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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
31/85

第二十五話 その手の意味

 処刑の時間まで、あと十分を切った。だというのに、周囲を監視している兵たちからは何の連絡も来ない。その様子を見て、カルリーネは息を吐いた。


「成程、叛乱軍は緩やかな消滅を選んだか。……愚かなものだ」


 来ないこともまた一つの選択だが、カルリーネにしてみればそれは最悪の下策だ。叛乱軍は数が少ない。しかし、それでもどうにかやれているのはその士気の高さだ。敗戦国の論理だが、『奪われたことに対する怒り』が原動力になっている。

 そして、カルリーネが用意したのはわかり易い『悲劇』だ。彼らの士気の根本にかかわる、統治軍の横暴……スマートな方法ではないが、それをわざわざこうして実演してみせた。

 だというのに、叛乱軍は動かない。

 目の前で失われる命を、見捨てようとしている。


「くだらんな。罠であることは明白であるとはいえ、それでも尚死地へと飛び込む覚悟もないとは。……所詮、叛乱軍などそんなものか」


 貴族である彼女だからこそ、理解できる。人を導く者は時に非情な決断を下さねばならないが、それは本当に最後の手段だ。人を導くのは選ばれた者の役目。しかし、国を構成するほとんどが『選ばれなかった者』であることを忘れてはならない。

 国とは王がおり、選ばれた貴族という存在があり、民草という基盤があってようやく成立する。ドイツには王がおらず、貴族たちが国を導いているが、そこに大差はない。


「民草に無理を強いるのは、自分たちもまた苦しい時にのみ許される行為だ。叛乱軍の長、敗戦のシベリア王女……アルツフェムという殻に閉じこもる貴様は、果たして本当に辛苦を味わっているのか?」


 もし、違うのならば。


「貴様らが掴もうとする国など、張りぼてだ。いずれ明確な滅びが訪れる」


 それが摂理だ。人というものを忘れては、国は立ち行かない。誰が政治を動かそうと、国を構成するのは民草であり、選ばれなかった者たちなのだから。

 くだらない。小さくカルリーネは呟く。その彼女に、背後から声がかけられた。


「シュトレン少佐」

「どうした?」

「それが、監視部隊との連絡が途絶えまして……」

「何だと? どこの部隊だ?」

「はっ。この――」


 タンッ。


 乾いた音が響き渡った。同時、カルリーネの目の前に立っていた男の頭部が吹き飛ぶ。


 ――狙撃ッ!


 判断は早い。カルリーネは即座に近くに停まっていた戦車の陰へと退避すると、怒鳴るように無線機へと叫んだ。


「敵襲だ! 総員、攻撃に備えろ!――叛乱軍だ!」


 明確な敵が誰かはわからない。ただ、この状況でそれ以外の選択肢はあり得ないのが実情だ。

 周囲へと視線を送る。すぐさま、部下の一人が駆け込んできた。


「少佐殿!」

「慌てるな。部隊の展開は済んでいる。……敵神将騎の姿は?」

「今のところ、確認できておりません」

「戦車もなしか?」

「おそらくは。森林に配置したトラップが一つも発動していないところを見ると、おそらくは徒歩で来たのではないかと……」

「ほう……」


 思わず、吐息を漏らす。実は、この『底なし沼』の周囲にカルリーネは無数の対神将騎用に開発された地雷を設置していた。神将騎を吹き飛ばす――足だけであっても――ことを目的として造られたその地雷は、その規模が通常のものより大きくなっている。

 それ故に、歩兵には簡単に発見されてしまうのだ。しかし、簡単に解除できるものではない上、配置も計算されていたため戦車であってもいくつかの『敢えて開けておいた』ルート以外での進軍は不可能だ。

 だからこそ、カルリーネは『底なし沼』の周囲には神将騎を配置せず、戦車と歩兵だけで処刑を行おうとしていたのだが――


「こちらの策を読んだのか、それとも違うのか。いずれにせよ、奴らは来たというわけだな」


 ならば是非もない。おそらく、すでにこちらを取り囲んで部隊を展開しているのだろう。周囲で響いている銃声がその証拠だ。

 チラリと、後方をカルリーネは振り返る。遠くに見えるのは、一騎の神将騎がこちらへ向かってきている影だ。

 人形、カルリーネがそう呼称する相手が乗る神将騎の名は――〈クラウン〉。


「あの人形がこちらへ到着するまで、五分といったところか。……くだらん」


 普通の指揮官なら、その五分を耐える指示を出すだろう。しかし、カルリーネは違う。

 彼女は、そもそもから神将騎というものを信用していない。ブラックボックスばかりで、解明さえ碌に進んでいない兵器を信用するなど彼女にとっては狂気の沙汰だ。

 故に、彼女はこの判断を下す。


「総員に告げます」


 口調が変わる。彼女自身が理解していないこれは、彼女が一点集中の思考を始めたその証だ。


「五分以内に敵を制圧しなさい。所詮は敗戦国の亡霊。……狩られる恐怖、とくと味わっていただきましょう」


 そして、彼女自身も前に出る。

 森林を吹き飛ばす戦車の砲撃が、戦闘開始の合図となった。



◇ ◇ ◇



 護は走っていた。彼がいるのは弾丸飛び交う最前線。足を止めれば、その場で殺される。


 ――制限時間は五分……!


 手に持ったアサルトライフルから銃弾を放ちながら、護は駆けていく。今回の作戦は時間が勝負だ。神将騎が出せない以上、敵の神将騎が参戦するまでが勝負。

 この底なし沼の周囲には、統治軍が仕掛けたのであろう対神将騎用の地雷が大量に置かれていた。如何に味方であっても、ここへ着くまでは五分はかかる。レオンと天音の結論だ。信用度は高い。


「急げ! 足を止めるな!」


 怒鳴るように吠えながら、護は進む。その護の声を受けて動くのは、護たちについてきてくれた二十人ばかりの兵たちだ。

 当初、護たちはたった四人で作戦を決行するつもりだった。しかし、アルツフェムを出る際に二十人ほどのシベリア兵たちが追い付いてきてくれたのだ。


『自分たちも往きます』


 たった二十人――されど二十人。

 共に戦う者がいるだけで、こんなにも違うのだと思い知らされた。


「副将! 人質にされている者たちが!」

「すぐに連れ出せ! 俺は前に出る!」


 応じると共に、護は前へと踏み出す。遠目から敵の配置はおおよそ把握している。どういうわけか、統治軍の兵たとは数も多くない。

 戦車は四台。だが、今の護の手にある武装で打ち破る方法はない。故に彼の仕事は、歩兵の排除だ。


 ――大将は……!?


 周囲へ視線を送る。監視を行っていた統治軍の兵たちを退けた際、確認した一人の女性軍人。

 千年ドイツ大帝国の大貴族、シュトレン家十三代目当主カルリーネ・シュトレン。

 何故、そんな人間が統治軍で軍人をしているのかはわからない。そもそも、そんな人物を何故天音が知っているのかも謎なわけだが……それは今、考えるべきことではないだろう。

 前へ。

 ただただ、前へ。


「――そこかッ!」


 一瞬見えた姿。それを追いかけ、護は走る。


 ――いつか見た夢を、思い出す。

 走り続けたその先に、絶対に越えられない壁が立ち塞がった。歩んできた道は、死に溢れていた。

 あれはきっと、未来なのだろう。

 だが、だからといって今更立ち止まることはできやしない。


 前へ。前へ。ただただ、前へとひたすらに。

 ここにいる自分は、そんなことしか知らないのだから。


「――――ッ!」


 カルリーネを追い、逃げ込んだ先へと入り込むと同時に銃口を向けた。しかし、その瞬間、空色の髪が視界を遮る。


 ガツッ!


 蹴り上げ。沈み込むように身を沈ませたカルリーネが、こちらへと放ったものだ。

 アサルトライフルが宙を舞う。護は反射的に一歩下がった。そこへ、カルリーネの拳が放たれる。

 しかし、それは腕をクロスして受け止めた。そのまま右足を蹴り上げるが、身を沈めることによって避けられる。


 ――しまっ……!?


 思うが、遅い。突き上げるようにして腰だめから放たれたアッパーが、正確に護の鳩尾へと突き刺さった。

 ぐっ、という呻き声が漏れた。呼吸が止まる。眼前、カルリーネの鋭い視線がこちらを貫いた。


「――シッ」


 空気を引き裂くような左拳のストレート。護はそれを、かろうじて顔を右へ逸らすことで避けた。

 しかし。


「――――ッ!?」


 伸び切った腕を武器にし、体を左へと回転させることでその腕をカルリーネは護へと叩き込んできた。鈍い音が響き、護は地面を転がる。

 ぐちゅっ。

 ぬかるんだ地面を踏み締める音。咄嗟に護は腕を自身の左側へと持っていった。先程の一撃のせいで、視界が満足に開けていない。

 ――鈍い衝撃。

 果たして、腕へと蹴りが叩き込まれた。ほう、と吐息のような呟きが漏れる。


「頑丈だな。普通なら先程の一撃で意識が飛んでいるはずだが」

「ハッ……そいつは、どうも!」


 拳を放つ。しかし、それは難なく防がれてしまった。更に伸ばした右腕を掴まれ、肘を取られる。


 ――関節技!?


 ヤバい、と思考にその三文字が走る頃には体が動いていた。地面を蹴り、体を浮かす。それと同時に、カルリーネの顔面へと右の膝を叩き込みに行った。


「チッ」


 舌打ちが耳に届く。叩き込んだ膝は、肘から手を放したカルリーネの右腕に防がれた。

 カルリーネが数歩、後退する。そのまま、カルリーネはふん、と鼻を鳴らした。


「叛乱軍の兵か。貴様がただの一兵卒だというのであれば、そこをどけ。時間の無駄だ」

「……解放軍の副将だ。テメェらが処刑しようとしている人たちは、返してもらうぞ」

「できると思うのか?……くだらんな」


 懐からナイフを取り出し、両手で構えながら、カルリーネは言い放つ。


「神将騎も戦車もなし。見たところ、人数は二十人かそこらか。――その程度の数で、何が守れる?」

「救うんだよ。どんな状況だろうとな」

「見捨てた方が、早いこともある」

「――見捨てられっかよ」


 腰から、大振りのナイフを抜く。本当は日本刀を持ってきたかったのだが、急ぎ用意した時に持ってくるのを忘れた。

 ナイフを構える。構えは正眼。剣術におけるあらゆる型のうち、原点にして最強とされる型。

 獲物がナイフであろうと、護にできることは剣術だけだ。生兵法は自身の命を殺す。


「目の前で助けを求めてる奴がいる……見捨てられるわけがねぇだろうが!」

「青臭いな。……見ろ、現状を」


 カルリーネが手を広げる。それと同時に、轟音が沼地の一部を吹き飛ばした。

 思わずそちらへ視線を向ける。すると、そこには巨大な両刃の剣――神将騎用の剣が深々と突き刺さっていた。

 そこで護は悟る。リミットが――近い。

 こちらへと迫るのは、神将騎〈クラウン〉。今のままでは、太刀打ちできないのだ。


「戦車十台で、ようやく神将騎一機と渡り合える。理不尽な話だ。しかし、それこそが現実。……貴様らには、誰も救えない」

「知るかよそんなこと!」


 一喝。時間はない。しかし、それがどうした?

 諦観では何も変わらないし、変えられない。今すべきことは、動くこと。

 前へ、前へと踏み込むこと。

 だから、ただただ、自分は――


「決めたんだよ俺は……全部、救ってみせるってな!」


 吠え、地面を蹴り飛ばした。カルリーネも応じるようにこちらへと向かってくる。

 しかし。



「――確かに、前へと進まねば勝利の女神というものは微笑みません」



 振り抜かれたナイフが止められた。カルリーネと自分の間に、割って入った影がある。

 右手に持った日本刀でカルリーネの二刀のナイフを防ぎ、左手に持った鉄扇で護のナイフを受け止めている。


「しかし、世界とはそう単純なものではありませんよ、少年。勝利の女神に微笑まれるどころか嫌悪を抱かれようと、結果を得る術は多くある」


 白衣をはためかせ、その女性はそう言った。


「状況は劣勢。故に少年、一度退きましょう。南東へ行きなさい。私たちが五分、時間を稼ぎます」

「何を」


 いきなり現れた白衣の女性、出木天音の言葉に護は戸惑う。だが天音は、有無を言わさぬ口調でこう告げた。


「往け、と。そう申しているのです」


 こちらへ背を向け、静かに告げるその背中。護は知らなかったが、その背中から知らず知らずに受けたものこそが彼女の存在、その証明。

 かつて世界最強国へと牙を剥き、多くを失い、奪われながらも微笑を絶やさぬその強さ。

 何も知らぬ身でも、何かを感じた。故に、護は頷く。


「南東だな?」

「そうです。急ぎなさい、少年」

「わかった」


 背を向け、走り出す。その背後で。


「待て!」

「おっと。少々、私と問答でもしていただきますよ?」


 そんな声と、もう一つ。


 ズンッ!!


 響き渡る、轟音。

 神将騎の到着、その音が聞こえてきた。



◇ ◇ ◇



 ヒスイは、その光のない瞳でぼんやりとモニターを眺めていた。

名無し(エラー)〟と呼称される存在であるヒスイは、親というものがいない。生みの親という意味ではドクターがそうなのであろうが、如何せんあの男に父性など求めるだけ無駄だ。

 故に――彼には感情がない。

 記憶にあるのは、冷たい実験施設だけだ。白衣を着た者たちから毎日のようによくわからない検査を受けさせられ、そうやって生きてきた。

 自分と同じ存在もいた。しかし、いつの間にかいなくなった。気付けば一人だった。

 初めて外に出た時に経験したのは、〈クラウン〉による戦闘だ。

 難しくはなかった。ただ、教えられたとおりに戦えばよかった。そうして色々な敵を殺したら、ドクターが喜んでくれた。笑ってくれた。

 よくわからないけど、正しいことだって知った。

 一度、死にかけたことがあった。自分が殺されるんだって思ったけれど、ドクターが助けてくれた。

 その時、〝死んじゃ駄目だ〟って学んだ。

 だから、体を壊さないようにしてきた。戦争でも、そうやってきた。


『聞こえているかね、ヒスイ?』


 ……うん。聞こえてるよ、ドク。


『まあ、応答は良い。キミも大変だろうからね。さて、目的は単純だ。到着と同時に、可能な限り周囲の敵を薙ぎ払いたまえ』


 大変、っていうのがよくわからないけど。

 うん。わかった。この剣を使えばいいんだよね、ドク?


『無様なものだね、叛乱軍も。神将騎も無しでこんなところに来るとは。如何に〈クラウン〉とはいえ、歩兵に後れを取るほど弱くはいないというのに』


 ドクの言うことは、よくわからない。

 ただ、わかることが一つだけ。

 叛乱軍は……敵。敵は、容赦しなくていい。

 アリスの、敵なんだから。


『そういえば、中尉ももうすぐ戻ってくるようだよ、ヒスイ。キミが創っていたものも、ようやく渡せるのではないかね?』


 うん。頑張ったよ、ドク。アリスが好きなもの、創ったよ。

 アリス、優しい。好き。温かい。

 昔、抱き締めてくれた人にとても似てて。

 でも……あの人より、泣き虫だから。

 だから、好き。

 大好き。

 僕にないものを、いっぱい持ってるから。


『往きたまえ、ヒスイ。私も援護しよう。何、ここで頑張れば中尉も喜んでくれるだろう。褒めてくれるに違いない』


 うん。頑張るよ、ドク。

 アリスに、笑って欲しいから。


 人であり、人であらざる者が――戦場を駆ける。


 ねぇ、ドク? 教えて欲しいんだ。

 前に、言ってたよね? 僕にも、感情が持てるって。

 感情っていうのが、まだ僕にはわからなくて。アリスに心配かけてばかりだけど。


〝あなたは、やっぱり人形なのね〟


 もう、あんなことは言われなくなるのかな?


「……頑張るよ、ドク」

『ああ。頑張りたまえ、ヒスイ』


 うん。頑張る。

 頑張ったら、アリスは笑ってくれるかな?

 そして、僕は――泣けるかな?


 ねぇ、ドク?

 どうなのかな?



 直後。

 砲撃の着弾が、〈クラウン〉を大きく揺さぶった。



◇ ◇ ◇



 眼前、ナイフを構えてこちらを見ている女性から視線を外し、天音は笑みを零した。〈クラウン〉―その神将騎に直撃したのは、対戦車砲の砲撃だ。おそらく、レオンがやったのだろう。


「こうも条件が悪いと、戦車などまともに機能しませんからねぇ」


 視線を向けた先、四台あった戦車のうちの二機が爆発炎上し、残る二台も底なし沼にキャタピラを封じられ、機能停止状態に追い込まれている。

 歩兵同士の戦闘は継続中だ。こちらも何人かはやられているし、逆に何人も殺している。

 ただ――目的であったシベリア人たちの救出は済んだようだが。


「どうしてこうなったかがわからない……そんな表情をしておられますね?」

「……貴様は」

「天音と申します。……あなたには、《女帝》と名乗ったほうがわかり易いでしょうか? カルリーネ・シュトレン殿?」


 微笑を零す。日本刀を鞘へと納め、鉄扇を開いて自身を煽ぎながら、まあ、と天音は吐息を零した。


「悪い布陣ではありませんでしたよ。ただ、難を挙げるとすれば迎撃のための罠を仕掛けたことによる安心――いえ、この場合は慢心でしょうか。そのせいで戦車を失い、有利な立場でありながら五分へと持ち込まれた。

 まあ、そう悲観することもありませんよ。運がなかったのです。何しろこちらには、この私がいたのですから」


 まあ、それが統治軍の運の尽きだろう。普通、対神将騎用の地雷を解体して再利用できる者など想定しない。

 カルリーネが、こちらを睨み据える。


「貴様……!」

「やめておいた方がいいですよ。少年は未熟故にあなたと互角だったようですが、私は少年ほど弱くはありません。第一、あなたを『生かしておいた』のも私の気まぐれですよ?」


 カルリーネの部下を狙撃した時、天音はカルリーネを撃つこともできた。しかし、敢えてそれを選ばなかったのには理由がある。まあ、大したことではないのだが。

 天音は歩を進めると、カルリーネの横を通り過ぎた。そのまま木に背を預け、〈クラウン〉が暴れる戦場を見ながら言葉を紡ぐ。


「まあ、こちらの目的は果たしましたし、一つ聞いてもいいですか?」

「大日本帝国の《女帝》が、何故ここにいる?」

「質問はこちらの番だというのに。……しかし、あなたの部下は優秀ですね。あなたの指示がなくても、青年が率いる部隊と互角以上に戦っている。見事見事です」

「…………」

「そう怖い顔をせずとも。……別に、私は私の目的があってここにいるだけですよ。統治軍だのEUだのに対して何かを思うわけではありません」


 言いながら、視線は戦場に向いている。二人がいる場所もまた戦場であるはずなのだが、ここだけ切り離されているようであった。

〈クラウン〉に対し、レオンも何かしらの策を用意してはいたのだろう。しかし、神将騎を相手にしては歩兵がまともに戦えるわけがない。


 ……もうすぐ五分ですか……。


 だが、時間は過ぎている。後は、護次第だ。


「答えたくないのであれば、構いません。ただの興味ですしね。……何故、あなたは軍属に?」


 ――風が、舞った。

 大跳躍から着地してきたのは、一機の神将騎。

 青き装甲を持ち、左腕を失ったその神将騎の名は――〈フェンリル〉。

 右腕に刀を装備したその神将騎が、〈クラウン〉と相対する。


「さて、ここから先は神将騎同士の戦いですね。……どうしました?」


 こちらへ背を向け、カルリーネは二機の戦いを見据えている。その背へ、天音は問いかけた。

 対し、カルリーネが呟く。


「奏者など……所詮は、パーツだ」


 その言葉には、並々ならぬ想いが込められていた。

 激突。

 戦闘が、終局へと進んでいく。



◇ ◇ ◇



〈フェンリル〉を送り届けたアルビナは、やれやれとため息を吐いた。どうにか底なし沼の近くまで〈フェンリル〉を乗せた荷台を車を使って運んできたものの、森林を前にどうにもできなくなっていたのだ。

 一応、遠距離用の無線で天音が指示してきた場所まで〈フェンリル〉を持ってきたのだが、正直、天音が何を意図していたのかは全くわからなかった。

 ――〈フェンリル〉はもう、完全に沈黙していたのに。


「以前調査した時に、もう動かないとは伝えたんだけどね。全く、先生は何を考えてるんだか」


 言いつつ、まあそれは前からか、とアルビナは苦笑した。昔からそうだ。目的も、理由も、親友と呼べる人間相手にも隠し通す。

 無論、そうしなければ守れないものが多くあるからだ。付き合いの長いアルビナでさえ、天音の涙を見たことはたった二度しかない。

 一度目は、泣きながら何かに憑かれたように雨の中で吠えていた時。

 二度目は、彼女にとって何よりも大切な存在を他者に預けるしかなかった時。

 あまりにも多くの悲しみと重みを背負ったのが、出木天音という女性だ。


「……別に、アタシはさ。大日本帝国も、世界もどうでもいいと思うさね」


 世界、などというものを見れるほど。

 伊狩・S・アルビナには力がない。


「アタシはアタシのことで手一杯。それでも、思うさね。……先生、アンタが幸せになれないのかね、って」


 傍から見ているだけでもわかるほどに、壮絶な人生を歩んできた天音。

 いつか、心から笑える日が来て欲しいとそう思う。


「……おや?」


 視線の先、森を越えて人がこちらへと走ってくる。解放軍の者たちと、おそらくは処刑されようとしていたシベリア人たちだ。


「あなたは……」


 アルビナを見つけ、先頭に立っていた青年が声を上げる。名は聞かずともわかる。レオン・ファン。ソフィアが『青二才』と呼び、天音が『青年』と呼ぶ人物だ。

 アルビナとは幾度となく、《氷狼》として活動していた際に顔を合わせている。故に、アルビナはレオンに対して頷きを見せた。


「事情を説明する暇はないだろう? さっさと乗りな。先生から頼まれててね、アタシがアンタたちを送り届ける」

「しかし、護と先生が……」

「あの二人がこんなところで死ぬようなタマかね?」


 言い切る。そして、アルビナは包帯の巻かれた左腕で荷台を示した。


「負傷してる奴もいるんだろう? 一応、治療用の道具も持ってきた。多少荒い運転になるけど、我慢して欲しいさね」


 さあ、乗った乗った――促し、アルビナが車に乗り込むと、強引に陸路を走ってきた列車の荷台に顔を見合わせながらも解放軍の兵とシベリア人たちが乗り込んだ。その中で、レオンはアルビナの隣――助手席へと滑り込む。


「質問、いいですか?」

「走りながらでいいんならね。――全員、掴まってなよ!」


 ギャギャギャ、という鋭い音を響かせ、車の車輪が回転する。天音が用意した――改造した――車だ。その馬力は市販のものを遥かに凌駕する。

 荷台を引きながら、疾走を始める車。悪路であるために力づくでハンドル操作を行うアルビナに、レオンが声を張り上げた。


「アルビナさん! あなたが〈フェンリル〉を!?」

「そうさね! 先生に頼まれたんだ! あんな動かないはずのガラクタをどうして、とは思ったんだけどね!」

「ガラクタ!?」

「そうさね! ガラクタだ!」


 声を張り上げなければ、相手に届かない。アルビナは、更に続ける。


「神将騎ってのは、起動自体は奏者じゃなくてもできるようになってる! だけど〈フェンリル〉は《赤獅子》にやられて沈黙した! あの坊やにも教えたよ! 動かない、ってね!」


 護には、起動さえしない状態だと告げた。しかし護はそれに頷いただけで、一歩歩み寄り、言ったのだ。


〝――フェンリル〟


 機体の名を呼んだだけだ。しかも、他者が後から付けた名を。

 しかし、それだけで。


「だけど、動いた! 理由はわからない! でも、〈フェンリル〉は動いたんだ!」


 こちらの確認不足か、それとも違う要因があるのか。神将騎は未だに不明な部分が多い存在だ。そういうのもあり得るのかもしれない。

 それに、とアルビナは思う。かつて、天音がとある神将騎に対して言っていたのだ。


〝まるで、搭乗者を守っているかのようですね〟


 機械が人を守る?……ふざけた話だ。しかし、あの天音が言うのだから一概に否定できない。

 ただ、言えるのは。


「後は、坊やと先生に任せるしかないさね!」


 遠くから。

 剣戟の音が聞こえたような気がした。



◇ ◇ ◇



 すでにレオンたちは撤退した。敵の部隊も、今こうして相対している〈クラウン〉以外は撤退を始めている。底なし沼へと沈んでいくいくつもの死体は、この戦いで散っていった者たちだ。

 剣を構える。左腕はない。あれは、〈ワルキューレ〉に奪われた。

 振るった一撃が、展開された〈クラウン〉の盾に防がれる。やはり〈毘沙門天〉に比べると、〈フェンリル〉の出力はあまりにも頼りない。

 しかし――やはり、こちらの方が手に馴染む。


「お、お」


 意図せずして、咆哮の声が漏れる。二年間、ずっと共に戦ってきたのだ。

 死にかけたことは、一度や二度ではない。いや、毎日が必死だった。


「おお、お、おおおっ……!」


 命を懸けて、全力で活路を見出す。そうやって、生きてきた。

 随分長く――旅をしたものだ。

 ……だけど。

 その果てに望むものは、二年前から何一つ変わっていない。


「どけ……!」


 救うと決めた。助け出すとそう決めた。

 あの時、力づくでも取り戻せばよかったのではないかと、そう何度も思ってきた。


「どけよ……!」


 けれど、悔やんだ過去は変わらない。変えられやしない。

 未来はわからず、先のことは何一つとして見えやしない。

 ――ならば。

 今を戦い、未来を変える!


「そこを、どきやがれぇぇぇっっっ!!」


 振り抜いた一撃が、〈クラウン〉の左腕をかちあげた。反射的に左腕を突き出そうと機体を動かす。しかし、そこで気付く。


 ――しまった!?


 左腕の欠損――その事実を忘れていた。

〈フェンリル〉が左半身の状態になり、〈クラウン〉の懐へ潜り込む。密着した状態。あまりにも近すぎるこの距離では、攻撃を加えることができない。

 どうする、そんな思考が脳裏を駆け巡った時、体は勝手に動いていた。


「――――!」


 両足へと力を籠め、身を屈める。〈クラウン〉と接触しているのは左肩だ。

 ――そして。


 ――――――――!!


 轟音が響き渡った。零距離からの一撃に、〈クラウン〉が大きく吹き飛ばされる。奇怪なことに、左肩と接触していた前面の装甲は大したダメージを受けていないのに、その背部の装甲が吹き飛んでいた。

 寸勁、と呼ばれる技がある。ここでは鎧透し、と呼ぶべきかもしれない。

 武術とは、究極的なことを言えば目的が『相手の破壊』に終始する。寸勁、鎧透しと呼ばれる技は相手の内部――内臓に対して直接衝撃を叩き込む技だ。

 無論、護は理屈をわかってやったわけではないし、寸勁という名さえ知らない。

 だが――知っている。

 幼少期より叩き込まれた武の技がそれを可能とする習熟を護に与え、同時に、彼自身がその技を体験しているのだ。

〈アロンダイト〉――大日本帝国の神将騎が護へと叩き込んだ正体不明の一撃こそが、その『寸勁』だった。

 中空へ浮かぶ〈クラウン〉。剣を握り締め、護は追撃へ向かう。


 キュボッ!!


 駆け出した〈フェンリル〉の左足が吹き飛んだのは、その瞬間だった。



◇ ◇ ◇



「試作型超駆動砲〝アルマゲドン〟……やはり、改良すべき点はいくつかあるようだねぇ」


 紫煙を吐き出しながらそんなことを言ったのは、仮面を着けた長身の男だった。ドクター・マッド。そんな彼の背後には、全長十メートルはくだらない巨大な砲身と装置がある。


「まあ、今日はデータ収集が目的だ。――もう一発」


 言いつつ、ドクターが手で合図をした。瞬間。


 ――閃光が、駆け抜けた。


 放たれたのは、極大の閃光。圧倒的な一撃が、森林を抉りながら突き抜ける。それは先程の一発目で左腕を奪われていた〈フェンリル〉を狙い撃つが、僅かに逸れて地面に着弾。大爆発を起こし、〈フェンリル〉と〈クラウン〉が衝撃で吹き飛んだ。

 既存のあらゆる兵器を超えるであろう、圧倒的な破壊力。ドクターは、ふむ、と言葉を漏らした。


「照準が甘いねぇ。それも含めて今後の課題か。……それに」


 振り返る。その視線の先で、砲身がその熱によって融解し、周囲の装置も次々と爆発を起こしていた。この時代に有り得てはならない威力の再現。その代償は、大きい。


「耐久力にも難あり。まあ、思いつきで造ったものだからここいらが限度だろうね」


 どこか楽しそうに呟き、ドクターは無線を取り出す。そのまま、ヒスイへと言葉を紡いだ。


「ヒスイ、帰還したまえ。作戦は終了だ」

『……うん』

「待っているよ」


 その言葉と共に通話を切り、さて、とドクターは戦場を見た。すでに部隊は撤退している。カルリーネがいないのが気になるが、まあ、あの女がそう容易く死ぬとも思えない。合流地点に先へ向かうべきだろう。

 それよりも、今はこの〝アルマゲドン〟についてだ。


「打てる手は全て用意しておきたい、というのが我が隊長殿のご要望だ。くっく、さあ、楽しい時間の始まりだ」


 戦場へと背を向け、ドクターが言い放つ。


「――この歪んだ歴史を先へ進めようじゃないか!」


 それは、かつてとある異端者が紡いだ言葉。

 それが再び世界へ放たれ、事態は更なる混迷へと堕ちていく。


 戦場に響くのは、仮面の男の哄笑だった――……



◇ ◇ ◇



 完全に沈黙した、二年もの間共に戦ってきた相棒。それに対して銃を向けると、護は呟くように言った。


「……ありがとう」


 乗っている間に、理解していた。再び機能が止まる時、〈フェンリル〉は本当の意味で沈黙すると。そもそもから、再起が不可能な状態だったのだ。それがどうしてここまで機能したのかはわからない。

 奇跡……いや、違う。そんな呼び方をしてはならない。これは現実だ。

 だから、かける言葉は一つだけ。


「除隊を、許可する」


 発砲した。

 乾いた音が響き渡った。

 更に、中空へと一発だけ銃弾を解き放つ。


「ありがとう」


 もう一度だけ、呟いた。

 それは、手向けの言葉であり。

 別れの言葉。


 ――数多の死体を残し。

 表現の餓狼が、新たなる戦場へと歩を進める。



◇ ◇ ◇



『証明だ』


 決着が着き、戦闘が終わった場所で天音は一人、佇んでいた。思い出すのは、カルリーネの言葉だ。


『我が父は、我らの領土を守るために戦い、戦死した。……奏者共が弱かったためだ。奴らの怠慢が、我が領地の領民たちを奪い、その営みを破壊した』


 しかし、と彼女は言った。

 強く拳を握り締め、何かを堪えるように。


『責めを受けたのは我が父だった。死人に口なし。故に、私は証明するのだ。我がシュトレン家が背負ってきたものを。我が父の名誉を守るために』


 弱い奏者のために、領地を踏み荒らされたとカルリーネは言った。そしてその責任が、父に被せられたのだと。

 だからここにいると、その貴族はそう告げた。

 ただ――それだけだと。


『貴様には、わからんだろうな』


 そして。


『我がドイツはここのところ、凶作に苦しんでいる。我が領民たちも例外はない。……私は、彼らの笑顔を取り戻すためにここにいる。その営みを守り、導くのが私の役目だ』


 その者は、そう言って。


『統治軍が得る利益は、我がドイツの――我が領民たちの糧とする。邪魔はさせん。貴様には理解できんだろうが、それでもいい。領民たちの、あの者たちの笑顔だけが我が理由なのだ』


 その場を、立ち去った。


「……理解できない、ですか」


 苦笑を零し、天音は呟く。


「私はずっと……笑顔のために戦っているんですがね……」


 ままならないですねぇ、と。

 灰色の空を見上げながら、天音は呟いた。



◇ ◇ ◇



 凱旋とは、正直呼べなかった。付いてきてくれた二十人の兵たちのうち、生き残れたのは八人ほど。救いがあるとすれば、処刑されようとしていたシベリア人たちを全員救えたことくらいか。

 彼らには何度も礼を言われたが、気にすることではないと思う。やるべきことをした結果なのだから。


「……ここへ戻ってくるしかねぇのかよ」

「そう言うな。仕方ないだろう」


 ここが拠点なんだ、とレオンが言った、護は舌打ちを零すと、黙ってそれを見上げた。

 アルツフェム。その外壁の上には、無数の人影があった。


「おい、あれ……」


 不意に、外壁の人影から声が聞こえた。何だ、と思って眉をひそめると、言葉が人影の中を爆発的に駆け巡っていく。


「帰ってきたぞ……!」

「勝ったんだ……!」

「救い出したんだ……!」


 わっ、という歓声が上がった。それはすぐさま、おおっ、という閧の声に変わる。


「《氷狼》の護様だ!」

「アストラーデ将軍!」

「統治軍の罠をものともしないなんて!」


 何だ、と護は思った。こちらを称賛するような、この声は何だ、と。

 自分はソフィアに背いて戦場に立った。そして、何人も死なせた。救えたが――死なせたのに。

 何故、こんな声が聞こえるのだ?

 ――不意に。


「手を振り返しなさい、少年」

「えっ?」

「あなたには、受け取る義務があります」


 天音の言葉が聞こえた。護は首を傾げながらも、右手を挙げ、軽く振る。



 ――――――――!!



 凄まじい歓声が、大気を揺るがした。


「護様!! 我らがシベリアの救世主!!」

「奇跡を起こし、我らを導く英雄!!」

「《氷狼》護・アストラーデ様!!」


 響き渡る閧の声が、たった一つの事実を告げている。

 ――英雄の誕生。

 この時、確かに。


 護・アストラーデという青年が。

 正しく、英雄と相成った。


 たった一人の少女を救うために戦う、一人の青年。

 ――しかし。

 最早彼は、救世主となってしまった。


 自分を殺し、他者を救う英雄と――そう呼ばれるようになった。

 

 ――その道行きが、歪んでいく。

というわけで、護くんの一つの結果です。遂に英雄と呼ばれるようになってしまいました。

護・アストラーデという青年に対しての詳しくは、ここでは語りませんが……ここから、徐々に彼の道行きは歪んでいきます。

カルリーネやソフィアたち、上に立つ者の想いも感じ取っていただければ幸いです。


ありがとうございました!!

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