれぞれ二本の刀の柄へとかけた。
『感情のままに進んだ先にあるのは――死だ』
そして、神速の絶技が放たれた。
結果は――明白。
その胴を分断され、刃を届けることなく〈スノウ・ホワイト〉が沈黙する。
『それでは、城攻めに参るとしよう』
薄れゆく意識の中。
最後に、そんな言葉だけを耳にした。
◇ ◇ ◇
世界最強の神将騎――〈ブリュンヒルデ〉。
そう謳われる理由は、現行ではまだ机上の空論である『飛行』という技術を体現しているが故だ。アメリカでは有人飛行に成功したという話を聞くが、実用にまで持っていくには数年かかるとのことらしい。
――俺は技術的なことは一つもわからないから、どうとも言えないが……。
大日本帝国《七神将》第一位、《武神》藤堂暁は自らの相棒たる〈大神・天照〉の中で一人呟く。僅かに浮いた状態でこちらから距離を取り、佇む〈ブリュンヒルデ〉。成程、確かに威圧感はある。
そもそも、『空を飛べるだけ』では『最強』とまでは呼ばれない。確かに厄介な能力ではあるし、『制空権』などという言葉が生まれた理由はあの〈ブリュンヒルデ〉が突破できないからこそ生まれたのだ。まあ、確かに神将騎の破壊力で空を飛び回り、本陣を直撃でもされれば面倒この上ない。
しかし、そうではない。〈ブリュンヒルデ〉の力には、まだ秘密がある。
「操れる人間がいるのかは疑問だが、出来れば回収しろとみなもは言っている。……所詮は『人形』。殺さず倒す方法など無限にあるぞ」
その言葉が届いたのか、そうではないのか。
〈ブリュンヒルデ〉が舞い上がる。そして幅広の大剣を抜き、まるで騎士のような構えを取った。
――上がって来い。
まるで、そう言っているようにも聞こえる仕草。……成程、こちらのことは『知っている』ということだ。
「できるだけ隠せと言われていたが……もう、必要ないな?」
呟き、そして地面を蹴る。同時、〈大神・天照〉が背負う円環が唸りを上げた。
僅かに光を放ち、振動する円環。そのまま、〈大神・天照〉が浮遊する。
――戦場の動きが、止まった。
世界に一機しか存在しないとされていた、〝空を飛べる神将騎〟。それが〈ブリュンヒルデ〉だ。エトルリアとシベリアが最初に大日本帝国と渡り合うという方針を打ち出した時、最も頼りにしていたのも〈ブリュンヒルデ〉である。
空を飛べるからこそ、空間挙動ができるからこそ強い。
――だが。
今ここに、そのアドバンテージと真っ向から渡り合う神将騎が現れた。
それも、『最強』が駆る神将騎として。
「…………」
戦場の空気が止まる。少なくともここで、一つの結果が現れる。
そう……本当の『最強』は誰なのかという、答えが。
「――――ッ!!」
最初に動いたのは〈ブリュンヒルデ〉だった。大剣を振りかぶり、叩き付けるようにして振り下ろしてくる。暁はそれを後退することで紙一重で避けると、刀を一本、まずは『草薙剣』と銘打たれた刀を居合の型で抜き放った。
しかし、それは剣を振り下ろす勢いそのままに〈大神・天照〉の下へと〈ブリュンヒルデ〉が急降下したことで避けられる。
視線を下で。見れば、剣を持たぬ左腕で〈ブリュンヒルデ〉がアサルトライフルを構えていた。
ばら撒かれる弾丸。避けるという選択肢を取る暇はない。刀の切っ先を下に向け、暁は全速力で下へと降下する。
弾丸が掠め、〈大神・天照〉の肩の装甲を一部、削り取った。空中で、しかも咄嗟の射撃であるせいで命中精度は低い。だが、それよりも。
――機体を傷つけられるのは、二年振りか。
二年前、死力を尽くして殺し合ったガリア連合の総帥。あのふざけた男以来の結果に、暁は口元に思わず笑みを浮かべる。
「久々に――楽しめそうだな!!」
突き刺そうとした切っ先が、僅かな手応えを伝えてくる。ギリギリのところで避けた〈ブリュンヒルデ〉。右腰のアーマーを貫き、割った。
そこへつけられていた予備弾倉のいくつかが剥がれ落ち、地面へと落下する。だが、〈ブリュンヒルデ〉にそれを回収する意思は見られない。
それどころか、〈ブリュンヒルデ〉は左腕のアサルトライフルを投げ捨てた。もう一丁ハンドガンが腰に装備されているはいえ、銃を捨て、両腕で大剣を構える姿を見ればその意図は容易に理解できる。
「成程、斬り合いの方が勝算ありと判断したのか?――人形」
暁の言葉は相手に届いているはずだ。しかし、やはり返答の言葉はない。
言葉はなく――あるのは暴力。
一気にトップスピードを出し、突進してくる〈ブリュンヒルデ〉。流石に最大速度では適わない。停滞が難しい代わりに、速度と出力を求めたのが〈ブリュンヒルデ〉の飛翔器だ。
対し、暁の〈大神・天照〉は速度の代わりに『自由』を追求した。文字通りの空間戦闘を行うための機体。速さと出力を犠牲に、空を自在に駆け抜ける力を得ている。
どちらが上位というわけではない。ただ、方向が違うだけ。
そしてそれが、一つの結果をここに産む。
――衝突。
鈍い金属音が響き、同時、〈大神・天照〉の左肩を大剣が貫いた。だが、腕を捥ぎ取るには至っていない。
浅い。そう判断したのか、〈ブリュンヒルデ〉が大剣を引き抜こうと腕に力を込める。しかし、その選択は悪手だ。
「――この距離なら、逃がさない」
直後、〈大神・天照〉が全力で〈ブリュンヒルデ〉の顎を蹴り上げた。仰け反る機体。そのまま、〈大神・天照〉は空中で機体を縦に一回転させ。
そして――踵落としを叩き込んだ。
轟音が響き、〈ブリュンヒルデ〉がうつ伏せの状態で地面に倒れる。その背中に、暁は上空から全力で急降下すると共に『草薙剣』を突き立てた。
深々と突き刺さった刀により、串刺しの状態になった〈ブリュンヒルデ〉。その姿を見降ろし、一瞥と共に暁は一つ、言葉を紡ぐ。
「人形には、この程度が限界だ」
◇ ◇ ◇
大日本帝国が誇る二人の絶対的な英雄。
《武神》藤堂暁。
《剣聖》神道木枯。
共に公式の記録上において無敗を誇り、《武神》に至っては非公式においてさえただの一度も敗北していない。
それほどの武勇を誇りながら、しかし、彼らは戦いを挑まれる。
何故なら、誰もが思うからだ。
――今度こそ。
今日こそは。
今日ならば、自分たちならば。
一度も殺されたことがないからこそ――祈るような気持ちで、挑みかかる。
その全てが、無駄であるというのに。
甲高い金属音が響き渡り、受け流したことによって地面を叩いた〈ミュステリオン〉のチェーンソーが深々と地面を抉る。それを確認し、大日本帝国《七神将》第五位、本郷正好は自身の愛機たる〈神威〉で大きく踏み込んだ。
持参した武装である長槍はチェーンソーによって圧し折られ、現在は折られた状態の槍を左右で操っている。彼に『戦闘』を教え込んだのは本郷家の武人たちだが、『生き延びる術』を教えてくれたのは《女帝》だ。故に彼は、武器が折れた程度で動揺するようなことはない。
「――ッ、らあっ!!」
叫び声と共に左足で相手を蹴り上げる。〈ミュステリオン〉はそれと同時にこちらへ左腕に構えたハンドガンを向けてきた。左腕のチェーンソーはどうにか圧し折っており、機能を停止している。
相手が引き金を引いたのとほぼ同時に、蹴り上げが入った。右腕に直撃した蹴りによってハンドガンが弾き上げられ、代わりに右腕の装甲へ数発、銃弾が食い込む。
互いに距離を取る。一進一退とはこのこと。流石にEUにおいて名を馳せる英雄が一人。認めたくはないが、自分と互角の技量を有している。負けるとも思わないが、確実に勝てるとも思わない。
――故に。
正好は折れた槍を捨て、腰の刀を抜きながら言葉を紡いだ。
「テメェは強ぇよ。それは認めてやる。腹立つ話だがな。……けどよ、だからこそテメェらの負けだ」
『…………』
相手――ドイツの英雄、スヴェン・ランペルージは無言のままだ。しかし、彼は愚かではない。自分の状況はわかっているだろう。
「テメェは俺と同格。けどな、大将は俺よりも遥かに強ぇ。――諦めろよ」
刀を振り抜く。チェーンソーで受け止められ、正好は刃を圧し折られる前に刀を引いた。
後退し、同時に周囲を一瞥する。
倒れ伏すのは、〈ブリュンヒルデ〉と〈セント・エルモ〉、そして帝によれば『ある意味において最強の奏者』が駆っているという〈スノウ・ホワイト〉。
正しく、こちらの勝利だ。
『成程。貴様の言うことにも一理ある』
酷く冷静な言葉だった。ドイツ人らしい硬質さ……真面目さを纏う声色をしたその声は、しかし、と言葉を続ける。
『だが、敗北というにはいささか早いだろう? 貴様を殺し、残る二人を殺せばいいだけの話だ』
「できると思ってんのか?」
『それが任務だ。まずは、貴様を狩らせてもらう』
空気が震えるほど激しく、〈ミュステリオン〉の右腕に残ったチェーンソーが振動する。正好は、そうかよ、と呟いた。
「だったら――死ぬ覚悟はできてんだろうな!」
『軍属になると決めたその瞬間より覚悟は決めている!』
二つの影が衝突し、激しい剣戟を起こす。まともに組み合えばチェーンソーによって刀は圧し折られ、武器を失えばジリ貧になるのは必定。
――ならば、短期決戦だ。
チェーンソーによる一撃を受け流し、踏み込むと共に刀を右斜め下より掬い上げるようにして斬り上げる。だが、僅かに浅い――否、身を引かれたせいで上層部の装甲を切り裂くところで止まってしまった。
〈ミュステリオン〉がハンドガンを構え、引き金を引き始める。正好は〈神威〉に腕をクロスさせると、自身の損傷も厭わず特攻を開始した。
腕を一発、弾丸が貫通してくる。左腕の動作が鈍い。それを肌で感じると共に、右腕一本で刀を突き出す。
直撃。当たったのは相手の右肩。
――このまま抉る!!
捻じ伏せるようにして刃を回す。ミシリと、刀と〈ミュステリオン〉の右肩から同時に異音が響き渡った。
そして、このまま刀と引き換えに相手の右腕を捥ぎ取れると思った瞬間。
「――――ッ!?」
視界の端に、〈ミュステリオン〉が持つハンドガンの銃口が映った。身を捻る。機体の右脇を抉られた。
後退。視線を前へ。相手も立て直すために大きく後ろへ跳躍している。右腕を動かさずにハンドガンの弾倉を変えているということは、右腕には損傷が入ったのだと理解する。
「逃がすかよ!」
追うべきはここと正好は判断し、前進する。こちらも左腕の損傷が厳しいが、機体の腕一本でEUの英雄を狩れるならば上々だ。
――しかし。
正好が踏み込む前に、一つの声が耳に届く。
『――退け、正好。進軍の邪魔だ』
言葉と共に足を止め、反射的に背後へ飛ぶ。直後、横手から一機の神将騎が飛び出してきた。
円環を背負うその神将騎の名は――〈大神・天照〉。
大日本帝国が誇る『最強』が駆る一機。
その一機は常の刀ではなく、肩に巨大な極太の槍を背負っている。振り回すことなどできそうにないそれを担ぎ、〈大神・天照〉が突撃する。
――破城鎚。
かつての時代に使われた、何人もの人間によって門を破るために使われたものではない。先端部に大量の火薬を詰め込み、門に叩き込むと同時に大爆発を起こすという代物だ。
しかしその威力と性質上危険度が凄まじく、他国でも余程のことがない限り使わない兵器でもある。何故なら、銃弾を一つ受けるだけで加薬に着火し、神将騎を巻き込んで大爆発を起こすこともあるからだ。
現に、相手は〈大神・天照〉を撃ち抜こうと砲撃を開始している。しかし、当たらない。当たるはずがない。
〈大神・天照〉が『至宝』と呼ばれる理由――かの神将騎が有する能力故に、弾丸は彼には届かない。
――そして。
門へ、その一撃が到達する。
爆発。
あまりの爆発に空が一瞬、オレンジへと染まる。直撃すると即座に退いたが故に〈大神・天照〉には傷はない。
だが、流石に要塞の第一門。そう簡単には破れず、しかし、確実なダメージが叩き込まれる。
『大老。お願いします』
暁の静かな台詞と共に、凄まじい数の砲撃が門へと叩き込まれる。〈風林火山〉からの砲撃だ。
そして、轟音と共に。
門が――開く。
『さあ、次だ』
酷く冷静な、暁の言葉を耳にして。
正好は、刀を構え直す。
「さあ、やろうぜ狂戦士」
視線の先、いるのはハンドガンを構える〈ミュステリオン〉。攻城戦は暁たちに任せればいい。自分の仕事はこの男を殺すことだ。
そして、何度目かもわからぬ踏み込みを行おうとした瞬間。
「――――ッ!?」
不意に、体から力が抜けた。慌てて体勢を立て直し、周囲へ視線を巡らせる。〈ミュステリオン〉のせいではない。むしろあの神将騎は撤退の動きを見せている。
疲労か、と思うと同時に否定する。この程度で疲れるほど情けない鍛え方はしていない。
視線を巡らせる。――そして、気付いた。
城壁の上に立つ、一機の神将騎に。
見覚えのある、かつて救えなかった少女が駆っていた……『戦えぬ神将騎』の姿に。
「…………〈月詠〉……」
どこか呆然と、呟く中。
〈ミュステリオン〉が、こちらに向かって走り出し。
正好は、舌打ちと共に迎え撃った。
◇ ◇ ◇
アリス・クラフトマンは、自身の体を苛む激痛によって目を覚ました。
目を開ける。腹部から血が流れ出し、しかし、凝固した血液は自分の体から流れ出たと思えないほどに寒かった。
「……ッ、うっ……」
声を出そうとして失敗する。激痛が、声を出すことを許さない。
だが、ずっと動かずにいるわけにもいかない。ここは戦場。常に状況が動いているのだ。〈スノウ・ホワイト〉が戦闘不能に追い込まれた以上、速やかに移動しなければならない。
――護さん……。
痛む体を動かしながら、想うのは今この戦場にいない一人の青年のこと。飛び出して行った時、どうして止められなかったのかと自己否定の言葉が湧き起こる。
大日本帝国最強の英雄、《武神》。
その愛機、〈大神・天照〉。
空を飛べる神将騎は〈ブリュンヒルデ〉のみであり、アリスもそう信じて疑うことはなかった。
しかし、もう一機。
文字通りの『最強』が空を飛ぶ神将騎を手にしている事実を目にしてしまった。
「…………生き、て……ます、よね……?」
呟いた言葉がどうしようもない程にか細かったのは、不安が故か。
ハッチを開け、外に出る。肌寒い空気。もう少し時間が過ぎれば雪が降り始めるであろう季節だ。……彼女の住むシベリアではすでに雪が降っており、それによって発生する事象が日々の生活を悩ませているが……それはこの際関係ない。
吹きすさぶ風は、冷たさを通り越して痛みを肌へと叩き付けてくる。だが、変わらず左腕の感覚はない。
漆黒の肌となった左腕。腕の感覚はあるが、どうにも曖昧だ。これがおそらく、ドクター・マッドの言っていた副作用だろう。今は左腕だけだが、いずれ『コレ』は全身に及んでこの体は絶命する。
「…………ッ」
周囲の確認を行い、慎重に機体から降りる。変わらず要塞では凄まじい轟音が響いており、戦闘が時を追うごとに激しくなっているのがわかった。
だが、今の自分にはどうにもできない。神将騎がなければ、アリスは一兵士としての力は並以下なのだ。
身体能力という点ではその辺の兵士どころか奏者を相手取っても大抵の人間は凌駕できるものがあるが、しかし所詮は正式な訓練を受けていない兵士である。限界値は低い。
「……立ち止まるな」
小さく、呟く。戦場の音が聞こえる中、彼女は一人で。
彼女が愛する、愛するが故に触れることのできない……彼の言葉を。
「前を見ろ。歩け。進め。絶対に――諦めるな」
時に『病気』とまで評される、護・アストラーデの信念。振り返るどころか周囲を見ることさえせずに突き進む彼の信念を言葉にし、アリスは進む。
だって、救われたから。
アリス・クラフトマンは、そんな彼にこそ救われたから。
だから私は――憧れたのだから。
「諦観は、人を殺す。……そうですよね、護さん、大佐――」
見つめる先にあるのは、地面に倒れ伏す一機の神将騎。
世界最強を謳われし神将騎――〈ブリュンヒルデ〉。
視界の端に映っていた、《武神》との壮絶な戦闘。それに敗北したあの機体はうつ伏せのまま背中を刀で貫かれ、ずっと沈黙している。
通信も受け付けず、中にいるはずの〝奏者〟――作戦会議にも姿を見せなかった《戦乙女》と呼ばれる人物がどうなっているかわからない。だが、この状況を覆せるとしたらもう《戦乙女》と《ブリュンヒルデ》に頼るしかないのも事実。
――ここにはもう、《氷狼》も《赤獅子》もいないのだから。
「…………!」
意を決し、走り出す。幸いというべきか、こちらへと注意を向けてくる者たちはいない。
走る。走る。走る。
遠距離に見える〈風林火山〉が、こちらの恐怖を煽ってくる。一発の砲弾を撃ち込まれるだけで終わりだ。〈ブリュンヒルデ〉を完全に破壊しないのは、おそらくアレを回収するつもりだからだろう。神将騎とは貴重な力だ。シベリアも最近ようやく神将騎戦力が整ってきたが、それでも数が足りず結局戦車を中心としたものとなっている。
走る。ただ、走り抜ける。
息を切らし、どうにか〈ブリュンヒルデ〉へと辿り着いた。そのまま急いで機体へ上り、手動でハッチを開ける。多少の重みはあるが、今の彼女には問題ない。
「大丈夫ですか!?」
ハッチを開け、中を覗き込む。だが、その瞬間アリスはその表情を驚きへと変えた。
「……誰も、いない……?」
呟く。そう、コックピットには誰もいなかった。既に脱出したのか――そう思ったが、違う。そもそも人がいた気配がない。そしてこれほどの神将騎を捨てるのであれば、爆破なり何なりをして相手に奪われることを阻止するのが常道だ。〈スノウ・ホワイト〉はともかく、かつてアリスが乗っていた〈ワルキューレ〉にはそういう装置が取り付けられていた。
一体どういうことだ――そう思い、確認のために中へと踏み込んだ瞬間。
――――――――。
沈黙していた周囲の機器が、急に光を灯し始めた。どういうとか――そう思ってモニターへと視線を送った瞬間、一つの文字が映し出される。
『I had been waiting for you.』
――ずっと待っていた。
その言葉が表示されると共にハッチが閉まり、機体に力が宿る。アリスが座席に座ると、その足下から鈍色に光るサークレットのようなものが現れた。それを手に取り、アリスはモニターを見つめる。
「……私が、受け入れられた……?」
呆然と呟く。この状況、答えはそれしかありえない。
一万人に一人の確率とされる〝奏者〟。しかし、奏者であるということはイコールであらゆる神将騎を扱えるわけではない。そのメカニズムは不明だが、ただわかっているのは傾向としてより強力な神将騎であればあるほど、扱える人間が少ないということだ。
そして、〈ブリュンヒルデ〉は間違いなく破格の神将騎だ。それは正面とは別、左右のモニターに映されたデータが証明している。そして、今アリスが考えていることが真実であるならば。
この神将騎は、たった一機でこの状況の全てを覆す可能性を秘めている。
「……これを、はめろってことだよね?」
手に持ったサークレット。微妙に装飾が施されたそれを見つめる。おそらく、これには意味があるはずだ。
一度、大きく息を吸う。目の前に可能性があり、それを自分の手で起動できるかどうかを選べる今。彼なら――護・アストラーデならどうするか?
決まっている。迷う必要もない。彼は進む。直進する。
こうして迷うことさえ――彼はしない。
――故に。だからこそ。
アリス・クラフトマンは、『ソレ』を手に取った。
「行くよ、行こう。――私が、守る」
サークレット頭に着け、操縦桿を握り締める。
――意識が吹き飛んだのは、その瞬間だった。
◇ ◇ ◇
「古代が生んだ狂気の力、『ヴァルキュリア・システム』――本当に古代というのは酷い戦乱の時代だったようですね。冗談で『古代人は戦乱で滅びた』などという仮説を立ててきましたが……これが真実で相違ないようです」
「……何故、あなたがそれを知っているのですか?」
「私がどこの人間だと思っているのですか? エトルリア公国代表……マイヤ・キョウ?」
要塞の城壁。そこで、二人の女性が肩を並べて戦場を眺めていた。最初に声を発した方――出木天音は、マイヤに視線を向けぬままに言葉を紡ぐ。
「……この状況は、あなたの差し金ですか。『先生』」
「まさか。これは想定外ですよ。先程少女とヒスイから聞きましたが、私の知らないところで大日本帝国は随分と好き勝手をしてくれたようです。……あの子の件について、私に伏せておくなんてね」
最後に一言に並々ならぬ殺気を込めながら、天音は呟く。マイヤは、ふう、と息を吐いた。
「あなたがシベリアの一員だと考えたからこそ、勝算があると思っていました」
「勝算など見つけようと思えばいくらでもありますよ。相手は神ではないのですから」
「あなたでさえ勝てなかった国を相手に、ですか?」
「私が勝利できなかったのは、帝の――あの怪物の力を見誤ったが故にです。それに、私など井の中の蛙。上はいくらでもいますよ」
肩を竦める天音。マイヤは再びため息を吐いた。
「あなたは本当に、相変わらずですね」
「ため息は幸せを逃がしますよ?」
「幸福など。もう望めませんよ」
「それは私も同じですが、あなたはまだ若いのです。これからでしょうに」
「先生よりも年上ですが?」
「私は実年齢より二十は老け込んでいますからねぇ」
あまりにも過酷な過去を送ってきた天音が言うと、冗談に聞こえないその台詞。それを受け、マイヤは肩を竦めた。
「……〈ブリュンヒルデ〉に奏者はいません。ただ、あの神将騎には最強のシステムがある。飛行能力など〈ブリュンヒルデ〉にとってはおまけのようなもの。戦闘を行えば行うほど戦闘経験をデータとして蓄積し、それを搭乗者に強制的に叩き込む狂気のシステム」
「『ヴァルキュリア・システム』ですね。本当に何度聞いても凄まじいシステムですね。理論上、大破さえしなければ無限の戦闘経験を積み、それを力にしてしまうというのですから」
「そのシステムがあるからこそ、無人のままでもAIによる自動戦闘が行えました。……もっとも――」
「――所詮は予備システム。その辺の神将騎と奏者であれば駆逐できる力も、《武神》には通用しない」
「大戦時は奏者がいましたが……三度の戦闘で情報量に耐え切れず、廃人となっています」
「あなたの妹でしたか?」
「……昔の話です」
マイヤが首を左右に振る。天音は一度目を閉じると、さて、と小さく呟いた。
「私の打てる布石は全て打ちました。今日この戦闘で、あなたたちが大日本帝国と渡り合えるか否かが決まります」
「……あまりにも分の悪い賭けです。乗れるかどうかもわからない神将騎二つを主軸に策を立てるなど」
「青年や二人の王はそれを無視して策を立てていますから、あながち不可能でもないですよ。ただ、あの三人は大日本帝国というものを侮り過ぎではありますがね」
「……勝てるのでしょうか?」
「勝てるのか、ではなく、勝つのです。死力を尽くし、ありとあらゆる力を用いて。もとより分の悪い戦いだということはわかりきっていたこと。それでも踏み込んだのであれば、後はそのために最善を尽くすだけです」
「その最善が、〈月詠〉と〈ブリュンヒルデ〉だと?」
「――策は、成ったようです」
マイヤの言葉に、天音が静かに呟く。その視線の先、戦場では新たな動きが生まれていた。
第二門まで打ち破られたプラムフィスト要塞。三人の《七神将》とその神将騎、そして〈風林火山〉の力を前に撤退を考えねばならないその戦場に、一つの希望が立ち上がった。
――〈ブリュンヒルデ〉。
一度《武神》に敗れたその神将騎が、先程までとは違う非常に人間臭い――悪く言えば『無駄のある動き』で
立ち上がる。
「上手くいけば幸運、その程度の認識でいましたが……この世界もまだまだ捨てたものではないようですね」
「――先生、一つお聞きしたい」
〈ブリュンヒルデ〉が立ち上がったことにより、攻城戦を開始していた〈大神・天照〉と〈村正〉、そして〈風林火山〉より出撃していた戦車を中心とする機甲部隊と歩兵部隊の動きが止まる。おそらく神将騎もいるのだろうが、今は出て来ていない。
シベリアとEU。その両国に挟まれた小国であったエトルリア公国を守り続けてきた守護神の力は、決して無視していいようなものではない。
エトルリアの守護神。それを迎え撃つために〈大神・天照〉が一度攻城を止め、振り返る。城壁の上に立つ、月明かりのような幻想的な色を宿す神将騎――〈月詠〉と呼ばれる神将騎が、その身を屈めているのが目に入った。
「私の妹は一年しか保ちませんでした。〈ブリュンヒルデ〉に乗っているであろう奏者は、どれだけ耐えられるとお考えで?」
「精々三年。〈ブリュンヒルデ〉はそもそもから突貫工事の最終兵器としての機体のようですし、それだけ保てば上々でしょう」
「……あの少女の犠牲の上で、我々は戦うということですね」
「違いますよ。あなたは前提条件から間違えています」
冷たい目線を戦場に向けたまま。
出木天音は、酷く冷たい声で言葉を紡いだ。
「世界全てを犠牲にし、私たちは自由を手にしようとしているのです」
◇ ◇ ◇
策の失敗か、と暁は内心で呟いた。〈ブリュンヒルデ〉は強力な神将騎だ。利用できる可能性があり、更にあれが中身の無い人形である以上できれば回収したいという思いがあった。それ故に破壊を最小限に留め、動きを奪うだけにしておいたが……失敗だったかもしれない。
しかし、それは言っても仕方がないことだ。済んだことは取り戻せない。今自分がすべきことは、目の前の敵に対して全力で対応し、今度こそ撃墜すること。
「――来い、《戦乙女》」
帝によれば、古代に〈ブリュンヒルデ〉に乗っていた者がそう呼ばれていたらしい。相手の名を知らぬ暁としては、そう呼ぶしかない。
腰から抜くのは、蒼い刀身の長刀。名を〝天叢雲剣〟。対し、〈ブリュンヒルデ〉は起き上がるために抜き去った〝草薙剣〟と大剣をそれぞれの手で構える。
通常ならば、出力的にバランスを崩してしまうであろう二刀流の構え。しかし、〈ブリュンヒルデ〉ならば問題ない。
相手は飛翔することをせず、ただ黙してこちらを見据えている。暁は刀を握っていない左腕を動かすと、周囲に手信号を送った。
――手出しは無用。
その意味を汲み取ったのだろう。木枯の駆る〈村正〉を中心とした攻城部隊が動き出し、それを一瞥してから暁は一歩、また一歩と〈ブリュンヒルデ〉の下へと歩みを進めていく。
対し、〈ブリュンヒルデ〉は動かない。ただ黙し、二つの刃を構えている。
現在〈ブリュンヒルデ〉は〈風林火山〉に背を向けた状態であり、距離としては十二分に射程圏内にある。
しかし、砲撃はない。帝が気を遣ったか、それとも千利が邪魔をすることはむしろ不利と判断したのか。どちらにせよ、暁には好都合だった。
彼我の距離は、約百メートル。
一歩踏み出せば、それだけで戦闘が始まる距離。
高まる緊張。暁は右腕で〝天叢雲剣〟を構えると、一言、呟くように言葉を紡いだ。
「――参る」
その言葉が届いたのか。それとも違うのか。〈ブリュンヒルデ〉は背の銀翼を大きく開くと、全力でこちらへと突進してきた。対し、暁は後退などという選択はしない。むしろ、彼も全力で前に突き進む。
刀は低く、姿勢も低く。滑るようにして突き進む〈大神・天照〉と、轟音と共に力でねじ伏せるかのように突き進む〈ブリュンヒルデ〉。互いに、退く気はない。
先に動いたのは、〈ブリュンヒルデ〉だ。二つの刃の先端を両側から重ね合わせ、〈大神・天照〉の胴体を刺し貫こうとする。対し、暁はそれを目にすると同時に刀を振り上げた。予定を変える。ここは賭けに入るべきところではない。
金属音が響き、矛先が僅かに浮き上がる。それを目にしながら、暁は機体を右側へと自身の機体を横回転させながら倒れ込ませていた。鈍い金属音が響き、火花が散る。
受け流す――それと同時に、横回転から生まれた遠心力を利用した回し蹴りを叩き込む。
鈍い音が響き、それと同時に足に確かな手応えを感じた。だが、この攻防はそこでは終わらない。
「――――ッ!?」
強引に横へと薙ぎ払うように振り抜かれた大剣。手首を返す余裕がなかったのか、腹の部分で〈ブリュンヒルデ〉が〈大神・天照〉の左胴部を薙ぎ払う。咄嗟に左腕を盾にしたが、先程の攻防によってダメージが入っていた左腕に更なる負担をかけてしまう。
互いが互いに叩き込んだ衝撃により、弾かれたように距離を開ける両者。地面を削り、しかし、ギリギリ互いの刃が届かぬところで停止する。
暁は、自身の口元に笑みが浮かんだことを自覚した。先程まで気にしていた左腕の損傷を無視し、両腕で刀の柄を握り締める。
――面白い。
それは、彼が絶大なる才能を持つ天才であるが故にある意味で仕方がないともとれる現象。自身の力を十全に振るえる可能性を持つ相手と出会いたことに対する――歓喜。
藤堂暁という人間は、生きるために力を手にした人間だ。強くなることに目的があったわけではなく、強くならなければ、あらゆる全てを凌駕しなければ生きていけなかったからこそ彼は強くなった。
だが、今の彼は一人の武人として戦場に立ち、一人の英雄として戦場を蹂躙する。
強者を求め、強さをひたすらに求めるのは『神道家』の特徴だ。しかし、それは本来全ての『人』が持つ本能。
より強くなるために強者を求める姿勢。そこに違いは存在しない。
踏み込むと同時、相手も踏み込んでくる。
『損傷』の文字が視界に入るが、一瞥するだけで無視をした。
轟音が、戦場に響き渡る。
いつしか、常に戦闘では冷静な暁の瞳に圧倒的な闘志という名の殺意が宿り始めていた――
◇ ◇ ◇
神道木枯は、自身の体に感じた違和感によって一度最前線から身を引いていた。周囲を見回す。見れば、他の者たちもどこか動きがぎこちない。自身の身体の違和感――達人と呼ばれ、自身の体を十全に操ることに長き時間をかけてきた彼女だからこそ、はっきりとその違和感を感じ取る。
そして、その理由もまた。
……それがお前の答えか、天音。
見上げた先。城壁の上に佇むのは、月の光を宿したような輝きを持つ神将騎。武装の一つも持たず、また、戦う力を僅かも持たぬその神将騎の名は――〈月詠〉。
彼女の一族、『神道家』が生み出してしまったバケモノがかつて操った、『戦えぬ神将騎』。
それを、ここで出してくるとは――
「『敵意』に反応し、こちらの体調を変調させる超音波を放出する戦略型神将騎。……神道奏――あのバケモノ以外に扱える者などいないと思っていたがな」
かの《武神》でさえも受け入れなかった、《女帝》の叛乱においてその主軸を担った神将騎。その厄介さは、成程体験してみればよくわかる。現に工場を行っているこちらの兵たちの連携も、彼ら自身が今現在感じているであろう体調の変調によって十全の力を発揮できていない。
十全の力を発揮できなければ、生まれるのは遅滞だ。そしてその隙を、プラムフィスト要塞の者たちは見逃さない。
「…………」
その光景を見ながら、木枯は状況の整理を行う。正直、状況は微妙だ。第一、第二門については想定以上に楽に突破できた。だが、本命である第三門は圧倒的な高度を持つ鋼鉄の門で、暁が用いたような方法も効果が薄い。更に元々そういう作りなのだろう。門の前の道は細く、門の間に作られた堀のせいで一気に数が投入できない。
流石に堅牢を誇るだけのことはある。アルツフェムと違い、『一度引き入れてしまう』ことも想定しているこの要塞は、そう簡単には落とせない。
だが、この第三門さえ突破できればもう制圧は容易い。それがわかっているからこそ、木枯は退くという選択肢を用いないのだ。もっとも――
……正好と戦っているのは《バーサーカー》か。ドイツも加わっているとなれば、正直どれほどの兵力があるのかはわからない。《赤獅子》を討つことには成功しているし、《氷狼》も沈黙している今……実を言えば、ここの制圧にそこまで拘る必要がないのも確かだ。
そう、実を言えば今回の目的はほとんど果たしてしまっているのである。ただ、《氷狼》をこちらへ引き込むためにはこの要塞をある程度凄惨な状態にしておく必要があるというだけで――
「――是非もない」
判断すると、木枯は自身の愛機たる〈村正〉を走らせた。奏者の神経と直結して機体を操るこの神将騎は、その動きの自由度においてあらゆる神将騎を圧倒する。大日本帝国最強のスペックを持つ〈大神・天照〉とも戦闘力において比肩するとされるのは、その自由度故だ。もっとも、木枯が乗っているからこそなのだが。
そのまま木枯は一気に跳躍すると、第一層の城壁の上へと着地する。こちらを向く、無数の固定砲台。城壁にいた者たちが慌てて照準を合わせて砲撃を解するのと同時に、思い切り跳躍した。
狙うのは、〈月詠〉。確かに強力な神将騎であり能力を持つが、その戦闘能力はほとんど皆無だ。ならば――狩れる。
刀の柄を握り締め、必殺の意志を込めて構える。〈月詠〉がいるのは第三層の城壁上。距離はあるが、全力の跳躍ならば届かない距離ではない。
〈月詠〉に避ける意志はないように見える。いや、反応すらもできないのか。
後僅か。刃が届こうとした、その瞬間。
「――――ッ!?」
機体に衝撃が走り、文字通り吹っ飛ばされた。機体が地面に叩き付けられ、背中にフィードバックによる痛みが走る。一撃――瓦礫の投擲を喰らった正面にも、鈍い痛みがあった。
「…………ッ、貴様ッ!!」
すぐさま体勢を立て直し、木枯は城壁を見上げる。そこにいるのは、金色の神将騎だ。
大日本帝国の梟雄、《女帝》が駆るその神将騎の名は――〈金剛夜叉〉。
「どういうつもりだ、天音ッ!!」
『後輩には優しくするのが私のモットーだと、今決まりまして。この子は私の後輩です。守るのが道理でしょう? シベリアには少々恩もありますし』
相変わらずの茶化すようなセリフ。木枯は、静かな声色で返答を返した。
「ふざけるな。我々と完全に敵対するつもりか?」
『まさか。そのようなつもりはありませんよ』
言うと同時、〈金剛夜叉〉が一気に跳躍して〈村正〉のところまでやってくる。その背後で、第三門が開いたのが木枯の目に入った。
同時に、驚愕する。門が開くと同時に現れたのは――神将騎。
名を〈パリャードク〉。大戦においてシベリア軍の主力となっていた神将騎が、一気に十二機も姿を現した。
「〈パリャードク〉……? 何故エトルリアに。否、シベリアの神将騎はその多くが失われたはずだ」
『シベリアの王は酷く現実的でしてね。復興の合間に国土中の遺跡を探していたのですよ。流石に世界最大の国土を有する国家。未だ発見されていなかった遺跡はいくつもあり、同時に神将騎も少ないながらも見つかった。……退きなさい、木枯。戦の退き際がわからぬほど、愚昧ではないでしょう?』
挑発するような物言い。木枯は息を吐き、言葉を返す。
「……その言葉通りに退くと思うか? この私が、この程度突破できぬとでも?」
『増援はまだ到着します。痛み分け、ということで如何でしょう?』
天音の言葉に対し、即座に返答を返すことはしない。確かに無理にエトルリアを制圧する必要はないし、そもそも〈風林火山〉一つで制圧できるほど楽な相手でもない。
撤退。目的はある程度果たしている以上、それもアリなのだが――
『――聞こえますか、木枯』
不意に、帝から――〈風林火山〉から無線による通信が入った。はい、という言葉を返すと、帝が静かに言葉を告げてくる。
『撤退します。イタリアの愚か者たちが、暴動を開始したようでしてね。その制圧に人手が足りないと泣きついてきました。途中で彼を拾い、撤退しましょう』
「――承知しました」
応じ、木枯は刀の柄から手を離す。そのまま、彼女は声を張り上げた。
「――総員、撤退だ!! 殿は私が務める!! 〈風林火山〉へ帰投せよ!!」
『『『はっ!!』』』
こういう場面において、大日本帝国の者たちは迷うことをしない。上官の命令は絶対だ。
そして、木枯は退いていく兵とは逆、城塞の方――即ち、〈金剛夜叉〉へと一歩踏み込む。
――金属音。居合の一撃を、〈金剛夜叉〉が刃その腕で止めた音だ。三分の一ほどにまで刃が喰い込んでいる。
「天音。この戦いは『分け』だ。だが、こちらの損害などいくらでも補充が聞く程度のモノ。お前たちが生きていることは、こちらの慈悲ということにしてもらおうか」
『元よりそれ以外に凌ぐ術はありませんでしたしね。構いませんよ』
「ならば、それでいい。こちらはこれ以上手を出さん。そちらが動かぬ限りな」
ギロリと、第三門から出てきた十二機の〈パリャードク〉へと視線を向ける。ふふっ、という聞き慣れた笑い声が耳へと届いた。
『保証しましょう』
「――ならばいい」
刀を鞘に納め、背を向けて歩き出す。
――戦闘が、唐突に終了した瞬間だった。
◇ ◇ ◇
「まあ、こんなものでしょう」
ゆっくりと伸びをし、帝が笑みを零す。その隣で、千利が頷いた。
「流石にこの数であの要塞を落とし切るのは不可能でしょう。神将騎も、我々《七神将》のものしかありませんでしたからな」
「元々〝ここに惨劇を用意すること〟以外の予定はありませんでしたしねー。まあ、丁度いいでしょう。要塞は半壊。死者多数。重要戦力をいくつも同時に失ったのです。この数の相手にそれだけのことをされた現実を見せられれば、彼も堕ちるでしょう」
「そうですな。天音ですら耐えられなかった現実だ」
「夢見がちな青年にはこれぐらいしておかないと」
ふふっ、と帝は笑い、指示を出す。
「――さあ、《氷狼》をこちらへ引き込むために参りましょうか」
というわけで、攻城戦は唐突の決着。元々本気で攻め込むつもりはなかったので、ある程度の決着、そして〈ブリュンヒルデ〉の回収が不可能になった時点で帝が撤退を指示したのはある意味当然の判断ですね。護も朱里も潰してますし。
更に言えば、EUは攻め込む理由を一応ながら手にしたわけで。唐突といえば唐突ですが、退き際の良い指揮官がいるとこんなものです。
……とか言い訳したり。
さてさて、次回でようやくEU編の最終話です。それが終わると、第三部。結末に向かって進んでいきます。
感想、ご意見など頂けると幸いです。ありがとうございました!!
……………………《七神将》、ホント強いです。