第八話 その血の代償
護・アストラーデを中心とし、案内役に伊狩・S・アルビナを迎えた四人のメンバーの行動は早かった。命令を下されてから僅か一日でEU入りを果たしたのである。
もっとも、それはメンバーが少々特殊だからともいえる。《氷狼》時代に各地を転々とする生活をしていた護や元々旅をすることを目的とした装備であるアルビナなどはいつでも向かえる状態であり、ヒスイはその性格的にもあまりものを必要とせず、旅の準備が必要なのは実質的にアリス・クラフトマン一人だったのだ。
もっとも、そのアリスもアルビナの『大抵のものは現地で調達した方が都合がいい』という言に従い荷物は軽いため、準備は短かった。
そこからは移動だ。とはいっても国境近くまでは最近復興が進んだ『シベリア鉄道』が通っており、そこからはエトルリア公国を横切ればすぐにEUである。エトルリア公国についてはシベリア復興の時より国王たるソフィアが積極的に国交を結ぼうと努力し、実現にこぎつけていたため特に問題はなかった。
とはいえ、強行軍は強行軍だ。アルビナの伝手とシベリアの諜報員に連絡がつくという千年ドイツ大帝国についたころには、護たちも限界を迎えていた。
そこで、アルビナの伝手を利用した宿をとり、四人は夜を明かそうとしていたのだが……その深夜、護の部屋に一人の来客が来ていた。アルビナだ。
「お嬢ちゃんと坊やは寝ているのかい?」
「一緒に寝てるよ。普段からそうみたいだしな」
「おや、嫉妬してるさね?」
「してねーよ」
アルビナが街から調達してきた酒瓶。その蓋を弾くように開けながら、護は憮然とした表情で言葉を変えす。二つのコップにそれぞれ酒を注ぐと、それで、と護はアルビナに問いかけた。
「この街の――っていうより、この国の妙な雰囲気は何だ?」
「……へぇ、気付いていたとはね。伊達に英雄とは呼ばれてないか」
グラスを傾けつつ、どこか楽しげに言うアルビナ。護は、俺だけじゃねぇよ、と言葉を紡いだ。
「アリスは『俺に任せる』って言ってきたし、ヒスイは何も言わねぇけど気付いてる。まあ、『言わなくてもいい』――なんて考えてるのかもしれねぇけど」
「それはそれは……認識を改める必要があるさね。お嬢ちゃんも坊やも、中々どうして。類は友を呼ぶ――いや、同類が集まる、ってことかねぇ」
「……どうでもいい。そんなことは。俺が聞きたいのは、この国に何が起こっているか――その事実だ」
「革命」
護の言葉に対し、アルビナは即座に応じた。眉をひそめる護。アルビナは肩を竦めると、そう難しい話じゃないさね、と言葉を紡いだ。
「どうもドイツは資金繰りに関して上手くいっていなかったらしくてね。過度なインフレ、失業者の増加……まあ、普通の企業なり何なりなら倒産していてもおかしくない状態だったそうだよ」
「国が倒産する、なんてことがあり得んのか? 国ってのは戦争でもしなけりゃ潰れるもんでもないだろ?」
「それがそうでもないさね。歴史的に見ると、確かにアンタの言う通り国の滅亡は侵略戦争が基本だ。だけど、『腐敗による滅亡』という例はいくつもある」
「腐敗による……滅亡?」
「まあ、要は倒産さね。先生なんかはよく国の財政を『家計と同じ』なんて表現するけど、国を動かすには多額の資金が必要になるのはアンタもわかるだろう? ならそのお金をどこから引っ張ってくるかっていう話さね」
煙管を取り出し、その煙を吹かし始めるアルビナ。そんな彼女の言葉を聞き、成程、と護は頷いた。
シベリア連邦の復興に使われている資金は、EUから借り入れた無期限無担保無利子の借金――要は『返さなくてもいい資金』だ。その額はドル換算にして数億というとんでもない額だったが、ソフィアによるとそれでさえも結構ギリギリらしい。
だが、返さなくてもいい資金であるために思い切ったことができるという意味もある。しかし、実際の借金――おそらく国単位となると『エトルリア公国』を中心としたネットワークができているのだろうが、そこから借りた資金は必ず返さなければならない。
それが返せなくなった時が、要するに倒産なのだろう。国の倒産……護にはそれがどういうものなのか、正直想像できないのだが。
「……まあ、何となく事情はわかった。それで、革命ってのは実際にどういう形で起こったんだ? イタリアなりイギリスなり、国王がいる国ならその首を飛ばせば革命の一つも起こせるだろうさ。けど、ドイツは貴族政治が基本で王がいない国だろう? そんな国で革命なんざ、無理じゃねぇか?」
「革命、って言ってもそれは別にスペインやフランスで起こったような政治的な革命ばかりじゃないよ? 歴史の教科書にも載ってるように、『産業革命』ってものもあるわけだからねぇ。知っているだろう?」
「いや、知らん。というより覚えていない」
「……この辺の知識に関しては、やっぱりお嬢ちゃんの方が上だねぇ。まあ、どうでもいいけど」
ふう、とアルビナはため息を吐く。護は一応、普通教育を受けてはいる。だがそもそも勉強というものは苦手である身だ。歴史など、大まかなところしか覚えていない。
まあ、それでも問題なく過ごせている以上、本人は気にしていないのだが。
「ここでの革命は単純さ。定例会議――普段は各地方を治めている貴族たちが国の政治について会議を行うその場所を、一つの政党が襲撃した」
「政党?」
「救済党、というんだそうだ。そこの党首はアンタにも馴染み深い人間だよ。――カルリーネ・シュトレン。かつて統治軍でアンタと何度か戦った人間さね」
「俺よりはレオンだな。……カルリーネ・シュトレンか」
親友と信じる相手――レオン・ファンのことを思い出す。彼はカルリーネについて『要注意』だと言っていた。レオンがそう評する相手だ。一筋縄でいかない相手なのだろう。
護のそんな様子を見て取ったのか、アルビナは少し表情を険しくすると、そもそも、と言葉を紡いだ。
「カルリーネのやり方はかなり周到だったさね。会議の前に根回しを行い、必要な人材は会議に参加しないように言い含めた上で計画を決行。……カルリーネ・シュトレンが『必要ない』と判断した貴族連中は、会議室で文字通り皆殺しの憂き目に遭ったらしい」
「ちょっと待て。皆殺し? どうしてそんな」
「――それが覚悟だ、と血に濡れた姿でカルリーネは言ったそうだよ」
そのままアルビナが語り出したのは、千年ドイツ大帝国の名門貴族を背負う女性のあまりにも苛烈な覚悟だった。
ドイツの英雄であり護でさえもその名を聞いたことがあるほどの人物。《バーサーカー》スヴェン・ランペルージと共にこの計画を練り上げ、市井に住む国民たちを少しずつ援助していた『救済党』という政党――というよりは、組織と呼ぶ方が正しいか。いずれにせよ、その過程でカルリーネは思ったそうだ。
――足りない。
――これでは国は救えない。
そして彼女が出した答えは、『国を導く貴族としての責務を果たすこと』だった。国を腐らせた貴族を全て排除し、彼女は彼女が見据える未来のために行動したのだ。
そして、先日。
定例会議をカルリーネ率いる『救済党』が包囲。各貴族たちの護衛を救済党の人員が排除し、カルリーネはスヴェン・ランペルージと共に会議場へ突入。そのまま一切の容赦も慈悲もなく、貴族たちを皆殺しにした。
そしてその返り血を拭うこともないまま、カルリーネは動揺する民衆たちの前に現れたのだという。
――そして。
そこで彼女は、ゆっくりと頭を下げたのだ。
〝国を導く立場にありながら、民を導く立場にありながら。我々は、何もしてこなかった〟
〝だが、頼む。最後に一度だけ、我らを信じてくれ。それが不可能だったならば……この首を、お前たちに差し出そう〟
そうして、革命が終わった。
新たに作られた『諸侯会議』においてカルリーネ・シュトレンが議長へと就任し、今日はそれから一夜明けた状態だということだ。その話を聞き、護は成程、と頷く。
「妙な雰囲気だったのは、お祭騒ぎだったって事か」
「それだけとは言い切れないけど、ね」
「……何か引っかかる言い方だな」
護は怪訝な表情を浮かべる。アルビナが肩を竦めた。
「考えてもみな。今回生かされた貴族は『カルリーネ・シュトレンが生かすべきと判断した』から生きてるんだ。これは一種の独裁。そこに危機感を抱くなっていう方が無理だよ」
「……確かに、言われてみればそうだ。カルリーネ・シュトレンが絶対に正しいわけじゃねぇんだから」
「それにこの国の人間が気付いていない。それが怖いさね。まあ、あたしはどうでもいいんだけど……そうさねぇ、早朝にはここを出てしまいたいところだね」
「あん? 何でだ?」
首を傾げる護。そんな護の様子を見て、はぁ、とアルビナはため息を零した。
「もうちょっと色々と物事を考えたらどうだい?……ドイツがこんな状況になってるのは、統治軍が解放軍に追い出されたからだよ。元々財政難なところへ、今回の実質的には賠償金となる資金の支払い。シベリアに対して不満がないかといえば、むしろ不満たらたらだろうさ」
「逆恨みじゃねぇか」
「逆恨みでも恨みは恨みさ。……アンタはまあ、見た目は日本人だ。目立ちはするけど狙われたりはしない。坊やは元々こっちの人間だし、問題はないだろう。けれど」
「……アリスか」
「白い髪なんてのはシベリアでも珍しいけど、こっちではより珍しい。それにあの子は生粋のシベリア人なんだろう? 面倒事に巻き込まれるのは目に見えてる」
断言するようなアルビナの言葉。正直、これは頷くしかない。
「……わかった。明日の早朝のうちにここを出よう。最終的にはどこへ向かうんだ?」
「ちょっと気になることがあってね。イタリアに入りたい。構わないかい?」
「俺はEUについての知識がねぇ。任せるよ」
「あいさ、了解した」
頷くアルビナ。そんな様子を見て、護は椅子から立ち上がった。明日が早いならさっさと寝ようと考えたのだ。
だが、そんな護をアルビナが呼び止める。
「まあ、待ちなよ。折角なんだ。一献、付き合ってはくれないかい?」
グラスを掲げ、アルビナが笑みを浮かべる。護はため息を一つだけ零すと、わかったよ、と頷いた。
「正直、眠れる気分でもねぇしな」
夜は更けていく。ここにいる彼らは、まだ知らない。
彼らの向かう先が、既に戦場であることに。
◇ ◇ ◇
病院の一日というのは、酷く退屈だ。検査があるといってもそれは毎日というわけではなく、検査がない日はその一日をベッドの上で過ごすことになる。
外に出ることが許されていれば、あるいはもう少し違ったのだろうが……咲夜・アスリエルの場合そうはいかない。
少し前までは彼女も付き添いがいれば外に出ることを許されていたし、場合によっては一人で外を散歩することもしていた。しかし、最近の彼女に外出許可は出ない。ほんの少しの……手が届くような場所にある『外』さえ、今の彼女には眺めることしかできない場所だ。
「…………」
ふう、と吐息を零す。外に出てはいけない――その言葉の理由と意味を、咲夜は知っている。
「……お兄様」
自分の知らぬところで戦っているのであろう兄を想う。この気持ちが兄妹としての想いなのか、それとも別の想いなのか……正直、わからなくなっていた。
小さな頃、両親がいた頃。思い出すのは、兄の温かな手。
病弱だった自分をいつも気遣い、大切に想ってくれたのが兄だった。両親も優しく、本当に恵まれていたのだと思う。
その日常が壊れたのは、もう、随分と前。
両親が目の前で事故に遭い、何が何だかわからなって。気が付いたら病院にいて、軍服を着た兄が自分を見ていた。
〝大丈夫だ〟
その時の兄の表情を、覚えていない。
兄はどんな気持ちで、どんな表情でその言葉を紡いだのか。紡いでくれたのか。
自分には聞く権利も、勇気もない。
――だって、考えてしまうのだ。
もしも自分がいなければ。
もしも自分が病に侵されていなければ。
兄も、両親も……もっと、幸せに暮らしていたのではないかと。
私は、生まれて来なかった方が良かったのではないのかと――……
「――灯りくらい、点けたらどう?」
不意に、そんな声が響き渡った。そのまま、室内が明るくなる。
来客者は思った通りの人物だった。短い艶のある黒髪を有した、妖しさ――そう、どこか底の知れない妖艶さをその身に纏う女性だ。
咲夜の兄である朱里・アスリエルとは仕事上のパートナーと咲夜は聞いている。日本の人間であるこの人物……絶と朱里がどうやって知り合ったのかは少々謎だが、そこは気にすべきところではないだろう。それに、気にしたところで仕方がない。
知ろうがが知るまいが、『結局同じ』なのだから。
「一応、彼は今日中には帰ってくるみたいだけど……正直、面会時間内には帰って来れないでしょうね。何か必要なものとか、ある?」
無言で首を横に振る。何故だろう。いつもなら楽しく話ができるはずなのに……どうしてか、上手く言葉が出てこない。
違和感。そう、違和感だ。相手から感じるそれが、言葉を吐くのを躊躇わせる。
「あら、どうしたの?」
こちらのそんな様子を見ぬいたのか、笑みを浮かべながら首を傾げる絶。
大丈夫です――そんな簡単な言葉さえ、吐くことができなかった。
近付いてくる絶。それにより、より一層の違和感が体を駆け抜ける。
――これは、何?
酷く覚えのある、これは――……?
そして、気遣う絶の手がこちらの額に触れようとしたその瞬間。
『ソレ』に――気付いた。
「…………血の……匂い……?」
鼻につくような、鉄の臭い。これは間違いなく、血の臭いだ。
絶が笑みを消した。動きを止め、まるで値踏みでもするかのように咲夜を見る。その姿には先程までの妖艶さはなく、ただただ冷たい雰囲気だけを纏っている。
咲夜はそんな絶の様子に気圧されるが、それでも勇気を振り絞って言葉を紡いだ。
「絶さん。……あなたは、『人殺し』ですか?」
「…………」
絶は何も言わない。しかし、笑みを消したはずの表情には新たな笑みが刻まれた。
それは先程までの笑みとは決定的に違うもの。嘲笑うような、それでいて獰猛な笑みだ。
「あなたからは、かつての兄と同じ臭いがします。人を殺し、それを当然と受け入れる傲慢たる欺瞞を抱えた臭い。――酷く嗅ぎ慣れた臭いです」
体を恐怖で震わせながら、しかし、咲夜は言い切った。絶はその言葉の全てを受け止め、は、と言葉を漏らす。
「…………な、る、ほど。なる、ほど。成程、成程。大事に大事に扱われてきただけの何も知らない『お人形』かと思えば。流石にあの男の妹。何の冗談? 何の喜劇? 英雄が必死に守ってきたものは、もうすでに取り返しのつかないところにいたなんて!」
あははっ、と絶は笑う。咲夜は、ごくりと唾を呑み込んだ。
「……お兄様は、英雄です。ですが、英雄となる前のお兄様は『ただの人殺し』でした。兵士と呼ばれようと、何と呼ばれようと。お兄様は幾千の命を奪ってきた人殺しです」
「くっくっ……報われないわねぇ、本当に。彼が命を懸けて守ってきた唯一の拠り所が、こんな様なんて」
「それでもお兄様が私がこうであることを望むのであれば、私は『それ』を演じます。私は何もできず、ただ待つだけの存在。ならばせめて、お兄様の拠り所でありたい」
「欺瞞ね、どうしようもない欺瞞。笑えてくるわぁ、本当に。互いが互いを欺く兄妹――これ以上滑稽なものは、この世界にありはしない」
楽しそうに、心底楽しそうに絶は言う。そんな彼女に対し、咲夜は尚も言葉を紡ぐ。
「これが私の選んだ道です。そして正義。私の想いを偽り、お兄様の側に居続けること。それを正義と、道理と私は定めたのです」
「――正義、ね」
気付いた瞬間には、すでに逃げ場は奪われていた。
ベッドの上。いつの間に移動したのか、右側にいたはずの絶が左側へと移動し、咲夜の肩を掴んでベッドに押し倒している。そして咲夜の首筋には、いつの間にか握られていた小太刀が押し当てられていた。
「正義、正義と言ったわねぇ? あははっ、美しい言葉ね。実に綺麗。万人が万人、称賛する言葉。けれどね、お嬢ちゃん。――あなたのそれはただの『虚偽』。正義なんかでは断じてないわよ」
「…………ッ」
「こちらを見なさい。見るのよ、お嬢ちゃん」
絶の表情には笑みが張り付き、逆に咲夜は必死に恐怖を堪えている。当たり前だ。どれだけ賢しいことを口にしようと、彼女は喧嘩さえもしたことがない人間なのだから。
住む世界が違う――目の前で薄ら笑いを浮かべる絶に対し、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
「あはっ、そんな顔をしなくていいわよぉ? 別に責めてるわけじゃあないわ。むしろアタシは喜んでる。この盤上において唯一興味も関心も持てなかったつまらない存在――それがこんなところで、こんな形で盤面を変えてくれたのだから」
「…………あなたにとって、人の命は何ですか?」
「その辺の紙切れと変わらない程度のモノよ。アタシもあなたも、彼も。この世界に生きる人間の命というのはどうしようもないくらいに軽いのよ。だから斬るし、斬られるの。銃弾もいいわねぇ、楽でいいわ」
「あなたは」
押さえつけられながら、恐怖に震えながら。
それでも咲夜は、言葉を紡ぐ。
「あなたは、まだ足りないんですか?」
「――足りないわ」
底冷えするような声で、絶は言う。
「アタシはね、お嬢ちゃん。人殺しじゃあないのよ。そんな陳腐なものじゃあないわ。人殺しというのは『殺した者』を示す言葉。そこには人を殺す以外の目的があり、その過程、もしくは結果として人を殺した者が『人殺し』と呼ばれる。あなたの兄はその一例。あなたを守るため、生きていくために人を殺してきた。けれど、安心なさいな。この世界に生きるほとんどの人間がそうよ。『人を殺すためには理由が必要』なの。大義でも正義でも慾でも、何でもいいのだけれど」
「あなたは、人殺しではないと?」
「アタシはねぇ――〝殺人鬼〟なのよ」
酷薄な笑みを浮かべ。
怪物が、言い放つ。
「かつて、朝が来たから人を殺す。いい天気だから人を殺す。花が咲いたから人を殺す――全ての道は殺人に通じる、なんて口にした殺人鬼がいたらしいけれど。そんなものは殺人鬼でもなんでもないわ。だって、彼らには理由があるもの。余人に理解できなくても、他人に理解できなくても、自分自身でさえ理解できなくても。彼らには、理由がある」
アタシは違う、と絶は言った。
「アタシはね、殺したいから殺すのよ。そうしたいからそうするの。他にはもう、なぁんにもないの。だから、とか、故に、とか。そんな逃げの台詞を口にするつもりはないわ」
「…………あなたには」
ポツリと、咲夜が言った。
「あなたには、大切な人はいないのですか?」
「――唯一人、何があっても殺したいと思える相手なら」
あははっ、と絶が笑い。
そして、その瞳から一筋の涙を零す。
笑いながら、しかし涙を流すその姿は。
どうしようもなく――歪んでいる。
「アタシはね、死人なのよ。生きる屍。こんな場所に生きているあなたには理解できないわよ、絶対にね。逆にアタシもあなたの人生も価値観も理解できない。そういうものなのよ」
小太刀を咲夜の首筋から離し、絶は立ち上がる。
「理解しなさい。世界には、『こういう人間』もいるということをね。色々と面倒なことが起こっているみたいだから、あなたはもう傍観者ではいられなくなるわ」
「……どういう意味ですか?」
「――守られている時間はもう終わり。そういうことよ」
それじゃあ、また来るわ――そう言い残し、絶が立ち去って行く。
扉が閉まり、部屋に残される咲夜。ベッドに倒れた状態のまま、咲夜は動けないでいた。
「……私は、嘘を吐いている」
絶の語ったことは真実だ。自分は、朱里が望むような妹であるために仮面をかぶっている。
それが悪とは思わない。けれど……。
「……お兄様」
もう一つの真実は、ずっと心に仕舞っておこう。そうしなければならない。
呟きは、宙へと溶けて霧散する。
◇ ◇ ◇
聖教イタリア宗主国に到着したのは、日も暮れようとしている時間だった。宿はすでに諜報員が用意してくれていると聞いていたので、護たちはその諜報員との合流場所に来たのだが……。
「……お嬢ちゃんが来ていなくてよかったね」
「……用事がある、って一人で行かせるのは少し心配だったが……正直、俺も安心してる」
アルビナと護の言葉が、路地裏に響き渡る。空が暗くなってきているために見え難いが、この路地裏に充満する臭気は馬鹿でもわかる。
噎せ返るような血の臭いと、肉の臭い。昼間なら、ここに地獄が堂々と顕現していただろう。
「……護。多分、刀でやられてるよ」
苦い表情を浮かべる二人に、そんな言葉を口にしたのはヒスイだ。齢十程度の風貌をしているが、あのドクター・マッドの下で活動を行っていた少年である。こういうものは慣れたもののようで、表情はいつもの無表情のままだ。
護はああ、と頷くと、ヒスイを手招きした。
「戻って来い、ヒスイ。それ以上踏み込む必要はねぇ」
「……どうして? 僕なら大丈夫だよ?」
「俺が大丈夫じゃねぇんだよ。いいから戻って来い。お前にそういうことをさせたくねぇんだよ」
「……わかった」
ヒスイが頷き、護の側まで戻ってくる。そんな二人の様子を見て、ははっ、とアルビナが笑った。
「いいねぇ、英雄。まるで親みたいだ」
「……んなこと言ってる場合かよ。で、どうすんだこれ。諜報員――殺されてんじゃねぇか」
「ふぅん……」
護の言葉に対し、煙管を取り出して煙を吸い込むアルビナ。その表情は険しい。
そう――ここにあるのはシベリア連邦諜報員たちの死体だった。その全てが刀によって殺されており、見るも無残な状態にされている。
「別にここにいるのが全員、ってわけじゃないだろうけど。……厄介だねぇ、これは。誰がやったのかによっては動き方を考える必要がある」
「やった奴の得物は刀だろ? だったら大日本帝国が怪しいんじゃねぇのか?」
「――そう見せかけるため、っていう可能性は十分あるさね。どちらにせよ、情報が足りない」
面倒くさそうに頭を掻くアルビナ。護は、じゃあ、と言葉を紡いだ。
「どうするんだ? 宿含め、こっちでの行動については?」
「宿については他の諜報員がいるし、手も回してるだろうから一度そっちへ向かうさね。まあ、変える必要はあるだろうけどね。後はお嬢ちゃんの回収。どこへ向かったかは聞いてるかい?」
「ん? ああ。一応、地図は貰ってるぞ」
アリスから渡された地図をアルビナに見せる。正直護はEUの地理については詳しくないので、その辺は他の三人任せだ。
アルビナは受け取った地図を眺めると、ふぅん、と呟きを漏らす。
「……どういう繋がりなんだかね」
「何がだ?」
「こっちの話さね。場所はわかった。行くよ」
「ああ。行くぞ、ヒスイ」
「……うん」
呼びかけにずっと黙っていたヒスイが頷き、後ろについてくる。護は立ち去る寸前、一度だけ振り返った。
物言わぬ死体たち。出来れば供養したいが……ここではそれができないし、厄介事を抱え込むことになる。
「……すまねぇな」
一言だけ、呟いて。
護は、歩き出した。
◇ ◇ ◇
久し振りに尋ねた場所は、物言わぬ廃屋となっていた。寂れてしまった建物とその塀には、薄くなっているが落書きの――それも誹謗中傷の類のものが刻まれている。
アリス・クラフトマンが訪れたのは、かつてソラやリィラが子供たちを養っていた場所。様子だけでも見に来たのだが、もうここには誰もいないらしい。
「……そっか」
会えるとは思っていなかったし、会ってははならないとも思っていた。けれど、これは。
リィラや子供たち、エレンさんはどこへ行ったのだろうか。
いや、知ってどうなる。どうにもならないではないか。なら、これで良かったのではないか?
――そんなことを、考えた瞬間。
「――中尉?」
不意に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。見れば、そこに立っていたのは一人の男。
紅蓮の髪と、紅蓮の瞳。威風堂々たる佇まい。
《赤獅子》朱里・アスリエル。
「……大、佐……」
風が、流れた。
物語が、徐々に加速していく。
というわけで、第八話。……時間が欲しいです。
今回は咲夜と朱里という兄妹の近似性です。二人共、どうしようもない程に間違っていて、だからちょっとばかりズレてしまっているのですね。仕方ないのですが。
さてさて、そろそろ第二部も終わりが近付いています。九月中は無理でも、十月半ばまでにはどうにかしたいですね。
ではでは、ありがとうございました。
感想、ご意見お待ちしております。




