シベリア編最終話 血塗れたその手が掴んだモノ
戦いは終わる。
数多の犠牲を生み、多くの血を浴びながら。
それでも人々は戦うことを止めない。その理由は何なのだろうか?
その答えは――いつになればわかるのだろうか?
慟哭の果て。怨嗟の果て。後悔の果てに。
今ようやく――一つの救いが訪れる。
救いと同じ数の悲劇を……撒き散らしながら。
シベリア連邦首都、モスクワ。
前大戦における最後の戦場となった場所であり、《赤獅子》を始めとした多くの英雄たちが駆け抜けた場所だ。同時に、シベリアにとっては辛く苦しい日々の始まりとなった場所でもある。
そして。
シベリアの英雄、《氷狼》護・アストラーデにとっては。
絶対的な敗北を、二度も味わうことになった場所――……
『どけっ……!』
〝海割〟を鞘に納め、両腕で突撃槍を構える〈毘沙門天〉のブースターを吹かして突撃を続ける護。その声が戦場に響き、敵の部隊を蹴散らしていく。
『そこを、どけぇぇぇっっっ!!』
――圧倒的。
ただその一言で説明できる力を携え、英雄が駆け抜けていく。その姿を目撃し、統治軍の兵たちは歯を食い縛って舌打ちを零す。
「これだけの防壁、固定砲台、戦車を用意して……!」
「隊長の策があって……!」
「それでも、止まらない……ッ!?」
町中に設置された固定砲台や、いくつもの戦車。また、決して柔らかくなどはない防壁。
備えは万全だったはずだ。敗戦が決められた戦とはいえ、指揮官はあのソラ・ヤナギである。対神将騎――それも、〈毘沙門天〉用の対策も講じられていた。
いくら神将騎でも、砲撃を何度も受ければその装甲が砕け、大破するのが道理である。ソラはそのために、街のあちこちに砲台を用意していた。また、防壁などで道を狭くすることでその進軍ルートを限定、待ち伏せという策も用意している。
しかし――通じない。
まるで、こちらの策など全てが小賢しいものに過ぎないとでもいうかのように。
『軍神』は、正面からそれらを打ち破る。
「これが、《氷狼》……!」
「《赤獅子》とさえ渡り合ったシベリアの英雄……!」
理不尽な力。その代名詞とも呼べる敵。
彼らは知らないが、護・アストラーデという青年が僅か二週間という短い時間で三万にも及ぶ兵力を手にし、ただの一度さえも立ち止まらなかった理由がそこにある。
――狂奔。
策を弄せず、どのような敵が来ようと正面から捻じ伏せる。あまりにも愚直で、しかし、だからこそ妨げることの許されないその姿勢こそが、《氷狼》最大の武器。
だが。
だからといって、ここにいる彼らも止まれない。
「負けられっかよ……! こちとら死ぬためにここに来てんだ!」
「命も名誉も捨てて! 死んだ後から罵声浴びせられんの覚悟でここにいるんだよ!」
「止められねぇからって――止まるわけがねぇだろうが!」
文字通り、全てを捨ててここにいるのだ。
今更――止まりはしない。
「俺たちには隊長殿が付いてる!! 負けはねぇ!! 敗北は――ねぇんだ!!」
だからこそ。
「潰れろ餓狼!!」
――一斉に放たれた砲撃が、〈毘沙門天〉を狙い撃つ。
◇ ◇ ◇
モスクワ外縁部。〈毘沙門天〉がこじ開けた外壁の穴から進軍を始める解放軍と、それを食い止める統治軍との戦闘が行われていた。
統治軍は外壁の上にも兵を配置しており、解放軍はモスクワに入ると同時に上からの攻撃と、前面からの攻撃にさらされる。しかし、数の差が違う。徐々に押し始めているというのが現状だった。
「凄いな……我らがアストラーデ将軍様は。もうあんなとこまで切り込んでるぞ」
「ああ。俺はアルツフェムの後から加わったから初めて見るが……噂以上だ」
歩兵を主とした戦闘。その遥か前方に、たった一機で立ち回る『軍神』の姿がある。その姿と力は、まさしく無双。
「お、俺っ、俺さ」
「ん?」
戦闘の最中、一人の若い青年が言葉を紡いだ。装備からするに、護が率いてきた方の軍勢の一人であろう。おそらく、そもそもから軍人ではなく一般人から解放軍へと参加しているのであろうその青年は、興奮気味に言葉を紡ぐ。
「正直、戦うの、怖かったけど……その、将軍様を見てるとさ」
「ああ。ここにくる時もそうだったけど……勇気が湧いてくる気がする」
銃弾が飛び交う戦場の中。引き金を引きながら、皆の口元に笑みが灯った。そこへ、背後から声がかかる。
「……それが、アイツの強さだろうな」
声を発したのは、一人の青年――レオン・ファン。
年齢からすれば若輩の身でこそあるが、その能力については誰もが知っている。
「さあ、出番だぞ。――第四小隊前へ!! 第五、第六小隊は左右に展開!!」
「「「おおっ!!」」」
レオンの指揮を受け、兵たちが動き出す。彼らが身を隠していた防壁から身を晒し、突き進んでいく。
しかし、それでは外壁に展開する統治軍の兵たちからいい的になる。それに気付いた一人の男が、レオンに何かを言おうとした瞬間。
「安心しろ。手は打っている」
言葉と共に、上空で轟音が響き渡った。
兵たちがそちらを見上げる。見上げると、外壁に数発の砲撃が着弾していた。
「俺たちの背後には、陛下と〈セント・エルモ〉……そして、十万の味方が控えている。恐れるな。恐れる必要はない」
凛とした表情で告げるレオン。外壁への砲撃――それは、レオンが考えた策だ。
一番は外壁そのものを制圧し、こちらがその特性を利用するというものであったが、状況によってはそれも難しい。外壁に入り込み、上へ到達するまでに相当数の被害が出るだろう。
それ故に、こちらの合図で〈セント・エルモ〉に外壁の上へと砲撃を行ってもらうという策を立てた。必要なのは、迅速な王宮と総督府の制圧だ。
「進軍開始!!」
「「「はっ!!」」」
数の暴力。それは、如何なる時であれそう易々と覆されるものではない。
解放軍の進軍が、始まる。
◇ ◇ ◇
「外壁を突破されました!! 我が軍は後退を開始!! また〈毘沙門天〉が市街地中央部へと差し掛かりました!!」
総督府。そこで戦況を見守っているソラに伝令が伝えられる。ソラは小さく息を吐いた。
「無茶苦茶な侵攻スピードだな……《赤獅子》みたいだ」
圧倒的な力を持つ神将騎で戦場を掻き回し、その後から増援によって後方の兵たちを叩く。朱里がまだ自分の部下であった頃によく取った策だ。
それと似たようなことを、〈毘沙門天〉にやられている。本当に、理不尽な力だ。
〝この世界は理不尽でできている。そこに生きる俺たち人間が、理不尽でないはずがないだろう〟
不意に、友の言葉を思い出した。口癖のように、あの男は言う。
世界とは理不尽だと。不条理だと。
だからこそ――くだらないのだと。
――同感だよ、朱里。俺もそう思う。
生まれた場所、生まれた時でその人生が八割方決定する世界。自分のように奴隷候補から軍人になることなど、奇跡と呼ぶ他にありえない事象だ。
貴族の子は、貴族として。
商人の子は、商人として。
農家の子は、農家として。
農奴の子は、農奴として。
奴隷の子は――奴隷として。
――そして。
〝奏者〟として生まれた者は、自身が死ぬまで殺し合いの戦場に立つことを強要される。
くだらない世界だ。本当に、そう思う。
生きるべき者たち――即ち、勇気ある者たちが死に。
自分のような愚か者が、生き残る世界。
けれど。
「こんな俺でも、守りたいものがあるんだよな。守りたいって、そんなことを思っちまうんだよなぁ……」
奴隷として死んでいくはずだった人生。それが、数多の偶然で大きく変わった。
貴族の気まぐれで〈ブラッディペイン〉が動かせるとわかり、そのまま士官学校へと入れられた。そこで朱里に出会い、くだらない戦いに身を投じて。
リィラに――出会って。
仲間を――失って。
多くの奇跡の果てに、ソラ・ヤナギという男はここにいる。
だから、きっと。
奇跡の代償が、ここなのだろう。
「とりあえず、総督府まで撤退しようか。『アレ』を出す。予定より早いけど、まあ仕方ない」
「はっ。……隊長、その、もう一つ報告が」
「ん?」
歯切れ悪く言葉を口にする副官に、ソラは首を傾げる。副官は、言い難そうに言葉を紡いだ。
「……格納庫より、〈クラウン〉の姿が消えました」
「…………」
その言葉に、そそらは一度眉をひそめ。
次いで、ふう、とため息を零した。
「まあ、想定内想定内。元々、ヒスイについては作戦に組み込むつもりもなかったしな」
「ですが、よろしいのですか?」
「……中尉が殺されたことについては、正直、俺も思うところはあるし」
チラリと、窓の外を見る。鎧武者の出立ちをした神将騎――〈毘沙門天〉。
三週間前に起こった、アルツフェムにおける統治軍と叛乱軍、最大の戦闘。そこでアリス・クラフトマンは死を前提とした命を受け、実際にそれを実現した。
殉職だ。これ以上ないくらいの。
――しかし。
《裏切り者》である彼女には、二階級特進の名誉さえ与えられなかった。それどころか、統治軍からあらゆる彼女に関するデータが抹消され、『いなかったこと』にさえされてしまう始末。
無茶苦茶だ。命を懸け、彼女は彼女の為すべきことをしたというのに――この扱い。
ヒスイは馬鹿ではない。その事実も知っているだろう。その上で、ここに残ることを選択した。
――感情、か……。
『人形』と呼ばれた存在。それが、感情を――怒りという感情を抱いている。こんな時でなければそれは喜ぶべきことなのだろうが……。
「ままならんね、どうも。……さて、そんじゃあそろそろ行くか」
そして、ソラは総督府から出ていく。
――叛乱軍は外壁の近くに広がるスラム街を抜け、燃え盛る街の中央部へと足を踏み入れようとしていた。
◇ ◇ ◇
解放軍本営。その天幕に、伝令が走り込んで来た。その報告をセクターが受け、何かしらの指示をセクターが伝える。
伝令が再び天幕から出て行ったのを見届けると、ソフィアはセクターへと言葉を飛ばした。
「戦況はどうだ、セクター」
「はっ。順調とのことです。突入時は少々押され気味だったようですが、外縁部の〈毘沙門天〉が空けた穴の周辺はほぼ制圧が完了したと」
「成程。そうなると、気になるのは部隊の展開だが……」
「はい。それについてはランドール将軍と……ファン参謀官が担当しております。中央に〈毘沙門天〉を据え、両翼をそれぞれが担当するようにと」
「そうか。損害は?」
「ざっと、百というところでしょうか」
「……想定外の順調さだな」
ソフィアは思わず呟く。〈毘沙門天〉がこじ開けた穴からの突入、その時にそれなりの数の被害を出したものと思っていたが……百というのは、相当少ない。
「見事な采配だな、セクター。それに……青二才もか」
「ありがたきお言葉」
ソフィアの言葉を受け、セクターが一礼する。その横から、ふふっ、という笑みが聞こえた。
「確かにお二人の策が上手く嵌ったこともありますが……一番に称賛すべきは少年ではありませんか?」
「……出木、天音」
天幕にいながら一言も発さず、眠ったように目を閉じていたその女性の言葉にソフィアは呟くように名を呼んだ。天音は微笑を浮かべ、ソフィアへと言葉を紡ぐ。
「そもそも、一番の難関は外壁の突破。それを為すために千は削られると――これはこれで相当戦を侮った数字ですが――覚悟していたはず。それを、少年はたった一度の突撃でどうにかしてしまった。ふふっ、とんでもない武勇です」
「貴様に言われずとも理解している。あの小僧の力、武勇……今更だが、アルツフェムで奴が死んだと聞いた時にそれを受け入れた自分が信じられぬ」
そう、今更だ。今更だが……心の底からそう思う。
あの日、《氷狼》の死を受け入れた。仕方がないと、そう思った。
――だが。
もし、《氷狼》こと護・アストラーデが本当に死んでいたら?
ゾッとする。護の側にも統治軍の兵が手を取られていたからこそ、解放軍はここまで到達できた。それがなければ、もっと多くの被害が出ていただろう。
「小僧には随分と助けられている。だが、それを語るのはこの戦争が全て終わってからだ」
「戦争自体はすでに終わっていますよ。この戦いは戦争ではなく、政治です」
「……わかっている」
言い切る天音の言葉に、小さく頷く。この戦争――統治軍と解放軍の戦争は、すでに終わっている。解放軍の勝利だ。
だが、それとは別に『政治』としての戦いが起こっている。それが、この戦いだ。
どうしようもないほどに浅ましく、同時に、つまらない戦争。
それが――この戦い。
ソフィアは一度息を吐く。そうしてから、改めて天音へと視線を向けた。
「貴様は戦場に出ぬのか?」
「出てもいいなら出ますが……止めておいた方がいいと思いますよ。私は一応、未だに大日本帝国の所属という扱いです。この最後の戦いに参戦すれば、それを口実に大日本帝国の干渉が入るでしょう」
「だが、彼の国は他国へ干渉することを是とはしておらぬはずだ」
「今までがなかったからといって、未来永劫そうであるとは限らない。世界とは変わっていくのですよ、王女様。変わらないものなど存在しない。変わらずにはいられない。このシベリアにおける戦争は、その第一歩。大いなる変革の可能性、人の可能性……それを確かめるための第一歩です」
謡うように天音は言う。ソフィアが眉をひそめた。
「誰も彼もそのままではいられぬというのは理解できる。どのような人間も、事象も、国家も。変わらずにはいられぬのだからな。だが、後半の言葉は何だ? この戦争にどんな意味があると?」
「戦争の意味を問いたければ、私ではなく天上にいるという神々にでも問いかけてください。何故戦争があるのか、起こるのか……そんなこと、私にはわかりませんからね」
言って、天音は立ち上がる。それと同時に。
「で、伝令!! 総督府の地下より巨大兵器が出現!!」
一人の伝令が走り込んできた。クスッ、と天音が笑みを零す。
「まあ、それに……今は問答をしている場合でもないでしょう?」
「――そのようだな」
天幕を出るソフィア。その目に映ったのは、かの大日本帝国が誇る強襲用陸戦兵器〝風林火山〟とよく似た形をした、巨大兵器。
この場の誰も知らぬことではあったが、それはかのドクター・マッドが万一のために開発し、ソラ・ヤナギへと餞別として預けた兵器だった。
艦首部分に巨大な砲門を三つ携えた、その圧倒的な威容を持つ兵器の名は。
――陸戦用決戦兵器〝パラディーゾ〟。
『楽園』の名を持つ、兵器だった。
「兵たちを退かせよ。同時に、アランへ伝令を飛ばせ。セクター、貴様も前線で指揮を執れ。……あれは、神将騎でなければ倒せぬ」
「はっ!」
EUの意地と呼ぶに相応しいその兵器を前に、ソフィアは一度退く指示を出す。そうしてから、ため息を吐いた。
「……この際、大日本帝国の介入も甘んじて受けよう。出木天音、貴様に――」
「…………シッ」
言おうとした言葉を、遮られた。人差し指を立て、それをソフィアの口に当てることで天音はその言葉を遮った。
「随分成長したと思いましたが、まだまだ未熟ですね王女様。……信じなさい。あなたについて来てくれた臣民たちを。ここで私に頼らねばならないほど、彼らは弱卒ですか?」
「……全く、貴様は」
微笑みながらの言葉に、ソフィアはため息を零す。
「誰の味方なのだ、貴様は?」
「私は私にとって大切なモノの味方です。信念であるかもしれませんし、理由であるかもしれませんし、誰かであるかもしれません。そういうものです。出木天音とは、『そういう存在』であればいい」
でもまあ、と。
言い切った後に、天音は呟いた。
「今はただ、成り行きを見守りましょう」
「……ふん。私は出るぞ」
言って、ソフィアは天幕から出ていく。そのまま、静かに戦場を見据えた。
「何者かは知らぬが……いいだろう。我が首都を蹂躙したその愚行、後悔させてやる」
◇ ◇ ◇
護は、突然現れたその威容に、一瞬、出遅れた。
陸戦艇〈風林火山〉。大日本帝国が用いたそれと非常によく似た形をしたそれが、キャタピラの轟音を撒き散らしながら這い出てくる。
総督府の地下にあったのだろう。その兵器はその威容を見せつけながら、ゆっくりと地上へと降臨する。
『――陸戦用決戦兵器〝パラディーゾ〟』
青年の声が響き渡った。おそらく、〈パラディーゾ〉とやらに乗っている指揮官の声だ。
『本来なら、これがお前たち叛乱軍との戦争において切り札になるはずだったんだがな。……まさか、こんな形で使うことになるとは』
「――テメェが……!」
聞こえてきた声に、突撃槍を構えながら護が呟く。
「テメェが統治軍総督、ウィリアム・ロバートか!?」
解放軍最大の敵である総督、ウィリアム・ロバート。この状況でこんなことをしでかすのはその男ぐらいしかいない。そう判断しての言葉だ。
しかし、相手はその言葉を否定した。
『違うな。俺の名はソラ・ヤナギ。――ウィリアム・ロバートは俺が殺害した』
「!?!」
その驚きは、おそらく解放軍全体のものだっただろう。何を、という言葉がどこからか漏れる。未だ銃声が鳴り止まぬ中、ソラ・ヤナギ――以前、あの出木天音が高く評価していた者と同じ名を名乗る男は、言葉を続けた。
『何を驚く? 何を疑う? ウィリアム・ロバートを暗殺し、俺がクーデターを起こした。ただそれだけの話だ。視察団が到着するからといって、何だという? それは俺たちが止まる理由にはならない』
ガキン、という鈍い音が響き渡った。〈パラディーゾ〉の主砲が動き出す。
『俺たちの同胞は、貴様らに数多く殺された。多くを奪われた。一矢を報いることさえせずに止まれはしない』
「勝手なことを……!」
ギリッ、という鈍い音が響くほど強く歯を食い縛り、護は吠える。
「テメェらが来なければ! 俺たちはずっと幸せでいられたんだ!」
『……成程。やはり、そうか。お前はそういう考えか』
呟きのような言葉が漏れた。それと同時に。
『ならばもう、俺と貴様が相容れることはない。――潰れろ、餓狼』
直後。
世界が――爆ぜた。
――――――――!!
〈パラディーゾ〉の主砲が放たれ、住宅地が一瞬にして廃墟に変わる。それは三連続の砲撃。ガトリング砲の要領で、大威力の砲撃が世界を砕く。
「――――ッ!?」
護は反射的に〈毘沙門天〉のブースターを吹かし、横へと跳んだ。その刹那。
――背後に、護は見た。
自身について来てくれた者たちが、為す術なく暴力に蹂躙される姿を。
『外したか』
聞こえたのは、そんな言葉。
何かが――護の中で振り切れた。
「ふっ、ざけんなァァァッッッ!!」
轟音が響き渡る。突撃槍を両腕で構え、〈パラディーゾ〉へと最大出力で突撃を敢行。
対し、〈パラディーソ〉はその周囲に装備された無数の銃火器を〈毘沙門天〉へと向ける。
――ぶち抜く!!
主砲は連射ができないのか、沈黙している。ならば今がチャンスだ。
多少の傷は覚悟する。そう思いながら、突撃をしたその瞬間に。
「――――ッ!?」
不意に、機体が揺れた。右側からの衝撃。〈毘沙門天〉はバランスを崩し、そのブースターの推力によって住宅街の一角へと着弾する。
「かっ……!?」
衝撃に、肺から空気を絞り出す。しかし、閉じようとする瞳を強引に開き、護はその『敵』の姿を見た。
そこにいたのは、両腕に盾を装備した一機の神将騎。
名を――〈クラウン〉。
『……殺す……』
ゆらりと、幽鬼のようにその機体が揺らめいた。聞こえてくる声は幼い。しかし、それとは別の次元で、どうしようもなく歪んでいる。
それは――憎悪。そして、憤怒。
人が持つ昏き感情。心など持たぬとされた人形が――手に入れたもの。
『――殺す……ッ!!』
〈クラウン〉がこちらへと突っ込んでくる。護は地面に深く突き刺さってしまった突撃槍から手を放すと、〝海割〟を抜いた。
「邪魔をするな!!」
咆哮と共に、必殺の斬撃を叩き込む。あまりにも鋭いその一撃は、狙い違わず〈クラウン〉の左腕、そこに装備された盾を斬り飛ばした。
そのまま、護は返す刀で〈クラウン〉を狩ろうと〈毘沙門天〉の足で地面を掴み、機体を独楽のように半回転させる。
――だが。
その一撃が当たる前に、盾を斬られながらも一歩も退かなかった〈クラウン〉が、その全身を使った体当たりを敢行してきた。
衝撃と共にが弾かれ、〝海割〟は虚しく宙を斬る。
――しまっ……!?
思うと共に、眼前から音が響いた。ガシャン、という鈍い音だ。〈クラウン〉がその盾の内側に内蔵された大砲をこちらへ向けている。
ブースターを吹かす。一か八か、撃たれる前に――
――――――――!!
互いに退かぬ、刹那の攻防。割って入ったのは、一本のツインブレイドだった。
名を、〝デュアルファング〟。
かつて《裏切り者》と呼ばれた少女が駆った機体、〈ワルキューレ〉。その主武装たる刃。
『……アリ……ス……?』
〈クラウン〉の動きが止まる。護も反射的に制動をかけ、その場から後ろへと飛び退いた。それと入れ替わるように、一機の神将騎が戦場へと舞い降りる。
純白の神将騎だ。見覚えのない。しかし――乗っている者が誰なのかは、何となくわかった。
『護さん』
約束の少女が、静かに告げる。
『〈クラウン〉は、私に任せてもらえませんか?』
返事は要らない。必要ない。彼女が言うのだ。ならば、自分にできることは。
『ありがとうございます』
声が聞こえた。それと共に、思考を切り替える。
自分が倒すべきなのは――ヤツだ。
――ソラ・ヤナギ。
あの男を殺し、ここで全てを終わらせる!!
『ヒスイ』
意識の端で。
そんな言葉を、耳にした。
『――迎えに来たよ』
◇ ◇ ◇
アリス・クラフトマンが出木天音に頼んだことは単純だ。
――『ケジメをつけたい』
彼女は統治軍から離反した。しかし、それは統治軍を憎んでのことではない。事情があり、理由があってのことだ。
無論、統治軍に対しては変わらず良い印象は抱いていない。だが、あの場所で多くの者に出会ったことも事実であるし、助けられたことも事実だ。
ソラ・ヤナギやリィラ・夢路・ソレイユ。朱里・アスリエル、ドクター・マッド……世話になった者は多い。
ソラが乗る〈パラディーゾ〉も気になるが、あちらにまで気を払う余裕はない。それに、今更どんな顔をして会えばいいというのか。
ケジメをつけるといっても、未だに迷いは消えない。こんなところで今更、何をしようというのか。
――けれど。
せめて、ヒスイだけは。
泣いている時、泣きたい時に傍にいてくれた、あの少年だけは。
「ヒスイ――」
もう一度、名を呼んだその瞬間。
『―――――ッ!!』
「ヒスイ!?」
〈クラウン〉がこちらへと突っ込んできた。反射的に〝デュアルファング〟を手に取り、その突撃を受け止める。
ギリギリと軋みを上げる二機の神将騎。アリスが今乗っている神将騎〈スノウ・ホワイト〉は軽量型の神将騎だ。〈ワルキューレ〉よりも遥かに軽いその神将騎は、本来ならそのスピードを生かした高速戦闘を想定されているのだろう。故に、最弱の神将騎とされる〈クラウン〉を力だけでは押し切れない。
しかし、倒す必要はないのだ。こちらの目的は、ヒスイを止めること。
「ヒスイ! 私だよ!? アリスだよ!?」
『……返せ……ッ!!』
呼びかけるが、それを無視するようにヒスイが唸り声を上げた。そのまま、強引に右腕の盾に内蔵された大砲を〈スノウ・ホワイト〉に向ける。
「――――ッ!?」
アリスはすぐさま地面を蹴り、〈クラウン〉から離れる。コンマの差で砲弾の着弾が、壁を打ち砕いた。
――言葉が届いてない……?
今のやり取りで理解した。今のヒスイには言葉が届いていない。感情の爆発。それによって、相手の言葉を受け入れることができなくなっているのだ。
……いや、どうなのだろう。不意に、そんなことを思った。
もしかすると、ヒスイにとってアリス・クラフトマンというのは大して重要な存在ではなかったのかもしれない。だから、言葉も届かなかったのかも――
――いや、違う……。
相手にとって自分はどうとか、どうすれば嫌われずに済むとか。ずっとそれだけを考えて生きてきた。そうしなければならないと思ったし、嫌われたら生きていけないと思ってきた。
その、染みついてしまった本質は統治軍にいた時も変わらなかった。――けれど。
ヒスイの相手をする時だけは、そんな偽りはなかった。
だから、これは自分の我儘だ。
「ちょっと痛いけど……我慢してね、ヒスイ」
大きく息を吐き、そんなことを告げる。大事なのは、自分が相手のことをどう思っているか。
――死なせたくない。
理由など、その程度で良かった。
「私、やっと……笑えるようになったから」
感情の爆発。そんな自分の予測が正しければ。
心を持たぬヒスイが――笑えるようになるのではないだろうか。
「一緒に笑おう、ヒスイ――」
そして、白き雪が突き進む。
彼女の理由を、その身に抱いて。
◇ ◇ ◇
ソラ・ヤナギ。
前大戦における最悪の戦いの一つ、『アルツフェムの虐殺』を生き残った名指揮官。一部では『英雄』とも呼ばれる人物。
それほど人物が――どうしてこんなことを?
違和感のようなものが駆け抜ける。しかし、戦場はそこに思考を割く余裕を与えてくれない。
『本当に厄介な奴だな、《氷狼》』
雨のように降り注ぐ〈パラディーゾ〉からの砲撃をブースターの全力稼働で避けながら、護はそんな言葉を聞いた。
『お前のせいで、随分と予定が崩れた。たった一人、しかし……その一人のせいで、統治軍は敗北した』
「何を……ッッ!?」
足下を抉った砲撃で、一瞬、バランスが崩れる。だがすぐさま前へとブースターを吹かすと、〈パラディーソ〉が装備している機関銃の一つを斬り飛ばした。
だが、やはりすぐさま雨のような砲撃に晒される。
『狂った世界だよ、本当に。俺が、俺たちが。どれだけ努力したと思ってる? どれだけの犠牲を払ったと思ってる? それを、たった一人の〝奏者〟が原因で捻じ伏せられて……理不尽な存在だよ、お前たちは』
「俺は何も……好きで〝奏者〟に生まれたわけじゃねぇ!!」
そうだ。今更、別の人生など考えられやしないが……だからといって、〝奏者〟として生まれたかったわけではない。〝奏者〟として生まれてしまったから――こうして、戦っているのだ。
『それが傲慢なんだよ。俺たちだって、〝奏者〟に生まれたかった』
「何を……ッ!?」
『この世界は不条理だ。理不尽だ。あまりにも――残酷だ。その最大の理由は貴様らなんだよ〝奏者〟共』
響く声色は、あまりにも平静だ。むしろ、それ故に深い重みを感じる。
各地で誰もが戦う中、必死の戦場の中で。
二人の言葉に――誰もが耳を傾ける。
『人が刃を持つ理由は、いつだって〝守る〟ためだ。その対象が何であるかは知らんがな。そして、軍人である俺たちにはそれぞれ守りたいものがある』
「ふざけんなッ!! 守りたいだと!? これだけ殺しておいて!! これだけ奪っておいて!! 今更何をほざきやがる!!」
『お前がそれをほざくのか!! 《氷狼》!!』
一喝が響いた。同時に、砲撃が一発、〈毘沙門天〉に直撃する。
『お前たちが奪わなかったのか!? 俺たちだけが悪なのか!? 俺たちにだって――守りたいものがあったのに!!』
「だったら……!! だったら!! 何故クーデターなんて起こした!? もっと早く手を取り合える方法だってあったはずだ!! 違うのかよ!?」
『それを貴様らが言うのか!? 自治領――俺たちは確かに、あの時歩み寄る姿勢を見せた!!』
「ふざけんなッ!!」
その言葉に、護は反射的に吠えていた。そのまま、吐き捨てるように言う。
「俺たちは!! もう誰も理不尽に苦しまなくてもいいように戦ってきたんだ!! テメェらの言う自治領は!! そんなもんじゃ!! 誰一人して救えねぇんだよ!!」
『だがそれを拒絶したのはお前たちだ!! 歩み寄る術はあったはずだ!! 時間もあったはずだ!! その全てを拒否し、闘争を選んだのはお前たち自身だろう!!』
「違う!! 違う違う違う!! 俺達は誰一人、そんなもんを望んじゃいねぇ!!」
平穏だけを望んできた。それだけを。
もう、誰も泣かなくてもいい未来を――
『何が違う!? 何が違うというんだ!? どれだけ叫んでも今更なんだよ全てが!!』
――しかし、それを英雄は否定する。
『こうなると知りつつ!! 死ぬと知りつつ!! 壊すと知りつつ!! それでも突き進んだ道だろうが!!』
「んだとテメェ!! テメェに何がわかる!?」
『ならばお前に俺の何がわかる!?――わからんだろうさ!! わかるはずがない!! 歩み寄ろうとさえしなかったお前たちに、俺を理解できるはずがない!! 『ヒト』なんてのはな!! 所詮自分自身しかわからない生き物だ!!』
「違う!! わからなくても想像できる!! 考えることができる!! 思いやることができる!! 人はそうやって繋がっていく!!」
相手の気持ちはわからない。わからないから、想像するしかない。
そうしていくしか――道はない。
――けれど。
それさえも、人の憎悪を知る英雄は否定する。
『ならば何故争う!? 対話を望まず!! 何故争ってきた!? 正義!? 人を殺すのは正義か!? ならば悪とは何だ!? 人を殺すが正義なら!! この戦場のどこに悪がいる!?』
「それでも……ッ!! それでも!! テメェらは悪だ!!」
『〝それでも〟だと!? だったら言ってやろうか!! 俺たちにとって貴様は悪だ《氷狼》!! どうしようもないほどに!! 殺したいと思わずにはいられないほどに!! 所詮そんなものだ!! わかり合うことさえ放棄したお前たちに!! 正義を語る資格はない!!』
「だったらテメェはどうなんだ!? 統治軍は罪もないシベリア人を苦しめてきた!! 殺してきた!! ずっとそうしてきた!! それを受け入れろと!? 理解しろと!? それこそテメェらの傲慢だろうが!!」
『〝だったらテメェはどうなんだ〟!? ハ、そんなこともわからないのか!? 俺は〝悪〟だよ!! 敵を殺すのに躊躇いなどない!! 善意で人を殺せるのは聖人だけだ!! 俺は悪意で敵を殺す!! 殺意で殺す!! それが『ヒト』だ!!』
「だからこんなことを望むのか!?」
また、固定砲台を切り裂く。数が多過ぎる。どれだけ潰しても、減っている気がしない。
――それに。
主砲がいつ火を噴くか、それさえまだわからない。
「人を殺して!! 敵を殺して!! まだ犠牲が欲しいのかよ!? 撃って何かが変わるのかよ!?」
『それこそお前の言葉ではないだろう《氷狼》!! その手で何人殺してきた!? どれだけ奪ってきた!? 何故その手に武器を取った!? そして何故今も尚戦っている!?――それが答えだ!!』
戦いを終わらせるため。
救うと決めた全てを救うため。
そのためだけに、護・アストラーデはここにいる。
けれど、それは。
その、理由は――
「終わらせるために!! 救うために戦ってるんだよ俺は!! テメェとは違う!!」
『それが矛盾だ!! どうしようもないほどの!!――その矛盾が、お前を殺す!!』
ガコン、という音がした。
〈パラディーゾ〉の主砲が動き出す。その狙いは、外壁。
未だ多くの解放軍兵士たちが入ってきている場所。
『撃たねば撃たれるから!! だからこうしているんだろうが!!』
砲撃が――放たれる。
外壁が、吹き飛んだ。
◇ ◇ ◇
――その戦いは、あまりにも簡単に決着が着いた。
そもそも、機体のスペックが違うのだ。本気になった〈スノウ・ホワイト〉に〈クラウン〉は抗う術がない。それが現実である。
そして、今。
アリスは〈スノウ・ホワイト〉から降り、〈クラウン〉のハッチを開けようと手を伸ばす。
カチン、というロックが外れた音。そこから、中を除いた瞬間。
パン、という。
あまりにも乾いた音が、響き渡った。
アリスの体を、衝撃が抜ける。撃たれたのは左肩だ。反射的にそこを右手で押さえ、しかし、決して倒れぬように自分へと言い聞かせながら、アリスは前を見た。
そこにいたのは、震える手で銃を構えた一人の少年。
女の子のような顔をしたその少年の名は――ヒスイ。
「……あ……っ……」
その手から銃が零れ落ち、ヒスイが脱力する。アリスは微笑み、痛む体で――血に濡れた手で、ヒスイを抱き締めた。
「……ごめんね、ヒスイ」
「……アリ……ス……?」
呆然と、ヒスイがアリスの名を呼んだ。
はい、とアリスが頷いた。
「――アリス……ッ!」
ヒスイの瞳から、涙が溢れる。
この少年に感情がないと言ったのは誰だったか。
涙を流し。
こんな私のために怒ってくれたこの子は。
人形ではなく――立派な〝ヒト〟だ。
「ただいま」
泣きじゃくるヒスイの頭を撫で、そんなことを囁く。
これで――自分の役目は終わり。後は。
『――綺麗事でも叫ばなきゃ!! 誰一人として救えねぇだろうが!!』
声が響いた。そう、残るは彼と隊長の戦いだけ。
決着は――近付いている。
◇ ◇ ◇
違う、という否定の言葉が脳裏を巡る。
ソラ・ヤナギの言葉。それを受けて、自分はどうすべきなのか。
ただ、ただ、前を見て歩んできた。走ってきた。そうしなければ、全てが終わると思ったから。思っていたから。
実際、その認識に間違いはなかったように思う。止まれば死ぬ。立ち止まれば全てが終わる。
――けれど。
その道全てが。走ってきた事実が。それが――過ちだったと?
「……違う……」
苦しんでいる人がいた。自分には、手を貸すことしかできなかった。
飢えている人がいた。自分もまた、食べる物がなく飢えていた。
乾き、泣いている子供がいた。自分の手には、一滴の水さえなかった。
「……違う……!」
敗戦の決まった戦争で、銃を握らされた。『祖国のために死ね』と命令された。
一人のドジな少女を見つけた。自分と同じ、他人とうまく関われない少女だった。
声をかけた。――笑ってくれた。
約束をした。
――引き裂かれた。
再会した。
――殺し合う相手だった。
言葉を交わした。
ようやく――手を取り合うことができた。
「違う……ッ!」
何のために戦ってきたのか。誰のために戦ってきたのか。
約束のため。
苦しむ人たちを、救うため。
それだけのために――駆け抜けてきた!!
「違う!! 俺の歩んできた道は間違いなんかじゃねぇ!! ずっと、ずっと!! 俺は後悔してばかりだった!! 何もできねぇ自分が嫌いだった!! だから武器を手に取った!! もう誰も救えないなんてことがないように!! 泣いてる奴に手を差し伸べられるように!!――笑顔を取り戻せるように!!」
『ハ、綺麗事だな!! そんな言葉で何が守れる!?』
「綺麗事でも叫ばなきゃ!! 誰一人として救えねぇだろうが!!」
ブースターを吹かす。同時に探すのは、一つの武器。
――この辺に……!
その〈毘沙門天〉に、容赦なく〈パラディーゾ〉からの砲撃が降り注ぐ。その最中でも、ソラの言葉は続いている。
『叫んだところで何が変わる!? 何が変わるって!? 変わらないんだよこの世界は!! このクソッタレな場所は!! 俺たちから全てを奪っていく!!』
「前を見ろよ!! 顔を上げろよ!! 辛い時に!! 苦しい時に!! そんな時だからこそ顔を上げろよ!!」
そうすれば……そうすれば、きっと――
「そんな奴にまで悲劇を見せるほど!! この世界は残酷じゃねぇはずだ!!」
そして、〈毘沙門天〉の手が『それ』を掴む。
――外壁さえも貫いた、神将騎用の突撃槍。
『――それが、できたら……ッ!!』
引き抜き、同時に宙へ飛ぶようにブースターを吹かす。
目に映った空は、変わらず灰色。
『誰もが前を向いて歩けると思うな!! 餓狼!!』
吠える声に応じるように、無数の砲撃・銃撃が〈毘沙門天〉を狙い撃った。護は突撃槍の穂先を〈パラディーゾ〉に向ける。
「それでも――俺はッ!!」
ブースターを全開で起動する。凄まじいGが全身にかかり、体がシートに押し付けられる。
弾幕の中を駆け抜けていく〈毘沙門天〉。装甲が弾け飛び、モニターに無数の『危険』の文字が現れる。
しかし――止まらない。
止まることは、なかった。
◇ ◇ ◇
駆け抜けた〈毘沙門天〉は、〈パラディーソ〉を貫いた。その際に動力部をやられたらしい。音でわかる。〈パラディーソ〉は限界だ。
「……隊長」
部下の一人が、自分を呼んだ。ソラは息を吐き、ははっ、と苦笑を浮かべる。
「総員に伝えてくれ。退艦だ。……ここを降りて、最後の特攻を仕掛ける」
「了解!!」
応じ、部下たちが持ち場を離れて退艦していく。今の指示は全体へ届いたはずだ。おそらく、数分と経たぬうちに退艦は完了するだろう。
その途中で、部下の一人がソラへと声をかけた。
「隊長! 急いで退艦しないと……!」
「ああ、ごめんごめん。……先に降りててくれ。ちょっと、忘れ物があるから」
苦笑しながら言うソラを見、その部下は――その言葉を聞いていた者たちは、ははっ、と笑いを零した。
「待ってますよ隊長!」
「まだまだ意地を見せてねぇッスからね!」
「お待ちしております!」
大げさに敬礼までして、部下たちが退艦していく。それを見送ってから、さて、とソラは呟いた。
「――これが最後だ」
――言って。
ソラは、オートモード――ドクター・マッドが用意した、〈パラディーゾ〉の自動操縦モードを起動した。
◇ ◇ ◇
「おい、ふざけんなよ……!?」
炎上し、各所から煙を噴き上げる〈パラディーゾ〉。その後方に集結してきた統治軍の生き残りである兵士たちは、その光景を見てそんな言葉を呟いた。
「ふざけんな!! どうして隊長を残してきた!?」
吠えたのは、〈パラディーゾ〉に乗らず、歩兵として戦っていた兵士だ。そのまま、彼は〈パラディーゾ〉から降りてきた兵の胸倉を掴む。
敵の英雄である《氷狼》にその車体を貫かれた〈パラディーゾ〉。それは停止し、沈むはずだった。
――しかし。
今の彼らの視線の先に映るのは、ゆっくりと進軍していく〈パラディーゾ〉の姿。
ソラ・ヤナギ。
彼だけが残っている、決戦兵器だった。
「何をやってんだよ! どうして隊長を残したんだ!?」
「残したんじゃない! 隊長が先に行って欲しい、って! 忘れ物したから、って! だから俺たち笑ったんだよ! お前らだって最初笑っただろ!? 抜けてるなぁ、って! 俺たち敬礼までしたんだぞ!? 隊長は言ったんだ! 最後の特攻を仕掛ける、って! そうする、って……! だから!」
その場の全員が、言葉を失う。その中で、胸倉を掴まれていた兵士は必死を込めてこう叫んだ。
「俺たちだって言いてぇよ! どうして、って! 何で、何で最後の最後で供をさせてくれねぇんだって!」
涙と、共に。
「何で――俺たちに恩を返させてくれねぇんだよ、って!!」
◇ ◇ ◇
煙草を咥え、紫煙を吐き出し、ソラはゆっくりと操舵用の操縦桿に触れた。これが、最後だ。
最後の、役目――
「ま、義務は果たせたかねぇ……」
呟きを漏らす。この戦いで、EUは最後の意地を見せた。わざわざ名乗りまでしたのだ。無駄だったとは思いたくない。
そして、その果てに。
ようやく――全てが終わる。
「永かったなぁ、ホント……」
過去を思い出すのは、走馬灯か。
彼女のことだけが、心残りだが――
「……幸せに、なって欲しいよなぁ……」
左手の薬指。そこに煌めく指輪。
一緒に、生きていきたかったけど。
生きて――みたかったけど。
それは、叶わぬことだから。
「うまく、いかないねぇ……」
一体、どこで間違えたのだろうか。
今の自分には思い出せないし、その必要もない。
ただ、紡ぐべき言葉は――……
「……ごめんな」
それは、誰に対する言葉だったのか。
鈍い音が、響き渡る。
――〈毘沙門天〉。
幾度となくこちらを苦しめてきたその神将騎が、〈パラディーゾ〉の正面に立っている。どうやら、特攻さえも許してはくれないらしい。
歪んでいる。
狂っている。
こんな――世界で。
今更何を、願えるというのか。
「……俺の人生も、これで幕か」
ははっ、と笑みを零す。
後悔も、心残りも。抱えきれぬほどに残っている。
それでも、死は。
残酷な現実は――待ってはくれない。
だから、こそ。
「……死にたく、ねぇ、なぁ……」
呟いた、その直後。
軍神が――全てに終止符を打つ突撃を敢行した。
◇ ◇ ◇
轟音が響き渡り、オレンジ色の閃光が無数に瞬く。誰もが、固唾を呑んで見守る中。
空から、まるで舞い降りるようにその機体が降下してきた。
――〈毘沙門天〉。
決戦兵器〈パラディーゾ〉さえも打ち破った、英雄の神将騎。
「勝ったのか……?」
最初は、問いかけ。
「勝ったんだ……」
次いでは、確信。
「アストラーデ将軍が勝った!!」
「《氷狼》様の勝利だ!!」
「勝ったぞ!!」
次々と、賛美の言葉が紡がれる。
ズンッ、という音を立て、〈毘沙門天〉が着地した。わっ、と、大地を揺らすような歓声が響き渡る。
「俺たちの――勝ちだ!!」
響き渡る大歓声。その中、一人の若者が俯きながら銃を握り締めている。近くにいた男が、青年に問いかけた。
「どうした?」
「いや、その……将軍の戦いが、目に焼き付いて」
胸元を押さえ、青年がそんなことを言う。
「俺たち、その、凄いものを見たんだなぁ、って……」
「――ああ。孫の代までの語り草だ」
男が笑い、近くにいた者たちも頷いた。
「爺ちゃんは、あの《氷狼》様と一緒に戦ったんだぞ、ってな」
戦いは終わった。
多くの犠牲を生みながら。
多くの悲劇を生みながら。
それでも――ここに終結した。
護・アストラーデは〈毘沙門天〉から降りると、〈パラディーゾ〉の残骸の側に駆け寄った。別の場所では統治軍との残党との戦いが行われているが、そちらはもう自分が参加するようなことでもない。
今は、敵の指揮官の生死確認を――
「――見事な戦いだったな、《氷狼》」
不意に、上からそんな言葉を聞いた。反射的に銃を抜き、構える。そして、同時に驚愕した。
「なっ……!?」
「……物騒だな。俺はお前に危害を加えるつもりはない。解放軍に対してもだ。銃を降ろしてくれるとありがたい」
言って、その男は残骸から飛び降りた。それなりの高さがあったというのに、着地に音がない。護は、銃を下げることができずにいた。
癖のある短めの黒髪。純白の軍服。腰に差した大小二つの日本刀。見られているだけで冷や汗が溢れ出すほどに冷たい瞳。そして。
その背に背負った――〝覇〟の一文字。
大日本帝国《七神将》第一位、《武神》藤堂暁。
それほどの名を持つ男が、そこにいた。
「聞こえていないのか? 銃を降ろしてくれと言っている」
「……黙れ」
どうにか、護はその言葉を絞り出した。そのまま、暁を睨み付ける。
「大日本帝国が何の用だ!?」
「……そう吠えないで欲しいんだがな。別に危害を加えるつもりはない」
「目的は!?」
「……まあ、前回の接触からして印象も良くはないだろうと思っていたが。どう説明したものか……」
ふう、と息を吐きながら暁は言う。その時、不意に〈パラディーゾ〉の残骸で構成された瓦礫が持ち上がった。暁がそちらへ視線を向けるのにつられて、護もそちらを見る。
「ふう……死ぬかと思ったぜ。いくら俺でも、不死身じゃねーんだっつの」
「ご無事でしたか、虎徹さん」
「おう、大将。俺ァ無事だぜ?」
現れたのは、一人の男だった。虎徹、と呼ばれた男は瓦礫から這い出すと、その背に背負っている『誰か』に視線を向ける。
「ったく、この小僧を引き込むために死にかけるとはな。こりゃ、きっちり働いてもらわねぇと割に合わん」
「虎徹さんの私情でしょう? その男を引き込むのは」
「いやオメェ、こいつぁあれだ。間違いなくうちの役に立つぜ大将?」
「……まあ、それを期待したから俺がここにいるのですが」
暁が肩を軽く揺らす。虎徹も笑っていたが、その時不意に虎徹が護に気付いた。
「ん? オメェは誰だ?」
「…………」
護は無言。銃を下げず、二人を視界に入れる。暁がため息を零した。
「護・アストラーデ。……《氷狼》と呼ばれている男です」
「――ほう?」
一瞬にして、空気が変わった。虎徹が、どこか楽しそうに護を見据える。
「オメェがあの馬鹿の後継者か。思ったよりも若いねぇ」
「…………」
護は無言を通す。口振りからするに、この虎徹という男も大日本帝国の軍人。軍服ではないから確信はできないが、かなり高位の者だろう。
何の目的で……気を張り詰める護。その護に、暁が言葉を紡いだ。
「目的は果たした。俺たちは行く。……ソラ・ヤナギの回収。それが俺たちの目的だったからな」
「何だと!?」
驚愕に目を見開く。虎徹が肩を竦めた。
「この小僧とは縁があってな。ま、そういうわけだ。この戦争はオメェたちの勝利で終了。ソラ・ヤナギは戦死……それでいいだろうよ?」
「いいわけねぇだろうが!!」
銃を構え直し、護は言う。ソラ・ヤナギ――虎徹が背負っているせいで顔が伺えないが、その男は生かしておくことはできない。
多くが死んだ。そして、奪われた。その原因の一つなのだから。
しかし、虎徹はそんな護の反応に首を傾げる。
「おい、坊主。オメェ、何をそんなに恐れてる? オメェは勝者だ。そして、この小僧は敗者。……オメェが小僧を恐れる理由なんざ、ねぇんじゃねぇのか?」
「……そいつを見逃すわけにはいかねぇ。置いていけ」
「それはできねぇ相談だな。コイツには用がある」
睨み合う二人。護は、自然と引き金に指を込めていた。そして、銃弾が吐き出されるその瞬間。
「――待て」
あまりにも何の違和感もなく、護がその間に割って入った。そのまま、その鋭い視線を護へと向ける。
「ここで騒ぎを起こすのはこちらの本意じゃない。なら、答えは単純だ。――力ずくで奪わせてもらう」
こちらへと向き直る暁。その後ろで、虎徹がおいおいと肩を竦める。
「オメェ、その坊主を殺す気か?」
「まさか。――身の程を知ってもらうだけです」
余裕たっぷりに言い放つ暁。対し、護も頷く。
「……上等だ」
銃を構え直し、護は言う。
「《武神》だか何だか知らねぇが、ぶちのめしてやる」
そして、護が踏み出そうとした瞬間。
「まあ、安心してくれ。――手は使わない」
「――――シッ」
その言葉が開始の合図だった。護は踏み込むと同時に引き金を引く。だが、まるで弾道を予測していたのかのように暁はそれを容易く避けた。
――直後。
何が起こったか、護は認識できなかった。
「がっ……!?」
踏み込んできた暁に、蹴りを叩き込んだところまでは覚えている。しかし、その蹴りは暁には当たらず。
気付いた時には、左肩へ暁の踵落としが決まっていた。
膝をつく護。その護が持つ銃を蹴り飛ばすと、ふう、と暁は息を吐いた。
「結果は見えたな、護・アストラーデ」
「……俺の名前を、どうして」
「他国の英雄の名ぐらいは覚える。それに、お前には個人的にも少し興味があった」
言って、暁は護を見た。膝をついた護を暁は自然と見下ろす形になるのだが、不思議とそんな感覚は受けなかった。
ただ。
酷く冷たい印象は受けたのだが――
「……帝に、俺とお前が『似ている』とな。正直、信じられなかったが……成程、流石は帝だ。俺とお前はよく似ている」
「似ている、だと?」
「その本質的なところがな。お前の弁論、個人的には楽しませてもらった。もし、興味があるのなら一度大日本帝国に来い。歓迎する。……伊狩・S・アルビナ。ここにいるんだろう? あの人に頼めば、俺たちに接触することはできるはずだ」
言って、暁は護に背を向ける。護は、そんな暁に一つだけ問いかけた。
「……テメェらの目的は、何だ?」
「世界平和」
振り返らずに、暁は真剣な声色でそう言った。
「夢想と笑われようと、不可能と謗られようと。俺たちはそれを実現する」
そして、最後に一言。
「護・アストラーデ」
こんな言葉を残して。
「お前の言う『全てを救う』は……敵は含まれないのか?」
《武神》と呼ばれる男は、その場を立ち去った。護はそんな暁と、こちらに一瞥だけをくれてきた虎徹の背を見送り、瓦礫に背を預ける。痛む左肩……しかし、骨は折れていない。手加減されたのだろう。
「……くそっ……」
何に対しての、呟きだったのか。
その言葉だけを残し――護・アストラーデは空を見上る。
分厚い雲に覆われた。
灰色の――空だった。