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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
美しき日々―追憶―
49/85

追章 行き着く先


 極東の島国、大日本帝国。

 艦船の技術が大きく発達し、世界が縮まったとまで言われる変革の時代において、未だに謎多き閉ざされた国として認識される国だ。

 二年前に勃発した、世界中を巻き込んだ世界大戦。その原因ともいえる国は、世界という大きな存在の歴史において多大な影響を与えてきた。

 曰く、日出ずる国。

 曰く、八百万の神が生くる国。

 曰く、黄金の国。

 曰く――世界最強国家。

 今でこそ大戦の活躍があり、世界に広く認知されたが……大日本帝国という国は、知る人ぞ知る神秘の国だったのである。侍という、あらゆる国に存在しない独特の人種、『和』という情緒を何よりも優先する文化。それらを内包するその小国が世界最強国などと呼ばれるのは、偏に《七神将》と呼ばれる者たちの存在が大きい。

 神将騎という古代遺産が戦場を往く現代。世界中のあらゆる国にはその国を象徴するような〝最強の神将騎〟とそれを操る〝最強の奏者〟というものが存在する。聖教イタリア宗主国の《赤獅子》と〈ブラッディペイン〉然り、千年ドイツ大帝国の《バーサーカー》と〈ミュステリオン〉然り。最近ならばシベリア連邦の《氷狼》と〈毘沙門天〉などが有名だろう。

 別に一国に一機と一人というルールがあるわけではない。しかし、強力な神将騎はそもそも数が多くない上、それを操れる奏者となるとさらに数が限られてくるのだ。それ故に、ほとんどの国が『最大戦力』として一機の神将騎と奏者を軍隊の中心に据えている。

 無論、実際の戦闘になれば確かにそれらの神将騎は一騎当千の働きを見せるが、戦況を覆す力があるわけではない。これは抑止力としての意味が大きいのだ。

 しかし――大日本帝国には、その『最強』が〝七人〟存在する。


 曰く――《七神将》。


 大戦時には一人の『天災』が二つの席を同時襲名していたために六人であったり、不明な点が多い者たちだが……共通することが一つある。

 その全員が――一騎当千の怪物だということ。

 有名な話としては、膠着状態にあった城塞都市アルツフェムをたった二機の神将騎を中心とした百人足らずの部隊で惨劇の場とした『アルツフェムの虐殺』や、泥沼化していたガリア連合とEUの戦いに突如参戦し、両陣営を蹂躙した『ブロトヒラムの悲劇』など、彼らの武勇は話題に事欠かない。

 世界最強国。その名を支える、七つの神。

 その名は最早、世界中に畏怖の念を以て認知されている――……



◇ ◇ ◇



「……定期監査、ですか?」

「ああ。毎年この時期にやっててな。一応は中立である『真選組』が、《七神将》の統治に問題がないかを確認するってのが主な仕事だ」


 ソラ・ヤナギ――改め、大日本帝国の人間として水無月ソラの名を受け取った青年の疑問に、正面に座る男が煙草の煙をくゆらせながらそう言葉を紡いだ。それを受け、ソラは手渡された資料へと目を落とす。そこには、現《七神将》の面々、そのデータが記されていた。

 パラパラとそれらを左手で捲り、成程、とソラは小さく息を吐く。


「中立、ですか」

「そう言うな。権力がある人間ってのは、どうしたって繋がりができちまうもんなんだよ。昔は真選組も帝国議会寄りの組織だったからよかったんだが、今じゃあ……な。別に珍しいことでもねぇだろう?」

「それは確かに」


 頷く。こういう監査役の組織は、どこの国でも形骸化したり賄賂などで実質的に意味を為さなくなっている場合が非常に多い。その点、この国の場合は機能自体はしっかりしている。そういう意味で、まだマシというべきか。


「いつもなら俺と、吉原んとこの頭領――この間紹介しただろ?」

「吉原頭領及び真選組副局長、出木氷雨(いずるぎひさめ)殿……ですね?」

「そうだ。その氷雨の嬢ちゃんと俺でやる仕事なんだが、今回は別件の仕事が入っててな。丁度いい。案内役を用意するから、お前が行け」

「は……?」


 いきなりの命令に、若干予測していたとはいえ困惑する。この流れで、何故自分にそんな役目を振るのだろうか?


「自分は新参者、その上未熟者ですよ? 荷が重いと思うのですが……」

「……うちの連中から花札で給料根こそぎ持ってった奴の台詞じゃねぇな。何人泣かせてんだよ」

「ミスディレクションって知ってますか?」

「あん? 手品の技術の……って、まさかオメェ」

「いやはや、花札って面白いですよね」

「……オメェらしいっちゃらしいか。まあいい。その右腕のリハビリにもなるだろう、いいから行って来い」

「まあ、ご指示とあれば」


 半目を向けてくる虎徹に、肩を竦めてソラは応じる。ソラとしては、賭け事に必勝の手段を用いない時点で正気の沙汰とは思えないというのが正直な感想だ。イカサマ? むしろ勝てる手段を使わない神経が理解できない。

 一礼し、ソラは部屋を出ていく。右腕に痛みが走ったが……無視した。

 隊舎を出、待ち合わせの相手がいるという場所を目指す。


「……案内人、ねぇ」


 ポツリと、ソラは呟く。自慢ではないが、ソラはここで生まれ育った人間ではない。知り合いなど数えるほどで、一時的な処置として所属している真選組でも、彼を疎む者は少なくない。

 まあ、いきなり現れて所持金全部を花札で巻き上げられたのだから仕方ないのだろうが、それ以上に。


 ……外人だって、バレてるよなぁ……。


 この国は世界中で『謎大き国』とされているだけあり、排他的だ。他国の人間がほとんどいない。そんな中で、出自はわからないが少なくとも外国人であるソラは目立ってしまうのだ。


「まあ、この右手と左目もあるか」


 鈍い痛みが、右腕に走った。ギシッ、という硬質的な音が服に覆われた右腕から聞こえてくる。

 ――義手。

 大日本帝国が保有する技術の一つだ。擬似神経を用いた機械の腕……正直、自分自身の目で確認するまでは納得などできなかったのだが、こうして実際に体感すると認めるしかない。

 世界最強国、大日本帝国。成程、その力の根底にあるのはこの技術力。

 優秀な将たちに、錬度の高い『侍』と呼ばれる兵たち。それを支える豊富な神将騎に、この圧倒的な技術力。

 成程、これは確かに……絶対的だ。


 ……この国に勝つ未来が、想像できないねぇ……。


 地力の差があり過ぎる。懐に入り込んで理解した。正直、何故自分を虎徹たちは引き入れたのか理解できなかった。しかし、今ならわかる。

 ――逆らう気など、根こそぎ持っていく。

 そういう国だ。かつて、《女帝》はこの国に反旗を翻しながら、それでも最後には軍門に下らざるを得なかったという。それほどの力を有しているのだ。


「……まあ、いい」


 時間はある。長くはないが……あるのだ。手段を考えるのは、それからでいい。

 待ち合わせの場所に辿り着く。だが、相手はまだ来ていないらしい。とりあえず、軽い飲み物でも買おうと周囲に視線を送る。その時だった。


 くいっ。


 不意に、服の裾を引かれた。振り返ると、そこにいたのは一人の女の子。年の頃は十歳というところだろうか。何故か手にスケッチブックを持ったその少女が、微笑みながらこちらを見る。


「えっと……」

『水無月ソラさん、ですか?』


 スケッチブックを持ち上げ、その少女は首を傾げた。ソラは、ああ、と頷く。


「確かにそりゃ俺だが……って、まさか」

『初めまして。父より、案内役を仰せつかりました。一週間という短い間ですが、よろしくお願いします』


 ぺこりと、とても丁寧なお辞儀をする少女。ソラは、はぁ、とため息を吐いた。


「あの人、何考えてんだ? まあいいか……。ソラだ。よろしく頼む」

『神道詩音です。こちらこそ』


 軽く、握手を交わし合う。

 それだけ、だった。



 ――――。

 ――――――――。

 ――――――――――――。



「まあ、あの小僧なら詩音に手ェ出したりしねぇだろ。……手ェ出したら殺すがな」


 紫煙をくゆらせながら、ボソリと虎徹は呟く。詩音はあの歳で十二分に自立している。その戦闘能力についても折り紙つきだ。この間、〈村正〉を起動させたことには本当に驚いたが……あの子はまだ十歳だ。戦場に出るのはまだ早過ぎる。

 今や《七神将》の一人に数えられている水尭彼恋に至っては、初陣が十に満たない年齢だったりするのだが……それはまた、別の話だ。


「詩音は《七神将》全員との繋がりがある。帝のお気に入りでもあるし、何より……アイツの娘だ。情に訴えかけるには一番」


 ソラ・ヤナギ……最早断絶した神道家の分家筋の一つである『水無月』の姓を与えられた青年。初めて出会った時から感じていたことだが、あれは本物の『天才』だ。

 選ばれた才持つ者しか習得することを許されない流派、神道流。その師範を長年続けてきた虎徹は、それこそ多くの才能を見てきた。その中でも思わず恐れさえ抱いてしまう才能の持ち主がいる。それが、《武神》と呼ばれ、『史上最高の天才』と呼ばれた怪物――藤堂暁。

 あの才能は恐ろし過ぎる。正直、模擬戦であっても向かい合いたくない。勝機だとか、チャンスだとか――そういったものが、欠片も見えないのだ。

 その点、ソラは武芸に対する才能は乏しい。軍人としての身体能力はあるが、それだけだ。

 しかし――その頭脳は、『天才』と呼ぶに相応しい。

 一を聞き、十を知る――よく言われる言葉だが、それを実践するのは酷く難しい。だが、ソラ・ヤナギは平然とそれをやってのける。

 恐ろしい才能だ。そもそも、歩兵といくつかの固定砲台、対人用の地雷だけで一時間以上の長きに亘って木枯の〈村正〉を封じ込めた知略が異常だ。それができる人間が、この世界にどれだけいるという?


 ……だが、オメェはやっぱりまだまだ小僧だ。


 小さく呟く。ソラは非常になることの大切さと必要さを十分に理解している。時には鬼よ悪魔よと謗られるようなことをしなければならないこともあると、十分に理解している。

 それでも――甘い。

 あの青年は冷酷で冷徹なフリをしているだけだ。見捨てれば――言い方を変えれば、『割り切れば』もっと楽に生きて来れただろうに、彼の記録はそれをしていない。

 どうしようもない、矛盾。

 自身のことは気遣わぬくせに、他人のことは病的なまでに心配する。その甘さは戦場では命取りとなる上、その『甘さ』は彼がここに来るに至った理由でもあるのだ。

 ――更に。


「……根性も悪くはない。普通なら、まともに動かせるのまで年はかかる義手を半年で動かしてることといい、本当に面倒な野郎だ」


 まあ……だからこそ、情に訴えかけるのだが。

 詩音はそのための一手だ。自分の娘をこういった策略に巻き込むのは正直、気が進まないどころか勘弁したい。だが、帝の命令だ。『ソラ・ヤナギを籠絡するには詩音が一番適任でしょう』――反対したところで、聞き入れるような相手ではない。あれもあれで怪物なのだ。


「いや……情を捨てなくちゃなんねぇのは、俺も一緒か……」


 呟く。帝や暁が掲げる理想、そして目的。そのためには、情を捨てねばならない。

 しかし、そう簡単に割り切れないのもまた、事実だ。


「ままならねぇなぁ……」


 紫煙をゆっくりと吐き出しながら。

 小さく、虎徹は呟いた。



◇ ◇ ◇



 鉄道の音が車内に響く。車と鉄道。この二つの輸送能力は、どんな国であっても非情に有用だ。EUなどでは国同士を繋ぐ鉄道の建設を行う予定らしいが……利権が絡むことである以上、そう上手くはいっていないらしい。まあ、ソラにとってはどうでも良いのだが。

 とりあえず、案内役は神道詩音が担当してくれるらしい。あの木枯と虎徹の娘とはいえ、彼女はまだ十歳程度の少女だ。正直、ソラには不安があったのだが――


『こちらが視察用の書類になります。今回の責任者は父上ですが、担当者は水無月様になりますので、目的地に着く前にサインをお願いします』

「あ、ああ。わかった」

『それと、水無月様の役職は『局長補佐』となっておりますので、身分証明書の方も用意されています。失くさないでくださいね?』


 手渡されるカード。いつの間に作ったのか、そのカードにはソラの顔写真も用意されていた。その役職名は『局長補佐』――ソラがここへ来るまでは、影も形も存在していなかった役職だ。

 まあ、ソラの目から見ても虎徹は性格というか仕事の態度に問題があるが、十二分に優秀な人物である。正直、補佐など必要ない。実際、ソラがしていることは彼のスケジュール管理くらいだ。


『何かわからないことはございますか、水無月様』


 カードを眺めた状態で呆けていたためだろう。詩音が首を傾げながらそんなことを聞いてきた。ソラは苦笑を零し、いや、と首を左右に振る。


「特に問題はない。あと、様付けは良いよ。むしろキミは俺が敬語使わなくちゃいけない相手だし」

『何故ですか?』

「キミの父親は俺の上司。まあ、持ちつ持たれつの関係だから普通のそれとは違うんだろうが……その事実に違いはない」


 あの人とは普通の上司と部下というわけではない。契約関係――正直、自分の何をあそこまで評価してくれているのかはわからないが、それならそれで好都合だ。こちらにも目的がある。

 ――リィラ・夢路・ソレイユの両足。

 そして――出木天音の首。

 一つは、大切な女性のため。この国の技術ならば、彼女が再び義足で立ち上がることさえ可能にできるだろう。自分の未熟のせいで彼女はあんなことになった。何としても取り返したい。

 そしてもう一つは――ケジメだ。

 出木天音。《女帝》。天災。

 その存在に、ソラの人生は酷く狂わされた。その全てが自身の未熟ゆえだということはわかっている。それでも、納得できないのだから仕方ない。

 だから、獲る。

 かの天才、否……天災の首を。

 だが、それは今目の前にいる少女には関係ない。それ故に、まあ、とソラは言葉を紡ぐ。


「キミが敬語を使えというなら使うけど、どうする?」

『いえ、私は軍人ではありませんので今まで通りでお願いします。詩音、とお呼びください』

「ん、じゃあ俺のことはソラで頼む」

『では、ソラ様と呼ばせて頂きます』

「様付けはいらないんだけどな……まあ、いいか」


 これがこの少女の性格なのだろう。あの父と母にしてこの子あり。特に、この子は母親とよく似ている。あの、あまりにも静かな威圧感を抱く侍と。

 これからその侍とも会わなければならないのだから……正直、気は滅入る。

 ふう、と息を吐く。その時不意に、列車が動きを止めた。どうやら駅に着いたらしい。

 立ち上がり、詩音の分の荷物も持つ。詩音はそれを止めようとしたが、十歳程度の子供に平然と荷物持ちをさせる程薄情な性格はしていない。

 そこまで多くない量の荷物を手に持ち、駅に降り立つ。そうしてから、さて、とソラは呟いた。


「最初の監査場所はどこだ?」

『関東地区――《七神将》第三位が統括・管理する場所です。今は母の管轄地区ですね』

「了解」


 呟き、歩き出す。

 少しだけ――憂鬱だった。



◇ ◇ ◇



 ――神道木枯の場合――



 大日本帝国は決して広い国ではない。しかし、欧州地域のように国がある意味で固まっている地形をしているわけではなく、東西南北に細長く伸びた地形をしているのが特徴だ。

 世界的に見た緯度・経度の位置や、その細長い国の形故に大日本帝国には『四季』と呼ばれるものが存在する。それはほとんどズレることなく定期的に訪れる季節の移り変わりで、それが大日本帝国の文化を形成したといってもいい。

 だが、それは何も利点ばかりというわけではない。同じ国であっても最北端、最南端で気候や風土が大きく違うために、地域ごとの特色が強くなり過ぎたのだ。

 合衆国アメリカなどの大きな国であれば、ある意味で表面化しない問題であるが、大日本帝国は先に記したように決して広大な国ではない。故に、統治を一括で行うことは難しく、結果として《七神将》がそれぞれ七つに分割された地域を統治するという形をとっている。

 そして、現在東北・関東という二つの地域を預かるのは《七神将》第二、第三位――神道木枯だ。

《剣聖》と呼ばれる彼女は二つの位を預かる身であるが故に、二つの地域を同時に統括・管理している。更に《七神将》のまとめ役も同時にこなす彼女は常に多忙だ。

 詩音によると神道家の当主としても活躍する彼女は家にいることさえほとんどないのだという。基本的に電話を使った通信でしか虎徹とさえ連絡を取っていない程多忙な彼女。その背に背負っているものを考えると、当然と呼べるのかもしれないが――


「待たせてしまったようだ。すまないな、二人共」


 客間に通されてしばらく待つと、そんな言葉と共に隻眼の女性が現れた。右目を刀の唾をあしらった眼帯で覆っているその女性の名は、神道木枯。《剣聖》と呼ばれる人物だ。

 ソラは立ち上がり、敬礼をしようとする。しかし、それは木枯に押し留められた。


「互いに忙しい身だ。手短に済ませたい。……これが監査用の資料だ。持っていってくれ」


 差し出されたのは大きな茶封筒だった。中身を開けると、そこには百枚近い資料が入れられている。


「予算運用を中心に、資料で渡せるものは全て渡したつもりだ。視察についてはそちらに見てもらうしかないが……」

「いえ、視察はまた別の機会に行います。今回はあくまで、資金運用の監査ですから」

「そうか。……すまないな。これでも忙しい身だ。せめて次の監査地域までお前たちを送ってやりたいところだが、そうもいかん」

「いえそんな。そこまでしてもらうわけには」


 本気で申し訳なさそうな木枯に、ソラは首を左右に振って応じる。その隣では詩音もコクコクと頷いていた。

 木枯はそうか、とだけ頷くと、顎に手を当てて考え込む。そうしてから、静かにソラと詩音を見据えた。


「最初に私のところへ来たのはいいが……お前たち、次はどこへ向かうつもりだ?」

「えっと……詩音、次どこだ?」

『『吉原』へ行く予定です、母上』

「吉原だと?……成程、虎徹さんも大胆だな」


 ボソリと木枯が最後に何かを呟いたが、それは聞こえなかった。そのまま、了解した、と木枯は立ち上がりながら言葉を紡ぐ。


「道中、気を付けてな。わからないことがあれば部下に聞くといい。詩音、頑張るんだぞ」


 詩音の頭を優しく撫でながら最後にそんな言葉を付け足し、木枯は軍服を翻して部屋を出ていく。

 その時目にした、『忠』の文字。それが――酷く、印象に残った。


「さて、俺たちも行くか」

『はい』


 詩音が頷き、部屋を出る。急ぐ必要があるわけではないが、急がなくてもいいわけでもない。次の目的地――『吉原』へ向かうべきだろう。

 詩音を伴い、部屋を出る。そこで。


「…………」


 不意に、ソラは足を止めた。そんなソラの服を、背後から詩音が小さく引っ張る。


『どうしました?』

「……いや」


 詩音の言葉に僅かな視線を向け、ソラは小さく呟く。


「……何でもないよ」



◇ ◇ ◇



 ――吉原・出木氷雨の場合――



 吉原。関東にある、大日本帝国の自治領だ。そこは形としては《剣聖》の管轄下になるのだが、実際には帝のお膝下である古都・京都と同じで《七神将》の干渉がない街である。

 そこを統括するのは、かの《女帝》が姉妹盃を交わし、『出木』の姓を名乗るようになった女性――出木氷雨。かつての叛乱では当時の《七神将》の首級を挙げたこともある女傑だ。

 そんな女性が治めるこの地は、いわゆる『夜』の世界である。

 絢爛豪華、というと少し違う。確かに明るいのは明るい。ここに着いたのは夜だというのに、周囲の建物から放たれる光のせいで星が見えないくらいだ。


「…………」


 用意された一室――詩音の護衛のことも考え、二人で一部屋とされたその部屋からソラは夜の街を見下ろしていた。風俗街、という言い方をすれば表現は容易い。大日本帝国に来て幾度となく思ったが、本当にこの国は隙がない。

 風俗、というのは扱いが難しい。世間の風聞、倫理的な感覚としてこういった地域は批判の対象とされやすい。しかし、人間の三大欲求の一つに『性欲』が数えられている以上、それを無視し続けることはできない。


 ……風俗ってのは、利益面についても大きなものがある。だが、普通は国が認可なんてことはありえない。それを、この国は……。


 ソラの祖国である聖教イタリア宗主国やEUの国々は、風俗の存在を否定している。そもそも、彼らがあがめる『聖教』という宗教が風俗を否定しているのだから当然だ。

 しかし、そのせいでマフィアという存在が生まれ、今回は『誰か』が叩き潰したせいで行われなかったが、闇市場という表の市場には決して出回らないものを取引する市場も開かれてしまっている。

 持ちつ持たれつの関係であるため、国は結局彼らを放置するしかなく、それが治安の悪化を招くことに繋がる。

 しかし、この国は――……


「……大日本帝国、か」


 大々的にこの地域でのみ風俗を展開し、更に自治領としながらも実質的には国が管理している。この手の店は利益に繋がる。清濁併せ呑む――成程、厄介な国だ。


「見た目はその辺の小娘だが……成程、見かけによらないってか」


 ここへ来てから半年近くが経つが、この国には驚かされてばかりだ。叛乱が多いと聞くが……それは逆に言えば、その多い叛乱を全て捻じ伏せてきたということでもある。

 そして、叛乱が多いからといって政治がマズいのかといえばそれも違う。政治は『良過ぎる』のだ。

 ここ、吉原の叛乱の際は政治のマズさが原因だったようだが……先のクーデターは思考力の足りない、権力が欲しいだけの愚者が起こしたもの。

 政治が良過ぎるが故に、求めるのだ。『これ以上』を。

 そんなもの、世界中のどこにもないというのに――


「……いい加減、入ってきたらどうだ?」


 不意に、ソラはそんなことを呟いた。そのまま窓の柵へと背を預け、部屋の扉を見据える。


「扉越しでもわかるぐらいに濃密な殺気だな。……殺る気満々か?」

「――ふん。当たり前だ」


 扉を開け、入ってきたのは一人の女性だった。黒い着物――肩口から先をバッサリと切られたまるで喪服のようなそれを身に纏い、その口元に煙管を咥えている。

 その女性は部屋に入ってくると、静かに扉を閉めた。少し離れたところでは詩音が眠っている。ソラは肩を竦め、ため息を零しながら呟いた。


「夜這いにしちゃあ、随分と色気がないねぇ」

「ほざけ下衆が。この場で即座に首を獲らないことに感謝しろ」

「はいはい、ありがとうございます。……これでいいかな?」

「――貴様」


 空気が凍りつく。外の喧騒が窓から入り込んでくるが……その全てがまるで別世界の出来事であるかのように感じられた。

 対峙する二人。近くに詩音という少女が寝ているからこそ、こうして睨み合う程度で済んでいるが――本来なら、殺し合いが始まっていてもおかしくない空気が漂っている。


「……ま、一応ここのトップがわざわざ来てくれたんだ。監査のために来たー、ってのは伝えといたほうがいいのかな?」

「資料については用意している。モノのついでだ。渡しておこうか」

「そりゃどうも」


 バサッ、という音を立てて机の上に資料の束が置かれる。それを一瞥してから、じゃあ、とソラは言葉を紡いだ。


「水無月ソラとしての仕事は終了だ。ここからは、ソラ・ヤナギとして相対する。……そちらもその方が都合がいいでしょう?」

「本来なら貴様などどうでもいい存在なのだがな。……義姉上の命を狙っているというのであれば、私が出向かんわけにもいかない」

「ふーん」


 興味なさげに相槌を打つソラ。その様子を見て、苛立たしげにその女性が舌打ちを零す。


「貴様は何も知らんのだ。あの人は……義姉上は、我々に生きる道を与えてくれた方だ。今でこそ、この吉原に生きる女たちは皆笑顔を浮かべている。だが、義姉上が立ち上がるまでは笑うことさえできなかった」

「…………」

「親に棄てられ、あるいは売られて。知ることも理解することもできぬまま、男の道具として使い切られる毎日。何のために生きているかさえわからない日々。誰もが絶望に目を閉ざし、心を閉ざしたところで――あの人は、立ち上がったのだ」


 その話は虎徹や木枯から聞いている。奴隷よりも酷い扱いを受けていた吉原の女たち。そんな彼女たちを救うために、《女帝》は立ち上がった。

 成程、ここにいる者たちにしてみれば《女帝》は英雄。そして、ここにいる女性――現吉原頭領、出木氷雨にしてみれば、天音の首を狙う自分は敵でしかない。


「やはり、大日本帝国の《七神将》など信用ならん。貴様がどれほどのものか知らんが……義姉上の暗殺をお膳立てするだと? そのようなこと、認められるか」


 静かな風切り音が鳴る。氷雨が刀を抜いた音だ。

 切っ先をソラへと向ける氷雨。その刃に一度視線を向けると、すぐに氷雨へと改めてソラは視線を戻した。その目に、恐れや怯えというものは微塵もない。

 そして。

 ソラ・ヤナギは、舌打ちと共に言葉を紡ぐ。


「……興味ねーな。出木天音の生い立ちなんざ」

「何だと?」


 氷雨が眉をひそめる。その彼女の元まで歩み寄りながら、ソラは右目だけとなった瞳で氷雨を見据えた。


「どんだけ高尚な人間だろうがな、興味も関係もねぇんだよ。出木天音の人格なんざ、正直どうでもいい」


 左手で、氷雨の刀――その抜身の部分を握り締める。滴る鮮血。氷雨は刀を動かそうとするが、できない。尋常ならざる力で掴み上げられた刃は、動くことを許されない。


「じゃあ、逆に聞くがな。もしも、この『吉原』って場所が正義のために女を飼殺す場所だって言われたら……それであんたはこの国を許したのか? 反乱を諦めたのか?」

「それは……」


 氷雨が口ごもる。だが、それは迷ったからのものではないだろう。

 彼女の言葉は真実だけが込められていた。絶望し、俯いたことも。憤り、反逆したことも。その全てを背負い、立ち上がった出木天音という存在を肯定したことも。その全てが真実で、彼女の中の『絶対』だったはずだ。

 そう、たとえどんな理由があろうとも。世界中の全てが、氷雨の言う敵――大日本帝国を肯定しても。

 そんなことは――関係ないのだ。

 それは、ソラにとっても同じ。


「……今、あんたが思ってる通りだよ」


 刀から手を離し、能面のような無表情をその顔に張り付けながら。

 瞳を失い、右腕を失い。


「正義だの道理だの倫理だの……クソ喰らえだよそんなもの。どれだけ大日本帝国が正しかろうが、俺たちが間違っていようが、その結果として世界が救われようが。あの時、リィラを。あの人達をあんな目に遭わせなければ世界が滅んでいたんだとしても――だからどうした?」


 その姓さえも置き去りにした男は、ただただ平坦に言葉を紡いでいく。


「何故、リィラは両足を奪われなければならなかった? 何故、歩けなくなった? 何故、俺を生かしてくれた人たちは――殺された? この世界は理不尽だ。不条理だ。どうしようもないことなんざ掃いて捨てるほどある。けどな、だからって俺は《女帝》がのうのうと生きていることを許さない」


 アルツフェムの虐殺――最悪の戦場で、数多の戦友たちを奪った怪物を。

 再び同じ戦場で、最愛の人から歩く術を奪った化け物を。


「戻れる道なんざねぇんだよ。あの人がどんな人か? 知るか。俺は何度やり直しの機会を与えられようと、これだけはやり遂げる。どんな手を使ってでも――あの日、あの人達を殺した大日本帝国に無様に尻尾を振ってでも、俺は必ず出木天音を殺し尽くす」

「貴様……」


 丸腰であるはずのソラに、氷雨が気圧された。刃持たぬ男が、これほどまでに――怖い。

 奪われた。奪われ尽くした。

 一度ではない。二度も、三度も。

 たった一人の女に、全てを台無しにされた。

 自分の未来も。

 彼女の――未来さえも。

 ――だから。

 だからこそ――


「俺を止めたきゃ殺せよ。殺せばいいだろうが。あの日、俺の目の前でそうしたように。――虫けらでも踏み潰すみたいに殺せばいいだろうが!!」


 一喝に、氷雨は体を震わせた。正直、彼女がその気になればソラの首を撥ねることは容易い。それは氷雨とて理解している。

 しかし――彼女は動かない。否、動けない。

 目の前の、幽鬼のような男を前に……刀を持ち上げることさえ、できない。


「……ふん」


 そんな氷雨に対し、僅かな吐息を漏らすと、ソラは氷雨から離れた。そのまま、氷雨に背を向ける。


「俺が気に入らないんなら、監視でもなんでも付けりゃあいい。この道中も真選組の監視があるみたいだしな。今更増えたところで特に問題もない」


 斜向かいにある店に立ち入ろうとしている男へ、窓から視線を向ける。あの男は列車の時からずっと付かず離れずの位置を歩いて来ていた。尾行にしては杜撰過ぎると思ったが……まあ、気付かせるのが目的なら理解できなくもない。

 結局、虎徹も自分のことを信用し切っているわけではないのだ。監視がいい証拠である。……まあ、愛娘を心配しての行動という可能性も十分あるのだが。


「……義姉上を貴様が殺すというのなら、私は貴様を殺してでもそれを止めるぞ」

「そんなこと、わざわざ口に出して言うことか?」


 失笑を漏らし、ソラは言う。


「殺せるもんなら、殺してみろよ」



◇ ◇ ◇



 翌朝。詩音に昨日の夜のうちに資料を受け取ったことを告げたソラは、彼女と共に次の目的地へ向かう準備をしていた。外は静かだ。流石は夜の街。朝はほとんどゴーストタウンである。

 次は中部地方だ。第六位、《帝国の盾》紫央千利が管理する地域である。


「さて、準備は終わったかな」

『はい』


 確認のための問いかけをすると、詩音は頷いてきた。ソラは頷くと、荷物を持って歩き出す。そんな彼の前に、詩音が躊躇いがちにスケッチブックを差し出してきた。

 内容は――


『ソラ様は、先生を殺す気なのですか?』


 先生。その単語に一瞬眉をひそめたが、すぐに出木天音のことだと思い至る。

 詩音を見る。真剣な表情だ。おそらく、昨日の夜に彼女も起きていたのだろう。これは失敗だ。


「……ああ、そうだよ」


 嘘も誤魔化しも、ここでは必要ない。そう判断したため、ソラは頷いた。

 詩音は一瞬、ショックを受けた表情になり――そして、一つの問いかけを、書き記した。


『哀しくないのですか?』


 悲しく、ではなく、哀しく。

 そう言葉を記されたからこそ、ああ、とソラは頷いた。


「悪いが……俺にはもう、それしか残ってない」


 全ての過去を、置き去りに。

 たった一人で、ここへと行き着いた。故に。


「こうするしか……ないんだよ」


 そう、呟いて。

 ソラは、幼い少女の横を通り過ぎる。


 その顔は――能面のような、無表情だった。

というわけで、大日本帝国に組み込まれたソラの物語です。


詩音や氷雨などは、今後少しずつ登場する予定。……大日本帝国で叛乱やクーデターが多い理由は、おそらく個人の理由を完全に度外視しているからだと思いますね。


ようやく、次回からは新章です。楽しんでもらえるように描いていきたいと思うので、お付き合いいただけると幸いです。


感想、ご意見お待ちしております。

ありがとうございました!!

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