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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
30/85

第二十四話 〝犠牲〟と〝意味〟


 シベリア連邦東部。城塞都市アルツフェム――その中にある部屋の一室にあるベッドに、一人の青年が横たわっていた。

 護・アストラーデ。

 義賊集団《氷狼》の一員であり、〈毘沙門天〉の奏者でもある青年。しかし、いつの間にか《氷狼》という名は彼が所属していた僅か五人で構成される――もう三人になってしまったが――組織の名ではなく、彼個人の名を示すものになっていた。

 いや、なってしまったというべきか。


「…………」


 眉を歪め、どこか辛そうな表情で眠る護。それをベッドの側で見守る影は二つある。一人は護の体調を心配し、看病を続ける少女――レベッカ・アーノルド。

 もう一人は、部屋の壁に背を預けて何事かを考え込んでいる青年――レオン・ファン。

 この二人もまた、二年もの間護と共に戦ってきた者たちだ。しかし、だからこそ倒れてしまった護の体調を案じている。

 いや、二人だけではない。護の部屋には、彼の安否を気遣う者たち……主に、兵士ではない一般のシベリア人たちからの見舞い品が溢れていた。アルツフェムでは彼らに対しては十分なものを与えてやれていないのが現状だ。だというのに、その僅かな手持ちから護への見舞い品を送ってくる。

 ――護・アストラーデ。

 解放軍……いや、シベリア軍に対して彼は良い感情を抱いていない。大将であるシベリア王女ソフィア・レゥ・シュバルツハーケンとも衝突している護は、それ故に解放軍副将という立場にありながら明確な部下を持っていない。一応、レオンやレベッカ、天音などは彼の部下の扱いだが、彼にしてみればそんな感覚はないだろう。


「……目、覚まさないね」

「もう、三日か」


 呟きに対し、レオンが即座に応じてくれた。そう、三日。護がこうして意識を失ってから、もう三日目だ。

 先日、護とアランの二人が先行した収容所の襲撃で、護の僚機である〈毘沙門天〉とアランの僚機である〈セント・エルモ〉が破損した。二機共に今は天音の指揮の下修復中で、出せる状態にない。

 それでも解放軍自体は進軍を行っており、今も歩兵と戦車を中心に作戦行動は行っている。だが、解放軍にとって最大最強である二機の神将騎という戦力が動けないことは痛手だ。しかも、その戦力を操る護という奏者が沈黙している状態は、一刻も早く打破しなければならない。

 それほどまでに――護・アストラーデは解放軍において強大な存在になっていた。

 力持つ者の宿命ではある。しかし、彼はそれを自覚していないから性質が悪い。今の彼は彼なりの理由と正義で動いている。しかし、このままではいつか壊れるだろう。

 レベッカにだってわかるのだ。この戦いは、そこまで甘いものではない。このまま進めば、きっと醜さが前面に現れる。

 多くが死に、多くが喪われてきたのだ。これからもきっとそうだろう。

 ――その時、護はどうするのか。

 奪われた事実に対し、憎悪を抱かずにいられるのか。敵に対し、殺意を――悪意を、抱かずにいられるのか。

 無理だと思う。誰であろうと無理なことだ。悪意も殺意も抱かずに敵を定めることは、きっと聖教が謡う聖人でさえもできないだろう。

 故に、思うのだ。

 彼は、護は――


「……このまま、寝ていたらいいのにね」

「…………」

「目を覚ましたら、護はまた戦う。きっと、戦い続ける。……二年前から、ずっとそう。誰よりも前で戦う護の、その背中を見ているしかできなくて」

「それがそこの馬鹿が選んだ道だ」


 レオンの言葉が聞こえ、レベッカは迷った後、頷いた。二年前、自分たちの前に姿を現した護は、〈フェンリル〉を見て言ったのだ。


『そいつを俺にくれ』


 雪原に額を擦り付け、必死に護はそう言った。その時の彼はまだ自身が〝奏者〟であることを知らなかったし、確証もなかったが、それでも力を求めた。

 動かすこともできないのに、組み上げて創り上げた〈フェンリル〉という神将騎……あれが護の想いに応えて動き出したのにはきっと意味があったのだろうと、今ではそんなことを思うくらいだ。

 ……それを始まりとして、こんなところまで来ることになるとは思っていなかったけれど。


「護は、どうしてこんな風になるまで頑張ってるんだろうね?」

「感情的な馬鹿だから、案外単純なことだとは思うがな。……前々から聞いていたことで言うなら、『敗北に対する抵抗』だな」

「シベリアは負けていない。苦しむ人たちを無視できない……だよね?」

「目の前で泣いている奴がいたら、迷わず手を差し出すような馬鹿だ。……持つ者が施しをすることは容易い。だが、護は何も持っていなくても、自身の身を切ってでも手を差し出す。とんでもない阿呆だ」


 まあ、だからいいんだがな、とレオンは苦笑する。レベッカも頷いた。


「でも、それだけなのかな?」

「ん?」

「護は優しいし、私の目から見ても真っ直ぐ過ぎると思う。……でも、ただ優しいだけでここまでできるのかな?」


 だって、とレベッカは言葉を作った。


「アランさんに聞いたら、ここに戻る前……一度倒れた後、すぐに起きたんだよね? そしてここに戻ってきてから、先生に……」

「静脈に麻酔注射だ。……先生によると、一時間程度で効果が切れるはずらしいが」

「それだけ、疲れてたんだよね……」

「わかってはいたが、聞かないからなこの馬鹿は……」


 呆れたようなレオンの声。レベッカとしても苦笑するしかない。あの時も、天音が無理矢理止めなければそれこそ本気で動けなくなるまで休むことをしなかっただろう。

 そして、三日もの間、眠り続けている護。レベッカはレオンに背を向けた状態で、ねぇ、と問いかけた。


「護が持って帰ってきたものって、何だったの?」

「…………」

「言えないもの?」


 振り返らぬまま、レベッカはレオンに問いかけた。頷きが、気配で伝わってくる。


「知らなくていいものだ、あれは。……知ってどうにかなるようなものでもない」

「先生が言ってた、『少年の理由』が何か、レオンはわかった?」

「それはわからない。俺もまだあれを詳しく精査したわけじゃないから、一概には言えないが」

「そっか」


 頷く。


「少年って、護のことだよね?……その、理由か」

「この馬鹿が何かを隠してる……違うな、抱えているのは前からわかっていた。理由などというものは人それぞれだ。言いたくないことがあるなら無理に聞かないのは基本だろう?」

「確かに」


 苦笑を零し、レベッカはでも、と言葉を作った。


「これからは、『そう』じゃいられないんだよね」

「……この馬鹿は、名実共に英雄になりつつある。俺たちが勝てば救国の英雄になり、負ければ大逆人として真っ先に処刑されるだろう。それは、こいつの理由が最早こいつだけのものではなくなりつつあるということでもある」


 護は、解放軍の戦力における要だ。その戦闘能力の高さから末端の兵士たちからの信頼はあるし、一般の者たちからの人気は言わずもがなだ。そう……彼は、正しく英雄となりつつある。

 その彼が掲げる理由は、最早彼だけのものではない。彼の理由は人に知らしめるものであり、そして、彼を認める者たちが理解できるものでなければならないのだ。


「……こいつは、何を抱えている?」


 問に対する答えはない。ただ、静かな沈黙が流れるだけだ。

 空気が制止したような、そんな空気が部屋に充満する。それが数刻流れた後。


「――少々、邪魔をしますよ」


 一人の女性が入ってきた。出木天音。白衣をその身に纏い、眼鏡をかけた女性は彼女にしては珍しく真剣な表情で部屋に入ると、護が眠るベッドの横に立った。そしてそのまま、彼女は護の胸倉を掴みあげる。


「ちょっ、先生――」

「起きなさい、少年」


 レベッカの言葉を無視し、天音は言い放った。うっ、という呻き声が護の口から漏れる。天音は、更に言葉を続けた。


「寝ている時間は終わりです。夢見は実に都合がいい。自分を責めることも、慰めることも、自己陶酔さえも、夢は勝手に果たしてくれます。しかし、そんな逃避はここまでです。救うのでしょう? 守るのでしょう? 聞かねばならないことも、問わねばならないことも、確かめねばならないことも多くあります。しかし、今はその時ではありません。

 起きなさい、少年。今ここで目を覚まさなければ、あなたは多くを失う。しかし、立つのであれば多くを得られるでしょう。英雄となるしか、最早あなたには道がありません。――なればこそ」


 起きろ、と天音はそう言った。そして。


「――人を救うために、立ち上がりなさい。氷原の餓狼」


 言葉を受けてなのか、どうなのか。

 呻き声を漏らしながら、護がその目を開いていく。


 ――最悪の戦闘が、待ち受けているとも知らずに。



◇ ◇ ◇



 シベリア連邦における最大規模の河川、テュール川。城塞都市アルツフェムと首都モスクワの丁度真ん中に位置するその河川は、叛乱軍にとっては最難関ともいえる河川だ。

 すでにテュール川の西側――首都の側には、統治軍の部隊が展開されつつある。その規模は五万。叛乱軍はどれだけ多く見積もっても、精々二万。数ではこちらが上だ。

 しかし、相手の本拠はあの難攻不落の城塞都市アルツフェムだ。あそこに籠城されると、統治軍も相当な被害を被ることになる。

 故に、統治軍総督ウィリアム・ロバートは判断した。

 ――迎え撃つ。

 収容所のいくつかが攻略され、ある程度叛乱軍の数が増えることと、こちらがそれなりの被害を受けることを容認したうえで、相手が全力を以て進軍してきたところを叩き潰す。そのための軍の展開だ。

 そして、実際にその状況を動かすために動いているのが、ここにいる貴族軍人だ。


「準備を急げ。開始時刻は一三〇〇だ。一秒の遅れも許さん」

「了解しました!」


 空色のポニーテールの女性軍人――カルリーネ・シュトレンの指示に、彼女の周囲にいる軍人たちが応じ、動き出す。彼女たちがいるのは、テュール側の東にある森林地帯の一角だ。

 妙に開けた場所で、永久凍土と呼ばれるシベリアの大地でありながらも凍らぬ沼が特徴的な場所だ。


 ……周辺住民によれば、『底なし沼』だったか?


 実際に底がないということはありえないだろうが、このシベリアの大地には巨大な地下空洞が存在する。そこへ落ちることを考えれば、確かに二度と戻っては来れないだろう。

 統治軍も。幾度となくシベリアの地下に広がる大空洞の調査は行っている。だが、直線ではなく曲がりくねった道であることや、地下であるが故に無線もまともに通じないこともあり、成果は上がっていない。

 世界中には、古代にあった黎明の時代を伝えるという遺跡が数多く残されており、その遺跡にはフレームが劣化した状態の神将騎が数多く封印されている。大戦や技術的な問題もあり、まだ発見されていない遺跡は数多くあるとされている。シベリアの大空洞もその類とみる者は本国にも多い。

 だからこそ、神将騎の確保の面も含めて調査を行っているのだが……まあ、それはいい。

 今は――叛乱軍だ。


「叛乱軍が消えれば、その調査も容易くなる。これは罠であり、寄せ餌だ。……シベリア人の命で《氷狼》が狩れるのであれば、安い買い物だ」


 叛乱軍の重要戦力である、《氷狼》が駆る神将騎――〈毘沙門天〉。カルリーネも、統治軍総督であるウィリアムも、シベリア第三王女ソフィア・レゥ・シュバルツハーケンなど全くと言っていいほど危険視していない。あれはあくまで旗印であり、実際的な脅威は別だ。

 無論、フランス革命に参戦し、最前線で戦った傭兵の駆る〈セント・エルモ〉も問題ではある。だが、あくまで傭兵であるし、〈ワルキューレ〉が負傷させていることからも組することができる相手ではある。


 ……あの《裏切り者》を結果的にとはいえ評価するのは、気に障るがな……。


 今は置いておく。カルリーネは〝奏者〟というものが嫌いだ。所詮は神将騎を動かせるだけのパーツに過ぎない存在でありながら、まるで神聖な何かであるかのように扱われる。

 守れないくせに。

 守ってなど、くれなかったくせに。

 戦うしか能がないくせに、それさえ満足に果たせないくせに。

 それでも、彼らは評価される。

 それが――腹立たしい。


「――少佐殿」


 不意に声をかけられた。振り返ると、この作戦において彼女の副官を務める男がこちらに向かって敬礼をしている。


「部隊の展開は終了しました」

「そうか。よくやってくれた。……『人質』たちは?」

「今は大人しくしております。抵抗した者は取り押さえました」

「それでいい。――約束とは、対等な関係でこそ結ばれるものだ」


 視線を動かす。彼女の視界に映るのは、底なし沼の側で膝をつき、怯えた表情で周囲を見ているシベリア人たちだ。近隣の村から集めた彼らを、カルリーネは今日、ここで処刑する。

 処刑の理由は単純。――『叛乱軍への協力』だ。統治軍とはその実態がどうあれ、目的はシベリア連邦の治安維持だ。叛乱軍とは統治軍にしてみれば治安を乱す存在でしかない。それに協力するということは、そのまま統治軍への反逆になる。


 ――まあ、無論それは建前だがな。


 内心で呟く。実際のところ、事実関係などどうでも良く、その『可能性』さえあればこの状況には持っていけるのだ。

 叛乱軍の大義名分は、シベリア第三王女を旗印とした『シベリアの奪還』だ。そこには無論、『シベリア人の救済』がある。シベリア人たちが置かれている過酷な現状の打破――大義名分として、一度敗戦した王族が立ち上がるためにはそれが必要だ。

 つまり、彼らには『理由』と『証』が必要ということである。

 ただただ、王族がいればいいというものでもない。そもそも、シベリア連邦は王族の敗北があったからこそ敗戦した国だ。そんな国で王族がただ立ち上がったところで、民はついて来ないだろう。

 だからこそ、叛乱軍は《氷狼》という義賊を全面的に押し出し、また、シベリア第三王女は敗北しながらもこの現状を打破するために再び立ち上がったという姿を見せた。そうしなければ、支持など得られないからだ。

 ――故に。

 カルリーネとウィリアムは、こう思った。


「反乱軍に与したために処刑される者たち……それを、奴らは見捨てるか?」


 罠であることは間違いない。そんなことは子供でもわかる。実際、後方には四機の神将騎が待機しており――もっとも、彼らの出番はないとカルリーネは踏んでいるが――歩兵も五十人近く。沼地とはいえ、周囲は木々で覆われた森林地帯だ。用意された対戦車砲や設置型機関銃は周囲からの攻撃を受けるためのものであり、準備は万端。

 そして、たとえ〈毘沙門天〉や〈セント・エルモ〉が出てこようとも迎え撃つ策をカルリーネは用意している。

 普通の神経ならば、ここは『見捨てる』のが常道だ。こんな死地とも呼べるような戦場に飛び込むのは馬鹿のすることであり、正気を保つ者のすることではない。

 しかし、見捨てれば――叛乱軍は、多くを失う。

 シベリアの民が喪われることを知りながら、放置した……それは、叛乱軍がその大義名分を真正面から否定することに等しい。口だけだ、とシベリアの民が思ってしまえば、あのような組織はすぐに壊滅する。

 そしてここに来れば、やはり罠に嵌められ軽くない被害を被るだろう。


「さて、どう出るつもりだ叛乱軍?」


 ここのところの彼らの活躍は目覚ましい。ここらで楔を打ち込んでおかないと、後々必ず苦労する。

 故に、カルリーネは確実な方法をとった。

 卑怯だろうとなんだろうと、勝者が全てだ。あらゆる周囲の雑音は、勝利の前には掻き消される。


 ――そう。

 たとえ、自らを《裏切り者》へと貶めながらも戦う少女との契約を破ってでも、為さなければならないことがある。

 だからこそ。


「どちらに転ぼうが、地獄には変わらない。どうするつもりだ、氷原の餓狼?」


 呟きは。

 風に紛れ、霧散する。



◇ ◇ ◇



 勢いよく開かれた扉の向こうにいたのは、解放軍のトップたちだった。そのうち、ソフィアがこちらを見ると、ほう、と呟きを漏らす。


「目を覚ましたか小僧。いつまで経っても目を覚まさぬと聞いていたから、もう目を覚まさぬものと思っていたぞ?」

「今さっき目ェ覚ましたよ。迷惑かけたな」

「小僧! その口のきき方は――」

「よい、セクター。アランは私にしてみれば忠臣。貴様と同じで、裏切ることがないと信じられる相手だ。しかし、本来副将という立ち位置は私の対極に立つ者――私が過つ時、その首を躊躇なく狩れる者でなければならぬ。この小僧の物言いは、こうでなくてはならぬのだ」


 笑みを浮かべるソフィア。セクターは不承不承という体で頭を下げ、ソフィアの後ろに控えているアランは苦笑しただけだった。彼は基本、こういう場では何も言わない。

 すう、と息を吸う音が聞こえた。レベッカの前に立つ護が、鋭い言葉を口にする。


「――こんなとこで何してやがんだよ、テメェらは」


 怒気、とは違う。ただの感情であり、理性。

 護はよく、レオンと作戦で衝突することがあった。それはレオンの作戦が、僅か五人という少数である《氷狼》の生存を考えた戦略を練れば、それは自然と『犠牲を認めた』ものとなる。

 そして、護はその『犠牲を認めない』ことに終始した。それは感情論で、冷静に見れば納得できるものではない。

 しかし、だからこそ《氷狼》は崩れなかった。

 救えないこと。犠牲を出すこと。それを受け入れてしまい、精神が摩耗していくことを否定できた。

 しかし、今は。

 前に立つ、『感情』である護と。

 横に立つ、『理性』であるレオン。

 その二つが重なった。理由は違う。しかし、目的と結論は同じだ。

 ――故に。


「こんなとこで、何をボケッとしてんだよ? あと、二時間しかねぇんだぞ!」

「何の話だ、小僧?」

「とぼけないでください、陛下」


 声を上げたのはレオンだった。青二才か、とソフィアが頷く。


「東部の収容所攻略はご苦労だったな」

「それは後程お願いします。今は、差し迫った現実が問題です」

「ほう?」

「……本日十三時、シベリア人の処刑が行われる。知らぬとは言わせませんよ、陛下」


 ピクッ、とソフィアの眉が跳ねあがった。それを受けてなのか、護が声を張り上げる。


「んなこと言ってる場合かよ! もう時間がねぇ! 今すぐ助けに行くしかねぇだろうが!」

「黙れ小僧。できるわけがなかろうが」


 言ったのは、セクターだった。護が鋭い視線をそちらへ向けるも、セクターはふん、と鼻を鳴らすだけに留まる。そのまま、彼はいいか、と前置きをすると共に言い放った。


「キサマの〈毘沙門天〉もアランの〈セント・エルモ〉も今は動かせる状態にない。そうだろう?」

「動かすことはできますが、修復箇所の修繕は出来ていません。私個人の見解としては、ここで出撃するのは二機の神将騎を失うのと同義と思います」


 言ったのは、レベッカの後ろで扉に背を預けている天音だ。彼女はいつもと変わらぬ微笑を浮かべ、立っている。

 十三時に、シベリア人たちが処刑される――その情報をくれたのは天音だった。しかも彼女によると、それは巧妙にこちらへ届くよう操作された情報だったらしい。

 その彼女の言葉を受け、セクターはため息でも零しそうな表情で言葉を紡いだ。


「ふん。聞いた通りだ小僧。神将騎もなく、どうやって――」

「いらねぇだろそんなもん!」


 セクターの言葉を遮り、護は叫んだ。拳で壁を叩き、更に言葉を紡ぐ。


「手を伸ばせば届くんだよ! 銃は、剣は、戦車は! ここにいる軍人共は飾りか!? 神将騎!? そんなもんはただの兵器だ!」

「何だと小僧……」

「人を殺すための道具に、兵器以外の呼び名があんのか!? 動かせねぇなら仕方ねぇ! 俺は行く! 神将騎があろうとなかろうと、やることは変わらねぇんだよ!」


 いつもの護だ、とレベッカはそんなことを思った。

 自分が持てる手札を用いて、それを持って前へと進んでいく。

 対し、セクターは吠えた。


「ほざけ小僧! これは罠だ! 間違いなく、奴らは我々を万全の状態で待ち構えている! そんなところに飛び込んで、生きて帰れるわけがなかろうが!」

「やってみなくちゃわかんねぇだろうが!」

「聞き分けろ小僧! 行くことは許さぬ!」


 セクターが吠え、手を挙げると同時に、扉が開いた。おや、と声を上げる天音の前を通り過ぎ、幾人もの兵士たちが部屋へとなだれ込む。


「テメェ……!」

「――悪く思うな、小僧」


 睨む護の視線の先、ソフィアが呟くようにそう言った。周囲の兵士たちが、銃を構えてこちらを見ている。


「貴様が良くても、我らが貴様を失うことは避けねばならぬ。……必要な犠牲だ。割り切れ、小僧」

「犠牲だと……!?」

「そうだ。ここで彼らを見捨てれば、確かに我らは大義名分に陰りを見せる。しかし、大義名分を守るために勝利のための力を失うなど愚の骨頂。理解せよ、小僧。これが現実だ」

「そんな現実――!」


 護が前に進もうとする。だが、それを目にしながらもレベッカは別のことを考えていた。

 ソフィアの、一言。たった一言が、どうしようもなく――


「――犠牲って、何ですか?」


 その言葉が自分の口から漏れたことに、最初は気付かなかった。自分は護やレオンとは違い、立場を与えられた人間ではないし、そういう人間でもない。

 だから、言葉を発するつもりはなかった。


「――――」


 不意に、背を叩かれた。軽く、撫でるように。見ずともわかる。天音だ。

 周囲の驚きの表情は、彼女の挙動によるものか。ただ、レベッカにとってはどうでもいい。天音の動きの理由は、理解している。


『往きなさい』


 そういうことだ。そしてそうする、理由がある。


「犠牲って、何なんですか? 本当にそれは、必要なことなんですか? 助けを求めている人たちがいるのに、それを見捨てることが……正義なんですか?」


 言葉は溢れる。誰もが黙ってこちらを見ている。

 怖いと思う。こういうのには慣れていない。

 ――だけど。

 確かな理由が、胸の奥に燻っている。


「私の村は、大戦で囮に使われました。……父も、母も、村の人たちも。シベリア軍が助けてくれるって、そう信じて待ってたのに。それなのに、皆が殺されて、何もかもが終わるまで。誰も、助けてはくれなかった」


 EU軍が村へ迫っていると聞き、誰もが恐れた。しかし、信じてもいたのだ。シベリア軍がきっと、助けてくれると。

 だけど。

 現実は、何一つ救ってなどくれなかった。


「犠牲って、何ですか?」


 だから、レベッカは問いかける。

 きっと、処刑されようとしている人たちは待っているはずだ。救いを、ただただ信じて待っているはずだ。

 あの日のように。あの時のように。


「犠牲で、誰かが救えるんですか? あなたたちが言う犠牲を――目の前で苦しんでいる人を、救ってくれないんですか?」

「小娘、キサマ……!」

「触れるな」


 こちらへと近付いてきたセクターを、レオンが止めた。その背中に安心を得、レベッカは言い放つ。


「救ってください」


 言って、気付いた。

 違う。そうじゃない。

 救ってもらうのではない。だって、自分には。私たちには――


「救わせてください」


 立ち上がるだけの理由があり、意味がある。そして、力も。


「あなた達が救わないなら、私たちが救います」


 一人では何もできない。こんなところまで来て、そして、多くを学んだとはいっても……所詮、小娘だ。

 だから、仲間がいる。信じられる友人がいる。

 血に染まった道であっても、共に歩むことができる者たちが。


 空気が、静まり返った。その中で、一人の青年が動きを見せる。


「よく言った、レベッカ」


 護だった。自分やレオンよりは遥かに多い銃口を突きつけられながら、それでも退かずに立つ背中。

 少年、と後ろから声が聞こえた。天音だ。


「ここから処刑が行われる場所まで、一時間ほどかかります。急いだ方がいいと思いますが?」

「わかった。……今更、テメェらに何も期待はしねぇよ」


 どけよ、と護が言った。


「何が犠牲だ。何が仕方ないだ。――だったら今すぐテメェらが死んで来いよ!!」


 一喝が響いた。銃持つ兵士たちが身を竦ませるが、護は構わず拳を壁へと叩き付け、怒鳴りつける。


「テメェらが持ってるそれは何のためにある!? 何のために力を持った!? 人を殺してでも、傷つけてでも!! 守りたいもんが、救いたいもんがあったからだろうが!! 今手を伸ばせば救えるんだよ!! 助けられるんだよ!! 何やってんだよ俺たちは!! テメェらは!!」


 どうして、と護が叫んだ。

 何度も何度も聞いた、彼の心を占める一番の言葉を。


「――どうして、こんな簡単なことさえできねぇんだよ!!」


 簡単なこととは、救うこと。……いや、違う。救うために動き出すことだ。

 戦えば、誰かが死ぬ。死んでいく。それでも、そのために動き出すことは決して間違いではないはずだ。

 しかし、そんな簡単なことさえ決められないのが、この解放軍という組織なのだ。

 ――だからこそ。


「もういい……!! 俺は行く!! 動かねぇならそれでもいい!! 指でもくわえて黙って見てろ!!」


 怒鳴ると同時、護は身を翻して部屋を出ようとした。その護の胸元に、銃口が付きつけられる。

 それは、義務感のようなものだったのだろう。一人の兵士のその行動を見て、近くにいた兵士たちが一斉に護へと銃口を突きつけた。

 護は足を止め、そして、息を吸う。そのまま。


「撃てよ」


 自身へ銃口を突きつけた兵士へと、鋭い視線と共にそんな言葉を叩き付ける。


「テメェの行動が正しいって思うんなら、撃てばいい。撃ち殺せ。殺さなきゃ、俺は止まらねぇよ」


 だが、と護は言葉を継いだ。


「覚悟がねぇんならそこどきやがれ!!」

「…………ッ!」


 身を竦ませる兵士。そのまま彼は、銃をその手から放した。

 カシャン、という無機質な音が響く。護はその音が響くと同時に、部屋を出た。レベッカとレオン、天音もその背を追う。

 徐々に駆け足へと変わっていく行動の中、レオンが護に問いかけた。


「覚悟を決めろ、護。……相当厳しい戦いになる」

「わかってる。……すまん」

「いいよ。そのつもりだったし」

「ここで動かぬようであれば、それは人として過ちですからねぇ」


 言葉を返し、前を見る。

 厳しい戦いが、待っていた。



◇ ◇ ◇



 護たちが出て行った後、ソフィアは大きくため息を吐いた。その隣では、激昂したセクターが喚いている。


「追え! 追うのだ! 奴らを止めんか!」

「……構わぬ。行かせてやれ」


 迷う兵士たちへ、ソフィアは静かに告げた。セクターがこちらを見る。


「ソフィア様……!」

「止めて従うような者たちではない。小僧も青二才も小娘も……あの女もな」


 それに、救いたいという気持ちはこちらにもあったのだ。できないだけで。

 多くのしがらみがあると思う。立ち上がろうと決めた時は、もっともっと単純だったはずなのに。


「貴様らも、往きたいならば構わぬ。小僧たちについて往け」

「えっ……?」


 兵士たちが、戸惑いの言葉を漏らした。ソフィアは、ただし、と言葉を繋げる。


「間違いなくこれは罠だ。小僧たちには勝算があるかもしれぬし、ないのかもしれぬ。生きて帰ってこれる確率は限りなく低いであろう。それでも往くと申すなら、構わぬ。――総員に、そう伝えよ」

「了解!」


 応じる敬礼が返ってきた。そのまま、室内にいた兵士たちが急ぎ足で部屋を出ていく。

 ため息。それを零したソフィアに、背後からアランが声をかけてきた。


「良い決断だと思います」

「……そうであったならば、良かったのだがな」

「ソフィア様、私は反対です」

「ああ。正直、私自身も揺れているよ。……だがな、セクター。国とは人なのだ。私が国なのではない。二年前、私はお前たちに誓ったはずだ」


 立ち上がる。そして。


「――良き世を創るのだ。誰もが笑顔でいられる、そんな未来を願うのだ。王も民も、共に笑っていられるような。そんな国を、世を創るのだと、そう誓ったはずだった」


 ままならぬ、とソフィアは呟いた。


「民草が苦しんでいるのに、打算が働き動けぬ自分が何よりも腹立たしい。……羨ましく思うぞ、小僧」


 外を見る。氷原が広がる大地を見つめ、ソフィアは言った。


「民のためだけに戦える貴様が……それだけを考えることができる貴様が、私はただ、羨ましい」



◇ ◇ ◇



 シベリア鉄道、というものがある。

 シベリア連邦というのは広大な大地を持つ国だ。それ故に、その国土を端から端まで走る鉄道は必要不可欠とされた。シベリア鉄道はそういう意味で世界最大の距離を走る鉄道として知られていた。そう、知られていたのだ。

 大戦……シベリア鉄道は、戦争において重要な補給路の役目を果たした。しかし、それ故に他国からは真っ先に狙われることになり、線路が破壊された。

 統治軍が来た後、二年の月日が流れたが修復は進んでいない。重要拠点へ通じる線路の修復が終わるにとどまっているのだ。

 そんなシベリア鉄道の線路を、明らかに正規のものではない貨物車が走っていた。蒸気機関で動く列車は僅か車両が二つしかない。


「……やっぱり、音がやかましいね。バレやしないかと冷や冷やするよ」


 ぼやくように言ったのは、一人の女性だった。蒸気機関の操作を行いながら、その女性はチラリと背後を振り返る。


「厄介だねぇ、本当に。首都で情報集めてるうちに、まさかこんな流れになるなんて……」


 伊狩・S・アルビナ。天音が友人と呼び、解放軍の長であるソフィアからは情報交換を持ち掛けられる、世界中を旅する旅人だ。

 そのアルビナは、背後の貨物車両に乗せられた布にくるまれた物体を見つめ、息を吐く。


「……処刑の時間には間に合わないけど、これを届けるしかないさね。全く、先生はこんなもんを引っ張り出してどうするつもりなんだか。動きやしないってのにね」


 呟く。


「――〈フェンリル〉なんて、一度壊された神将騎を持ち出して、さ」



 シベリアで、戦端の幕が上がる。

 絶望の戦闘が。

 正義はどちらにあるのか。

 ただ、青年は――走り続ける。

 いつしか終わりが来ると、そう信じて。

と、いうわけでようやくシベリア連邦です。

アリスもソラも朱里もリィラもいませんが、だからといって統治軍は動かないわけではありません。

今回は、一国民としての想いと、統治者の想いがテーマです。想いは一緒であっても、立場が違えば大きく言葉も変わってくるものです。


というわけで、次回に戦闘を挟んでから、ようやく『あの国』も本格参戦です。出来るだけ早くお届けしたいと思うので、楽しみにして頂けると幸いです。


ありがとうございました!!


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