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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
11/85

第八話 激突、敗北者の戦い


 その行軍は、全くと言っていいほどに問題がなかった。雪中行軍が辛いといえば辛かったが、まあ、それだけだ。永久凍土のこの国で、それから逃れられるわけがない。

 男は、部隊の一員だった。所属するのは中隊だが、今回はあくまで確認程度の任務のため、人数は20人程しかいない。

 一応、後方に本隊がいるが……彼らの活躍はないだろう。


「全体、止まれ!!」


 号令がかかり、男は足を止めた。しんがりを務めていた戦車も停止する。もっとも、今回戦車がついてきているのは物資の運搬が主だ。戦闘はあまり想定されていない。


「我々の任務は、二日前に消息を絶った先見隊の確認である。情報では、この先の村で連絡を絶った」


 上官の男が、確認のための言葉を口にする。そうしてから、更に言葉を続けた。


「反乱の可能性がある。場合によっては、村の者共を尋問しなければならん」


 首を左右に振りつつ、上官が言うが……場合によっては、などという生易しいことはあり得ない。

 シベリア連邦にある都市や村には、男はいない。つまり、いるのは女だけだ。

 下品な笑みが、あちこちから零れた。この隊に女性が選ばれていないのも、そこが理由か。


「嘆かわしいことだ。だが、我々には治安維持という任務がある。致し方ないだろう」


 口元に笑みを浮かべつつ、上官は言う。一行は笑みを交わし合い、先へと進んでいく。


 そして――村に着いた。

 だが。


「…………?」


 全員が、顔を見合わせた。人がいないのだ。

 何故だ、と上官が呟く。男が周囲を見回すと、多少荒れている村の風景が目に入った。


「隊長、食料が根刮ぎ持って行かれています」

「根刮ぎだと?」

「はい。人の姿は欠片も見当たりません」


 聞こえてくる報告。上官の男は、ふん、と鼻を鳴らした。


「逃げたか。だが、所詮は女子供の足。そう遠くへは行っていないだろう。――捜せ!」


 号令がかかり、男たちは動き始める。だが、その表情は一様に苛立ちを浮かべていた。当然だ。尋問という名の暴行の後、すぐに戻れるはずだったというのに、この雪の中で逃げた奴らを捜さなければならないなどと。

 男も舌打ちを零す。苛々する。面白くない。

 敗北者のくせに。見つけたら、ただでは――



 ――カチン。



 音が聞こえた。えっ、と男は声を漏らす。直後。

 オレンジ色の閃光が、男の視界を埋め尽くす。


 男が見た光景は――それが最後だった。



◇ ◇ ◇



 策がなかったのかと言われると、答えはノーである。それこそ一も二もなく逃げた方が良かったのかもしれないし、この村の後ろには広大な森林が広がっている。そこに紛れれば、逃げることも難しいわけではない。

 だが、護と天音はそれを選択しなかった。何故か。

 一つは、生き残った27人が女子供と老人しかいなかったという理由だ。永久凍土の森林地帯など、訓練された者でも踏み込むことは躊躇する。女子供を連れてとなると、強行軍は不可能である。

 そしてもう一つが、ここで一度相手を叩いておきたいというものだ。これは天音の発案である。

 二年もの間、《氷狼》という組織は様々な手を使って統治軍と戦ってきた。しかし、先日の首都攻防戦において世間の評価としては――少なくとも統治軍は――《氷狼》が敗北したと捉えている。

 これはまずい、と天音は言った。


 ――あなたたち以外の目ぼしい反抗勢力は、もう潰えたのでしょう?


 天音のその問いかけに、護は頷いた。最初の一年で大規模な統治軍の粛清が行われ、そこを乗り切れたのが《氷狼》だけなのだ。


 ――ならば、希望はあなたたちだけです。

 どういうことだ?

 ――二年、二年もですよ? この国に対して統治軍は随分と中途半端なことをしてきました。火種はいくらでも転がっています。しかし、火種が燃え上がるには理由が要ります。


 それがあなたたちですと、天音は言った。


 ――《氷狼》は健在だと、そう知らしめなければなりません。〈毘沙門天〉はおそらく、正体不明の機体としか理解されていません。ならば、ここで認識させましょう。


 あの女は、そう言って笑った。

 静かに、それでいてどうしようもなく獰猛に。


 ――少年は――《氷狼》は、明確な脅威としてここにいると。


 それに乗ったのは、自分自身だ。敗北を取り返す。あの時、守れなかった全てのために。

 届かなかった手。

 迷いが殺した、二つの命。

 未熟であるが故に奪われたであろう、数多の命。


「――上等だよ」


 右手に握るのは、これまでずっと使ってきた突撃銃。

 左手に握るのは、天音に託された一振りの日本刀。


「俺はまだ、戦える!」



 ――轟音。爆発が起こる。

 天音のトラップが作動したらしい。合図だ。


「――――――――ッ!」


 吠えた。体中から声を絞り出す。身をひそめていた家屋から飛び出し、突撃銃の引き金を引く。

 統治軍の兵たちは、いきなりの状況に統率がとれていない。狙うなら今だ。

 撃つ。撃つ。撃つ。

 捻じ伏せる。こちらは単騎だ。無理はしない。俺にはまだ、やるべきことがある。


「く、う、撃て!」

「敵は一人だ!」

「態勢を立て直せ!」


 声が聞こえる。護はこちらに敵の銃口が向けられたのを確認すると、すぐさま足を止め、飛び込むように路地へと逃げ込んだ。


「逃がすな!」


 声が聞こえる。相手がこちらを追ってくる。路地の奥は通行止めだ。何故なら。


「――ようこそ」


 声。前方には、即席の防壁――土嚢を積み重ねた向こうで不敵に笑う天音と、無数の銃を構えた十人ほどの女性。

 予め設置しておいた、屋根へと上るための木箱を蹴り、護は屋根へと駆け上がる。それとタッチの差で、眼下を無数の銃弾が駆け抜けた。

 屋根の上に辿り着く。そこで探すのは、たった一つのこと。


 ――そこか!


 狙うは、指揮官の首。

 突撃銃を背に、護は刀を抜く。


 行動は単純だ。

 ――斬る。



◇ ◇ ◇



 作戦は単純だった。敵部隊を村へと入れ、トラップで敵を攪乱。その不意を護が衝き、敵部隊をこちらへ誘導。予め設置していた土嚢の内側から、敵部隊を撃ち殺す。


「世間一般の人々は勘違いしているようですが、人など誰でも殺せます」


 響き渡る銃声。こちらに走ってきていた者たちが、次々と倒れていく。


「人を殺すには、膨大なエネルギーが必要です。それはもう、自らが死ぬのと同じくらいに。しかしですね……殺さなければ殺されるならば、人はいくらでも他人を殺します」


 謡うように言う天音。その両手がそれぞれ持つのは、凶悪な黒い光を放つ機関銃。


「女子供にも人は殺せるんですよ。殺さないだけでね。――世界中を見渡しても、私以上に手を汚し、女子供に手を汚させてきた女もいないでしょう」


 ガチャン、という鈍い音が響く。

 笑みを零し、天音が身を乗り出す。そして。


「さあ――撤退です。泥沼の撤退戦ですよ?」


 凄まじい銃撃が、世界を蹂躙した。



◇ ◇ ◇



 駆け出した。

 ただ。

 ただ。

 速く、速く。

 狙うのは、一点。


「あ、ひっ……!?」


 こちらを見、恐怖で顔をひきつらせる敵の指揮官。

 その首を狙い、ただ、刀を振り上げる。


 ――馬鹿だ、と言われたことがある。

 その通りだと、思ったことがある。


 風を切る音。狙い違わず、まるで吸い込まれるように刃が向かっていく。

 手に、感触。


「――――ッ!!」


 パンッ、という、何かが弾け飛んだような音が響いた。

 ――朱。

 頭を失った体から、噴き出すように血が流れ出ている。

 それを浴びながら、護は前を見据える。まだ生きている、他の兵士たちを。


 ――後に、生き残った兵士によれば。

 その姿はまさしく、悪鬼のそれだったという。


「う、うわっ!?」

「隊長が……」

「に、逃げろッ!!」


 口々に叫び、兵士たちが逃げ出す。護は袖で顔についた返り血を拭うと、厳しい瞳のままに自身の右側を見た。

 聞こえるのは、キャタピラの音だ。


 ――ガドンッ!!


 無人の家屋を砲撃で吹き飛ばし、戦車が出現する。

 戦車――神将騎を除けば、最強の陸戦兵器。叩き潰すためには、相応の装備がなければどうしようもない。


「…………!」


 護の判断は迅速だった。出現と同時に背を向け、撤退の構えを見せる。当然、あちらはこちらを狙い撃とうとしてくるが、家屋に隠れながら移動する護を捉えきれない。

 爆発。護の後方で、家屋が吹き飛ぶ。呼吸が荒れている。心臓が張り裂けそうになりながら高鳴っている。


 怖い、と思う。死ぬのは怖い。いつだってそうだった。

 しかし――選んだのは、自分だ。

 命を懸けなければ、何一つとして掴めない。そういう世界になってしまい、そういう世界で生きているのだ。だから、こうしているのだ。


 走る。ただ走る。愚直だ。作戦だって、全て天音が考えた。護にはそんなことができない。自分一人ならともかく、誰かを指揮するということはできない。

 だか、それでいいと天音は言った。そう言ってくれたのは、天音で二人目だ。


 ――俺は、これしかできない。


 戦うこと。走ること。

 諦観が人を殺す。ならば、諦めを踏破するために走り続けることしか知らない。


「俺は……前に向かって手を伸ばすことしかできねぇ」


 だから、せめて。

 これだけは――


 ――ガドンッ!!


 家屋が吹き飛んだ。距離が近い。敵が慣れてきたか、こちらに疲れが出てきたか……おそらく、両方だろう。

 息を止め、駆け抜ける。

 一歩、二歩、三歩――視界の端で、戦車の砲門がこちらを向いた。だが、距離の問題なのかキャタピラを動かし、こちらへ迫ってくる。


 ――来い。


 背を向け、全力で走りながら護は念じる。


 ――来いッ!


 果たして、祈りが通じたのか。

 護の背後から、轟音が響いた。

 地面が揺れる。まるで、大質量の何かが落下したかのように。


 護は足を止め、振り返る。荒い息を吐きながら、彼はその結果を見届けた。


「……上手く、いったか」


 呟く。戦車砲門を下向きにして、地面の下――護たちが掘っていた穴に落下していた。

 単純な話だ。人の力で戦車を砕くのは不可能に近い。ならば、封じ込めてしまえばいい。


「…………」


 汗を拭う。汗と血が混じったそれは、薄い朱色を示していた。

 深呼吸をする。血と硝煙の臭いが鼻をつくが、気にしていられない。


「少年」


 声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは一人の女性。天音だ。


「他の者たちは撤退させました。手筈通り、あなたは〈毘沙門天〉を」

「ああ。……村の人たちは、大丈夫なのか?」

「大丈夫、とは?」

「いきなりこんなとこに放り込まれて、人を殺すことを強要されて……平気でいられるわけねぇだろ」


 護は言い捨てる。彼自身、今でも覚えているのだ。初めて人を殺した日――銃で殺し、返り血を浴びることさえなかったというのに、血がずっと両手にこびりついているような感覚だったのを。徴兵された護と、戦うしかなくなった村人たち――差があるとは思えない。

 そんな言葉を聞き、天音はああ、と頷き、言葉を紡いだ。


「それなら大丈夫ですよ。落ち着いてきたならどうにかなってしまうかもしれませんが……今は、殺さなければ殺される状況。いちいち他人の命――それも、こちらを殺そうとしていた相手の命を考える余裕などありません」

「……そうかよ」


 応じ、護はポケットから双眼鏡を取り出すと、西の方向を見た。そこに窺えるのは、数台の戦車と百人近歩兵たちの姿。

 おそらく援軍。いや、本隊か。いずれにせよ状況が厳しいことには変わりがない。


「私たちは森に入ります。少年、あなたは〈毘沙門天〉で敵の神将騎と戦車の破壊を」

「わかってる」


 頷き、向かおうとする護。その背中を天音が呼び止めた。


「問わせてもらいます、少年」

「……何だよ」

「何故、ここまでするのです?」


 護が振り返る。そこにいるのは、白衣を朱で染め上げた天音の姿だ。彼女は、純粋な疑問を投げつけてくる。


「彼らを見捨てるという選択肢はありました。そうすればもっと楽に東へ向かうこともできたでしょう。時には、大のために小を切り捨てることも必要です。それがわからないほど未熟者でもないでしょう?」

「見捨てるなんて選択肢はねぇよ」


 吐き捨てる。そうだ。見捨てるなんてことはありえない。

 だって、それは。そんなことをしてしまったら――


「あいつらが何をした? 殺されるようなことをしたのか? してねぇだろうが。ふざけんな。どうして見捨てるなんて発想になるんだよ」

「では言い方を変えましょう。目の前の百人と、未来の一万人――どちらを救いますか? 目の前の百人を救えば、未来で一万人が死に、目の前の百人を見捨てれば、未来の一万人を救えます」

「目の前の百人だ」


 躊躇いはなかった。護は、天音に背を向けながら言葉を紡ぐ。


「どれだけままならない過去を悔やんでも、過去なんてものは変わらねぇ。変えられるはずがねぇ。けど、前を向いて吹っ切ることはできる。未来? 知るかよそんなもん。未来なんてわからねぇ。知りたくもねぇ。苦しかろうが辛かろうが、俺は前を見て戦う。それしかできねぇ。それしか知らねぇ」


 利口な答えを出せるほど、頭がよくないから。

 護・アストラーデは、こんな風にしか戦えない。


「しかし、それが現実です。必要な犠牲というものは、必ず存在します」

「それが受け入れられねぇから戦うんだろうが!」


 吠えた。必要な犠牲――そんなもの、認めたくない。認められるわけがない。

 きっとあるはずなのだ。馬鹿な自分にはわからない。見つけられない。しかし、たった一つの冴えたやり方は必ずどこかにあるはずなのだ。

 だって、そうでなければ。

 この世界はあまりにも、残酷過ぎるではないが。


「綺麗事ですね、少年」

「綺麗事でも叫んでやる。叫び続けてやる。世界の片隅からでも、どこからでも。死ぬ間際にだって。諦観が人を殺すんだよ。諦めずに叫ばなきゃ、世界は変わらねぇだろうが」

「しかし、叫んだだけでも世界は変わりません」

「だから――力がいるんだろうが」


 地鳴りのような音が聞こえる。敵が迫ってきているのがわかる。

 それでも、護と天音はそこから退こうとしない。ここで行われる問答こそが、二人の――特に、護にとっては何よりも大切なことだから。


「力は、所詮力でしかねぇ。正しくも悪くもない。ただそこにあるだけだ。だから理由が必要なんだよ。叫ぶだけで変わるなら、力なんて必要ねぇだろうが」

「矛盾ですね、少年。人を救うために人を殺しますか」

「それが俺の戦いだ」


 言い切る。言葉で変わるほど、変えられるほど、この世界は優しくない。この世界はもっと残酷で、どうしようもなくて、不条理だから。

 でもそれを受け入れるほど、大人になった記憶はない。


「過去は変わらない。どれだけ戦おうと、この国が負けたことも、俺がどうしようもなく弱かったことも変えられやしねぇ。だけど、だからこそ戦って未来を変えるんだよ」


 振り返り、天音の瞳を見据える。天音は、珍しく微笑を消していた。

 そして数秒の時が流れた後、不意に微笑を漏らす。


「これはこれは……どうしようもないほどに愚かで、愚直で、しかし――面白い」


 ゾクッ、と、護の背筋に悪寒が走った。

 笑み。その微笑はいつも天音が浮かべているものと変わらないはずだというのに、その朱で塗られた口元が浮かべる蠱惑的な笑みと、こちらを見据える酷く冷たい双眸がそれを感じさせなかった。


「いいでしょう、少年。認識を改めます。あなたの行為は正義ではない。欲望――そう、欲望を、世界を変えるという途方もない慾のために戦う浅ましいまでの『絶対的な悪』です。背負えてしまった。背負える力があった……それはあなたの責ではなく世界の責であり、しかし、それでも咎はあなたが負わなければならない」


 覚悟はと、彼女は問うた。


「どうしようもない悪として。悪意を以て悪意を壊す――そんな、どうしようもない矛盾に染まる覚悟はありますか?」

「悪意も善意もありゃしねぇよ」


 切り捨てる。


「誰かのためなんて理由で、人のせいにはしねぇ。俺が死ぬのも戦うのも、それは全て俺の責任だ。全部背負って、必ず俺は辿り着く」


 体の前で護は拳を握る。理由は、昔から変わっていない。

 多くのことを知り、多くの理由ができた。それは事実だ。


 だけど――最初の理由だけは。

 それだけは、ずっと変わらずここにあるから。


「――上等です、少年。ふふっ、いいものを……実にいいものを見つけました」


 また――悪寒。

 得体のしれないモノが目の前にいるような、そんな感覚を護は受ける。


「いいでしょう、私は、出木天音は――あなたを全力で援護しましょう。ただし、覚悟をしておきなさい。その想いが潰えた時、壊れた時、私があなたを殺しましょう。力を与えた私の責任です」

「……いいぜ」


 頷く。

 敵はもう、そこまで迫っている。


「俺は、ずっと戦っていく。それしかできねぇ。それしか知らねぇ」

「違えれば殺します。――では、一度別れましょう。武運を」


 言って、微笑を零しながら天音は悠然と立ち去っていく。護はそれを一瞥すると、彼の新たなる力が眠る場所へと急いだ。


 ――十数分後。

 中隊が、村へと到達した。



◇ ◇ ◇



 天音は村人たちを率い、森の中にいた。子供たちや老人は先行させている。ここにいるのは、彼女を含めて六人ほどだ。森へと入り、少しした場所で木の上に昇っている。


「無線、というのは便利ですね。応用性に富みます。もう少し技術が発達して、それこそどこにでも電波が届くようになれば世界は縮まるでしょうねぇ」


 笑いながら言うと、天音は白衣から一つの無線を取り出した。そして、謡うように言葉を紡ぐ。


「では、よろしいですね皆さん? あなたたちが閉じ込められていた村――隷属、敗北、屈服の証を破壊します。これが狼煙、もう後戻りはできません。よろしいですか?」


 周囲を見る。すると、誰もが迷いを浮かべながらも頷いていた。

 よろしい、と天音は呟く。そして、ボタンを押す。直後。


 ――村のあちこちから、轟音が響き渡った。


 予め仕掛けておいた爆薬。敵が村に入り込んできたところで、それを作動させたのだ。結構な量の爆薬をここまで持ってきていたのだが、全部使ってしまった。しかし、相当な打撃を与えることはできただろう。

 声が聞こえる。流石に、遠隔操作の爆弾程度で部隊を全て壊すことはできない。こちらへと向かってきている兵たちの姿が双眼鏡で確認できる。


「さて、ここで講義の時間です」


 緊張が走る。誰もが木の上で震えながら敵を待つ。恐怖――そう、恐怖だ。失敗すれば死ぬ。そして、しっぱいはそのまま先へ行っている仲間たちや子供たちの死に繋がるのだ。

 そんな緊張の中、天音だけが鼻歌でも歌いそうな調子で言葉を紡いでいる。


「軍人というのは怖いものです。彼らは人を殺すことにのみ、体を鍛え上げ、特化させています。殺すために鍛えているのです。それはもう、アスリートとは次元が違う。スポーツではありませんからね、戦争は。そんな彼らに一般人が戦いを挑んだところで殺されるのが関の山……というのが普通ですが、今回は事情が違います」


 こちらへ兵士たちが到着した。彼らは森に入ると、銃を前へと構え、こちらへ向かって全力で走ってくる。


「こういう、森の中を進むことに特化した兵隊というものは確かに存在します。しかし、雪の森となると話は別でしてね。気温の低さ。雪によって狭まった視界。白で塗り潰されているが故に方向感覚が狂わされ、そして、足を取られぬように下を見て進むようになる」


 木の上で、銃を構える。天音が貸し与えた小型のマシンガンだ。女性でも使えるように軽量化されたものである。

 彼女自身は武骨な機関銃を両手に携え、笑っている。


「下を、そう、下を見るのですよ。人というのは面白い生物でしてねぇ。見下すのは得意でも、見上げるのは苦手なのです。人の死角は後ろだとか言われていますが、それよりも明確な死角が一つあります。――そう、上です」


 敵兵が、迎撃ラインへと足を踏み入れる。天音は、その笑みを更に深くした。


「さあ、引き金を引きましょう。――掃射!」



 ――――――――ッ!!



 凄まじい銃声が連続して響き渡る。こちらへ走ってきている兵たちが突然の銃撃を受け、倒れる。素人が撃つ弾丸だ。命中率はさほど高くないが、そこは問題ではない。必要なのは、相手の出鼻を挫き、指揮を砕くこと。


「人は、見上げるということが嫌いなのですよ。有名な哲学者の台詞に、こんなものがあります。――〝人は自分よりも優れた者が僅かにいることを認めているが、それ以外のほとんどは自らよりも劣っていると信じていたいのである〟と。素晴らしい言葉です。実に見事に人の本質を捉えている。

 アンリミテッド・デザイア、無限の欲望……それが人の本質であるが故に、人は上へ上へと目指していきます。しかし、『上』と『高み』は違うのですよ。『上』とは、『目指すことが出来る場所』であり、『高み』とは『手を伸ばし続けてもほとんどが届かない場所』を示すのです。

 あは、フフッ、あははっ――だから浅ましいのですよ、人というのは。

 見上げるとは、即ち『高みを目指す』ということ。そんな苦しい道を、報われぬことを目指す人間が『どうかしている』のですよ。『正気じゃない』のです。多くが敗れ去るそんなものに、そんなに分が悪い戦いへと自ら飛び込む者は、そうそうそういません。

 故に――人は上からの言葉というものを嫌い、しかし、服従する。それは銃弾とて同じです」


 上からの指示、というものに人は無意識のうちに反発する。大抵の人間が、国や上役の言葉にまず疑いを持つ。持たない者もいるが、それは疑いを一度持ち、それを払拭されただけだ。

 だが、荒を探したところで、反発したところで、大抵の人間は結局服従する。

 抗えない。その力がない。

 抗うことが出来るのは、世界を変えることが出来る者だけだから。


「さて、講義に戻りましょう。ここでの彼らは、あくまで鎮圧に来ているだけ。私たちを殺したところで軍功など貰えず、正直怪我をするだけでも大損。更に言えば死ぬなど最低以外の何物でもありません。士気は最低と言ってもいいでしょう。楽な戦争です。ええ。士気を挫けばそれだけで彼らは撤退しますからね。

 そして、こちらへ気付いて銃を撃ってきたところで――」


 敵の兵士たちが、慌てつつも反撃のために銃を構えた。その銃口から銃弾が吐き出されるが――


「――このように、この森は手入れがされていないので枝があらゆるところにあります。跳弾し、まず届くことはないでしょう」


 跳弾。それにより、天音たちへは届かない。

 しかし、跳弾の条件は天音たちも同じはずである。なのに、彼女たちの銃弾が届くのは、何故か。


「上からの一撃というのは、全体を俯瞰できます。下から見るのと上から見るのとでは枝の配置の見え方が違いますからねぇ。無意識のうちに、枝がない場所から『撃ち下ろす』ことになります。まあ、これだけで詰む条件は整っているわけですが」



 ――ドンッ!!



 遠くで、轟音が響き渡った。天音は笑みを浮かべる。距離があるせいで見えにくいが、あそこでは村の近くに隠してあった〈毘沙門天〉が動き出しているはずだ。

 いくら上をとったからといって、戦車や神将騎が出てくればそれだけで終わりだ。相手もそれには気付くだろう。だが、それはできない。〈毘沙門天〉が狩り尽くす。


「――こうして、後方には神将騎が現れる。数でも装備でも錬度でも勝っているはずなのに、追い詰められる統治軍。その兵士たる自分たち。心が折れるのは、時間の問題です。……さて、講義はここまで。質問は?」


 聞こえるのは銃声のみ。天音は微笑と共に満足げに頷いた。


「優秀ですね。実にいい。さて――それでは、参りましょうか」


 巨大な機関銃を両手にそれぞれ、携える。自分が使うためにいろいろと改造を施した銃だ。自分にしか使えないし、使わせるつもりもない。


「兵士諸君、任務ご苦労様でした」


 安全装置を外す。引き金を絞る。


「――さようなら」


 直後、今までとは比べ物にならない轟音が世界を蹂躙した。



◇ ◇ ◇



「次ッ!」


 積もった雪を吹き飛ばすようにして登場しながら、護はすぐさま戦車を一台、破壊した。こちらは無勢で、あちらは多勢。神将騎は確かに強い。だが、戦車の砲撃を喰らえば場合によっては一撃で致命傷となる。当たることがほとんどないせいで見落とされがちだが、実際に乱戦の中では戦車の一撃や戦艦の砲撃で神将騎が吹き飛ばされた事例はいくつか報告されている。

 周囲を見渡す。モニターのレーダーと頭部のカメラが見せてくれる視界から、敵の位置を探す。


 ――見つけた!


 戦車を一台、発見する。だが、距離が遠い。


「――シッ!」


 判断は一瞬だった。護は〈毘沙門天〉の左手で〝海割〟を抜くと、そのままの勢いで戦車へと投げつけた。

 ドンッ、という音と共に深々と突き刺さる〝海割〟。そのまま、戦車は爆散した。


『稼働時間には気を付けてください。敵が撤退を始めたと同時に、あなたも撤退を』


 天音の言葉を思い出す。正直、深追いをするつもりはない。相手が混乱しているからこそこんな風に大立ち回りを演じることが出来ているが、そもそもこちらは孤軍だ。深追いして相手の本体と接触、孤軍奮闘にでもなれば終わりである。

 故に、護は迅速に行動する。背部のブースターを吹かし、通り過ぎ様に〝海割〟を回収。そのまま機体を捻ると、全力で地面を二刀で薙ぎ払った。


『――――ッ!』


 悲鳴が聞こえる。こちらを呆然と見ていた歩兵たちのものだ。必要なのは、とにかくこちらが脅威であるということを見せつけること。相手に撤退を仕向けるようにしなければならない。

 戦車を叩き斬る。これで三台。他の戦車は今のところ、姿はない。しかし――


「〈ゴゥレム〉……!」


 一度に数十台という単位で欧州の遺跡から発見されるという機体が目に映る。数が多いが故に、主力であるそうだ。ちなみにシベリアでは〈フェンリル〉がそうだったりする。

 数は四機。それぞれがアサルトライフルを有していた。対し、こちらにあるのは〝海割〟四本。遠距離の武器はない。

 だが、それでいい。余計な選択肢など、ない方がいい。近付いて斬る。これは〈フェンリル〉の時からやっていたことだ。出来ない道理はない。


「――っは!」


 護は全力で両足を踏み込む。直後、背部のブースターが火を噴いた。更に護は操縦桿から手を離すと、両脇にあったレバーを左右同時に全力で引く。


 ――ゴバッ!!!!!!


 背部のブースターが、凄まじい音を立てて火を噴いた。超加速。〈毘沙門天〉の限界速だ。強力なGによってシートへ体が押し付けられ、視界が狭まるが、それでも操縦桿をしっかりと握り締め、急激に距離が詰まる〈ゴゥレム〉を見据える。

 ゾンッ、という鋭い音が響いた。一機の〈ゴゥレム〉は、そのアサルトライフルを撃つ暇もなく、その上半身と下半身を分断され、爆散した。

 残る三機の〈ゴゥレム〉が、慌てるようにこちらへと銃口を向ける。護はすぐさま右手の〝海割〟を投げつけた。

 鈍い音を響かせ、一番手前にいた〈ゴゥレム〉のアサルトライフルへと直撃する。砕けるアサルトライフル。護は武器を失った〈ゴゥレム〉へと突進すると、〈毘沙門天〉の腰を落とし、身を横向きに捻った。

 ――引いた引き金は、元に戻らない。

 響き渡る着弾の音は、護が盾にした〈ゴゥレム〉から響いてきた。その音はすぐに途絶えるが、アサルトライフルの弾を何十と喰らったのだ。その〈ゴゥレム〉はコックピットを撃ち抜かれ、動かなくなった。


「…………ッ!」


 護は止まらない。そのまま〈毘沙門天〉に、全力で地面を蹴らせる。

 空へと上る、一機の神将騎。〈毘沙門天〉は空中で身を翻すと、両手にそれぞれ〝海割〟を構えた。

 ――轟音と共に、ブースターが火を噴く。

 豪速を伴って叩き込まれた一撃は、二機の〈ゴゥレム〉を容赦の欠片もなく叩き斬った。


「――――」


 四機の神将騎を一瞬でねじ伏せ、悠然と佇む〈毘沙門天〉。その圧倒的なまでの威容に、統治軍の者たちは必至で逃走を図る。撤退だろう。

 こちらも退き時か――護は、天音たちがいるはずの方角を見る。そこへ。


 ――ピピピッ!


 電子音が響き渡った。見れば、『警告』の文字が浮かんでいる。前から思っていたが、この〈毘沙門天〉はその機体の名前と内部の文字が全て日本語だ。まあ、天音が日本人なのだから当然なのだろうが……。

 視線を向ける。


 白銀の神将騎が――迫ってきていた。



◇ ◇ ◇



「今更救援要請とか出されてもなぁ……撤退してんじゃねーか」


 タバコを右手に紫煙を吐き出しながら、ソラは苦笑した。その隣では、ドクターが仮面をズラしてタバコを吸いながら笑っている。


「ふふっ、指揮官というのはそんなものだよ。部隊がやられ、部下が死に、銃口を突きつけられて尻に火がついて燃え上がるまで認めんさ。自分が敗北したなどとはね」

「ま、そうでしょうけど」

「退ける方が――逃げることが出来る方が異常なのだよ。軍人など、人間など、所詮は虚栄心の塊だ」

「道理ですね。とりあえずあれです。蜘蛛の子散らすが如くこっちに逃げてきますけど……撤退までどんくらいかかりますかね?」

「大体、三十分。それ以上遅れるようなら見捨てても構わんだろう。まあ、相手もこちらを全力で潰す気はないだろうからね」

「でしょうねー」


 言いつつ、ソラは苦笑した。本当に面倒だ。楽な任務だろうと思っていたのに、あの〈ブラッディペイン〉とやり合って逃走を果たした『鎧武者』がこんなところで出てくるとは。

 厄介だな、と思う。あの機体は本当に面倒だ。


「ドクター。あれ、どう見ます?」

「ふむ。スペック値は〈ブラッディペイン〉と変わらないだろうね。〈ワルキューレ〉より、若干上……といったところかな? まあ、あくまで見たところだが」

「まあ、強いってのはよくわかります」


 なにせ〈ゴゥレム〉四機が一瞬だ。今後戦う時は、相応の神将騎をぶつけるか、もしくはきっちりと作戦を立てねばならないだろう。正直、あの四機は無策過ぎだったし。


「損害は甚大、敗色濃厚……村人と神将騎にここまでやられてちゃ、統治軍の面目丸潰れですね」

「まあ、中隊の指揮官は責任を取らされるだろう。我々には関係ないがね」

「俺たちは命令違反は即刻銃殺刑ですからねー」


 そう、それが第十三遊撃小隊だ。故に、ソラは今まで動かなかった。


「無能な指揮官の下にいるというのは、それはもう不幸だ。

 ああ、悲しいねぇ! 哀れだねぇ! 勝てるはずの戦いで何人死んだかな? 何人が傷ついたかな!?」

「トリップしないでくださいよドクター」

「ふふっ、楽しいじゃないか。聞けば彼女は『格上』と戦った経験がないという。折角、私が武器を贈ったのだよ? 楽しもうと思うのは当然ではないかね?」

「……それなら心配ないですよ、ドクター」


 言う。確かに〈ワルキューレ〉は――アリスは、格上の神将騎と戦ったことはない。しかし。

 それよりも遥かに辛い現実と、戦ってきている。


「俺は正直、アリスに興味がなかった。興味持つ理由もなかったからな。生かす義理もなかったし、最初は相当無茶なことをさせた。それでも――アリス・クラフトマンは生き残ってきた」


 その成果だけは、紛れもない真実だ。


「なめるなよ、ドクター。敗北、不利、撤退なんてのはいつものことだ。俺がここにいるのはここが一番、俺の守りたいもん守るためには『都合がいい』からだ。だから俺はここで指揮棒を振るう。

 ――敗北の戦いは、俺の領域だ」

「――はははっ」


 ドクターが笑う。そのまま、楽しそうに言葉を紡いだ。


「ならばどうするのかね?」

「今回は要するに負けなければいい。あの『鎧武者が強い』んじゃなく、『中隊が弱かった』ことにすればいいんですよドクター。――〈ワルキューレ〉に、『鎧武者』を撤退まで追い込んでもらいます」

「倒さないのかね?」

「できるならありですけど、それは高望みでしょう。『〈ワルキューレ〉は『鎧武者』と互角以上に戦える』――必要なのはその事実です」

「成程ねぇ。……彼女は、何と?」

「〝何としても成功させます〟だそうで」


 肩を竦めて言う。ドクターが苦笑を零した。


「何としても、かね。まったく、〝真面目〟だねぇ、誰も彼も。理由はわからないでもないが、どうにも私には眩しいものだね」

「命賭けた戦場ですからねー。余裕ないんでしょうよ。余裕が無けりゃ、世界は回らないってのに」

「〝余裕〟と〝女〟で世界は回る。世の真理だね」

「……ドクター。この後、俺たちは東へ向かうことになると思います。その時のことについて色々と話しときたいことあるんで、時間とれますか?」

「勿論だよ。いやしかし、朱里くんには頭が下がるね。天才は時間を縮めるのは得意だがお金はどうしようもない。それを用意してくれるとは」

「それなんですけど、あんなもん(巨大兵器)、使う時来るんですか?」

「いや、知らないよ? けれどね、ソラくん。――男のロマンだろう?」

「否定はしません」


 派手な方が好きなのはいつの時代も変わらない。


「さて、どうなるだろうねぇ?」

「とりあえず、俺とドクターがここにいる時点で碌なことにはなりませんよ」

「ははは、道理だね」


 まあ、どうしようもない状況というのには慣れている。

 どの道、与えられた戦場で戦うしかないのだから。



◇ ◇ ◇



 アリスは、眼前にいる便宜上、『鎧武者』と呼んでいる神将騎を見据えた。一瞬で〈ゴゥレム〉を四機沈めたことといい、その戦闘力の高さは圧倒的だ。今までの戦いにおいて、勝利を確信して戦ったことは一度もない。だが、勝機は見えていた。そう思う。

 ――しかし。

 この『鎧武者』は、わからない。勝てるのか、負けるのか……自分では測れない。

 アスリエル大佐の〈ブラッディペイン〉からも逃れ切ったという。自分などが敵う相手ではないかもしれない。

 だけど。

 戦えるのは、自分だけだ。


「――行きます」


 呟くと同時に、〈ワルキューレ〉が武器を構えた。中心の柄から二方向に刃を付けた武器――ツインブレイド〝デュアルファング〟。中心の柄を割ることにより、双剣としても使えるようにされた武器だ。

 それを回転させ、構える。相手は刀を一本だけ抜くと、こちらを睨んできた。


 ――相手を、撤退に追い込む。深追いはしなくていい。


 勝利条件を確認する。おそらく、ソラが――隊長が気を遣ってくれたのだろう。それでいいと、そうなるようにしてくれたのだ。

 ならば、せめて。それぐらいの結果は、残さなければ。

 行きます、と呟いた。

 行こう、と呟いた。

 刃を――振るった。


 散った火花が、戦闘開始の合図になった。



というわけで、今回も護と天音のターン。むう、天音先生がどんどんヤバい方向へ行っている気が……?


次回は毘沙門天vsワルキューレを中心に、物語を大きく動かしていくつもりです。楽しみにして頂けると幸いです。


感想など、お待ちしております。

ありがとうございました。

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