第四話 孤軍、望む未来
レオンは決断を迫られていた。戦闘が始まろうとしている。馬鹿が戦車こそ捻じ伏せたが、歩兵は残っているのだ。今は中心街へ向かった〈フェンリル〉の対応に追われているが、それに一定の決着が着き次第、矛先はこちらを向くだろう。
どうする、と、レオンは自問する。すでに逃げ惑うスラムの人々は、家屋の陰に隠れたり、スラムの奥へと移動している。そして同時に、その視線の全てがこちらを向いている。
それは希望であり、
期待であり、
落胆であり、
憤怒であり、
信用でも――ある。
ここにいる者たちは、皆、自分たちに期待してくれている。二年もの間、ゲリラ戦でこそあるがそれなりの結果を残し、戦い続けてきた自分たちにだ。
だが、レオンは答えを口にできない。どうすればいいのだろう、という問いかけだけが延々と自分の中で紡がれているだけで、どうにもならない。
立ち竦むレオン。そこで彼は、ああ、と、初めて理解した。
自分は、こんなにも――これほどまでに、弱かったのかと。
護は、おそらく感情で動いた。目の前で失われることが許せなくて、ただただ、衝動のままに地下で整備中だった〈フェンリル〉を持ち出し、動いた。
最悪の一手だとレオンは思う。自分ならば絶対に選ばない。今の二人を犠牲に、未来の千人を救えると、そう判断するだろうからだ。
だから、自分にはあんなことができない。
「くそっ……」
呟きが漏れた。判断は間違っていない。あの馬鹿さえ動かなければ、ここまでことが大きくなることはなかったのだ。
それでも、思うのだ。
あの時、どうして、どうして自分は。
あの背中を、何も言わずに見送ったのだろうかと。
「くそっ……!」
今考えても仕方がないことだ。だが、考えてしまう。
逃げたい。だが、逃げられない。そんな鬩ぎ合いで押し潰されそうになる。この背中には、大きなものが乗っているのだ。背負っているのだ。それを、自分は――
「――らしくないじゃありませんか、レオンさん」
不意に聞こえてきた声。レオンは弾かれたように視線を上げた。その先にいたのは、このスラムを取りまとめている老婆だ。
マーサさん、と、レオンは呟いた。女性は、ええ、と頷く。
「何をそんなに思い詰めておられるのですか?」
「……すみません」
レオンは再び俯き、ただただ、感情だけを込めて頭を下げた。マーサを含め、このスラムには恩をもらってばかりだったというのに、こんな形で仇を返すことになるとは。
だが、マーサは、いいんですよ、と首を左右に振る。
「いずれこうなるとは、思っておりましたとも。……それに、正直、嬉しかったのもありますからねぇ」
言って、マーサは振り返った。その視線の先では、殺された二人を布で包み、運んでいる姿がある。
「護さん……あの子が飛び出してくれた時、ああ、良かった、とそう思ったのですよ」
「……良かった?」
「ええ、ええ。あなたたちは、私たちと一緒に憤り、抗おうとしてくれた……その事実が、嬉しかったのです。私たちは、ただ服従するだけの奴隷ではないと」
言って、マーサはけれど、と言葉を続けた。
「ここでの生活も、終わりかもしれませんねぇ」
「――すみません!! 何があってもここから無事に退避していただきます!!」
「お顔を上げてくださいな。……それに、そのお話ですけれど、私はここに残ろうと思います」
えっ、というレオンの疑問。その視線の先で、マーサが苦笑した。
「私だけではありません。無論、あなたたちに連れて行って欲しい者たちも、それこそ子供たちを中心に大勢おりますが……それでも、ここが私の故郷ですから」
彼女は、言う。
「戦争で夫を亡くし、子を亡くし……多くのものを得て、失ってきた人生でした。しかし、私に後悔はありませんよ、レオンさん。あなたたちという希望を見て、託すことができるだけで。――これ以上の幸いはないではありませんか?」
「しかし」
「ここが私の生まれた場所で、私はここで死んでいくのですよ、レオンさん。……すでに、こういう時を想定して準備はしてありました」
ガチャリ、と、不意に背後から無機質な音が聞こえてきた。振り返ると、そこには。
「何故……?」
いたのは、銃を手にした老人たちや、女性だ。どういうことだ、というレオンの呟きに、マーサが応じる。
「逃げる意志ある者は、すでに地下へと向かっているはずです。以前より話しておりました。銃など、このご時世ならばいくらでも手に入りますもの。後は、抗うかどうかの意志だけ。結論はこれです。……生きる意志ある者たちと、子供たちを連れて生きてください、レオンさん」
マーサの言葉と同時、レオンは銃を構えた者たち――戦うことなど、できはしない者たちに背を叩かれ、肩を叩かれた。そして、彼らは言う。
「思い詰めんな、坊主。坊主たちが生きてりゃ、まだ希望はあるんだ」
「しっかりしなさいな。死にそうな顔してないで」
「ほら、顔上げて」
笑いながら言う彼らは、すでに臨戦態勢に入っている。しかし、所詮は素人だ。勝てるわけがない。相手は軍隊なのだ。
今でこそ混乱しているが、すぐに立て直してくるだろう。
そこへ。
「ねぇ、レオンさん」
マーサは、遠くを見つめながら、言葉を紡いだ。
「私たちは、辛い役目を押し付けます。生きて戦えなど、散る者の押し付けにしか過ぎません。多くのものを背負わせます。それでも……受け取って、くれますか?」
言葉に対し、レオンは、吐息を零した。
俺は、と、小さく呟く。言葉が続かない。
どうすべきなのだろうと、ずっと同じ疑問が延々と頭の中を回っている。答えは出ない。
――そして、事態は更なる状況を突きつけてくる。
『――レオン!!』
通信から響いたのは、《氷狼》における唯一の女性、レベッカ・アーノルドだ。その声は非常に切羽詰まっている。
『レイドさんが!!』
「どうした、レベッカ――」
『うだうだ悩むなよ、レオン』
無線から声が届いた。この声はレイドさんか、とレオンが思った瞬間。
――レオンたちが隠れ家にしていた家屋が、轟音と共に吹き飛んだ。
現れたのは、一台の戦車だった。地下で護の〈フェンリル〉と共に移動手段として用い、同時に切り札として用意しておいた一台。
動かしているのはレイドだろう。彼は、一発、敵陣へと砲撃を行いながら言葉を紡いだ。
『ここは俺と覚悟決めた奴で引き受ける! お前は退け! 護の馬鹿は自力で何とかする! お前は嬢ちゃんと一緒にここから逃げろ!』
「ですが――」
『腹ァ括れ!!』
一喝が飛んできた。レイドが乗る戦車は決して小さくはないキャタピラの轟音を響かせているが、レイドはそれに負けない声量で言葉を紡いでいる。
『ここが転機だ!! いいか!? 俺は過去の遺物だ!! 敗戦国の亡霊だ!! ここで死んでもそれは二年前に死ぬべきだったのがここで死ぬだけだ!! あの馬鹿に生かされて、その命がようやく終わるだけだ!!
――だがな、お前らは違うんだよガキ共!!』
叫び。敵の部隊は戦車の出現に対し、散開して相応の対応を取ろうとしている。それに対し、銃を持つスラムの住民たちもまた不慣れな戦いに赴こうと遮蔽物を盾に動き始める。
その中で――レオンだけが、動けない。
『お前らは希望だ!! 生きろ!! 泥水啜って土食んででもだ!! 俺みたいな亡霊にできるのは、未来にお前らを繋ぐことぐらいなんだよ!!』
そして、通信が切られる。レオンは、通信の切られた無線を呆然と見つめていた。
その正面ではマーサがさて、と呟くと、懐から拳銃を取り出し、言葉を紡ぐ。
「私も行きます。――お達者で」
そして、彼女は一礼すると戦場へと向かっていった。
――待ってくれとは、言えなかった。
ただ茫然とその背を見送り、レオンは、くそっ、と小さく吐息を零す。そのまま、彼は逃げるように吹き飛んだ家屋から地下へと走り込んだ。
薄暗い空間。その中では電灯を持ったレベッカと、彼女の後ろにこちらを見つめる無数の瞳があった。
そのほとんどは、子供や、その親。もしくは若い女性だ。男は収容所送りにされているか強制労働に従事しているのだから、いるはずがない。
一都市のスラム街の一角。そこの住民全員ではないが、ほとんどが集まっているのだ。単位は数百人規模である。
これが今のシベリアなのだと、レオンは思った。
これを、背負っていくのだと。
「……レオン」
窺うように、レベッカがこちらを見た。レオンは努めて平静を装い、言葉を紡ぐ。
「行こう。……ここから通じる場所に、統治軍の支配が緩い村がある。そこを目指そう」
レベッカに先導を任せ、レオンは一つの装置を手に取る。万一のため、地下へと通じる道を壊すために設置していた爆弾を起動する装置だ。
それを起動し、レオンは、無線を取り出した。
轟音が響く。道を閉じれば、レイドやマーサたちはもう戻って来れない。レオンは無線を操作し、護へと繋いだ。
その中で、思う。
――自分は、何をしているのだろうかと。
◇ ◇ ◇
戦車の中で、レイドは笑みを浮かべていた。飛び出した馬鹿も、躊躇った馬鹿も、止めようとした馬鹿も、本当に、本当に愛すべき仲間だ。
だった、などと過去形にはしない。何故なら、自分は死にに行くのではないからだ。
レオンにはああ言ったが、これは生きるための戦いだ。この国はまだ死んでいないと。生きていけると。そう示すための戦いだ。
――あの馬鹿はよくやってくれたぜ……!!
おそらく、あいつは馬鹿だから考えての行動ではないだろう。単純で、馬鹿で、不器用だから。しかし、真っ直ぐだ。正しいこと、正しくないこと。そこに真正面からぶつかっていく。
だから、馬鹿が――護が動いた時に、腹を括った。
レオンが動かないのはわかっていた。あれは頭がよく回る。動けるわけがない。
だが、護は動いた。未来よりも、今の命を救おうとした。
どちらが正しいとか、間違っているとか、そういう話ではない。どちらも正しく、同時に間違っているのだから。
だが、良かったと、砲撃の引き金を引きながらレイドは思う。
ここで動かなければ、きっと、もうこの国は終わっていた。
殺されることに抗うことさえできずに、潰されていただろう。
しかし――そうはならなかった。一人の馬鹿が、抗った。
そして今、共に抗おうとする者たちがいる。
「ああ、そうだよなぁ……!!」
向こうが応戦準備を始めているのに対、し戦車の砲撃と共に行う突撃によって機先を制していく。
弾には限りがある。だが、出し惜しみをする必要はない。
「俺たちは、生きに行くんだよ……!!」
未来へ繋ぐために。
死ぬことによって繋ぐのではない。
生き抜いた結果として、未来のために何かを繋ぐのだ。
だから。
だからこそ――……!!
「俺は、俺たちは!! まだ――!!」
砲撃。狙い違わず、歩兵部隊を穿とうとしていたその一撃は。
――突如現れた一騎の〝神将騎〟が、防いでいた。
灰色の機体。装飾のようなものは少しもなく、下半身はスカートのような装甲に覆われているが、上半身は必要最低限のフレームしか装備されていない機体。
ゆらり、と、揺らめくようにその神将騎が動いた。まるで幽鬼のような挙動をするそれに、レイドは覚えがある。
「聖教イタリア宗主国の、《生ける屍》!!」
応じるように、幽鬼が動く。
どんな戦場からも必ず生還したという不気味な存在。あの『アルツフェムの虐殺』さえも生き残ったというのだから、その不気味さは度が過ぎている。
レイドは、大きく息を吐いた。そして、前を見る。
――さあ、行こうか。
生きるために。
そして――……
◇ ◇ ◇
「さて、Ⅵ――いや、ヒスイ。往きたまえ」
幽鬼のような不気味な雰囲気を発する神将騎――名を、〈クラウン〉。
それを眺めながら、白衣を纏う仮面の男が笑った。
仮面には口が描かれていない。それもあってか、男の笑い声はどこまでも不気味だ。
深い緑色の髪を震わせ、くっく、と笑みを零す。
「嗚呼、嗚呼、いいねぇ……!! 実にいい……ッ!!」
彼の周囲にいる者たちは、みな、一様に彼を遠巻きに見ている。引いている、という表現が何よりも似合うが、それを彼が気にする様子はない。
「平和など、平穏など!! 無価値だよそんなものは!! 見給えよ!! さあどうかね!? これが戦いだよ諸君!!――はははっ!! 実にいい光景だ!!」
「……大変いい空気吸ってるとこすいませんが、ドクター?」
腹を抱えて笑いだす男――ドクターに、背後から声がかけられた。そこにいたのは、青がかかった黒髪の軍人――ソラ・ヤナギだ。
「おお、久し振りではないかね?」
「ですねー。……サインもらっていいですか、ドクター。ウチの部隊への所属手続するんで。あなたとヒスイの」
「ああ、構わんよ」
頷き、ドクターは差し出された書類に名を書く。ドクター・マッド……名前じゃないだろこれ、と誰もがツッコむような内容だが、ソラは頷いた。
「ありがとうございます、ドクター」
「ふっ、丁寧な言葉を使う必要はないよ、キミならばね。――アルツフェム以来かな?」
「……色々ありましたからね、俺も。言葉遣いはその一環です」
「苦労しているようだ。実にいいことだね」
「喜んでません?」
「忘れたのかね? 私はキミのことを気に入っているが、嫌っていると言ったはずだが?」
「そういや、俺もアンタが嫌いでしたね」
「それでいいのだよ、お互いにね」
男二人が笑う。その中で、さて、とソラは背伸びをした。
「ドクター、俺はこれから外縁部に行きますけど、どうします?」
「外縁部? この状況で外を見てどうするのかね?」
「俺の予測が正しければ、面白いものが見れますよ。――餓狼と赤獅子。強いのはどちらでしょう?」
言葉に、ドクターは一度俯き。
「くくっ……」
笑みを、漏らした。
「くくっ、はははははははははははははっ!! そうか、そうかそうか!! 〝彼〟が来ているのだね!? いいね、実にいい!! 私も連れて行ってくれるかね!?」
「むしろ誘いに来たんですよ、ドクター」
「いいねぇ、やはりいい。この二年、退屈な研究所にいたが……やはり、最前線は良いものだ」
「また見れますよ、地獄が」
「今度は勝者だといいがねぇ」
ドクターの言葉に、そうですね、とソラは頷いた。
直後。
――〈クラウン〉が、敵側の戦車を打ち砕いた。
◇ ◇ ◇
火花が散る。眼前で、互いに殺すための武器をぶつけ合う。
轟音を響かせ、槍と剣が幾度となく火花を散らす。その最中、護は舌打ちを零した。
――コイツ……場慣れしてやがる……!
神将騎とは現代最強の兵器であり、その力は強大で絶対的である。だが、神将騎とは古代遺産なのだ。今の技術で神将騎を新たに製造することは、研究こそされているが実現は出来ていない。
手足――こちらもまだ未知の部分が多いが、基部さえ無事なら手足の復元は可能というが、中心部を破壊されれば直すことは不可能となる。ここが、神将騎最大の弱点である。
代えが利かない。
故に、多くの指揮官は神将騎の投入を『必勝の状況下』でしか行わない。相手が神将騎を出してきた際は出撃も止む無しとなるのだが、多くの場合、『神将騎を失わない』というのが前提となる。故に、神将騎乗りたる〝奏者〟は存外、慣れていない者が多い。
ほとんどの奏者は、文字通り命を削るギリギリの戦場や、不利な状況というものに慣れていない。基本的に優位な状態で戦場に出るのが常だからだ。
だが、今。目の前にいる神将騎――〈ワルキューレ〉は。
――厄介だな、コイツ……!
護は盾で槍を弾き、懐に入る。瞬間、〈ワルキューレ〉は自身の背部に槍を動かし、両脇で挟み込むと、機体を横に大きく回転させた。
護はその場を飛び退く。これだ。機体のスペック差もある。だが、動きが洗練されていることが大きい。一瞬でこちらの動きに対応してくる。
今まで、護は死ぬか生きるかのギリギリで戦ってきた。故にこそ、それが他の奏者との差になっていた。
勝てる状況で、圧倒的な力を振るってきた者と、
不利な状況で、死線を潜り抜けてきた者。
その差で、戦ってきた。しかし。こいつは、この敵は。
「俺と同じか……!!」
前から、〈ワルキューレ〉についてはレオンから聞いていた。記録に残すべき活躍をしていながら、何故か公的な記録が残らない存在。レオンは警戒しろと言っていたが、こういうことか。
相手に有利な状況であることに間違いはない。だが、今の状況は局地的には一対一。その中で、こうも競り合うことになるとは。
強い、と、護は思った。今までとは違うと。
――故に。
「…………」
大きく息を吸う。そして。
護は、大きく足を踏み込んだ。
ズンッ、という凄まじい音が響き、〈フェンリル〉が地面を蹴り飛ばした。時間がない。一撃離脱を選ぶ。
行うは刺突。狙うは首元。神将騎は人と構造が似ている。首を弾けば機能が一時的に止まる。その後、コックピットを潰せば終わりだ。
コックピットがある腹部は装甲が基本的に異様に硬い。一撃では潰せない故の判断だ。
動く。刺突。
〈ワルキューレ〉が応じる動きを見せた。槍を構え、防ぐ勢い。
上等、と、護は前を見た。突き出す。弾丸のような一撃。それは正確に頭部へと到達する。
僅かな感触が手に広がった。そのまま打ち抜け、と思った瞬間、しかし。
――下から、刃を――?
槍の柄によって、腕をかち上げられた。僅かにずれた刺突の軌道は、〈ワルキューレ〉の頭部を僅かに掠めるだけだ。
凄まじい腕である。この速度で、僅かにずらすだけにかち上げるのを抑えた。あまりに大きく弾き上げると、こちらに仕切り直しの動作を生む余裕ができる。
マズい、と、護は思った。それと同時、眼前にあるものが迫ってくる。
足だ。
「ぐうっ!?」
機体が大きく揺れ、護は奥歯を噛み締める。蹴り上げられたことで機体が浮き、仰け反った状態になる。そこへ。
――ヒュボッ!!
本気でそんな音が聞こえた。凄まじい速度での槍による刺突。それは正確に〈フェンリル〉の左腕を狙い打つ。
「…………ッ!!」
咄嗟に盾を出したが、貫かれ、肩をやられた。目の前の画面にいくつもの『損傷』の文字が浮かぶ。このシステムはどうなっているのだろう、とか思うが、それは今考えるべきではない。
左腕を抜かれた。護は舌打ちを零し、同時に即座に左腕をパージした。おそらく持ち帰ればそれなり修理もできたのだろうが、槍で貫かれたままの左腕など戦場では枷にしかならない。
その判断が意外だったのか、〈ワルキューレ〉は一瞬、動きを止めた。パージした左腕に噛んだ状態の槍が邪魔で、向こうの動きが遅れる。
ここだ、と、護は大きく背後へと飛んだ。この状況下で戦っても、こちらに勝ち目はない。左腕を奪われた状態では、〈ワルキューレ〉の槍術に抗えない。
それに、護は視界の端に理解していた。こちらに人員が集まり始めている、と。
ならば、陽動も切り上げねばならない。機動時間を考えても、ここがラインだ。故に。
「…………!!」
護は一切の躊躇もなく、〈ワルキューレ〉に背を向けて〈フェンリル〉を走らせた。背後、〈ワルキューレ〉がこちらに対応しようとする気配を感じる。しかし、拳銃程度ならば大丈夫だ。
シベリア連邦の首都モスクワは、戦争時代の名残として城壁のような外壁で囲まれている。それを乗り越え、東へ向かう。
外壁が近付く。飛び上がる。瞬間。
果たして、〈ワルキューレ〉の追撃は。
――ズンッッッ!!
投槍だった。空中にいる〈フェンリル〉の左側。腕があった場所――今は何もない場所に、槍が深々と突き刺さっていた。
それに対し、背中に冷たい汗を感じながら、護は外縁部を駆け上がる。
二年前の戦争で徴兵された護は、この外縁部で見張りをしていた。その時、襲撃を受け、アリスと離れることになる。
チラリと、護は背後を見た。
――アリス。
ここにいるはずの彼女のことを想う。そして、一度目を閉じ。
「必ず、俺は――!」
誓いを胸に、外縁部より飛び降りた。
ズンッ、という轟音。着地で脚に多少のダメージが入ったが、まあ、問題ない。このまま全速力で東へと駆け抜ける。まずは向こうの追っ手を捲かなければ。
そう、思った時。
「――――」
眼前、東側。モスクワから見れば、標高二千メートルを超える雪山――護は、ここに紛れ込んで姿を晦まそうとしていた――の麓に、一つの影があった。
紅。
一言、ただただそう表現できる威容だった。
そして、護は。
自身の血が沸き立つような感覚を覚える。
「テメェは……!!」
紅蓮の、獅子を象ったような姿をした神将騎。
覚えがある。伝聞としてではなく、自分自身で目撃し、体験したのだ。
敗北したあの日、こいつに外壁を壊され、アリスと離れることになった。こいつの突撃を起点とし、シベリア連邦は首都を制圧され、敗戦した。
その者の名と、神将騎は、おそらく前大戦を経験した者なら知らない者はいない。
紅蓮の〝神将騎〟――〈ブラッディペイン〉。
操る奏者の名は、《赤獅子》朱里・アスリエル。
聖教イタリア宗主国最強の神将騎と、その奏者。
畳み掛けるような事態の進行。最早絶望ともいえる相手を前に。
護は、吠える。
「そこをどけ……!! 邪魔をするなら、叩き潰してでも押し通る!!」
◇ ◇ ◇
外縁部より戦闘が始まったのを見届けながら、二人の男が言葉を交わしていた。ドクターがタバコに火を点け、紫煙を吐き出すと、彼は隣の男――ソラへと一本、タバコを差し出す。
「吸うかね?」
「自分のあるんで」
言って、ソラは煙草を咥えると紫煙を吐き出した。そうしながら、さて、と呟く。
「ドクターから見て、どうです?」
「――楽しくて仕方がないよ、本当に。あの青い機体……確か、〈フェンリル〉だったかな? あの程度のスペックで、よくもまああそこまで動けるものだ」
「そんなに酷いのですか?」
「いいところ、中の下だろうねぇ。〈クラウン〉よりは遥かにマシだが、『名持ち』の〈ワルキューレ〉や〈ブラッディペイン〉とは天と地だ。――正直、〈ワルキューレ〉なら狩れたのではないかね?」
問いかけ。それに対し、ソラは首を左右に振った。外縁部より、二機の戦闘を見ながら言葉を紡ぐ。
「それは相手をナメ過ぎですよ、ドクター。相手はあれでも二年間、こっちに抗ってきた存在です。つい先日、〈ゴゥレム〉駆ってたラットさんもやられましたし」
「ああ、そういえばそんな報告があったねぇ」
「どうでもいいですけどね」
「全くだ。男にかける情けなど存在しない」
「道理です。……とにかく、撃墜するのは難しいだろうと最初から判断していました。相手が逃げの一手を打てば、流石に追撃は難しいと」
ソラが振り返る。その視線の先には、〈ワルキューレ〉の撤退準備と、それを手伝う隊員の姿。
……俺、必要ないな。
働く部下たちを見ながらそんなことを思うが、まあ、所詮は無能なので問題なし。仕事はできなくて当然だ。
コホン、と、一つ咳払い。
「まあ、そういうわけで、〈ワルキューレ〉には負傷させることを主目的にさせました。撃墜もできればしろとは言いましたが」
「ふむ、最後の投擲などは見事だったね。実に惜しい。刺さっていれば見事だったろうに」
「マジの磔刑ですからね。……後、俺たちの部隊は、その、あんまり活躍しちゃならんのですよ、ドクター」
「ああ、聞いているよ。確か、『懲罰部隊』と呼ばれているそうだね?」
「ええ。……実際は、戦争の時に現地徴兵した中で多少問題がある奴を集めただけなんですけどね。馬鹿ですけど、いい奴らです」
「いいことを聞いた。不安がなくなるね。そういう場所の方が気楽でいい」
「それは重畳」
言って、ソラは笑った。ドクターはタバコを吸うために口の部分だけ出していた仮面を着け直すと、さて、と言葉を紡ぐ。
「後で〈ワルキューレ〉を弄らせてもらうよ? ふふっ、ここから見るだけでも実に美しいフォルムだ……! 嗚呼、嗚呼、楽しみだねぇ……!」
「トリップしないでくださいドクター。で、どう見ます?」
「ふむ。どう見るも何も」
眼下。山を背後にした〈フェンリル〉から少し離れた位置に、〈ブラッディペイン〉が立っている。それを見て、ドクター、と呼ばれる男は呟いた。
「……ここで詰みだよ。『獅子咆哮』――固有武装か。〝神将騎〟とはやはり、斯くも面白いものだねぇ」
ドクターの笑みがこぼれると同時。
――大気が割れるような振動が、空を襲った。
◇ ◇ ◇
「あ……かっ……!?」
何が起こったのか、護は理解できなかった。こちらは左腕を奪われた状態だ。故に隙を見て、逃走しようとした。だが、相手の動きに翻弄され、気が付けば。
――音が……!?
何も聞こえず、視界も揺れている。何が起こったのか、モニターには『損傷』と『危険』のフレームが大量に浮かび、何をどうしたらいいのかもわからない状態だ。
直後、機体が大きな衝撃を受けた。
かはっ、と、護は息を吐き出す。だが、それが気付けのショックとなったのか、視界が未だに不安定ではあるがはっきりとしてきた。音も――大丈夫だ。
だが、護はそこで悟る。
「動かねぇ……!?」
相棒が――〈フェンリル〉が動かない。おそらく山に激突した衝撃と、正体不明の攻撃による一撃のせいだ。モニターが『損傷』と『危険』という文字によって埋め尽くされている中、くそっ、と護は呟く。
眼前、敵がいる。無傷だ。こちらの刃は、少しも届かなかった。
戦闘時間は、数分、いや、一分かそこらだっただろう。
ちくしょう、と、護は呟いた。
今の境遇の全てが始まったあの日。目にした、紅蓮の敵。それが今、目の前にいるというのに何もできない。
「ちくしょう……」
敵が――〈ブラッディペイン〉が、こちらに迫ってくる。
「動けよ……!」
ガチャガチャと、機体を動かそうとする。しかし、動かない。
「動いてくれ……!」
こんなところで終わるのか。こんな、こんなところで。
ふざけるな、ふざけるなよ。
俺はまだ、何も――!!
「動けってんだよ!!」
――その声が、何かに届いたのか。
直後――轟音と共に、〈フェンリル〉の視界が覆われた。
◇ ◇ ◇
暗い研究室で、一人の女性が大きく背伸びをした。眼鏡をかけた女性だ。
その女性は冬国にいるというのに短いスカートをはき、白衣を着ているだけで厚着はしていない。
「ふむ」
不意に、女性は首を傾げた。そうしてから立ち上がり、笑みを浮かべる。
「雪崩とは、外で何かあったのでしょうか?……どう思います?」
「さて、ね」
問いに応じるのは、包帯を腕に巻いた女性だ。――アルビナ。レオンも情報をもらうために協力してもらっていた女性だ。
もう一人、白衣を着た女性は苦笑を零す。
「つれませんねぇ、あなた」
「厄介事は嫌いだね」
「フフッ、いい女とは、厄介事を楽しむものですよ?」
「アタシは別に、いい女じゃなくてもいいさね」
「あらあら、勿体ない」
笑う女性の視線の先、アルビナは息を吐くと、アタシはここで帰るさね、と言葉を紡いだ。
「さっき言ったように、首都で動きがあった。おそらくだけど、何かが動くよ、先生」
「でしょうね。二年、各地を放浪しましたが……この子を託せる相手というのも、なかなかいないものですね」
言って、先生と呼ばれた女性は一体の巨人を見上げた。
まるで、鎧武者――最早滅びた、極東のサムライのような出立ちをした神将騎。
「あなたの新しい主は、現れてくれるのでしょうかね?」
その機体の、名は。
「――〈毘沙門天〉」
というわけで混迷を極めてきました第四話。
序盤戦の首都攻防戦です。
さてさて、今回登場しましたヒスイとドクター・マッドは舞台裏の黒衣先生から頂いたキャラクターです。といってもドクターについては名前だけで他は元々予定していたキャラ付けなのですが。
いやはや、書いていて彼は実に楽しいですねww
人生を一番楽しんでる雰囲気ww
そしてもう一人。EUの主要国であり、ソラの祖国である聖教イタリア宗主国最強の奏者、朱里・アスリエルは黒雨蓮先生に頂きました。
次回で首都攻防戦は終わりを迎え、ようやく序盤戦終了です。お付き合い頂けると何よりです。
では、感想など頂けると物凄く喜びます。今のところ、毎回毎回によによしながら喜んでたり?
ではでは、ありがとうございました。
……次回よーやく、天音先生登場かな?