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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
欧州動乱編―選択―
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第六話 極北の風、極東の風


 世界最大の国土を持つ大国、シベリア連邦。そこに住む一年中を永久凍土に包まれた土地で過ごす民たちは、総じて屈強であることが多い。耐える大地で過ごしてきたが故に、その根底に頑強な精神力が養われているのだ。

 それ故か、シベリア連邦の復興は国王であるソフィア・レゥ・シュバルツハーケンの想定以上に早く進んでいる。耐え忍び、そしてそれが報われた彼らだからこそ……その顔には活気が漲り、生き生きとしているのだ。

 そして、各地を放浪しながらそれを目にしてきた女性――一部では『情報屋』とも呼ばれるアルビナは、その光景を目にする度にこう思う。


 ――この国は……強い。本当に強いさね。


 耐え忍び、そして前を向こうとする強さを持つ強国。民草と、数で数えられてしまう彼らが強い国は真の意味で強国だ。

 そう……ここにいるアルビナの祖国――大日本帝国のように。


「…………」


 各地を放浪するついで、その日の宿と食事を確保するために復興作業を手伝っているアルビナは、少し離れた場所でぼんやりと人々の姿を眺めていた。誰もが復興作業の大変さを語りながらも口元は綻んでいる。自分たちがしている復興という作業は大変だと思いつつも、仕事を投げ出そうとはしていないのだ。

 敗戦を経験し、奴隷のような扱いを受けていた暗黒の時代。その時代を乗り越え、この国はこうして立っている。

 ――出木天音。世界に名を轟かせる女性が留まる場所として選んだのも、きっと偶然ではない。未だよくわからない女性だが、きっと彼女の目的にこの国の『強さ』が必要だったのだろう。


「……難儀だねぇ」


 多くの国を旅し、人々に触れてきたアルビナだからこそ思う。結局のところ、人がいがみ合う理由などどれほどの規模になろうと第三者からすればくだらないものだ。大戦も、シベリア戦役も……おそらく、後の歴史においては散々に罵倒されるのだろう。

 難儀な世界だ、本当に。ほんの少し、本当に僅かでも手を差し伸べれば……それだけで世界が変わるというのに。

 人というのは、全くもって度し難い。


「……それで? この世界から争いを亡くそうなんて言ってる大馬鹿者の狗が、こんな場所に何の用さね?」


 空を見上げたまま、不意にアルビナはそんなことを口にした。直後、その背後――瓦礫の壁の向こうに、人の気配が現れる。


「……気付いておられましたか」

「気配の消し方は上手かったけどね。成長してるようで何より。……けれど、気配がなさ過ぎるさね。そんなところに空白の空間ができてたら、誰だって違和感を覚えるよ」

「そもそも普通は気配など感じないと思いますが……」

「この世界には『普通じゃないヤツ』なんてそこら中にいる。覚えときな、隼騎(しゅんき)

「……肝に銘じておきます」


 壁の向こうで相手が頭を下げた気配がした。相変わらず律儀というか、真面目な男だ。まあ、だからこそ性格破綻者が多い《七神将》の尻拭いができるのだろうが。

 アルビナは一度、大きく息を吐く。そうしてから、来客――大日本帝国枢密院議員、及び特別管理官という二つの重職を僅か齢十九という若さで勤める青年、蒼雅隼騎(そうがしゅんき)へと言葉を紡いだ。


「そっちも暇ってわけじゃないんだろう? アタシもこれから復興作業があって忙しいさね。要件は手短に頼むよ」

「……アルビナさん――いえ〝真選組局長〟伊狩・S・アルビナ様。陛下より言伝があります」


 その言葉に、アルビナは大きく息を吐いた。煙管を取り出し、そこに火を点けながら……くくっ、と笑みを零す。


「随分と久し振りに聞いた名前だねぇ、ソレは。虎徹の坊やに譲ってから、アタシはただの根無し草のはずだけど?」

「虎徹さんはアルビナさんの名を今も『局長』として残しております」

「それで『二人の局長』か。あははっ、坊やはアタシに芹沢鴨にでもなれと言ってるのかね?」


 二人の局長――それは歴史上、一度だけ存在した歪な組織形態だ。『真選組』が生まれた当初、局長は二人おり、そしてその片方はあまりにも悪辣な人物だった。その人物は後に真選組の隊員によって斬り捨てられるのだが……自分に、そんな人物と同じようになれというのか。


「そもそも、組織の長が二人もいたところで益なんてない。陛下もアタシが国を出るときに何も言わなかったろう?」

「その陛下からも言伝を受け取っております。――〝至急、蒼雅隼騎の言葉を聞いて行動を開始せよ〟と」

「ヤレヤレ、国を出た人間に何をさせる気かねぇ……。陛下からの命令はいつも碌なもんじゃないさね。――言っとくけど、気が乗らない時は降りるよ? 面倒事、厄介事は御免さね」

「存じております。ですが……今回ばかりは、アルビナさんも動かざるを得ないかと」

「……へぇ?」


 アルビナが眉を上げる。この蒼雅隼騎という青年は、あの出木天音によって大きく人生を変えられた人間だ。正しくは人生観を、だが……どちらにせよ、その縁もあってアルビナとも付き合いは長い。そして、付き合いの長いアルビナは知っている。この青年は、確信の持てない言葉を決して吐かないと。

 慎重といえばそれまでだが、それは美徳だとアルビナは思う。特に自分の周りには根拠のない言葉を並べ立てる戯けが天音を筆頭に数多くいるので、隼騎のようなタイプは正直助かるのだ。


「そこまで言うんだ、相当なことがあったんだろうね?」

「はい。下手をすれば、EUが焦土と化します」

「……何?」


 あまりにも不穏当な言葉に、アルビナは眉をひそめる。EUが焦土となる――現実的には有り得ない話だ。

 ――しかし。

 続いて隼騎が告げた言葉は、アルビナの想像を絶するものだった。



「――神道詩音様が、二日前に誘拐されました」



 その言葉を聞いた瞬間、アルビナの口から煙管が零れ落ちた。カツン、という音を立て、地面に転がる煙管。その音で我に返ったアルビナは、馬鹿な、と呟きを漏らした。


「そんな馬鹿なことする連中が日本にいるってのかい? 前にあの子を誘拐しようとした連中が、全員晒し首にされたのを知らないわけじゃないだろう?」

「はい。ですがこれは大日本帝国で起こったことではないのです。EU――それも、聖教イタリア宗主国に虎徹さんと共に訪れていた彼女は、虎徹さんが目を離した隙に何者かに拉致され……そして、現在に至るまでその行方はわかりません」

「――あんのバカタレ……! どうして自分の娘から目を離したいんだい! これを先生と木枯が知ったら――って、隼騎。このこと、先生には伝えてあるのかい?」


 そのことに思い至り、アルビナは隼騎に問いかける。詩音が抱える特殊な事情について知る者は大日本帝国でも十数人ほどだが、隼騎はその立場上知ることを許されている。

 隼騎はいえ、と言葉を零し、その先を続けた。


「それを伝えるかどうかの判断はアルビナさんに任せると……陛下が」

「……面倒だねぇ。伝えても伝えなくても、碌なことになりそうにない。それで、坊やと木枯はどうしてるさね?」

「虎徹さんは現地のマフィアと会合を持つと。場合によってはその場で戦争に入ると言っておられましたが……」

「坊やらしいね。まあ、まだ坊やはギリギリ冷静みたいで何より。……ただ、木枯が来ると怖いね。その辺りは?」

「《剣聖》殿は相当荒れておられたらしく、今は陛下と《武神》閣下が冷静になるように宥めていると。ただ、二日後にはEU入りする見通しのようですが……」

「――タイムリミットは、あと二日。面倒さねぇ……」


 大の本帝国における『最強』の一翼、《剣聖》――神道木枯。個性が強く性格的に難がある者の多い《七神将》のまとめ役を担うことが多く、また、その冷静的な性格から信頼を得ている女傑だ。しかし、そんな彼女には一つの弱点がある。

 ――神道詩音。

 彼女の愛娘であり、同時に木枯がこの世において夫と共に最も大切にする存在だ。あの他者にも自分にも厳しい木枯が詩音の指導に関してだけは『自分では甘やかす』としてその指導を退いたほど。

 その木枯が、詩音の誘拐を聞いて黙っているはずがない。


「……しかし、腑に落ちないねぇ」

「何がです?」


 ポツリと呟いた言葉に、隼騎が反応を示した。アルビナは、だってねぇ、と言葉を紡ぐ。


「大日本帝国に恨みを持ってる連中はそりゃ多いだろうさ。けど、妙なんだよ。あり得ないんだ、そんなことは。大日本帝国は戦争を躊躇ったりはしない。理由さえあれば――それが特に身内のこととなれば、採算度外視でその首を狩りに行く。それがわかっていない馬鹿か、あるいは……」

「あるいは?」

「……いや、何でもないよ。とにかく、陛下は行動しろって言ってるわけだけど……この状況でアタシにどうしろってんだい?」


 立ち上がり、拾い直した煙管から紫煙を吐き出しながらアルビナが問いかける。隼騎は、何を仰るのです、と言葉を紡いだ。


「世界中を旅し、あのガリア連合とさえ個人的な繋がりを持つあなたならば――いくらでも、打てる手が存在するでしょう?」


 気配が……消える。どうやら、立ち去ったらしい。

 ふう、とアルビナは息を吐いた。本当に厄介な話だ。


 ……別にEUがどうなろうと知ったことじゃないけど、あの子が行方不明のままっていうのは問題だ。正直、先生が怖すぎる。


 ブルリと、体が震えた。出木天音――あの人物が本気になると、冗談抜きでEUが焦土になりかねない。


「これは、手を打つ必要があるかもしれないねぇ……」


 面倒さね、と呟く。その瞬間。


「ああ、いたいた! アルビナさん!」


 不意に、息を切らして一人の男がこちらへと走り寄ってきた。その手には書類が握られており、長年の勘が厄介事だと全力で警鐘を鳴らし始める。

 しかし、無視するわけにもいかない。アルビナが何事かと問いかけると、その男はこちらに書類を差し出しながら言葉を紡いだ。


「すみません、突然。陛下より仕事の依頼がございまして……至急、王宮に来て欲しいそうです」


 その言葉を聞きながら、アルビナは書類に目を通す。そうしてから、ゆっくりと息を吐いた。


「…………次から次へと、本当に……」


 自分にさえ聞こえない大きさで呟いた、その言葉は。

 誰にも届かず、霧散した。



◇ ◇ ◇



「……EUの調査?」

「そうだ。貴様たちにその任務を与えたい」


 シベリア連邦首都、モスクワ中心部。まだ半分ほどしか修繕が進んでいない王宮、その玉座の間に二つの声が響いた。

 玉座の間、その最奥にある玉座に座るのはここシベリア連邦の王――ソフィア・レゥ・シュバルツハーケンだ。彼女は頷くと、自身の視線の先にいる青年に言葉を紡ぐ。


「ガリア連合の宣戦布告の件については聞いておろう? 貴様たちにはそれを受けたEUがどういった状況にあるのかをその目で見て来てもらいたいのだ」

「……いや、確かに国の中にばかり目を向けるわけにはいかねぇのもわかるけどよ。そういうのは諜報員の仕事なんじゃねぇのか?」


 対し、渡された資料を右手に持ちながらそんな言葉を返したのは黒髪の青年だ。鋭い瞳と身に纏う雰囲気は、その若い外見に比べて相当な修羅場をくぐってきたことをうかがわせる。

 ――護・アストラーデ。

 シベリア連邦が有する救国の英雄にして、《氷狼》と呼ばれる最強の奏者。その存在はシベリア国民からは『生きる伝説』として扱われ、一部では神格化さえされている人物だ。

 もっとも、実物はただ愚直なだけの青年であり本人もそれを自覚している。まあ、だからどうというわけでもないのだが。


「それに、俺には復興作業もある。奏者の割り出しが進んできて、動かせる神将騎が増えたっつっても……人手は足りないままだろ?」


 大分復興が進んだとはいえ、それでも十全には程遠いのが現状だ。護は数少ない〝奏者〟の一人。正直、抜けるのは大きな痛手となるだろう。

 だが、ソフィアは首を左右に振ってそれを否定する。


「確かに、この国の復興は急務だ。しかし、だからといって外の事象を蔑ろにすることはできぬのだ。我らはこの世界の一員。他の影響を受けずに過ごすことはできぬのだからな」


 国として立っている以上、他の国の影響を受けないでいることはありえない。しかも今回は戦争だ。EUという因縁ある国が中心にある以上、巻き込まれないままにいるというのは不可能だろう。

 護は息を吐く。そうしてから、まあ、と言葉を紡いだ。

 

「行けってんなら行くが……俺は諜報活動なんかしたことないぞ? それでもいいのか?」

「構わん。本格的な調査は別で行う。貴様はその目で見たものを率直的に伝えてくれればいい。……そうだな、アリスとヒスイ――だったか? あの二人も連れて行くといい。約束をしたのだろう?」

「……何で知ってんのか、って聞きたいとこだけどまあいいか。――いつ出ればいい?」

「案内役として例の情報屋に仕事の依頼をしている。世界を旅しているというあの者なら不足はなかろう。情報屋が着き次第、向かってくれ」

「了解」


 頷き、護は部屋を出て行く。その立ち振る舞いは立場上ソフィアの臣下に当たる者のそれではないが……それを彼もソフィアも気にした風はない。彼らは『友』なのだ。余計なものは必要ない。

 ソフィアはしばらく護を見送っていたが、その姿が見えなくなってからゆっくりと立ち上がった。その背に、ずっと黙っていた男――アーガイツ・ランドールことアランが声をかける。


「よろしいので?」

「何がだ、アラン?」


 硬くなった体をほぐすようにして軽い運動をしながら、ソフィアは笑みを浮かべて問い返した。アランは周囲に人影がいないのを確認すると、肩の力を向いて言葉を紡ぐ。


「彼が僕たちシベリア軍の象徴だ。彼が現場で誰よりも働いてくれるから、表立って不満の声も出ていない。その彼をEUに送って本当に良いのかい?」

「……セクターは最後まで反対していたが……私としては、これが最善の一手と考えている。我らはあの小僧に多大な恩があるのだ。それを返さぬまま、更なる恩を被れと? 流石にそれは容認できぬ」


 鋭い視線をアランに向け、ソフィアは言い切る。アランが肩を竦めた。


「それは『王』としての意見?」

「両方だ。『友』としても『王』としても、この選択が最善だと私は思っている。友としては言わずもがな……青二才から聞いた小僧の『約束』のためだ。……呆れた話よ。〝共に世界を見る〟――そんなちっぽけな約束のために、あの小僧は戦ってきたというのだから」


 くっく、と心底おかしそうにソフィアは笑う。その背中に、成程、と苦笑を浮かべてアランが呟いた。


「だから、行かせたんだね。世界を見る――ソフィアもかつて、願ったことだから」

「……それが、半分だ。友として、同じ夢を抱いたその背中を押したかった。女々しい話だ、本当に」


 自嘲するようにソフィアは笑い、それに、と言葉を紡いだ。


「あの小僧と小娘は見ていて鬱陶しい。そろそろ婚儀の一つでも上げさせねば、城内の者たちが納得せぬ」

「二人共、不器用だからねぇ」

「これはそのきっかけだ。友としての後押し。これも理由だな」


 そんなことを言いながらソフィアは玉座に座り込む。そんなソフィアに、じゃあ、とアランが言葉を紡いだ。


「もう半分は?」

「『王』としての判断だ。……アラン、貴様とて気付いていよう。EUとガリア連合――その不穏な空気を。そして、こういう空気を前にして黙っていない国がいることを」

「――大日本帝国」

「諜報員によれば、大日本帝国の人間と思しき者たちがイタリアを始めEU各国に入国しているらしい。だが、奴らは異常なぐらいにガードが固い。そう簡単に腹は探れぬ。そこで、小僧を行かせたのだ」

「成程……囮だね」

「言い方は悪いが、まあそういうことになる」


 ソフィアは頷く。護・アストラーデ。《氷狼》と呼ばれる彼はシベリア解放の立役者だ。そして、その名に相応しいだけの活躍をしている以上、EUにもその名と風貌は知れ渡っている。

 そんな彼がEUを訪れるとなれば、間違いなくほとんどの視線がそちらを向く。あの大日本帝国でも《氷狼》を完全に無視することはないだろう。そして護の動向に視線が注目するようになれば、既に送っている諜報員たちがかなり動き易くなる。


「シベリア連邦は国としての形を取り戻したといってもまだまだ領土が広大なだけの弱き国だ。少なくともかつての力を取り戻せるまでは慎重に事を運ばねばならぬ」

「まあ、僕はソフィアの考えに従うよ。それがどんな道であろうとね」

「なんだ、まるで私が間違っているような言い草だな? 私が違えたならば遠慮なく殺せ――そう伝えているはずだぞ?」


 苦笑を零し、そんなことを口にするソフィア。そのソフィアに、違うよ、とアランが言葉を紡いだ。


「ソフィアが決めた道なら、間違いはない。そう信じているだけだよ」

「……戯けが」


 ソフィアが、小さく微笑む。


「貴様は変わらんな、アラン。本当に昔から、貴様は変わらぬままだ。フランス革命――虐げられし民衆を救い出し、《聖人》と呼ばれていた頃から。〝ジャンヌ・ダ・ルーク〟と名乗っていたあの頃から」

「……昔の話だよ。今の僕は、ただの傭兵。フランス革命に金で雇われ参戦し、ソフィアに雇われて戦っている傭兵だ。それだけでいいし、それ以上は必要ない」

「その言葉、信じているぞ」

「信じてもらうための言葉だから」


 その言葉に、ソフィアが笑い。

 二人は、しばらくそこに佇んでいた。



◇ ◇ ◇



「ほう、少年と共にシベリアへ行くのですか」

「は、はい。ヒスイも一緒ですが……」

「良かったじゃないアリス。前に言ってたもんね? 世界を見たい、って」


 首都モスクワに存在する格納庫。そこに、三人の女性の声が響いていた。話の中心にいる少女――アリス・クラフトマンは、うん、と小さく頷く。


「でも、本当に良いのかな……? 皆、一日でも早い復興のために頑張ってるのに……」

「確かにその通りですが、少年が受けたというその命は王命でしょう? ならば相応の考えがあってのこと。存分に胸を張ればよいのですよ」


 紅茶を口に含みながら、微笑みを交えてそんなことを言うのは出木天音だ。今日もいつもと変わらない白衣と黒縁の眼鏡、短い黒のスカートを穿いている。寒くないのかという問いは、長い付き合いの間にしなくなった。


「そうそう、折角なんだしさ。この機会に距離を縮めちゃいなよ」

「れ、レベッカ。私はその……」


 片を叩きながらそんなことを言ってくるのは、レベッカ・アーノルドだ。アリスにとってはほとんど唯一と言ってもいい同性の友人である彼女は邪気のない笑顔と共に言葉を紡いでくる。


「だって、護と全然進展してないんでしょ? 皆で賭けてるんだよ? そろそろはっきりさせてくれないと配当が――」

「――レベッカ。そこまでです。賭け事については本人たちにはタブーという取り決めでしょう?」

「あ、そうでした。あはは、今の忘れて?」

「あの、賭けって?」


 二人の言葉に、アリスが首を傾げる。天音がヤレヤレと肩を竦めた。


「難しい話ではありませんよ。ただ単純にあなた達二人がいつ結婚するかを賭けているだけです」

「けっこ……ええっ!?」

「キスまではいったんでしょ? もう少しだと思ったんだけどなー」

「少年はヘタレですからね。やはり私の予測通りもう少し時間がかかりそうです」

「え、えうっ、あの、その……!」

「護は馬鹿だからねー。アリスってば、こんなに良い子なのに」

「まあ、それが少年の良いところであり。――致命的にダメなところでもあります」

「あ、あの、私と護さんはそんな関係じゃ……!」


 きゃいきゃいと盛り上がる三人組。それを遠巻きに見ながら、ふう、とため息を吐く一つの影があった。


「……女三人は盛り上がっているようだが、お前は実際のところどうなんだ?」

「どうもこうもねーよ。女王陛下の命令だしな。まあ、適当にやるさ」


 レオン・ファン。わずか二十と少しという若さでありながらシベリア軍の参謀官として活躍する青年の言葉に、その隣で壁に背を預けるようにして立つ護はつまらなさそうに答えた。レオンが、ふう、ともう一度ため息を吐く。


「そういうことを聞いているわけではないんだが」

「だったら何について聞いてんだよ?」

「……今のお前に言っても仕方がない。とにかく、任務の期間は一週間だ。わかっているとは思うが、くれぐれも無茶はするなよ?」

「わーってるよ」


 ひらひらと手を振り、護は肩を竦める。その仕草を見て取り、さて、とレオンは天井を仰ぎ見た。


「これが吉と出るか凶と出るか。……どうなるのだろうな」


 その問いに答える者はいない。

 ただ、状況だけは動いていく。

 それだけ――だった。



◇ ◇ ◇



「――局長。準備は整いましたよ」

「そうか。連中は集まったか?」

「イタリアだけじゃなく、EU中のマフィアをかき集めました。代表者で来いって書簡を回しはしましたが……さて、どれだけ来るやら」

「代理なら代理で構わねぇよ。俺たちの意志が伝わりゃそれでいい」

「なら十全です。見たとこ、それなりの顔ぶれは集まってますし」

「ふん、上等だ。――往くぞソラ。宣戦布告だ。俺の――俺たちの可愛い愛娘を拉致りやがったボケナスは、必ずぶち殺す」

「二日後には《武神》殿と帝、《剣聖》殿も到着予定ですし、案外早く決着が着きそうですね」

「着きそう、じゃねぇ。着かせるんだよ阿呆が。詩音が攫われて丸二日……時間に余裕はねぇ」

「わかっています。ただ、気になることが。……シベリアの《氷狼》が入国すると。目的は不明ですが」

「――関係ねぇよ」


 キンッ、という鋭い音が響いた。

 暗闇の中、僅かに差し込む陽光を反射した白刃が、煌めく。


「俺ァ詩音を必ず取り戻す。邪魔をするんなら容赦はしねぇ。《氷狼》も《殺人鬼》も《赤獅子》もだ。――理解しとけ。もし万が一があった時は……俺ァ、この国を地図の上から消してやる」

「……そうならないことを祈ります」

「ああ、そうしとけ。俺だってできればしたくねぇよ。ただ、相手が望むならそうする。それだけだ」


 バンッ、という鋭い音を響かせながら、一人の男が扉を蹴り破る。

 朦々と立ち込める紫煙の中、無数のこちらを見つめる鋭い眼光。その全てが堅気のものではなく、『裏の世界』の住人たちの物だ。

 それらを全身で受け止め、しかし、それ以上の威圧感と殺気を纏いながら、その男は宣言する。


「死にたくなけりゃあ俺の指示に従え、欧州のマフィア共。従わねぇならそれでもいい。この場でその首を弾き飛ばしてやるよ」


 ガンッ、という鈍い音を響かせ、男――神道虎徹は刀の柄で床を叩いた。そのまま、彼は言葉を紡ぐ。


「反論は認めねぇし、異論も受け付けるつもりはねぇ。ただオメェらの仕事は一つ。――神道詩音。俺の娘を取り戻せ。死にたくなけりゃあな」


 ――始まるのは、世界を砕きかねない闇の会合。

 世界は、どうしようもない混迷へと堕ちていく――……

というわけで、ようやく護くん参戦。それでもまだまだ蚊帳の外という現状ですが。

状況というのは決してひとつずつ動くものではなく、歴史を見ると『偶然』というのは意外と多く、しかも重要な状況で起こっているんですね。いわば『必然の偶然』であるわけですが、護くんの参戦もその一つと思っていただければ幸いかと。


次回からEU動乱編については一気に混乱・クライマックスへと突入していきます。大きな山場は二つ。楽しんで頂けると幸いです。


ありがとうございました!!

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