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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
37/85

第三十話 君死に給ふことなかれ

それは、小さな約束。


望んだものは、ささやかなもの。


けれど、世界はそれを許してくれなくて。


どうしようもなくて。


抗って、抗って、抗って。


それでも――どうしようもなくて。


だから、決めた。


ここで、終わろうと。


終わりに――しようと。


 地響きが起こっているかのような音が響き渡った。見れば、戦車二台を中心とした部隊が進軍を行い、しかし、アルツフェムの外壁から降り注ぐクラスター爆弾を中心とした砲撃に晒され、撤退している。


「……二年前も思ったけど、アルツフェムなんてホンマに攻略できるんか……?」


 降り注ぐ雨を避けるために黒い傘を差し、リィラ・夢路・ソレイユが呟く。叛乱軍をテュール川で迎え撃とうと統治軍が部隊を展開し、しかし、激突する前に大日本帝国の介入によって叛乱軍が撤退してからもう一週間もの時間が流れていた。

 その間、幾度となく統治軍による攻城戦が行われたが、相手は難攻不落と名高き城塞都市アルツフェム。二年前に大日本帝国に破られた経験を含めて造り直されたのであろう外壁は、その高さや硬さから突破は非常に困難となっている。

 外壁の上部に備え付けられた対戦車砲や機関銃、クラスター弾を中心とした小型爆弾。そして何より。


「小型ミサイルポッド……一直線に飛んでくるだけとはいえ、厄介やな」


 大戦時に考案された、加速器の着けられた爆弾――それがミサイルだ。狙いの甘さを始めとした問題が数多くあるが、そうであっても脅威には間違いない。


「あっ、と……撤退か。今日もろくな結果を出せへんかったみたいやなぁ……」


 どないするんやろう、とそんなことを思う。ソラや朱里、カルリーネが色々と策を練っているようだが、どうするつもりかはわからない。

 自分は兵士だ。〈ミラージュ〉という神将騎にも乗る。だが、指揮官ではない。

 戦場では指示を受け、戦うのが仕事だ。その指揮官がソラであるから、リィラは全幅の信頼を置いている。あの人が部下の命を諦めることはない。フランス軍にいた頃と今とでは、大きく違う。

 死ぬことを指示されていた昔と、信じられる指揮官の下で生きるために――子供たちのために戦える今。その違いは、とてつもなく大きい。

 まあ、いずれにせよ。


「ウチは従うことしかできひんからなー……っと、あ、中尉……やない、アリス」


 目的の人物を見つけ、リィラが声をかける。アリス・クラフトマン――白い髪のその少女は、雨の中、傘も差さずに佇んでいた。


「どないしたん? ここは危ないで?……その、本陣は居辛いんやとは思うけど……」

「……ううん。そんなことはないよ」


 静かな、とても静かな調子でアリスは言った。


「……少し、迷っているだけ」


 その時、強く、とても強くアリスが無線機を握り締めたのが。

 どこか、儚げに見えた。



◇ ◇ ◇



 会議室として用意された天幕には、紫煙の煙が立ち込めていた。会議は踊る……ここにいる者たちは別に踊ってなどいないし、そもそも立ってすらいないのだが、進まないという意味では同じだ。


「……誰か火ぃくれません?」

「どうぞ」

「あ、ヤナギ大尉。どうも」


 気怠そうな声が響く。ここにいるのは全員が士官以上で、現場では指揮を執る立場にある者たちばかりである。

 ソラ・ヤナギなどはその立場から最初の頃は疎まれていたが、ことここに及んではそのようなことをいちいち考えている余裕もなく、自然と溶け込んでいる。

 鬱屈とした空気。一週間の間にまともな成果を上げられていないアルツフェムの攻城戦。統治軍の士気を保つためにもそろそろ明確な成果が欲しいところなのだが、そのための策を用意できないでいた。


 ……どうしたもんかねぇ……。


 紫煙をくゆらせながら、ソラは内心で小さく呟く。この現場において、自分に期待されていることは理解している。作戦立案……それを求められているのだ。

 実際、朱里などは何度かこちらへ視線を送ってきている。出来れば応えたい。しかし、策が浮かばないのだ。


 ……あるにはあるんだが、あれは本人次第だしなぁ……。


 不確かな作戦だ。賭けるには……少し、頼りない。

 まあ、失敗したら失敗したで別の策を考えればよいのだが。

 ――と、そんなことを思っていると。



「どうやらまた失敗したようだねぇ!?」



 天幕へ突き破るような勢いで入ってきた変態――もとい、ドクターが意味不明なポーズを決めながら高らかに宣言した。ソラは、ドクター、と片手を挙げる。


「何しに来たんですか?」

「おおっと、その問いかけは心外だ。私はキミたちに問いに来たのだよ。――どうするつもりかね、と」


 見給え。そう言ってドクターが振り返ると、ヒスイが何やら一枚の紙を取り出し、机の上に広げた。


「このままのんびり持久戦に持ち込めば勝てるだろう。だが、どうかな? 周囲はそれを許してはくれないようだよ?」

「……それは?」


 この場の全員を代表するように、ソラが問いを発した。直後、ごほん、という咳の声が響く。

 発したのは……カルリーネ・シュトレンだ。彼女は厳しい表情のまま、言葉を紡ぎ始める。


「――シベリアに、視察団が入ることになった」


 空気が、変わる。だらけ切っていた空気が、一気に覚醒した。


「どういうことだ?」


 問いを口にしたのは、朱里・アスリエルだ。カルリーネが頷き、言葉を続ける。


「先日、EU内で一つの問題が持ち上がった。……奴隷だ」

「奴隷?」

「そうだ。合衆国アメリカで奴隷解放令が出されてから、国際条約で奴隷は禁止令が出ている。しかし、一部の貴族や豪商たちがそれを無視し、秘密裏に奴隷を保有していたらしい。……その奴隷売買のルートが、一気に明らかになった」


 硬い表情でカルリーネは言う。ドイツの名門貴族の当主である彼女としては、他人事ではないのであろう。

 もっとも、カルリーネは清貧を以て由とする貴族として有名だ。奴隷売買に関与していることはないだろうが、だからといって完全に無関係とはいかない。


 ……つーか、今更奴隷かよ。


 酷く冷めた思考で、ソラはそんなことを呟く。EU内で奴隷制が横行していたのは今更だ。大体、『農奴』という存在もある。全てが今更過ぎて、滑稽だ。

 笑い声が聞こえた。何かと思えば、ドクターが仮面を押さえながら含み笑いをしていたのだ。そのまま彼は、楽しそうに言葉を紡ぐ。


「くっくっく……全てが今更だよ、何もかもが。しかし、視察団が入るのも事実だ。さて、聡明な貴族様は一体どうなさられるつもりかね?」

「どうもしない。早急に叛乱軍を鎮圧するだけだ。視察団は合衆国アメリカが組むという。あそこの大統領は面倒だが……叛乱軍さえいなければ、どうとでも手は打てる」


 使節団を送り込んでくるのはアメリカらしい。大方、シベリア人を奴隷のように扱っていないかの確認だろう。しかし、そんなものはカルリーネの言う通り、叛乱軍さえいなければどうにでもなる。

 そう――叛乱軍さえいなければ。


「成程成程……しかし、できるのかね?」

「それをどうにかするのが貴様の仕事だ。違うか、ドクター」

「怖い怖い……だが、その辺りはどうなのかね? ソラくん」

「……ご指名ですか」


 ドクターに名指しで示され、ソラはんー、と唸りながら頭を掻いた。正直、状況は芳しくない。


「色々と手ェ打ってますが、状況は最悪ですね。一定以上の距離に近付くと、こっちを消し飛ばす勢いで色んなもんが飛んできます」

「ほう。しかし、それほど無駄弾を使えばすぐに弾切れが起こるのではないかね?」

「それがそうでもなさそうですよ? シベリアの地下に広がる大坑道……古代人たちが何の目的で造ったのか、どんなルートを形成してるかもわからないそれを使って、叛乱軍は弾丸やら食糧やらをどっかから調達してるみたいなんですよね」

「ふむ。その補給線を断つことは?」

「向こうもろくすっぱ把握してない坑道です。統治軍が来た当時に調べたと聞きましたが、ルート把握もままならないのが現状ですよ」

「それはそれは」


 シベリアの地下に広がる、大坑道。古代の遺産の一つだといわれているが、それを利用することは不可能に近い。そもそも灯りがなく、また、微妙に道が曲がりくねっているのだ。叛乱軍も、使えるルートを数本だけ知るくらいだろう。


「まあ、アルツフェム以外の砦というか、叛乱軍の拠点は封じ込めました。制圧には至っていませんが、動きは奪ってあります。ですが、やはりアルツフェムに引き籠ってる連中をどうにかしなければ勝利にはなりません」

「仮に籠城戦を続けられれば、どれくらいで落とせるのかね?」

「一か月から二か月。補給線があるっていっても、それぐらいすればこっちも把握してるでしょうし。その頃には向こうも限界でしょうから」

「しかし、視察団の到着は三週間後だ。場合によってはもう少し早まるかもしれん」


 言ったのはカルリーネだ。ソラは、んー、と腕組みをしながら唸る。


「それなら持久戦は無理。諸々の根回しを考えれば、一週間……いや、五日ぐらいが叛乱軍を潰すリミットでしょうかね?」

「そうなるだろうな。ドクター、異論はあるか?」

「ないよ。……では、五日以内に落とす策はあるかね?」

「正直、こっちも攻め手に欠けてましてねー」


 苦笑を零す。正直、アルツフェムの堅牢さは二年前でも手が付けられなかったのだ。それが強化されて、更にリミットまで付けられると厳しいどころの話ではない。


「まあ、今までの被害は情報収集の一環としてなので、無駄ではないですが」

「情報収集は済んだのかね?」

「一応は。でもま、さっきも言ったように攻め手に欠けてます」

「ふむ。朱里くんは何故出陣しないのかね? モスクワを攻略した方法を使えば良いだろうに」

「……あれが成功したのは、モスクワの壁が薄かったからだ」

「それに外壁にいたのは歩兵だけで、固定砲台も少なかったですしね。アルツフェム相手に神将騎が破城鎚持って突撃とか、門に辿り着く前に大佐が死にますよ?」

「成程ねぇ……ならば、遠距離からのミサイルはどうだね?」

「狙いが定まらず、壁に直撃して終了。……今積める火薬の量じゃ、撃ち抜くのに天文学的な金がかかりますよ」

「ふぅむ、いつの世もやはり金か」

「世知辛い世知辛い」


 肩を竦めるソラ。二人の素早いやり取りを見ていたカルリーネが、ならば、と言葉を紡いだ。


「方法はないのか?」

「…………」


 ソラは沈黙を通す。それを受け、ふう、とカルリーネが息を吐いた。


「方法がないのであれば、最悪の作戦も想定しなければならん。――こちらの数に任せて押し包む。それしかないだろうな」

「まあ待ちたまえよ少佐殿。そう逸るものではない」


 最悪の場合の策を口にしたカルリーネを、苦笑でもしかねない調子でドクターが止める。カルリーネは、そんなドクターへ鋭い視線を向けた。


「策がなければ、下策であろうと用いるしかない。違うのか?」


 言葉に、ドクターが肩を竦める。それを見て取り、ソラがゆっくりと口を開いた。


「…………策ならありますし、今日中に用意できます」


 最悪の策ですが、とは言わなかった。ソラは、更に続ける。


「ドクターがここへ来たということは、準備は整った……そう受け取っても?」

「あくまで機材は、だがね」

「どういうことだ? 策があるなら、何故最初からそう言わない? 問題でもあるのか?」


 カルリーネの問いかけに、ゆっくりとソラは息を吐く。


「まあ、ありますねー。今後の作戦に関わる、重要な――」



 ――ザザッ……ザザザ…………ザザッ……――



 天幕内に、無線のノイズ音が響き渡った。全員が動きを止める。ソラはカルリーネへと黙るように手を伸ばし、ドクターも周囲へ黙るように合図をしている。


「……アスリエルだ」


 無線に出たのは、朱里だった。そのまま、彼はしばらく黙して相手の言葉を聞く。

 そして。


「……そうか。伝えておく」


 その言葉と共に、通信を切った。そのまま、朱里は立ち上がってカルリーネを見る。


「安心しろ、少佐。そしてソラ、ドクター。……問題は解決した」

「彼女は受け入れたのかね?」

「そうだ。――明日零時より、作戦を開始する。成功させるぞ」


 獅子の瞳を輝かせ。

 朱里・アスリエルが言い放つ。


「――何としても」



 …………。

 ……………………。

 ……………………………。



「……〝何としても〟だそうですよ、ドクター」

「まったく、彼は真面目だねぇ。理由はわかるが、どうも私に偽善は眩しい。直視は出来んよ」

「おそらく大佐は偽善とは思っていませんよ。他の人たちも。……偽りであっても、善は善です」


 煙草の煙を揺らしながら、二人と一人――彼ら意外にヒスイだけしかいない天幕で、言葉を交わす。


「まあ、偽善が必要なら笑わずに言うのも指揮官ですよー、っと。皆さん、正義って大好きでしょ?」

「だがそれは道具であって主義ではない……違うかね?」

「その通り。正義ってのは世界の原動力になっても、潤滑油(グリス)にはならないですからね」

「良い言葉だねぇ。私も使わせてもらっているよ、その言葉は。では、世界の潤滑油とは?」

「ユーモアでしょ?」

「ますますいい言葉だ。後は女――トラブルさえ在れば世は事も無し。世界の真理だ」


 くっくっく、と二人の笑いが漏れた。


「……ドクター、後で作戦について色々と話があるんですけど?」

「こちらから頼みたいぐらいだ。是非頼むよ」


 笑いが漏れる。それを見守っていたヒスイが、小さく呟いた。


「……二人共、楽しそう」



◇ ◇ ◇



 城塞都市アルツフェム北部。そこに、四つの影があった。

 出木天音。伊狩・S・アルビナ。ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。アーガイツ・ランドール。

 周囲に人影はない。敢えてそういう場所を選んでいるのだ。これから話す内容は、余人に聞かせるものではない。


「さて、王女様? 防衛の指揮はよろしいのですか?」

「セクターと青二才に任せている。あの二人ならば、悪いようにはせぬだろう」

「それは重畳」

「出木天音。いや……《女帝》と呼ぶべきか?」

「できれば先生とお呼びください」

「王たる私が他者を上に置く言葉である『先生』などという言葉を使えるわけがなかろう。……天音と、そう呼ばせてもらう」

「ご自由に」


 ことりと、音が響いた。天音が机の上に湯呑を置いた音だ。今の状況としては、四人掛けの小さな机に天音とソフィアが向かい合うように座っており、それぞれその背後へアルビナとアランが控えているといった状況である。アルビナはともかくアランは言葉を口にするつもりはないようで、ソフィアの護衛に徹している。

 湯気が立ち昇る天音の湯飲み。それを一瞥すると、ソフィアはどこか呆れたように問いかけた。


「大日本帝国の文化にはそれなりに触れる機会があったが……その抹茶、というものはどうにも理解できぬ。何を好き好んでそのようなものを飲むのか」

「私は茶道には詳しくありませんから、どうにも。まあ、『侘び』の神髄とでも申しましょうか」

「その『侘び』が私にはよくわからぬ」

「――私の『舞』を見て王女様が何かを感じたのなら……それが『侘び』の一端ですよ」

「……成程」


 頷き、ソフィアが懐から何かを取り出した。――扇子だ。

 以前、戯れに天音が格納庫で舞踊を舞った時、それを称賛したソフィアへ天音が譲ったものである。そのことを思い出しながら、ソフィアは扇子を開き、微笑を零した。


「まこと、よくわからぬ女だな貴様は。世界へ覇を見せつけし大日本帝国の七神、その二柱を預かる身でありながら、武芸のみならず芸能にも秀でている。……人生五十年、だったか?」

「敦盛、ですね。お気に召しましたか?」

「そうだな。あの舞を見ると、こう思う。――やはり我々は、泡沫の存在であるのだと」

「人とは容易く潰えていくもの。しかし、なればこそ美しい。……違いますか?」

「違わぬよ。……さて、余計な問答はここまでだ」


 パンッ、という小気味の良い音を響かせ、ソフィアが扇子を閉じる。天音と、黙して二人の会話を見守っていたアルビナが頷いた。


「アルビナ、だったな。以前、貴様に頼んでおいた情報収集……有益なものを得たと聞いたが?」

「この状況のせいで帰還が遅れたけど、それなりのものを手に入れたさね。詳細はこの資料に纏めてある。後で目を通しておいてもらえるとありがたい」

「成程。感謝する」

「……ただ」


 差し出しされた紙の束を受け取ったソフィアが礼の言葉を口にする。そのソフィアに対し、アルビナは険しい表情で言葉を紡いだ。

 アルビナは一度、人質救出作戦の際に帰還したのだが、その後間を置かずに統治軍へと潜入していた。そして大日本帝国の介入や包囲作戦があり、帰還が遅くなったのだ。


「早急に伝えておいたほうが良さそうなことがある」

「それはグッドニュースか?」

「残念だけど、バッドニュースさね」


 アルビナが肩を竦める。ソフィアはふむ、と頷くと資料を机の上に置き、真剣な表情でアルビナを見た。


「聞こうか」

「まず一つ。敵方に正体不明のドクター・マッドって呼ばれてる男がいるんだけど、この男が厄介だ」


 言って、アルビナは一枚の写真を机の上に置いた。写っているのは、仮面を着けた妙な男である。


「ドクター・マッド。明らかな偽名なんだけど、調べても何も出てこなかったさね。わかったのは、階級が大尉相当官であること。まあ、これは気にしなくても良さそうさね。技術屋ってのは階級なんて気にしないし」

「まあ、武力とは別のところで本領を発揮するものですからねぇ。……それで? この珍妙な男がどうしたのです?」

「アンタが珍妙と言うか、先生。まあいいけど。……調べたところ、この男はロストテクノロジーに手を出してる」


 ざわっ、と。ソフィアとアランが目に見えて反応を示した。対し、天音は微笑を浮かべているだけである。


「古代にあったとされる黎明の時代……世界を焼いた古代遺産。神将騎に並ぶその兵器を、持ち出してくる可能性があるよ」

「可能性どころか、実際持ち出してくると思いますよ。……二年もの月日が流れたというのに、成長しない男ですね」

「知り合いか?」

「顔見知り、という程度ですよ。ですがまあ、確かに……この男ならば、古代遺産くらい平気で持ち出してくるでしょうね」


 微笑を浮かべ、天音は人差し指で写真を軽く叩く。ソフィアが、ならば、と言葉を紡いだ。


「どのようなものを持ち出してくる?」

「……それは、申し訳ないんだけど――」

「超駆動砲」


 アルビナの言葉を遮り、天音は言った。どこかつまらなさそうに、言葉を紡いでいく。


「黎明の時代、神将騎と並んで主力兵器とされた最悪の兵器ですよ。純粋なエネルギー収束砲……今の技術では再現できて精々一発でしょうが、十分といえば十分ですね」

「見てきたような口振りだな」

「実際、見たことがありますから」


 ……もっと凄いものですが。

 そう呟く天音を見て、ソフィアが顎に手を当てて考え込む。天音は更に続けた。


「非公式ではありますが、二年前の大戦でも使われた事実があります。歴史の裏側で行われた戦い……そこで用いられた兵器。この男が私の知る『ドクター』であるのなら、実現は不可能ではありません」

「その超駆動砲とやら……使われたら、どうなる?」

「――城塞都市アルツフェムの外壁が、容易く吹き飛びます」


 古代遺産――そう呼ばれるものは、等しく戦略級の威力を持つ。神将騎がいい例だ。どれだけ数が劣っていようと、神将騎が一機あれば戦況が大きく変わる。

 超駆動砲……純粋なエネルギー兵器とでも呼ぶべきそれは、一発で万単位の人間を殺戮する可能性さえ秘めている。


「……俄には信じ難い話だな」


 ポツリと、ソフィアが呟いた。天音も頷く。


「通常は想定していない兵器ですからね。……まあ、とにかく心には留め置いてください」

「承知した。だが、そうなると非戦闘員たちの居場所をどうするかだな……」

「中央エリアのシュエルターに避難してもらうしかないでしょうね。流石にそこまで届く力はないでしょうしね」

「そうか。……しかし、万人を一撃で虐殺する兵器か。古代人たちは厄介なものを残してくれたものだな」


 ソフィアがため息を零す。天音は肩を竦めた。


「古代の資料は多くが消えていますから、その実態を知ることはできません。ただ予測は出来ます。私の予測は……やはり、戦争で滅んだのではないかと思うのですよ」

「戦争?」

「私たちが今している、この戦争ですよ。……戦争だけでなく、戦いというのは救いがありません。妥協点を見つけることができなかった時、人は際限なく殺し合う」

「滅びるまでか?」

「文明を失う程度で済んだのは僥倖かもしれませんね」


 微笑。古代にあったとされる黎明の時代の文明は、その多くが失われた。残るのは神将騎を筆頭とした古代遺産や遺跡ばかりで、古代に何があったかを伝えるものは遺されていない。

 ただわかるのは、その時代が兵器を――神将騎を必要とした時代だということくらいだ。


「一応、万一に備えてこちらも一手だけ用意してはおりますが……あてにはしないでください」

「一手とは、古代遺産か?」

「さて」


 肩を竦める。これについては企業秘密だ。やり過ぎると後が怖い。やるならやるで、証拠隠滅を含めた万全を期したいのだ。


「まあ、正直なことを言えば、あの男が古代遺産を持ち出してくる可能性は低いでしょう。籠城戦ですし、向こうにしてみれば囲み続けていれば勝てるわけですから」

「……それはつまり、時を置けば置くほどにこちらが不利になっていくということでもあるのだがな」

「策はあるのでしょう?」

「一応はな。セクターと青二才がよく動いてくれている。それで、だ。……出木天音。〈毘沙門天〉はどうだ?」

「右腕以外は突貫ですがどうにかなりました。ただ、右腕は綺麗に持っていかれていますから。回収もできませんでしたし」


 護・アストラーデに天音が譲った〈毘沙門天〉は、《剣聖》との戦闘で凄まじい損傷を受けた。この一週間、天音たち技術班は全力でその修復にあたっていたのだが、流石に斬り飛ばされた右腕を再生することはできず、今の〈毘沙門天〉は右腕を失った状態である。

 ただ、〈毘沙門天〉の主武装であった四本の〝海割〟という刀は、残り一本という状態になっていた。あれでは、新たな武装を装備しなければ戦闘中に無手になるという状況に陥りかねない。


 ……まあ、〝海割〟とて所詮は武器。私も四本圧し折っていますし、むしろよくもった方だと言えるでしょうね。


〈毘沙門天〉の状態を一度聞いたきり、格納庫へ一度も顔を見せに来ない少年が気にはなるが……まあ、大丈夫だろう。不安そうにしている子供たちの相手をしているとも聞く。

 ――護・アストラーデは歪んだ人間だ。

 彼は正しい。その論理は間違っていない。だが、綺麗過ぎるのだ。彼が抱くのは空想の御伽噺であり、実現することは不可能なことばかり。

 だが、だからこそ良いのだとそう思う。

 下手に達観するよりは、希望を抱いて前を向いている人間の方が――面白い。


「……いずれにせよ、〈毘沙門天〉抜きで策を立てておられるのでしょう?」


 立ち上がりつつ、問いかける。ソフィアは頷いた。


「小僧には英雄になってもらうつもりで、事実、小僧は応えてくれた。ならば今度はこちらの番だ。英雄と並び立つ救国の王女……民草に対する希望としては、これ以上のものはないであろう?」

「然り、ですね。英雄とは民草の希望。少々頼りないですが、少年ならばその素養は十分」


 期待させていただきますよ、と言葉を残し、天音はその場を立ち去った。アルビナを連れ、外壁の上を歩いていく。

 統治軍はアルツフェムを取り囲む形で展開を完了している。長期戦の構えだろう。それは正解であるし、実際、黙っていれば解放軍は潰される。

 一応、策は用意してあるようだが……それさえ、どうなるかはわからない。


「まあ、面白き方向へと世界が進むのであれば事も無し、と」

「どうしたんだい、先生?」

「いやいや。ただの独り言ですよ。……あなたこそ良かったのですか? ここから逃げないで」

「仕事を途中で放り出すのは嫌いでね」

「ご立派。社会人の鏡ですね」

「……ねぇ、先生」


 茶化した言葉は無視された。まあ、別にいつものことなので特に何も思わない。

 天音は、どうしました、と振り返りながら問いかけた。アルビナが、あれ、と人差し指で外壁の外――統治軍の方を指し示す。


「アタシにはよくわからないけどさ……あれ、先生が言ってた『最悪の展開』じゃないさね?」

「…………」


 言われ、天音は白衣のポケットから双眼鏡を取り出した。視線を外へ。そこで――


「……いつの世も、困難とは畳み掛けるように訪れる」


 双眼鏡は目から離し、天音は言った。


「私がこれ以上表立って関わるのは少々、時流に外れる気がしたので気が進みませんでしたが……そうも言っていられないということですね」


 ここで戦うのは、あくまでシベリアの者たちでなければならないと天音は思っている。英雄とは見知らぬところから現れるものではない。その地に住む者たちの希望が具現となって現れるものだ。

 だからこそ、護・アストラーデこそが英雄なのだ。

 ――しかし。


「流石にあなたが相手となれば、私が相手をするのが道理でしょう。――《魔術師(ウィザード)》ドクター・マクスウェル……過去の異物同士、殺し合うと致しましょうか」


 そうしてから、もう一度天音は外を見た。その時、不意に。

 ――こちらを向いている〈ワルキューレ〉と、目が合ったような気がした。



◇ ◇ ◇



 ――冷たいと、そう思った。

 自分がいるのは〈ワルキューレ〉の中。それなりに温度は保たれているし、氷点下を記録する外と比べれば格段に温かい。それでも寒いと思うのは、心がそう感じているからか。


 ――昔、突きつけられた選択肢に迷いながらも頷いた後、一人泣いたことがある。

 情けなくて、みっともなくて、やるせなくて。

 だから、泣いた。泣き続けた。

 いつしか――涙を忘れるくらいに。



『作業員、退避完了。……中尉、聞こえているか?』



 沈みかけていた意識を、その言葉が呼び覚ました。この声は、朱里か。

 この人にも随分と迷惑をかけた。自分のような《裏切り者》を評価してくれたことには物凄く感謝しているし、しかし、そのせいで辛い思いをしてきたのではないかとも思う。

 ――だって。

 あのソラやリィラでさえ、自分のせいで嫌がらせを受け続けていたのだ。二人は笑っていたが、自分のせいでと何度も何度も自己嫌悪に陥ってきた。

 結局――ただ自分で自分を責めていただけで、何もしなかったのだが。


『中尉……いや、アリスと呼ぼう。お前はそこに立ってくれた。それだけでも礼を言う。――ありがとう』


 礼など、不要だ。

 これはケジメであり、一つの結末。こういう未来が来ることはわかっていたのだ。

 だから、礼など不要。


 ガコン、という鈍い音が響いた。操縦桿から、質量の感触が伝わってくる。


『動力炉稼働開始。エネルギー上昇』

『バレル展開。エネルギー収束開始』

『回路接続完了。作戦準備完了』


 次々と聞こえてくる言葉の半分以上が理解できない。今現在、アリスが――〈ワルキューレ〉が手にしているのは、かつてシベリア人を人質とした作戦でドクターが使用した〝アルマゲドン〟のある意味では完成形と呼べるものだ。

 砲身の長さは五十メートル強。その後部から伸びる無数のコードが、六つの円柱型の動力炉に繋がっている。

 ――エネルギーとは、極論を言えば熱である。

 ドクターの言葉だ。結局理解はできなかったが、『E=mc²』という理論を使ったらしい。

 ただ、一つだけ理解できるのは。


『作戦、開始だ』


 ――引き金を引いた後、自分がどうなっているかわからないということだ。


『カウントを開始する。いくぞ、中尉』


 そして、意識が溶けていく。


 ――――。

 ――――――――。

 ――――――――――――。



『怖くはないのかね?』

『……何がですか?』

『死ぬことが、だよ。私が言うのもなんだが、引き金を引けばキミがどうなるかはわからない。動力炉は計算では十億度にまで達する。近場にいるキミは、いくら神将騎の中にいるといっても無事では済まないだろうね?』

『…………』

『ん? この機械に興味があるのかね? これは私が開発した、熱源探知のレーダーだよ。熱を探知し、対象の位置を把握する。将来的にはこれでホーミングミサイルなどを造りたいところだが、まあ、戦争がない世界では半世紀はかかるだろう。更に――』

『そんなことはどうでもいいです』

『ふむ。つれないねぇ。ここからがいいところだというのに。まあ良い。……さて、質問の続きだ。キミは死が怖くないのかね?』

『……私は』

『ちなみに私は死が怖いよ。それはもう、病的なくらいにね。キミは、怖くないのかね?』

『……私、は』

『いや、愚問だったねぇ。申し訳ない。キミは『死ぬこと』こそを望まれた命。今更の質問だった。――さあ、最後だ。精々、派手に終幕を飾りたまえ』


 そして。

 その男は仮面を外し、笑いながらこう言った。


『祭の最後は、誰もが笑っているべきだろう?』



 ――――。

 ――――――――。

 ――――――――――――。



『中尉? どうした、中尉?』


 その言葉で、意志が僅かに揺り起こされた。酷く冷たい目で、アリスは目の前のモニターからアルツフェムへと照準を合わせる。


「……そっか。私、馬鹿だ」


 ぼんやりと、呟く。


「もっと早く、気付けばよかった」


 自分はここにいるのに。こうして、引き金を絞ろうとしているのに。

 目の前で――アリス・クラフトマンという少女が、蹲って泣いているのが見えた。



「…………私……死にたく……なかったんだ…………」



 ズキン、と頭に鈍い痛みが走った。

 ドクン、と心臓が高鳴った。


〝さよならだ〟


 不意に聞こえたのは、あの人の言葉。

『あの人』が誰なのかさえ――もう、思い出せなくなっていた。


「…………その言葉は、残酷です……」


 あの温かさを、全てを。

 多くを振り払って――こうしていて。


「……護さん。私は、あなたのその優しさが」


 指に力を込める。そして。


「大嫌い、です」


 ガチン、と。

 かつて世界を焼いたという古代遺産の引き金が、引き絞られた。



 ――――――――ッッ!!



 あまりの轟音に、耳がその音を拾うことを放棄した。凄まじい反動で、〈ワルキューレ〉が地面を削りながら後退する。踏ん張り切れない。

 閃光が駆け抜ける。瞬きの一瞬。

 そして。

 ――アルツフェムの中心。そこにある塔を中心とした一帯を、吹き飛ばした。

 熱い。体が焼ける。

 だが、終わった。狙いは多少ずれたが、それでも――


『まだだ!!』


 叫び声が響いた。凄まじい怒声。朱里のものだ。

 前を見る。瞬間、いくつものオレンジ色の光が目に入った。

 小型のミサイル群を中心とした砲撃。それが、迫ってくる。

 直撃。轟音と衝撃が〈ワルキューレ〉を揺らした。しかし、揺れる機体、揺れる視界の中でも、アリスは〝アルマゲドン〟を手放さない。

 ボルトを引く。ヒューズを交換。そのまま、エネルギー充電を待たずに発射した。

 ――しかし。

 その閃光は一直線には走らず、空中でばらけて霧散する。


 直後。

 凄まじい閃光と衝撃が、アリスを思い切り打ちつけた。



◇ ◇ ◇



 城塞都市アルツフェムの中心には、文字通り都市の政を管理するための建物がある。また、城塞都市という形式上その建物は都市内全てを見据える必要があり、その建物は自然と塔のように高いものとなっていた。

 無論、堅牢さを誇る塔だ。そもそも、そこまで辿り着ける者などいはしない。辿り着く頃には、アルツフェムが陥落している。だからこそ、二年前の大戦でもその塔は残っていた。

 ――それが、今。

 轟音と共に、崩れ去っていく。兵士たちが逃げ惑い、アルツフェムの中心部は混乱していた。見えたのは閃光、それも一筋の光だけだ。それが塔を撃ち抜き、破壊したと誰に想像できよう。


「――――ッ!!」


 いや、一人だけ想像できる者がいた。

 ――護・アストラーデ。

 解放軍の希望たる青年は、一度その身にあの砲撃を受けている。彼の相棒であった〈フェンリル〉という神将騎を、似たような砲撃が撃ち抜いたのだから。

 故に、彼は走り出す。

 掠めただけで、外壁の一部が吹き飛んだ。次の一発がくれば、おそらく相当深いところまで抉られる。


 ――アリス……!!


 だが、彼の思考の中にそのような――言ってしまえば、アルツフェムについて考えたものなど欠片もなかった。ただ思うのは、白銀の神将騎に乗る少女のことだけだ。

 多くの小型ミサイルや砲撃が、彼女へと直撃した。無事かわからない。行ってどうにかできるかもわからない。むしろ、立場を考えればここは行ってはならない場面だ。

 それでも――彼は止まらない。

 止まり方など知らず、また……止まったところで何も変えられないのだから。

 ――そして、護は格納庫へと辿り着く。

 天井が消え去り、代わりにあるのは武骨な砲台。しかし、それはすでに大破――否、融解している。

 熱い、と思った。この熱気は何だと。天井がなくなっているために開け放たれているはずの格納庫でありながら、思わず腕で顔を庇うほどの熱気が充満している。

 そして、その中心では。


「――おや、どうされたのですか?」


 白衣を着た一人の女性が、酷くつまらなさそうな顔で――佇んでいた。

 護は熱気を振り払うように腕を振る。そうしてから息を吸い込んだ。熱い空気が肺に満ちる。


「〈毘沙門天〉で出る」


 言葉は簡潔なものだった。対し、少し離れた位置にいる女性――出木天音は、いつもの微笑ではないとても冷めた表情と瞳で、護を見据える。

 そしてそのまま護を一瞥すると、パチン、と天音は指を鳴らした。直後、護の背後からいくつもの人影が現れる。


「なっ――ッ!?」


 咄嗟のことに反応できず、護は四人がかりで押さえつけられる。見れば、護を押さえつけているのは彼女と共に格納庫で二機の神将騎を中心とした兵器をいつも調整してくれている者たちだった。

 何を、と護が声を上げる。天音は振り向かぬまま、しかし、厳しい表情をしているのだとわかる声色で言葉を紡ぐ。


「少々、事情が変わりました。……少年、以前、私は問いましたね? 道行きを――私にも掴めたかもしれない可能性を見せて欲しいと」

「いきなり、何だよ……!?」

「できるならば、幸いな未来を夢見たかったのですがね。……どうやら、それは望めないようです。やはり、こんな未来しか望めない」


 言葉と共に、天音のすぐ側で融解していた砲台が、更なる音を立てながら崩壊を始めた。そこから発せられる熱風を浴びながら、しかし、天音は微動だにしない。


「あなたをここで失うわけにはいきません。すでに解放軍が出陣しています。あなたはここで、待ちなさい」

「んだと……!? ふざけんな!」

「――少年。敵の本陣……それも、今すぐにでも暴走による空間震動が起こる現場へ飛び込むことは勇気とは呼びません。自殺、と呼ぶのです」

「やってみなくちゃ――」

「やらずともわかるのですよ。だから、あなたを行かせることはできません」


 天音が振り返る。その表情はまるで能面のように静かで、寂しげで。

 ゾクリ、と。背筋が凍った。

 護は視線を〈毘沙門天〉へ向ける。少し離れた場所にあるそれは、変わらず右腕を失ったままだった。

 ――遠い。

 どうしようもなく、遠い――そんなことを、ふと思った。


「行かせたいとも思います。しかし、あなたの命は最早あなただけのものではない。それに……彼女は《裏切り者》。言いたくありませんが、命の価値があなたとは大いに違う」

「待てよ……ちょっと待て!」


 喚く。護の身体能力は決して低くはない。しかし、四人がかりで押さえつけられてはどうしようもないのが現実だ。


「関係ねぇだろそんなことは! 今手を伸ばせば届くんだよ! 邪魔すんじゃねぇ!」

「算数を覚えなさい、少年。数学ではなく、算数――ただの足し算と引き算、そして不等式です。私にとっても解放軍にとっても、あなたの命は酷く重い。命の価値とは等価ではないのですよ。それすらわからぬほど、童のままというわけでもないでしょう?」

「わかんねぇ……! わかんねぇよ言ってることが! あんたは俺に言ったよな!? 見せてくれって! 今から見せてやる! だから! だから俺を行かせやがれ!」

「その真っ直ぐさ……それ故の歪み。その代償がここへ来たのですよ。一万人のために一人を切り捨てるか、それとも逆か。選択の時が来たのです」

「…………ッ、俺は……ッ!」


 選択の時。その言葉に、歯を食い縛る。そうか、この時なのか。

 ――ここでアリスを救いに動けば、その代わりに多くが死ぬ。

 ――ここで耐えれば、アリスを失う代わりに結果として多くを救える。

 ことここに及んで自分の存在の重要性を理解せぬほど、護・アストラーデは愚かではない。

 だが。

 だからこそ――


「……結局、最初から間違いだったのですよ。私も、あなたも。敵を愛した。愛してしまった。殺さねばならない相手を、どうしようもないくらいに欲してしまった――その瞬間から、間違えてしまったのです」


 ふざけんな、と。そう――叫ぼうとして。

 だけど、叫べなくて。

 どうしようも……なくて。


 そんな、時だった。



『もう……もう、放っておいてください!!』



 戦場から、そんな声が聞こえたのは。

 大切な少女の……慟哭が、聞こえたのは。



◇ ◇ ◇



 作戦は明らかな失敗だった。外壁の一部を打ち砕いたが、しかしそれは上半分のみ。塔を破壊したといっても、解放軍の部隊が出現してくるのを見れば失敗だったとはすぐにわかる。


「作戦、失敗か……」


 呆然としたようなカルリーネの言葉に、朱里は応じることができない。彼の周囲にいる者たちが、次々と報告の言葉を紡いでくる。


「炉心温度、十億度突破!!」

「〈ワルキューレ〉内部温度、六十度を超えます!!」

「〝アルマゲドン〟大破!!」


 全てが絶望の報告だ。その全てが、失敗と告げていた。


「……止むを得ん。撤退だ」


 言いつつ、アリスへと無線を繋いだ。無事であるかどうかは五分五分だ。六十度……常人ならば、耐えられない温度である。奏者であるならばあるいは耐えられるかもしれない――そんなレベルだ。

 ――そこへ。


「熱反応! これは――〈ワルキューレ〉です!!」

「中尉!?」


 視線の先。熱で揺らめく大気の中で。

 ゆらりと、影が動いた。



◇ ◇ ◇



「……有線接続、〈ワルキューレ〉のエネルギーを全部投入……ッ!」


 熱で揺れる意識を奮い立たせるため、アリスは必死でその作業を実行していた。仕組みはわからないが、この〝アルマゲドン〟という兵器に対するある程度の知識は教えられている。

〈ワルキューレ〉の装甲を外し、〝アルマゲドン〟の生きている部分と有線で直接繋ぐ。

 エネルギーが溜まっていく。しかし……その数字は、17%のところで止まってしまった。

 ――撃ち抜けない。

 砲身がそもそも大破状態なのだ。このまま撃ったところで、無意味だろう。

 でも――それでも。


「それ、でも……ッ、いい……ッ!!」


 やると決めたのだ。やり切ると。成し遂げると。

 ――成り果てると。


『何をしている、中尉!』


 声が聞こえたのはそんな時だった。朱里の声だ、とそんなことを思う。


『作戦は失敗だ! 撤退しろ! 無駄(・・)に命を散らせる必要はない!』


 ドクン、と心臓が高鳴った。

 ズキン、と頭に痛みが走った。


 後は、もう。


 ……なん…………じゃ……


 止まることは。


 ……なんかじゃ……


 ――できなかった。



「もう……もう、放っておいてください!!」



 口から出た叫びは、だからこそ。

 だからこそ――あまりにも悲痛で、涙色に染まっていた。


「私は決めたんです!! 命の使い方を!! その価値を!! ここで死ぬんだ、って!! ここで死んでいくんだって!! そのためにここに立ったんだって!! そのためだけに今日まで生きてきたんだって!! 通用しなくても何であっても!! それでも私は諦めることができないんです!! そんな資格すらないんです!!

 そう決めさせたのは――あなたたちじゃないですか!!」


 思考が熱い。体が熱い。

 頬が――熱い。

 滲んだ視界は、何が溢れ出たものか。


「確かに選んだのは私です!! 私は望んでこうなりました!! 自分で選んで自分で決めて!! それなのに、泣いてばかりで!! 後悔しかしてなくて!!

 でも私は選んだ!! 出来ることを!! 引き金を引くことを選んだんです!! 

 二十年も生きていないけど!! それでも私は将来(オワリ)を決めたんです!!

 私は馬鹿です!! 大馬鹿者です!! 自分で選んだのに――全部自分で選んだのに!! それなのに後悔しかしてなくて!! 色んなものを捨て去って!!

 ――もう、これしか残っていないんです!!

 どうしようもないんです!!

 理解なんてされなくていい!! 私自身にもわからない!!――だけど!!」


 どうしようもない終わりの中。

《裏切り者》と敵からも味方からも呼ばれる少女は、涙と共に慟哭する。


「理解できないなら黙っていてください!!」


 息を切らし、叫ぶ少女。

 コックピットには、彼女の言葉しか残らない。

 ――不意に。

 その耳に、別の人物の声が届いた。


『いい気迫だ中尉。俺も熱くなってくる』


 聞こえた声は、ソラのものだった。声だけでわかる。彼は――笑っている。


『別に理解はできんし、しようとも思わんが。見捨てるのはちと目覚めが悪い。けどまぁ、俺がそんなとこに行ったところでできることなんてない、とゆーわけで……俺が一番信頼する部下に行かせた』


 直後、レーダーが何かを捉えた。

〈ワルキューレ〉の背後へ、一機の神将騎が――〈ミラージュ〉が降り立つ。


『ちゃんと受け止めてくれよー? こっちも結構ギリギリなんだからよ』


〈ミラージュ〉の視線がこちらを向く。中に乗っている奏者は、きっと……。


『――私は演劇が好きでねぇ。恥ずかしい台詞、青臭い台詞というものが大好きだ』


 続いて聞こえてきたのは、ドクターの声だった。笑みを含んだその声が届くと同時に、今度は〈ワルキューレ〉の眼前へと一機の神将騎が馳せ参じる。

 神将騎――〈クラウン〉。

 その手の上には、仮面を着けた男の姿。


『というわけで、こんなこともあろうかと用意しておいたキミへのプレゼントだ。そこの〈ミラージュ〉――リィラくんが背負っている機体には予備バッテリーが積んである。少々出力は落ちるがまあ構わん。収束密度を上げればいい。さて――リィラくん、やりたまえ』

『命令されとるみたいでなんや納得いかへんなぁ……。そもそも、どこへ繋いだらええんや?』

『決まっているだろう?――殴って直接だ』

『了解』


 鈍い音が響いた。〝アルマゲドン〟の後部が砕け、代わりに〈ミラージュ〉の拳が突き刺さっている。

 アラートが鳴り響く。その音を聞き取ったのか、ドクターは体を震わせて笑った。


『今更赤ランプの一つや二つ、無視したまえ。さて、それでは問おうか。――キミのすべきことは何だ?』

「…………」

『安心したまえ。この天才の手にかかればこのクズ鉄でも、もう一発撃つことぐらい造作もない』


 そして、ドクターは〈クラウン〉の中へと入ると、無線でリィラに指示を出し始めた。〈クラウン〉は〈ワルキューレ〉に背を向け、膝をつくと、両腕の盾を最大展開して守りの体勢に入る。


『――それでは、大佐』

『――では、朱里くん』


 二人の声が、重なる。


『『五分、時間を』』


 それを、呆然と眺めているしかなかった。



◇ ◇ ◇



 通信で行われたやり取りや、目の前で起こっている現状。それを受け、朱里は深々とため息を吐いた。その隣では、カルリーネが苦々しい表情をしている。


「勝手なことを……! 命令違反だぞこれは!」

「……こうなった以上、乗るしかないな」


 呟く。カルリーネが眉を跳ね上げた。


「大佐殿!?」

「元々、中尉のあの砲撃が短期決戦の鍵だった。……今の通信は、拡声器も併用して広がっている。誰もが、こちらの判断を待っているぞ」


 ……きっと、アリスは狙ってやったことではない。そもそも、彼女一人が叫んだところで士気が変わることもない。むしろ、彼女の存在は時として士気を下げることさえあるのだ。

 しかし――それでも。

〈ワルキューレ〉の砲撃は、こちらの勝利を確信させるに十分な印象を与えた。もう一発撃てれば勝てると、そう思わさせられるほどに。


 ……どこまでが、あの男の掌の上なのだろうな。


 ドクターと、ソラ・ヤナギ――今回の作戦の立案者たち。どこまで、彼らは計算していたのだろうか。


 ――いいだろう。踊ってやる。


 どの道、これを失敗すれば短期決戦の手段はなくなる。叛乱軍もこちらへと進軍を開始しているのだ。応じねば、撤退しかない。

 ならば。


「――総員!」


 声を張り上げる。カルリーネは、信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。


 ……俺たちは、軍人だ。


 祖国のため、王のため、国民のため……信念に誓った、誰よりも大切な人のために戦うことこそが本懐だ。

 だから、これでいい。

 ここで勝たねば――全てが終わる!!


「これより、統治軍十万、その総力を以て叛乱軍を叩き潰す! 命はかかるが目覚めが悪い! 出来れば死ぬな! 俺からは以上だ! どうすべきか、どう動くべきかは――すでに聞いているだろう!?」


 浮かぶのは、かつて自分の『スペア』として存在し、しかし、その頭脳で全く別の道を見出した男。あの男のことだ。策はすでに用意しているはず。

 ならば、こちらのすべきことは一つだけ。


「俺も出る!――出陣だ!! 俺たちの祖国へ凱旋するぞ!!」


 指揮官の仕事は兵たちの士気を上げること。それさえ果たせれば、後はどうとでもなる。


「貴様ら返事はどうした!?」


 答えは、わかり切っている。


『『『――応ッ!!!!!!』』』


 無線を放り捨てる。すでに、戦場では戦端が開かれており、戦闘が始まっている。

 血で血を洗う闘争だ。多くが死に、多くが果てていくだろう。

 ――だからこそ、負けられない。


「少佐。万一の時は、あなたが撤退の指揮を執ってくれ。……その時は、俺が殿を務める」

「大佐! こんな作戦は――」

「ここで踏み込まなければ勝利などできはしない!!」


 一喝。圧倒的な怒声が響き渡った。


「この世界は不条理だ、理不尽だ!! だからこそ命を懸けても何一つ成すことなどできない時がある!! だが――だからこそ、命を懸けねば勝利は得られない!!」


 カルリーネの横を通り過ぎる。そして。


「俺たちは軍人だ。少佐、あなたとは違い、戦うことしかできず、そうすることでしか守れない。敵を殺して誰かを、祖国を守る。それが軍人だ。ここで戦いを避けては、何のためにここにいるかがわからなくなる」


 リミットがなければ、こんな作戦を選ぶことさえしなかっただろう。だが、現実はそう甘くはなかった。

 故にこそここで踏み込まなければ――勝利はない。


「……理解ができん。あのような小娘の言葉で、軍が動くというのか? そんなことがあってたまるか!」

「中尉の言葉ではない。ただ、思い出しただけだ。俺たちが、何故ここにいるのかを」


 そして、朱里は戦場へと駆けていく。

 謀らずも――統治軍と叛乱軍、その最大規模となる衝突が、始まった。



◇ ◇ ◇



「離せ……! 離せっつってんだろ!!」


 押さえつけられながら、必死に護は叫んでいた。聞こえてきた言葉。アリスの言葉が、どうしようもないほどに――狂おしいまでに、彼の心へ火を点けた。


「どけよ!! 何してんだよ!? 何を聞いてたんだよ!? テメェらわかってんのか!? あの言葉を――二十年も生きてねぇような女にあそこまで言わせたのは俺たちなんだぞ!?」


 何をしているのだ、と思う。自分も、自分の押さえつけている者たちも。

 こんなところで――何をしている!?


「テメェらは何とも思わねぇのか!? ああそうだよ!! 確かに選択肢を押し付けたのは統治軍だ!! 選んだのはアリスだ!! わかってんだよそんなことは!! 〈ワルキューレ〉がずっと俺たちと戦ってきたことも!! 全部わかってんだよ!! わかってるよそんなことは!!」


 そうだ、わかっている。わかり過ぎているほどに。


「けどな、選ばせたのは俺たちなんだよ!! 見てわかんねぇのか!? あんなふざけた威力の砲撃を!! 何のリスクも無しに撃てるわけがねぇだろうが!! 命を捨ててあそこにいるんだぞ!? 二十にもならない女が!! たった一人で全部背負って戦ってた奴が!! どうしようもなくなってまで!! あんなとこにいるんだぞ!?

 泣くなんて!! 涙を流すなんて!! そんなことさえも忘れてまであんな場所に立ってるんだぞ!? 馬鹿だよ!! どうしようもないほどの大馬鹿野郎だよ!!」


 泣くことを忘れてしまった――そんなアリスの言葉は、きっと。

 そういう、意味だから。


「それでもアイツは決めたんだ!! 命の価値を!! 使い方を!! 後悔しかしてないのに決めたんだよ!!

 そんな価値を誇れるものか!! 違うだろうが!!

 だから行くんだよ俺は!! 守りたいって思うんだよ!! 助けたいって思うんだよ!! 大切なんだよ大事なんだよ笑っていて欲しいんだよ!!

 男なら!! あいつが自分で見つけるまで守ってやるもんだろうが!! それが男ってもんだろうが!!

 高いところから痛みもないままに見下してるテメェらに――テメェらみたいな馬鹿共に!! そんな奴らに理解されてたまるか!! 否定させてたまるか!!

 邪魔をすんな!! そこをどけ!!」


 吠えた護。しかし、誰もその場を動かない。

 否――動けない。どうすればいいのか、わからないのだ。


 ――故に。

 護は、本能でそちらを見た。


「――〈毘沙門天〉!!」


 戦場を駆けるための、新たな相棒へ。

 護・アストラーデは言葉を紡ぐ。


「頼む!! 俺に力を貸してくれ!! 約束したんだ!! 今動かなきゃ、俺は一生後悔する!! だから!!」


 その場の誰もが、気でも狂ったのだと思った。神将騎に呼びかけるなど……そんなことをしても、応えてくれるはずがないというのに。

 いや、全員というのは間違いかもしれない。

 ――ただ一人。

 出木天音だけが――そんな護を、ただただ真剣な瞳で見据えていた。

 そして。



「――来い!! 〈毘沙門天〉!!」



 餓狼の咆哮が、軍神へと届き。

 その巨体が、ゆっくりと動き出した。しかし、その手は護ではなく――天音へと差し出されている。

 天音はそれを一瞥すると、白衣のポケットから扇子を取り出し、護を示した。そのまま、呟くように言葉を紡ぐ。


「……用意しましたよ。あなたの棺桶を」


 護を押さえつけていた者たちが、ゆっくりと手を離した。護は立ち上がると、天音の横を通り過ぎ、〈毘沙門天〉へと足を掛けた。

 そして、一度だけ振り返り……言葉を紡ぐ。


「あんたに、見せてやる。幸いな未来は望めるってな」


 そして、《氷狼》が戦場へと舞い降りる。


「過ぎ去った過去は変わらない。どんなに足掻こうと、変えられやしない。だけど、抗って吹っ切ることはできる。苦しくても辛くても哀しくても涙しても――だからこそ、自らの手で断ち切るために。未来を、変えるために」


 護が往く。それを見送り、全く、と天音は呟いた。


「……あの子は、未だに私を主人だと思っているようですねぇ。私もまだまだ修行が足りないものです、本当に」


 戦場を見据えるその瞳は、酷く寂しそうで。

 パンッ、という音と共に、天音は扇子を開いた。そこに描かれているのは――椿の花。

 花言葉は、『罪を犯す女』。


「さて、私も出ましょうか。色々と……やりたいことが、残っています」



◇ ◇ ◇



 モニターに映る景色は、最早戦場となっていた。

〈ミラージュ〉と〈クラウン〉はすでに退避している。エネルギー充電率は63%――ドクターによれば、外壁を抜くくらいの威力は実現できたらしい。

 戦場を眺める視線。……不意にモニターの映像がいきなり切り替わった。

 ――ドクター。

 仮面を着けた男が、こちらを見ている。


『言ったはずだがね。祭りだ、と』

「…………」

『はっきり言おうか。私はキミのことを気に入っているが、嫌っている。折角の祭りだというのに、そのエピローグが愚かな小娘の悲劇一つとはユーモアの欠片もない。それでは世界は回らんよ』


 何を言っているのだろう、と思った。この男は、何を。


『少しは馬鹿になりたまえよ。利口に生きても損しかしないぞ、中尉。キミは舞台の上に立っている。歴史の当事者として、ヒロインとしてだ。舞台に立つヒロインの仕事とは、花を手に馬鹿げた踊りを踊るものではないのかね?』

「……私に花なんて、似合いません」

『機関銃でないだけマシだと思いたまえよ。二番煎じは実につまらん。ああ、花束に銃を仕込むのもナシだ。そんなことをするくらいなら、堂々と武骨な大砲を掲げる方が遥かに良い。今の君のようにね。

 ……もう一度言おうか、中尉。祭りの最後とは、『誰も』が笑っているべきだ。違うのかね?』


 ブツッ、とモニターが一度途切れ……音声のみになる。アリスは、吐息のように呟いた。


「……私、あなたのこと、大嫌いです」

『ありがとう』


 返事は、礼だった。


『――最高の褒め言葉だ』


 モニターが切り替わる。照準を合わせる。もう、熱さなど感じなくなっていた。

 狙うは、一点。

 引き金を――絞る。その瞬間。



 ――――――――!!



 大気を裂く閃光の一撃が、大地を蹂躙しながら駆け抜けた。

 圧倒的な一撃。敵も味方も射線から離れていたため、直接の被害はないようだが――その余波だけで、幾人もの人や兵器が吹き飛んでいく。

 ――直撃。

 外壁へと直撃したその一撃は、着弾と同時に大爆発を起こした。

 そして。その、直後。


 ――〈ワルキューレ〉の頭部を、〈毘沙門天〉が手にした〝海割〟が貫き。

 限界を迎えた動力炉が、大爆発を起こした。



◇ ◇ ◇



 空間震動。膨大なエネルギーが空間を揺り動かし、その空間を文字通りの『スープ』にしてしまう現象だ。

 黎明の時代から伝わる資料によると、これで国が一つどころか数十という単位で滅びたという。

 ――通常、その中で生き残ることは不可能だ。

 だからこそ、出木天音は覚悟した。彼の死を。

 しかし。


「…………」


 彼女は目撃した。空間震動が起こるその瞬間。

 黒銀の神将騎が、凄まじい速度でそこを駆け抜けていったのを。

 故に。


「……まだ、それだけでは幸いには至れませんよ、少年。私とて、対面までは至りました」


 もっとも、その時すでに運命は決まっていたのですが、と。そんなことを呟いて、天音は戦場を見る。


「では、参りましょうか。――〈金剛夜叉(こんごうやしゃ)〉」


 戦場を望む、崩壊した外壁の瓦礫――その上で。

 金色の光を宿した神将騎を背に、出木天音は呟いた。



◇ ◇ ◇



 目を開けた時、その人の顔が目に入った。

 ――護・アストラーデ。

 約束の青年が、こちらを見下ろす形でそこにいた。


「――なん」

「良かった……!!」


 言葉を口にする前に、強く、強く抱き締められた。

 温かいと、そう思った。だけど――


「駄目です!!」


 思い切り、護のことを突き飛ばした。そうだ。駄目なのだ。ここで甘えてはいけない。

 腰に手を伸ばす。銃は――あった。


「アリス!」

「来ないでください!!」


 護の声に負けぬように、コックピット――おそらく、〈ワルキューレ〉のもの。電源は全て落ちている――の奥へと後ずさりしながら叫んだ。

 そしてそのまま、自身の右側頭部へと銃口を押し当てる。


「今更……今更!! 生きていたって仕方ないじゃないですか!!」

「やめろアリス!!」

「来ないで!!」


 乾いた銃声が響き渡った。護の腹部に、紅の染みが徐々に広がっていく。


「……あ……ッ……」


 思わず、アリスは銃を取り落としてしまった。護が、大丈夫だ、と頷く。


「大丈夫だ。大丈夫だから」


 優しく、本当に優しく、自身の血に塗れた手で護がアリスの手を握り。

 そして――その体を抱き締めた。


「……仕方ないとか、言うなよ」


 息を切らしながら、護は言う。抱き締められた体に感じる温かさは……彼の、血か。


「生きていてくれよ。頼むよ。仕方ないとか、そんなこと、言うなよ」


 もしも、と護が言った。

 ――もしも、自分一人では生きていく理由を見つけられないのなら。



「俺のために、生きてくれ」



 その声は、か細いながらも……いやに、はっきりと聞こえた。


「俺が、全部背負うから。お前が背負ったもの、背負ってきたもの、全部俺が背負うから。だから、頼むよ。頼む……生きてくれ。きっと、きっと見つかるから。一緒に探そう」


 答えることはできなかった。

 答える言葉は――なかった。


 瞳から、暖かな滴が零れる。嗚呼、と思う。

 私は――こんなにも、弱かったのかと。

 縋り付きたい。頷いてしまいたい。

 ――だけど。

 だけど、私は。

 アリス・クラフトマンは――


「私は……」

「――なぁ、アリス」


 護が、小さな声で。

 囁くように、問いかけてきた。



「平和になったら、何がしたい?」



 その言葉に、答える前に。

 護・アストラーデが、その意識を失った。

 ぬるりと、温かな血が手に触れる。


 鮮血が――視界を染めた。

というわけで、第三十話。ようやくここに来て、何とか一つの答えが……と見せかけて、実は答えを出せていないという無茶な展開。

最後の「平和になったら、何がしたい?」のシーンは最初期の頃からずっと頭にあって、本来ならあそこでハッピーな感じになるはずだったんですが……どうしてでしょう? 死亡フラグに早変わりです。


とりあえず、まだこの戦闘そのものは終わっておりません。あのままだと護とアリスは綺麗な着地をしそうですが……誰がそんな楽な展開を望むかと。


とりあえず、そういうわけでシベリア編もあと僅か。お付き合いいただけると幸いです。



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