第十六話 最強、その名に違わず
日本帝国謹製、強襲型陸戦艇〈風林火山〉。
その艦橋において、大日本帝国最高位、帝が酷く冷たい視線を外に向けていた。
「……本当に、こちらの神経を逆撫でするのが上手い男ですね」
その口調には明らかな怒気が込められている。その傍らに立つ老人――《七神将》第六位、紫央千利がその言葉に頷きながら言葉を紡いだ。
「今は木枯が追っておりますが、どうなりますかな?」
「向こうが木枯と相対する気だというなら、その場で首は獲れるでしょう。しかし、あの男にそのつもりはない。……木枯を呼び戻します。アキちゃんが先行しているとはいえ、備えは万全にしなければ」
いつもの帝らしからぬ、厳しい表情。千利が頷き、周囲の者たちへと指示を出し始める。それとほぼ同時に、艦橋へと一人の男が入って来た。
《七神将》第五位、本郷正好。
元々から強面な彼だが、今はその表情に怒気が滲んでいるせいでより一層迫力を増している。しかし帝はそのようなことを気にするつもりはなく、厳しい表情のまま正好へと問いかける。
「彼恋の様子は?」
「部屋に引き籠ってます。外傷は無し。〈万年桜〉も両腕持ってかれましたが、陛下の言う通りにババ……出木天音が帰って来るのならすぐにでも直せると」
「《赤獅子》との戦闘であれだけ消耗しながら、二つの〝世界〟を相手に平然と生還する――やはり彼恋は天才ですね。とはいえ、彼恋は十二分にその役目を果たしてくれたわけですから……今は休んでもらいましょう。正好、トラちゃんの方から連絡はありましたか?」
「〝第九次レコンキスタ〟――十字軍の出撃については承認を得させたと。近日中にガリア連合の制圧にかかれるそうッス」
「それは重畳。ならばあちらはトラちゃんと……ええと、ソラ・ヤナギでしたか? あの二人に任せ、私たちは私たちの役目を果たしましょうか」
帝が言い、彼女は前方を見つめる。その先に見えるのは、おぼろげに映るエトルリアへの国境。
……この勘が正しければ、少々面倒なことになりそうですね。
エトルリアは秘密裏とはいえ同盟相手だ。しかし、その関係は他の秘密裏に繋がりを持つ国々とは大きく違う。何故なら、エトルリアを建国したのは四百年前、藤堂家に敗北した結果として大日本帝国を追われた者たちであるからだ。
一応、その辺りも考慮しているが……念には念を押しておいて損はない。
「全軍、侵攻開始。木枯と合流後、アキちゃんの援護に入ります」
「「「了解!」」」
その場の全員が動き出す。帝はそれを認めると、ふう、と息を吐いた。
「さて……どうするつもりですか、氷原の餓狼?」
◇ ◇ ◇
現れたのは、極東の伝説。
かつてのシベリア戦役においてアルツフェムを訪れた大日本帝国最高位、帝。その身をたった一人で護衛し、同時にあの場の者たちに手出しをさせないほどの威圧感を纏っていた少年。
――天音から聞いたことがある。
現代の大日本帝国には本物の怪物がいる、と。
その天才を前にしては、自分も霞んでしまうと。
「――《武神》……!」
エトルリア公国の代表である女性、マイヤ・キョウが呟くようにその名を口にした。大日本帝国が誇る、最強にして最高の天才。かつて護・アストラーデが相対し、圧倒された《剣聖》神道木枯さえも超える怪物。
その怪物は《赤獅子》の愛用する得物である対艦刀を手に、ゆっくりとこちらへと歩いてくる。
「……野郎……ッ!」
その静かでありながら他を圧倒する歩みに誰もが慄く中、護だけは強く拳を握り締め、その瞳で真っ直ぐに《武神》の愛機たる〈大神・天照〉を睨み据える。
そのまま彼は振り返ると、レオン、と友の名を呼んだ。
「ごちゃごちゃと言い争ってる場合じゃねぇ。〈毘沙門天〉はどこだ?」
その言葉にはっとなり、レオンは自分を取り戻す。そのまま彼は護の問いに答えることなく、周囲に声を飛ばした。
「総員、退避だ! 相手は大日本帝国! この検問で抑えられる相手じゃない! 後方の砦まで撤退せよ!」
「おいレオン! 俺が――」
「状況と場所を考えろと何度言えばわかるんだお前は!? ここで迎え撃って何になる!? 確実に勝てるのか!? 勇気と無謀は違うんだぞ!」
「だったら聞くがレオン! あのバケモンが到着する前に全員撤退できんのか!? どっち道抑えとく役目は必要だろうが!」
怒鳴り声の応酬。レオンは言葉に詰まり、それでも、と声を絞り出した。しかし、その先の言葉を紡ぐことができずに沈黙する。
護は黙ってレオンを睨み付ける。そして、もう一度レオンに問おうとした瞬間。
「――こちらですよ、少年」
声が聞こえた。見れば、そちらに立っていたのは一人の女性。眼鏡をかけ、白衣を纏うその女性の名は――出木天音。
かつての大戦で《女帝》という名を世界に轟かせる、天才にして天災。
「どうせ言っても聞かぬのでしょう? こうなることは予測できていましたので、準備だけはしておきました。選ぶのはあなた自身です。その結末がどうなろうとも、ね」
「……ありがとう」
礼を言うと共に、護は走り出す。レオンの指示を受け、その場の全員が撤退を進めていく中。
一人だけ、敵に向かって突き進むために。
「…………ッ」
レオンはその背に手を伸ばそうとし、その手が途中で止まる。言葉が……見つからない。
その彼の耳に、ため息が届いた。振り返ると、絶、と名乗った女性がこちらを見ている。
「アタシたちはどうしたらいいのかしら? 明確な答えを貰っていないんだけれど?」
「……あの馬鹿に対して言った通りだ。どんな事情があろうと、お前たちを受け入れるわけにはいかない。わかってくれとも、理解してくれとも言わない。だが俺は、シベリアのことを第一に考えなければならないんだ」
「ふぅん……」
絶が値踏みするような目でこちらを見てくる。それに対し、レオンは一歩も退かずにその視線を正面から受け止めた。絶の側にいる少女――咲夜・アスリエルやアリス、ヒスイの視線も。
「……まあ、道理といえば道理ね。そもそも敵国の人間を受け入れようとしたあの英雄とこの子たちが異常なだけだものねぇ。仕方がないわ」
言うと、絶はレオンに背を向けた。レオンは何も言わない。謝罪の言葉さえ、口にしない。してはいけない。
それを口にすることは――あまりにも不実であるが故に。
――だが。
「確かに貴様の言葉は道理だが、青二才。そればかりでは世は回らぬぞ」
更なる第三者の声が響き渡った。その場の全員がそちらを見る。そこにいたのは、豪奢な服装を身に纏う妙齢の女性だ。
――シベリア連邦国王、ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。
そのすぐ隣に彼女の親衛隊、その隊長であるアランを従え、ソフィアが言葉を紡ぐ。
「絶、そして咲夜と言ったな? 歓迎はできぬが、我が国はお前たちを受け入れよう」
「なっ……陛下!?」
「……へぇ?」
声を上げるレオンと、興味深げにソフィアを見る絶。咲夜は何が何だかわからず、ただ黙して状況の推移を見守っている。
「あなた、何者?」
「一国の王だ。とはいえ、まだまだ未熟な身だがな。しかしそれでも、助けを求めている『誰か』に手を差し伸べる決断ぐらいはできるぞ?」
「ッ、陛下。ご自分が何を言っているのかを理解しておられるのですか?」
ソフィアに鋭い視線を向けながら、レオンが言い放つ。ソフィアは微笑を浮かべると、青二才、とレオンに向かって言葉を紡いだ。
「助けを求める者たちがいて、その者に対して私ならば手を差し伸べることができる。その行為が間違いだとでも言うつもりか?」
「これはそういう善悪の話ではありません! リスクが大き過ぎる!」
「確かにそれもまた然り。だがな、青二才。貴様に問うぞ。リスクが大きい。ならば見捨てるというのか? 奴らは我らしか頼れなかった。ここ以外に行く当てなどなかったが故にここへ来たのだ。そんな者たちを――貴様は、『邪魔だから消えろ』と追い返すというのか?」
「……ッ、それが、国のためになるならば……その選択が必要な時もあります!」
「――だから貴様は『青二才』なのだ」
僅かに笑みを零し、ソフィアは言う。
「確かに貴様の言葉は道理だ。だが、それを我らの『正義』は許容するか? あの小僧が――護・アストラーデが、その選択を受け入れるか? 答えは否だ。全く、厄介な話よな。しかし、それを是と我らは受け入れたのではなかったか? あの者の隣に立つために、私は人の道理を外れるわけにはいかぬのだ」
ソフィアが言い終わると同時に、轟音が響き渡る。
コンテナを吹き飛ばすようにしてこじ開け、現れたのは――〝軍神〟。
かつて一国を救った英雄の愛機、〈毘沙門天〉。
「貴様は間違ってはおらぬ。だが、正しいわけでもない。それは私とて然り。どちらを選ぼうと、どちらも正でも否でもないのだ。ならば、どちらが道理に合うかを選ぶしかなかろう?」
それだけを言い残すと、ソフィアもまた撤退の準備に入った。レオンは強く唇を噛み締め、振り返る。
「……こっちだ。この場は危険過ぎる。一緒に来てくれ」
「あら、いいのかしら?」
絶が笑みを浮かべながら首を傾げる。レオンは、ああ、と頷いた。
「……俺だって、胸糞の悪い選択などしたくなかったんだ」
そう言い切ると、レオンが立ち去って行く。その背に向かって、絶が小さく言葉を漏らした。
「……どうにも、やり難いわねぇ……」
◇ ◇ ◇
藤堂暁は、こちらへと向かってくる一機の神将騎を見据えると同時に眉をひそめた。
「〈毘沙門天〉……? 何故、エトルリアから出てくる? いや、そうか。そういうことか。みなもの『嫌な予感』はいつも当たるから困る」
ふう、と暁はため息を零す。本来なら同盟相手である自分たちに牙を剥かないはずの国であるエトルリア公国――そこから出てきた、本来ならシベリア連邦にあるべき神将騎。
この事実を考えれば、答えなど容易く導き出せる。
「だが、道理といえば道理だ。かつて敗北し、国を追われた一族。そんな一族が再び大日本帝国の一員になるかといえば……答えは否だ。奴らにも誇りがあるのならば、尚更ありえん」
歩みを止める。眼前、互いに十歩ほどの距離に〈毘沙門天〉が着地した。
睨み合う両雄。研ぎ澄まされた刃のような緊張感が漂う。
互いに動かず、沈黙したままにどれだけの時間が流れたのか。声を発したのは、《氷狼》が先だった。
『……朱里は、どうした?』
その言葉には応じない。餓狼は、尚も続ける。
『テメェが持ってるその対艦刀の持ち主はどうしたって……聞いてんだよ!!』
――轟音。
全力でブースターを起動した〈毘沙門天〉が、全力でその武装――突撃槍をこちらに叩き込んできた。暁は対艦刀でその一撃を受け止める。
流石に瞬間的な最大出力ではあらゆる神将騎の中でも最強とされる〈毘沙門天〉には〈大神・天照〉でも僅かに及ばない。しかし、それをカバーする術はいくらでもある。
火花が散り、周囲の空間が明滅する。突撃槍は正面から受ければ神将騎の出力も相まって戦艦の装甲さえ軽々と突き破る武装だが、その威力は穂先の一点に集中している。ならば、その穂先を受け流せばいい。
対艦刀の刃を削りながら受け流される〈毘沙門天〉の突撃槍。触れ合うほどに接近する二つの機体。その中で、暁は護へとつまらなさそうに言葉を紡いだ。
「……その問いの答えは、わざわざ俺が口にしなければならないことか?」
――直後、再び〈毘沙門天〉が動いた。
強引にその機体を捻り、同時に背後のブースターを起動。ブースターの加速を利用し、振り回すように突撃槍を横薙ぎに振るったのだ。
通常ならたとえ神将騎であろうと〈毘沙門天〉の膂力と出力を前に真っ二つにされてもおかしくない一撃。しかし、〈大神・天照〉は――藤堂暁は、その行動に対して僅かの逡巡も見せない。
「――単純だな」
対艦刀を持つ右手とは逆、左腕で〈毘沙門天〉の左肩を掴むと、対艦刀を地面に突き刺しながら両足で地面を大きく蹴り飛ばす。
〈毘沙門天〉の左肩を掴む右腕と、対艦刀の柄を持つ右腕。その両腕で支える形で、宙に逆立ちをする〈大神・天照〉。曲芸じみた動きだが、暁にとってはそれが最適な動きということに過ぎない。
振り抜かれる突撃槍。それは〈大神・天照〉を支える対艦刀に直撃し、薙ぎ払う。通常ならバランスを崩すような状況だが、暁は〈毘沙門天〉の左肩を掴んでいた手を離すと、薙ぎ払われた勢いそのままに機体を回転させた。
対し、攻撃を放った直後の〈毘沙門天〉は停止している。〈大神・天照〉の位置は、そんな〈毘沙門天〉の背後上空。
「この程度か、餓狼?」
直撃。
振り抜かれた対艦刀の峰が、〈毘沙門天〉の背中へと叩き込まれた。鈍い音と共に機体が吹き飛び、轟音を立てて〈毘沙門天〉が倒れ込む。完璧に入った。コックピットを打ち抜いた一撃は、その内部にいるパイロット――〝奏者〟を大きく揺さぶる。
相手を殺さずに捕らえるために暁が用いる、通常なら行わないような絶技。だが――
「……やはり、立つか。この程度で倒れられても興醒めだが」
ゆっくりと起き上がる〈毘沙門天〉を見据えながら、暁は対艦刀を構え直す。両の腰に帯びた四本の刀を抜く気はない。今のが《氷狼》の全力であるならば抜く必要などないし、そもそも抜いたら『殺して』しまう。
ガリアの大地で戦った〈ワールド・エンド〉と〈ワールド・イズ・マイン〉にしても、聞き出す必要があったからわざと急所を外したに過ぎない。あれはただ偶然が重なって殺せなかっただけで、殺す気は満々だった。
だが、《氷狼》は殺してはならない。出木天音が取引でこちらへと渡した、護・アストラーデのDNAデータ――そこからわかった事実のために、彼からは聞き出さなければならないことがあるのだ。
故に、ここで《氷狼》護・アストラーデを徹底的に『折る』ことこそが暁の役目だ。今のところ、問題なさそうな任務ではあるが――……
『…………テメェは、知ってんのかよ?』
突撃槍を構えながら、《氷狼》が不意にそんな言葉を紡いできた。無言を返す。すると、《氷狼》はその〝狼〟という名に相応しい――噛みつくような様子で言葉を紡ぎ始める。
『テメェらの王が何を考えているのか! テメェは知っててこんなことをしてんのかよ!?』
「……何を言い出すかと思えば」
作戦行動のために必要な〈風林火山〉の到着まで時間がある。ならば、ここで問答に応じる暇もあるだろう。
「知らないわけがない。むしろ、知っているからこそ俺はこうしている」
『そのために人を殺してんのか!? 手前勝手なその論理を押し付けるために! 朱里を……ッ、ただ明日を生きたかった人間を『邪魔だから』なんてふざけた理由で殺したのか!?』
「お前がそれを言うのか? シベリアの英雄、護・アストラーデ」
『何だと!?』
「お前たちの正義が万人にとっての正義だと本当に思っているのか? シベリアの解放は絶対的な正義であったと、本気でそう思っているのか?」
元々、暁は論理立てて物事を考えることが苦手だ。大日本帝国は現在、十二歳までの子供は――彼恋のような『才能があり過ぎる例外』を除いて――一律に教育を受ける権利がある。武家の子供であろうと農民の子供であろうと、一定の教育を受けられるのだ。
その上で彼らは自身の能力と役目を理解し、国のために尽くすようになる。それが間違いとは思わない。帝の有名な演説に、このような一節があるのだ。
〝人とは、国のために戦わねばなりません。国とは、人のために繁栄せねばなりません。人であろうと国であろうと、それを片方でも忘れれば国家は滅びます〟
その通りであると思う。周囲の人間に聞くところによると、祖国とは『帰るべき場所』とのことらしい。ならばそのために戦い、その『帰るべき場所』も国民を守れば……それは、一つの大きな――『家族』とも呼べる繋がりになる。
国が家族である――それに対し、暁には実感がない。しかし、それは当然とも言えるだろう。幼少期のあまりにも苛烈な経験が、彼に『家族』という概念を与えなかったのだから。
だが、そんな彼にも『帰るべき場所』がある。
この狂った世界を共に生きる〝共犯者〟――水姫みなもの傍ら。それこそが、彼の『帰るべき場所』。
――故に。
「正義など、誰の視点から目にするかによって大きく形を変えるような曖昧なものだ。お前たちの語る正義など、腐った貴族の私欲と何も変わらない」
『んだと、テメェ……!』
「お前が誰かを救ったとして、その裏で何人が殺されたと思っている? 薄っぺらい正義だ。目の前の事しか見えていないお前には、理解できないだろうがな」
――甲高い金属音が響き渡る。二人の武器が、それぞれ衝突した音だ。
『自由さえ認めないような世界が『正義』だってのか!?』
「違うな。帝が――俺たちが目指す世界は、そもそも『正義』も『悪』も存在しない世界だ。ありとあらゆる個人が己の才能を十全に発揮し、世界を支え、世界はその個人を守る――そこに争いなど存在しない。一つの『価値観』に統一された世界で、争いなど起こるはずがないからだ」
そう、それこそが帝が目指し、暁がその手を汚しながらも突き進む道。
だが、氷原の餓狼はそれを否定する。
『自由の一つもないどこが人間だ! 朱里の野郎はいけ好かねぇ奴だったが、その思想には賛同できる! 人は自分自身で『選ぶ』からこそ人なんだ! ただ役目を果たすだけなんてのは、機械の部品と変わらねぇだろうが! テメェらは俺たちに、機械に――道具になれとでも言うつもりか!?』
「――歯車となれと言っているつもりだったが、通じていなかったのか?」
ギリギリと、対艦刀と突撃槍による鍔迫り合いを繰り返しながら暁は告げる。
「部品でいいんだ、人間は。世界を回す部品でいい。そうしてこなかったからこそ、こんな風に世界は歪んでしまった」
『ふざけんな! テメェらは神にでもなったつもりか!? 思い上がってんじゃねぇ!』
「――思い上がっているのはどちらだ?」
全力で対艦刀を振り抜き、〈毘沙門天〉を弾き飛ばす。そのまま暁は正眼で対艦刀を構えた。
……聞いていた人物像通りの男だな。
よく言えば『真っ直ぐ』。悪く言えば『愚直』。前しか見ず、それによって周囲を見ることをしない愚者。
実力は低くない。才能もある。しかし、その精神があまりにも未熟に過ぎる。
「いつから世界は――人類のものになった?」
轟音が、響き渡る。無拍子――意識の空白を叩く、古武術の伝統技法。それによって距離を詰めた暁が、〈毘沙門天〉へと体当たりを叩き込んだのだ。
しかも、ただの体当たりではない。直撃の瞬間に体を捻り、威力を一点に――コックピットに集中させた。『寸勁』と呼ばれる技術の応用でもあるその一撃で、〈毘沙門天〉が宙を浮く。
「……いずれにせよ、敗者の言葉など負け犬の遠吠えに過ぎない」
轟音。そして、衝撃。
振り抜いた対艦刀によって吹き飛ばされ、〈毘沙門天〉が地面を削りながら倒れ込む。
「貴様には何も守れない。前を向く? 結構な話だ。だが、力無き者の言葉など全てが戯言。……そこで見ていろ。全てが破壊される現実を」
仰向けに倒れている〈毘沙門天〉の腹部へ、対艦刀を突き刺す。コックピットこそ避けたが、深々と突き刺した対艦刀によって串刺しにされた〈毘沙門天〉はもう動くことさえできないだろう。
『ま、待ちやがれ……ッ!』
無事では済まなかったのだろう。ダメージの残る声色で《氷狼》が制止の言葉を紡ぐ。対し、暁は冷たい言葉を口にした。
「――敗者の言葉を聞く道理が?」
背後から、轟音を立てて〈風林火山〉が近付いてくる。その甲板には、木枯の駆る〈村正〉の姿もあった。
暁は〈毘沙門天〉を一瞥すると、エトルリア公国に向かって歩き出す。
――その足取りに、迷いはない。
◇ ◇ ◇
要塞内に、甲高い警報が鳴り響いている。《氷狼》が《武神》と戦闘を行っている間に、検問からの撤退そのものは完了した。あの場で戦闘になった場合、三十分も持たないからだ。
現在、シベリアとエトルリア――そしてドイツの兵士たちが集うこの要塞の名は、プラムフィスト要塞。エトルリア公国へ通じる道を塞ぐように、両脇の切り立った崖に囲まれる形で天然の要塞と化している場所だ。
かつての大戦において、オーストリア方面から毎日のように押し寄せてきたEU軍。彼らが進軍を諦めるまでの約一年、ただの一人さえも敵を通すことのなかったという逸話まで残っている。
そのプラムフィスト要塞の会議室。そこに、凛とした声が響いた。
「ふん。それで? 貴様の言う最悪の展開というものになったと認識すればいいのか?」
「私の予測ではなく、そこで外を眺めている女の予測だがな」
応じる声はソフィアのものだ。だが、視線を向けられた白衣の女性――出木天音は中へ視線を向けることはなく、ただ窓の外を眺めている。
それを一瞥すると、最初の声の主――神聖ドイツ帝国代表、カルリーネ・シュトレンが不愉快そうに眉をひそめた。
「同盟を組む以上、遅かれ早かれこういう状況は来るだろうと予測していた。大日本帝国と事を構えるのだからな。今回はここ――エトルリアの国境が戦場になってこそいるが、本来なら我がドイツが戦場になっていたこともあり得た。ならば、ここで彼の国の力を見定めることに異論はない」
「ふむ。そちらは大日本帝国の力を見てきたのではなかったのか?」
「大戦において私は私の領地を貴様らシベリア軍から守ることに必死だった。大日本帝国の残した戦果を知ってこそいれ、実際のものは知らん」
「成程……キョウ殿はどうだ?」
カルリーネの皮肉を受け流し、ソフィアは隣に座る人物――エトルリア公国代表、マイヤ・キョウに問いかける。彼女は首を左右に振った。
「私たちも変わりませんね。大日本帝国は密約により、エトルリアには攻めてこなかったので」
「密約というと、例の家名の話か?」
「もう四百年も昔の話である上に、勝者からの施しなど……異国の地に根を下ろしたとはいえ、私も侍の血統。そのような侮辱を受け、黙っている道理はありません。……当時は国のこともあり、恥辱に耐えて密約を交わしましたが……」
「EU首脳会議の乱入は?」
カルリーネの問いかけ。エトルリアがEU首脳会議に乱入し、大日本帝国の利になるようなことをしたことについての問いかけだろう。マイヤは頷き、それについては、と語り始めた。
「当時は大日本帝国に逆らえる国はなく、私個人の誇りなど捨て置いてでも国を守らなければならない状況でしたから」
「我々も、抗えるかといえば確実ではないぞ?」
「その代わり、大日本帝国に抗う国が消えたでしょう」
「分の悪い博打だ。国の人間が哀れだな」
「それはお互い様です」
「首を差し出す覚悟はいつでもある。……軍の者たちは、私の決断を受け入れてくれたがな」
苦笑を漏らすソフィア。マイヤも、私もです、と頷いた。
大日本帝国に抗うという決断。普通ならあり得ないその選択を受け入れた部下たちには感謝している。
もっとも、全員が承諾したわけではない。今回連れて来ている人員たちだけに話し、今後については今回の戦いの結果によって選択していくつもりだ。
護にも話しておきたかったのだが、護が出発した時にはまだエトルリアとの調整中で、多くが決まっていなかったこともあって伝えられなかった。レオンも「伝えなくていい」と言っていたのでとりあえず置いておいたのだが……少々、間違えたかもしれない。
……まあ、どの道護はこちらへ判断を丸投げしただろうが……。
救国の英雄でありながら、愛国の英雄ではない男。それが《氷狼》護・アストラーデだ。全ての判断はこちらに任せ、結局、納得いく戦場で戦うだろう。
それが氷原の餓狼であり、シベリアの英雄だ。
「……私はまだ、貴様らの同盟に加わると決めたわけではない」
不意に、カルリーネがそんなことを口にした。ソフィアが目を細める。
「不満でもあるのか?」
「そもそも大日本帝国に牙を剥くこと自体が十二分に問題なのだがな。議会の承認も、結局私を恐れているだけだ。私個人としてはやり易いが、民の心が付いてこなければ意味はない」
「そのためのこの戦いだ。だからこそ貴様も《バーサーカー》をここへ連れて来たのだろう?」
「……あれを連れて来たのは少々事情が違うが、まあいい。配置は済んでいるのだろうな?」
「はい。総員の配置は済んだと先程報告が」
マイヤが頷く。そんな彼女にそうかとカルリーネは頷くと、机の上に広げられた要塞の地図へと視線を落とした。
「だが、迎え撃つために出撃する神将騎が四機というのは少な過ぎはしないか?」
「相手が相手だ。一定以上の力がない者を出撃させたところで潰されるのが目に見えている。青二才の作戦だ」
「……何? あの若造が指揮を執っているのか?」
「指揮を執っているのはこの要塞を守る私の部下です。ただ、レオン殿には作戦立案を――」
「ふざけるなッ!!」
凄まじい音を立て、机が揺れる。カルリーネが全力で机を叩いたのだ。
彼女は立ち上がると、怒りを宿した表情を二人へと向けた。
「大日本帝国を敵に回すというこの状況で、作戦立案をあのような小僧に任せるだと!? 貴様らは正気か!」
「そうは言うが、ドイツの王。奴はシベリア解放において前線指揮を執った男だ。確かにまだまだ未熟故に『青二才』と呼んでいるが……奴が役者不足というなら、その未熟者に敗北した統治軍はそれ以下ということになるぞ?」
「何だと……!?」
「二人共、落ち着いてください」
「そもそも貴様の軍は何なのだ!? 総大将が一人で最前線へ赴き、その間に作戦準備を行うなど……! 雑兵の仕事だろう!?」
「それが我が軍の総大将の在り方だ。不思議と一度も死ぬことはなく、故にこそ英雄となったわけだが」
「…………ッ、話にならん! 軍を統べるは選ばれし者がすべきこと! 聞けばあの小僧も《氷狼》も平民の出というではないか! そんな者たちに軍の指揮など執れるはずがない!」
「……ほう? それはあの二人に対する侮辱か?」
「平民と貴族ではそもそもの土台が違う! 貴様も王ならばわかるだろう!? 我らは生まれた時より自身の身を捨ててでも民を守らなければならない身! そもそもの覚悟が違う!」
「それが傲慢だと、私はあの小僧に――護に教えられた。あの二人をこれ以上侮辱するというのならば、それは私への侮辱と同義。相応の覚悟をしてもらうが……構わぬな?」
「いいだろう。平民にも確かに優秀な者はいる。だが、そもそもの覚悟が違うのだ。民とは、我らのような選ばれし者が導かねばならん。民草の幸福を見出せるのは我らだけだ!」
「……これ以上は話しても無駄なようだな。来い、ドイツの王。決闘だ。貴様ら欧州の流儀に合わせてやる」
「ふん。国益のためとかつての敵であることは呑み込んだが……ここで清算しておくのも悪くない」
二人が立ち上がり、それぞれが両刃の細剣――レイピアよりも僅かに剣の腹が広い剣を手に取る。
そんな二人の様子を見、止めようとしていたマイヤはため息と共に部屋の隅へと移動する。この部屋にいる最後の一人――天音は変わらず壁にもたれかかりながら窓の外を見ており、視線を向けることさえしない。
「…………」
二人が睨み合いながら、剣を構える。殺気が漲り、そして、爆発しようとした瞬間。
「――来ましたね」
今まで一言さえも発さなかった天音の言葉で、二人の動きが止まった。天音は変わらず視線を外へと向けたまま、言葉を紡ぐ。
「やはり、少年には荷が重かったようで。……まあ、死んではいないでしょうが。彼がアレを受け継いでいる可能性がある以上、帝は手元に置いておきたいでしょうし」
ふう、という面倒臭そうな天音のため息。そのまま、天音はそこでようやく室内を振り返った。その表情には、怪訝なものが浮かんでいる。
「……何をしているんです?」
「いや、少々議論が熱くなっただけだ。それで、敵襲と聞いたが?」
「ギリギリ視認できる距離に、神将騎が三機ありますね。あれは……〈大神・天照〉、〈村正〉、〈神威〉ですね。《武神》、《剣聖》、《野武士》。これはかなり本気でここを落としに来てますね。マイヤ、あなた信用されてなかったようですよ?」
「……〈毘沙門天〉の出撃も理由の一つと思いますが?」
「どちらにせよ、《七神将》が三人も現場に来ているなど異常事態です。それもEUから〈風林火山〉まで出してくるとは……EUで何があったんでしょうねぇ?」
マイヤの暗に責めるような言葉を軽く躱し、天音は三人へ視線を送る。だが、返事はない。
「……まあ、いいでしょう。私は私でやることがあるので行きます。では、武運を」
「待て! 貴様は戦わんのか!?」
足早に部屋を出て行こうとする天音。それを止めたのはカルリーネだ。彼女にしてみれば、《女帝》とまで謳われる天音が戦わない意味がわからないのだろう。
天音は微笑を浮かべる。そのまま、どこか嘲笑うような調子でカルリーネへ言葉を紡いだ。
「――私に頼らねばならぬなら、初めからあの国に喧嘩など売るものではありませんよ」
そう言うと、カルリーネには興味をなくしたようにドアノブへと手を伸ばす。その天音に対し、ソフィアが静かに言葉を紡いだ。
「天音。――感謝する」
「こちらこそ。中々に温かい場所でしたよ。――武運を」
「互いにな」
ソフィアの言葉に対し、笑みを返し。
天音が、立ち去って行く。
「……ふん。忌々しい女だ」
「珍しく意見が一致したな、ドイツの王。アレは私の手には負えぬ」
カルリーネに対し、苦笑しながらソフィアが言う。そんな二人へ、マイヤがでは、と声をかけた。
「私は出ます。無駄とは思いますが、勧告を行わなければならないので……」
「ああ。我々も動こう。万一に備えてな。ドイツの王、決闘は――」
「――決闘はもういい。それと私の名はカルリーネだ、ソフィア。それに私は議会の代表であるだけで王ではない」
「……うむ。ではゆくぞ、カルリーネ。相手は大日本帝国だ。備えを万全にしておいて損はない」
「事を構えている時点で既に損はありそうだがな」
「では、参りましょうお二方」
マイヤのその言葉に二人が頷き、三人は部屋を出て行く。
最強の国家との戦いが――近付いていた。
◇ ◇ ◇
『止まれ』
自身の愛機である〈神威〉の中で《七神将》第五位、本郷正好は暁の指示を聞いた。その指示通り、機体を止める。
彼らは現在、たった三機の神将騎で進軍している。他国の軍隊が見れば目を疑うような光景だが、彼らにしてみれば日常だ。
長く戦場に立つと、戦場の空気というものがわかる。〝死〟に対して敏感になるのだ。
それは決して万能の力ではなく、むしろ『勘』に近い不確かなもの。だが、彼らは知っているのだ。その直感こそが、自身を戦場から生還させる何よりのものだと。
……まあ、後数十分もすれば〈風林火山〉も来る。アレの制圧力なら要塞ぐらい落とせるだろうしな。
それに、彼以外の二人が《武神》と《剣聖》だ。かつて世界で最も堅牢な都市と謳われたシベリアの城塞都市アルツフェム――それを、《剣聖》と《女帝》が一個中隊を率いて壊滅させたのも記憶に新しい。
神将騎だけでそれだけのことができるのだ。火力においては世界最高峰の〈風林火山〉が加われば、制圧できない場所など存在しない。
『どうやら、帝の嫌な予感が本格的に当たったらしい。……エトルリア公国は、こちらを完全に敵とみなすつもりのようだ』
「……みたいッスねぇ」
無線から伝わってくる言葉に相槌を打つ。プラムフィスト要塞――難攻不落の逸話を持つその要塞が、完全に臨戦態勢だ。アレを見て友好的だと思う人間は頭がどうかしている。
『ふん。むしろこの方がわかり易い。それに、お前たちも心の底で思っていただろう? かつて国を追われた一族が、今更家名を取り戻すために密約を結ぶなど……侍のすべきことではないとな』
『だからこそ、帝もそのことを考えて《七神将》を引き連れて追ってきた。……こうならない方が良かったのも確かだが』
「確かにそうッスよね。誇りも何もかも捨てた奴相手なら楽だったけど……誇りのために命を捨てるってんなら、本当に厄介だ」
呟く。なりふり構わない人間というのはそれはそれで厄介だが、何よりも厄介なのは『命を捨てる』人間だ。命にしがみつく人間はどうとでもなるが、命を捨て、それでも何かを成そうとする人間は生半可な方法では折ることができない。
大日本帝国に反抗すること。その意味を、エトルリアの代表たるマイヤ・キョウは理解している。それでも、彼女はこうして抗ってきた。
どれほどの――覚悟か。
『――大日本帝国の方々に告げます』
聞こえてきたのは、拡声器に乗った女性の声。――マイヤ・キョウだ。
『ここはエトルリア公国の領内です。何者であろうと、戦闘行為を行うことは認めません』
それは、宣戦布告。
踏み込むならば攻撃するという、意志表示。
『――許可など、始めから求めるつもりはない』
対し、大日本帝国が誇る『最強』が言葉を紡ぐ。
『茶番は不要だ。こちらはこちらの道理があってここへ来ている。そちらにも道理があるならば――』
〈大神・天照〉が、腰から刀を抜く。
暁が四本持つ、《武神》が振るうために生み出された刀のうちの一本を。
『――刃で語れ』
ゾクリ、と。背筋に凄まじい悪寒が走るのを正好は感じた。
暁は敵ではない。味方だ。しかも彼はこちらへ背中を向けている。――なのに。
――なんつう威圧感だよ大将……!!
正面になど絶対に立ちたくない。《剣聖》と呼ばれる木枯の正面に立つのも嫌だが、戦場で暁の前に立つのは本気で勘弁したい。達人と呼ばれ、《野武士》と呼ばれる正好でさえもそう思ってしまうほどの力を暁は有している。
見方からも畏れられる、無双の怪物。
それが――《武神》。
『……致し方ありません。ならば、実力で排除させていただきます』
暁の言葉に対する、マイヤの返答。そして、そいつらはやってきた。
轟音を響かせ、最初にこちらと相対する位置へと着地したのは二機の神将騎。位置としては木枯の駆る〈村正〉と相対する位置だ。神将騎の名は資料で知っている。フランス救国の傭兵、アーガイツ・ランドールが駆る〈セント・エルモ〉に、搭乗者は不明だがかつて見かけたことのある白雪のような白さを持つ神将騎、〈スノウ・ホワイト〉。
『ほう。フランスの英雄に、天音が言っていた人工的に強化された奏者か。――相手にとって不足はない』
声が聞こえると共に、〈村正〉が腰の刀へと手を伸ばす。どうやら《剣聖》は一人で二人の相手をするつもりらしい。
加勢も考えたが、それは目の前に現れた神将騎によって阻まれる。
細いフォルムをした、どこか濁った朱色をした機体。ただ特徴的なのは、その腕部が非常に太いこと。
EUにおいて英雄の座に名を連ねる、その神将騎の名は――〈ミュステリオン〉。
戦場において《バーサーカー》と謳われるドイツ軍人、スヴェン・ランペルージ。
「……ドイツまで噛んでんのかよ。ちっ、面倒臭ぇな」
槍を構える。対し、〈ミュステリオン〉は腕部から二本のブレード――チェーンソーを射出する。
唸りを上げ、鈍い金属音を響かせる二刀のチェーンソー。スヴェン本人は決して狂戦士といった類の人間ではないが、その武器がもたらす圧倒的に凄惨な光景が《バーサーカー》という名を彼に与えた。
そして、単純であるが故に――その力は強い。
大戦においてEU最強の英雄と謳われる《赤獅子》に次ぐ戦果を残すのが、この《バーサーカー》なのだから。
「上等だ。やってやるぜ狂戦士」
構え、睨み合う。
――そして。
『最強』には、『最強』が。
天より――舞い降りる。
世界最強の神将騎。現状、唯一確認される飛行型。
その銀色の翼を用い、その神将騎は舞い降りる。
名を――〈ブリュンヒルデ〉。
操るは、《戦乙女》。
対し、もう一人の『最強』はただ無言。
交わす言葉はなく、ただ、動く。
激戦が――始まった。
◇ ◇ ◇
戦闘の音が響く。外では神将騎同士の激戦が繰り広げられ、更に到着した〈風林火山〉が要塞へ攻撃を開始。それに対応しているということもあり、要塞内部はかなり荒れている。
格納庫では兵士が出入りを繰り返し、次々と弾薬が運び出されている。神将騎も出撃準備は万端で、いよいよとなったらここから神将騎はなくなるのだろう。
咲夜・アスリエルはそんな格納庫の端で邪魔にならないようにと大人しくしていた。自分にできることがないと自覚している彼女は、『何もしない』ということも一つの答えだと知っている。
絶はどこかへ行ってしまった。まあ、彼女は心配しても仕方がない。死ぬところなど想像もできない相手だ。アリスは出撃したし、ヒスイもあの小さい身体で救護班として動いているらしい。
「…………」
車椅子に座りながら、咲夜は自身の体を見つめる。何もできない、満足に歩くことさえできない体。
朱里は――最愛の兄は、どうして命を懸けてまで自分を守ってくれたのか。
「…………お兄、ちゃん……」
こんな自分を守っても、兄には負担にしかなっていなかったのに。
何も……できなかったのに。
どうして。
どうして。
どうして。
同じ疑問ばかりが渦を巻く。
どうしたらいいのかが……わからない。
だから、俯く。
涙だけは堪えて。
泣く権利など、自分にはありはしないから。
ただ、私は――
「――諦観が、人を殺す」
不意に声が聞こえた。顔を上げると、白衣を着た美女がこちらを見ている。同性の自分でも思わず見惚れてしまうようなその美女は、酷く冷たい表情でこちらを見ていた。
「な、なにを」
「あなたは本当に、何もできない人間ですか?」
叩き付けるような問いかけ。それに、思わず俯いてしまう。
だって、仕方がないのだ。自分は弱くて臆病で。体一つ満足に動かせない。
そんな自分が、何を成せるというのだ?
「不要な人間なのですか?」
不要――その言葉に、酷く納得してしまった。
生きてきたのは、朱里がいたから。いてくれたから。あの人が守ってくれて、そして、少しでもあの人の苦しみを和らげることができればと。そんなことばかりを……考えて。
なら、不要なのだろうか。
いや、きっと不要なのだ。自分は。
大切な人を――愛する人を死なせるだけの自分など。
頷こうとした。
顔を上げて、頷こうとした。
――その、瞬間。
「人生を舐めないで頂けますか? 何も知らない小娘が」
いきなり胸倉を掴まれ、女性に睨み付けられていた。その目は、侮蔑と怒りを宿している。
「不要? ならば、あなたを守って命を散らした英雄はどうなるのです? あなたを守るために共に噛みついた少年は? そして不要であるならば――何故、あなたは生きている?」
その言葉は、とても重く。
同時に……痛い。
「生かされたのでしょう? 生きていて欲しいと、命を懸けた祈りを受けたのでしょう? そんな自身を不要と断じるのであれば、それはあなたを救った全てに対する冒涜です。……人はどんな状況であろうと、どんな場所だろうと生きていける。絶望さえ知らない身分で、自身を不要などと語らないで頂きたい」
「……何が」
叩き付けられたその言葉に。
心が、言葉を叩き返す。
「何が、何がわかるんですか!? お兄ちゃんが死んで! 私の存在は戦争の理由になるなんて言われて! 独りきりになって! 私は一人じゃ立つこともできなくて! これが絶望でなければ何なんですか!?」
何かをしたいと思っても。
何もできない、この体が。
その全てが――希望を抱くことを許さない。
「――吠えるな、小娘」
乾いた音が響き、咲夜の頬に痛みが走る。
女性が、平手打ちを見舞ったのだ。
「絶望というのは己にできることの全てを行い、あらゆる可能性を試し、更に自身と自身の側にいる存在のありとあらゆるものを懸け、奇跡を起こし、その上で……その上でどうにもならないモノを叩き付けられた時、初めて口にしていい台詞です」
女性のことを咲夜は知らない。どんな人間か、どんな人生を歩んできたのかは欠片も想像できない。
でも、それでも。
その言葉は、どうしようもないほどに――重かった。
「逃げるな。できることを探しなさい。自分自身を諦めるな」
「……でも、私にできることなんて」
「見なさい」
強引に視線を向けさせられ、咲夜はそちらを見る。
――神将騎。
格納庫の端にある、誰も側にいない一機の神将騎。どこか物寂しげなそれが、目に入る。
「あれはこの場にいる誰にも扱えなかった神将騎です。名を〈月詠〉。しかし、あなたには可能性がある。英雄の妹たるあなたには、可能性が」
「……でも」
「まだ立ち止まったままなのですか?」
「――――ッ!?」
まだ、というその言葉が。
咲夜の心に、突き刺さる。
「動きなさい。これが最後の機会です。選ばれなかったら諦めればいい。次を探せばいい。これが私の用意できる譲歩です」
そして、女性は手を離す。そのまま、言いたいことは言い切ったとでもいうように踵を返した。
咲夜は、その背中へと言葉を放つ。
「……私は、生きていてもいいのでしょうか?」
また怒られるかもしれない――そんな風なことを思いながらも発した問いに。
「その答えを人に求めるのは、あまりにも卑怯ですよ。それは自分自身が決めることですから」
静かに、女性はそう答え。
咲夜は、拳を握り締めた。
…………。
……………………。
………………………………。
「相変わらず、人の心を玩具にするのねぇ?」
「何のことでしょう?」
「……まあいいわ。アタシは踊ってあげるわよ。あの子も、あなたのことは大好きだったから」
「――やめてください」
女性は、静かに微笑んだ。
「一番〝不要〟なのは、私なんですから」
というわけで、護くん敗北。戦闘開始。
色々とまあ、クライマックスです。
今回も語るべきところは色々あるのですが……まあ、とりあえずカルリーネ。
彼女は実力主義者ですし、同時に選民思想も強い人です。なので、護やレオンといったどう見ても若造と呼べる相手――それも貴族でもなんでもない人間の実力には疑いを持つのですね。ソラを認めていたのは本当に例外です。彼女、リィラのことも実は全く認めていなかったりしたので。……眼中になかったとも言えますが。
ちなみに、現行の『最強の神将騎』は今回登場しました〈ブリュンヒルデ〉――まあ、空飛べるし無敗だし、ってな感じですが、〈ブリュンヒルデ〉は『飛行』のイメージです。そして、認知されていませんがもう一機の空を飛べる神将騎〈大神・天照〉は『浮遊』のイメージです。
といっても結局乗り手で変わってくるので、スペックは参考程度にしかならないわけですが。
ではでは、感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!




