第十話 シベリアの希望
シベリア連邦東部。そこに、その都市はある。
城塞都市アルツフェム。
三重の隔壁によって囲まれる、大戦においてはシベリア連邦東の最重要拠点として活躍したその場所はしかし、二年もの間放置されていた。
理由は単純で、『アルツフェムの虐殺』という戦い故にだ。
当時アルツフェムを攻めていたイタリア・フランスの連合軍と、アルツフェムにおいて防衛線を維持していたシベリア軍。そしてアルツフェムに住んでいた一般住民たち。
合わせて300万人とされる彼らが――鏖にされた。
圧倒的な武力による侵攻、それよってアルツフェムは事実上壊滅した。
それ以来、そこには誰も住まなくなったという。統治軍が来た時も総督たるウィリアムはアルツフェムへ調査部隊を派遣したのだが、あまりにも都市の損傷が激しく、復興することに益がないと判断。そのまま二年間放置されていた。
「……ふん。認めたくはないが、二年前の判断は間違っていたか?」
「…………」
呟いたのは、統治軍総督ウィリアム・ロバートだ。精霊王国イギリスの名門貴族のロバート家の当主。イギリス女王エリザベスからの信頼も厚い、有能な人物だ。今年で歳は五十も半ばを超えるのだが、その短く切り揃えられた金髪には生気が漲り、眼光も鋭い。
隣にいるのはその秘書官であるバラン・スウェート。まだ三十に届くという若さだが有能な人物としてウィリアムが重宝し、後に政界進出をウィリアムが後押しする気でいるほどの青年だ。
彼らは今、周囲を幕で覆い、構築した陣の最奥にいる。アルツフェムは二年前の激戦のせいで、その周囲にあったという自然の全てが死に絶えている。故に、戦場は陣とアルツフェムを挟んだ荒野だ。
響いているのは、砲撃の音。今現在両軍は睨み合いにあり、戦場は膠着の様相を見せている。
「将軍はどうだ?」
「……包囲網を形成し、兵糧攻めを狙うつもりという報告が」
「――無能が」
バランの報告に対し、ウィリアムは舌打ちを零した。兵糧攻め――それは、相手に食料や弾薬の補給ができないという前提の下に成り立つ戦い方だ。
シベリア連邦は広大な国土を誇る国である。その広さは僅か一国でEUをも超える程であり、物理的な問題で統治軍の手の届かない部分は確かに存在する。
現在、確かにウィリアムが率いてきた連隊はアルツフェムを包囲し、その補給の全てを絶っているはずだ。
しかし、アルツフェムは本来が城塞都市。籠城するための都市である。籠城しての戦闘こそが本分であるはずのそこを相手に兵糧攻め?……浅はかにも程がある。
「バラン」
「はい」
「私はあの男に言ったはずだな? 短期のうちに、全力を以て制圧せよと」
「……はい」
「――あの男は何をしている?」
静かな言葉だった。近くにいた者たちが全員、思わず一歩後退りするほどの威圧感が周囲を支配する。
そんな中、バランはそれを感じた風もなく目礼し、言葉を紡ぐ。
「ここへお呼びしましょうか?」
「必要ない。ただ、言伝一つでいい。……わかっておるな、と」
「承知しました」
バランが頷き、近くの兵へ将軍――ここでアルツフェム攻略の指揮を執っているはずの人物へと言付けを頼もうと動き出した。しかし、その時。
「スウェート様」
天幕に、一人の若い兵士が入ってきた。階級章などを見るに、ウィリアム直轄の警備部隊の者らしい。その青年はバランへと敬礼すると、声を潜めて言葉を紡いだ。
「総督にお会いしたいと申す者が来ているのですが……」
「……総督へ? 何者です?」
「それが、大日本帝国の者と……」
「――――」
その言葉に、バランは目を見開いた。大日本帝国――確か、以前より総督たるウィリアムに何度か秘密裏に書簡を送り、精霊王国イギリスの女王エリザベスとも決して細くない繋がりがある極東の島国。
いずれ直接その使者とは対面するとウィリアムは決めていたし、バランもそれには異論がなかった。しかし、何故ここにその大日本帝国からの使者が現れる?
反乱軍とそれを率いるシベリアの第三王女の存在は統治軍にとって邪魔でしかなく、都合の悪い存在でしかない。それ故に秘密裏にこうして潰しに来ているわけだが……それが、どこからか漏れたというのか?
「如何いたしましょう? 神将騎一機と、戦車を二台。人員は三十名ほど……今は後方にてお待ちいただいておりますが」
「……私が」
「通せ」
バランの言葉を遮って聞こえてきた声に、バランと青年は同時に体を跳ね上げた。見れば、ウィリアムがいつの間にか二人の近くまで歩み寄り、その長身からくる高い目線から二人を見下ろしていた。
「いずれ会わねばならん相手だ。無能者について語るよりは、余程有意義な話もできるだろう。女王陛下からの指示もある。通せ」
「はっ、はい!」
命令を受け、敬礼をすると青年はすぐさま走り去っていく。バランは、ウィリアムを見た。
「よろしいのですか?」
「構わん。非公式ではあるが、大日本帝国は我が祖国たる精霊王国イギリスの剣を贈った友だ。敵ということもないだろう」
「しかし、本物であるという保証は」
「バラン、覚えておけ。大日本帝国だけは敵に回してはならん。あの国は私には理解できんのだよ。死と感謝が笑みに同居している。死さえも日常なのだ、あの国の住人は」
意味がわからない。バランは首を傾げる。その様子を見てか、ウィリアムはまあ、と言葉を紡いだ。
「ここへ来るのが真に大日本帝国の者ならば、意味も理解しよう。……さて、どんな者が来るのか。私が以前見たのは、白衣を着た妙な女と、隻眼の女侍だったがな」
――――。
――――――――。
――――――――――――。
しばらくし、一人の男――少年がウィリアムとバランの前へと通された。警護のための兵たちは全員がここから離れている。当然だ。ここで行われるのは、非公式の会談である。
「突然の訪問、それも戦時中という状況にも拘らず私をお通し頂き、誠に感謝します」
目の前。地面へと腰を下ろした少年は自身の右側へと腰に差していた刀を置くと、そう言って拳を地面につき、頭を下げた。
ウィリアムは椅子に座っており、バランはその傍に立っている。少年にも椅子が用意されたのだが、少年はそれを断り、直接地面へ腰を下ろしていた。
大日本帝国の軍人が着る純白の軍服をその身に纏った少年は、間違いなく大日本帝国の人間だ。その身なりもそうだし、何より日本刀という日本独自の刀とその軍服の背に背負った『忠』の字がそれを物語っている。彼の国の軍人は、それぞれが《七神将》の下につくことで軍の形を成している。『忠』というのは、彼が戴く将の背負う文字であり、信念だ。
「八坂影と申します。齢十九と若輩者ですが、三佐の地位を与えられております。此度は総督殿にお会いでき、感激の至りです」
「前置きはいい。随分と若いな」
ウィリアムが訝しむような目で影を見る。当然だろう。明るい茶髪の髪。黒い瞳。日本人の特徴ではあるが……それにしても、若すぎる。
対し、影は微笑を崩さぬままに応じた。
「我が国は実力主義です。年齢など関係ありません」
「……ほう」
ウィリアムが息を吐く。笑みのままに影が言ってのけた言葉には、大きな意味がある。
――自分には力がある。
この少年、いや、青年はそう言ってのけた。日本人の美徳として謙遜というものがあるとウィリアムは聞いたことがある。それは民族としての性質だろう。自らを小さく見せ、一歩引くというもの。
しかし、この青年はそれでも尚、言ってのける。
自分は強いぞ、と。
……聞いていた日本人の像とは、随分違う。
内心で呟く。だが、そんなことはいつものことだ。百聞は一見に如かず、千聞もまた然り。この青年とは、今目の前にある情報を以て相対しなければならない。
「ならば、問おう。今回は何用でここへ来た?」
「以前よりイギリス女王陛下へと打診しておりました件について、お返事を頂きに参りました」
「……成程」
「頂けぬというなら、そのように本国へは報告しますが……如何でしょうか?」
ふむ、とウィリアムは頷いた。以前より大日本帝国がイギリスへと打診していた事柄……それは、EUに対してのある意味では攻撃とも取れる行為だ。EUという括りで考えるならば、受けることはできない。
しかし、EUというのはあくまで欧州連合。国の集合体である。そこには利権争いが確かに存在し、事実、EUの首脳会議では常に互いの利権を求め合う駆け引きが行われている。イギリスにとっては旨みが大きい。女王陛下からは判断の言葉を授けられているが……。
「一つ、聞かせてもらいたい」
「何でしょうか?」
「貴様は、私たちを正義と思うか? 私がここにいると知っていたということは、この状況も理解しているということだろう? この状況において、大日本帝国は我々の味方をするのか?」
「……普遍的な正義など、存在しません」
影は笑みを消し、真剣な表情で言葉を紡いだ。
「人間はどうしようもないエゴイストです。正義の裏には、必ず自らに対する利が存在している――正義とは、勝者です。歴史に記されるのは勝者の歴史。大日本帝国は、統治軍にもシベリア連邦には今のところ興味はございません」
「今のところは、か?」
「はい。今のところは、です」
影が微笑む。そのまま影は立ち上がると、真剣な瞳でウィリアムを見据えた。
「私が背負うは、《七神将》第二、第三位《剣聖》神道木枯様の『忠』の文字。私は我が祖国の利益になることを行います。それは総督殿とて、変わらぬのではありませんか?」
「違わぬ。……返事の件だが、我が精霊王国イギリスはその件について大日本帝国に協力を約束する」
ウィリアムが言い切る。影は、左様ですかと頷いた。
「ありがとうございます。深き感謝を」
「互いに互いの祖国を思ってのこと。礼など不要だ」
「ありがとうございます」
もう一度、影が膝を折って頭を下げた。
会談が終了する。影が立ち上がり、さて、と言葉を紡いだ。
「総督殿、よろしければ我々がアルツフェムの攻略へ協力することもできますが、如何いたしましょうか?」
「……いや、その気持ちには感謝するが、必要ない。そちらは非公式にここへ訪れた。あまり目立つことはするべきではないのではないか?」
「お心遣い、痛み入ります」
「何、こちらで指揮を執る男は少々、愚昧な男ではあるが……結果は残すだろう。それが上に立つ者の義務であり、できなければ死ぬ。そういうものだ」
「そうですね。敗戦は将の責任。腹を切ることもまた、致し方なしでしょう」
笑みを浮かべたまま、影が言う。ウィリアムは内心でこれだ、と呟いた。
感謝の笑みと、死に対する笑み……日本人は、そこに違いを見出さない。どちらも等価だ。
「ほ、報告!」
不意に、天幕へと一人の青年が入ってきた。余程のことがなければここへは入るなと言ってある。つまり、余程のことがあったのだ。
「あっ……」
「構わん。言え」
影を見て口ごもった青年に、ウィリアムが先を促す。青年ははい、と応じると言葉を紡いだ。
「西部の森より正体不明の神将騎が一機出現! その特徴から報告にあった『鎧武者』と思われます! そ、そして……!」
青年が、叫ぶ。
「『鎧武者』に奇襲を受けたヴァルツフォルグ将軍の神将騎〈エンブレム〉が敗北! 将軍が討死なさられました!」
◇ ◇ ◇
統治軍本陣へ、大日本帝国の使者である八坂影が訪れる数十分前。
アルツフェムより少々西へ離れた位置にある森に、その姿があった。
「ふむ……どうやら、私の予測は大当たりのようですね」
「そうだな。アルツフェムに掲げられている旗……あれは……」
「……シベリアの、国旗……」
天音と護の言葉を受けるようにして呟いたのは、彼らがここまで強行軍で連れてきた村人たちだった。正直、天音はここまで来るのに数日はかかると思っていたが、護が考えた木を切り倒して彼らが入れる箱を作り、〈毘沙門天〉で運べばいいというアイデアによって時間を大幅に短縮することに成功した。
無論、稼働時間のこともある上、運ぶための箱の居心地はよくない。問題は多かったが、時間を縮めることが出来たのは大きかった。まあ、それでも数日かかってしまったのだが。
「さて、どうします少年?」
「…………」
双眼鏡から目を離し、微笑を浮かべる天音。対し、護は無言だ。
目の前で行われている戦闘が、統治軍とそれに反する存在――反乱軍の戦いだというのは明確だ。レオンが言っていた『東』というのはアルツフェムのことなのだろう。これはもう、疑う余地はない。
あそこにいるのは叛乱軍だ。そして、装備からしておそらくシベリア軍の残党。
……シベリア軍。
ギリッ、と護は唇を噛み締めた。レオンが自分に伝えないわけである。シベリア軍、それに対し自分は浅からぬ因縁がある。
だが、ここで黙っていても何も変わらない。どうすべきか、と護は思考を巡らせる。
「籠城と、兵糧攻め……今は統治軍がプレッシャーをかけるために攻勢へ出ているようですね。チャンスといえばチャンスです。あそこで指示を出している神将騎がおそらく大将でしょう。愚かなものですねぇ、これ見よがしに目立つ位置にいて。まあ、アルツフェムからは手出しできない位置にはいますが」
隣で好き勝手なことを言っているのは天音だ。目を凝らす。天音の言う通り、一機の神将騎が戦場における中心に立ち、周囲へ指示を出している。だが、その指揮は揮わっていないようだ。
攻城……成果が上がっていると思えない。まあ、これが天音に言うようにプレッシャーをかけるだけだというのなら、それでいいのかもしれないが。
「――今なら首が獲れますねぇ」
「…………」
楽しそうに言う天音。護はそんな天音を睨み付けた。しかし、堪えた様子はない。
「私は事実を言ったまで。行動するのはあなたですよ少年。……それとも、シベリア軍に何か因縁でも」
「……正直、素直に味方とは呼びたくねぇ」
言いながら、護は背後を振り返った。その視線の先には鎮座する〈毘沙門天〉がある。
「――シベリア軍は、俺の両親を殺した奴らだから」
両親を殺したのは統治軍ではない。シベリア軍だ。それはどんな状況に放り込まれても変わらなかったことで、忘れなかったことである。
そもそも、二年前の徴兵だってそうだ。シベリア軍がしっかりしていれば、自分たちが銃を握ることもなかった。
レオンがこのことを自分に告げなかったのは、それが理由だろう。怨恨も憎悪もある。シベリア軍を希望と、護・アストラーデは思えない。
「ならばどうします? このまま黙して見守りますか?」
「……いや、出る」
歩き出す。目指すのは〈毘沙門天〉だ。
「黙っていても、何も変わらねぇんだよ。統治軍を潰さなければ、この国の支配は終わらねぇんだ。だったら、今ここで俺は統治軍と相対する」
「孤軍奮闘。それでも?」
「それがどうした? いつだって俺は、孤軍で戦ってきてんだよ」
それが矜持であり、誇り。
仲間の身を、自らを危険に晒すことで守り続けてきた男の信念。
「よろしい。ならば、私も同行しましょう」
新たなる相棒である〈毘沙門天〉に乗り込んだところで、天音が微笑を浮かべながらそう言った。そのまま彼女はコックピットに座る護の後ろへ予備のロープを使って自身を固定する。
「おい」
「あ、あー。……ふむ。外への言葉は通じているようですね。では、皆さん。少々ここでお待ちください。終わり次第、お迎えに上がりますので」
天音が勝手にコックピットを操作し、外部スピーカーを開くとそんなことを言い放った。そのまま、天音は微笑を浮かべたままに言葉を紡ぐ。
「さて、参りましょうか」
「……何でついてくるんだよ?」
「いかな豪傑であろうと、乱戦では些細なことで命を落とすこともあります。勝手に死なれては困りますのでね。死ぬならせめて、目の届くところでお願いしますよ」
「……そーかよ」
まあいい、と護は呟いた。この女性の行動と考えが読めないのは今更だ。
息を吐く。そのまま、遠目に自身が討ち取るべき敵を見据える。敵は――戦場の中心にいる、一騎の神将騎。
マントを羽織り、周囲に指示を出している様子からしても将騎であることは間違いない。故に。
「行動開始だ! 行くぞッ!」
思い切り両足を踏み込む。敵は多勢、こちらは単騎。狙うは電光石火の一撃。
ブースターが火を噴く。連日の稼働のせいで、エネルギー量は残り少ない。だが、ここで踏み込む意義はある。
「少年! 統治軍はアルツフェムへの攻城のせいで兵が分散しています! 一点突破を!」
「ああ! どれだけ数がいようが大将を潰した方が勝ちだ!」
戦とはそう単純なものではないが、この戦場は状況が少々特殊だ。敵将を一人討ち取るだけで、状況は大きく変わる。
敵軍が目に入る。無視。
戦車の砲塔がこちらを向いた。無視。
神将騎が二機、こちらを向いた。――〝海割〟を抜く。
眼前の神将騎の腕が飛ぶ。止めを刺す暇はない。
前へ。
前へ。
眼前――マントを羽織った神将騎が視界に入る。
『貴様――何者だッ!?』
相手が剣を抜いた。盾を構え、こちらに相対しようとする。
一撃必殺、一点突破。
「少年」
「ああ」
返答は一言。
――斬る。
酷く、澄んだ音が響き渡った。
振り抜かれたのは、二刀の刃。左右より挟み込むようにして振り抜かれた刃が、敵の剣と盾を切り裂いた。
『ぐっ!?』
相手が下がる。逃がさない。
突き。狙うは腹部のコックピットだ。
――直撃。
鈍い感触が腕に返ってきた。
「――――」
突き刺した刀を、振り抜く。バチン、という不快な音が響き渡り、相手の神将騎が爆散した。
沈黙が下りる。その中で、護は刀を高く突き上げた。
「少年、名乗りの時です」
天音が背後から、囁くように言う。
「反逆の狼煙はもう、上がっています。首都のスラムにおける攻防戦、この〈毘沙門天〉を以て彼の《赤獅子》と引き分けた激戦。村人を率い、統治軍を撃退せしめた撤退戦――記録に残ろうが残るまいが、そのようなことは些細なことに過ぎません。
さあ、名乗りを上げなさい。背負う覚悟があるのなら。踏み込む覚悟があるのなら。その手に、その身に。あなたが顔さえも知らない『誰か』の命を背負うことができるのならば」
「俺は――……」
護は呟く。今まで戦ってきた理由は、決して難しいものではない。
徴兵された時は、生き残るためだった。
アリスに出会ってからは、守るためになった。
離れてからは、生き残るためになり。
その手を再び掴むためになった。
その過程で多くを知り、触れて。
許せないと、思うようになって。
ただ、それだけ。
国とか、世界とか。そんな規模の話はわからない。ただ、護・アストラーデは目の前で起こっている事実に対してしか何かを感じられないし、考えられない。
だから。
「俺は――《氷狼》」
外部スピーカーを繋ぎ、護は叫ぶ。
《氷狼》――首都において壊滅させられたはずの義賊集団の名が響き渡り、統治軍に動揺が走る。
「神将騎の名は〈毘沙門天〉! 軍神の化身! 来い、統治軍! 俺が相手だ!」
名乗り、という風習はかつて騎士や侍の時代に行われたものである。銃撃戦が基本となり、敵の姿を見ることなく死ぬことも多くなったこの時代。今更名乗りなどという行為は行われない。
それでも、ここで、護が名乗ったことには意味がある。
――宣戦布告。
シベリアには、統治軍に対してまだ抗う存在がいると、そういう意味を持った言葉だ。
聖暦、1911年。
良くも悪くも、この日は歴史に刻まれる。
二年の圧政を経て、永久凍土に戦乱の火の手が上がった――……
◇ ◇ ◇
突如現れた神将騎――〈毘沙門天〉。その名乗りにより、統治軍は混乱の極みにあった。
「ウィリアム様! ヴァルツフォルグ将軍の討死によって統率を失い、部隊は混乱の極みにあります! 勝手に退却する者もいる有様で……! 下知を!」
「――――」
焦りから騒ぎ立てるバランの隣で、ウィリアムは舌打ちを零した。『鎧武者』――報告は来ていた。かの《赤獅子》、大戦の英雄と戦い、逃げ延びたという機体。
……あの男によれば、〈ワルキューレ〉と互角という話だが……。
半日ほど前、中隊を引き連れてここへ来た男のことを思い出す。〈ワルキューレ〉……気に食わない存在だが、その実力と感情は別だ。そうなれば、将軍はあの《裏切り者》よりも弱かったということか。
ふう、とウィリアムは息を吐いた。そして、言葉を紡ぐ。
「撤退だ」
「ウィリアム様!?」
バランが驚愕の表情を浮かべた。当然だ。彼としてはウィリアムが改めて指揮を執り、将軍を失って混乱する連隊の立て直しを図ろうとするものと思っていたからだ。
だが、ウィリアムは違う。あの〈毘沙門天〉という機体と、ここ数日の揮わない指揮下で戦った故の疲弊した連隊。ここにとどまる意味は薄いと判断したのだ。
「全軍に通達。総員、撤退だとな。戦いたい者は残っても構わんが、その場合は置いていくと伝えろ」
「ウィ、ウィリアム様……!」
「二度言わせるな。撤退だ」
念を押すように伝えると、バランは頭を下げ、駆け出して行った。撤退の信号弾を撃つ指示を出しに行ったのだろう。
「迅速な判断ですね」
そのウィリアムの隣で、影が微笑を漏らした。ウィリアムは、ふん、と鼻を鳴らす。
「そちらには申し訳ないな。ここへ来てもらった早々、部下が無能を晒した。無能無能と思っていたが、このような結果を残して死ぬとは……奴を早々に見限らなかった私の失態だ」
「その部下の責任ではないと?」
「部下の無能と不出来は上官の責任だ。……その責を追及されるのであれば、甘んじて受けよう」
「それはそれは」
影が微笑を漏らす。影が、それで、と言葉を紡いだ。
「殿はどのように? この状況、撤退戦は地獄では?」
「かもしれんな。だが、安心していただいて構わん。撤退戦の殿を務める者はいる。……来たようだ」
「総督閣下」
天幕から出、戦況を眺めていたウィリアム。とはいえ、彼はその身分からしておいそれと近付けるものではない。故に混乱にありながらもウィリアムと影の周囲には人がほとんどいなかったし、寄ってこなかったのだが……一人の青年が、近付いてきていた。
「呼ぶ前に来るとは、自身の役割を理解しているようだな」
「我々は、こういう時にこそ役に立つ部隊。……そうでありましょう?」
恭しく頭を下げたのは、青みがかかった黒髪の青年――ソラ・ヤナギ。
粛清に向かったはずが逆に撃退され、指揮官が戦死したという中隊を引き連れてここへ増援に来た男だ。
「第十三遊撃小隊隊長。貴様に殿を任せる。貴様が連れてきた者たちも、必要ならば使え」
「了解しました」
ソラが敬礼する。その際、影と視線が合ったのだが……互いに思うところは何もなかったらしく、ソラはすぐに立ち去って行った。それを見送り、影がウィリアムに問いかける。
「あの方は?」
「よくわからぬ男だ。五十年生きてきたが、あのような者を見るのは正直初めてだ。……軍人という者は、誰もが高潔とはいかん。問題のある者が必ず出てくる。統治軍ではそういった『問題がある者』を集める部隊があるのだが……あの男はその隊長だ」
「彼もまた、何か問題が?」
「あるといえばある。優秀過ぎる、という点だ。……あの男は優秀過ぎた。それ故にああして底辺へと送られ、しかし、そこで満足しているようにさえ見える。一体、どういうつもりなのか」
ウィリアムは息を吐く。あの男は自分が信頼を置く部下であるカルリーネが一目を置く存在である。カルリーネ・シュトレンは徹底した実力主義と貴族主義の女だ。それが、孤児の出身であるあの男をあそこまで評価するのは正直珍しい。
だが、まあ。今はどうでもいい。
「撤退だ。そちらはどうされる?」
「……まあ、お伝えしたかったこともお伝えできましたし。私たちは一度本国へ戻ります。近いうちにまた、お会いしましょう。書簡の件、どうぞよろしくお願いします」
「承知した」
「――武運を」
一礼し、影は立ち去って行った。妙な男である。……最後まで、こちらの瞳を正面から見ようとしなかった。
大日本帝国――謎多きその国は、やはり警戒が必要だ。改めてそう結論付けると、ウィリアムは戦場を見上げた。そこでは撤退信号として、いくつかの信号弾が打ち上げられている。
「敗戦か。まあいい。無能者が消えてくれたことで、半々だ。――シベリアの小娘が。生きてその大望、果たせると思うなよ……?」
その瞳は、真っ直ぐに。
アルツフェムへと向けられていた。
◇ ◇ ◇
「追撃戦ですよ、少年」
「わかってる!」
後ろから聞こえてくる声に、護は叫んで応じた。討ち取った神将騎――拾えた音声によると、将軍が駆る機体だったという。大将首だ。大手柄である。
しかし、護は戦士ではあるが兵士ではない。故に首級を上げたところで褒美などなく、同時に護自身も欲しいとは思っていない。
「少年、右です」
「――ッ、チッ!」
天音の指示により、後方へ大きく飛びずさる。それとほぼ同時に、先程まで〈毘沙門天〉の姿があった場所を銃弾が駆け抜けた。
同時、護は飛び出す。こちらを撃ってきていた神将騎と距離を詰めると、その胴体を一閃、切り裂いた。
すでに勝敗は決している。立て直しでもされれば違うだろうが、空に上がっている煙は信号弾だろう。この状況下だ。おそらく撤退。
だが、勝敗の決定と戦闘の終了は別の話である。事実、護は四面楚歌の中を動き回り、どうにか耐えているような状況だった。
「エネルギー残量は!」
「予測稼働時間はあと20分ですね」
「くそっ!」
悪態を吐き、護は戦場を駆け抜ける。無茶苦茶だ。撤退しようにも、撤退する場所がない。森へ逃げても、おそらくは無駄だ。むしろあそこに隠れている者たちを危険に晒す。
ガチャガチャと、背後から音が聞こえた。護は周囲へ気を配りながら、背後にいるはずの天音に言葉を紡ぐ。
「何をやってんだ!?」
「指を咥えて見ていたところで、限界が近いことは明白です。少々時間をください。今、携帯端末でシステムに干渉しています。神将騎は精緻な機械です。稼働率の存在といい、エネルギー動力の存在といい……妙な部分が多い。手はあるはずです」
「よくわかんねぇ! 何のことだ!?」
「私に任せれば状況を打破しますということです」
「なら頼む!」
「頼まれました」
踏み込み、薙ぎ払うように二刀の〝海割〟を振るう。敵の部隊は撤退を始めている。だが、ここで自分が下がればおそらく追撃してくるだろう。こちらは単騎だ。後ろのアルツフェムからは砲撃などの援護こそあるが増援が来る様子はない。弱みを見せるわけにはいかない。
故に、前へ。相手が完全に撤退の形へ入ってしまうまで、追い続ける。
――そこへ。
ガギィン!
突如、白銀の神将騎が飛来した。見覚えがある。先日殺し合った。これで三度目の相対だ。
「――〈ワルキューレ〉かっ!」
応じるように、相手が動いた。ツインブレイドを振り回し、遠心力の込められた強力な一撃を上から叩き込んでくる。
対し、護はバックステップでそれを受けた。刀というのは切れ味こそ相当なものだが、頑丈さはそこまで高いわけではない。ここ数日の連戦で〝海割〟も消耗している。故に、受けることは得策ではない。
「――シッ」
機体を回転させ、二刀を回転運動のままに〈ワルキューレ〉へと叩き込む。だが、それはツインブレイドによって防がれる。
厄介な相手だ。全力でやって、ようやくどうにかなるような相手。だが、この状況ではいつ周囲からの攻撃による邪魔が入るかわからない。
しかし、やるしかない。
護は、大きく息を吐き、そして、
「行くぞッ!!」
吠えた。
◇ ◇ ◇
「さーて、というわけで上からの指示は以上。異議がある奴?」
〈ワルキューレ〉が出撃すると同時に、ソラは彼がここまで連れてきた中隊のメンバーに指示を出していた。その指示はつまり、『撤退戦』。
ざわめきが広がる。そこに含まれる言葉の意味を、ソラは理解していた。誰もがこう言っているのだ。
――話が違うではないか、と。
何故自分たちが撤退戦などという状況に放り込まれなければならないのかと。
「……お前らさぁ、馬鹿だろ?」
タバコの煙を吐き出し、ソラは言い放つ。
「話が違う? どうして俺たちが? 少しは考えろ。あんたらは、ここに来る時にどんな結果を残してきた? 言ったよな? 惨めな惨めな敗戦だって。
そんなお前らを、増援に来たからはいそうですかと部隊に加える? ねーよ。
言っただろ? 名誉挽回の機会って。ここがそれだよ。ここがそのための場所だ。死に場所だ。死に場所を生き残ったら、それが名誉挽回だ。
どうせお前らあそこで死んでてもおかしくなかったわけだし。ここで死ぬ方がマシだろうよ。違うのか?
まあ、ここには総督閣下もいる。閣下をお守りすることが俺たちの至上命題なら……反論の余地はないわな?」
戦場に響くソラの言葉。そのまま、さて、と彼は踵を返す。
「それじゃあ行くぞ。従いたくない奴は申し出ろ。俺の指揮下にいる以上、命令違反は即銃殺。俺がこの場で殺してやるから。ま、それでいいなら止めんがね」
ギャルル、という音を響かせ、ソラの前に戦車が現れた。その乗り口から、一人の少女が顔を出す。
「隊長、準備できましたえ~?」
「了解」
言って、ソラはリィラが操縦してきた戦車に乗り込む。大きな戦車だ。通常のものより二回りは大きい。
そこへ乗り込み、ソラは言葉を紡いだ。
「死にたいなら殺してやる。死にたくないなら従いな。それがルールだ」
乗り込む。ソラの眼前に広がるのは、無数のレーダー機器やモニターで埋め尽くされた内部だ。座席は複座式になっており、前でリィラが操縦を行い、ソラは全体指揮とリィラのサポートができるようになっている。
「さて、それじゃあまあ」
出撃しようかと、ソラは言った。
――それと、ほぼ同時に。
アルツフェムの門が開き、戦車を始めとした中隊規模の部隊が突撃してきた。
ソラ・ヤナギ率いる部隊の撤退戦が、スタートする。
◇ ◇ ◇
「……まさか、こんなところで見つかるとは」
本陣から離れたところで、影は微笑んだ。ウィリアムにも捜索の手伝いをしてもらおうと話を通そうとしたところでこれだ。
本当に、あの人は。
「三佐」
こちらに気付き、隊員の一人が声を上げた。影は手を挙げて応じる。
「うん。撤退だ。一度本国へ戻るよ」
「蒼雅様は……?」
「あっちはあっちでやることあるだろうし。まあ、大丈夫だと思うよ。仮にも特別管理官。実力は折り紙つきだ。それよりも、急いで本国へ伝えなくちゃいけないことが出来てね」
「伝えなければならないこと、ですか?」
「うん。総督の返事もそうだけど……それよりも、今、戦場にいる機体がね。――見ればわかるよ」
言う。
「先代《七神将》第三、第四位――《女帝》出木天音。ようやく見つけた。思った通り、〈毘沙門天〉も一緒だ」
まあ、その〈毘沙門天〉を操っているのは天音ではなかったようだが……それは正直どうでもいい。
見つけたという、事実が大事なのだ。
「帰ったら、神道さんに伝えなくちゃ」
シベリア連邦。二年前にここで戦いもしたが、正直興味はなかった。
しかし。
あの、出木天音がいるならば――……
「……少し、興味が出てきたね」
影は小さく微笑む。
戦闘はまだ――終了していない。
というわけで最新話です。
統治軍総督、ウィリアム・ロバートは椿牡丹先生に。
大日本帝国三佐の八坂影はアヴェンジャー先生に考えて頂きました。
わ~! パチパチ!
ありがとうございます!
それにしても、ようやくスタートラインに立てたような気がします。いえ、まだ主人公が反乱軍と合流していないので、正確にはまだなのですが……。
キャラクターも増えてきたので、軽い紹介だけの設定を載せようと思います。
あ、ネタバレはないのでご心配なく。
ではでは、感想などを頂けると幸いです。
ありがとうございました!!
……次回は、王女様の降臨と、仲間との再会……かな?