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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
17/85

第十四話 英雄、越えねばならぬ壁


 スティス収容所からの撤退は迅速だった。収容所は総じて、その近くに統治軍の基地がある。そこからの増援を恐れてのことだ。

 数という点で言えば、解放軍も相当なものがある。しかし、今の彼らは疲弊しきった兵士たちを連れていた。その彼らを庇う必要がある以上、戦闘は避けねばならない。

 無論、周辺基地からの追撃はいくつかあったのだが……その全てを、護の〈毘沙門天〉とレオンが操縦する戦車、及びその指揮下の兵士たちで撃退した。ちなみに天音とレベッカの二人は戦闘で全体の先導をしている。

 行軍スピードは遅い。救出した者たちの体力の問題だ。あまりにも過酷な扱いを長期に渡って受けてきたせいで、その体力が戻っていないのだ。


「どうだ、護?」

「今のところ、敵影はないな」


 全体の後方――〈毘沙門天〉を以て殿を務める護は、双眼鏡で見える結果をレオンに伝えた。〈毘沙門天〉は解放軍における主戦力であり、最大戦力の一つである。その判断は妥当だった。

 解放軍は現在、二手に分かれている。王女が引きる部隊の方には〈セント・エルモ〉がいるし、あちらもまあ問題ないだろう。


「向こうも諦めたか?」

「かもしれないな。……雪中行軍だ。この先は渓谷がある。積もった雪のせいで視界も悪いし、生い茂る森は大部隊の進軍を鈍らせる」

「それならいいんだけどな」


 護は背後を振り返る。広がる森の向こうには、渓谷が見えた。あそこを超えるのが、一番最初の山場となるだろう。


「正直、時間はかけられない。敵の部隊が動く前に、アルツフェムへ帰還しなければ」

「ああ。急ごう。……嫌な気配がする」


 第六勘、という奴だろうか。さっきから妙に肌がひりひりする。嫌な予感がして仕方がない。

 そして、護が毘沙門天に乗り込もうとした瞬間。


 ポツ……ポツ……


 頬を、冷たい何かが打った。これは――雨か。


「チッ、最悪のタイミングだな。ここで雨が降るかよ」

「……ある意味、雪が降るよりも厄介だな。指示を出してくる。急いで渓谷を越えよう」

「ああ」


 雨――シベリアの大地において、冬の季節にそれが降るのは珍しい。それと同時に、それはある意味最も危険な自然現象でもある。

 冬のシベリアの気温は低い。水に濡れた状態でいれば、間違いなく凍死するレベルだ。更に言えば、雨が降ることによって雪が解け出し、雪崩が起きることも多々ある。毎年それで死傷者が出ているくらいだ。

 マズいな、と護は思った。ただでさえ体力に限界が来ている者たちを連れているのだ。このままでは、本当に何人かの死人が出てしまう可能性がある。

 場合によっては、〈毘沙門天〉で運ぶことも視野に入れる――そう思った時だった。


『――護、聞こえてる!?』


 切羽詰まった声が無線から響いた。声の主はレベッカだ。


「どうした!?」

『敵襲! 渓谷の少し手前で待ち伏せされてたの! 今は先生を中心に即席の隊を組んでるけど、戦車も見えるから! お願い護! 急いでこっちに来て!』

「ッ、クソッタレが!!」


 叫ぶ。それと共に、護は〈毘沙門天〉を起動させた。

 その頭部にある瞳に紅の光が宿る。行軍を開始して約二日――エネルギーは十全ではないが、往くしかない。


「行動開始だ! 行くぞッ!」


 ブースターを吹かし、護は銃声が響く戦場へと駆けつける。

 そこに。


 ――〝英雄〟という名の絶望が、待っているとも知らずに。



◇ ◇ ◇



「正直、ルート予測は簡単だったんですよね」


 渓谷の麓。そこで即席の陣を張った第十三遊撃中隊の隊員たちは、地図を広げながら語るソラ・ヤナギの言葉に耳を傾けていた。しかし、彼の周囲にいるのは僅か数名。ドクターと、警護の隊員が二人のみだ。部隊を二つに分けたため、そもそもの人数が少ないわけだが、そこへ他の隊員たちの出撃という状況が陣を薄くする。

 まあ、それでいいという作戦だからこそなのだが。


「数と確実性。それを考えれば、部隊を分けるのは容易に想像できます。問題はいくつに分けるかですが……敵の神将騎の数が二機ということから、二つと予測は出来ますね。ルートも最短距離ではなく迂回する道を選ぶ」

「その心は?」

「最短距離を行けば、雪原を突っ切ることになります。まあ、待ち伏せされていると考えるでしょうね」

「成程成程。確かに、開けた場所ならば部隊の展開もしやすいだろうねぇ」

「ま、そういうわけで、このルート取りを選択しました。後は、どちらにどちらがいるかが問題。正直王女様とやらには興味がなかったんですが……当たりを引けたようですね」


 ソラが笑みを浮かべる。その隣で、ドクターがくっく、と笑みを零した。


「向こうは大丈夫なのかね?」

「リィラに任せてきました。まあ、大丈夫でしょう。ちょっかいかけるだけかけておちょくって来い、って言ってありますんで」

「キミは性格が悪いねぇ」

「あんたも同じでしょーよ」

「違いない」


 ドクターが笑う。ソラは、さて、と吐息を零した。


「問題はこっちですよ。最近、統治軍は随分とナメられているみたいですし。――現実、見てもらいましょうか」


 直後。

 紅蓮の神将騎が、舞い降りた。



◇ ◇ ◇



「〈ワルキューレ〉に〈クラウン〉だと……!?」


 眼前に展開する明確な脅威を前に、ソフィアは舌打ちを零した。こちらには、戦闘など満足に行えない者が二千人近くもいるのだ。この状況下でそれを守り切ることは、不可能に近い。


「報告! 別働隊も襲撃を受けている模様!」

「……読まれていたようだな」


 部下の手前では平静を装う。しかし、内心では焦りが爆発しそうだった。


 ――相手の速さも考慮しての行軍、どうして読まれた!?


 今回の作戦は撤退も考えた上で立てられたものだ。レオンの作戦に穴はなく、ソフィア自身も納得した。

 だが、これは……!


『私が迎え撃ちます!』


 無線で通信が入る。アランだ。同時に、木々をなぎ倒しながら〈セント・エルモ〉が走っていく。


「ソフィア様! 前方の部隊が攻撃を受けております! 下知を!」


 報告が届く。ソフィアは誰にも気付かれないように舌打ちを零すと、指示を出した。


「五人一組となり、隊を組み直せ! 囲まれているならば迂回して囲み返せ! 数はこちらが上だ!」


 数は上という言葉に確証はない。しかし、こちらは二千の戦えない者たちと、千の戦える者たちがいる。この状況下でそれを上回る大部隊が出てくることは、正直予測ができなかった。

 故に、言う。


「私も出る! 全軍、自らの道は自ら切り開け!」



◇ ◇ ◇



「あの、戦車さえ壊せば……!」


 ブースターを吹かし、護は前方に見える戦車を見据える。まるで固定砲台のように戦車は砲撃を行っていた。まずはそれを叩き斬ることをしなければならない。

 加速、加速、加速。

 敵の規模も、動きもわからない。だが、今はやるべきことがわかっている。

 ――あと、五秒で届く!

 力を込める。その時だった。


『少年! 上です!』


〈毘沙門天〉のスピーカーがその音声を拾った。直後、視界の端にそれが映る。


 ズンッッッ!!


 轟音と共に目の前へと突き刺さったのは、巨大な対艦刀だった。見覚えのある、その威容。直後、突き立った対艦刀の柄に一騎の神将騎が舞い降りた。


『久し振りだな、《氷狼》』


 紅蓮の燃えるような色をしたその機体の名は、〈ブラッディペイン〉。

 聖教イタリア宗主国最強の神将騎にして、大戦の英雄。


『殺し合いを始めようか』


 聞こえてくるのは、男の声。おそらくは〈ブラッディペイン〉の奏者だろう。護は舌打ちを零す。いくらなんでも想定外だ。こんな、こんな状況は。


「……上等だ」


 しかし、今の護には選択肢など存在しない。

 前へ進むことしか、できはしないのだ。故に。


「そこをどけ! 邪魔をするなら、叩き潰してでも押し通る!」


 餓狼と獅子。二度目の戦いが、始まった。



◇ ◇ ◇



「厄介ですね~」


 両手にそれぞれ持った機関銃で弾丸をばら撒きながら、天音は苦笑を漏らした。周囲に伏せているのは敵兵。正確に敵の布陣を把握しているわけではないので確証はないが、自分がいるこの最前線は敵に囲まれた状態にあるとみて間違いがないだろう。

 数の暴力、というのは実際的にも心理的にも非常に有用である。限界を超える物量にはどんな存在でも抗うことはできない。

 そういう意味で、天音たちの部隊は確かに数が整っていた。しかし、その三分の二が収容所から助け出されたばかりで、満足に動くことが出来ないという現実が数の暴力を否定する。

 奇襲。そう、これは奇襲だ。待ち伏せという名の奇襲。


 ……相手の指揮官は、相当な切れ者ですねぇ。


 内心で納得する。こちらのルートを予測し、その上で〈毘沙門天〉を潰す策まで用意してきた。《赤獅子》――流石に、今の護では荷が重すぎる。英雄と呼ばれる奏者は、スペック差でどうにかできるような次元に立っていないのだ。

 だが、こちらはこちらで手一杯。向こうはよくわかっている。無理にこちらを仕留めようとはせず、小刻みに退き、また向かってくるということを繰り返してくる。厄介だ。本当に。

 おかげで、まだ誰一人として殺せていない。


「……少々、面白くない。これは面白くありませんねぇ」


 呟き、銃弾を撒き散らしながら後方へ下がる。木の陰に身を隠すと、天音は機関銃を二丁とも地面へと下ろした。冷たい雨が体を打ち、白衣が体に張り付いて鬱陶しい。前髪もだ。

 前髪をピンで邪魔にならないように留めると、天音は懐から小型のマシンガンを取り出した。弾倉をセットする。


「せ、先生。大丈夫ですか?」


 動作のチェックをしていると、レベッカが天音が身を隠す木の幹に滑り込んできた。天音は頷きつつ、レベッカへ視線を向ける。


「私は大丈夫ですよ。他は知りませんが。……青年は?」

「こちらへ向かってるはずです。とにかく、耐えてくれと」

「……まあ、この状況下ではそれが精一杯の指示でしょうね」


 この状況下ですぐさま対応できる者は、歴戦の指揮官でさえそういないだろう。将来有望だが現時点ではまだ経験の浅いレオンに、この状況の打破を求めるのは酷な話である。

 そうなれば、どうするか。天音はため息を零す。


「あまり、大人が出張るものでもないのでしょうがねぇ……」


 雨に濡れた顔を拭い、天音は呟く。自分はあくまで傍観者であり、同時に観察者に過ぎない。参加していても当事者ではないのだ。故に、あまり目立つことはしたくない。

 ――しかし。


「ぐあっ!」

「負傷者は下がれ!」

「くそっ、くそっ、くそおっ!」


 怒号が聞こえる。天音は、ふむ、と呟いた。


「……まあ、刺激こそ人生です。四の五の言っている場合でもありませんね」


 自分の事情と、周囲の事情は違う。天音は立ち上がると、レベッカへと言葉を紡いだ。


「では、御嬢さん。あなたは後方で援護をお願いします。私はこれから、道を切り開く」


 カキン、という音を響かせつつ、マシンガンのセーフティーを外す。そのまま、周囲へと弾丸をばら撒いた。


「ちょっ、先生!」


 後ろから声が聞こえるが、気にする余裕はない。今は前へと進まなければ。

 銃弾の雨の中を駆け抜ける。姿勢を低く、立ち止まることをせず。

 恐怖を忘れてはならない。恐怖を覚え、なお、それを認めるのだ。

 受け入れ、進め。

 恐怖の先にこそ――救いがある。


「――ふふっ」


 微笑を漏らす。上手く隠れているようだが、その姿は見えている。引き金を絞る。隠れていた敵兵たちが身を伏せ、そこから移動した。そこへ。


 ピンッ


 ピンを弾かれた手榴弾が向かっていった。予測通りの逃走ルートだ。

 爆発。オレンジ色の閃光と、撒き散らされた破片が周囲を蹂躙する。


「さて。楽しい楽しい殺し合いです」


 叩き付けるような雨の中。

 銃弾飛び交う戦場の中心で、天音は笑っていた。



◇ ◇ ◇



 状況は最悪だった。すでに死者も出ている。後続では前方で行われている戦闘に対して混乱が生じ、統率もままならない。


「くそっ……!」


 最前線の戦場へと戦車で向かいながら、レオンは舌打ちを零していた。無線で指示を出し、撤退の動きを取ろうとしているのだが、その全てが無駄に終わっている。

 まるで、こちらの動きを全て読んでいたかのように対応してくるのだ。


「どうする……!?」


 自問する。敵の部隊の規模は不明のまま。だが、その攻撃範囲が徐々に広がっているのは確かだ。後ろへ退くことはできない。退路は、アルツフェムに向かう道のみだ。

 だが、だからといって最短距離を行くこともできない。最短距離を進めば、開けた雪原に出ることになる。そこで待ち伏せでもされれば、前後から挟み込まれて全滅する。

 故にこそ、森を通り、渓谷を通るという過酷なルートを選択した。だというのに。


「俺のミスだ、どうする……どうすれば……!?」


 全速力で戦車を走らせる。どうすればいいかの考えが浮かんでこない。

 その中で。

 それでも、前へ行かなければという想いがレオンを走らせる。


 ――そこへ。


「…………ッ!?」


 轟音が響いた。同時に、レオンの乗る戦車が大きく揺れる。

 何が起こったか、揺れる意識の中でレオンは理解した。


 ――地雷、だ。



◇ ◇ ◇



「人間は、どうしようもなくなった時に取る選択として二つのものがあります」

「ほう、何かね? 隊長殿?」

「前に進むか、後ろに下がるかですよ」

「ふむ、それはどういうことかね?」

「人は物事を立体的に捉えるし、左右も視界の中に収めています。故に視界は広いという勘違いをする人が多いんですが、人はそこまで多角的に物事を見れません」

「ほう」

「人が見るのは、一番見易い前と、全く見ることのできない後ろだけなんです。恐怖に駆られた時、あるいはどうしようもなくなった時、余裕を失った者は前か後ろかしか見ることが出来ません」

「ふむ。しかし、そこに物言いを挟もう。キミは『アルツフェムの虐殺』の際、前でもなく後ろでもなく、あらゆる方向を見据えていたではないかね? 物理的にも心理的にもだ」

「知識の問題ですよ。そうなることを知ってるから、自制が利くんです。……てか、あの時はもうほとんど開き直ってましたからねー」

「まあ、そういうことにしておこうか」

「……含みがありますね?」

「何、やはりキミは天才だということだ。キミの言う、進むか戻るかは人間の心理、本能のようなものだ。それを無視するなど、常人にできるようなことではないだろうに」

「また、冗談を」

「冗談ではないのだがね、《本気を出さない天才》?」

「その蔑称、センスないですよねー」

「全くだ。……それで、話を戻そう。あの戦車、キミは前に進むと思っていたのかね?」

「まあ、一応」

「その根拠は? キミの論理は間違ってはいない。しかし、考えれば考える程に一つのことが疑問として浮かぶのだよ。人は前には進めない」

「…………」

「この世界に、人ほど度し難く救い難い生物もいない! くくっ、そんな存在が前に進むと、どうしてキミは読めたのかね?」

「読むも何も、選択肢がそれしかありませんからね」

「選択肢……成程、理解したよ。キミはやはり、エゲつない手を使う」

「あんたに言われんなら相当なんでしょうね。……もとより退けない。その中で、追い詰められた鼠がすることは一つ。『窮鼠猫を噛む』――これ、東の言葉ですよね?」

「意味合いは確か、追い詰められた者は何をするかわからないという意味ではなかったかね? おや、これでは矛盾している。追い詰めた結果、読めなくなるのであれば意味がない」

「じゃあ、そこにこの言葉を加えましょう。――『肉を切らせて骨を断つ』」

「……ふむ、キミの言いたいことがなんとなくわかってきたよ」

「それは重畳。ま、そういうわけでそろそろ決着です。『窮鼠猫を噛む』――何をするかわからない? 違いますよ、噛みついてくるんです。噛みついてくるのがわかってるなら、歯ぁ食い縛って耐えればいい。ま、要はそういうことです」

「ふむ。……前線の方は、ほとんど詰んでいるね」

「目の前で戦車が地雷で行動不能にされましたからねー。……後は、大佐だけですか」

「心配かね?」

「まさか。大佐の実力は誰よりも知ってますよ。そう、誰よりも、ね。……『金色の神将騎』相手に生き残ったんだ。あの人の実力は、たかが一人の奏者にどうにかできる次元にない」

「ならば、答えは一つだね」

「ですねぇ。……この後、ドクターも参加してもらいますよ」

「構わんよ。くっく、一体どんな姿をしているのだろうねぇ?」

「まずは敵を知ることが全て。王女様とやらに興味はないが、〈毘沙門天〉の奏者には少し興味がある。向こうもそろそろ撤退してるだろうし、詰めに入りますか」

「……出撃前にも聞いたが、ここで討つ気はないのかね?」

「面白くないでしょう?」

「…………」

「せっかく、殺し合いの相手が見つかったのに」

「……やはりキミも、歪んでいるねぇ」

「お互い様お互い様」

「だから『キミも』と言っただろう?」

「確かに。……ま、殺し殺されを演じるしか、生きる道がないんでね」



◇ ◇ ◇



 目の前の神将騎の力に、護は何度目かもわからない舌打ちを零した。


「くっ、そっ……がッ!」


 ガァン!!


 轟音を響かせ、対艦刀を二刀の刀で弾く。しかし、衝撃で後ろへと飛んだ〈毘沙門天〉とは違って〈ブラッディペイン〉は微動だにしない。

 直後、〈ブラッディペイン〉が対艦刀を振り上げた。

 轟音。凄まじい威力が地面を砕き、木々を薙ぎ払う。辛うじて避けたその一撃を目撃し、護は背中に冷たい汗を感じた。

 相対は、これで三度目だ。

 一度目は、手も足も出ずに〈フェンリル〉を砕かれた。

 二度目は、どうにか〈毘沙門天〉の力で逃げ延びた。

 三度目は――……


「…………ッ!?」


 風を引き裂くような轟音を響かせつつ、薙ぎ払うようにして振るわれる対艦刀。まともに喰らえば〈毘沙門天〉の胴体が吹き飛ばされる。

 二刀で受け止める。それと同時に、左側へと大きく飛んだ。踏ん張っても耐え切れる保証はない。

 轟音。金属音が響き、〈毘沙門天〉が退いたことによって勢いの余った対艦刀が木々を吹き飛ばす。


 ――ここだッ!


 左腕で右へと振るったため、〈ブラッディペイン〉の左側面ががら空きになる。護は一刀を鞘に納めると同時に、ブースターを吹かした。

 刺突。狙うは左脇。

 轟音を響かせ、突き進む〈毘沙門天〉。勝負などというものは一瞬だ。


 ザギィン!!


 行った。そう思った刺突の一撃は。


「な……ッ!?」


 小太刀によって防がれていた。斬撃を防いだわけではない。刺突だ。突きを、機体を回転させ、右手に構えた小太刀でかち上げたのだ。

 どんな反射神経だ――思うと同時、密着するほどに近い位置にいた〈ブラッディペイン〉が動いた。

 ――マズい!

 反射的に〝海割〟を抜き、盾とする。


 ガァン!!


 刀ごと、打ち抜かれた。二刀の〝海割〟が宙を舞う。振り上げられた対艦刀の威力により、持っていかれたのだ。


「――――ッ!!」


 即座に残る二本を抜く。しかし。


『決着だ』


 一瞬、柔らかな振動が機体を揺らした。直後、全身が揺さぶられる。



 ――――――――!!



 全身の感覚が泡立ち、上も下もわからなくなった。駆け抜ける衝撃。揺さぶられる体。


「――――」


 声が出ているのかどうかさえわからない。ただ、滲んだ視界の向こうに見えたのは、こちらを見下ろす〈ブラッディペイン〉の姿。

 動かなければ、と思った。しかし、その前に。


『…………』


 相手の奏者が、何事かを呟いた。直後。

 ――〈毘沙門天〉の手足が、〝海割〟によって地面へと縫い付けられた。



◇ ◇ ◇



「…………ッ」


 頭を振り、まるで全身を揺らされたような感覚を少しでも排除しようと努める。何が起こったか、正直わからなかった。


「大丈夫ですか、少年?」


 声がかけられる。見れば、雨と血で体を濡らした天音が立っていた。しかし、今回は返り血ではない。肩から流れ出る、彼女自身の血だった。


「……こっちの台詞だよ。あんたこそ、肩、大丈夫なのか?」

「痛みには慣れていますから。弾丸も貫通しています」

「そういう問題じゃねぇだろ。……傷、見せてみろよ」

「それは後ですよ、少年。そうでしょう、青年?」

「……ああ」


 降りしきる雨の中、ずっと黙り込んでいたレオンが、天音の言葉を受けて頷く。レオンも負傷したらしく、頭に包帯を巻いているが……今の彼は負傷よりも、この現状に納得できないらしい。


「…………」


 護は、後ろを振り返る。そこには手足を〝海割〟で貫かれ、地面に縫いとめられた〈毘沙門天〉と、その隣で膝をついて鎮座する〈ブラッディペイン〉の姿がある。

 ……正直なことを言えば、あの時、死を覚悟した。敗北したのだから。

 しかし、いつまで経ってもその時は来ない。そこへ、〈ブラッディペイン〉の奏者から提案が入ったのだ。


 ――『一時休戦だ。指揮官と〈毘沙門天〉の奏者は姿を見せろ』


 具体的には、自分たち二人と、もう一人誰かを連れて姿を見せろということだった。敵の意図は読めなかったが、こちらはほとんど制圧される寸前の状況。これを受け入れた。

 そして、今は三人で敵の指揮官がいるらしいところへ向かっている。

 降りしきる雨。その中で、レオンはずっと黙ったままだ。この状況、敗北に等しい。指揮官であったレオンには相応の責任がある。レオン自身がそれを感じているのだろう。


「レオン、しっかりしろ」


 だからこそ、護はレオンへと言葉を紡いだ。


「俺たちはまだ生きてんだよ。向こうの意図はわかんねぇけど、生きてんなら打つ手はある。テメェの口癖だろうが」

「……ああ、そうだったな」


 力のない返事。護は、レオンの胸倉を掴み上げた。


「――しっかりしろよテメェ!」


 睨み付ける。その上で、護はレオンへと言葉を紡いだ。


「テメェが俯いてたら、俺たちはどうすりゃいい!? 感傷に浸ってる場合かよ! 前を見ろよ! 敵の指揮官の前に行くんだぞ! 首獲れとでも命令してみろ!」

「……護。しかし、俺は」

「しかしも何もねぇだろうが! 背負ってんだよ俺たちは! ここは戦場だぞ! 銃持って敵を殺す場所なんだぞ! 俯いてんじゃねぇ! 前を見ろよ! 顔を上げろよ! 前を向いてれば、少しぐらい進めるかもしれねぇだろ!」


 ――パン、パン。


 乾いた音が響いた。振り返る。そこにいたのは、三人の男だった。

 一人は、白衣を着、仮面を着けた妙な男。

 一人は、紅蓮の長髪をした、軍服の男。

 一人は、他の二人よりも背が低く、薄ら笑いを浮かべている。拍手をしたのは、右側にいるその男だったようだ。


「真っ直ぐな台詞だねぇ、面白い」


 くっく、と仮面を着けた男が笑う。護はレオンから手を放すと、三人の方を向いた。


「……どういうつもりだ?」

「深い理由はないよ。殺す理由がなかったから、殺さなかっただけー」


 片を竦め、男は言った。そのまま、軽く一礼する。


「統治軍第十三遊撃中隊隊長、ソラ・ヤナギ。階級は大尉」

「統治軍統括官、朱里・アスリエル。階級は大佐だ」

「統治軍第十三遊撃小隊技術班主任、ドクター・マッド。階級は大尉相当官だよ」


 それぞれの言葉。護は、応じるように言葉を紡ぐ。


「……護・アストラーデ。解放軍の副将だ」

「レオン・ファン。解放軍参謀官」

「……ん? 私はただの一般兵ですよ。お気になさらず」


 天音はひらひらと手を振る。その様子を見て朱里が眉をひそめたが、それについては何も言わなかった。ただ、そのまま問いを発する。


「〈毘沙門天〉の奏者は誰だ?」

「……俺だ」

「ほう」


 一歩、前へ進み出た護を見、吐息を漏らす。そのまま、吐き捨てるように言葉を紡いだ。


「〈毘沙門天〉の奏者、《氷狼》……どれほどのものかと思ったが。青臭いだけの小僧か」

「何だと?」

「事実だろう? 青臭い台詞を並べるだけの弱者。それが貴様だ小僧」

「……テメェ」


 護が剣呑な雰囲気を放ち始める。朱里は、ふん、と鼻を鳴らした。


「何をそんなに憤る?」

「…………」

「奪われでもしたのか、俺たちに」

「――――ッ!」

「待ちなさい少年」


 駆け出そうとした護。それを、天音が肩を掴んで止めた。護が天音を睨むが、天音は首を左右に振るだけである。


「冷静になりなさい、少年。……囲まれています」

「へぇ、よく気付いたねぇ。何者だ?」


 楽しそうにソラが笑う。それと同時に、周囲の陰から幾人もの兵士たちが現れた。その者たちは、全員が銃口を護たちに向けている。


「そこの、えーと……護、だったか? 動かん方がいいよー。殺す気はないけど、殺されそうになるんだったらこっちも対処しなくちゃいけないしねー」

「…………ッ」


 天音の手を振り払い、護は押し黙る。その様子を見て、朱里がつまらなさそうに息を吐いた。


「小僧、何を奪われた? 家族か? 居場所か? 未来か? 現実か?――その程度のもの、俺も奪われたぞ」


 朱里はその苛烈な瞳で護を睨み据え、言い放つ。


「友が死んだがどうした? 家族が死んだがどうした? 未来を奪われたがどうした? 甘えるなよガキが。その程度の理不尽、この世界には溢れているんだよ」

「…………ッ、その理不尽を、受け入れてどうすんだよ」


 拳を握り締め、護は言う。


「理不尽なら理不尽と! 不条理なら不条理と叫ぶしかねぇだろうが! 叫んで、変えていくしか! そうしなけりゃ世界は変わらねぇんだよ!」

「やはりガキだな。良いか小僧、理不尽なのは世界だ。この世界が不条理でできているんだ。そこで生きる俺たち人間が、理不尽でないはずがないだろう?」

「そこで諦めたら、どうにもならねぇだろうが!」

「諦めずとも、どうにもなりはしない。……そもそも、ここにいる男の気まぐれがなければ、貴様は死んでいた。正しいか正しくないか。善か悪かなどというのは、結局のところ勝者が決めることだ。――吠えるなよ敗者」


 朱里は言う。敗者に、正しさは与えられないと。


「俺を英雄と呼ぶ奴らがいる。当然だ。俺は勝者の側の人間であり、同時に最も人を殺したのが俺だからだ。貴様らにとっての俺は、死神といったところか? 結局のところ、勝者が全てだ小僧。理不尽を糾弾したいならば、強くなって見せろ」


 言い捨てる朱里。そのまま、朱里は背を向けて〈ブラッディペイン〉のところへと歩いて行った。護はその背を呼び止めようと手を伸ばす。しかし。


「…………ッ」


 言葉が出ない。紡げる言葉を持っていないことを、護はそこで痛感させられた。

 朱里の論理を認めることはできない。理不尽を、不条理を、そんなものを認めないために戦ってきたのだから。

 しかし、自分は敗者。

 こんな状態で叫ぶ言葉は、負け犬の遠吠えでしかない。


「少年、前を見なさい」


 その護へ、天音が声をかける。


「あれが英雄です。シベリアを救いたいと思うのならば、必ず超えなければならない怨敵です」

「……ああ」


 護は頷く。その護の耳に、笑い声が届いた。見れば、ソラという男が笑っていた。


「失礼失礼……でも、お前さんにできるかね?」

「何を」

「イタリア国民、三〇〇〇万。大佐の背中には、その誇りの全てが懸かってる。たかが解放軍の副将であるお前さんに超えられるとは、俺は思えんよ」


 言い切り、まあ、とソラは言葉を紡いだ。


「それでも、お前さんたちは戦うんだろう?」

「当たり前だ」

「それは、俺たちを滅ぼすと――皆殺しにするつもりだと、そう受け取ってもいいんだな?」

「そう受け取ってもらって構わない」


 言ったのは、レオンだった。ソラは、僅かに――ほんの僅かに、微笑を漏らす。

 そして、雨に濡れた髪を掻き揚げると、そっか、と呟いた。


「……お前さんたちは、俺たちを救ってはくれないんだな?」

「何だと」

「いやいや、こっちの話。んー、まあ、とりあえず見れたいもんは見れたし。今日は退散するか」


 ソラが背伸びをする。それと同時に、その背後に〈ブラッディペイン〉が降り立った。こちらを見下ろすその威容の中には、あの男が座っている。

 護は無意識のうちに拳を握り締めた。背を向けようとするソラ。その背中に、レオンが言葉を紡いだ。


「貴様らの目的は何だ?」

「広義で言えば、お前さんたちを潰すこと。だけどまぁ、こっちも色々あるんでね。ここでお前さんたちを潰すのは容易いけど、それだとあれだ。『よくやったー』って褒められて終わりなんでね。それじゃ面白くないし、得もない。だったら生かしてみようと思ったわけだ」

「そんな理由で……」

「くだらん理由でも、命を拾うには十分だぞ?」


 ソラが笑う。そして、彼は言い放つ。


「お前さんたちは敵だ。次に会った時は、全力で殺し合うことになる」

「くっく、そうだ、その通りだよ! この日、この時、この瞬間を以て! キミたちは、愛しい愛しい敵になった!!」


 ドクターが両手を広げ、宣言する。ソラは踵を返した。


「向こうも撤退してるだろうし、今日はここまで。それじゃあ、戦場で会おう」 

「くっく、精々、つまらん死に方はせんでくれよ?」


 立ち去っていく。その背中を見つめ、護は言った。


「……上等だ」


 ソラが足を止める。その背中へ、護は声を張り上げた。


「俺は、必ず取り戻す! 邪魔をするなら、ぶっ潰してでも押し通る!」


 返答は。

 薄ら笑いの横顔だった。



◇ ◇ ◇



 雨の中、撤退の指示を出すソラ。そんな彼に、ドクターが声をかけた。


「面白い者たちだったねぇ」

「青臭かったですけどねー」


 言い切る。世界の理不尽に対して憤っているだけの子供……ソラが《氷狼》と呼ばれる男に抱いた感想は、そんなものだった。


「まあ、あの程度なら問題ないですよ。封じ込めんのも容易い」

「ふむ……では、問題は彼女だね?」

「……何者でしょうね、あれ?」


 思い出す。白衣を着た女性。最後まで、あの女性だけは何の感情の揺らぎも、隙さえも見せなかった。一兵卒? 絶対に嘘だ。


「まあ、楽しめそうですし、良いんですけどね」

「確かに、それは同意しよう。だがね、隊長。一つ確認させてもらってもいいかね?」

「なんです?」

「――キミは救われたいのかね?」


 ソラの動きが、一瞬、止まった。だがすぐにソラは苦笑を浮かべ、首を振る。


「今更ですよ、そんなこと。待っていても救われやしないんですよ、俺みたいなのは。だったら、自分で掴みに行くしかない」

「ふむ、道理だ」

「ま、抱え込んで背負っていくと決めたんです。生きていきますよ、どこまでも」


 ソラは。

 笑って、そう言った。



◇ ◇ ◇



「しかし、ソラ・ヤナギときましたか。キレる指揮官だと思いましたが、まさか彼の者とは」

「……思いっ切り傷口に消毒液ぶっかけてんのに、痛くないのかあんた?」

「痛がっても仕方ありませんから。それと少年、見たければ見せてあげますよ? サラシもお望みならば取りますが?」

「誰が!」

「つれませんねぇ」


 天音の治療をする護が言い返すと、天音は微笑を浮かべた。護は咳を一つすると、天音に問いかける。


「で、そいつが何だってんだ?」

「一部では有名な指揮官ですよ。聞き覚えはありませんか?」

「ねーな。レオンは?」

「俺もない」


 返事をくれたのは、少し離れた場所で無線を使って部隊の連絡を取っているレオンだ。天音はふむ、と息を吐く。


「新任指揮官でありながら、『アルツフェムの虐殺』を切り抜け、当時そこを訪れていたEUの首脳陣を逃がした男です」

「それって、まさか」

「そうですよ。大日本帝国軍の奇襲――あらゆる指揮官が尻尾を巻いて逃げ出し、その上で殺された虐殺の戦場において逃げることをせず、正面から《七神将》を要人が逃げるまで抑え込んだ傑物です。まあ、結果として軍隊は壊滅。彼自身、部下のほとんどを失ったようですが」


 言った後、いずれにせよ、と天音は言った。


「イタリアの英雄が二人。これから先は厳しい戦いになりそうですね」

「……それでも、勝つ」


 護は、拳を握り締めて言い切った。

 彼の視界に映るのは、磔にされた〈毘沙門天〉。敗北だ。どうしようもないほど決定的に、敗北した。

 けれど。

 生きているなら、まだ、戦える。


「俺は、必ず辿り着く」


 英雄だろうと、何だろうと。

 その先にしか、ないのだとしたら。


 約束を。

 あの手を。


 ただ、掴むために。

 そのために、戦うのだから。


「――負けてたまるかよ」

というわけで、統治軍のターン。

最強の奏者、朱里・アスリエル――現時点では、護は相手になりません。実力差があり過ぎますので。


今回は天音先生も負傷したりと、完全に護たちの負けです。

解放軍は、まだまだ未熟。それが現実ですね。



さてさて、それでは次回、ちょっと短い間章を挟み、本格戦闘開始です。


感想など頂けると幸いです。


ありがとうございました!!

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