第十八話 廻っていく世界
護の帰還は遅かった。後から援軍として〈毘沙門天〉を追ったのだが、そこで発見できたのは三機の大破した〈ミラージュ〉のみ。
敵の動きもわからぬまま、いつまでも捜索に時間を割くわけにはいかない――至極真っ当な考えの下、レオンたちは撤退を決めた。
彼らはすでに、次の一手の準備を始めている。護がどうなったのか、口に出す者はいない。
しかし――誰もが信じている。
護は一度、《赤獅子》の前に完全な敗北を喫した。その事実を前に、《赤獅子》率いる部隊の襲撃の際、誰もが思ったのだ。
――勝てない。
希望たる護でさえ、《氷狼》でさえも敗北したのだ。勝てるはずがないと。
それでも、強襲が起こった時、護自身も徹夜続きで体力は万全でなかったはずなのに、言ったのだ。
〝俺が出る〟
その言葉に迷いはなかった。一度の敗北に対する恐怖さえ抱かずに、護は前を見据えていたのだ。
そして、出陣した彼はそのまま襲撃者を三機も蹴散らすという結果を残した。それを見て、思わない者はいない。
まだやれる。
まだ――戦えると。
そして――
「帰ってきたぞ――――ッ!!」
声が響き渡った。その場にいた全員が、一斉に外の見える場所へと視線を送る。
そこにいたのは、一騎の鎧武者。
――〈毘沙門天〉。
「やはり帰ってきた!」
「凄ぇ! 凄ぇよ!」
「やっぱり、《氷狼》は俺たちの希望だ!」
その場の者たちが口々に声を上げる。迎撃戦自体は、それなりの死者も出たし損害も出した。だが、レオンの対応は間違っておらず、結論から言えば彼らは勝利した。
あの《赤獅子》が率いる部隊を、撃退したのだ。
〈毘沙門天〉がアルツフェムの内部へと帰還する。それを、誰もが称賛の声を以て受け入れた。
そして、その奏者が地面へと降り立つと、当然のように拍手が巻き起こる。
「護」
万雷の拍手の中、レオンが護へと歩み寄った。そのまま、レオンは護へと言葉を紡ぐ。
「無事なようだな。何よりだ」
「お互いにな」
護が言葉を返す。口調いつも通り。その中に、しかし、レオンは違和感を感じた。
普段から、護は他人を寄せ付けない雰囲気を纏っている。それは苛烈なまでに前を見る姿勢からくるものであり、逆にその姿勢が彼のカリスマ性の一つになっている。
だが――違う。
今の護は、まるで手負いの獣のような危険な香りを放っている。
「……レオン」
護が、目の前にいる自分の名を呼ぶ。瞬間、喧騒が止んだ。
誰もが――言葉を待っている。
「次に収容所を襲撃するのは、いつだ?」
ざわっ、と周囲が護の言葉でざわめいた。レオンも驚きながら、言葉を紡ぐ。
「準備は進めている。お前の体調と〈毘沙門天〉が万全なら、出ることはできる」
「なら、作戦会議だ。一刻も早く、不当な扱いを受けている奴らを救い出すぞ」
言い切る護。そこに、レオンは痛烈な違和感を感じた。
収容所の襲撃。それは必要なことだ。だが――それを、護が言い出すのか?
護はシベリア軍を敵視している。彼が両親を失った経緯を考えれば、それはむしろ当然とも呼べるもの。故に、レオンもそこには細心の注意を払うことにしていた。
しかし、今。
護は言った。収容所の襲撃、と。
強制労働に従事している者たちではなく、救い出せば即座に戦力になる方を選択した。
レオンは内心でそのことを疑問に思いながら、だが、と護に言葉を紡ぐ。
「お前の体調はどうなんだ? 碌に休んでいないだろう?」
「三時間も寝れば万全に持っていける。〈毘沙門天〉もそれで動くはずだ。……休んでる暇はねぇんだよ」
レオンに背を向け、普段彼らが作戦会議を行っている部屋へ向かって護は歩き出す。
「一刻も早く、救い出す。……畜生が。諦められるかよ。全部救ってやるさ。お前を救うには、全部救うしかねぇってんなら、俺は必ず救い出す」
小さな呟き。そこには、殺意のようなものが込められていた。
救う。全てを。その言葉は理想だ。この先、何人も何人も死んでいく。
だが――護は、それを実現する気だというのか。
「レオン」
呆然と見送った背中。その背中越しに、護は問いかける。
「二年前、お前は言ったよな?……『多くを失う覚悟をしろ』って」
「…………」
無言で、レオンは頷いた。戦後の荒らされた村で、レベッカと共に隠れるように暮らしていた二人。そこへ護がレイドと共に訪れ、レベッカが修復した〈フェンリル〉を起動した。
その時、戦おうと言った護に、レオンはその言葉を吐いた。
戦いとは、ただただ残酷な現実だ。ましてやこちらは当時、孤軍だった。救えないものの方が多いことは、わかり切っていた。
しかし、あの時護は何も言わなかった。言葉を返してはくれなかった。
それが、今。
「いいか、レオン。〝全てを救う。最悪は起こらない。この手で起こさせない〟――これが、俺の覚悟だ」
振り返った時の護の瞳には、迷いがないように見えた。
何があったのか――それはわからない。
それでも。
この男の言うことには、賭けてみたいと思える自分がいた。
「いいだろう。手を貸してやる」
「頼りにしてるぞ」
「互いにな」
並び立ち、二人は歩き出す。
それを、歓声が送り出していた。
◇ ◇ ◇
「まるで英雄の凱旋ですね。ふふっ、何があったのかは知りませんが……随分とまぁ、歪んで帰ってきたものです」
眼下で繰り広げられている光景を見つめながら、クスクスと天音は微笑を漏らした。その横では、つまらなさそうにそれを見ているアルビナの姿がある。
「で、あれが先生の『お気に入り』かい?」
「そうです。可愛いでしょう?」
「〈毘沙門天〉を平然と動かす糞餓鬼を可愛いと思うような神経は持ち合わせていないさね」
「あれくらいやんちゃな方が、可愛いものですよ? できない子ほど可愛いという奴です」
まあ、できない子ではないのですが、と天音は微笑む。アルビナが、それで、と言葉を紡いだ。
「どうするつもりだい? 随分と間違った方へ進んでるみたいだよ、あの餓鬼は」
「別にどうもしませんよ? 死ぬならそれはそれ。私はあの子の親ではありませんし、友であるわけでもない。互いに互いを利用しているだけです」
「ドライだねぇ。その割には、随分とご執心のようだったけど?」
「ふふっ、『目的のための私』と『私のための私』は別人ですから。それは、多少は遊びに走ります」
「……あの餓鬼は本当に不憫さね」
アルビナがため息を吐く。彼女が知る出木天音という人物は、どうしようもないほどの人格破綻者だ。栄華を掴んでおきながら、平然とそれを捨て去る。百人が百人、彼女の生き方を理解できないだろう。
チラリと、アルビナは天音を見る。天音は楽しそうに微笑むだけだ。
だが――彼女は知っている。
出木、天音。《吉原最後の女帝》。その出自については謎が多く、ただでさえ詳細が掴み難い大日本帝国の人間であるということも相まって、彼女自身も知ることは少ない。
しかし、たった一つだけ。
たった一つだけ――理解できないことがある。
〝出木天音は、自分が愛した男さえもその手で殺した〟
とある人物の言葉だ。それ以上のことは聞けなかったが、その人物の言葉の重さを感じるに、真実なのだろうと思う。
アルビナは、思う。自分はこの女性を友だと呼んだ。相手もそう言ってくれた。
しかし――この女にしてみれば。
そんなものは、『どちらも同じ』なのではないだろうか?
「どうしました?」
首を傾げ、天音が問いかけてくる。アルビナは、いや、と首を左右に振った。
「どいつもこいつも難儀だねぇ、って思ってね」
「同意します。もっと単純に生きれば良いというのに」
「……アンタが言うか」
「私は単純ですよ? 面白きことなき世を、面白く。理由はいつだってそれだけでいいのです」
「信用できないねぇ」
「それはそれは」
天音は微笑むだけで、答えない。まあ、どうでもいいのだが。
「さて、あの坊やはどうするつもりかね?」
「坊や……ああ、青年ですね? 彼も素晴らしい逸材です。少年が〝奏者〟であるために影に隠れている印象がありますが、軍隊の指揮やここに住む一般人の統率は彼の功績によるものが大きい。個人的には、少年よりも遥かに高評価ですね」
「その最大の要因は?」
「イケメンだからです」
「…………」
「まあ、冗談ですが。個人的には強い人が好きなのですよ、私は。そうですね……私を殺してくれる人がいるならば、身も心も任せてしまうでしょうね」
笑み。この女性は、いつでもこうやって笑っている。
その笑顔が、本心を隠す仮面であるかのように。
「……まあ、あの坊やは知り合いでね。中々の大物だってことはアタシにもわかるさ」
だが、その疑問は口に出さない。代わりに別の言葉を口にする。
天音は、ふむ、と頷いた。
「確かにそこには同意しましょう。……二人の英雄。ふふっ、王女様? 想定以上の結果ではありませんか?」
天音の言葉と共に、アルビナは振り返る。そこには、シベリア連邦の第三王女たるソフィアと、参謀官であるセクター・ファウストの姿があった。
「想定、とはどういう意味だ?」
ソフィアが問いかける。天音は、いえいえ、といつもの微笑を浮かべた。
「深い意味はありませんよ。ただ、あなたは《氷狼》を英雄として祭り上げようとしていたようですからね。そのために、リスクを冒してまで少年を説得したのでしょう?」
「ほう、リスクとは?」
「――人は死ぬという事実を、貴女が口にするというリスクです」
天音は言った。その口調は変わらず平静だが、どこか張り詰めたものを感じる。敵対するわけではなく、ただただ相対する時の天音の癖だ。
といっても、付き合いがそれなりに長いアルビナだからわかる程度の違いなのだが。
「あの時、貴女が口にした論理は正論です。人は生きているだけで他者を殺し、排除していきます。しかしそれは、真理であると同時に認めてはならない論理でもある。……ましてや、全てを率い、導いていくことを虚偽であろうと謳うべき貴女が、口にしていい論理ではありません」
その言葉に、ソフィアが笑みを浮かべた。そして、その通りだよと頷く。
「流石に貴様は誤魔化せぬか。青二才と小僧は誤魔化せたようだがな」
「青年はそもそも現場にいませんでしたし、少年はあの通り馬鹿ですからね。簡単に流されてくれます」
「……馬鹿扱いとは、先生も結構厳しいさね」
「事実馬鹿ですしねぇ」
確かにそのとおりである。護を庇う理由がないアルビナにしてみれば、別に否定する必要もない。
「まあ、その後すぐに収容所の襲撃をして全体の意識を逸らしましたからね。あなたの発言については、覚えている人もいないでしょう。実に上手い演説です」
パチパチと、小さく天音が拍手をする。それを見て不快そうに眉をひそめたのは、ずっと黙っていたセクターだった。
「黙って聞いておれば、キサマ。ソフィア様に対して無礼とは思わんのか? んん?」
「特に。私はシベリア人ではありませんし、むしろ王女様の恩人です。感謝されこそすれ、敬う理由などないと思いますが?」
「なんだとキサマ! キサマをこの場で殺すことも容易いのだぞ!」
「私を殺す? ふふっ、楽しい冗談ですね。この程度で私が殺せるなら、そもそもこんなことになっていません。さあ、殺してみなさい」
両手を広げ、宣言する天音。セクターはパクパクと口を金魚のように動かすと、その懐から銃を取り出した。小型の銃だ。
照準を天音に合わせる。後は、引き金を――
「やめよ、セクター」
その言葉で、セクターの動きが止まった。ソフィアが、セクターを睨むようにしながら言葉を紡ぐ。
「ここで殺すことにどんな意義がある? デメリットしかない。そうであろう? 貴様らしくもない、セクター」
「……申し訳ありません」
セクターが恭しく首を垂れる。その光景を見ながら、感情の変化が大きい老人さね、とアルビナは他人事のように呟いた。
しかし、その一言が余計だったのか、セクターはアルビナの方を見据えると、喚くように言った。
「そもそも、キサマは何なのだ!? キサマのような者を、私は知らんぞ!」
「何、って言われてもねぇ……」
「ただの世界各地を放浪しているだけの暇人でしょう?」
「……アンタにだけは暇人って言われたくないね、先生?」
「私は忙しいですよ?――趣味で」
「世間一般でそれを暇人と言うんじゃないのかい?」
「ええい! よいから答えよ!」
癇癪を起したようにセクターが怒鳴る。それを受けてもアルビナは涼しげに肩を竦めるだけだったが、そのアルビナへソフィアが言葉を紡いだ。
「私も是非、聞かせてもらいたいものだな。私とて我が旗下の人間全てを把握しているわけではないが……貴様はどうも、我が兵には見えぬ」
「まあ、アタシは兵士じゃないからね」
「ふむ。なれば、何者だ?」
「そうさねぇ……先生の言うように、旅人ってのが妥当な表現だと思うけど? 王女様」
「キサマ、何だその口のきき方は!?」
「そうは言われてもねぇ……。アタシは風来坊だ。誰かを戴くなんてことはしないし、する必要もないんだけどね」
アルビナは肩を竦める。それを見て、ソフィアが笑った。
「くくっ、はははっ。成程、風来坊か。天音、貴様の友か?」
「私はそう思っています」
「成程。なれば、我が軍にとって有益な存在になれるか?」
「……んー、報酬次第かね」
問いかけに、アルビナは頬を指で掻きながらそんな言葉を返した。ほう、とソフィアが頷く。
「ならば問おう。貴様にはどんなことができる?」
「んー、そうさね……統治軍の内情を調べられるよ」
「なんだと!?」
「ほう。詳しく話せ」
セクターとソフィアが、アルビナの言葉に喰いつく。アルビナは頷いた。
「アタシは大戦が起こる前から世界中を旅してる。色んなとこに行くと、それなりにトラブルに巻き込まれることも多くてさ。軍関係の人間にも、上はともかく末端なら何人か顔見知りはいる。統治軍はEUが兵を出し合って組織してる軍隊さね。アタシの知り合いも、少なからずいるよ」
「……まさか、こんなところでこんな人材に会えるとはな」
ソフィアが呟く。そのまま、彼女は真剣な表情を作ると、アルビナへと言葉を紡いだ。
「報酬は出そう。知り得る限りの情報が欲しい。情報とは武器であり、防具だ。それが無ければ勝てる戦さえも満足には勝てぬ。逆に負け戦であろうと、情報があれば勝機を見出せる」
「……流石、よくわかっておられるようさね」
アルビナが呟く。ソフィアは、アルビナへと手を差し出した。
「手を貸してはくれぬか?」
「それは構わないよ。ここには個人的に手を貸してる人間がいるし、断る理由もない。……だけど、情報ってのは鮮度が命だろう? 少し時間が欲しいさね」
「おや、直接情報を集めに行くのですか?」
「それが一番手っ取り早いからね」
アルビナは言う。全く、面倒事厄介事は苦手だというのに……まあ、いい。ここには天音と、レオンがいる。友と、可能性を感じさせてくれる青年。それを見るのも一興だろう。この時期にここへ未だに留まっているのも、きっと何かの理由がある。
「ちょっと、首都まで行ってくるよ。距離があるから、戻ってくるのは一週間てとこかね?」
「首都に情報源がいるのか?」
「いるよ、王女様。……そこにいる先生と同じで、底の見えない妙な男だ。だけどまあ、普段はただのおちゃらけた馬鹿でね。こういう時は、それなりに頼りになる」
思い浮かべる。あの男の側にいつも一緒にいた少女……あれも結構な食わせ者だったが、健在だろうか?
まあ、アルツフェムを生き残った怪物だ。まさか死んではいないだろう。一年ぶりになるか、覚えているかどうか。
「先生、アンタも知ってる男だよ」
「統治軍にいる魅力的な男性というと、《赤獅子》でしょうか?」
「……アンタ、わざと間違えてるね?」
「冗談です。でもまあ、彼は確かに優秀ですが……一筋縄ではいきませんよ?」
「わかってるさね」
そして、小さなバックを背負い、アルビナは歩き出す。
目指す先は、イタリアにおける影の英雄。
――ソラ・ヤナギ。
◇ ◇ ◇
「謹慎、ですか」
首都モスクワにある総督室。そこで、ソラ・ヤナギと朱里・アスリエルは三人の男女と向かい合っていた。
一人は、統治軍を束ねるイギリスの上級貴族、ウィリアム・ロバート。
その傍に控えるのは、彼の秘書であるバラン・スウェート。
そして、統治軍少佐にしてドイツの上級貴族であるカルリーネ・シュトレン。
統治軍はその名目こそEU連合から派遣された治安維持のための軍隊とされているが、その内情は違う。統治軍において最も数が多く、同時に権力を持つのがイギリス軍。これは大戦において彼の国がEU内では最も被害が少なかったことが大きい。
次いで多いのは、ドイツ軍だ。これは千年ドイツ大帝国が古くから精霊王国イギリスとは歴史的な面でも深い親交があり、それを含めた政治的な思惑故だ。特にドイツは大戦初期にEUの南部にあるガリア大陸へと侵攻した際、同様にガリアを侵攻していた大日本帝国軍と衝突し、甚大な被害を受けている。シベリア連邦の支配によって生まれる利益は、ドイツにしてみれば大戦で負った傷の回復に必要なものだ。
そして、その二国に次いで多いのがイタリア軍だ。これはシベリア攻略においてイタリア軍が最も活躍したためでもある。
ソラも朱里も詳しくは知らないし、知ろうとも思わないが……統治軍についてはその派遣の際、EU各国やEUとは正式に国交を結んでいない大日本帝国の思惑も絡み、政治的には相当な駆け引きがあったのだという。
まあ、それはさておき。
そのように複雑な事情を抱えている統治軍は、それ故に規律を守ることを怠れば一気に内部は混乱する。そういう意味で、この場で二人へと告げられた命令は当然のものとも言えた。
「独断専行による、叛乱軍への攻撃。更に、許可なく招集した部隊によるアルツフェムへの攻撃、そして敗走……まさか、何の咎めもなしに済むとは思っていないだろう?」
「それで謹慎ですか、総督?」
問いを発したのは、朱里だった。ウィリアムが頷く。
「我々は今後、叛乱軍と戦っていくことになる。その上で必要なのが、軍全体の協調だ。貴様らは独断専行の上で失敗した。まさか、捨て置けなどと戯言を口にするつもりでもないだろうな?」
「……よく、本国が許しましたね」
「本国?……イタリアか。当然だ。良いか、小僧。《赤獅子》と呼ばれて図に乗っているか知らんが、貴様はただの一兵卒だ。吐き違えるなよ。統治軍は一国の意志で動いているわけではない。EUの意志で動いているのだからな」
「……ふん」
「……期間はどれぐらいで?」
ソラの問いかけ。それに対して応じたのは、カルリーネだった。
「二週間だ。貴様の部隊の者は、一度それぞれの祖国へと戻ってもらう。すでに向こうからは許可を貰っている」
「了解しました」
ソラは頷き、恭しく首を垂れる。そのまま、朱里と共に立ち去って行った。
バタンと、扉が閉まる音が響く。それを見送った後、ふう、とウィリアムが息を吐いた。
「《赤獅子》はともかく、やはりあの男は読めんな。反発の一つもしないとは」
「そういう男です。……以前から、あの男は何を考えているか読めません」
「ソラ・ヤナギ。『アルツフェムの虐殺』を切り抜けた名指揮官……しかし、それ以降の彼は目立った活躍をしていませんね。何故かイタリア軍の後方へと送られ、事後処理などの汚れ仕事のようなものばかりをこなしていたようです」
「バラン。そういう場合は、何故かという言葉は必要ない。……ただの無能たちによる僻みだ。いつの世も、人の足を引っ張ることしかできんクズは存在する」
吐き捨てるように、ウィリアムは言った。ソラ・ヤナギ。その名は、大戦において実際に戦場に立っていたウィリアムも聞き及んでいる。
イタリアだけではなく、フランスも含めた重鎮たちによるアルツフェムの視察。長期化し、疲弊していた兵たちを激励するために行われたそれは、パフォーマンスの意味合いが強かった。よくある話だ。権力者たちも身を危険に晒すことで、兵士たちや国民に『自分も戦っている』とアピールするのが目的だ。
まあ、当然の如く異常なくらいに身の安全を固めてからそういったことは行うわけだが……アルツフェムの時は、それさえも無駄だった。
時間にして、数時間の戦闘だったという。
金色の神将騎と、紫電の神将騎。
たった二機の、しかし最悪の『バケモノ』を中心とした大日本帝国軍が、その全てを薙ぎ払った。シベリア軍とイタリア・フランス軍。合わせて二十万を数えていた軍隊が、壊滅に陥ったのだ。
何の冗談かと誰もが思った。しかし、その現場を見れば理解できる。
――世界には、抗ってはならない存在がいるのだと。
報告を聞いただけで、ウィリアムは背筋に冷たい汗が噴き出すのを感じた。それが止まらないことも、また。
彼が仕える祖国、精霊王国イギリスがそうなるように――虐殺が起こるように、裏側から仕込んだというのに。
「いずれにせよ、これでイタリアの発言力は削げた。近々、EU首脳会議が行われる。今回参列するのは五か国だ。お前たちも知るように、今のフランスとスペインに大した発言力はない。ここでイタリアの発言力を削いでおけば、統治軍については女王陛下が良きに計らってくれる」
「確かにそうですが……よろしかったのですか? 《赤獅子》と大尉は、間違いなく重要な戦力のはず」
「少佐。貴様も貴族、それも国を動かすような位置にいる者ならば覚えておけ。時に目の前の百の兵が死ぬことになろうと、それによって政治を動かせるのであれば是となることがあると。兵士とは死ぬことこそが任務だ。まさか、知らぬわけでもないだろう?」
「……心に刻んでおきます」
カルリーネが頭を下げる。彼女にとって、イギリスの貴族として長年、イギリス女王エリザベスの下に仕え、国を導き支えてきたウィリアムという男は尊敬に値する存在だ。
貴族として生まれ、貴族として生き、そこに誇りを見出す者――信頼も信用もしている。
「さて、あの小僧二人はとりあえず捨て置く。今は叛乱軍だ。……《赤獅子》の手から一度ならず二度も逃れ、その指揮する部隊を撃退した《氷狼》。放置するには危険な相手だ」
「ならば、早急にアルツフェムを攻めますか?」
「逆だ、少佐。……テュール川の向こう側を全面的に放棄する。バラン、アルツフェムの近くにある基地と施設、収容所へ即座に連絡を入れろ。こちら側へ総員を呼び寄せる。ただし、半径二〇〇キロ以上離れている場所は別だ。そこは籠城の構えを取らせるように指示を出せ。必要ならばこちらからも増援を送るともだ。いいか、必ず『籠城』を徹底させろ。そして範囲外であろうが収容所や施設ならば放棄して構わん」
「承知しました」
応じ、バランが部屋にある通信機を使って方々へと連絡を取り始める。その様子を見たカルリーネは、内心で思考を巡らせ始めた。
思考に耽るカルリーネ。その様子を見て、ウィリアムが口を挟む。
「疑問がありそうだな、少佐」
「……いえ」
「誤魔化す必要はない。確かに、私の策は終結に至るにおいて最短とは程遠いものだ」
言いながら、ウィリアムは自身の策について思考する。
テュール川……反乱軍がモスクワへと向かう際、必ずぶつかる河だ。下流であるならばその深さもかなりのものとなるが、モスクワとアルツフェムの直線状の場所ならば深さはそれほどのものではない。ただし、川幅はキロ単位であり、その突破は困難を極めるだろう。
戦車が登場し、神将騎がいるとはいえ……それだけで得ることができるのは局地的な勝利だ。局地的な勝利は大局の勝利へと導いてくれるものであるが、それがイコールで戦闘の勝利となるわけでもない。
だが、カルリーネが疑問に思ったのはそちらよりもおそらく収容所や基地の放棄だ。確かに、この間の収容所襲撃の件を考えれば、半端な防備では簡単に崩されることは容易に想像できる。しかし、統治軍は数で勝っているのだ。多少強引にでもアルツフェムを囲み、攻め立てれば……陥落は難しくない。そう思っているのだろう。
しかし、彼女には見えていない。これは戦争だが、単純な戦争ではないのだ。ただただ敵を叩き潰せばいいというものでもない。『政治』が絡んでいる。
「仮にだ、少佐。もしもこの統治軍がイギリスの兵だけで構成されていたならば、貴様が考えるようにアルツフェムの包囲を行い、長期戦を取るというてもあった。食料を自給できたところで、弾丸の補充は出来んだろう。だが、それはできんのだ」
「何故です? 奴らは我々にとっての大敵です。協力することは不可能でないはず」
「少佐。貴様は人の飽くなき悪意を知らんようだな。それは美徳であるし、尊いとも思うが……人の上に立つのであれば、知っておけ。いいか、少佐」
一度間を置き、ウィリアムは告げる。
「確かに叛乱軍は我々の大敵だ。しかし、同時に私たちはこうも思う。『出来るだけ自分たちは傷つかないように叛乱軍を打倒したい』とな。叛乱軍は敵だが、奴らを滅ぼせばそれで争いがなくなるわけではない。むしろ、EUにおける駆け引きは加速していく。駆け引きにおいて重要なのは、純粋な力だ。後ろ盾になる軍事力がなければ、主張一つも通すことは出来ん」
逆に言えば、圧倒的な軍事力があれば主張を押し通すことができる。
そう。
かの大日本帝国は、国際連盟に所属しない身でありながらその主張を大戦後に行われた戦後処理で押し通した。その圧倒的な暴力を後ろ盾にして。
「アルツフェムを囲み、攻めたてれば確かに勝つことはできる。だが、あの都市はそもそもから難攻不落の城塞都市だ。あれを突破した大日本帝国軍の《七神将》こそが異常な存在なだけであってな。我々が正面からあれを陥落させるとなれば相当な犠牲者を出すことになる。……果たして、どの国がその犠牲を受け入れる?」
要は、そういうことだ。叛乱軍の打倒に異論はない。しかし、どの国もそのために犠牲を払いたくない。
故に――少々、回りくどい方法をとるしかない。
「時間もかかる上に、リスクもあるが……テュール川を最前線の防衛ラインに設定し、こちらが守る側に回って消耗戦を挑む方が都合がいい。古今東西、戦いというのは守る方が容易いのは今更語る必要もないだろう? まして、囲まれているのは奴らであり、奴らは攻めながらも追い詰められているという矛盾した状況に追い込めば……負けることはない」
取り囲むために増援まで許可してアルツフェムの周囲を固めようとしているのはそれが理由だ。アルツフェムを囲むようにある基地はアルツフェムを攻める必要はない。ただ、囲めばいい。
取り囲み、攻めさせることで消耗させ、追い込んでいく。単純だ。
どれだけ強力な神将騎がいようと、それだけで勝利できるほど戦争というものは甘くない。事実、ウィリアム個人は大日本帝国軍の猛威は《七神将》の圧倒的な力を持つ神将騎よりも、彼ら自身の能力の方が危険だと思っている。ガリア攻略や中華帝国の制圧など、大戦時に発揮したその速さや勢いは常識のそれではない。
「無論、長期戦だ。あの小僧たちを下がらせた理由もそこにある。一か月、二か月で決着が着くような戦いではないのだからな。……それに、経済においても戦争の長期化は意味がある」
「経済、ですか?」
「そうだ。いいか、少佐。統治軍の軍事費はどこで賄っている?……EUの税金だ。統治軍は比率こそ均一ではないが、そこに支払う金は均一だ。わかるか、少佐? 統治軍はイギリス兵とドイツ兵でその七割を占めている。そこで使われる兵器は、当然の如くイギリス製とドイツ製のものが大半となるわけだ」
「…………ッ!」
「これが経済だ、少佐。私は軍人である前に、イギリスのために命を懸ける貴族だ。イギリスの――我が祖国の利益となるならば、如何なる手でも打とう」
笑みを浮かべ、ウィリアムは言う。そう、口にすればここまで簡単なことだが、実際はそう簡単なことではない。事実、この形へ持っていくためにウィリアムは統治軍を建てる時に凄まじい労力を要した。
根回し、交渉、時には暗殺という手段さえ使った。結果、戦争終結間近の時から動いていた甲斐もあり、ある程度ウィリアムの想定通りの形に落ち着いたわけだが……そこにドイツを巻き込んだのは、その国が彼の祖国の友人であったことと、恩を売るという打算のため。
祖国のため、貴族という誇りを抱いて突き進む男。それが、ウィリアム・ロバートだ。
「金というのは、どれだけ懐へ溜めこんでいても豊かにはならん。循環するシステムが必要だ。我が祖国を始めとした、EU諸国より集めた税金。それによって統治軍の装備は整えられる。だが、その装備はイギリスとドイツが製造したものが七割を超える」
単純な話だ。どういった形で金が回っているのか、子供でも理解できる。
「それによって得た資金と、実地で得た成果によって更なる兵器の開発を行う……よくできた方程式だ。今頃、これに気付いている各国の無能共は慌てているだろうな。だがもうどうしようもない。叛乱軍をこの私が認識し、それによってEUが私へと統治軍の最終決定権を与えた。最早、私が死ななければこのシステムは止まらん」
元々、このシステム自体はこの二年の小規模なテロリスト相手に小銭を稼ぐため程度のものだった。まあ、シベリアの地下資源などを掌握していくことを考えればそれで十分だったのだが……事情が変わった。
すでにシステムは動き始めている。叛乱軍が抗戦し、戦いが長期化すればするほど、イギリスとドイツの力は強大になっていく。
叛乱軍に勝つということは当然の結果だ。その上で今後EUの舵取りをイギリスの手で行っていくためにも、今ここでそれを見据えた行動が必要になる。
「さて……精々、抗ってもらいたいものだ」
ただ――ウィリアムのシステムには、欠点がある。
兵器が消費される。それは即ち、同時に兵士が消費されるということでもあるのだ。
しかし。
「人が死に、金が回り、我が国の力が増していく。……拒む理由などない。存分にかかって来い、シベリアの小娘が」
彼は、そのようなことに良心の呵責を覚えるほど善人ではない。
人を、数字で捉えることができる程度には。
ウィリアム・ロバートという男は、『闇』というものを知っていた。
◇ ◇ ◇
「――なんてこと、総督は考えていると思いますよ?」
「……それは本当か?」
総督室を出て、部下たちへと謹慎の件を伝えに行く途中。ソラ・ヤナギが口にした言葉に、朱里・アスリエルは驚きを隠せないようだった。ソラが、まあ、と肩を竦める。
「戦争なんて、当事者じゃない人間にしてみれば経済活動の一つですからね。兵器の値段、大佐なら知ってますよね? あんなのがバンバン消費されて注文されるんです。真っ当な経済じゃ不可能な循環システムを作って、バカみたいに金を稼ぐのは難しくない」
「だが、何故それを他の国が見逃している? 気付くはずだろう」
「いや、無理でしょうね。優秀な人なら気付いてるでしょうけど、えーと……ミスディレクション、でしたっけ? 意識を別のところに逸らす手品の手法なんですが、今の――ってか、二年間のEUはその状態だったんです」
別のことへと視線を誘導することで、本来の目的からは視線を逸らす。ウィリアム・ロバートは政治的な駆け引きの上でそれをやってのけた。
「まあ、総督がイギリス人であるということと、大戦において最も被害が少なかったイギリスが統治軍の多くを占めることは特におかしい論理ではありません。どこも当時は余裕がありませんでしたからね」
「しかし、余裕がないからと言ってシベリアを一国に任せはせんだろう?」
「それはそうです。なので、総督は『イギリス軍に他国の軍人を混ぜる』という荒業を行使しました。まあ、要するに監視の目を用意したわけです。でも、監視の目は機械じゃない。人間です。下調べさえすれば、抱き込める人間かどうかの判断は容易くなる」
軍人であっても、国という単位で物事を考える者は少ない。ソラの国で言うところの政治を行う貴族や司教連中でさえ、『国』という単位で物事を考えている者がどれだけいるか。
だからこそ――政治におけるウィリアム・ロバートという男は厄介だ。あの男は徹頭徹尾、『国』についてしか考えていない。ああいう手合いは、刺し違える覚悟がなければ渡り合うことも不可能だ。
「それが一つ目のミスディレクション。敢えて総督の方からこの方式を示すことで、『歩み寄り』の形を見せたわけですね。一見すれば問題点のないこの案を突っぱねるのは、体面的にも難しい。事実、それが牽制には有効でもありますしね。……そして、二つ目。このシベリアに眠る天然資源です」
「石油、石炭、天然ガスだな?」
「はい。今のエネルギーの中心であると同時に、今後の世界を担っていくエネルギー資源。強制労働で掘り出してるそれの利益分配について色々と考えれば、まあ、目を逸らすことは可能」
「……あの男は、そこまでの手を打っていたのか」
「それぐらいの価値があるんですよ。……まあ、本国に戻る許可が貰えるんなら丁度良いですね。この辺のこと、大佐、陛下含めて報告お願いします。向こうは気付いてるのかもしれませんけど」
「自分でやれ」
「……いやいや、俺、大尉ですよ? ただの一兵卒ですよ? 窓際族ですよ?」
「貴様のどこが一兵卒だ。本国に戻れば貴様にも働いてもらうぞ」
「えー、面倒臭いなぁー……」
肩を落とすソラ。彼としてはこれ以上悪目立ちすることは避けたいのだ。背負ったものもあるし、そもそも自身の能力についての評価もある。
……正直、俺の能力ってそこまで高くないんだけどなー……。
朱里を始め、周囲の人間は何故か自分のことを高く評価しているが、正直自分ができることなど『誰か』にできることだ。他人より多少早くその判断ができるというだけで、特に特筆するようなものはない。
ちなみに、ソラは自身を左遷した上官を恨むどころかむしろ感謝している。当然の判断だと思うと同時、その方が彼自身が楽だからだ。まあ、その結果としてシベリアで汚れ仕事をやっているわけだが……それはそれである。
ソラはそこで思考に区切りをつけると、うん、と唸りながら背伸びをした。そのまま言葉を紡ぐ。
「さて、とりあえず本国に行ったら報告書ですねー」
「――全て任せたぞ、大尉」
「はぁっ!? いやそれこそアンタの仕事だろ!?」
「黙れ。指揮官は貴様だ」
「いやいや、てかそもそも――」
「隊長ー!」
言い募ろうとしたソラの言葉を、第三者が遮った。見れば、そこにはリィラがいる。その隣には、見覚えのある女性が立っていた。
へぇ、とソラが言葉を漏らす。
「アルビナさんじゃないですか」
「久し振りさね、隊長」
近付いてきた女性の名を、ソラが呼ぶ。女性の方も頷いた。
リィラがソラの傍まで来ると、その腕に抱きついた。ソラは腕を振ってそれを引きはがそうとしながら、アルビナへと声をかける。
「まだシベリアにいたんですか?」
「この国は広いからね。色々と見てるうちに、叛乱軍とやらが出たっていう話じゃないか。そのおかげで国境を抜けるのも難しくなってしまってね。まあ、まだ見てないところがあるからもう少し長居するつもりだけどさ」
「それはそれは」
「……ソラ、この女は誰だ?」
頷くソラの横で、警戒心を携えた状態で朱里が聞いてきた。ソラは、ああ、と頷く。
「アルビナさんです。世界各地を旅してる人で、色々と縁があって顔見知りになってるんですよ。俺もリィラも」
「隊長さんには、大戦の時に世話になったからね。恩がある」
「その恩は返してもらいましたよ?」
「そうであっても、縁は切れないもんだろうさ。……それで、そちらは?」
「朱里・アスリエル。統治軍大佐だ」
朱里が頷く。ソラの知り合いということで、多少は警戒心を解いたようだった。
そのアルビナは朱里の姿を見ると、へぇ、と感嘆に似た声を漏らした。
「あんたがあの《赤獅子》……ご高名はかねがね。お会いできて光栄さね」
「俺はそこまで大した人間じゃない。ただの人殺しだ」
「そう言い切れる英雄に、大したことのない者はいないさね。自分を人殺しだと割り切れる英雄は、本物だ」
「……ふん」
朱里が鼻を鳴らす。会話はここで終わり、というようだった。アルビナも特に朱里に対しては執着心はないらしく、ソラとリィラへと視線を向ける。
「それで、統治軍はどうするつもりなんだい?」
「何がです?」
「いや、叛乱軍の対処だよ。アタシは一般人だからね。アンタたちが作戦行動をとったり、叛乱軍が動くようなところは極力避けたいと思ってる。面倒事と厄介事は御免だからね。本当はシベリア連邦から抜け出した方がいいんだろうけど……この状況じゃ、それも難しいさね」
「成程。……でも、俺たちに聞いても無駄ですよ。これから二週間ほどシベリアを空ける予定ですから」
「へ? 何でなん、隊長?」
リィラが首を傾げる。ソラは頭を掻きながら、バツの悪そうに言葉を紡ぐ。
「ほら、任務失敗したからな。独断専行で。そのお咎め?」
「ああ、無能な上官の下に就くと部下は苦労するなぁ」
「やかましい。……まあ、そういうわけでしばらくここからは離れるんですよ」
「成程。……大佐殿もかい?」
「俺もだ」
朱里が頷く。それを見てふむ、と何かを考え込むアルビナに、ソラは言葉を紡いだ。
「まあ、あれですよアルビナさん」
一言、笑みを携えて。
「――反乱軍に流せるような情報を渡せず、すいませんでした」
――――――――!!
場の空気が凍りつく。朱里とリィラは身構え、睨み据えるようにしてアルビナを見ていた。アルビナも、ソラの方を警戒して一歩その身を引いている。
緊張状態。その中で、アルビナはゆっくりと口を開いた。
「……何の話、さね?」
「白を切るならそれでいいですけどねー。それはそれで問題ないと言いますか。ていうか、そのつもりで来たんでしょう? 交渉のつもりで」
言って、ソラは前に出た。そのまま、言葉を紡ぐ。
「こちらの提示できる情報はこれだけ。アルビナさんのことです。末端の情報はすでに手に入れているんでしょう? まあ、普通ならここですんなり帰すわけにはいかないんですが……そこで取引きです。こちらの情報と釣り合うものを提示してくれれば、それでギブ・アンド・テイクです」
「ソラ。貴様は――」
「忠誠心なんてくだらないものは俺の中に欠片もありませんし、この二週間で統治軍がどうなろうと興味もわきません。必要なのは有益な情報です。それがあればいくらでも手は打てる」
言い切るソラ。朱里は一理あるな、と呟くとそれ以上は何も言わなかった。
そして、二人が向かい合う。
「こちらのカードは切りましたよ。そちらの番です」
「……何故、アタシがスパイだとわかったんだい?」
「勘……と、後は状況的な論理。以前にも俺はアルビナさんに情報は貰っていますし。スパイと情報屋は違う。あなたは情報屋。ならば、どちらについてもおかしくはない」
「どちらについてもおかしくないから、スパイだって?」
「可能性の話です。というか、俺はアルビナさんを信用してますからね。――あなたが立ち回りをしくじることはありえない」
実力を信用しているが故の、確信。アルビナという女性は、どちらかに傾くことなく器用に渡っていく。そう思わせるだけのものを持っている。それ故の判断だ。
ふっ、とアルビナが微笑を漏らした。そのまま、彼女は笑い出す。
「実力を信じてるから、敵の可能性が高い……。そんなこと言う奴、初めて見たよ」
「まあ、普通は言いませんからねー」
「いや、その歳でそこまで頭が回るとは……本当に、末恐ろしい糞餓鬼さね」
「ここが俺の成長限界ですよ」
肩を竦める。全く、どうしてこう自分の周囲には自分を過大評価する人しかいないのだろうか。
「本当にこの糞餓鬼は……まあいいさね。まあ、元々そっちにも情報を渡すつもりではあったんだ」
「お、流石」
「フェアじゃないからね。別にアタシはどっちの味方ってわけでもない。今回は向こうから報酬を貰ってるから天秤が傾いているだけで――」
「はい、どうぞ」
ソラが茶封筒を差し出す。アルビナはそれを受け取ると、ゴホン、と口を開いた。
「まあ、天秤が傾いていない今は、アタシはどちらにも協力するよ」
「早っ!? てかチョロ過ぎちゃう!?」
「話が早くて実にいいです」
「……俺はもう行ってもいいか?」
呆れたような朱里の言葉。それを聞いてか、とりあえず、とアルビナは言葉を紡いだ。
「こっちのカードは一つ。――アンタたちが言う『叛乱軍』には、《女帝》がいる」
――ザワッ。
たった一言。それも、個人の名を出したわけでもないのに、一瞬で空気が変わった。
重い空気。その中で、朱里が呟くように言う。
「出木、天音」
「ご明察。二年前まで大日本帝国軍のトップである《七神将》の第三、第四位を同時襲名していた天才……いや、災害の方の『天災』と表現した方がそちらには馴染みが深いのかね?」
「それが、叛乱軍にいると?」
「別にシベリアをどうこうしようとは思っていないようだけどね。あれはあれの目的があってあそこにいる。心当たりがないわけじゃないけど……意味はあるんじゃないかね?」
「ふん。あの男が来たのはそれが理由か。あの時、見覚えのある女だとは思ったが……あの男が見せてきた写真か」
朱里が呟く。彼の言うあの男、というのはおそらく蒼雅隼騎とかいう青年だろう。大日本帝国がわざわざこんなところへ何の用かと思えば、こういう事情があったわけか。
……ちょっと、色々手ェ回すか。
内心で呟く。アルビナがくれた情報の価値は相当なものだ。今後のことを考え、色々と動いておくことが必要かもしれない。
「それで、どうする? まだ情報交換を行うつもりなら受けるけど?」
「是非お願いします。……ただ、今からちょっと行かなきゃならないとことかあるんで、後でいいですか?」
「構わないさね」
「では、また後で」
軽く頭を下げ、ソラは歩き出す。その隣で、リィラが首を傾げた。
「隊長。大丈夫ですか?」
「何がだ?」
問い返す。リィラが、えっと、と言葉を選びながら言葉を紡ぐ。
「今までに見たことがないくらい、凄く良い笑顔ですよ?」
というわけで、今回はちょっとばかりややこしい経済のお話です。よくテレビで貯蓄率が高いから豊かであるー、などという戯けたことを言っていますが、あれは嘘です。
『使うことに不安がある』から貯蓄をするわけで、経済というのは際限なくお金が回るほど豊かになっていくものです。ウィリアムのやり方は戦争経済におけるやり方の一つ。戦争特需という言葉があるように、戦争は経済において打撃のみを与えるわけではありません。
もっとも、大切な『人的資源』は失われていくわけですから、やはり戦争というものは認められないわけですが。
というわけで、第十八話。
ウィリアムさんとソラくんの頭の良さには脱帽です。
そんなこんなで、地味に積んでいっている状態の護サイド。今後どうなっていくのか、見守っていただけると幸いです。
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!