第一話 氷狼―フェンリル―
仰向けに倒れた状態から、空を見上げた。灰色の空。降り出した雪が、視界をまばらに白く染め上げていく。
聞こえてくるのは、勝鬨を上げる声。負けたのだな、と、他人事のように思った。
手を伸ばす。
何かを掴もうとするかのように。
青年は――手を伸ばした。
しかし、その手は何も掴めない。
ただただ、冷たい空気に触れるだけ。
城壁の上から落下したために、体は負傷していた。足の感覚がない。くっついてはいるようだが、負傷しているらしい。上手く動かない。
だが、そんなことよりも。
伸ばした手が掴めなかったもの。
理不尽に奪い去られたもの。
それが、何よりも――……
「おい、見ろよ」
声が聞こえた。視線を巡らせると、そこにいたのは敵国の――EU軍の兵士たち。彼らは笑みを浮かべ、こちらを見ている。
「生き残りだぜ。殺しとくか?」
「そーだな、女だったら良かったんだけどな」
「男なんていらねぇしな」
そこにいた三人の兵士は好き勝手にそんなことを口にすると、銃口をこちらへと向けてきた。
銃口。見慣れたものだ。青年は、ほっ、と息を漏らし。
――銃声と鮮血が、積もり始めた雪の大地を彩った。
地面に死体が転がる。正確に額が撃ち抜かれて転がっているそれらの傍へと青年は歩み寄る。その表情は、人殺しを何とも思っていない者のそれだった。
戦争という現実が。
僅か、齢十八という若さの青年を人殺しへと変えてしまっていた。
「……生き延びるんだ」
兵たちから装備を奪い、外套を身に纏うと、青年は呟いた。
銃を杖に。敵国の軍隊が勝利に沸く、彼にとっての故郷に背を向けて。
「必ず――俺は」
理不尽に対する怒りと。
自身の不甲斐なさに対する怒りを携えて。
氷の世界の狼、その戦いが始まった。
◇ ◇ ◇
電子音が鳴り響く。コックピット内に響き渡るその音を耳にし、青年――護・アストラーデはゆっくりと目を開けた。そうしてから彼は、コックピット内に備え付けられた無線を操作し、外部に繋ぐ。
「――こちら、一番」
意識を起こしながらそう言葉を紡ぐと、ザザッ、というノイズが耳に届いた。次いで、相手の声が聞こえる。
『こちら二番。ゆっくりと休めたか?』
「正直、万全とはいかねぇけどな」
『それは、お互い様だ』
苦笑のようなものが聞こえた。だが、その通りだ。この状況下、辛くない者などいない。全員が無理を押しているのだ。
それを内心で確認し、護は言葉を作った。
「……今回の作戦が成功すれば状況がかなり改善されるんだろ?」
『俺たちの、じゃなくて国民の、って条件が付くがな。まあ、いよいよ相手もこっちを無視できなくなるはずだ』
真剣な声色。護は、そうか、と頷いた。
この戦いを始めてから一年以上……随分、遠いところまで来たように思う。
自身が駆る相棒と共に、仲間と共に、よく、ここまで。
「本当に、随分遠くまで来たもんだよな」
『確かにな。だが、いきなりどうした? らしくない』
「……夢を見た」
護は、呟くように、そう応じた。
「二年前の夢だ。俺が戦うと決めた日を、夢に見た」
護は、真っ黒な視界に向けて手を伸ばした。
――ゆっくりと、握り締める。だが、やはりその手は何一つとして掴めない。
『そうか。……だが、思い出に浸るのも程々にしておけ。いつもの通り、お前が失敗すれば俺たちは全滅だ。わかっているな?』
「当たり前だろ。――安心しろ、レオン。俺は負けねぇ」
相手の名を呼ぶ。すると、レオン、と護が呼んだ相手が苦笑を漏らす気配を感じた。
『名を呼ぶな。番号呼称の意味がないだろう?』
「っと、悪ぃ」
『いや、構わん。――それでは、な。十分後に作戦開始だ。お互い、最善の結果を』
「ああ。死ぬなよ?」
『お前もな』
ザザッ、というノイズが走り、通信が途絶える。護は一度目を閉じると、大きく息を吐いた。
戦いが始まる。伸ばした手で、今度こそ掴み取るための戦いが。
「まだ、そこにいんのか?」
浮かぶのは、少女の微笑。
約束を交わし、しかし、それが果たせなかった相手。
あの少女と、再び会うために。
「……行くか、〈フェンリル〉」
ヴン、という音と共に、コックピット内の空気が僅かに揺れた。黒一色だった世界に明かりが灯り、護の姿が浮かび上がる。
漆黒の髪と、碧眼。シベリア人としての特徴より、もう一つの血のほうの面影が濃い容姿。
鋭い光を宿すその瞳を、護は巡らせる。
「エネルギー残量、76%……まあ、こんなもんだろ。起動予測時間は一時間と少し……戦闘なら半分か。けど、そんだけ動けんなら十分だ」
そして、彼は時を待つ。
作戦開始のその時を。
――そして。
その時が、訪れる。
響く爆発音。護は両の手に力を込め、大きく吠えた。
「――行動開始だ!! 行くぞッ!!」
◇ ◇ ◇
カルリーネ・シュトレンは、苛立ちを抑えるために深夜、外へ出ていた。彼女は、ふん、と吐き捨てるように鼻を鳴らすと、忌々しげに呟いた。
「何が〝奏者〟だ……ただのパーツ風情が、偉そうに」
統治軍――敗戦国であるシベリア連邦の治安維持のためにEUより派遣された軍隊の、茶色を基調とした制服を身に纏う彼女は、額に皺を寄せ、基地の中心にある司令部を睨み付けるように見据えた。
そこには、彼女が最も嫌うタイプの人種――大した実力もないくせに、『〝奏者〟だから』という理由だけで踏ん反り返っている人間がいる。
確かにあの男は二年前の世界大戦で活躍したのだろうが、それは〝神将騎〟という現代最強の兵器にして、黎明の時代に生み出された古代遺産の力があってこそだ。あの男自体は、ただただ選ばれただけに過ぎない。
――だというのに。
「私の忠告を、無能の身で笑って退けるなど……愚かな」
言って、カルリーネは空を見上げた。漆黒の空。星どころか、月さえも見えない。
大戦の影響だと、カルリーネは思った。ここ二年、シベリアの空が晴天を見せたことがない。元々からして厳しい気候の地域であったが、やはり、ここで行われた戦いが効いているのだろう。
――世界大戦。
ここ二年で、かつての戦争のことをそう呼称するようになった。極東の島国――閉鎖された国で起こったクーデターをきっかけに、あらゆる世界を巻き込んだ大戦争だ。
カルリーネの祖国、『千年ドイツ大帝国』も戦争に巻き込まれた。彼女は伝統ある貴族の責務として兵を率いて参戦し、同時期に欧州連合ヨーロピアン・ユニオン、通称EUの兵士として戦い、そしてEUはシベリア連邦に勝利した。
無論、その勝利自体はEUのみのものではなかったが、様々な事情が絡んだ結果、シベリア連邦はEU軍――改め、統治軍が治安維持という名目の下、暫定統治を行っている。
……もっとも、植民地支配に近いがな……。
小さく、確認の意味も込めてカルリーネは呟いた。だが、それは当然だ。シベリアは敗戦国であり、EUは戦勝国だ。敗戦国の末路は、歴史が示している。
「――だが、それに従わない者もいる。それを何故、理解しない?」
再び、彼女は司令部を睨み付けた。だが、それで何かが変わるわけでもない。カルリーネはふう、と息を吐くと、通信機を取り出した。そして、彼女の部下へと電話をかけようとする前に――
「貴様、そこで何をしている?」
不意にカルリーネの視線が、二つの人影を捉えた。
軍服を着ておらず、作業衣を着た男女だ。二人はびくりと体を震わせると、こちらへと敬礼を返してきた。そして、男の方が言葉を紡ぐ。
「はっ、戦車の整備を行いに」
「整備? その割には、何も持っていないようだが」
「はっ、足りないパーツがありましたので、今からそれを倉庫へ取りに行く途中であります」
リストです、と男がこちらに歩いてきて手に持っていたバインダーを手渡す。女の方はこちらへ敬礼をしたままだ。帽子のせいで顔が伺えないが、まあ、カルリーネに興味はない。
カルリーネはリストを確認すると、ふむ、と頷いた。特におかしなところはない。整備の前に用意していなかったのは整備班の不備であろうが、それは別に罰するほどのことではない。そもそも、彼女はこの基地の担当ではないのだ。罰する道理もない。
「了解した。すまない、呼び止めた」
「いえ。では、失礼します」
敬礼。それと共に、男は去っていく。カルリーネはその背を見送ってから、改めて通信機を手に取った。ザザッ、というノイズが走った後、通信が繋がる。
「――ヤナギ。車の用意を。帰還する」
『任務は済んだのですか?』
無線から返ってきたのは問いかけだった。カルリーネは、首を左右に振る。
「忠告はしたが、受け入れなかった」
『成程、ですが、良いので? 別に今夜くらいはここで過ごしても』
「いや。ここが碌な対策も取らないことがわかった以上、すぐに上へ進言する必要がある。同時に、首都の防備を固めなければならない」
『……了解』
頷きが伝わってくる。カルリーネは歩き出した。長居をする意味はない。特に、ここへは大した人員も連れてきていないのだ。自分本来の居場所へ急ぐべきだろう。
そうして、ドイツの貴族軍人が立ち去ってからしばらく後。
この基地が――戦場になった。
◇ ◇ ◇
最初に異変に気付いたのは、巡回中の警備兵だった。巡回といっても、まず襲撃など考える必要のない基地の見回りである。士気は低い。外壁から外への監視ならばもう少しやる気があるのだろうが、まず問題など起きない内部の見回りなど、面倒以外の何物でもない。
「……あれ、まだやってんのか、整備の奴ら」
普通なら見回りというのは二人一組で動くのが通例なのだが、ここではそれさえも守られていない。手間を減らす、という名目で一人ずつで巡回しているのだ。
その最中、その兵士は灯りが点いている施設を見上げた。そこは戦車などが格納されている場所で、整備の者たちが本領を発揮する場所だ。
遅くまでご苦労なことで、と兵士は思いながらも、その建物へ近付いていく。時間が時間である以上、一応確認をしなければならない。知り合いもいるし。
だから、と兵士は軽い気持ちで扉を開け、中に入った。大扉ではなく、人の出入り用の扉だ。
「お疲れ――」
さん、という言葉は、告げることができなかった。
兵士が目にしたのは――朱。
――整備班の者たちが、床に血をぶちまけ、死んでいる姿だった。
「あ……」
思考が、一瞬でフリーズする。理解の追い付かない事実が、思考を止めた。しかし、それとは別に、高速で動く思考もまた、存在する。
だが、それは。
思考の停止を、ただただ加速させるだけのものでもある。
――死。
その一文字しか、感じられない。
「ひ、あっ……?」
悲鳴が漏れたのは、僥倖か、それとも、否か。
いずれにせよ、兵士は、そこで思考を取り戻す。
「――――ッ!!」
――だが、悲鳴を上げることは許されなかった。
兵士の体が、ゆっくりと傾く。同時に、その首から、凄まじい量の血が噴き出した。
その背後、一人の男が立っている。灰色の瞳と金髪を要する、壮年の男だ。年の頃は30半ばといったところだろう。
「……さて」
手にナイフを持ち、壮絶なまでの量の返り血を浴びたその男は。
「レオンの指示通り、狼煙を上げようか」
惨劇を生み出した男は、そう言うと。
その視線を、目の前で沈黙する一台の戦車へと向ける。
――直後、格納庫の扉が、轟音と共に吹き飛んだ。
◇ ◇ ◇
響き渡る轟音に、ここ、エスリア基地司令――ラット・ケインズ中佐は身を震わせた。何事だ、と声を荒げる。
「一体何の騒ぎだ!?」
「――報告します!!」
叫ぶとほぼ同時に、ラットの私室に殴り込むように彼の副官が入ってきた。普段なら不敬にあたる行為だが、今は緊急事態だ。いちいち咎める意味はない。
副官は手元の資料を見ながら、切羽詰まった表情で告げる。
「襲撃です!! 一番格納庫にて爆発!! 戦車を奪われました!! 同時に、二番、三番格納庫でも爆発を確認!! こちらは内部に用意されていた兵器を全て破壊された模様!!」
報告に、ラットはギリッ、と歯軋りをした。素早く軍服を羽織ると、彼は怒鳴るように副官へと問いかける。
「下手人は!?」
「確定情報ではありませんが……おそらく、《氷狼》かと……」
どことなく、戸惑いを含んだ言葉。ラットは、より一層強く歯を食い縛った。
(あの貴族の小娘の言う通りだっただと……!?)
思い出すのは、今朝方、伝令として部下を一人連れてここへ来た女性士官だ。彼女はこちらを見るなり、形だけの敬意を払ってこう告げたのだ。
――《氷狼》という義賊集団に気を付けろ、と。
何を馬鹿な、と、ラットもその副官も笑った。《氷狼》――とある事情から確かに厄介な集団だが、ここにはそれを退けるだけの戦力は整っている。更に、前回の奴らの行動は、ここから随分と離れた場所だった。故に、その忠告を笑って受け流したのだが――
「忌々しい……戦況は?」
「はっ、兵たちを向かわせていますが、何分、向こうはこちらの戦車を奪っております。破壊には相応の被害が出るかと」
副官が頷く。ラットは頷いた。戦車は、〝神将騎〟を除けば、現代の人類が辿り着いた技術の結晶だ。その力は何よりも、耐久力にある。歩兵用の武器では、使い捨てのランチャーでようやく傷がつけられるくらいだ。
そして、こちらの戦車は行動不能にされているという。状況は、随分と切迫している。
――故に、ラットは一つの決断を下した。
「〈ゴゥレム〉を用意しろ。――私が出る」
はっ、と、彼の副官が応じ、駆け出していく。それを見送ってから、ラットは、自室の外で瞬く光を睨み付けるように凝視した。
そして、吐き捨てるように口にする。
「賊が。見せてやろう、大戦時代、エースと呼ばれたこの私の力を……!」
◇ ◇ ◇
戦車の操縦をしながら、レイド・ノーティスは舌打ちを零した。彼が乗った戦車は、EU製のもの。大戦時代に彼が乗っていたシベリア製のものとは無論、勝手が違うとは思っていたが――
「……対人用の兵器はないのか!!」
少し長めの金色の髪を揺らしながら、引き金を引く。吐き出されるのは、砲弾。
圧倒的な威力の一撃が、敵の部隊が身を隠している防壁を打ち砕いた。土嚢で造られた即席の壁など、正直、敵ではない。それごと吹き飛ばせる。しかし。
「今だ、放て――ッ!!」
「ッ、ちいッ!!」
舌打ちを零す。それと同時に、車体を凄まじい衝撃が襲った。ランチャーの一撃だ。
戦車の一撃は、確かに強い。だが、今は砲撃よりも対人用の榴弾などが必要な場面だ。一発一発の威力が大きい分、通常の砲撃は次弾装填までに時間がかかり、更に、一撃が大き過ぎるために効率が悪い。
車体が揺れる。レイドは、このっ、と、全力で戦車の軌道を変えた。
「吹き飛べ!!」
同時、砲撃を行う。その衝撃を利用し、大きく後退。建物の陰に姿を隠す。いくら戦車の装甲が頑丈とて、何発も喰らえば吹き飛ぶ。更に言えば、砲門がやられればこちらの詰みだ。
どうするか、と、一度大きく息を吐いたレイドが呟く。それを待っていたかのように、レイドが胸元に装備していた無線から通信が届いた。
『こちら二番、首尾はどうですか?』
「見ての通りだ、坊主。――どうする?」
『――作戦続行です』
返ってきた返答は、とても簡単なものだった。レイドは、へっ、と言葉を漏らす。
「そっちは大丈夫なのかい?」
『……まあ、空腹で今にも倒れそうですが、概ね大丈夫ですよ。四番と共に、今は馬鹿を待っています』
「馬鹿、ね」
レイドは苦笑を漏らした。馬鹿。自分たち、《氷狼》の中で一番真っ直ぐで、同時に、だからこそ危なっかしい男。彼は、この作戦をどう思うのか。
(仕方ない、で納得するようなタマでもないしな)
実際、この作戦についても真っ先に反対したのはあの男だった。だが、少数戦力である自分たちが、基地一つを襲撃しようというのだ。当然、相応の覚悟を決める必要がある。
その覚悟の一つが、死ぬ覚悟だ。
ギリギリの綱渡り。それをしなければ、何一つことを為すことはできない。それを、レイドも通信の相手も理解している。馬鹿も理解はしているが、納得はしていない。
だが、まあ。
それでいいのだろうと、レイドは思うのだ。
――あの日、雨の中で。
ボロボロの体で、他人に手を差し出すような余裕などない中で。
それでも、手を差し出すような馬鹿だから。
レイドは微笑を漏らしつつ、呟く。
「まあ、いいさ。……二番よ、この後は?」
『『あれ』が出ると同時に、門を破ってください。同時に撤退です。後詰めは、馬鹿が』
「了解だ」
頷く。すると、不意に銃撃が止んだ。
何だ、と、レイドが眉をひそめる。だが、答えはすぐに来た。
灰色の瞳が映す視界の先、そこに、答えがある。
――全長、四メートル程の巨人が、その巨体に相応しい巨大なアサルトライフルを構え、立っていた。
◇ ◇ ◇
丸い、と、レイドはその機体を見た瞬間、そんな印象を抱いた。
関節部が丸く、両肩も球体型に膨らんでいる。両掌と、地面を踏み締める足こそ人のそれに近いが、顔までもが球体のそれは、どことなく鈍重な印象を受ける。
だが、レイドは油断など一切、していなかった。額から一筋の汗を流しつつ、舌打ちを零す。
「出やがったな……〝神将騎〟」
〝神将騎〟――かつて、黎明の時代。人が辿り着いたという究極の力とされるそれは、古代遺産であると同時に、現代最強の兵器である。
初めて発見されたのがいつかはわかっていない。だが、数十年の前より見つかってきたそれらは、装甲こそ劣化していたものの、兵器としては実働した。曰く、史上初めて〝神将騎〟に乗った男は、こう口にしたらしい。
――〝まるで、私たちを待っていたかのようだ〟
この後、軍事に利用できると判断された〝神将騎〟は危険視されるようになり、男は暗殺される。
そして、そのほぼ直後から、世界各地の遺跡から一~数十という単位で〝神将騎〟が発見されるようになった。しかし、そこへ問題が生じる。〝神将騎〟は、誰にでも扱えるものではなかったのだ。
〝奏者〟と呼ばれる者がいる。統計的な確立にして、一万人に一人。
それが――〝神将騎〟を操縦することが許される者だ。どういう基準か、〝神将騎〟は乗り手を選ぶ。そして選ばれた者こそが〝奏者〟だ。
現代最強の兵器――それを従える者、〝奏者〟。
その者たちが戦場を左右するという事実は、覆しようのない事実である。
「――チッ!!」
吐き捨てるように激しい舌打ちを零すと同時、レイドは動いていた。凄まじい音を立て、戦車のキャタピラが動き出す。後方へ全速力で退避しながら、砲撃を放つ。
――轟音。
放たれた砲弾は、直撃のコースだった。だが、敵の〝神将騎〟は大きく横へと飛びずさると、容易く躱した。レイドは、これだよ、と、小さく唸る。
「ふざけた機動性だ……! 冗談抜きで次元が違う!」
文字通り、巨大な人が動いているようなものだ。理不尽この上ない。人の挙動を、四メートルオーバーの巨人がこなすというのだから。しかも、鉄の装甲を付けているせいで、簡単に突破できないときた。
これは、本当に――……!
厄介だ、と、レイドが思うと共に、反撃が来た。敵が手に持つアサルトライフル。それが、火を噴く。
――――――――ッ!!
凄まじい音が響き、車体が大きく揺れる。人の銃ならば容易に跳ね返す戦車も、〝神将騎〟のそれとなるとそう単純にはいかない。そもそもの口径が違うのだ。単純計算で四倍以上。最早その威力は、バズーカのそれに勝るとも劣らないものとなっている。
揺れる車体。音と衝撃、感覚を経験が計算し、答えを伝えてくる。
――装甲が吹き飛ぶ……!!
かもしれない、などという浅はかな希望的観測はなしだ。破られる。戦車の砲撃は、確かに〝神将騎〟の装甲を吹き飛ばす。しかし、それは当たればの話であり、今の彼には当てることさえ困難である。
故に、レイドは牽制のための一撃を放とうと引き金を引いた。当たらずとも、少しでも相手の動きを止められればと。
だが。
「――――ッ!?」
前方の視界が、一瞬、途絶えた。
視界が白に染まる。体に、凄まじい衝撃が叩き込まれた。何だ、と思うと同時に、レイドは感覚で理解していた。――暴発だ。
おそらく、敵のアサルトライフルの射撃により、砲門が歪んだのだろう。砲撃が暴発したために、戦車の前方部分が吹き飛んだのだ。
くっ、と、無理矢理に目を開き、レイドは前を見た。負傷はあるが、それよりも、今前を見なければ殺される。
「くそ、がっ」
睨み付けるように前を見る。だが、敵はこちらに容赦をする気はないらしい。一切の躊躇もなく、銃口をこちらに向け、引き金を引こうとしている。
くそっ、と、もう一度、レイドが呟いて。
アサルトライフルから、弾丸が放たれた。
――しかし。
その銃弾は、彼には届かない。
銃声と共に、地面を揺らす、何かが着地した音が響いた。
銃弾の着弾の音が響く。しかし、それは穿つ音ではなく、防がれる音。
『――すまねぇ、おっさん。少し遅れた』
外部スピーカーで聞こえてきたのは、そんな声だった。レイドは、はっ、と息を吐く。
「遅いぞ、坊主」
◇ ◇ ◇
〈ゴゥレム〉のパイロットであり、〝奏者〟であるラットは、眉をひそめた。彼の視線の先には、一機の〝神将騎〟がいる。
青で塗装された機体だ。脚部が細く、両腕も標準のものに比べて随分と細い。
全体的に細いフォルムをしたそれは、その頭部をこちらへ向けてきた。右と左、両手にそれぞれ有しているのは、両刃の剣と盾だ。ラットは、ふん、と鼻を鳴らした。
「〈フェンリル〉――だったか。くだらんな。銃の一つも持たず、盾と剣だけだと? 騎士でも気取るつもりか」
そして、〈ゴゥレム〉が跳ねた。見たところ、相手の武装に銃火器はない。ならば、距離を取って追い詰めればいい。盾があろうと撃ち抜くことは可能だ。
そう思い、後退しながらアサルトライフルの引き金を引く。〝神将騎〟の刃としては標準のそれであるため、過度な破壊力は求められないが、構いはしない。
「ここをこれほどまでに粉砕した礼を、させてもらうぞ!!」
引き金を引く。引き続ける。対し、〈フェンリル〉は横っ飛びをし、射線から離れた。
逃がすか、と、ラットは銃口の向きを変えていく。そうしながら、ラットは外部へのスピーカーを開き、吠えるように言葉を紡いだ。
「敗戦国の亡霊が……! いい加減に認めろ! 貴様らは負けたのだ! 敗北者の末路などそんなものだ! 何故それを理解しない!?」
『――誰が負けたんだよ』
応答が返ってくるとは思わなかったため、ラットは一瞬、虚を突かれた。だが、牽制の銃撃のせいで相手は近付けない。このまま追いつめていけばいずれ詰める、と判断する。
『勝手に始められた戦争で、勝手に負けたと言い渡されて……納得できるわけがねぇだろうが!!』
「納得も何もない! 世界が認めたのだ! 貴様らは負けたとな!!」
『負けてなんかいねぇ!! 俺は今も、こうして戦ってる!!』
吠える声。ラットは、ふん、と鼻を鳴らした。
いくら吠えようが、結局変わりはしない。事実、追い詰められているのは向こう。そして、敗戦したのもだ。
故に、亡霊が、とラットは呟いた。
「ならばここで散れ、亡霊! 亡国の餓狼など、笑い話にもならん!!」
引き金を絞る。そこで、弾丸が尽きた。〈ゴゥレム〉は手慣れた動作で弾倉を交換すると、すぐさま射撃体勢に入る。
破砕音。相手が持つ盾に亀裂が走ったのだ。ラットは、吐き捨てるように言った。
「騎士の真似事か。どこまでも亡霊だな。銃の出現により、騎士の時代も侍の時代も終わったのだよ!」
かつて、騎士と侍という存在が勇名を馳せた時代があった。しかし、鉄砲という存在がそれを否定し、今の時代においては騎士も侍も滅びている。
だというのに、目の前の敵は、盾と剣のみを手に、こちらへ向かってきている。
まるで、騎士のように。
ラットは、舌打ちを零した。騎士――『精霊王国イギリス』の出身である彼にしてみれば、酷く癪に障る存在だ。最早廃止された、崇拝に近い憧れを抱かれる偶像。
戦場で骨身を削るのは自分たちであるというのに、今も尚、騎士という存在が重要視されている。
実に――腹立たしい。
故に。
「消えろ、亡霊!」
ラットが叫び、その銃撃が〈フェンリル〉の盾を砕いていく。
殺った、と思った。確信に近い想い。
――しかし。
「――――!?」
不意に、自身が放っていた銃弾の雨が止んだ。同時、衝撃により、機体が揺れる。
右腕――そこに持っていたアサルトライフルに、〈フェンリル〉が手にしていた剣が突き刺さっていた。
投擲、と理解すると同時、その脚力をフルに使った跳躍が行われる。今の今までずっと堪えていたのか――そう思うほどの、跳躍だった。
蒼き巨人が、距離を縮めてくる。その右手は、まるで獣のそれであるかのように鋭利な爪を持っていた。
『――消えるのは、テメェらだよ』
装甲さえも貫くであろう爪が迫る。死。それを覚悟した瞬間、こんな言葉が聞こえた。
『ここは、あいつの国だ。……テメェの国に、帰りやがれ』
直後、腹部を貫かれた〈ゴゥレム〉が、爆散した。
◇ ◇ ◇
爆炎が立ち上り、自分たちの基地に唯一存在していた〝神将騎〟の敗北で混乱している基地の中を、一人の青年が少女と共に歩いていた。来ていた作業衣の前を開け、楽そうな格好になりながら、青年は呟く。
「とりあえず、今回も無事に完了か」
「お疲れ様」
ため息のようなものを零す彼の隣で微笑むのは、一人の少女だ。青年――レオン・ファンは、ああ、と頷く。
「レベッカもよくやってくれた。……礼を言う」
「いいよ、別に。でも、これで良かったんだよね?」
少女……レベッカ・アーノルドは振り返りながらそう言った。レオンは、ああ、と頷く。
「もう、犠牲を出さない方法などと悠長なことを言っていられなくなった。俺たちは少数だ。打てる手はすべて打たなければならない。あの馬鹿も、それは理解しているはずだ」
見上げるのは、まるで血のように右腕から黒い液体をたらし、天を見上げている〝神将騎〟の姿だ。
人を殺しながらも、それでも、甘いことばかりを口にする男。
約束、と、あの男はまるで自分を奮い立たせるようにいつも呟く。それがどういったものかはわからない。ただ、願わくば。
「死ぬにしても、生きるにしても。笑っていられれば、いいんだがな」
◇ ◇ ◇
護は、大きく息を吐いた。そうしてから、掌を見つめる。
……震えている。
戦闘中には、欠片も見せなかった反応だ。人を殺すこと。今更、それに怯えているというのか。
「……馬鹿野郎」
護は、吐息のように呟いた。同時に〈フェンリル〉を操作し、来た時に破壊した門を通って外へ出る。そうしながら、彼は呟いた。
「なぁ、アリス……俺は――……」
力なく紡がれた言葉は。
最後まで紡がれることはなく、宙に溶けて消え失せた。
――交わした約束は、まだ、果たせていない。
というわけで、連続投稿です。
今回登場したキャラクターの一人、カルリーネ・シュトレンというキャラクターは、アヴェンジャー先生に考えていただきました。
口調などは弄っていますが、他はほとんどそのままです。
アヴェンジャー先生、ありがとうございます。
さてさて、始まりましたこの連載。第五話までは文字通りかっ飛ばして全速力に突き進みます。それが序幕となりますので。
今後、他の先生たちに考えて頂いたキャラクターも随時出していきます。
では、今回はここまでで。
感想くださるとうれしいです。
ではでは〜♪