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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
15/85

第十二話 反抗の狼煙

 城塞都市アルツフェム。その中心に、叛乱軍の中心人物たるシベリア連邦第三王女の姿がある。

 ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。

 本来なら第三王女という継承権の低さから、フランス共和国へともっと若い頃に嫁ぐ予定だったのが彼の国が革命により王政から民主政に変わったため、シベリアに留まっていた。


「――アラン」


 シャワーの水を止め、一糸纏わぬ姿で部屋に出てくるソフィア。その彼女に背を向けるようにしているのは、アーゲイツ・ランドール。アランと呼ばれる傭兵だ。

 傭兵といえば、その多くが屈強な肉体と鋭い目つきをし、近寄り難い雰囲気を纏っているものである。しかし、アランは違った。筋肉がついていないわけではないが、屈強というわけではない。どちらかと言えば細身だ。

 更に、その雰囲気。剣呑な雰囲気など微塵もない、温和なものを漂わせている。


「昨日の私は、らしくなかったか?」

「そうですね。ソフィア様らしくもない。欠片も思っていないことを口にするから、あのように説得力に欠けるのです」

「アラン。ここには私たちしかいないのだ。臣下の礼など取らずとも良い」


 体をタオルで拭きつつ、ソフィアが言う。アランは苦笑した。


「わかったよ。それで、どうするつもりなの? あんな風に神経を逆なでしたりして……彼は必要だって、ソフィアは言ってたよね?」

「必要だったのだ。あの小僧が何を怒り、何を受け入れるのかを見極める。それが目的だった。――青二才に聞いた時に思った通り、あの小僧こそがシベリアの希望となる」


 青二才――ソフィアにそう呼ばれる人物は一人だけだ。

 レオン・ファン。

 二年もの間、《氷狼》を率いて戦っていた青年。本人は否定していたが、ここへ首都からの避難民を誰一人として脱落させずに連れて来たことといい、ここでの攻防戦で見せた指揮といい……十分なものがある。

 まあ、それでも物足りない部分があるからこその『青二才』なのだが。


「私は旗印だ、アラン。軍を率いるのは、その頂点に立つ絶対的な王がいなければならん。それが私だ。だが、それだけでは勝てぬのだ。あの小僧の実力、どうであった?」

「信じたくないけど、僕と同等以上の力があるよ。二年の経験値は伊達じゃないね」

「それならば良い。……あの小僧を、叛乱軍の副将に据える。貴様と同列ということだな、アラン」

「あの青年を?」


 アランが眉をひそめた。ソフィアは、それが最上だと呟く。


「私と《氷狼》――この二つを以て、シベリアの希望とする。国家が滅ぶというのであればそれも構わぬ。だが、ここに生きる人々だけは、我が命の全てを使い果たしてでも救い出す」


 凛とした言葉。そこには、並々ならぬ覚悟が込められていた。

 アランは、深々とため息を吐く。


「それを昨日言っていれば……あの青年とも険悪にならずに済んだろうに」

「そう言うな、アラン。確かにそうかもしれぬ。だが、それでは駄目なのだ。私は王だ。王とは国を導く存在であり、民を導くのではない。国とは人だ。だが、王を失えばその人は惑うのみ。その私が国などどうでもいいと、民さえ救えればよいなどとは言えぬのだよ」

「そのせいで誤解を受けても?」

「そうだ。王とは偽りさえも武器とする。王とは孤高であり、孤独たるもの。人々を導くためには人ではいられぬ。……私の真実を知る者は、僅かでいい」


 言い切るソフィア。アランは、そっか、とだけ呟いた。

 私人としてのソフィアは、民のことを救うことを目的とする。

 王としてのソフィアは、国を取り戻すことを目的とする。

 同じように見えるが、これは違う。国とは民だ。ソフィアが言ったことは、アランとて賛成であるし、事実その通りであろうと思っている。

 しかし――誰もがそうというわけではない。

 歴史が国と定義する者がいる。

 王こそが国と定義する者がいる。

 力こそが国と定義する者がいる。

 国とは人であると定義する者は――存外、少ない。


「アラン。お前は私を理解していてくれるのだろう? ならばそれで良い。私はそれで戦って行ける」

「……付き合うよ。約束だ」

「頼むぞ」

「うん」


 アランが頷く。すると、ソフィアは笑顔を浮かべた。だが不意に、その笑顔が曇る。


「しかし……あの小僧はともかく、奴は一体どういうつもりだ?」

「――出木、天音」


 ソフィアが言う『奴』の名を、アランが呟く。ソフィアは頷いた。


「大日本帝国の《七神将》において、最も素性が掴めぬ女。顔を知る者など彼の国の人間以外ならば各国の要人ぐらいだ。何故、あの女がここにいる?」

「何が目的なんだろうね?」

「目的などない」


 ソフィアが言い切る。


「厳密にはあるのだろうが、それを奴は話さぬよ。二年前、気まぐれで私を生かした時もそうだった」

「…………」


 思い出す。『黄金の神将騎』――たった一機のそれに、ソフィアたち首都から脱出したシベリア軍は追い詰められたことがある。その時の奏者こそが天音であり、彼女はたった一人でソフィアたちの前に立つと、言い放ったのだ。


〝生かしておいた方が、面白そうですね〟


 無防備を晒したその身を撃てなかったのが、何故だったのか。それは今でもわからない。

 ただ言えるのは、あの女には誰も理解が追い付かないということだ。大日本帝国軍《七神将》――頂点とも呼べる場所に、その身一つで文字通り底辺から這い上がった存在。

 敵に回したくはない。

 だが、味方にもしたくない。

 そんな――存在。


「あの女だけは油断が出来ぬ。アラン、お前も警戒を頼むぞ」

「うん。理解してる。あれは、危険だ」


 どうしようもないほどに。


「……まあ、今は奴も害をなす気はないだろう。とりあえずは、小僧のことだな」

「本気でやる気?」

「無論だ。奴には私を敵視してもらわねばならぬ。明確に敵対する相手というのは、こういった状況では何よりも信頼できる相手となるのでな。さあ、行くぞアラン」

「その前に」


 意気揚々と部屋を出ようとするソフィア。それをアランが制止した。


「……いい加減服を着ようよ」


 ソフィアは自身の体を見、呟く。


「ふむ。忘れていたわ。感じないのでな」



◇ ◇ ◇



 アルツフェムは城塞都市である。都市という名を冠する以上、人の住む場所は確かに存在する。しかし、二年前の爪痕は深く、避難してきた人々は都市の中にあるいくつかのシェルターでそれぞれ分かれて暮らしていた。

 その一角で、子供たちの声が響く。


「お兄ちゃん!」

「お兄ちゃんだ!」

「マモルお兄ちゃん!」


 現れた青年――護・アストラーデを目掛けて、子供たちが飛びつく。護は子供たちを受け止めると、優しい笑顔で微笑んだ。


「ああ。……ごめんな、遅くなって」

「ううん! だって、戦ってくれてたんだよね?」

「レオンお兄ちゃん言ってたよ! 僕らを助けてくれたのは、マモルお兄ちゃんだって!」


 助けた――その言葉に、ズキン、と護の心に痛みが走った。護はそれを抑え込むと、屈み込み、子供たちを抱き締める。


「……無事で良かった」


 もう、あの日から随分と経ってしまったような気がする。

 首都での戦い。絶対的なまでの敗北。何もできなかった。無力だという現実を叩き付けられた。

 そんな――日から。


「護くん」

「護くんだ」

「おお、生きていてくれたのか……!」


 ざわめきが広がる。その場にいたのは女子供と老人だけだったが、その全員が護の下へと集まっていた。護は腰を上げると、ゆっくりと頭を下げる。


「……すみませんでした」


 集まってきた者たち。その全員に、護は頭を下げた。


「俺は、何もできませんでした。偉そうなことを言っておきながら、俺は――」

「何を言っているんだね」


 自らの無力。それについての謝罪を告げようとした護の肩を、一人の老人が叩いた。護が顔を上げる。その瞳に映ったのは、その場にいる者たちの――笑顔。


「キミには感謝こそすれ、恨むことも怒ることもあり得んよ」

「そうだ。あの日、キミは戦ってくれたじゃないか」

「仲間が殺されることに憤ってくれた……そして戦ってくれた」


 口々に言い、護の肩を叩き、あるいは背中を叩く。

 笑顔で。濁りなど一片もなく。

 どこか――誇らしげに。


「キミは私たちの英雄だ」


 両肩を掴み、老人が言う。


「確かに、救えなかった者もいる。だが、ここにいるワシらは――キミに救われたのだ。キミは間違いなく、我々にとっての英雄だよ」


 英雄。その言葉に、護は気後れしてしまう。そんなものを背負えるほど、自分は強くなどないと。

 チラリと、レオンを見た。レオンはこちらを見ると、頷き、微笑んだ。


「はい」


 だから、護も頷く。卑屈に考えても仕方がないのだ。

 ここにいる人たちが生きていること。その手助けに自分が少しでもなれたなら――それはきっと、誇ってもいいことだと思うから。

 だから、護は言った。


「――生きていてくれて、ありがとう」


 戦ってきたことが、無駄ではないと。

 そう思えた、瞬間だった。



◇ ◇ ◇



 壁に背を預け、護と避難民のやり取りを見ていた天音は、興味深そうに微笑んだ。そのまま、楽しそうに呟く。


「少年は随分と人気があるのですね」

「はい。えっと……」

「天音と申します。先生、とお呼びください、御嬢さん」


 頷いた少女に対し、天音が微笑を受けた。少女――レベッカが頷く。


「レベッカです。えっと、先生。……護は、不器用です。あまり多くを喋ってくれませんし、笑うこともあまりないんですけど……でも、優しくて」

「ほう……優しい、ですか」

「はい。泣いてる子とかがいると、必ず側に行くんです。何も言わないんですけど……ずっと、頭を撫でてたりとか、側にいたりとか、話してくれるまでずっと待ってるんです」


 不器用ですよね、とレベッカが苦笑する。


「でも、だからわかるんです。護は、口では否定すると思いますけど……誰かのためにしか戦わない。誰かのためにしか怒らない。だから、信じられるんです」

「誰かのため、ですか」


 天音は呟く。誰かのため――あの少年のそれは、少々歪だ。

 どこが歪かはわからない。天音の目には、理不尽に対して必死に抵抗する少年にしか映らない。その根底にあるものが何なのか、掴めないのだ。

 昨日の両親と、大切な人を奪われたという話――アレが根底にあるのだろうが。


 ……どうなのでしょうねぇ。


 他人のため。レベッカの言葉は間違っていないだろう。そこは天音も同意できる。あまりにも優し過ぎる彼は、他人の涙や辛苦というものを認められない。そのために命を張る。

 しかし、それだけではないのだ。

 何かが、足りないような。


「……まあ、いずれわかるでしょう」


 天音は結論付ける。あの少年の道行きを見ると決めたのだ。目的もある。すべきこもともある。それ故に。


「ところで、青年はどうしました?」

「レオンですか?……あれ? さっきまで一緒にいたんですけど……」


 レベッカが周囲を見回す。先程まで近くにいたはずだが、レオン・ファンの姿が消えていた。


「そうですか。彼は指揮官肌のような気がしたので、一度話してみようと思ったのですがね。残念です」


 息を吐く。あのレオンという少年も、どことなく雰囲気があった。全く、戦争というものは……実に面白い。

 極限の状態に人を追い込み、その才能を開花させる。


「…………ん?」


 不意に、音が聞こえてきた。視線を送る。そこにいたのは――一組の男女。

 二人とも見覚えがある。男の方はともかく、女性の方は随分と美しくなった。


「……これはこれは」


 ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。

 アーゲイツ・ランドール。

 二年前、殺す気で攻撃したが、気まぐれで生かした相手だ。当時の自分を褒めたくなる。あの時生かしておいたからこそ、この状況になっているのだから。

 二人の登場に、振り返った護が表情を歪める。それを眺めつつ、天音は呟いた。


「――第二ラウンド、ですね」


 実に――楽しそうに。



◇ ◇ ◇



 現れたその人物に、護は舌打ちを零すところだった。

 シベリア連邦第三王女、ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。

 どうしようもないほどに敵と断じた、女。


「ソフィア様だ」

「アラン様もいるぞ」

「ソフィア様~!」


 身構えた護。その背後から、そんな歓声が上がった。驚いて振り向くと、その場にいた全員が好意的な笑顔をソフィアに向けている。ソフィアは頷くと、笑みを浮かべたまま言葉を紡いだ。


「ここの生活に不満はないか? 必要なものがあれば申し出ろ。出来る限り用意する」

「そんな、私たちはここにいさせていただくだけで十分で……」

「ありがとうございます、ソフィア様」

「ソフィア様~! 遊ぼう~!」

「すまんな。今日は少し忙しい」


 次々と人がソフィアの周囲に群がっていく。その光景に護が目を丸くしていると、温和な雰囲気をその身に纏った青年がこちらへ近付いてきた。


「初めまして……でもないね。アーゲイツ・ランドールだ。アランと呼んでくれ。先日は世話になってしまった。〈セント・エルモ〉の奏者だよ」


〈セント・エルモ〉――先日戦った、遠距離主体の神将騎。この男がそうだというのか。

 差し出された手。それを一瞥すると、護はアランを睨み付けるようにしながら言葉を紡いだ。


「護・アストラーデだ」

「握手は……してくれないか。まあ、当然かもしれないね」


 アランは苦笑を漏らし、手を引っ込める。そうしてから、ソフィアの方を見た。


「意外かい?」

「……何が?」

「ソフィア様がああして民に慕われているのが、だよ」

「…………」


 微笑を浮かべながらアランが紡いだ言葉に、護は眉をひそめた。アランは更に言葉を続ける。


「別に、理解しろとは言わないよ。だけど、王には王の形がある。私人としての自分と、公人としての自分……それが一致しないのはままあることさ」

「……それでも、テメェらが何もしなかったのは事実だろうが」

「そうだね。その通りだ。それを否定するつもりはないし、謗りは受けよう。特にキミはずっと戦ってきた。そのキミに責められるのは道理だろう」


 だから、とアランは言った。


「キミとソフィア様は敵同士だろう。今と未来……見据えるものが違う。願うものは同じはずなのにね」

「……あんたはどうなんだ?」

「僕はただの傭兵だから。雇用主であるソフィア様の味方だよ。昨日キミに刃を向けたのも、それが理由。祖国も家族も友も何もかもを捨ててここにいる僕に、今更自分の意志なんてないよ」


 苦笑するアラン。その彼はさて、と呟くとソフィアの方を見た。


「僕の問答はここまで。今後は協力することもあるだろうし、よしなに頼むよ」

「なんだと? 今後ってのは――」


 問い返そうとした言葉。それはしかし。


「――護・アストラーデ」


 別の人物の言葉で遮られた。視線を向ける。すると、そこではソフィアがこちらを見据えていた。悠然とした佇まい。流石に王族、風格がある。


「何だ」

「私は貴様に一つの提案をする」


 ソフィアは真っ直ぐに護を見つめ、言い放つ。

 周囲のだれもが黙り込み、ソフィアの言葉を待つ。

 そして。



「護・アストラーデ。――貴様をシベリア解放軍の副将へと任命する」



 その言葉は、やけに護の頭に響き渡った。護は反射的に拳を握り締めると、


「…………ッ、ふざけん――」

「護くんが解放軍の副将!」

「ソフィア様と肩を並べて戦うのか!」

「やはり、護くんはそのためにここに来たのね!」


 反論の言葉を遮るように、周囲の者たちが騒ぎ出した。反論の言葉を遮られ、護は押し黙る。


「レオン・ファンは参謀官へ。レベッカ・アーノルドは技術班へ。……我々の力に加われ、《氷狼》」

「…………」


 無言を貫く。易々とは受けられない。

 コイツらは確かに力を持っている。しかし、力を持っているだけだ。その力で何もしてこなかった。そんな奴らと共に戦うことを、認められない。


「昨日の問答。貴様の言う通りだ。我々はこの二年、沈黙し、力を蓄えた。その間に貴様らは孤軍で戦い、この者たちを救い出してきた。しかし、理解をしているはずだ。命を救うだけが救うということではない。この者たちを氷原に放り出すことが救うことではないのだ。

 故に、我らはこの者たちが生きることのできる場所を用意した。我らが何もしてこなかったと言ったな、小僧? それはある意味で真実であり、同時に虚偽でもある。

 利害もあろう。軋轢もあろう。貴様の言の通りであるならば、小僧。我らは貴様の敵なのかもしれぬ。それを否定はせぬ。肯定もせぬ。だが、明確な真実が存在する。

 我々も、貴様らも。

 ――シベリアの民の味方であろう?」


 バサッ、とその身に纏う衣装をはためかせ、ソフィアは言った。


「この二年シベリアは奴隷として只々その苦しみに耐えてきた。もう充分であろう。今日この時より、我らは反抗の狼煙を上げる。

 手を貸せ、小僧。我らはこの国を救う」


 ソフィアが手を差し出す。護はチッ、と舌打ちを零した。


「どう信じろってんだよ。確かに、テメェらがいなけりゃここの人たちは永久凍土で死ぬしかなかったかもしれねぇ。けど、違うだろ。――そうじゃねぇだろうが!」


 護の怒鳴り声が響き、周囲が静まり返る。護は苛烈な意志を携え、ソフィアへと言葉を紡いだ。


「俺たちを孤軍って言ったよな!? ああそうだよ! 俺たちは孤軍だ! 認めたくねぇけど、それでも、そのせいで救えなかった奴がいるんだよ!」


 もっともらしい台詞に呑まれそうになった自身を奮い立たせるため、護は叫ぶ。

 この手で救えなかった命を。冷たくなっていく体を抱き締め、慟哭するしかなかった日々を思い出す。


「テメェらは違う! 違ったはずだろうが! もっともらしい台詞で誤魔化してんじゃねぇ!」

「……確かに、その言には一理がある。だがな、小僧。貴様は一つ大きな勘違いをしているぞ」


 目を細め、ソフィアが言い放つ。


「『貴様たちが戦わなければ死ななかった命』というものも、確かに存在するのだ」

「…………ッ!? なっ――」

「考えても見よ。確かにシベリアの民は苦しい生活を強いられていた。だが、それに耐えさえすれば生きていくことはできたのだ。首都で貴様らが演じた攻防戦とて、貴様らがいなければ起こることはなかった。そこで死んだ者たちも、死ぬことはなかっただろう」

「ッ、だったら! だったら何もしなければ良かったのかよ!」

「そうは言っておらぬ。先に言ったように、私は貴様らの行動そのものを評価している。だがな、小僧。結局同じなのだ。貴様らのように行動しようと、我らのように沈黙しようと――人は死ぬのだ」


 ソフィアが断言する。その上で、だからこそ、と言葉を紡いだ。


「受け入れよ、小僧。貴様の言う、行動しなかった我らは反抗の狼煙を上げる。軍隊の規模が動くのだ。敵味方問わず、多くの者が死に、苦しむだろう。貴様らは孤軍だった。故に、その目の前で死を見、感じることが出来た。だが、この先はそれさえも許されぬ」


 ソフィアは、言う。


「目の前で死ぬ者だけではない。知らぬ場所で、我らにはどうしようもない場所で死ぬ者が必ず存在する。それを受け入れよ。受け入れ、それでも尚、戦うのだ。死を認め、内包し、それでもなお前へと進め。――《氷狼》」

「……ふざけんな」


 呟く。認める、認めるだと?

 死を、死ぬことを。認められるわけが――ないだろうが!


「ふざけんな! それを、そんなもんを! そんなふざけたことを認めねぇために俺たちは戦ってんだろうが!」

「それもまた然り。小僧、ならばその信念、証明してみせよ」


 ソフィアは言う。凛とした佇まいで。

 とても、楽しそうに。


「我と共に戦え。死を認めぬというのならば、その武勇を以て否定してみせよ」

「――言われねぇでも」


 言い放つ。苦しむ誰かを救うため、理不尽な死に抗うために。

 この手の力は――あるはずだから。


 わっ、と歓声が上がる。

 狼煙が上がる時は、着々と近付いていた。

 その最中。


「……上手く言いくるめられましたねぇ」


 一人の女性の呟きは。

 吐息と共に、空へと溶けた。



◇ ◇ ◇



 作戦会議室。そこにいたのは、叛乱軍の首脳とも呼べる者たちだった。

 シベリア解放軍副将、護・アストラーデ。

 同じく副将、アーガイツ・ランドール。

 参謀官、レオン・ファン。

 同じく参謀官、セクター・ファウスト。

 そして――解放軍総大将、ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。


「――さて」


 全員が揃ったのを確認し、ソフィアが言葉を紡ぐ。


「二年の沈黙の時も終わりだ。統治軍に存在が感知された以上、迅速に行動を起こさねばならぬ」

「その通りですとも、陛下」


 声を上げたのは、セクターと呼ばれる老人だった。その老人は嬉々として、現状について語り始める。


「今現在、アルツフェムにいる人員の数は一万と二〇〇〇……そのうち、ここの防衛のことも考えれば一度に動かせるのは精々が七〇〇〇人。非戦闘員もいるので当然ですな。よって、我々の急務は戦力の補充となります。統治軍の数は八〇万近く。このままでは、戦力差で押し潰されるでしょう」

「ほう……ならばセクター、貴様はどうする?」

「収容所を襲撃します」


 言って、セクターは地図を取り出した。シベリア全土が描かれたその地図には、無数の赤い点が記されている。


「この点がある場所が、収容所に御座います。収容所に捕らえられているのは、我が軍の兵士たち。彼らに力になってもらいましょう」

「うむ。……彼らは、収容所で相当過酷な扱いを受けていると聞く。一刻も早く救出せねばならん」

「どの収容所を攻めるのですか?」


 声を上げたのはレオンだ。護とアランの二人は会議室にこそいるが、片方は不機嫌そうな顔で。片方は発言する意味もないとでもいうかのように沈黙している。

 セクターが、ふん、と鼻を鳴らした。


「その程度のこと、すでに考えておるわ。綿密な調査と計算を重ねた結果、ここ――エレヴァッハ収容所が最も可能性が高いと見た!」


 指し示された場所に、全員の視線が行く。セクターが示した場所は、シベリア連邦北部にある収容所だった。セクターは更に続ける。


「ここであれば、警備の兵も多くはない! 確実に落とせる!」

「如何様な手を使うつもりだ、セクター?」

「これを使います」


 恭しくソフィアへと頭を下げ、セクターは懐から小瓶を取り出した。紫色の液体が入っている、見るからに毒々しいそれは――


「…………」


 護は眉をひそめる。セクターはその瓶を掲げると、嬉々として語り出した。


「これは私が開発した腐敗毒! これを連中の水路に流し込む! 一週間、一週間もすれば敵兵たちは全滅! 完璧、完璧な作戦だ! 戦わずして勝つ!」

「…………待てよジジイ」

「んん!?」


 呟くように吐いた護の言葉に、セクターが振り返った。セクターは机の周囲を回り、護の近くまで来ると、喚き散らすように言葉を紡ぐ。


「き、キサマ! キサマは今何と言った!? この私に対し、何と!?」

「うっせぇな。喚くんじゃねぇよウゼェ」


 正面で喚き散らす老人に対して吐き捨てると、護は言い放つ。


「毒薬? 毒薬だと? ハッ、やっぱりテメェらはクズだな」

「何だと!?」

「そんなもん使って勝つ奴を誰が信じるんだよ!」


 言い放つ。そのまま、護はセクターの胸倉を掴んだ。


「大体よ、その水路の水ってのは捕まってる奴らも飲むんじゃねぇのか? 味方殺してどうすんだよ!」

「うぬぬ……! だが小僧! これは戦争だぞ! 手段は選べぬ!」

「選べよ! テメェは考えんのを放棄してるだけだろうが!」

「――そこまでだ」


 護に掴みかかろうとしたセクター。今にも血を見そうになっていた二人を、ソフィアが止めた。セクターはソフィアから離れると、恭しく頭を下げる。


「陛下、しかし我らは数が圧倒的に少ないのです。戦いは避けねばなりません」

「お前の言う通りだ、セクター。しかし、小僧の言うように毒薬では我が兵士たちを無用に殺しかねん。それに、我らは希望なのだ。希望の初陣が毒薬では、民草の希望にはならぬ」

「へ、陛下……」

「……それに、このエレヴァッハ収容所ですが……おそらく、攻め込むのは難しいと思います」

「なっ、き、キサマ! 何の根拠があって!」


 口を挟んだレオンに対し、セクターが喚き散らす。レオンは肩を竦め、言葉を続けた。


「この地方はこの季節、シベリアでも類を見ないくらいに凶悪な豪雪に見舞われます。おそらく、満足な行軍もできないでしょう」

「ほう……詳しいな?」

「私とレベッカはこの地方の出身です。護ともそこで会いました」

「……遭難しかけたとこを助けてもらったんだったな」


 思い出す。レイド……今は亡き、あの人と共に放浪していた時に出会ったのだ。


「ぬ、ぬうう……!」


 セクターが呻き声を上げ、机の周囲を回り始める。


「……そもそも私は研究者であり、地方の事情など知らずにいて当然ではないか……そうだ、私の頭脳に間違いはない……」


 ブツブツと何事かを呟いているセクター。そのまま彼は、癇癪を起こしたように言い捨てる。


「ええい! ならば私抜きでやってみせろ! 失礼する!」


 言い捨て、セクターは出て行ってしまった。それを見送った後、ソフィアはふう、とため息を吐く。


「すまぬな。あれでも私にとっては、落ち延びた時代についてきてくれた臣下なのだ」

「いえ……」


 レオンは首を左右に振るが、護はそもそも興味がない。それを見て取り、さて、とソフィアが言葉を紡いだ。


「それで――どうするつもりだ? セクターの毒薬は確かに使えんが、こちらの兵力が少ないことも事実。それをどうやって覆す?」

「そうですね……」


 レオンが考え込む。対し、護はそれを黙ってみていた。レオンはいつだって孤軍である自分たちを率い、作戦を成功させてきた。この状況は、軍隊という彼にとってはむしろ多い手札がある。案ずる必要はない。


「ならば、このような策はどうでしょう――」


 出陣の時が、迫る。



◇ ◇ ◇



 アルツフェムの一角。そこに、その墓標はあった。

 名前の刻まれていない、石造りの墓標。


「……レイドさんは、任せたと言っていた」


 その墓標の前に佇む護に、背後から声がかけられた。振り返らずともわかる。レオンだ。


「…………すま――」

「謝んなよ」


 振り返らないままに、護はレオンの言葉を遮った。そのまま、墓標を見つめて言葉を吐く。


「謝るのは、むしろ俺だろ」


 レイド・ノーティス。

 二年前、首都から逃げ出した護が戦場跡で出会った男だ。死にかけのその男に手を差し伸べ、護は多くの戦う術を教えられた。

 しかし――死んだ。

 あの日、首都の戦いで。


「……あの日死んだ者たちを、すべてここで供養している。多過ぎて名前もわからない者も多いが……」

「――名も亡き墓標、か」


 無い、のではなく、亡くす。

 そういう意味だろう。


「これから先、ここに供養される者は増えるだろう。そういう戦いだ」

「俺もいつかそうなるかもな」

「ならんさ」


 苦笑して紡いだ護の言葉に、レオンが即座の否定を送った。振り返った護。その視線の先で、レオンが言い放つ。


「お前が死ぬ時が、解放軍敗北の時だ」

「……王女様がいるだろ?」

「戦力の問題だ。《氷狼》――《赤獅子》からも逃れ、〈ワルキューレ〉や〈セント・エルモ〉さえも退けた奏者とその神将騎。それを失うだけで解放軍は大きく傾き、統治軍が活気づく」


 だから、とレオンは言った。


「死ぬなよ、護」

「――互いにな」


 そして、護は背を向ける。

 二人の男を見送るように、その石碑はそこにある。


 ――名も亡き墓標は。



第十二話です。

ここでようやく、もう一区切り。ふーむ、意外とかかりますね~……。



シベリア編自体は出来れば二十と少しぐらいで終わらせたいと思います。グダグダ続けるの嫌なので。


でもまた予定崩れそうですね……。


と、とにかく。

感想お待ちしております。


ありがとうございました!!

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