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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
4/85

第二話 再会は、幸か不幸か


 シベリア連邦首都、モスクワ。

 かつてはシベリアの王族が住み、極寒の地でありながらも賑わっていた都市だ。

 しかし、二年前――シベリア連邦の敗戦の際、最後の決戦の場となったこの都市はその後、統治軍の本部が置かれ、活気と呼べるものがほとんど消えていた。

 街の中心部にいるのは、精霊王国イギリスの軍隊を中心とした統治軍の者たちや、他国の人間。

 砕かれた外壁の側、身を寄せ合うようにして『スラム』という場所で暮らすのは、シベリア人たち。

 この二つの明確な格差。それが、全ての現状を物語っていた。



◇ ◇ ◇



「……相変わらず、ここは変わらねぇな」


 スラム街――シベリア連邦の人間でありながら、首都を追われた者たち。敗戦国の人間という弱い立場に追いやられながらも、身を寄せ合って生きる彼らの居場所だ。

 立ち並ぶ家屋のうち、一軒の家屋から姿を現した護は、吐息のような小さな声で呟いた。

 かつて、ここで過ごした日々。戦争が始まる前も、始まった後も。

 ずっと、ここは――……


「生まれ故郷に帰ってきて、感慨深いか?」

「……レオン」


 振り返った先にいるのは、金髪の青年だった。レオン・ファン。二年前に出会い、あまりにも無謀な戦いを敢行しようとしていた護に道を付けてくれた男だ。

 そのレオンは、まあ、と前置きを付けてから言葉を続ける。


「この状況を見て感慨深いと思うようなら、精神がどうかしている。……怒りか、護」

「……うるせぇ」

「俺に八つ当たりをされても困る」


 レオンは、ふう、と息を吐いた。


「とりあえず、ここで事を起こすつもりはない。早まるなよ、護」

「わかってる」

「なら、いい」


 言って、レオンは護に背を向けて歩き出そうとする。そのレオンに、護が問いかけた。


「どこへ行く気だ?」

「ちょっとな。ここで落ち合う予定の奴から連絡がない。調べてくる」

「……俺にできることはあるか?」

「今のところは、とりあえず休んでおけ」


 笑いながら言うレオンに対し、護は頷く。レオンはこちらへ背を向けたままに手を振ると、そのまま歩き出した。対し、護は逆方向へ歩き出す。

 瞬間。


「あーっ、マモル兄ちゃんだ!!」

「ホントだ! お兄ちゃんだ!!」

「お兄ちゃん、お帰りなさい!!」


 言葉と共に、護の視線の先にいた子供たちが飛びついてきた。皆、年の頃は十を下回るくらいだ。


「おうっ!?」


 いきなり抱きつかれ――というか、腹部に打撃を受けた――衝撃で護はよろける。だが耐えた。しかし。


「わーい♪」


 追加の波状攻撃が更に入り、結果、護は地面に倒れる。どさっ、という音と共に、背中から雪の積もった地面へと。

 ……物凄く冷たかった。


「いつつ……おいコラ、人に飛びつくんじゃねぇ。危ねーだろうが」

「遊ぼう!!」

「遊ぼうよ!!」

「遊んで!!」

「聞いちゃいねぇ……」


 体に抱きついた状態で、口々に言う子供たち。護は深くため息を吐いた。

 初めてここに入った時、子供たちは愚かここにいる全員に護は警戒された。ハーフとはいえ、彼の身体的な特徴はシベリア人のそれではない。外国の出身である父親のそれに近いのだ。

 そう――大日本帝国。世界最強国に住む人間のそれに。


「お兄ちゃん、今度はいつまでここにいれるの?」


 無邪気な声。護は。そーだな、と呟いた。

 紆余曲折あり、今、護はここで受け入れられている。それについては色々と思うことがあるが、まあ、今は置いておこうと思う。


「どれくらいいられるかは、レオン次第だな。俺たちの方針はあいつが決めてるから」


 身を起こし、立ち上がると、護は子供たちと同じ目線になるように膝を折りながら言う。男の子の一人が、えー、と声を漏らした。


「マモルお兄ちゃんがリーダーなんじゃないの?」

「俺がリーダー? あー、それはない。うん。ねぇな。リーダーはレオンだよ」

「でも、レオンお兄ちゃんはマモルお兄ちゃんが『えーす』だって言ってたよ?」

「そんなこと言ってたのか、あいつ」


 護は苦笑を零す。レオン・ファン。護たち義賊集団……たった五人しかいない《氷狼》という一団のリーダーは間違いなくレオンだ。あの男が作戦を立案し、あの男も含めたメンバー全員で事に当たる。

 その中で、〝奏者〟でもあり、唯一〝神将騎〟を扱える護を主軸に置いた作戦が立てられるのはいつものことだ。だが、だからといってエースというわけではない。


「俺はエースじゃねー。そんな大層なもんじゃないよ」

「でも、マモルお兄ちゃんは強いんでしょ?」


 どうだろうな、という言葉が口から出そうになった。だが、こちらを見ている子供たちの目を見、護はその言葉を呑み込む。

 代わりに。


「少なくとも、お前たちを守れるくらいの力はあるつもりだ」


 頭を撫でつつ、そう言った。子供たちが、うん、と嬉しそうに頷く。


「とりあえず、俺は今から行くところがあるから、そのあとで遊んでやる。いいな?」

「え~?」

「えー、じゃねぇ。……そんなに遊んでほしいなら、レベッカにでも頼んどけ。じゃあな」


 言って、護は子供たちに背を向ける。そうしてから、白い吐息と共に空を見上げた。


「灰色の空、か」


 それは、あの日。

 戦うと決めた日と、同じ色をしていた。



◇ ◇ ◇



 スラムの片隅にある廃屋。明かりのついていないその部屋に、三つの影があった。そのうち、一つの影が言葉を紡ぐ。


「……それで、レオン。あいつとは連絡が取れたか?」


 声を上げたのは、レイド・ノーティスだ。《氷狼》の中では最も年長であると同時に経験も豊富な彼は、視線の先にいる青年――レオン・ファンに問いかける。レオンは頷いた。


「合流場所に行ったが、姿がなかった。痕跡の一つもない」

「失踪したか?」

「……いや、もっと最悪の展開かもしれない」


 言って、レオンは視線を今まで沈黙していた三人目に向けた。そこに立っているのは、足下に大きなバックパックを降ろした状態の女性だ。左目に眼帯を着け、濃紺の髪を後ろで結った女性は、促されるように言葉を紡ぐ。


「ここ数日、統治軍に動きがあるね。本国の方からの増援って話だ。だけど、その増援のほとんどは首都以外へ派遣されてるらしいから、ここの戦力は前とそんなに変わらないだろうね」

「……レオン、この女は?」

「アタシかい? そうだね、ただの通りすがりの旅人だよ」


 女性はそう言うと、微笑を漏らした。レオンは肩を竦め、言葉を紡ぐ。


「アルビナさんだ。以前世話になって以来、時々こうして情報をもらっている。世界各地を旅してるおかげで、色々と情報に詳しいから助けられてる」

「それはお互い様。アタシとしても、この国を自由に動くのに事情を知ってる奴がいた方が助かるからね」


 アルビナ、という女性は微笑を崩さないままにそう言葉を続ける。レオンは、話を戻そう、と言葉を紡いだ。


「統治軍に動きがあるのは確かだ。その確認のために首都に戻ってきたが、以前来た時とはかなり変わっている」

「変わってる?」

「ああ。……空気が重い。張り詰めている、と言った方がいいかもしれないな。だが、心当たりがない。一体、ここで何が起こっている?」


 わからない、と、レオンは呟いた。


「本国からの増援自体は別におかしくはない。俺たちみたいなのがいるというのが現状だからな。だが、アルビナさんの話と俺が調べた情報で出てきた増援の規模が、明らかに道理に合わない」

「道理に合わないってのは?」

「規模が大き過ぎるさね」


 言いつつ、アルビナは紙片を取り出し、机の上に広げた。同時に、レオンが蝋燭に火を点ける。スラムに電灯などという気の利いたものは存在しない。

 その紙片の情報を見つめながら、レオンは疑問符を浮かべた。


「二個連隊……新しい将軍が来るという話は前々からあったが、この規模はいくらなんでも大き過ぎる。何故、今更この国にこれだけの規模の軍隊を派遣する?」

「反抗を恐れてるとかじゃないのか?」

「――俺たち以外、戦える奴なんていないのに?」


 レオンの言葉に、レイドは口をつぐんだ。そう、この国には現状、レオンたち《氷狼》以外に戦っている者たちはいない。いや、正確には戦える者がいないのだ。何故なら。


「……シベリア軍の軍人たちは収容所送り。そうでなくても、十五歳以上の男は強制労働。俺たちは運よく逃れたが、そうでない者たちは今も苦しんでいる」


 そう、元軍人は終戦後、各地に作られた収容所へと送り込まれた。また、十五歳以上の所謂一般人も、各地で強制労働に従事させられている。

 これは叛乱の抑制だ。スラムに女子供と老人しかいないのもそれが理由である。この国には、戦える力がないのだ。


「確かに、俺たちは神将騎を一機持っているし、護という奏者もいる。だが、それだけだ。それだけの一団を相手に国という組織が連隊を派遣するわけがない」

「治安維持の強化は?」

「元々反抗する基盤を砕かれている。俺たち以外、向こうにとっての問題はないのが現状だ」


 反抗しようにも、そのための力がないのだ。クーデター、叛乱、革命……その全ての裏には、武力という確かな力が存在している。しかし、この国ににはそれを所持することさえも許されていない。

 そうだな、と、レオンは目を伏せ、言葉を紡いだ。


「あるいは、向こうに問題が発生したか」

「問題?」

「ああ。……噂話の類と思っていたが、現実味を帯びてきたな」


 噂話、と、レオンはもう一度呟いた。それを引き受けるようにアルビナが言葉を紡ぐ。


「反乱軍……それも、王女様を旗印にした軍隊だったね?」

「敗戦直後、王族は全員が第一級戦犯として処刑された。それは俺も見ている。……酷いものだった」


 レオンは、苦虫噛み潰したような表情を作る。敗戦直後、これから何が起こるのかを予見していたレオンはすぐさま混乱する首都を去ろうとした。その時に、見たのだ。

 この国を導いてきた王族と宰相の首が、落とされるのを。


「……敗戦国の指導者の末路は悲惨だ。よくて永久拘束、普通なら死罪。だが、あれはいくらなんでもやり過ぎだろう」

「そうさね……やったのは、大日本帝国の侍だったかね?」


 アルビナの言葉に、レオンは頷く。処刑の日、王族と宰相の首を落としたのは大戦における最大の戦勝国、大日本帝国の女侍だった。

 今も、レオンは覚えている。酷く冷たい、冷淡な瞳。


「別に、恨むわけじゃない。落とした首は供養されたという話だ。だが、衆人環視の中でそれを行うことが、俺には理解できない」

「あれは、あの国の美学さね」


 言ったのは、アルビナだ。アルビナは、更に言葉を続ける。


「元々、あの国のクーデターから始まった世界大戦……それについては何も言ってないけど、責任は感じてたはずだよ。そうでなければ、人としておかしいさね。だからこそ、自分たちの手で終止符を打ちに来たんだろうさ」

「処刑もか?」


 レイドの問いかけ。元軍人であり、王族を敬う立場にあった彼には、処刑は許せないものだったのだろう。

 アルビナは、そうさね、と言葉を紡いだ。


「レオン、王族と宰相は足掻いたかい?」

「いや、受け入れていた。恐怖の表情さえ浮かべずに、首を落とされたよ」

「なら、そういうことさね」


 言い切るアルビナ。どういうことだ、というレイドの問いに、アルビナは頷いた。


「誇りある最期を……あの国の人間がよく口にする言葉さね。死の瞬間、みっともなく抗うわけではなく、戦争を終わらせるために潔く命を絶った王族。これ以上ない、誇りある最期さね。それをこの国の人間のうち、どれだけが受け入れてるのかは知らないけどね」

「……理解できん」

「ま、そうだろうね。他国の文化なんて、真髄まで理解できやしないよ」


 くくっ、と笑うアルビナ。レオンが、話を戻すぞ、と言葉を紡いだ。


「反乱軍については眉唾も多かった。だから俺は今回もそうだと判断したわけだが、統治軍の動きを見るからにどうやら真実らしい」

「というと?」

「二日前、一個連隊が東部へと出立したさね」


 ふう、と、息を吐きつつアルビナが言った。レオンが頷く。


「一個連隊、そこまでの戦力を何の確証もなく動かす指揮官はいない。いたとしたらそれはただの阿呆だ。統治軍の主体は精霊王国イギリスの軍隊だ。あの国は貴族政だが、女王エリザベスが相当キレる。その手腕は前大戦で十分に証明されているな。その女王が、ここへ無能者を送るとは思えない」

「そうさねぇ……確か、統治軍の頭やってる貴族のウィリアム・ロバートは徹底的な貴族主義者って話だけど、アルテア海戦を仕切ってイギリスの勝利を導いた男だって話だからねぇ」

「いっそ無能な奴が来てくれれば、どれだけ楽だったか」


 レオンは肩を竦める。軍の指揮を執っている将軍も厄介だし、本当にやりにくい。


「で、その厄介なトップが一個連隊をどうして東部に? あそこは――」

「アルツフェムの虐殺」


 レイドの言葉を遮り、レオンは静かに口にした。アルビナとレイドが押し黙る。レオンが言葉を続けた。


「シベリア連邦東部最大の都市。前大戦で最大の激戦区になったそこへ、突如大日本帝国の神将騎二機を筆頭とした部隊が現れ、イタリア、フランス、シベリアの部隊及び民間人を鏖にした。……それ以来、あそこには誰も近付いていないはずだが……」

「叛乱軍の噂が立っているのは、そこさね」


 アルビナは、もう一枚、新たな紙を取り出す。シベリア連邦の地図だ。その広大な国土のうち、東部の一点に記された赤印。アルビナはそれを指で示し、言葉を紡ぐ。


「真偽は定かじゃない。けれど、動いているのは事実。――さて、あんたたちはどうするさね?」


 問いかけ。それに対し、二人は無言を通した。それを受け、アルビナは口元に笑みを刻む。そうしてから、彼女はバックパックを持ち上げ、二人に背を向けた。


「それじゃ、あたしは失礼するさね。それは餞別、お近付きの印としておこうか」

「今度は、どちらへ?」

「ここじゃない、どこかへ」


 笑みを零すアルビナ。そのまま彼女は二人に背を向けると、言葉を残した。


「厄介事は御免だね。あんたたちも、程々にしときなよ」

「心得ている。またいずれ」

「互いに命があればねぇ、と」


 アルビナが去っていく。それを見送ってから、レオンは紙片を手に取った。そして、そこへ描かれている情報を見て、眉をひそめる。


「……レイドさん」

「何だ?」

「俺たちは、一年以上戦ってきました。生き残ってこれたのは、護とレイドさん、あなたの経験のおかげだと思っています」

「いきなりどうした?」


 レイドが眉をひそめる。レオンは、真剣な表情で問いかけた。


「――《赤獅子》に勝つ方法、心当たりがありますか?」


 その問いかけの後、流れたのは、沈黙だった。

 数秒、あるいは数分か。それが流れた後、レイドが静かに言葉を紡いだ。


「先日の基地襲撃もそうだが。お前は、いつだって勝ち目が薄い戦いに勝機を見出してきだろうが。違うか?」

「そうだといいんですが、ね」


 ふう、と息を吐くレオン。レイドは鼻を鳴らすと、それで、と問いかけた。


「レベッカはどうした?」

「地下で〈フェンリル〉とあれの整備をしています。休め、とは言ったのですが」

「そうか」


 頷くと、レイドは窓を開けた。冷たい外気が流れ込む。


「いつになれば、この国を変えられるんだろうな?」


 その問いに、レオンは答えなかった。

 答えられなかった。



◇ ◇ ◇



 吐く気が白い。冷たい外気に震える体は、熱を欲している。

 ほう、と、両手に向かって息を吐きかけた。吐息で手を温めるというのは、気休めのようなものだ。実際に温まるということはほとんどない。

 もう一度、息を吐いた。生まれた時からこの国にいるが、この寒さは未だに辛い。


「…………」


 吐息を零しながら、少女――アリス・クラフトマンは空を見上げた。灰色の空は、今にも雪が降り出しそうだ。

 白髪の長い髪と、灰色の瞳。そんな彼女は生粋のシベリア人である。そう、つまりは敗戦国の人間だ。それ故か、道を歩む彼女は歩道を通ることをせず、車道の隅を俯きながら歩いている。

 統治軍によって統制され、本来の住民たちがスラムへと追いやられている首都モスクワ。その中心部は閑散としているかというと、そうでもない。統治軍の兵士たちの家族や、利権を求める貴族たち。他国からの人間が集まっており、賑わっている。

 ――しかし、そこにシベリア人の姿はない。

 それが、この国の現状だ。首都であるはずの都市の中心に、その国の人間がいない。敗戦国としてシベリアがどんな扱いを受けているかはこれで理解できるだろう。


 道を歩んでいく。アリス。それなりに賑わっているのに、彼女の周囲にはまるで壁でもあるように誰もいない。いや、実際、壁があるのだ。

 人種の壁。

 勝者と敗者の壁。

 彼女の歩みを遠巻きに見ている者たちは、誰もが眉をひそめている。その目は、明確に一つのことを告げていた。


『何故、シベリア人が歩いている?』


 冷静に考えればおかしな台詞だが、これが現実だ。敗戦国の人間に、居場所などない。


「…………ッ」


 歯を食い縛り、アリスは逃げるように――いや、実際に路地裏へと逃げ込んだ。浅く息を吐きつつ、誰にも見られていないのを確認すると、その場にしゃがみ込む。

 ……怖い。

 アリスは、小さくそう呟いた。元々、人と距離を取ることが苦手だった。だからどうしても一歩引いてしまい、結果、独りになってしまう。友達と呼べる相手など、本当に数えるほどしかいなかった。

 そしてその友達とも、戦争のせいで引き裂かれて散り散りになり、独りになって。

 家族というものを喪っていた彼女は、本当の意味で天涯孤独の身だった。


 だが、彼女自身はそれでいいと思っていた。一人で生きていくことは難しい。だが、できないことではないとそう感じていたし、事実、そうしていた。

 けれど、彼女は、出会ったのだ。

 手を差し伸べてくれた、不器用だけど温かい、あの人に。

 だから――


「にゃあ」


 不意に聞こえた鳴き声に、ビクリとアリスは体を震わせた。見ると、黒い体毛の子猫がこちらを見ている。


「あ、えっ、えっと」


 いきなりのことに、少々焦る。ポケットから何かないかと探るが、何もない。

 だが、子猫はそんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、すり寄ってきた。アリスは、そっか、と小さく呟く。


「キミも、一人なんだね」


 抱き上げる。すると、すんなりと持ち上げさせてくれた。それどころかこちらの肩に上り、頬を摺り寄せてくる。

 ……温かい。

 くすぐったさと同時に、そんなことを感じた。アリスは立ち上がると、子猫を肩に乗せたままに歩き出した。中心地とは逆方向。人が集まる場所へだ。

 スラムと中心の境界線。暗黙のルールとして誰も住まうことがなく、結果、廃墟同然となっている場所。その一角に、彼女は足を踏み入れた。


「にゃあ」

「――あっ」


 不意に、肩の猫が飛び降りた。アリスは慌てて追うが、子猫とはいえ猫である。その速さは、人のそれより遥かに速い。

 反射的に子猫を追う。しかし、すぐに見失ってしまった。


「…………」


 吐息を零す。人のいない静かな世界に、その音は大きく響き渡った。

 寒さに体を震わせながら、アリスは歩き出した。


 数分後、彼女はその場所に辿り着く。

 誰も住まないようになり、荒れてしまった市街地。その一角に、その小さな一軒家は存在していた。窓ガラスは全てなくなり、建物自体もかなり傷んでしまっている。

 キィ、という音を立て、アリスは扉を開けた。入り込んだ先にあるのは、荒れた室内。


「…………」


 ほう、と、もう一度吐息を零した。アリスは、この場所にいたとある少年のことを思い出す。

 二年前まで、シベリア連邦は首都に座す王の下、地方の領主がそれぞれの領地を治めるという統治形式をとっていた。国土があまりにも広大であるためだ。しかし、二年前の戦争ではそれが災いした。

 各地を治める領主は、それぞれの軍隊というものを有していた。そして戦争において一番被害をこうむったのは、EU連合――当時、戦争のために欧州諸国が作り上げた――と接している地域だ。戦争開始当初はシベリア連邦・中華帝国連合軍の優勢であったために、シベリアの領主たちも問題なく国のために戦っていた。

 しかし、大日本帝国――大戦の発端となった極東の島国が参戦したことで、状況が大きく変わる。

 帝の、一刻も早い世界の安寧を求めるという意志の下、彼らは中華帝国に進撃。瞬く間に戦況を動かすと、大戦の英雄たる藤堂玄十郎のてによって、中華帝国皇帝を、皇帝に反逆し、その身柄を拘束していた中華議会から奪取。中華帝国を制圧した。

 そして、大日本帝国に初めから協力していた合衆国アメリカと、その推移を見て彼らの側についたEUを始めとする諸国に囲まれ、シベリア連邦は追い詰められていくことになった。

 そして、最大の激戦となった『アルツフェムの虐殺』と呼ばれる戦いの後、各地の領主たちは勝手に降伏を始め、連合軍は一気に首都モスクワへと攻め込んでくることになる。その時、王族の下した決定は『徹底抗戦』――結果、アリスはそれによって徴兵を受け、二か月にも渡る泥沼の防衛戦に参加することになった。


 ここは、戦場となった場所からかなり近い場所である。

 徴兵され、右も左もわからない中で、使い方もわからない銃を握らされ、俯いているだけだった自分。そんな自分に、彼だけが、声をかけてくれたのだ。


「……こっちだよ」


 アリスは、呟いた。

 彼がくれた言葉を。

 彼がいない、彼が生きていたはずの場所で。


 ため息が零れた。もう何度目だろうか。

 彼と交わした小さな約束だけを(よすが)に、こんなところで――……



「――何をしている」



 ビクッ、と、いきなりの声に体が震えた。反射的に振り向こうとする。しかし。


「動くな」


 カキン、という撃鉄を起こす音と共に発せられたその言葉のせいで、動きを封じられた。

 停滞が生まれる。振り向くならば、声を聴いた一瞬しかチャンスはなかった。だが、それを潰されてしまった。

 どうする、どうすれば、と、焦りだけが募っていく。その最中、背後に立つ人物が言葉を紡いだ。


「ここで、何をしていた。ここは、誰も住まない場所、シベリアの敗戦の象徴だろう?」


 その言葉に何かが込められていると思ったのは、何故だろうか。

 アリスは両手を挙げ、反抗の意志がないことを示しながら、言葉を紡いだ。


「シベリア連邦の敗北は、どうでもいいです。いえ、どうでも良くはないですけど……それよりも、ここは、大切な場所なんです」

「大切な場所?」


 言葉が返ってきた。アリスは、はい、と頷いた。

 嘘を吐いてもいい。だが、吐く必要ないと彼女は思った。吐いても吐かずとも意味はない。関係ないのだから。


「約束をしました。世界を旅すると。ここは、その相手が暮らしていた場所です」


 この国しか知らず、戦争のせいで他国が恐怖の対象にしか見えなかった。

 だからこそ、見たいと思い、知りたいと思った。他国はどんな場所なのかを。


「約、束」


 不意に、呻くような声が聞こえた。気配でわかる。相手が、銃を降ろした。

 だが、振り向かない。アリスは言葉を待つ。そして。


「その相手の名前は、護、か……?」

「…………ッ!?」


 投げかけられた言葉に、アリスは驚愕と共に振り返った。視界に入るのは、光を背にした黒髪の青年。

 その青年は、呆然とした瞳でこちらを見ながら、言葉を紡ぐ。



「アリス……?」



 愕然。そして――静寂。

 アリスは、紡がれた言葉に対して、返事ができなかった。

 しかし、青年はなおも言葉を続けてくる。


「アリス、なのか?」


 言葉を返せない。


 何故。

 なんで。

 どうして。


 そんな、思考しているようで思考をしていない言葉だけが頭の中を駆け巡る。

 まさか、と、アリスは思い。

 しかし、すぐさま理性でそれを否定した。

 期待してはいけない。そんなはずがないのだ。


 ――頬を、温かい何かが伝った。

 同時に、がくがくと体が震えた。


 わけのわからない感情で。

 整理できない思考で。


 青年が、言葉を紡ぐ。


「聞かせてくれ。……その相手の名前は、何だ?」

「……護……、護・アストラーデ」


 唇から、勝手に言葉が漏れた。涙が止まらない。

 青年の――否、護の瞳からも、涙が溢れた。


「――アリス!!」


 青年は銃を放り捨てた。


「――護さん!!」


 少女は駆け出した。


 飛びつくように地面を蹴った少女を。

 青年が――抱き締めた。


 互いに、強く、強く、相手を抱き締める。


 互いから伝わる確かな温もりが。

 今この瞬間こそが夢ではないという真実を教えてくれる。


 二年前……二人は、小さな約束をした。


 平和になったら。

 世界を、一緒に見に行こう。


 孤独な生活を強いられてきた二人。

 故に出会うことができた二人が交わした、小さな約束。

 信じていても、疑っていた。

 生きているのかと。

 もう、会えないのではないのかと。


 軋んでいた心に、確かな、しかし、強い火が灯った――

というわけで、第二話です。

うむ、混沌としてきました。とりあえずは現状把握と、シベリア編においては主軸となる二人の再会と言うことでここはひとつ。


今回の新キャラ、伊狩・S・アルビナですが、フュージョニスト先生より頂いたキャラクターです。フュージョニスト先生、ありがとうございます。


さてさて、第五話まで爆走モード前回、勢い最優先で行くつもりです。詳しいものごとの説明はその場その場でしているつもりですが、わからなければ感想なりメッセージなどください。


というわけで、お付き合いいただけて幸いです。

感想などを頂けると嬉しいです。


ありがとうございました。

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