第二十七話 軍神の後継者
かつて、《吉原最後の女帝》と呼ばれた一人の女がいた。
『常世の天国』と呼ばれた地――吉原。そこに置き去りにされたという一人の少女。そこに連れてこられた女は大概が『売られた者』や『攫われた者』であるのに対し、その少女は初めからそこにいたという稀有な存在であったといえよう。
その少女は出自も知らず、実の年齢さえも知らなかった。あったのは、その少女を包んでいた布に記された名前だけである。
少女は、正しく『天才』と呼ばれるだけの素養を有していた。
訪れる多くの客から知識を学び、自らを使ってあらゆるものを知っていった。
しかし、少女が生きる場所は訪れる者には天国でも、囚われし者には地獄とされる場所――吉原。
――少女は、『自由』を求めた。
ここではない、『どこか』へ。世界に対して牙を剥いてまで、少女はたった一つのそれを望み、立ち上がる。
……多くが喪われ、多くが消えていった。
それでも少女は折れなかった。軍神の化身を従え、戦場を駆け抜けた。
そんな日々の中、少女は出会う。
彼女を包んでくれた、優しい男に。
少女の理由に揺らぎが生じた。しかし、少女はもう止まれない場所にいた。
故に戦いを続け、その果てに。
幾度となく向かい合った最強の敵が――自身の想い人だと知る。
殺した、後で。
少女は壊れた。
少女は乞われた。
果てしなき慟哭の果てに、少女は頂点へと辿り着く。
そこで少女は、越えられない現実を叩き付けられた。
涙を流したのは――少女にとって、それが最後だった。
――あなたを信じた者に、自由を与えます。
――その代わり、あなたは不自由になりなさい。
誰よりも自由を求めた少女が女となる頃。
再び、彼女は大切なものを手放した。
彼女は今も、笑っている。
笑い続けている。
――けれど。
彼女が救われているのかどうかは……わからない。
その、極東の島国において最悪の反逆者とされた女性の名は。
――《女帝》、出木天音。
吉原を潰し、僅か二年で《七神将》の三人を殺した天才……否、天災。
歴史上初めて、《七神将》の位階、その二つを同時襲名した怪物。
彼女は今、何を求めているのか。
どこを目指しているのか。
ただ、わかっているのは。
彼女は、笑っている。
それ以外の表情を――見せたくないとでも言うかのように。
◇ ◇ ◇
テュール川西方。そこに統治軍が展開していた。叛乱軍が動き始めたためである。
迎え撃つ統治軍は、すでに布陣を終えている。その中で一番先頭へと布陣するのは朱里・アスリエル大佐が率いる中隊。そして更にその先頭に立つのは、純白の神将騎。
《裏切り者》と揶揄され、蔑まれる少女が駆る神将騎。名を、〈ワルキューレ〉。
それを駆る奏者の名は――アリス・クラフトマン。
「…………」
その白い髪をシベリアの冷気に煽られながら、アリスはたった一人で佇んでいた。見つめるのは河の向こう側。しかし、それは見ているのではない。ただ単に、視線がそちらを向いているだけ。
彼女の視界には、何も映っていない。いや、映っていても認識できないのだ。
――私が、してきたことは。
イタリアへと行っていたアリスたちは戻ってすぐにテュール川へと派遣された。ヒスイやドクター・マッドとの合流もまだだったのだが、彼らも後々こっちへ来ると聞いている。
だが、そんなことよりも。
アリスの脳裏には、彼女がいない間に行われたことがずっと重くのしかかっている。
〝シベリア人を人質に取り、叛乱軍をおびき寄せた〟
――アリス・クラフトマンがここにいるのは、シベリアの民を守るためである。
彼女と共に捕まった顔も名もよく知らぬ多くのシベリア軍人たちに、収容所に囚われているシベリア人たち。彼らの安全を保障する代わりに、アリスは〈ワルキューレ〉に乗っている。
大切な人の手を振り払ってまで、ここにいるのだ。
だというのに、カルリーネ・シュトレンというアリスにその契約を持ち掛けてきた貴族は、あろうことかアリスにとって守るべき存在である彼らを人質として利用し、叛乱軍と刃を交えたという。
問い詰めた――否、アリスにそんなことはできない。ただ納得できず、アリスはカルリーネの前に立った。その時、空色のポニーテールを有するその貴族軍人は言い放ったのだ。
『勘違いをするな、裏切り者。貴様との契約は、収容所に囚われている者たちの安全の保障。シベリア人全てに対してのものではない。違えた記憶はないぞ』
『そもそも、貴様に戻れる道などない。シベリアを救うなどという戯言を口にする叛乱軍にさえ、貴様は刃を向けたのだ。今更、誰が貴様の戦いを『シベリアのため』などと評するという?』
『最早、貴様に道などない。道具は道具らしく、精々役に立って死んでみせるがいい。――そもそも、貴様との契約は貴様が『死ぬ』ことによって果たされるものであったはずだ。繰り返そうか。貴様との契約を違えた記憶は欠片もない』
終始、こちらを見下し――否、突き放した瞳で言い放ってきたカルリーネ。アリスは、何も言うことはできなかった。
言い返す言葉はあったはずだ。論理があったはずだ。しかし、それを口にできるかどうかは別の話。
――そもそも。
アリス・クラフトマンに、今更引き返す道などないこともまた事実なのだ。
「…………護、さん」
小さく、本当に小さく――その名前を呼ぶ。そうしなければ、泣き出してしまいそうだった。
優しい手を振り払った。振り払って、それでもこちらへと進んできた。
――だけど。
その選択は、向こうの都合で簡単に踏み躙られてしまうようなもので。
「……私、は……」
どうにかなってしまいそうだった。
どうにかして欲しかった。
連れ出して――欲しかった。
「………私の……してきた、ことは……」
意味がなかったのだろうか。
意味がなかったのだろうか。
救おうとした。守ろうとした。それが正しいことだと信じていた。
その果てに死ぬのなら――後悔はないのだと、そう思っていた。
「――――ッ」
左腕を、右手で強く握り締める。こんな様に成り果ててまで、自分は何をしているのだろうか。
どうすれば良いのだろう。どうしたら良かったのだろう。
一体どこで――間違えたのだろうか。
間違えて、しまったのだろうか。
――涙が、零れた。
拭い去る。視界が、霞んでいた。
もう、何もかもが。どうでも、よくなって――
「……アリス」
不意に、声が聞こえた。涙を拭い、振り返る。そこには、ヒスイが立っていた。
「ヒスイ。どうしたの?」
努めて明るい声を出し、ヒスイに笑いかける。ちゃんと笑えているかどうか、不安だった。ヒスイは一つ頷くと、これ、と小さな何かを差し出した。
「……作った。あげる」
「えっ?」
差し出されたものを受け取る。丸い、小さな物体だ。綿を布で包んでいるのか、柔らかな感触をしている。
縫い合わせた跡が見えるそれは、小さなボタンが二つ付いていた。よく見ると、豚の鼻のような飾りも付いている。
「もしかして……ぬいぐるみ?」
純粋な驚きから、アリスはヒスイへと視線を向けた。ヒスイが頷く。
「……アリス、ぬいぐるみ好きって聞いた。だから、作った」
「私の、ために?」
「……アリス、いつも優しくしてくれる。お礼」
こくりと、ヒスイは頷いた。アリスは再び、そのぬいぐるみへと視線を落とす。上手いとは言えないが、確かにそれはぬいぐるみとは呼べる代物だった。
何度もやり直した跡が見える。微妙に見える黒い染みは、ヒスイの血だろうか。見れば、ヒスイの手には包帯が巻かれていた。
……私の、ために……。
ぎゅっ、と、アリスはぬいぐるみを抱き締める。
ありがとう、と呟いた。
「ありがとう、ヒスイ」
「……ん」
ヒスイが、軽く頭を下げる。アリスは当然のように、その頭を撫でた。
そうしながら――彼女は、思う。
これだけのことをしてもらって。
これだけのことをしていても。
アリス・クラフトマンは――すでに『終わって』いるのだと。
小さく、本当に小さく、彼女は呟く。
……私が、戦うから。
誰か私を……守ってください。
そんな――言葉を。
◇ ◇ ◇
テュール川東部。そこに、解放軍は集結しつつあった。
テュール川は、シベリア連邦の中央を分断するような流れる大河川だ。ここを攻略することは、統治軍の本隊へと侵攻を開始することに繋がる。
そういう意味でも、ここは越えなければならない場所であった。
激戦に、なるだろう。
だが、彼らの先頭に立つのは『英雄』だ。
《氷狼》護・アストラーデと。
神将騎――〈毘沙門天〉。
解放軍の希望であり、戦力の要。彼の英雄ならば必ずや、統治軍を打破してくれる。
根拠があるように見えて実は欠片も根拠などないこの言葉を、解放軍の誰もが口にする。。
……護・アストラーデは、未だ二十の若造だ。その歩みには迷いが多く、それを誤魔化すように彼は前へと進んでいる。
そんな青年に、彼らは重荷を背負わせる。背負わせている。
シベリア国民……一億に迫るとされるその命の行く末を、たった一人の青年に託した。
破綻の見えた物語。
結末が見えた物語。
しかし、歩んで行くしかない。
そうして往くしか、道はない。
「おい、あんた」
テュール川に着くと同時に〈毘沙門天〉を降りた護は、一人佇む女性へと声をかけた。
――出木天音。
白衣を風に煽られながら、極寒の地で震え一つ見せないその女性は、いつもの微笑を浮かべながら振り返る。
「どうしました、少年?」
この人は、変わらない。
泣きたくなるような話を、笑みを浮かべながら話していた時と、何一つ。
「寒くないのかよ」
「心頭滅却すれば火もまた涼し、ですよ」
「そりゃ凄いな」
「要は気合いというか、根性の話なんですがねぇ」
特に内容のない会話をする。意味があるのか、それともないのか。それはわからない。
ただ、護はこんな会話を選んだ。
沈黙。僅かに訪れたそれを振り払うように、天音が口を開いた。
「……アルビナから、私の過去について聞いたようで」
「全部ってわけじゃないけどな」
伊狩・S・アルビナ。レオンも世話になっているという情報屋……いや、旅行者だ。
彼女に、護は聞いたのだ。出木天音――否、《女帝》と呼ばれた女の生涯を。
アルビナは、概要だけを話してくれた。そして、護が抱いた感想は一つ。
「なぁ、あんた言ったよな? 俺とあんたが似てる、って」
「言いましたね。事実、似ていると思いますが?」
「……似てねぇじゃねぇか」
護は、天音に視線を向けずにそう言葉を紡いだ。
「あんたが背負ったのは、『吉原』とかいう場所に囚われてた遊女たち……一万人の命だ」
「…………」
「聞いたよ。……奴隷みたいなもんだった、って」
そう――奴隷。
吉原の遊女は、各地から集められた――もしくは攫われた――女たちだという。その扱いはほとんど道具に等しく、囚われていた女たちには地獄と呼ぶに相応しい場所だった。
望んで来た者はいい。理由など様々だ。
攫われてきた者たちは、哀れだ。しかし、彼女たちには攫われる理由があった。
だが――出木天音という少女は違う。
望んだわけでも、攫われたわけでもない。生まれた時からそこにいて……囚われていた。
「少々、誤解があるようですね」
だが、その地獄の申し子とも呼べる女性は、護の言葉を否定した。
「別に、食べられなかったわけではありません。生きることはできましたし、上へと至れば絢爛豪華な衣食を与えられ、得ることも可能な世界です。まるっきりの地獄というわけではありません」
「でも、出られなかったんだろ?」
「鳥籠のようなものですよ。外へ出ることはできず、鳥籠の中でしか飛ぶことができない。しかし、餌は与えられる。生きてはいける。……そういう場所でした」
天音は言う。あの場所は、決して『悪い』場所ではなかったのだと。
しかし、本当にそうならば。何故、天音は――……
「それでもあんたは、自由を求めたんだろ?」
「人は己にないものを欲しがります。際限なき欲望、アンリミテッド・デザイア……その果てに、人は己にないものを欲しがってしまうのですよ。その『業』の果てに」
キンッ、という澄んだ音が響き渡った。天音が指でコインを一枚、宙に弾いた音だ。
金貨。国によって通貨というものは変わってくるが、金というものは大抵の国で高く取引される。天音が弾いたのはEUの金貨だ。
それを受け止めながら、天音は歌うように言葉を口にする。
「大抵の人間が欲しがる己にないものとは『金』です。きん、ともかね、ともどちらで呼んでも構いません。これを求めて、人は時に平気でその身を裂く」
「……言ってる意味はわかるけど、俺にはその感覚はわかんねぇな」
「あなたはこのようなものに価値を置いていないからですよ。私はこう見えて、経済屋としての一面もありましてね。おそらく、青年――レオン・ファンなどならば、金を欲しがる人の心理というものも理解できるでしょう。しかし、私もまた……あなたと同じでこんなものに価値を認めない」
ガギリ、という鈍い音が響いた。天音がコインを握り潰したのだと……護は、何となしにそう思った。
天音は両手をポケットに入れると、吐息を零した。白い息が宙に溶けていく。それを見守る護が何かを言いかける前に、私は、と天音は言葉を紡いだ。
「どうしようもない欠落を感じていました。どれだけ豪奢な着物で身を包もうと、どれだけ美味な食材に取り囲まれようと、浴びるような金を目にしようと……どうしても、満足できなかった」
「何を望んでたんだ?」
「――笑顔を」
天音は言い切った。そのまま、彼女は言葉を続ける。
「偽りの笑顔を浮かべてばかりいるうちに、私は笑うことができなくなっていたのです。私だけではありません。吉原の女たちは、誰一人の例外なくそうでした。笑っていても、笑っていない。微笑んでいても、泣いている……そんな女たちばかりが集まっていました」
「だからあんたは、戦ったのか? 大日本帝国なんて国を相手に」
「理由など、『自由』の一言に尽きます。それさえあれば笑えると思いました。笑っていられると、微笑んでいられると、心が満たされると――幸いだと、感じられると」
ですが、と天音は首を振った。笑顔のためだけに戦ってきた女性は、そのまま言葉を紡ぐ。
「そんなことはなかったのですよ。たった一人の人間……あの人と共にいられるだけで、私は幸いとなれた。微笑むことができた。抱かれるだけで――幸福だと、そう思えた」
「あんたが言ってた、愛する男か?」
「殺した相手でもありますが」
微笑。いつもと変わらぬはずのそれが、しかし護には違って見えた。
なんと――歪か。
今、天音の脳裏には彼女が言う『大切な人』の顔が浮かんでいるはずだ。だというのに、それを偲ぶことさえ彼女はできない。
できないのか、それとも――やらないのか。
どちらも、同じことではあるけれど。
「少年。私は敗北したのですよ。絶対的な現実を前に、越えられない壁を前にして。殺すしか、そうするしか私には道がなかった。どうしようもなかった。私は、こうなるしか――こう、成って果てるしかなかったのです」
「…………」
「私は戦いました。あの人を殺したことを肯定するために。私の背負った一万人のために殺したあの人を――あの人を殺した私を肯定するために。しかし、もうそれは選べなくなりました。あの時――あの怪物を前に、私はそう決断したのですよ」
「…………」
「私は不自由な身となり、その代わりに彼女たちへと自由を与えた。それが私の全てです。そうすることで、私はあの人を殺した事実を肯定した。しかし、それさえも貫き通すことはできなかった。
もう私は、一万人のために一人は殺せない。
あの子を殺すことなど――親が子を諦めることなどできはしないのです。
少年。私はどうすれば良かったのでしょうか? どこで――間違えたのでしょうか?」
護には、答えるための言葉がない。応じるには、知らないことが多過ぎる。
天音は一つ、微笑を零すと、護に背を向けて歩き出した。
「見せてください。あなたの道行きを。私と同じで、壊れてしまうのか。それとも、別の幸いとなれる道があったのか」
もし、あったのであれば。
教えて欲しいと、言い残し。
「それでは、また」
天音は、立ち去って行った。護はその後ろ姿をしばらく見送った後、天音が歩いて行った方とは真逆の方角へと視線を向ける。
――あの先に、アリスがいる……。
天音が言う、アリスを救えない未来。そんなものは絶対に選ばない。
――だが。
アリスを殺さなければ、その他の全てを失うのだとしたら……その時は。
「俺は」
そこから先の言葉は。
声にならず、空へと溶けた。
◇ ◇ ◇
轟音を立てながら、突き進む巨大な陸戦艇がある。テュール川を上るその陸戦艇――〈風林火山〉。
その艦橋に集まる七神たち。最後の確認のように、帝が《七神将》の一人――神道木枯へと声をかけた。
「本当に、よいのですね?」
「はい。ありがとうございます、陛下」
頷く木枯の瞳は、帝へと向いていない。窓から叛乱軍がいるであろう方向を凝視している。
普段なら、『忠心』の文字を背負う木枯が帝から視線を外して応答をするということはありえない上に不敬となるのだが、今の状況では誰も何も言わなかった。
――出木天音。
神道木枯という女性にとっては親友とも呼べる相手であり、同時に多くの因縁を持つ相手だ。
そんな相手と向かい合うのである。力が入るのは致し方ないことと言えた。
「木枯。……無理すんなよ」
そんな木枯の姿を見かねてか、彼女の夫である神道虎徹が声をかける。木枯は、僅かに笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「無理すんじゃねぇぞ? 俺ァお前が無事にいてくれんのが一番なんだからよ」
「うん。わかってる。けれど……私がやらないと、いけないんだ」
手を強く握り締めながら、自身に言い聞かせるように木枯は言う。
「私には、これしかないから。家庭的なことはできないし、子を産むことも……できない。女としての私は、過去に死んでいる」
「馬鹿野郎」
木枯の言葉を遮り、その頭へと虎徹が手を乗せた。軽く、その頭を撫でる。
「お前は魅力的な女だ、木枯」
「……うん」
「お前に惚れた俺が言うんだ。嘘じゃねぇ」
うん、と木枯が頷いた。その上で、しかし、と木枯は言う。
「私はそもそも、『そのためだけの』存在だったんだ。木枯――木を、枯らす者。木より出ずる者を滅ぼすために、枯らすために、この私の名はあった」
「昔の話だ。違うのか?」
「違わない。けれど、一つだけ……変わらないことがある」
一歩、木枯が身を引いた。そのまま、木枯は腰の刀へと手を伸ばす。
――――。
その動きを追えた者は、《七神将》と虎徹、そして帝だけだった。しかし彼らでさえ、完全に追えはしなかっただろう。
見えたのは、柄を握ったその瞬間のみ。
追えたのは――終えたのは、刃が宙を駆けた後。
神速の居合。一撃必殺の刃が、空気を裂いた。
「私には、これしか――『武』しかない。だから、これで確かめる」
「……お前がそう言うなら、別に止めやしねぇよ」
「ありがとう」
「礼を言われるほどのことでもねーよ」
虎徹が肩を竦める。それを見て取り、ずっと黙っていた帝が口を開いた。
「戦場でいちゃつくなんて、余裕ですねー」
「羨ましいかよ?」
「す、すみません」
二人がそれぞれの返答を返す。帝は、いいですよー、と笑った。
「私は彼恋といちゃつきますから!」
「えっ、あっ、その、へ、陛下っ!?」
抱きつかれ、《七神将》最年少である少女――水尭彼恋が慌て出す。その光景を見て、帝の隣に立っていた暁がため息を零した。
「遊んでいる場合ですか、帝」
「あれ? アキちゃんも抱き着いて欲しいですか?」
「敵地です」
「つれませんねー」
「……あのババァの相手にしにいくってのに、これだもんなぁ」
苦笑する帝を見ながら、ずっと成り行きを見守っていた男――本郷正好がため息を吐いた。暁が、どんっ、と自身の腰にある刀の鞘で床を叩く。
「もうすぐ敵地へ着きます。準備を。手筈通り、統治軍側へは水尭彼恋と本郷正好。叛乱軍側へは俺と神道木枯で出る」
『承知』
「気を引き締めろ。相手は《女帝》だ。気を抜けば――こちらが喰われる」
直後。
凄まじい轟音が、〈風林火山〉から放たれた。
宣戦布告の――合図だった。
◇ ◇ ◇
朱里・アスリエルは、いきなりの轟音に耳を塞ぎたくなるのを堪えていた。彼がいるのは、僚機である〈ブラッディペイン〉の中だ。叛乱軍の侵攻に対していつでも動けるようにするためである。
作戦は単純だった。まず、〈クラウン〉を前に出す。囮だ。これを見た〈毘沙門天〉と〈セント・エルモ〉が動くのを確認し、そのまま朱里とアリスが応戦する予定だった。
しかし――
「この音は……!?」
響き渡る轟音。サイレンのような音が、霧の出始めた川に鳴り響いている。
――そして。
その巨大な戦艦が――陸戦艇が、姿を現した。
名を――〈風林火山〉。
朱里とて見たことがある。大日本帝国が誇る、侵略のための強襲兵器だ。かつてはあれが中華帝国を蹂躙し、彼の国を動かしていた中華帝国の議員たちを悉く塵にした。
そんなものが、何故ここに。朱里がそう思うと同時。
ズンッ!!
何かが地面へと降り立った音が響き渡った。視線を向ける。そこにいたのは、二機の神将騎。
その二つにも、見覚えがある。
「――――」
ザワリと、朱里の背筋に悪寒が走る。
大日本帝国が現れた。その対応については、すでに決められている。
黙していることだ。黙して、動かぬこと。
――しかし。
朱里・アスリエルはそれを選べない。
一人の天才が、『アルツフェムの虐殺』で部下を救えず後悔したように。
ここにいる天才も、あの日『金色の神将騎』を相手に何もできなかったことを――後悔しているのだ。
「お、おっ!!」
獅子が――吠える。
大地が爆ぜる。誰もが大日本帝国突然の乱入で動けずにいる中、紅蓮の神将騎が疾走する。
『大佐!!』
声が聞こえた。ソラの声だ。しかし――もう、止まれない。
右手の対艦刀を腰溜めに構える。眼前、いるのは二機の神将騎。
桜色の非常に小柄な神将騎は、《神速刃》と呼ばれる奏者のもの。名を――〈万年桜〉。
武骨な鎧武者を連想させる鈍色の神将騎は、《野武士》と呼ばれる奏者のもの。名を――〈神威〉。
大日本帝国が誇る七神が二柱へと――朱里はその全力の一撃を叩き付ける!!
ゴンッ!!!!!!
凄まじい轟音が響いた。振り下ろした対艦刀の一撃は、〈神威〉の持つ三叉の槍で受け止められた。圧倒的な威力の一撃であったというのに、槍を折られず防ぐとは……どんな技量というのか。
「――――ッ!!」
しかし、そこで止まるわけにはいかない。一瞬で飛び上がった〈万年桜〉が、薙刀をこちらへと叩き付けてきた。咄嗟に小太刀でそれを受け止めるが、あまりの威力に両足が地面へと減り込んでしまう。
拮抗。その中で、朱里は聞いた。
『俺は大日本帝国《七神将》第一位、《武神》藤堂暁だ』
若い男の声だった。二十を迎えていないのではないかと思わせる声。
『双方に告げる。戦闘の意志はない。そちらが向かってこないのであれば、こちらは刃を向けないことを約束しよう』
ならば、何故。
その疑問は、すぐに晴らされる。
『いるのはわかっている。出木天音。二年前に出奔せし者。――出て来い。貴様を見極める』
そして、状況は更に混沌へと堕ちていく。
◇ ◇ ◇
『出て来い。貴様を見極める』
その言葉を聞いた時、遂に来たのだ、と天音は思った。一歩を踏み出す。その瞬間に。
「――――」
その場の全員の視線が、こちらを向いた。天音、という名――それは解放軍の間に広まっているし、気付いている者は気付いていただろう。
ただ、わざわざ大日本帝国が追ってくるような人間だとは思っていなかっただろうが。
……我が人生も、幕ですかねぇ……。
そんなことを、ふと思う。こちら側に降りてきたのは、一機の見覚えがある神将騎。何度も、何度も見てきた神将騎だ。
大日本帝国《七神将》第二位、神道木枯。
武の要とも呼べる彼女が駆るのは、一切の無駄を弾いた神将騎。名を――〈村正〉。
親友であり……それ以上の人間でもある人物が、乗る機体。
『出木天音』
その〈村正〉から、声が届いた。懐かしい声だ。
彼女らしいと思う。こんな時にも感情を揺らさないのは、彼女が背負った『忠』の文字の表れか。
『国外逃亡は重罪だ。……何のために、貴様はここへ来た?』
ゆっくりと、〈村正〉が腰から刀を抜いた。
何のために。
誰のために。
そんなものは――決まっている。
「語る言葉など、ありませんよ」
だからこそ、言葉にしない。
「私の理由は、私の人生が告げている」
それだけは、いつまでも変わらない。
「たとえあなたであろうと……語れぬことは、存在します」
語らぬことと、語れぬことは違う。
相手が、あの神道木枯だからこそ。
出木天音は、偽りを決して口にしない。
『そうか』
なればこそ――その侍は、刀を抜く。
『その白衣、死装束と受け取るが。……構わぬな?』
「是非もなし」
白い吐息を零し。
出木天音は――微笑んだ。
いつもと変わらぬ微笑みを、その顔へと浮かべてみせた。
嗚呼、と思う。
ここが――終着点なのだろう。
どこで間違えたのかはわからない。
最初から、間違えていたのかもしれない。
ただ、わかるのは。
……もう、選ばなくても良いのでしょうか?
死は怖くなかった。怖かったのは、また選ぶことになるかもしれないということだけだ。
乞われているのだ。壊れているのだ。今更――どうしろというのか。
やるべきことも、やり残したことも多くある。しかし、この状況ではそれさえ戯言。
『ならば――粛清する』
告げられた言葉は、酷く冷たいものだった。
巨大な刃が、振り上げられる。ぼんやりと、天音はそれを見上げていた。
何のために、生まれたのだろうか。
何のために――生きてきたのだろうか?
自由を求め、鳥籠を壊して戦いへと身を投じ。
愛した人を、敵としてこの手で殺し。
大切なあの子さえも――手放して。
――私は、何がしたかったのでしょうか?
ゆるりと進む時の中。
そんなことを、呟いた。
少年へと、封じた想いを打ち明けてたからだろうか。
心が少し、無防備になって。
――だけど。
どうしようも、なくて――
振り下ろされる刃は、断罪の刃。
わかっている。こうなる時が来ることは覚悟していた。
その時までに、どうにかしようと思っていたが。
どうにも――自己評価を間違えた。
何もかもを捨ててきた自分が、こんなにも早く追われるほどの存在だとは思っていなかったのだ。
だがまあ、それもいい。
失敗ばかりの人生。楽しんだ。大いに笑った。
笑顔以外の全てを――忘れるほどに。
だから、もう――
「私は――何のために戦っていたのでしょうか?」
その疑問を口にした時。
刃が、こちらへ迫ってきた。
目を、閉じる。
『わかるわけが――ねぇだろうが』
酷く鮮明な声が聞こえてきた。響く金属音と共に目を開ける。そこにいたのは、一機の神将騎。
自身と共に、自由のために戦い続けてきた軍神がいる。
そして。
それを託したのは――
『わかるかよ。人の気持ちがわかるわけがねぇだろ。だから俺に、あんたの理由はわからねぇ。でも、想像はできる。そうすることはできる。
目の前の現実は、ずっとずっと辛かったんだろ? 苦しかったんだろ? それでも笑おうとしたんだろ?
なのに、それでもどうしようもなくて……俯くしかなくて。だからあんたは、その手に銃を握ったんだろ? 理不尽を撃ち抜くために。世界に対して、牙を剥いたんだろ?』
その少年は、そう言って――侍の、《剣聖》を継ぐ者の前へと立ち塞がった。
『その果てに、あんたは自分の幸福と他人の幸福を天秤にかけて、他人の幸福を願ったんだろ? 自分以外の奴らの笑顔を願ったんだろ? あんたが背負った全てのために、自分が壊れてまで笑おうとしたんだろ?』
この少年は――何を言っているのか。
自分は、自分はそんな高尚な人間などではないというのに。
だというのに。
『何が正しくて、何が正しくないかなんて俺にはわからねぇし、きっとこの先もわかることはねぇと思う。けど……それでも、俺はこう思う』
この少年は、どうして。
『自分の笑顔を殺してまで……たった一人で、独りきりで泣いてまで。そんな風になってまで。――壊れたなんて言ってまで! そうまでして誰かの笑顔を願う奴は、そんな奴は! 死んじゃいけねぇんだよ!!』
そして、青年はこちらにその堂々たる背を向けたまま、宣言する。
『先生、あんたに何があったかは知らない。きっと、理解できる日は来ない。ただわかるのは、あんたならその気になればここから逃げることもできたはずだってこと。それをしなかったってことは、あんたが命を諦めたってことだ』
十分だ、と、少年はそう言った。
初めて、先生、と天音を呼んだ少年は、そんな風に言葉を紡いだ。
『あんたが命を諦めた。それだけで、俺が刃持つ理由は十分だ』
そして。
《氷狼》と呼ばれる餓狼が、《剣聖》へと牙を剥く。
『俺が――出木天音だ。〈毘沙門天〉の奏者だ。殺せるものなら、殺してみやがれ』
宣戦布告。
天音は、ただそれを見守っていることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
『俺が――出木天音だ』
〈村正〉のコックピットでその言葉を聞いた木枯はまず呆然とし、次いで笑みを浮かべた。目の前の男が言っているのは、詭弁だ。大体、出木天音はすでに視認している。誤魔化せるようなものでもない。
だが――確かに、そうだ。
出木天音の処刑は、彼の者が大日本帝国にとって不利益と判断されるのであればというものだ。抵抗されないのであれば斬るしかない。
しかし――抵抗するならば。
「成程。我が友の名を語るか。――面白い」
彼女の僚機である〈村正〉は、通常の神将騎と大きく違う。コックピットにあるのは手足を入れる不可思議な装置だけで、操縦桿などは存在しない。
神経の接続。
神将騎と直接肉体を繋ぐことで、肉体の動きを誤差のないまま神将騎へと伝えることができるのだ。
つまり。
その怪物の如き剣術が、神将騎で再現できる。
「貴様が天音だというのなら、見せてみろ」
鞘へと刀を納めながら、木枯は言った。
「この二年で腑抜けたようであれば、貴様など必要ない。ここで斬って捨てるが私の慈悲だ。――耐えてみせろ、貴様が天音だというのであれば」
そうして――《剣聖》が、その絶技を披露する。
「十五分。私の攻撃を凌いでみせろ。全ての話はそこからだ」
対し、向こうからも応じる声。
――上等だ。
『耐える? ほざけ。――ぶっ潰す』
面白い。
再び、木枯は呟いた。
「大日本帝国《七神将》第二位、《剣聖》、神道木枯。――推して参る」
天音が見出した、軍神の後継者。
その力を――見極める。
《剣聖》と《氷狼》が――激突する。
というわけで、大日本帝国乱入です。
構想当初からこの場面は思い描いていたので、書けて良かったと。
そういうわけで、天音先生の過去や、護、アリスの現実です。
理由など人それぞれ。どんな人でも、心のバランスとは危ういものです。
シベリア編はあと少し。楽しんで頂けると幸いです。
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!