表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
14/85

第十一話 その手で救い、殺してきた者


 城塞都市アルツフェム。そこから、一人の女性が戦場を見下ろしていた。


「レオン、といったな」

「はい」


 その女性の側には、四人の男女が控えていた。そのうちの一人である青年――レオン・ファンが、応じる。


「アレが貴様の言っていた奏者か?」

「……おそらくは」


 レオンが眼下を見下ろす。目の前の戦場で行われているのは、叛乱軍による統治軍の追撃戦と、二機の神将騎による激突だ。

 片方は、レオンも知っている。要注意の神将騎――〈ワルキューレ〉だ。

 もう片方は、レオンは初めて見る。〈毘沙門天〉……聞き覚えのある声が、そう名乗った。

 護・アストラーデ。

 レオンが知る奏者は、あの男ぐらいしかいない。


「何故、〈毘沙門天〉と呼ばれる機体に乗っているのかはわかりませんが……あれが、おそらくそうです」

「例の、《氷原の餓狼》か」


 不快そうに鼻を鳴らしたのは、女性の隣にいる老人だった。ローブのようなものを纏い、腰が折れた体勢で戦場を見つめる目には片側だけの眼鏡がある。妖怪じみた風体の男だ。


「そうか。貴様でも確証はもてんのだな?」

「……直接、会ってみないことには」

「ならば是非もない。――アラン」


 女性が呼びかけたのは、背後に控える男だった。穏やかな雰囲気を纏った青年だ。その青年は、何でしょうか、と恭しく頭を下げる。女性が指示を出した。


「〈セント・エルモ〉で出撃せよ。狙うのは、あの神将騎――〈毘沙門天〉の首だ」

「味方では?」

「構わぬ。信用できぬ味方など最強の敵よりもなお始末が悪いわ。ここで死ぬならば是非もない。その武勇を以て、あの者が生きるに値するか見定めよ」

「はっ。――〈ワルキューレ〉は?」

「殺せ」


 簡潔に、女性は言い放った。


「アレは紛うことなき敵だ。敵に容赦するほど、私は腑抜けた記憶はない。我が前に立ち塞がったのだ。覚悟はできている――そういうことだろう?」


 言って、女性は手を前へと突き出す。


「行け。我が兵士たちよ。――今日この日が、反抗の狼煙となる」


 宣言するのは、シベリア連邦第三王女。

 ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。

 シベリアの希望となるべく立ち上がった女性だ。


「……レオン」


 その王女に聞かれぬよう、ずっと黙り込んでいた少女――レベッカ・アーノルドがレオンの服を引いた。レオンが振り返ると、レベッカは戸惑うような目で眼下の神将騎を視線で示す。


「あれって、護なのかな?」

「……多分。〈フェンリル〉じゃないのが気になるが……」


 護・アストラーデ。首都で別れてから、その動きがわからなくなっていた。生きているとは信じていた。だが、こんな形で。


「…………」


 チラリと、レオンはソフィアを見た。第三王女――身分からすれば雲の上の相手だが、自分たちの立場と連れてきた避難民のおかげでここに立つことを許されている。

 率いてきたスラムの人たちを受け入れてくれたことには感謝している。しかし、何だろうか。

 どうしてか、心の奥で自分はこの女性を拒絶する――……


「……護は、大丈夫だろうか」


 思う。〈セント・エルモ〉……反乱軍唯一の神将騎であると同時に、最大の戦力。アランというあの男を相手に、護はどう出るのか。


「大丈夫だよ」


 不安。それを、隣の少女が打ち払った。


「護はさ、今まで一度だって諦めたことがないんだから。だから、大丈夫」

「……そうだな」


 頷く。あの男には幾度となく救われてきた。それを、今更疑う理由はない。

 ――眼下。

 新たなる神将騎が、戦場へと躍り出た。



◇ ◇ ◇



 撤退戦。それは相手に背を向ける行為であり、無防備な背中を晒す行為である。全軍がそのまま背を向ければ、あるいは全滅という事態さえも起こり得る。


「第一波、構え!――撃てっ!」


 無線に対し、ソラが大声を張り上げる。本隊の全滅を防ぐため、迫り来る敵を受け止め、防ぐための部隊――殿を務める彼に、余裕はない。


「戦車は俺とリィラが相手をする! お前らは歩兵だ! 姿勢を低く、距離を詰めさせるな!」

「隊長! 戦車接近! 三時の方向!」

「旋回! 徹甲弾装填! 車体を回すぐらいの勢いで左へ動け!」


 部隊への指示と同時に、自身が操る戦車の指示も出す。普通の指揮官なら困難なことであろうが、ソラ・ヤナギはそれをやってのける。

 轟音。傾くように左へとドリフトし、雪の地面を削る車体。その隣へ、戦車の砲撃が着弾した。

 同時、前を見る。すると、射線上に敵戦車の姿が見えた。


 ――計算通り!


 内心で喝采を上げる。それとほぼ同時に、リィラが砲撃の引き金を引いた。

 轟音。

 狙い違わず、こちらの一撃が敵戦車を吹き飛ばした。見た目から、相手は軽量型の戦車だといいうことはわかっていた。こちらは重戦車。一世代前の車体だ。しかし、世代が違うことがそのまま戦力差になるということにはならない。


「隊長! 中尉はええんですか!?」

「構ってる余裕はない! 信じろ!」

「了解!」

「理解が早くて助かる!――歩兵隊! だから距離詰めんなって言ってんだろうが!」


 二人が乗る、ドイツ製重戦車――〈ベトレイヤー〉は前大戦の初期において主力だった戦車である。機動力を犠牲にして装甲を厚くし、大威力の砲撃を行うことを主目的とした戦車だ。大戦末期では高速機動型の軽量戦車に押され、活躍の場を失った。

 そんな戦車をソラが使うのには無論、理由がある。一つは彼が率いる小隊は人数が少なく、指揮官たる彼が最前線に出なければ立ち行かないという現実だ。その点をこの戦車ならば多岐にわたるレーダーによって常に戦況を把握しながら戦える。

 ソラ・ヤナギは指揮官である。

 指揮官というのは、部隊員の命を背負う義務がある。その指揮一つで死ぬ者がおり、生き残る者がいるのだ。

 背負った命。その全てを生還させること。それが義務であり、責務。


「……正直、俺には荷が重いんだよ」


 チッ、という舌打ちを漏らしつつ、ソラは言う。人の命を背負うことに――それを意識したのは、いつだったか。

 そうだ――二年前だ。

 ここで、この場所で。

 ソラ・ヤナギは現実を教えられた。


「――総員に告げる」


 自分の才能の限界と、能力の限界。

 世界の、理不尽を。


「死ぬ気で生き残れ。生きて帰るぞ。――総員、放てぇっ!!」


 直後、後方に控えていた対戦車砲を構えた部隊とガトリング砲を構えた部隊が動いた。

 それらの弾丸は〈ベトレイヤー〉を超え、こちらへ向かってこようとしていた者たちを蹂躙する。こちらにあるのは戦車一台。神将騎は神将騎同士の戦いで忙しい。

 撤退を、どこから始めるか。

 ソラは、冷たい汗を流しながらも歯を食い縛る。



◇ ◇ ◇



 アリス・クラフトマンはただ眼前の敵に集中していた。

『鎧武者』――いや、〈毘沙門天〉。決着が着かなかった戦闘。だがそれは、こちらが無効を撃退するための戦闘を行っていたからだ。

 今は、逆。

 こちらが追い詰められていて、相手がこちらを追い詰めている状況。


「――――ッ!」


〝デュアルファング〟を振り回す。すでに形状は双剣にしてある。一撃の重さよりも、手数の速さだ。


 ザギギギィンガガギッ!


 目の前のモニターで、無数の火花が散る。それが戦場を照らし出し、まるで、命の輝きのようにアリスには見えた。

 殺し合い。潰し合い。

 生き残るために、相手を殺す。

 生きるために、死ぬ。

 そんな、矛盾。


 ……ふと、思うことがある。

 何故、自分はこんなことをしているのだろうかと。


 あの日、何もわからなかった自分に手を差し伸べてくれた彼。戦争で引き裂かれて、日本人でもある彼ならば統治軍にいるのではないかと思い、《裏切り者》の汚名を被ることも承知で統治軍に入った。

 それは取引だ。収容所にいる兵士たちや、強制労働に従事している男たち。彼らの安全の保障のために、自分はここにいる。

 そういう人間は自分以外にもいた。奏者――シベリア軍において神将騎を操れた者は大概がそうだ。

 だが、今は自分だけ。

 この二年で、彼らは悉く戦死した。戦後に行われた粛清から逃げ出したレジスタンスに殺され、あるいはあまりにも過酷な任務環境に耐えられず。

 面識があったわけではない。友人であったわけでも、ましてや知り合いであったことさえない。

 それでも――同じ境遇に置かれた仲間ではあった。

 それも、もう、いない。

 一人きり。気付けば、たった一人になっていた。


「…………は」


 あらゆる収容所を探し、強制労働の男たちのリストを見てきた。

 ――護・アストラーデは、いなかった。

 約束の相手は、どこにもいない。

 一人。

 独り。

 孤独。

 張り裂けそうな心。慟哭しそうになる瞳。絶叫しそうになる喉。

 その全てを抑え込み、俯き、そうして生きてきて。

 ――再会した。


「……私は」


 生きていた。あの人が。

 心に――命が宿る。


「私は」


 もう何もない。家族も、友も、帰る場所も。

 今自分がいるこの部隊だって、いつ自分を厄介だと思うかわからない。

 故に。


「私には、もう……!」


 眼前の敵を睨み据える。死にたくない。死ぬわけにはいかない。

 だって、もう自分には。


 ――〝またな〟


 あんな小さな言葉にすがることしか、出来ないのだから。


「私にはもう、それしか残っていない!」


 何も掴もうとしなかったからこそ、失ってきた人生。

 両親も、友も。

 平穏な日常も。

 そんな彼女が、唯一手にしようとしたもの。


 それこそが――


「だから、生き残る!」


 約束のために。

 小さな小さな想いを抱いた、あの人ともう一度会うために。

 だからこそ。


「あああっ!」


 吠える。必要なのは奮い立つ力だ。〈毘沙門天〉は強い。ドクターによれば推測スペック値は〈ワルキューレ〉を上回り、あの〈ブラッディペイン〉とも同等以上という。更には背部のブースター。不利な状況に違いはない。

 しかし、それでも退けない。生き残るために。

 渡り合う。動き回り、少しでも時間を稼ぐ。忘れてはならない。今の目的は撤退戦。そして、〈毘沙門天〉をソラたちのところへ行かせないようにするのが彼女の任務だ。

 後方へ飛びずさる。瞬間。


「――――ッ!?」


 ゴウッ、という凄まじい風切り音が聞こえた。圧倒的な速度の突き。間一髪で避けるが、体勢が崩れる。

 すぐさま左腕を地面に向ける。手をつく? 違う。殴る。

 衝撃。左側へ傾いた機体が、左拳で地面を殴りつけたことによって浮き上がる。そのまま双剣状態となった右手の〝デュアルファング〟を機体の前に出す。


 ガギィン!


 直撃。衝撃で機体が背後へ流れる。その勢いに逆らわず、アリスは背後へと飛んだ。

 着地音。距離ができた。

 相手を見据える。エネルギーはフルの状態でここに来ている。〈ワルキューレ〉の最大連続稼働時間は三時間を超える。戦闘となればエネルギー消費が激しいのでそれよりは遥かに短くなるが……それでも、あと一時間は戦闘ができる。撤退を考えればさらに短くなるが……。


「…………」


 神経を集中させる。そこへ。


 ――ピピピッ!


 電子音が響いた。モニターの端に浮かぶのは警告の文字。直後。


 ズドンッ!!


 飛び退いた〈ワルキューレ〉がいた場所を、二発の砲撃が蹂躙した。前を見る。現れたのは、両肩と両腰に巨大な砲門を背負い、右腕がガトリング砲の形状をした神将騎だった。

 歪な形をした神将騎だ。左腕も手というよりは鳥類の鉤爪のような形状をしており、おおよそ今まで見たことがない形をしている。


「なに、あれ……?」


 思わずそんな言葉が漏れる。神将騎というものを数多く見てきたわけではないが……それなりの数をアリスは見てきている。そこで共通するのは、その全てが人の形を模しているということだ。

 二足歩行で手に武器を持ち、足で走る。それが共通。

 ――しかし。

 目の前の神将騎は、その両腕さえもが武器。

 まるで、キメラと呼ばれる化け物のような――


「…………ッ!?」


 だが、呆けていられるのも一瞬だ。敵はそんな猶予を許してくれない。

 敵の砲門が稼働する。そのまま、破壊の力を撒き散らす。


「――――」


 全力の回避。アリスにはそれしかできなかった。突如現れた際にこちらを攻撃してきた時点で、敵であることはわかっている。そう、敵だ。

 ガトリング砲と共に、両肩と両腰の大砲が火を噴く。大地を抉り、破壊するそれをアリスは〈ワルキューレ〉の全力機動で避けていく。マズい。ここは完全に敵の間合いだ。このままでは狩られる。

 マズい、どうすべきか――そう思うと同時。


 ズンッ!!


 回避した先に、〈毘沙門天〉が回り込んできていた。回避は不可能。何という神将騎。そして奏者だ。あの弾丸と砲弾の嵐の中、こちらの回避先へと回り込んでいたのか。

 あの神将騎と〈毘沙門天〉が味方かどうかなどどうでもいい。ただ、今は明確な脅威としてその二つが眼前にいる。


 ――死。

 その単語が、脳裏に過ぎった瞬間。


 ガギィン!


 突如〈ワルキューレ〉の前に、何が割り込んだ。それが右手に構えた盾で、〈毘沙門天〉の刀を防いでいる。


「――〈クラウン〉!?」


 アリスは思わず叫んでいた。神将騎〈クラウン〉――最弱のスペックを誇るとドクター自身が言っていたその機体は、ヒスイの駆る神将騎。


『……守る』


 ザザッ、というノイズに交じって、そんな声が聞こえた。ヒスイの声だ。しかし、どういうことか。調整が済んでいないと、ドクターは〈クラウン〉を下げさせていたはずだ。そもそも、〈クラウン〉はまだ正式に第十三遊撃小隊に配属されていないというのに。

〈毘沙門天〉が飛び退いた。直後、得体の知れない悪寒が体を襲う。

 見る。視線の先には、こちらへ砲門を向けている神将騎の姿。


 ――放たれた砲撃が、視界を覆い尽くした。



◇ ◇ ◇



「……〈クラウン〉は、言葉通りの欠陥機でねぇ。出力は私が見てきたあらゆる神将騎の中で最弱。稼働時間がやたらと長いが、それはただ単に他の神将騎のような動きが出来ないというだけだ。特別なわけではない」


 撤退を始めている中隊の後方。彼の周囲にいる研究員たちに対し、ドクター・マッドは言葉を紡いでいた。無論、彼らとて忙しい。撤退の準備があるし、そもそもドクターのことを知らない者の方が多い。

 しかしそれでも、『天才』を自称する男は言葉を紡ぐ。


「しかし、神将騎であることは確かだ。上から押し付けられた時はどうしたものかと思ったが、いやはや、解は単純だ。そう、実に単純だったよ。――武装を強くすればいい」


 仮面を着けた男の視線の先に映るのは、戦闘だ。ヒスイ。彼が生み出し、育てた奏者と、それと共に戦う《裏切り者》の奏者。対する、〈毘沙門天〉と――見覚えがある神将騎〈セント・エルモ〉。

 別枠としてソラが指揮する撤退戦が行われているが、そんなものはどうでもいい。あの男がこの程度で死ぬようなら苦労はしない。

 故に。

 興味は――神将騎にのみ向けられる。


「無論、攻撃のための刃ではない。そんなものでは押し切られてしまうほどに〈クラウン〉は脆弱だ。故に私は、ヒスイに『防御』の力を与えた。何もヒスイが敵を殺す必要はない。ヒスイが殺さなければ全てが終わるわけではないのだからね。そのせいかな? ヒスイはあらゆる戦場を生き残った」


 砲撃が止まった。その着弾点には、二機の神将騎がいたはずである。

 しかし――


「《生ける屍(リビング・デッド)》とはよく言ったものだね。的を得ている。――ヒスイはまさしく屍だ。数多の屍の前に佇む、屍の先導者。力に憑りつかれた亡者共の夢の果て……ハハッ! いいねぇ! そうだ諸君! あれこそが人類の慾の果て! さあ――見給え!」


 視線の先には、展開式の巨大な盾を以て〈ワルキューレ〉を砲撃から守った〈クラウン〉の姿があった。


「さて、撤退だ。苦い苦い敗北だ。無様も無様。けれどまあ、人死にが少ないならそれも良いのではないかね?」


 戦場に背を向け、ドクターは歩き出す。


「全てを救うことなどできはしない。なればこそキミは、どん底で底辺の人間を救うことにした。そうだろう、ソラ・ヤナギ? ならば、救ってみたまえ」


 背後で。

 徐々に、ソラが率いる部隊が後退を始めていた。



◇ ◇ ◇



 眼前の結果に、護は舌打ちを零した。突如現れた二機の神将騎。片方はその場の成り行きで協力したが、もう片方は違う。明確な敵として、眼前にいた。

 両腕の巨大な盾。展開式のそれで、〈ワルキューレ〉を守り切ったのだ。

 そして、〈ワルキューレ〉とそれを庇った神将騎が撤退していく。追う気は――ない。


「少年」

「わかってる」


 エネルギー残量はもう僅か。残り五分程度しか稼働しないだろう。

 神将騎は基本的に追撃戦には参加しない。エネルギー切れを途中で起こしかねないからだ。

 反乱軍の者たちが、追撃戦を行っている。といっても、向こうの殿の奮戦があったせいであまり効果は出ないだろう。上手い指揮だった。距離を保ち、的確に時間を稼ぐ。やろうとしてできることではない。

 だが今は、それよりも。


 ズガガガガガガガガガガガガガッ!!


 突如、隣の神将騎が右腕のガトリング砲をこちらに向けて発砲してきた。横へ飛ぶ。予想外、などという衝撃は来ない。当然だ。味方と油断したわけではないのだから。敵の敵は味方? そんなものはただの錯覚に過ぎない。

 敵の敵は――敵だ。


「エネルギー量が少ねぇ……! 速攻でアレを叩き潰す!」

「待ちなさい少年! あと十秒……九、八、七……」


 不意に背後で天音がカウントを始めた。護は叫ぶ。


「何だ!?」

「…三…二…一――零」


 バツン、という音が響いた。同時に、コックピット内の灯りがモニターの光を残して全て消える。

 レーダーも、たった一つを残して全て消えていた。


「何をした!?」

「必要最低限の機能を残してエネルギーをカットしました。これで稼働時間が延びます。いいですか、少年。――あれを全力で討ち取ります」

「了解だ!」


 吠える。そもそも、〈毘沙門天〉には近接格闘しか選択肢はない。距離を詰め、叩き斬る。

 踏み込む。砲撃が肩を掠めた。機体が揺れる。強引に右へ。

 ガトリングの銃口がこちらを向いている。マズい。距離を詰めなければ。

 前へ進む。まだ刃は届かない。

 バギン、という音が響いた。左腰を抉られた。しかし、この程度ならば損傷は軽微。

 前へ。

 前へ。

 ただ、愚直に。

 ただ、ひたすらに。

 それしか、自分にはできないのだから。


「おおおっ!」


 吠えた。そして。



 ――――――――。



 二機の神将騎。その動きが止まる。

 片方は、その頭部と腹部へと刀を突きつけられ。

 もう片方は、その体に至近から銃口と砲口を向けられて。

 動けない。わかり易いほどに、相討ちだった。


「――……」

『――そこまでだ!』


 何かを言おうとした護。それを遮るように、声が響いた。

 見上げる。アルツフェムの外壁の上――そこに、一人の女性が佇んでいた。


『私はシベリア連邦第三王女ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン! このシベリアを解放するべく立ち上がった! 《氷狼》と言ったな? 来るがいい、私は貴様と対面を望む!』


 流れるような金色の髪と、意志の強そうな瞳。身に纏うものは、王族が纏う装束か。

 ギリッ、と響き渡るほどの音で護は歯を食い縛る。天音が、少年、と呟いた。


「今は堪えなさい。あなたが連れてきた彼らを、この極寒の地に放り出すつもりですか?」

「……わかってる」


 呟きながら、護はソフィアと名乗った女性を見る。

 酷く――腹が立った。



◇ ◇ ◇



 話は思ったよりも簡単に進んだ。護が連れてきた村人たちはアルツフェムへと受け入れられ、今はその疲れを癒している。護はというと〈毘沙門天〉をアルツフェムへと入れると、第三王女を名乗る人物のところへ天音と共に呼び出され、向かわされた。

 通された部屋は、城塞都市の頃に作戦会議室として造られたのであろう部屋だった。大きな机を中心に、簡素な作りをしている。


「陛下、追撃部隊は撤退させました」

「そうか。被害は?」

「戦車を二台、失いましたが……兵の損耗は軽微です」

「ならば良い。よくやってくれたな、セクター」

「ありがたき幸せ」


 セクター、と呼ばれた老人が頭を下げ、一歩下がる。どうやらあの女性――ソフィアとかいうのがここの大将であることは間違いないらしい。

 そのソフィアはさて、と言葉を紡ぐと護の方へと視線を向けた。


「よく来た。私は貴様を歓迎するぞ、護・アストラーデ」

「……何故、俺の名前を?」

「貴様の仲間だという二人が、ここへ到着している。その者たちから事前に聞いておったのだ」

「護」


 声を上げたのは、部屋の隅にいた青年だった。その青年と、隣にいる少女――二人の姿を確認し、護は表情を変える。


「レオン、レベッカ。無事だったのか」

「ああ。……俺たちは、な」

「護も、無事で良かったよ」


 レオンとレベッカが微笑む。護も表情を笑みに変えそうになったが、すぐさまその表情を引き締めた。

 再会に思いを馳せる余裕はない。今必要なのは、目の前の相手との相対。

 ――敵との、戦いだ。


「攻撃を仕掛けたことはすまなかったな。貴様が味方かどうか、その実力に対する確証が欲しかったのだ。アラン、ここへ――」

「そんなことはどうでもいいんだよ」


 ソフィアの言葉を遮り、護は殺気さえも込めた瞳でソフィアを睨み付けた。セクターというらしい老人が何かを言いかけたが、それをソフィアが手で制する。

 そして、ソフィアが口元を吊り上げ、ほう、と言葉を紡いだ。


「何かを言いたそうだな、小僧?」

「第三王女、って言ったよな? 王族は二年前に処刑されたはずだ。なのにどうしてシベリア軍を率いている?」


 二年前、シベリア連邦の敗戦後、王族は全員がその首を一人の侍によって落とされることで処刑された。故に、王族の生き残りなどいないはずなのだ。

 しかし、ソフィアは平然と告げる。


「落ち延びたのだ。二年前、我が祖国の敗戦が濃厚とわかった時、セクターとそこにいる傭兵のアランと共に、シベリア軍を率いてな。力を蓄え、希望となるために」

「……何だと?」

「ここ、アルツフェムが落ち、西側の主だった領主たちが軒並み裏切った時点で大勢は決した。最後まで抗い、全てが全滅するよりは希望を残すべきという判断だ。そして事実、私たちはこうしてここで力を蓄えている」


 きっぱりと言い切るソフィア。まるで、それが当然であるかというように。

 負けるとわかったから逃げた。それを、この女は――


「逃げた、のか?」


 呟くように、護は言った。

 二年前、シベリア軍がほとんど壊滅状態に陥ったため、首都では護たちが強制徴兵を受け、泥沼の防衛線を演じることになった。

 そう、シベリア軍が壊滅したせいで。

 ――違うというのか?

 コイツらは、逃げただけだというのか?


「俺たちが戦ってる中で、お前らは逃げたのか? 待てよ、ふざけんなよ、何してんだよ。兵士ってのは、兵隊ってのは、逃げるのが仕事なのか? 偉そうに毎日毎日踏ん反り返って、俺たちに偉そうに『俺たちが国を守ってる』なんて言ってたくせに、お前らは逃げたのか?」


 湧き上がる感情。室内にいた者たちが自分のことを睨み付けてきたが、知ったことか。


 バァン!!


 思い切り、護は机を拳で叩いた。そのまま、ソフィアを怒りのこもった表情で睨み付ける。


「ふざけんな! ふざけんじゃねぇ! 俺たちは何のために戦ったんだよ!? 二年前、お前らが弱いから俺たちが戦うことになったんだろ!? 二年前は納得したさ! させられたよ! テメェらが国のために戦って死んだから、だからもう後は俺たちが戦うしかないんだってな!

 それが、何だよこれは!? 逃げただけだと!? 臆病風に吹かれたクソみたいな王女のために、俺たちは勝ち目のない戦いを強いられたってのか!?」

「貴様、このお方を誰だと思っている!?」

「ただの臆病者だろうが!!」


 こちらへと怒声を放ってきた老人に、護は怒鳴り声で応じた。

 ふざけるな、と思う。こんな、こんな奴らのために。

 あの日、俺たちは戦って。

 ――両親は、殺されたのか!?


「何が! 何が『最後の一兵になるまで戦え』だよ! 自分たちは逃げたくせに、俺たちにそんなことを要求すんのか!? 違うだろうが! 死ぬべきだったのはテメェらだろうがよ! 違うのかよ!?」

「――戯けが」


 ソフィアが、僅かに怒りさえも孕んだような瞳で護を睨む。


「我らが死ねば、希望は残らぬ! そうなればこの国は終わりだ!」

「もう終わってんだろうが! テメェはその目で何を見てんだ!? この二年で何人が泣いて、苦しんで、死んだと思ってんだよ!? 希望!? 希望だと!?――思い上がってんじゃねぇぞクソがッ!!」

「ほざけ小僧! 我らは生きねばならなかった! 散っていった者たちの遺志を継ぐためにも! この国を再び取り戻すためにもだ!」

「だったら今の台詞を家族の殺された奴の前で吐いてみろよ!」


 思考が沸騰する。燃え盛る。

 許せないという感情が、溢れてくる。


「テメェらはこの二年、何をした!? 何もしてねぇだろうが! 力を蓄える!? ふざけてんのか!? 今この瞬間にもこの国じゃあテメェらのせいで誰かが死んでんだよ!」


 多くの人たちを見てきた。その生死を、この二年で。

 救えた命よりも、救えなかった命の方が多かった。

 銃を握れても、神将騎を操れても。

 ――飢えて倒れる子供を、抱き締めることしかできなかった。


「さあ言えよ、言ってみろよ! あの日! 死んだ奴らに! 戦って散っていった奴らに! テメェらは逃げてることも知らずに戦って死んだ奴らの前で! 『自分たちは正しかった』ってほざいてみやがれ!

 俺たちは戦ってきた! この二年、死ぬ気で! 必死で! 殺して殺されて生きてきた! 何かが変わるとは思えなくても、何もしねぇわけにはいかなかった!」


 戦ってきた。

 その事実だけは、護の誇り。


「変えるためには力が必要なのだ! 貴様に何がわかる小僧!」

「わからねぇよテメェらみてぇなクソが考えてることなんて! 俺は、テメェらみてぇな頭が良いふりをして何もしねぇ奴が一番嫌いなんだよ!」

「直情だけで世界は変わらぬ!」

「それでも! 考えてるふりをして何もしねぇよりはマシだろうが! 何も、何もしなかったんだろ!? 泣いてるのも苦しんでるのもわかってて! それでもこんなとこで自分たちはのうのうと生き残ってたんだろうが!」

「小僧!」


 ソフィアが銃を抜いた。同時に護も銃を抜き、周囲の兵たちが護へと一斉に銃口を向ける。

 一瞬でハチの巣にされてしまうであろう数の銃口。それに囲まれながら、護は一歩も退かなかった。


「テメェらは希望なんかじゃねぇ!! 害悪だ!!」


 叫ぶ。こんなものを――こんなものに、両親は殺されたのか。

 張り詰めた沈黙が下りる。そこへ。


「――少々、よろしいでしょうか」


 ずっと黙り込んでいた天音が、言葉を紡いだ。ソフィアが一瞬、眉を跳ねあげたが……天音は気にした風もなく、言葉を続ける。


「私はこの国の人間ではありませんし、正直この国の行く末などどうでもいいです。目的さえ果たせればそれでもう充分ですからね。

 まあ、そういうわけで正直、特に思うことはありません。

 しかし――そんな私でも、多くの苦しむ人々は見てきました。触れてきました。故にこそ言います。

 ――希望はあなた達ではない。彼らの希望は、ここにいる少年、《氷狼》です」


 言い切る天音。ソフィアが、貴様、と言葉を紡いだ。


「部外者が知ったようなことをほざくな!」

「部外者はどちらでしょうね? 私はこう見えて、青年と共にそれなりの数の人間を救いましたよ? 何もせずここで黙っているあなた達よりは、余程当事者ですよ」


 銃口が天音にも向けられる。天音は微笑んだ。


「私を撃ちますか? なら頭を狙いなさい。私は体に十キロの爆弾を常時携帯しています。爆発すれば、この部屋ぐらいは容易に吹き飛ぶでしょうねぇ?」


 あははっ、と笑い、天音は言う。


「撃たないのですか? ならいいでしょう。講義の時間です。そこのあなた。十万と零。この言葉の意味がわかりますか?」

「…………」

「おや、王女様ともあられる方がお分かりになられないとは」

「貴様!」

「ではそこのご老人、わかりますか?……わからないのですか。つまらないですねぇ。単純ですよ。これは少年とあなた達が、この二年で救った数です」


 実際はもっと多いのでしょうがね、と天音が肩を竦める。


「少年は――《氷狼》はこの二年、シベリアの希望でしたし、今も尚希望として輝いています。それに救われた者は決して少なくないでしょう。

 さて、では次。一万と一〇〇〇万――これはわかりますね?

 そう、少年とあなた達が殺した数です。シベリア軍たるあなた達は、それだけの数を勠殺してきました。少年のそれは救えなかった者、間接的に殺した者も含めていますので少々多い気がしますが、それでもあなた達に比べれば余程救いがある。

 希望? 思い上がったものですね。所詮はゴキブリ以下の害悪であるあなた達が、よくもまぁ」


 失笑。天音は言い放つ。


「興が削がれました。シベリア第三王女――この程度とは。くだらない――」

「――――」


 動いたのは、ソフィアの背後に控えていた男だった。銃を抜き、その銃口を天音へと向ける。対し、天音は動かない。代わりに動いたのは、護だ。

 音が響く。放たれた蹴りを護が受け止め、そのまま男へと頭突きを叩き込んだ音だ。

 距離が空く。至近より銃を向け合いながら、護は舌打ちを零した。


「丸腰の女相手に銃持って殴りかかるなんてな。どれだけクソだよテメェらは」

「……下がれ、アラン」

「…………はっ」


 アラン、と呼ばれた男が銃を下げ、その場から退く。護は額から零れた血を拭うと、やっぱりだよ、と呟いた。


「テメェらは敵だ。どうしようもないくらいに」


 吐き捨てる。そのまま、護はソフィアへと背を向けた。


「俺は戦う。戦い続けてやる。俺は、テメェらとは違う」


 部屋を出る。

 怒りは、収まらなかった。



◇ ◇ ◇



 アルツフェムの内部を歩く。その背中に、声がかけられた。


「止まりなさい、少年」


 振り返る。すると、そこにいたのは天音と――レオン、レベッカの三人だった。


「……すまない、護」


 言葉を紡いだのは、レオンだった。護は、首を振る。


「謝るのはむしろ俺だ。すまねぇ、レオン、レベッカ。お前らが俺のことを通しといてくれたんだろ?……でも、駄目だ。駄目なんだよ。俺は、シベリア軍と肩を並べて戦うなんて、できねぇ」


 そこだけは、譲れない。

 それだけは、絶対に。


「……両親のこと?」


 不意に、レベッカが口を開いた。護は、ああ、と頷く。

 そして三人から視線を外すと、思い出すように言葉を紡いだ。


「……二年前、俺は敗戦後の首都に背を向けて歩き出した。戻って戦うって選択肢もあったのに。アイツに、もう一度手を伸ばせばよかったのに」

「それは、何故?」

「――逃げたんだ」


 そう、逃げた。

 現実から、敗北から、何もかもから。

 今ならわかる。自分は、護・アストラーデは。


「背負ったものから、現実から、何もかもから。大切な奴がいたのに。守るって決めたのに」


 アリスが、いたのに。

 たった一人で、逃げ出した。


「死にたくなかった。生きたかった。今ならわかる。この二年、戦ってきたのは多分、許して欲しかったからだ。――あの日、逃げたことを」


 逃げてしまった自分を。

 許して――欲しかった。


「……詳しい事情は存じませんが、少年」


 壁に背を預け、天音が言う。


「逃げることの何が悪いのです? 逃げなさい少年。逃げればいい。――逃げ切りなさい」

「そうだよ。多分、それが正しい。こんな、いつも殺して殺されるような毎日を過ごす必要もなかった。もっと、別の人生もあったと思う」


 容姿が容姿だ。日本人として生きていくことも、きっとできた。

 けれど。


「でも……駄目なんだよ」

「……何故だ、護?」

「奪われたのが、俺の大切なものだからだ!」


 吠えた。戦争に、シベリア軍に。多くを奪われた。奪い尽くされた。

 もう、何も残っていないほどに。


「親父は、日本人ってだけで無抵抗なままシベリア軍に殺された。おふくろは、その心労がたたって死んだ。俺は非国民って呼ばれて、家族で住んでた場所さえ追い出された。大切だった。失くしたくなんてなかった。それが、全部、消えちまった」


 どうして、と護は言った。


「出会った。一人きりの奴に。縋ったんだと思う。独りはもう嫌だったから。だけど、その大切も、小さな約束も、俺は奪われた」


 どうして、と護は言った。


「どうしてだ!?」


 戦争のせいで。

 シベリア軍のせいで。

 

 ――俺から家族を奪ったシベリア軍。

 俺からアリスを奪った戦争。


 もう、背を向けることはできない。


「俺は退かない。退けないんだよ。殺されたのは、奪われたのは、俺の家族なんだ!」


 過去に縛られずに生きろと、世界は言う。

 そうできたら、どれだけよかったか。

 前を向いて生きられたなら、どれほど、楽しかっただろうか。


 でも、もうそれはできない。

 現れたから。

 家族を奪った、その存在が。


「俺は戦う! 戦い抜く!」


 前を向いて、生きていく。

 そんな、人生。


 ――俺には、ないんだから。



第十一話です。


ようやく役者が揃った、そんなところです。次回はシベリア軍と《氷狼》のやりとりを書いていこうと思います。ここでようやくシベリア編の前半が終了かな?



護は聖人ではなく、人間です。そして『優しい嘘』の主人公ファイムとは違い、理不尽というものを頑として受け入れません。

故にこそ、彼は正面から違うとそう言いました。


では、感想などお待ちしております。


ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ