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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
24/85

第十九話 晒される真実


「次の動作を考える余裕があるならば、今の一撃に全てを注ぎなさい」


 金属音が響き渡る。相対するのは二人の人物。

 護・アストラーデ。

 出木天音。

 片や、その実力と実績から『解放軍の希望』とされ、《氷狼》と呼ばれる青年。

 片や、確かな知識と論理を携えて技術部門を支える女性。

 今の解放軍にとっては欠かせない二人は、様々な兵器を納めると同時、整備を行う場所で互いに日本刀で斬り合いを演じていた。

 澄んだ金属音が何度も響き渡る。護が斬り込む一撃を、全て天音が受け流しているのだ。


「西洋式の剣……というより、大陸式の剣は両刃が基本です。これは頑強性を優先し、『斬る』よりは『叩き切る』という目的のためですね。剣の切れ味で鎧甲冑を『斬る』のではなく、使い手の膂力で『叩き割る』ことを求めているのです」


 天音が言う間も、護の振るう一撃は止まらない。休むことをしてはならない――先手必勝、という言葉は、教えを乞いに来た護に天音が最初に教えたことだ。

 まあ、それでも天音には届かないのだが。


「対し、刀というのは特殊な武器です。頑強さよりも、『切れ味』を追求した。その気になれば鉄でさえも『斬る』ことのできる異様な武器です。その斬り方は、『引き裂く』ことに終始する」


 ザギン、という一際甲高い金属音が響いた。天音が微笑を漏らす。


「そう、それです。一刀の下、一切合財の容赦を捨てて斬り捨てる――侍の技術など、その一点に尽きます。どれだけの言葉で誤魔化そうと、侍も騎士も人斬り包丁を振り回してキャッキャと喜ぶ阿呆です。ならば、それでいい。理由などそれだけでいい。人を殺さば穴二つ――戻れぬならば、それが真理」


 謡うように言う天音に対し、護は言葉を発さない。その余裕がないのだ。

 目の前にいる女性は、的確にこちらの一撃を受け止めてくる。単純な技量の差とはまた違う、根本的な部分でこっちが圧されている。

 強い、と改めて思った。それほどの力。


「さて、そろそろ時間です。こちらも攻めと参りましょう」


 呟くように言う天音が、一歩、前へと踏み込む。動作とすれば、それは傍目からはゆっくりとした挙動だっただろう。

 しかし、それを目にした護は、驚愕が隠せない。


 ――一瞬で距離を詰めてきた!?


 三歩分程度の距離しかなかったとはいえ、それは一瞬で詰めることができるような距離ではなかったはずだ。それが、まるで意識もしないうちに詰められる。


「――無拍子。意識の空白を叩く技術ではありますが、まさか……」


 刀を振り上げる。至近に、天音の顔があった。

 振り上げた刀は、止まっている。護にとっては左側。天音にとっては右側で、もつれるように止まっていた。


「……分けになるとは。少年、やはりあなたは面白い」


 微笑み、天音が一歩下がる。


「今日はここまでとしましょう。私はどちらかといえば頭脳労働が専門でしてね。剣術の心得はありますが、達人からは程遠い。教えられることは多くないのですよ」

「あんたが頭脳労働専門の件は置いておいて……稽古をつけてくれるのは純粋に感謝してる」

「大したことはしていませんよ。そもそも、あなたはそれなりに刀を使った剣術を修めているようではありませんか?」

「ガキの頃、親父に叩き込まれたんだよ。……色々あってな」


 刀を鞘へと納めつつ、天音から視線を逸らして護は言った。父親……もうこの世にいない人物のことを思うと、正直気分は沈む。

 まだ乗り越えられていない。そういうことだ。自覚しているし、それが理由でもあるのだから逃げるつもりもない。

 護の言葉を聞き、天音はふむ、と呟いた。


「お座敷剣道ではなく、実践剣道ですね。そもそも妙だとは思っていました。刀というのは耐久力が低く、心得のない者が使えば容易く折れてしまいます。例えそれが〝海割〟であろうと。しかし、あなたは難なく扱って見せた。……やはり、面白いですね」

「昔は剣術で相当鳴らしてたらしかったからな。それを叩き込まれたんだよ」


 護の父親は日本人である。護も詳しいことは知らないが、酒に酔うとよく『俺ァ一万人の軍隊から逃げてきたんだぜ?』などというふざけた与太話をしていたのを覚えている。

 まあ、その父親のおかげでこうして戦う術を得ているのだから、感謝はしているが。


「……覚えがある剣術なんですが、ね。まあいいです」


 何事かを呟くと、天音はさて、と仕切り直すように息を吐く。


「少年、しばらく休んだら如何です? ここのところ、まともに休んでいないのでしょう?」

「大丈夫だよ。無理はしてねぇ」

「……まあ、あなたが言うならそれで構いませんが。死なないでくださいね?」

「死ぬかよ」


 時計を見、出発の時間が迫っていることを確認しながら、護は言い捨てた。


「救い出すって決めたんだよ。こんなところで死ねるか。生きて、生きて生き抜いて。必ず救い出す」


 伸ばした手は、またしても届かなかった。

 手を伸ばせば届く距離にいたのに、あの少女には届かない。

 今の二人の距離は、あまりに遠い。だが、それでも関係ない。この二年、約束を根底に、怒りを理由に戦ってきた。それを今更翻すことはない。

 それに――一つの『答え』が、護には見えた。

 今までは、ただただ我武者羅に戦ってきた。しかし、それが結果に結びつくかどうかはわからなかったというのが現実だ。その先にあの少女がいるかどうかの確信はなかった。

 しかし。


 ……今は違う。この手を伸ばし切ることができれば、アリスに届く。


 グッ、と護は拳を握り締めた。そうだ。この手を伸ばした先に、アリスがいる。

 救い出すと決めたのだ。あの時に叩き付けられた言葉と、目にした現実。アリス・クラフトマンという少女は、護・アストラーデが知る世界よりも遥か深き地獄の底にいる。あの左腕……あそこまでしなければならないほどに、彼女は追い詰められている。

 だが、救い出す術はある。

 何もかもを救い出せば、そうすることができれば……あの少女を、地獄の底から救い出せる。


「……やってやるさ」


 時間が近付いている。天音の言うように、ここの所の護の睡眠時間は一日につき精々、二時間前後。一週間も続くその生活は、本来なら倒れていてもおかしくない。

 しかし、護は気力一つでそれを捻じ伏せる。


「全てを救って、俺はお前を救い出す」


 見上げた先にあるのは、沈黙する鎧武者――〈毘沙門天〉。

 目的を果たすための、刃。


 そして。

 護を呼ぶ声が響いた。


 戦闘が――始まる。



◇ ◇ ◇



 現在統治軍の占領下にあるシベリア連邦だが、その国は『連邦』の名が示すように多くの地域が集まることによって構成される国だった。解放軍の旗印であると同時に総大将であるソフィアがそうであるように、シベリア連邦には王族がいるが……それ以外に、『領主』と呼ばれる者たちがいる。

 彼らは王によって土地を授けられた者たちであり、王と国へと忠誠を誓う代わりに与えられた土地の管理を任されていた者たちである。封建制における貴族といったところだ。大体が襲名制で、大戦までは特に問題もなく回っていたシステムである。

 しかし。

 大戦において『アルツフェムの虐殺』が起こった直後、領主たちは王へと反旗を翻した。

 領主たちは土地を預かり、管理・守護するというシステム上、それぞれが私兵団を保有していた。シベリア連邦は各地の領主の私兵団と国軍であるシベリア軍を合わせることで強大な軍事力を発揮していたわけだが、それを領主たちが破壊したのだ。

 目にした大日本帝国の脅威に怯え、領主たちが保身に走った結果である。

 内側から味方であるはずの私兵団に攻撃された各地のシベリア軍は、文字通り壊滅していく。その結果、最早首都モスクワへ迫るうえでの脅威は存在しなくなり、シベリア連邦は敗戦した。

 そして、現在。

 自らの保身のために国を売った領主たちはどうしているのか。その答えは単純だ。


「い、急げ! 急いで迎撃の準備を整えろ!」


 声を上げたのは、小太りした中年の男だった。アルツフェムの北部の土地を治めていた領主の一人である。彼は今、窮地に晒されていた。

 降伏した領主たちは、その行為より命の保証はされた。しかし、私兵団ほほとんどは収容所へ送られ、兵力など持っていない状態だったのだが。

 そんな彼が何故指示を出しているのかというと、ここには統治軍の兵たちがいるからである。

 第十七収容所及び強制労働施設。

 収容所に収監されているシベリア兵と、強制労働に従事しているシベリア人たちを合わせると、一万人を数える大施設だ。領主であった男はそこの管理を任されていた。


「いっ、急げ! 叛乱軍だ!」


 彼にしてみれば叛乱軍は同郷の仲間であり、シベリア解放のための希望なのだが……保身が上手い人間とは、自身の状況を把握するのに長けているものである。

 今ここにいる男は、叛乱軍に救われる存在か?――答えは否だ。


「落ち着いてください、エッツィオ殿」


 喚き立てる男に、一人の軍人が声をかけた。階級章は中佐。エッツィオ、という元領主と共にここを任されていた男である。


「しかし、叛乱軍の行動は迅速ですな。この一週間で収容所の襲撃はここで四ヶ所目。……度が過ぎている」

「そんなことはどうでも良い! ええい、いいから防衛の指示を出せ!」

「ご安心を。すでに済んでおります。ここは先に落とされた三つの施設に比べて段違いの装備を持つ施設ですぞ? いくら解放軍であろうと、突破は容易くありません」

「そ、そうか」


 エッツィオが安堵の息を漏らす。中佐はその様子をまるで汚いものでも見るような目で見ていた。

 祖国を売り飛ばした、誇りも何もない男――ウィリアム・ロバートという本物の貴族を知る彼にしてみれば、この男は守るに値しない存在だ。

 だが、彼の身辺警護は任務である。それは単純な利益のためであるだが……そのために、彼はエッツィオを警護する。


「しかし、叛乱軍も大層なことを考えるものだ。勝てるわけないだろうに」

「本当に」


 数の差からして、単純に数十倍もの差があるのだ。《氷狼》に加えて、有名な傭兵がいるようだがそんなものは局地的なものに過ぎない。そもそもこちらには《赤獅子》がいる。差はないどころか、その点でさえも統治軍の方が上だ。

 外からは砲撃の音と、叫び声が聞こえる。

 くだらない。そう彼が呟いた瞬間。


『――我がシベリア最大の敵は、誰だと思う?』


 声が響いた。拡声器によって風に乗った声は、女性の声だ。二人は窓から外を見る。すでに戦闘は始まっており、彼らの視線の先ではこちらへと向かってくる叛乱軍の兵たちとこちらの迎撃部隊の戦闘が繰り広げられていた。

 流れ弾のことも考えれば、窓から顔を出すのは自殺行為だったが……二人共、そのようなことは考えていない。

 見る。視線の先、周囲を兵によって囲まれている一人の女性がいた。二人は知らなかったが、その女性こそが反乱軍の旗印。

 シベリア第三王女、ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。

 その女性は拡声器を用いて、戦場へと声を響かせる。


『統治軍、とは誰もが思うだろう。強大な存在だ。我々を――我が民を虐げる存在だ。敵だ。和解などありえぬ、正真正銘、徹頭徹尾の敵だ。しかし、忘れてはならぬ。見落としてはならぬ。我らの最大にして強大な敵は統治軍であるが、それ以上に『許せぬ敵』というものがいることを』


 何を言っているのか、とエッツィオは思った。叛乱軍の敵は統治軍だ。それ以外に敵などいない。

 しかし、ソフィアは平然と言い捨てる。


『そこで見ているのだろう、反逆者? 我らにとって最も許し難い敵というのは貴様らだ、領主。国とは人だ。領土とは人だ。全ての基盤には民草がおり、それなくして国は成り立たぬ。貴様らが死のうが国は滅びぬが、民草が死ねば国が滅びるのだ。――戯け共が』


 その時、エッツィオはひっ、と喉から情けない声を漏らした。

 見えているはずがない。しかし、確かにソフィアの瞳がこちらを射抜いたように見えたのだ。


『貴様らが命を張るべきは国ではない!! 民であったはずだ!! 民草のために命を張るのが領主!! その貴様らは何をしておるのだ!? 誇りも義務も捨て去り、民草を犠牲にして安穏と息をする!? それが許されるような立場だと思っておるのか!!』


 凄まじい怒声だった。その声は戦場へと響き渡り、叛乱軍の兵士たちの士気が上がっていく。


『貴様らに同情の余地はない。今ここで、引導を渡してやろう。――往け』


 ソフィアの言葉に応じるように、彼女の背後で待機していた神将騎――〈セント・エルモ〉が動き出す。チッ、と中佐は舌打ちを零した。そのまま懐から通信機を取り出し、怒鳴り声を上げる。


「今すぐ神将騎を全機出撃させろ!! 敵は単騎だ!!」

『…………』


 だが、応じる声はない。そうしている間にも、ガトリング砲の掃射が彼らの館を守る壁を壊していく。


「返事をしろ!! いいから出撃しろと言っている!!」

『――とのことですが、青年。どうします?』

『どうするもありませんよ、先生』

「…………ッ!?」


 聞こえてきた声は、彼の予想しているものとは違うものだった。笑い声が聞こえる。彼が通信を繋げていた場所は、格納庫だ。そこからこんな通信が返ってきたということは。

 ――すでに、格納庫は制圧された?


『お前がここの指揮官か? 一言だけ言っておく』


 言葉と共に、ズンッ、という凄まじい轟音が響いた。外を見る。眼前に、一機の神将騎が佇んでいた。

〈毘沙門天〉。叛乱軍の希望たる、《氷狼》の僚機。

 その機体が、その手に持った巨大な刀を振り上げた。


『同情の余地はない』


 直後、凄まじい一撃がその場にいた二人を部屋ごと吹き飛ばす。

 助かる見込みは、なかった。



◇ ◇ ◇



 今回、レオンたちが用いた作戦は至極単純なものだった。いかに強固な守りを誇ろうと、内側から崩せばどんな砦も脆いものだ。そこを衝いたのである。

 具体的には、収容所に入れられているシベリア軍人と強制労働に従事させられているシベリア人たちを救うため、〈毘沙門天〉の機動力を用いて夜間に人員を送り込み、夜明けにソフィア率いる本隊が攻撃を仕掛けるまで内部で待機する。

 攻撃が始まると同時、レオン率いる内部工作隊と『現地で集めた一万人』で内部から制圧を行う。単純だ。

 この作戦の難関は、言うまでもなく〈毘沙門天〉が工作員であるレオンたちを夜間に運ぶ間、気付かれないようにすることだったのだが……そこが想定外に上手く進んだ。

 この収容所は背後を山で囲まれており、天然の要塞と化している。正面からの突破はそのせいもあって難しく、背後からも神将騎でなければ登ることはできないほどに険しい。監視などをされていたら一発でバレただろう。

 しかしそうはならず、結果として侵入も容易に行えた。死者などはほとんど出ていない。


「……レオン。統治軍の奴らが撤退して行っている。追うか?」

『いや、必要ない。今はここに残す兵力と、アルツフェムに帰還させる兵力の分けの方が重要だ。ここを拠点にできればアルツフェムを中心に、取り囲むように拠点ができる。かなり動きやすくなるはずだ』

「俺はどうすればいい?」

『撤退する奴らを牽制しろ。向こうには神将騎もいる。警戒はしておいてくれ』

「了解だ」


 頷き、通信を切ると護は〈毘沙門天〉を移動させた。ズンッ、という音を響かせて地面へと着地する〈毘沙門天〉。その姿を見て、ある者は手を振り、ある者は敬礼をしてくる。今回救い出した者たちも、そこには混じっていた。

 惜しみなき、護への称賛。それは感謝であり、期待であり――希望である。

 護・アストラーデという青年と、〈毘沙門天〉という神将騎に対する、希望。

 しかし、護にはそれに応じる余裕はない。


「…………ッ」


 不意に、護の視界がぼやけた。疲労が溜まっているせいだろう。意識を緩めると、こうして疲労の波が押し寄せてくる。


「……っ、てる場合か……!」


 右手で顔を押さえ、強く握り締める。こんなところで止まるほど、安いものを背負った記憶はない。

 戦うのだ。戦い続ける。その先にあるものを掴むために。


「休んでる、場合かよ……!」


 ――寿命を縮める。

 ――殺してください。


 アリスの言葉を思い出す。あれほどの言葉を彼女に言わせたのは、この世界だ。この不条理で理不尽な世界が、アリスという少女をあそこまで追い詰めた。

 そして、同時に。

 ここにいる自分の弱さが、その彼女を止められなかった。

 だから、護・アストラーデは止まれない。


「――――」


 目を開き、護は前を見据える。

 ズキン、と護の頭に痛みが走った。



◇ ◇ ◇



「……成程、そちらの隊長さんに言われたのはこれだったわけですか」

「はっはっは。まあ、そうだねぇ。一応、彼にも『コレ』については話はしてある。だが、実物を見たのは外部の人間ではキミが初めてだよ」

「それは光栄ですね」

「まあ、キミにしてみればつまらんものかもしれんのだがね」


 くっく、とドクター・マッドは仮面の奥で笑った。彼と並ぶように立っているのは、統治軍の客人――大日本帝国からの大使、蒼雅隼騎だ。

 大日本帝国というものの内情をドクターは知らないが、枢密院議員及び特別管理官という肩書きは相当な高位にいる人間に与えられるものだろう。事実、この青年はどことなく彼が知る『あの男』に似ている。

 底の知れなさというべきか、読めなさというべきか。……どうしようもなく、興味を抱く。


「コンピュータ、という概念には明るいかね?」

「昔お世話になった方が、こんな感じの施設を作っていました」

「ほう?」

「まあ、その人は今はいませんが」


 言いつつ隼騎が見るのは、眼下に広がる巨大な施設だ。

 パッと見ただけでは、無数の箱が並んでいるだけに見える。その間をコードが繋いでいるそれは、『コンピュータ』と呼ばれる施設だ。


「神将騎のブラックボックスを解析して、私なりに組み上げたのだが。如何かね?」

「私の知っているものよりは、いくらかサイズが大きいですね。……目的用途によって違うと聞きますから、一概には言えないのでしょうが」

「まあ、ここで演算しているのは人体実験のデータだからねぇ」


 こともなげに言うドクター。隼騎は、ふう、と息を吐いた。


「今のは聞かなかったことにした方がよろしいでしょうか?」

「どちらでも構わんよ。実際、これでも千人以上は切り刻んだが……成果は上がっていない。まあ、今の技術の限界というところだろうね。天才は時間を縮めるのは得意だが、流石に百年を縮めるのは骨が折れる。出来て精々、二、三十年だ」

「後半はともかく、前半は聞かなかったことにしましょう」

「くっくっ。キミは融通が利くねぇ」

「そういう立場ですから」


 言い切る隼騎。そして彼は、それで、とドクターへと視線を向けた。


「ここへ増援に来たわけですが、私はここを守ればよろしいのでしょうか?」

「聞いているよ。……ちなみに、何故ここへ増援へ?」

「恩を売っておこうという判断です」

「単刀直入に物事を話せる人間が、私は大好きだ。まあ、駆け引きも好きだがね」

「……一つ、総督殿と私たちが取引をしまして。その取引の中に『ここ』を統治軍の手から守れと」

「成程、ここはEUにしてみれば狂気の権化。汚点だからねぇ」


 巨大な演算装置を眺めながら、ドクターは呟く。そう、ここは文字通りの『悪意』が詰まった場所だ。

 二年前の戦争において、イタリア軍はアルツフェムの北部を制圧した。その際、捕らえた捕虜を使ってドクターが様々な実験を行ったのだ。

 ――シベリア人を用いた、人体実験。

 非人道的な行為であったが、その全てを戦争が覆い隠した。事実今も、ここへ『収容』という名目で集められたシベリア人たちで実験は続けられている。


「人の狂気を計測することなどできはしない。ここは狂気の塊だ。くっく、見慣れていないのかね?」

「見たことはあっても、慣れはしません」

「羨ましい言葉だ」

「……こちらを子供と呼びたいのであればご自由に」

「そうではないよ。子供である、大人である……ここの線引きはそういう次元の話ではない。戻れるか、戻れないか。そういうレベルの話だ」

「随分ですね。……このレポートは、そういう線引きですか?」


 隼騎が、懐から紙の束を取り出した。ドクターが肩を竦める。


「読もうと読まないでいようとどちらでも構わんよ。それは私なりの『誠意』に過ぎん。読むならばもう戻れないようになり、読まないならばまだ戻れる」

「成程」

「まあ、すぐに決めろとは言わんよ。ずっとここにいてもらうわけでもない。キミに頼みたいのは、ここの研究データを全て他の施設に移送するまでの時間稼ぎだ」

「時間稼ぎということは、攻められることは確定しているということですか?」

「そうなるね。ここは少々、場所が悪い。アルツフェムから適度に遠く、適度に近いんだよ。叛乱軍はまず間違いなく、ここを攻撃して拠点にしようとする」


 ちなみにこれを読んだのは、ドクターの上官であるソラ・ヤナギだ。そしてそれの対策のため、ドクターは本国への帰還を無視してここで色々と悪巧みをしている。

 まあ、ここのことについてはウィリアム・ロバートも知っているので、暗黙の了解を受けてはいるが。


「総督殿の策からして、別にここを拠点にされたところで問題はない。拠点が増えれば、その代わりにそれぞれの兵力が減るのは道理だからね。しかし、ここの『研究』について知られるのは避けたい。どこの国も秘密裏にやっていることとはいえ、建前上は人道に反するからねぇ」

「……あなたが言うと、冗談に聞こえませんね」

「冗談ではないからね」


 言い切った。正直、建前などドクター自身はどうでもいいと思っている。しかし、それを守らなければ満足に狂気へ染まることさえ許されないのなら、守っていくしかないだろう。

 それを聞き、では、と隼騎がドクターへと問いかけた。


「ここの機材を含めた全てを運び込むということですか?」

「ん? いや、それはしないよ。手間がかかるからね。時間的に余裕もない。まあ、放置もできないから後で全て破壊することになるが……データの運び込みが最重要案件だ」


 億単位の金が動いているのだが、それはそれ。知ったことではない。予算について考えるのは彼の仕事ではないのだ。


「まあ、それはそれ。期待しているよ」

「……わかりました」


 頷き、隼騎はレポートへと視線を落とした。そのタイトルは『奏者量産計画』。タイトル通りの、とてつもない狂気に侵された計画だ。

 まあ、成果はほとんど上がっていないが。


「さて、叛乱軍諸君はどういう手を取るのかな? 楽しみだよ」


 狂気を見ることなく、ここを破壊するのか。

 狂気を目にし、何らかの答えを出すのか。

 どちらにせよ――面白い。



◇ ◇ ◇



「次に攻め込むのは、ここだ」


 襲撃し、制圧を完了した収容所。そこを暫定的な拠点にした護たち解放軍は、作戦会議を行っていた。

 次に狙うのは、今現在護たちがいる収容所より少し北の位置、渓谷の中に隠れるようにしてある収容所だ。


「丁度、今ここには解放軍に主力が集まっておる。攻め込めば落とすのは容易くない」


 言ったのはセクターだ。作戦会議室にいるのは、例によってソフィア、護、アラン、セクター、レオンの四人である。ちなみに今回は天音とレベッカはアルツフェムで待機している。


「……何で、そこを攻めるんだ?」


 声を上げたのは護だった。例によって一歩離れた位置から会議に参加している。セクターが、ふん、と鼻を鳴らした。


「そんなこともわからんのか? 見ろ、この位置を。この第四収容所は我らが本拠であるアルツフェムにここを除けば北部では最も近い位置にある。そして、同時にここを押さえることができれば北部の統治軍への牽制になるのだ。ふん、やはり貴様は計略については無能だな」

「…………」


 護は無言。普段の彼ならここでセクターへ何かしらの言葉を言い返しているのだが……それさえもなかった。ただ、鋭い瞳でセクターの指差す地点を見据えている。

 その様子を不審に思い、レオンが護に声をかける。


「どうした、護?」

「……何でもねぇよ」


 護はそう返答を返す。少なくとも、その言葉を返した護はいつもの通りに見えた。


「ならば、話を進めよう。――セクター、策はどうするつもりだ?」

「はい、陛下。ここは規模こそシベリア全土にある収容所の中でも最小ですが、その攻略には骨を折ることになります。渓谷の中にあるため、天然の要塞と化しており……正面突破は難しいものと思います」

「まあ、そうでしょうね。今回のように裏側から回り込むことも難しいかと」


 レオンもセクターの言葉に同意する。そこで、セクターがしかし、と声を上げた。


「私は綿密な調査により、ここへ回り込めるルートを見つけた!! 途中の険しい道は人の足で走破することは不可能だが、神将騎ならば可能!!」


 つまり、とセクターは言う。


「斥候として奏者の二人には神将騎を用いてここへ潜入、内部工作を行ってもらう!! その後、我らの突撃とキサマたちの攻撃によって一気に制圧する!! 完璧だ!!」


 どこが完璧なのか、穴だらけの気もするが……いずれにせよ、斥候の役目は必要だ。

 場所が場所でもある。地形図を見ても、正面から以外は確かに人の足では侵入できないだろう。

 ならば、答えは単純だ。


「……俺が行けばいいんだよな」


 護が声を上げた。そのまま、護は四人へと背を向ける。


「〈毘沙門天〉のエネルギーが七〇%を超えるまで、後二時間ぐらいだ。それが済み次第、俺は出発する」

「待て、小僧」

「待ってる場合かよ」


 ソフィアの制止を、護はバッサリと切り捨てる。


「待ってらんねぇだろうが。ここから撤退した奴らが、次に俺たちが攻め込もうとしてるとこに逃げ込むのは予測ができてる。防備固められたら攻めんのも難しいだろうが。そうなる前に乗り込む」

「待て護。お前は休め。いい加減、休まないと――」

「大丈夫だよ」


 横顔だけを振り返らせて。

 護は、言った。


「全てを救う。……そう、決めたんだよ」



◇ ◇ ◇



 仮眠室。暫定的に用意されたその部屋で、護はベッドに突っ伏して荒い息を吐いていた。ベッドを見た瞬間、視界が歪み、体が勝手に倒れ込んだ。

 滝のような汗が流れ出す。頭が鈍器で殴られているかのように痛い。


「……くそっ…………軟弱……、過ぎだろ……ッ!」


 呻き声のようなものを漏らす。たかが一週間。たったそれだけの間、一睡もしなかっただけでこの様だ。


 ――アリスは、こんなもんじゃねぇってのに……!


 思う。いくら奏者であるとはいえ、アリスはシベリア人である。その扱いがまともではないことなど、容易に想像できる。

 死ぬために戦っている――彼女のその台詞も、そういった立場が紡がせたものだろう。

 死んでもいい、ではない。

 死ぬべき存在。

 そんな扱いを受けている彼女が、ずっと無事でいられるわけがない。


「……立てよ…………! 立つんだよ…………ッ!!」


 手をつき、起き上がる。目を閉じることはできない。それをしてしまえば、もう二度と立つことができなくなっていただろう。

 それほど――体は重かった。

 それでも、立ち上がるだけの理由がある。

 立ち上がらない、理由もない。


 ――不意に。

 仮眠室の、扉が開いた。



◇ ◇ ◇



「……こちらへ逃げ込んでくる者がいるようだが、どうするかね?」

「その方々は事情を知っておられるのですか?」

「いや、知らんだろうね。ここについて知っている者は少ない」

「ならば、答えは一つでは?」

「頼まれてくれるかね?」

「貸しを作っておくという名目でならば」

「構わんよ。……それを使うのかね?」

「ここのところ、乗る機会も少なかったですから」

「美しいフォルムだね。……だが、この様式は西洋風のようだが?」

「元々は西洋の神将騎です。取引で、私たちが所有することになりました」

「ほう。名は?」

「――〈アロンダイト〉」


 声が響く。


「湖の騎士と謳われた、とある騎士の誓いの剣です」



◇ ◇ ◇



 入ってきたのは、レオンだった。この二年間、共に戦ってきた相棒は壁に背を預け、言葉を放ってくる。


「寝ていたのか?」

「いや。変に寝てしまうより、このまま起きてた方が都合がいい」

「休む気はないのか?」

「休んでるさ」


 嘘だった。休息などまともにとっていない。だが、それを悟られたくはなかった。

 レオンは、しかし気付いているのかいないのか、そうかと小さく呟くだけに留まる。

 沈黙が流れる。それを破るように、レオンが言った。


「お前に何があった?」

「……何の話だ?」

「とぼけるな。『全てを救う』だと? そんな無茶苦茶なことを言い出したかと思えば、この一週間、急に動き始めて。俺たちは休憩を挟みつつ動いているが、お前は全ての作戦に参加している」

「俺の力は必要だろ」

「必要だな。実際的にも精神的にも、お前の存在が戦場にあることは重要だ。だが、潰れられるのは最悪の展開でもある。状況次第では俺はお前に休ませつつ動くという手もあった。しかし、お前はそれを悉く拒否した」


 休め、とレオンが言う前に、護は次を聞いていた。

 そうして、駆け抜けようとしている。


「何をそんなに焦っている?」

「……別に。大体、言っただろ。目の前の全てを救うってな。それが広がっただけだ。俺たちは一人きりだった。一人きりで戦い続けてきた。それが、解放軍なんて大きな組織になって……今なら、救えるんだ。救い出せる」


 一人では掴めなかったものへ。

 手を、伸ばせるのだ。


「もう嫌なんだよ。救えねぇのは。もう、冷たくなってくガキ共の体を抱えるしかねぇなんて嫌なんだよ。絶叫を堪えて、死にかけてるガキ共を安心させるために嘘の笑顔を浮かべるなんてのは」

「……護」

「そんなのは、そんなものは最悪の結末だ。言ったはずだぜ、レオン。俺はそれを起こさせないために行動する。そのために全てを救い出す。……絶対だ。絶対に救い出す」


 それこそが、護・アストラーデの誓い。


「俺はここに生きている。だったらまだ、やれることはある。五体がある。拳は握れる。両の足は俺を支えてくれる。ならばまだ、倒れるのは早いんだよ」


 立ち上がり、部屋を出て行こうとする護。レオンは沈黙したままだ。

 そのレオンへと言葉を紡ぐように、護は言った。


「ただ、思うことはある。……もし、戦争がなくて、こんなことになっていなければ」


 普通に出会い、普通に過ごし、普通に恋をし、普通に未来を夢見ていれば。


「俺が奏者じゃなかったら、こんなところで立っていられるほどの器がなかったなら、俺は《氷狼》の護・アストラーデではなく――そこらの馬鹿な男でいたかった、ってな」


 その夢想は無意味なこと。その可能性がなかったからこそ護はここにいて、戦っている。

 だが……思うのだ。

 自分が自分でなければ、どれほど楽だったのだろうかと。


「でも、それは全部ただの逃避だ」


 そう、逃避。

 逃げることは許されない。あの日、首都へ背を向けた時のように、逃げることはできない。

 逃げた先にはもう、何もないのだから。


「だから戦うんだよ。未来のために。過ぎ去った過去は変わらねぇ。起きてしまったことは変えられやしねぇ。でも、未来は変えられる。今動けば、未来は変えられるんだよ」


 だから戦うのだ。未来のために。

 今度こそ、手を伸ばすために。


「……行ってくる」

「おい、待て――」


 制止を聞かず、護は部屋を出た。

 歩き出す。止まっている暇はない。

 立ち止まってしまったら、もう二度と立ち上がることはできなくなりそうだったから。


 だから――歩んでいく。進み続ける。

 脇目も、振らずに。



◇ ◇ ◇



 夜の闇に紛れ、〈毘沙門天〉は単騎で雪原を駆けていく。〈セント・エルモ〉も同じように目的地へと向かっているはずだが、今は別行動だ。

 険しい渓谷を越える。できるだけ音を消し、隠密行動に終始する。

 同時、速さも落とさない。必要なのは速度でもあるのだ。隠密と速度の両立――困難だが、護には難しいことではない。

 そもそも、彼が《氷狼》として活動していた時は〈フェンリル〉による戦闘よりも、こういった隠密活動こそが主体だった。故に、彼に問題はない。


「…………」


 頭には鈍い痛みが絶えず走り続けている。しかし、止まることはない。止まることは許されない。

 前へ、前へと。ただただ、ひたすらに。

 人の手では踏破不可能な高さの崖を、〈毘沙門天〉の力を使って駆け上がる。ブースターを使えばもっと楽に進めるのだろうが、それはやらない。

 登り切ったそこは、切り立った崖の上だった。視線を巡らせる。


「……あそこか」


 僅かに光が見える地点を凝視し、〈毘沙門天〉のモニターを操作して倍率を上げていく。その視線の先には、確かに『それ』があった。

 次の襲撃の予定地――第四収容所。


 ……とにかく、〈毘沙門天〉を隠さないと。


 周囲を見回し、万一の時にすぐに向かうことのできる場所を探す。収容所というのは、ただただ攻撃すればいいというものではない。内部の把握をし、その上で捕らえられている者たちを救い出さなければならないのだ。

 岩陰へと身を縮めた状態の〈毘沙門天〉を隠し、そこから降りると、護は周囲を見回した。収容所から発せられている光に注意しつつ、小走りに向かっていく。

 息を殺し、接近する。見張りは人の目が基本だ。監視カメラなるものも存在するが、今のところそれに類するものは存在していない。

 収容所の壁へと背を預ける。分厚い石造りの壁だ。侵入するにはこれを越えなければならない。


「…………」


 息を吐く。手をかける。越えられないことはない……だろう。

 そうして、ゆっくりと護は壁を昇っていく。


 だが、彼は気付かない。

 見張りは人の目で行うことが基本だ。だというのに、外壁の上に人影がないことに。ライトこそ周囲を照らすために動き回っているが、それを確認するための人がいないということに。

 護は、気付いていない。



◇ ◇ ◇



 第四収容所内部。壁を昇り切り、侵入を果たした護は息を吐きながら周囲を見回した。その表情には怪訝なものが宿っている。


 ……見張りがいねぇ……?


 普通なら、ここで見張りを騒がれる前に潰すというアクションがあるのだが、それさえ必要ない。


「…………」


 音がない。異常なくらいに不気味だ。人の気配がそもそもしない。


「……考えても仕方ねぇ」


 呟くと、護は内部へと侵入するために走り出した。扉の前まで辿り着くと、サイレンサーによって銃声を消した拳銃で錠前を破壊し、小さく扉を開ける。

 中には明かりがついていた。しかし、変わらず人の気配はない。


「…………」


 護は建物内へと侵入すると、物陰へと隠れた。そのまま周囲を見渡す。やはり、人の気配はない。


「……ここは研究棟か何かか……?」


 人の気配がないないことを確認し、護は周囲を見ながら呟く。床に散らばった無数の資料や、壁の側にある無数の棚に納められたファイル。立ち並ぶ机。ここは、研究のための施設なのだろう。

 収容所であるはずのここに何故そんなものがと思うが、ある以上は仕方がない。

 護は、床に散らばった資料へと目を落とす。それらは全て人体についての資料のようで、専門用語ばかりの資料は護には理解できない。


「…………?」


 ふと、机の上に置かれた紙の束へと護の視線が向かった。乱雑に置かれ、散らばっている資料やレポートの紙の中、それだけが綺麗にクリップにまとめられ、机の上に置かれていた。

 手に取る。そしてそのタイトルを見た瞬間、護は全身が総毛立つのを感じた。


『奏者量産計画』


 そんなタイトルのレポートを、護は捲る。

 そして――目が離せなくなった。


『統計的な確率において、〝奏者〟が生まれる確率は一万人に一人である。これはあらゆる世界を見ても同様で、一節では合衆国アメリカは五万人に一人の確率とも言われるが、それについては噂の域を出ない』

『ここで、〝奏者〟についての定義をしておく。彼らは〝神将騎〟と呼ばれる、古代より伝えられる機動兵器を操れる存在だ。だが、この〝神将騎〟についても謎が多く、一つの〝神将騎〟を操れたとしても違う〝神将騎〟を操れるとは限らない。故に、『世界のどこかにその者が操れる〝神将騎〟が存在すること』が〝奏者〟の定義となる』

『彼らの存在は、国家の力の一つである『軍事力』において大きな意味を持つ。神将騎という存在は人類の殺戮の英知である戦車十台以上と同等とされ、それ故に各国は無条件で〝奏者〟という存在を優遇し、その中でも更に優秀な者は年齢など関係なく軍隊の中で上位に入る。我が国も例外ではない』

『以上が〝奏者〟という存在に対する見解である。大戦が終わり、しかし各地で戦乱の火種が燻る現代においてその存在は貴重であると同時に重要だ。それ故に、我々は〝奏者〟の『生産』を命じられた』


 ドクン、とそこまで読み進めた護の心臓が高鳴った。

 生産――まるで、物を扱うような言葉だ。


『そこで、まず我々は〝奏者〟の『神将騎を扱える』以外の定義を見つけることから始めた。その上で様々な調査を行った結果、『身体能力』という点で共通点が見つかった』

『我が軍に在籍する〝奏者〟の身体能力を調査した結果、ただ一人の例外もなく全員が非常に高い身体能力を有していることが判明した』

『基準を言えば、オリンピックのトップアスリートたちと同等レベルの身体能力というところである。だが、これについては疑問の声も上がった。〝奏者〟である彼らはその重要性から生存の訓練を重要視され、通常の兵たちよりも過酷な訓練を行うことが通例である。身体能力の高さはそれが理由ではないのか、という意見が出たのだ』

『これについては、しばらくの間明確な結論が出なかった。そこで我々が手を出したのは、禁忌とされる『遺伝子』の解析である』

『現在より十年前、大犯罪者である〝魔術師(ウィザード)〟マクスウェル博士によって世に出た『人間の設計図』とされる遺伝子は、その存在を肯定することが人を作りたもう神々への冒涜であるとされ、彼の死後もあらゆる国々で研究が禁止されてきた。しかし、我々は敢えてこれに踏み込むことにする』


 遺伝子、という言葉は護も聞いたことがあった。人を構成する細胞に刻まれているものだという。それを探れば、『クローン』という元になった人物と全く同じ存在が作れるのだとか。

 無論、それは命に対する冒涜であり、世界最大宗教である『聖教』においては人を生み出した神に対する冒涜ともされ、その研究及び存在は禁忌とされている。事実、それを発表した人物はその数日後に不可解な死を遂げたという。

 ちなみに、この『遺伝子』という研究を発表した男はこんな言葉も述べていた。


〝この歪な世界の歴史を進めよう〟


 その言葉の意味は最後まで不明だったが、その研究が全て封じられた事実はある。

 ただ、研究した。それだけで殺された人物。世界中が禁忌としたそれを、このレポートを記した者たちは掘り返したというのか?


『そして、『コンピュータ』と呼ばれる大型演算装置を用い、我々は一つの『成果』と『答え』を得た。〝名無(エラー)〟と呼称する『六人の人工的な奏者』と、遺伝子における『共通点』である』

『ただし、ここにおける遺伝子の詳しい話は未だに不明な部分も多く、記すにはデータ量が膨大となるために別紙へと記載する』

『さて、これによって我々は〝名無(エラー)〟という人工的な奏者を生み出すことに成功した。しかし、ここで問題が発生する』

『我が国が保有する神将騎において、『最弱』とされる〈クラウン〉しか〝名無(エラー)〟は扱えなかったのだ。また、十の年齢になる前に六人のうち五人が衰弱死し、現在は最後発の固体である№Ⅵ、『ヒスイ』のみが正常に稼働している』

『何故、『ヒスイ』のみが生存しているのかについては、今後『最高の失敗作』である『ヒスイ』の経過調査で判断する』

『また、ここで問題が発生した。六人の〝名無(エラー)〟を生産するために消費した金額が六〇万ユーロと非常に高額となったため、一時凍結の判断が上層部より下された』


 六〇万ユーロ、という単語に護は目を見開いた。凄まじい額だ。下手をすれば小国の国家予算さえも超える額である。

 このレポートに書かれていること――自分の状況さえも忘れて、護はそれに集中する。

 ドクン、と心臓が高鳴った。

 この先を読むべきではないと、心のどこかで自分が告げていた。

 しかし。

 護は――用紙を捲る手を止められない。


『これにより、我々は『新たに奏者を創る』ことではなく、『既存の奏者を強化する』方法を選ぶことにした。幸いにして、〝名無(エラー)〟の研究から遺伝子が重要と判明していたため、これを利用することにする』

『しかし、我が国の奏者を安全性の確保できていない実験に利用するわけにはいかない。そこで、我々は大戦における敗戦国である『シベリア連邦』へと目をつけた』


 ドクン、と心臓が高鳴った。

 早鐘のように、心臓が鳴り響く。


『奏者は危険である、という思想の下、シベリア軍の奏者は『第四収容所』へと集められた。我々はそこの管理へと志願し、ここ機材を運び込み、研究を始めた』


 第四収容所。

 それは――この場所だ。


『結論から言えば、研究は成功した。奏者の遺伝子を圧縮、高密度にして持ち主本人に打ち込む――別の人間へと遺伝子を打ち込む方法も試したが、これは拒絶反応により死亡すると判明――により、体へと負荷がかかる代わりに身体能力の強化へと成功した』


 遺伝子を、打ち込む。

 その言葉を聞いた瞬間、護は口の中が乾いていくのを感じた。

 力を得るためと、そう言っていたあの少女が。

 そんなことを――言っていなかったか?


『ただし、これは身体へと極度の負担がかかることが判明した。遺伝子配列に異常が発生し、被験者によっては『原形を留めなく』なる者さえ現れたのだ。しかし、数度に渡る人体実験の結果、我々は適切な濃度の算出に成功する』

『これによって、『強化』の研究は成功した。しかし、実験によって発生した死体の処理には色々と問題も多く、当面は第四収容所に放置、及び、ここを関係者以外立ち入り禁止区域とする』

『また、我々は〝奏者〟の共通点にも、一人の奏者と出会うことによって答えを一つ得ることに成功する』

『その者は正式な訓練を受けておらず、文字通り一般人に紛れていた奏者だった。しかし、その奏者は訓練を受けていない身でありながら――かの《赤獅子》に迫る身体能力の数字を叩き出した』

『また、その者へ『強化』を施すことで、更に奏者としての質を強化することに成功する。次ページにて、その人物についてのデータを記す。その者の名は――』


 そして、ページを捲った護の手が。

 あまりにも強い感情により――レポートを握り潰した。


『――アリス・クラフトマン』


 そこにご丁寧に顔写真付きで記されていたのは、約束を交わした少女だった。

 あまりに高ぶった感情ゆえに、視界が赤く染まっていく。彼の目に映ったのは、そのページに記されていた一言。


『ただし、彼女の左腕は人としての感覚を失いつつある。いずれ全身を蝕むであろう浸食は、彼女の将来を奪うことになる』


 計算されていたはずなのに何故、このような――と後には続いていたが、そんなことはどうでも良かった。

 寿命を縮める。それは、文字通りの意味。

 紫色へと染まった腕。あれは、そういう意味だったのだ。


 アリスは、未来を犠牲にして。

 そうまでして――死のうとしたのだ。誰かの、ために。



「――そのレポートを読んだんだね?」



 声が、響いた。

 その言葉を発した人物を確かめる間もなく、護は手にした銃の引き金を引いた。



◇ ◇ ◇



 抜き放つような一発は、相手を撃ち抜くことはなかった。サイレンサーのおかげで銃声はない。だが同時に、相手に当たった音がないのだ。

 カキン、と落ちた薬莢が床に当たり、音を反響させる。誰だ、と護が言葉を紡ぐ前に、頭上から声が響いた。


「用心しておいて良かったよ。まさか、躊躇いなく撃つなんて。……まあ、正しい判断なんだけど」

「――――ッ!」


 頭上を振り返ると同時に、護はそちらへ銃口を向けた。視線の先、月明かりに照らされた場所に立つ人影がある。

 若い男だった。自分とそう年齢は変わらないだろう。

 その男は、拳銃をこちらへと向けていた。わかり易い、相討ちの状態。


「僕は蒼雅隼騎。故あってここの守護を引き受けている、大日本帝国の人間だ。……キミは?」

「…………」


 問われた言葉に、護は沈黙を返す。隼騎、という青年が苦笑を漏らした。


「折角名乗ったのに、無視されちゃったか。まあ、仕方がないね。僕は、キミの――キミたちの敵だから」


 敵。その言葉に、護は銃を握り締める力を強くする。応じるように、隼騎が言葉を紡いだ。


「これから先、ずっとそうとは限らないけど……、今、この瞬間は敵だね」

「……テメェは誰だ」

「言ったはずだよ。蒼雅隼騎。肩書きはあるけど、それは今ここにおいては意味がない。意味がある紹介は、たった一つ。――僕はキミの味方じゃないということだけだ」


 言い放つ隼騎。そのまま彼は、こちらを見下ろしながら言葉を紡ぐ。


「普段なら、少なくとも味方ではない……、という紹介をするんだけどね。明確に敵とわかっている以上、敬語もなしだ」

「…………」

「さて、僕の語るべき事柄は語ったよ。次はそちらだ。……何がそんなに気に入らないの?」


 隼騎が首を傾げる。護は、吐き捨てるように言葉を紡いだ。


「テメェの事情なんざどうでもいいんだよ。――アリスに、何をしやがった?」

「アリス?」


 隼騎が更に首を傾げる。護は、拳を握り締めた。


「とぼけんじゃねぇよ……! なんなんだよこれは!」

「……ああ、その報告書がどうかしたの?」

「涼しい顔をしてんじゃねぇ!」


 吠える。まだ全てを読み進めたわけではないし、難しい言葉には理解ができないものも多い。

 それでも、わかることがある。研究、とここで記されているそれは、きっと。

 ――外道と呼ばれる行為。

 そうでなければ、『壊れる』だの『原形を留めなくなる』などといった言葉は出てこない。


「何なんだよ……! テメェら、ここで何をしてやがった!」

「何を、と言われても。僕は詳しくは知らないんだけどな……、終わった後に来たから。……まあ、それで納得するような性質でもなさそうだ」


 言って、隼騎は彼が立っていた二階から飛び降りた。軽い着地音を響かせ、隼騎は護へと背を向ける。


「ついて来るといい。キミたちがいる現実というものを、見せてあげるよ」


 歩き出す隼騎。その後を追うことに、護は逡巡したが……結局、追うことにした。騒ぎを起こさずに済むならばそれが最良であるし、同時にこの男の言う現実というものを見ようとも思ったのだ。

 同時に、護は心のどこかで気付いていたのかもしれない。

 この収容所に人の気配がない――その理由に。


「……ここだよ」


 数分ほど歩いたところで、護は真っ暗な通路へと案内された。僅かに見える視界の中には、鉄格子が見える。


「…………?」


 不意に、鼻腔をくすぐる異臭を感じた。覚えのある臭い。これは……血の、臭い。


「明かりをつけようか」


 言って、隼騎が灯りをつけた。照らし出される暗闇。それを目にした瞬間、護は思わず口を覆った。


「――――――――――――ッ!!」


 柵に見えたものは、牢屋の格子だった。しかし、そんなものはどうでもいい。

 その中にある、無数の死体に、護は感情を揺さぶられた。

 いや、死体と呼んでいいのかもわからない。

 千切れた四肢。撒き散らされた臓物。最早人のものとも思えないほどに膨れ上がったそれらが地面へと散乱し、紅に血潮が周囲を彩っている。

 惨劇。正にそう呼ぶに相応しい状態だった。


「なんだよ……、これ……?」


 吐き気が止まらない。眩暈がする。頭痛が意識を揺さぶってくる。

 原形を留めない。

 研究。

 その言葉の意味が、急速に理解できていく。


「なんなんだよ、これはぁぁぁッッ!?」


 銃を構え、隼騎へと突きつける。ぼんやりと照らされた光の中で、その男は無表情にそこにいた。


「目に見たものこそが現実。百聞は一見に如かず、千聞もまた然り……その手にある報告書を読めば、この状態の説明はつくと思うけれど」

「テメェはこれを見て何とも思わねぇのか!?」

「思うことと、表現することは別だよ?……それに、勘違いしているかもしれないけれど、彼らは『尊い犠牲』だ。無駄な犠牲じゃない」


 隼騎は、言った。


「彼らの犠牲で、成し遂げられることがある。……それは、尊い犠牲だ」

「――――!!」


 返答は銃弾だった。引き絞られた弾丸が宙を駆け抜け、隼騎を狙う。だが、護が引き金を引こうとした瞬間に身を翻して逃げた隼騎は、物陰へと身を潜めた。護が叫ぶ。


「ふざけんな!! 人間は実験動物じゃねぇんだぞ!!」

「ならば、動物ならば何をしてもいいと? それはそれで人間の傲慢だ」

「そうじゃねぇだろうが!!」


 走り出す。乾き、固まってしまった血が床を蹴るたびに跳ね上がる。暗い闇の中へ、護は走り込む。


「イカレてんのかテメェらは!? 人間を何だと思ってやがる!?」

「そうは言われても、ね」


 隼騎の声が遠ざかっていく。

 通路の先にある曲がり角。そこを越え、銃を向ける。

 だが、そこに隼騎の姿はなかった。


「どこに行きやがった!?」


 声を張り上げる。応じる声はない。

 くそっ、と護は呟いた。周囲が暗いせいでよく見えない。隠れられたなら、見つけるのは難しい。

 どうする、と自問する。ここで退くというのも選択肢の一つであるというのは護もわかっていたが、それを行う気にはなれなかった。

 積み重なる死体と、噎せ返るような血の臭い。

 あれを無視することはできない。

 故に、護は前へと踏み出した。そこへ。


『さて、僕は僕の務めを果たそう』


 声が響き渡った。肉声とは違う、機械を通した声。


『僕の任務は、ここを守ること。別に、僕個人としてはEUが何をしていようと興味はない。大日本帝国は、我が国の不利益にならないのであれば他国の内政には干渉しない。〝君臨すれども統治せず〟――我らが象徴であり、絶対なる王である帝の言葉を違えるわけにはいかない』


 ドンッ、という凄まじい爆発音が響いた。護の視線の先で壁が吹き飛び、そこから一機の神将騎が姿を見せる。

 蒼い神将騎だった。右手に両刃の大剣を持ち、左手に刀を構えたその神将騎は、騎士甲冑がそのまま神将騎になったような印象をこちらへと与えてきた。

 ガチン、という金属音を響かせ、その神将騎がこちらを向く。


『神将騎、〈アロンダイト〉。故あって僕が使用しているこの刃、受け切れますか?』


 マズい、と護は思った。こちらは生身だ。神将騎を相手に立ち回る力はない。人が神将騎に一矢報いる方法など、命を捨ててもあるかどうかわからないレベルの話なのだ。

 判断は早い。護は〈アロンダイト〉へと背を向けると、全力で走り出した。

 その背へと、隼騎が言葉を紡ぐ。


『……キミは、人をどう思っているのか、って言ったけれど。それは、キミが信じているシベリアの王女だって変らない』


 通路に飛び込む。全力で外を目指す。


『人を玩具にしてでも、世界は〝奏者〟という存在を欲するんだ。……自分だけ、それから逃げるなよ』


 直後。

 背後の壁をぶち破って、〈アロンダイト〉が迫ってきた。



◇ ◇ ◇



「くっく……派手にやっているねぇ」


 笑い声が響いた。仮面を外し、夜の外気にその顔を晒しながら紫煙を吐くのは、ドクター・マッド。彼は笑みを零したまま、楽しそうに言葉を紡ぐ。


「英雄とは、清濁併せ呑む者のことを指す。だが、清き酒など飲んだくれの酔っ払いにでも飲ませればいい代物だ。要は、泥水を躊躇いなく啜れる度量が必要なんだよ、英雄には」


 清濁併せ呑む――その言葉には、どうしようもない矛盾がある。

 清いものなど誰でも飲める。呑むことを躊躇する理由はない。だが、泥水となれば話は別だ。それを躊躇なく飲める者は、決して多くない。

 故に、そこが境界線となる。


「表側しか知らない英雄など、ただの偽善者だ。悪などという陳腐なものがこの世にあるとするなら、それは人間の欲望だが……、それさえ理解せずに正義を謳う存在ほど寒いものもない。まあ、正義は世界を回す原動力にはなっても、潤滑油(グリス)にはならないからねぇ」


 偽善だろうと正義であろうと、それはあくまで原動力になるというだけ。それを上手く動かすには別の一手が必要になる。


「さて、彼の案を聞いた時は上手くいくのかと不安だったが。……あの雨の中、青臭い理想を叫んでいた青二才は、突きつけられた現実を前にどう動く?」


 どうしようもない現実を前にして。

 あの青い青年はどうするのだろうか?


「英雄とは、人々の希望たる存在。闇を知って尚、輝けるか。それとも、輝けないか……見せてもらおうじゃないか」


 楽しそうに、ドクターは笑う。

 眼下で、彼が全ての始末を終えた収容所が各所で爆発を始めていた。

というわけで、無茶苦茶してる主人公と、無茶苦茶してるダークサイドのお話です。

正直、〝奏者〟は軍隊的に見れば相当価値のある存在なのです。その存在の秘密を解明しようとするのは当然で、更に戦争という理由が倫理を振り切ったわけですね。

この世界における文明は歪に発展しています。一部だけが、本来ありえないレベルへ到達しているというところでしょうか。

その辺についても、おいおい説明出来たらなぁ、と。



さてさて、それでは今回はここまで。

感想、ご意見お待ちしております。


ありがとうございました!!


………………二話に分けた方が良かったかな?

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