第七話 不協和音、歪みの先に
『おげんきですか ぼくたちはげんきです
おにいちゃんとおねえちゃんがしべりあにいってから二ねんになります
ぼくたちは小学生になりました まいにちおべんきょうがたいへんです
先生にききました おにいちゃんとおねえちゃんはすごい人だそうですね
ぼくたちもはながたかいです けれど さみしいです
こんどはいつかえってこれますか まっています』
◇ ◇ ◇
午前六時。朝日こそ昇っているが、まだ街は活動を開始していない時間。そんな時間に、その青年は目を覚ました。
「…………」
上半身を起こす。それと同時に、自身の左側に何やら柔らかい感触を見つけた。見れば、何故かそこには少女の姿。
リィラ・夢路・ソレイユ。青年――ソラ・ヤナギの部下であり、第十三遊撃小隊における最古参メンバーだ。ソラとの付き合いは三年ほどだが、互いに全幅の信頼を置いている。
「……またかよ」
握り締められていた左手を離させると、寝息を立てて熟睡しているリィラに布団をかける。こうして人の寝込みを襲うようにして布団に入ってくるのはいつものことだが……正直、勘弁して欲しい。別に何かがあるわけではないが、だからこそ面倒だ。
「鍵でもつけるかねぇ……」
統治軍の制服である灰色の軍服を身に纏いながら、ソラは呟く。だが止めた。備え付けの鍵をリィラは突破してくるのだ。付けるだけおそらく無駄だろう。
ソラはリィラに書き置きを残すと、部屋を出た。そのまま伸びをしつつ、廊下を歩く。
――スラムへの侵攻から、一夜が明けた。
復興作業などは特にしていない。そもそも、あそこを破壊するための行為だったのだ。わざわざ復興などしないし、する必要もない。
反抗してきたスラムの者たちは、文字通り皆殺しの憂き目にあった。一人、戦車を持ち出してきた者――引きずり出された死体から、おそらく《氷狼》の構成員と判明――がいたが、それも新しい隊員であるヒスイの神将騎〈クライム〉によって粉砕。特に問題は発生しなかった。
敵の神将騎、〈フェンリル〉と交戦した〈ワルキューレ〉についてもだ。仕留めきれなかったと言えば聞こえが悪いが、そこは他へ手柄を譲ることが前提の第十三遊撃小隊である。深夜に行われた非公式の会議で、暫定的にここを取り仕切っているカルリーネ・シュトレン大尉に問題なしと判断された。
――これからが大変だ。
ソラは内心で呟く。今回は過つこともなく終わった。向こうには甚大な被害が出たし、リィラはトラウマを抉られるようなものを見せられたし――おそらく今日の侵入はそれだろう。いや、なくても来るな――隊員たちも、後味の悪いものを感じたようだ。
だが、ソラにしてみればそれは『理解できない感情』である。
ソラが率いる部隊――第十三遊撃小隊は、文字通り『捨て駒の部隊』である。問題があると判断された兵士たちが集められ、その記録は公的な文書には残されない。存在しているのに存在していない、という表現が一番合うだろうか。
この部隊の存在には様々な論がある。その多くは否定的だが、隊長を務めるソラや小隊の監視をしているカルリーネ。昨日付でこちらへ転属してきた朱里・アスリエル大佐。総督であるウィリアム・ロバートなどは『組織の上で必要不可欠』としている。
組織を動かす上で必ず必要になってくるのは『汚れ役』だ。それは軍隊という組織のみではなく、組織であるならば必ず必要になる。誰かが泥を被らなければならないのだ。
そして、公的な記録に残らないというのはそれだけ自由に動かせるというわけでもある。その功績は正規軍のものと計算され、たとえ死傷者が出たとしても勘定に入れられることはない。それだけでも大きな魅力だ。
そしてもう一つが、『規律』である。
正直、統治軍の中でも第十三遊撃小隊に対する風当たりは強い。見下されて当たり前であり、無茶な命令を受けるのが日常で、死ぬことを前提とした作戦を決行する。そんな部隊に進んで入ろうとする者はいない。
懲罰部隊――実際はそう簡単な話ではないのだが、統治軍の者たちは第十三遊撃小隊のことをそう認識している。故に、そこに配属されないようにと行動するのだ。
そんな小隊の隊長を務めるのは完全に貧乏くじであるし、カルリーネなどはソラを何度か正規の部隊へと転属させようとしたが、それをソラはすべて断ってきた。
――分相応、その一言で。
「…………」
無言のまま、ソラは廊下を歩いていく。今日は朝から呼び出しを受けているのだ。急ぐ必要はないが、急がない意味もない。
しばらく歩くと、左官のために用意された部屋に辿り着いた。ノックをし、許可をもらってから部屋に入る。瞬間。
「ソラ。今すぐこの変態をどうにかしろ」
「おやおや、変態とはつれないねぇ?」
こんな会話が聞こえてきた。椅子に座らず壁に寄りかかり、目を閉じている朱里・アスリエルと、部屋にポツンと置かれた執務机の上に座る変態――ドクター・マッドだ。
「……何やってんです、ドクター?」
半眼でソラは問いかける。ドクターは相変わらずの仮面を着けたまま、体を震わせて笑った。
「なに、ちょっとした興味だよ。久し振りだからねぇ、キミたちとの再会は」
「俺は望んでいない」
「大佐に同じく」
全力で同意する。できれば一生縁がないままでいたかった。
「つれないねぇ」
「で、何しに来たんですドクター?」
「悪巧みだよ、隊長。そうだろう、朱里くん?」
「……ただの作戦会議だ。今後の、な」
目を開け、朱里はため息を交えながらそんなことを言った。そのまま、ドクター、と朱里は変態に声をかける。
「言っておくが、ここでのことは他言無用だ」
「ははは、理解しているとも。私は隠し事やら秘密やらが大好きだからねぇ……心配しなくても大丈夫さ」
「ソラ」
「無論です。――教皇陛下からですか?」
ソラの言葉で、一瞬にして空気が凍りつく。いや、凍りつくという表現は間違っているかもしれない。緊張。そう、緊張だ。一瞬にして空気が張り詰めた。
「そうだ。この統治軍におけるイタリアの兵は、どれくらいいる?」
「ざっと、五千というところだねぇ。大体が固まっている。まあ、連携の問題もあるから仕方ないがね。ここから東の基地に大体が集まっているようだ」
「首都には?」
「知る限りでは三百人程ですね。ドクターの言う通り、連携の問題から中隊として集合ししています。第三中隊ですね」
「……ソラ。ここは非公式の場だ。敬語は必要ない」
朱里が言い、ソラは肩を竦めた。正直、そんなことはどうでもいいのだが……朱里は妙なところで真面目なきらいがある。仕方ないかもしれない。
「俺がここに来たのは、EUの情勢が思わしくないからだ」
「ほう……何かあったのかね?」
「正確には、『ある』んだ。教皇によれば、千年ドイツ大帝国の情勢がおかしい。近々、何かが起こる可能性がある」
「ドイツ……?」
ソラは眉をひそめる。ドイツといえば、国王はいないが何人もの貴族がおり、彼らが政治を行うことで成り立っている国だ。ソラたちの出身地である聖教イタリア宗主国とは歴史的にも衝突したことはなく、良好な関係を築いている。
しかし、ドイツは二年前の大戦でEU内では最も被害を被った国でもある。故に借金なども多く、苦しんでいるという話だが――
「インフレが起こり始めている。このままでは、あの国の経済が破綻するぞ」
「ふむ……大方、金が足りなくなったために大量に紙幣を印刷でもしたのかね?」
「そうだ。今は慌てて戻そうとしているが、それでもかなりの量の紙幣が出回った。一年もせんうちに動きがあるだろう」
「それはまた」
ソラは肩を竦める。ドイツ……どんな国かについては詳しく知らない。だが、教皇――実質、イタリアを取り仕切る人物がわざわざそれを伝えに来たということは、動かなければならないということだ。
朱里・アスリエルはイタリア軍の所有する神将騎において突き抜けて圧倒的なスペックを誇る〈ブラッディペイン〉の奏者である。故に、特進を繰り返して僅か四年で大佐という地位にまで上り詰めた。一万人に一人という奏者は希少な存在だ。更に、強力な神将騎を操れるとなれば尚更である。
そんな朱里が教皇猊下と接点があるのは頷けるが(もっとも、非公式ではあるのだが)、ソラはた違う。ソラはただの大尉であり、特に目立つような結果を残しているわけではない。ドクターは国を挙げて行われているとあるプロジェクトの最高責任者であるため、違和感がないのだが。
「ふむ、それで教皇猊下はどのような指示を?」
「指示は特にない。だが、情報収集だけは怠るな」
ソラ・ヤナギ。ぼんやりと二人の話を聞くこの青年は、何者なのか。
孤児の生まれで、ギリギリ奨学金をもらえる成績で士官学校へ入学。そこで才能を発揮し、初の実戦で死者を一人も出さずに作戦を成功させる。そして、『アルツフェムの虐殺』においてはイタリア軍の中隊を率い、フランス軍と共同して作戦を開始――大日本帝国軍を相手に壊滅的な損害を受けるも、当時そこへ来ていた要人全員の脱出を成功させる。
そして現在、掃き溜めと呼ばれる第十三遊撃小隊の隊長を務め、記録に残らない成果を出し続けている。
一見、十分な戦績だとは思うが、それだけだ。教皇と接点を持つようなものではない。
だから。
「しかし、何と言うか」
「ん?」
「俺みたいなのがここにいるのが、ホント違和感しかないですね……」
苦笑を漏らす。ただの一士官である自分がここにいるのが、教皇陛下の言葉を聞いているのが、ソラにとっては違和感でしかない。しかし、他の二人はそんなソラの言葉を聞いて呆れた声を漏らした。
「お前は何を言っているんだ?」
「キミは時々、理解不能なことを言う」
「は?」
ソラは首を傾げる。どういう意味だろうか。
二人は同時にため息を吐いた。朱里が、まあいい、と言葉を紡ぐ。
「とりあえず今日はここまでだ。……この後だが、シュトレン大尉がお前を呼んでいる。おそらくは任務だろう。行って来い」
「了解しました」
頷き、ソラは部屋を出る。それを見送ってから、朱里はヤレヤレと肩を竦めた。
「教皇猊下の命を救った張本人だというのに、あの男は……」
「まあ、それが彼の良いところだからねぇ。自分の実力を過小評価し、他人を過大評価する……面白いよ。あれほどの才能など、そうそう見られるものでもないというのに」
「……天才は、凡人の努力と成果をただそこにいるだけで捻じ伏せる」
仮面をずらし、タバコを吸い始めたドクターに半眼を向けながら、朱里は言った。
「あれは間違いなくその類だ。上が危険視するのが理解できる。そもそもだ。神将騎を――あの大日本帝国の神将騎を、神将騎なし、その場のものだけを利用して一時間近く封じ込めるなど……できるようなことではない」
「その理屈で言えば、『金色の神将騎』を相手に生き残ったキミも大概だがね」
「ただの時間稼ぎと、逃げの一手だあんなもの。あいつに比べれば、大したことはしていない」
朱里は言い切る。その上で、それで、と言葉を紡いだ。
「どうだった、ドクター?」
「そうだねぇ、やはり私やキミの思う通りだったよ。まあ、あくまで統計的な結果だ。それが真実という証拠はないがね」
「ふん……やっぱりか」
「まあ、後は実験でもして調査できればいいんだがね」
ドクターが肩を竦める。朱里が、それは無理だと言葉を紡いだ。
「№Ⅵ……ヒスイ、だったか? あれについては本国でも相当意見が分かれている。貴様が殺した一万人の子供についてもだ」
「一万人の屍の上に一人の英雄が生まれるのなら、良いことだと思うのだがね?」
「人の命は足し算や引き算じゃないぞ、ドクター」
「そうだね。割り算だ。凡夫という分母の上に、天才という分子がある」
ドクターが笑う。朱里は、言っておくぞ、と前置きの言葉を紡いだ。
「貴様が害為す者と判断した場合、俺は貴様を殺す」
「おお、おお。怖いねぇ、恐ろしいねぇ……最強の奏者相手では、流石に私でも抗えんよ」
くっく、と笑みを零すドクター。そのドクターは、だが、と笑みを零しながら言葉を紡いだ。
「聖教イタリア宗主国最強の奏者――朱里・アスリエル。キミは、その力をどう思っている?」
「どう思うとは?」
「将来的にはどうか知らんが……現時点において神将騎というのは間違いなく最強の兵器だ。その中でもキミの機体はおそらく、黎明の時代においても活躍したであろうもの。それを、どう見る?」
「…………」
「キミの力――キミにしか使えない力は、その気になれば街一つ鏖にして戮殺できる。そうだ。殺した上で殺すんだよ、それはもう徹底的にね。どうしようもないくらいに、再生など不可能なくらいに。くっくっ、いいねぇ、恐ろしいねぇ……人が。個人が! そんなことさえ可能にするのだから!」
「……俺はそんなことには使わん」
朱里は言い切る。その視線は、まるで殺意を抱いているかのようだ。だがドクターは、笑みを崩さず言葉を続ける。
「それはいい。実にいい。私は平和主義者でね。そんなことには使って欲しくない」
「は。どの口が言うんだ?」
「何を言っているのかね? 争いの抑止になるのは倫理でも論理でも規律でもない。ただの絶対的な暴力だよ。抑止として十年、平穏に過ごせる暴力を生み出せるなら一万人の死など安いものだ」
「言ったはずだドクター。人の命は」
「割り算だよ、朱里くん。一万人という分子――それも、親のいない孤児たちに対し、全世界という圧倒的な分母。犠牲の犠の字も見えんよ、これこそ正義だ」
「……ドクター」
朱里は呟くように言う。ドクターはなに、と紫煙を吐き出しながら言葉を紡いだ。
「資格があるなら生き残るさ。残念ながら、生き残ったのは六人だがね」
「…………」
「悼む心は無論ある。しかし、これは戦争――そう、戦争なのだよ。犠牲を孕んで進むしかない。違うかね?」
「――笑いたいなら、笑えばいい。違うか、犯罪者」
辛辣な台詞と共に放たれたのは、鋭い視線。ドクターは、いやいや、と肩を竦めた。
「笑わんさ。そう、笑わんよ。笑えるわけがない。キミはキミ以外のために、その命を使っている。そんな男を笑うほど私は壊れてはいないのでね」
「…………」
「まあ、とにかくだ。気をつけたまえ、朱里くん。キミはいずれ、大きな決断を迫られる。力を持つ者の宿命だよそれは」
くっく、とドクターは笑い。
朱里は、目を閉じた。
そして。
「ドクター」
「何かね?」
「……タバコは、今後俺の前で吸うな。咲夜に嫌われる」
「…………キミは本当に、妹君中心だねぇ……」
◇ ◇ ◇
ソラは、第十三遊撃小隊の倉庫へ向かって歩いていた。先程廊下を歩いてカルリーネ・シュトレン大尉のところへ向かっていたのだが、その途中で出くわし、命令を受けたからだ。
――面倒だな。
思うが、口には出さない。ただでさえ悪い小隊の立場を更に悪くする理由はない。
倉庫に着く。同時にソラは、中にいる隊員たちに声をかけた。
「うっす、お疲れさん」
声をかけると、相変わらずちーす、やら、うーす、といった言葉が返ってきた。相変わらず規律がゆるゆるの小隊である。
「あ、隊長~」
周囲を見渡していると、こちらに気付いたリィラが歩いてきた。戦車の整備をしていたらしく、頬に油が付いている。ソラは呆れた調子でそれを拭った。
「油ついてるぞ」
「あや、すんません隊長。……朝も寝てるウチに布団かけ直してくれたみたいで」
「全員、今すぐ銃を降ろせっていうか上官に銃を向けんじゃねぇ!」
「昨日の夜は激しかったなぁ……」
「貴様俺を殺す気か!? お前ら突撃銃はダメだろ!?」
「――吹雪が」
「こ、コイツ……!」
完全に遊ばれていると理解しつつ、ソラは律儀にツッコミを入れる。そのままため息を吐くと、とあることに気付いた。そのまま、リィラに問いかける。
「アリスはどうした? いないみたいだが」
「……ウチというものがありながら、隊長は他の子にまで」
「いやもうお前ホント黙れ」
話が進まない。
「ちなみに、中尉やったらヒスイ連れて少し出てますよ? さっきまではここにおったんですけど……」
「成程ね」
ヒスイ。姓名を持たない、ソラに預けられた奏者。光のない瞳を持つあの子供を、もう一度見ることになるとは思わなかった。
「まあいい。とりあえず、ここにいる奴には伝えとくぞ。上からの命令だ。俺たちは明日明朝、出立する。目的は通信の途絶えた部隊の確認だ。すでに近隣基地から部隊が出ているが、まあ、念のためだな」
「要するに、後始末ゆーこと?」
「そうとも言う」
実質後始末だ。連絡がないといっても、ここシベリアの大地では吹雪が多発する。その中では通信が取れないことも多く、遭難も珍しくはない。
今回も、そういったケースであろう。まあ、行かないという選択肢もないので、こちらへ押し付けられたというところか。
「一応、万一に備えて戦車を一台と〈ワルキューレ〉を帯同させる」
「あれ? 〈クラウン〉はええんですか?」
リィラが首を傾げる。〈クラウン〉というのは、ヒスイの駆る神将騎だ。決してスペックは高くなく、むしろソラが今まで見た中では一番低い部類に入るのだが、何故かアリスには動かせなかったという機体だ。
ソラは、倉庫の奥にある〈クラウン〉を見ながらああ、と頷く。
「変態とヒスイは入隊手続きが終わったが、〈クラウン〉については正式な手続きが済んでいない」
「ありゃ。ここにあるのに? 奏者もおるのに、よーわからへんなぁ」
「そう言うな。神将騎はそれ一機だけでふざけた戦力だ。それが小隊に事情はあれど二機も所属するんだぞ? 上が渋るのは当然だ」
まあ、渋ったところで結果は同じなので変わらないのだが。
「ま、そういうわけだ。総員、準備しておけよ。……ああ、あとリィラ。これ渡しとくぞ」
全員が頷いたのを確認してから、ソラは封筒を取り出してリィラに渡す。首を傾げるリィラに、ソラは言葉を紡いだ。
「向こうからの手紙だよ」
「ああ、あの子らの。元気そうやった?」
「それはお前がその目で見とけ。あと、返事も頼むわ」
それじゃあな、と言い残し、ソラは立ち去る。そうしてその姿が見えなくなった後、倉庫でリィラが呟いた。
「……ウチのトラウマのこと思って、いっつも鍵かけて寝てるくせに昨日に限って鍵開けてたり……そんな風に気遣いできるくせに、これはアカンのやな……」
その呟きは、涙に濡れているように思えた。
「あの日戦った人は誰一人として、隊長のことを恨んでなんかいーひんのに……」
◇ ◇ ◇
アリスは、待合室でヒスイを待っていた。彼女がいるのは病院だ。ドクター・マッドの指示で、メディカルチェックを受けている。
「…………」
俯きつつ、アリスは無言でできるだけ周囲を見ないように縮こまる。ここは病院だが、それはシベリア人のための病院ではない。かつてはそうだったのだが、今は違う。
故に。
――早く、戻ってこないかな……。
アリスは小さな声で呟く。向けられる視線。見なくてもわかる。それは、敵意だ。
侮蔑。
嘲笑。
それが、向けられている。
慣れることはない。悪意というのは、いつだってそれだけで人を傷つけ、切り刻んでいく。悪意に慣れた時、それで傷つかなくなった時――人は、心を失うのだから。
ここにいるのに、ここにいてはいけない感覚。
空気の中に感じる明確な敵意に晒されるアリス。不意に、そんな彼女の前に影が下りた。
ヒスイか、と思って顔を上げる。だが、そこにいたのは。
――カルリーネ・シュトレン。
名門貴族の出身で、暫定総督の座についている人間だった。
重い空気。立ち上がったアリスに視線を向けないまま、カルリーネが言葉を紡ぐ。
「貴様が何故ここにいる?」
「その……付き添いで……」
「ふん。付き添いがいなければ病院にも来れんような者がいるのか」
「……相手は……子供で……」
消え入りそうな声で、震える声を必死で誤魔化しながらアリスは言葉を紡ぐ。アリスは、この女性軍人が正直、苦手だった。いや、そもそも対人能力が著しく低い彼女が得意な相手などそうそういなかったのだが。
カルリーネは、アリスよりも一つ階級が上なだけの女性だ。しかし、実際の二人には大きな隔たりがある。
片や、将来の成功が約束された貴族軍人。
片や、将来の死によって同郷の者たちを救おうとする敗北者。
だからこそ、本来はカルリーネがこうしてアリスと会話をすることさえあり得ない。しかし、今回に限らずアリスはカルリーネに何度も言葉をかけられている。それは決して口汚い言葉ではなかったが、明確な敵意があることは隠しようがなかった。
「ああ、あの人形か。くだらん。何が奏者だ。ただの大量虐殺者だろうに」
「…………」
アリスは、ギュッと手を握り締める。奏者――神将騎という規格外の兵器を操れる彼らは、世界各国で優遇される傾向にある。奏者、ただそれだけで英雄扱いだ。前大戦に参加していた者なら尚更である。
だが、カルリーネの言う通り、彼らは結局のところはただの殺人者である。しかし、それについてはカルリーネも同じだ。
「先日の戦闘で、随分活躍したそうだな。大佐が称賛していた。――『何故、あの者が評価されないのか』と」
「――――」
――一瞬だった。
胸倉を掴まれ、アリスは壁に押し付けられた。鈍い音が響き、アリスの肺が空気を絞り出す。カルリーネはアリスに顔を近づけると、涙で潤んだ瞳を至近距離から睨み付ける。
「ふん。抵抗さえしないのか。殊勝……いや、違うな。抵抗する技量がなかったのか。所詮は人形。ただのパーツ。神将騎という殻から出れば、こんなものか」
吐き捨てるような言葉。カルリーネは、強く胸倉を捩り上げると、吐き捨てるように言った。
「――図に乗るなよ、敗北者。貴様は人形だ。その命が終わるまで戦うことが強制された、ただのマリオネットだ。貴様の人生は詰んでいるんだよ。貴様は死ぬことで、貴様以外の命を救うと決めた。貴様の墓標に名前はない。大人しく死んでいけ。神将騎を操れるだけのパーツ風情が」
カルリーネは乱暴にアリスを突き放す。息が詰まり、せき込むアリス。その様子を鬱陶しそうに眺めると、カルリーネは吐き捨てるように言った。
「すでに貴様の隊長には伝えてあるが、貴様らは明朝に出立だ。覚えておけ。貴様の前には常に死に場所しかない。精々、EUにとって価値のある死に方をしろ」
カルリーネが立ち去っていく。アリスは、それを呆然と見送るしかなかった。
叩き付けられたのは、明確な敵意。それも、アリス個人にというよりは、奏者という存在に対してだった。
憎悪ではなく、敵意。
何度も受けてきたそれを、ここで、また。
死ぬこと。
死んでこそ役に立つ。
理解していた。初めて〈ワルキューレ〉に乗った時に、そのことを理解して受け入れたのだから。
しかし――死ねない。
もう、死ぬわけにはいかなくなった。
――約束、したから。
彼にもう一度、会うために。
ただ、それだけのために。
もう、それしか残っていないから。
「……アリス?」
不意に、声が聞こえた。見れば、そこにはヒスイがいる。
「あ、ヒスイ。大丈夫だった?」
「うん。……行こ」
「そうだね」
頷き、ヒスイの手を取って歩き出す。周囲の視線を感じるが、強引にそれを意識からカットした。
その中でアリスが思うのは、自身の現状だ。
――私は、嘘を吐いている。
どうしようもないくらい、浅ましい嘘を。
しかし。それこそが。
彼女にとって、唯一の縋り付けるものなのだ。
◇ ◇ ◇
深夜。軍隊の基地というのは二十四時間稼働している。ましてや反乱が起こった直後だ。沈黙させるわけがない。
そんな深夜の基地を、リィラが鼻歌を交えて歩いていた。彼女が目指すのは、射撃の訓練場。それも、地下にあるところだ。彼女は戦車長という役職にあるため、戦闘になれば基本的に戦車に乗る。故に銃を使うことはほとんどないが、いかんせん彼女の経験上、『おそらく安全』とされる任務が無事に済んだ記憶がない。
――隊長の不幸スキルやなぁ。
隊長――ソラ・ヤナギ。超が付くほど優秀な彼だが、その彼にもいくつか弱点がある。そのうちの一つが、最早オカルトだが呪われているんじゃないかというくらいの不幸っぷりだ。不測の事態はいつものこと。畳み掛けるようにして困難が襲い来る。普通の指揮官なら確実に死んでいる状況など日常だ。
だが、その全てを部下を率いて切り抜けている。故に、信頼できるのだ。
「まあ、ウチにできるんはその隊長の補佐で――……って、あれ?」
階段を下りていくリィラ。そして、射撃場に入った瞬間、とある人物を見つけ、目を見開いた。
「あっ……リィラさん」
そこにいたのは、アリスだった。訓練をしていたらしく、足下には無数の薬莢が転がっている。リィラは、どないしたんですか、と言葉を紡いだ。
「中尉、こんな時間にまで訓練ですか?」
「こんな時間にしか、できませんから」
アリスは苦笑を零す。リィラは、確かに、と頷いた。アリスの立ち位置は色々と特殊だ。普段訓練で大勢人がいる時間にここを利用することなどできないだろう。
アリスは訓練を終えたらしく、片づけを始めている。後ろに備え付けられたソファーに座りながら、リィラはアリスに問いかけた。
「その銃、前から気になってたんですけど統治軍の正式な銃やないですよね?」
リィラが指差すのは、アリスが手にしているハンドガンだ。その言葉を受け、ああ、とアリスが苦笑する。
「徴兵された時、私は突撃銃を持たされたんですが……力がなくて、扱えなくて。そしたらある人が、『これなら使えるだろう』って渡してくれたんです」
「ふ~ん……」
銃を見る。それはシベリア製の、今や型落ちした一つ前の世代の銃だ。だが、兵器というのは最新式であればいいというものではない。信頼性という点では、大戦を経験して結果を残してきたその銃は確かに問題ない。
ふーん、と呟きつつ、リィラはアリスに声をかけた。
「……なぁ、中尉。この国、どうなってるんやろうな?」
「どう、とは?」
「いやいや、難しい話やあれへんよ? ただな、ここで生まれたわけでも育ったわけでもない人間が支配――うん、支配やな。それをするのって、どう思います?」
「……シベリア連邦は、敗戦国ですから」
アリスが苦笑を零す。まあ、確かにその通りだ。全てがその結論に持っていかれるのが道理だろう。
だが、とリィラは思うのだ。男――反乱の抑制という名目で、彼らを隔離する。それは、まるで。
――この国を、滅ぼそうとしているかのようだと。
それがわかっているのかいないのか、アリスはリィラに背を向け、言葉を紡ぐ。
「……私にできることは、限られていますから」
「…………」
「私が戦って、死ぬことで……そうなることで、救えるなら。それはいいことなんかじゃないかって、そう思うんです」
背を向けたままのため、表情はわからない。ただ、リィラはその背中に問いかけた。
「せやけど、そんなもの、守ってもらえるなんて保証はありまへんえ?」
「それでもいいんです。可能性があるなら。賭けようって、そう思います」
「分が悪いですよ」
「どうせ、どちらに転んでも私の結果は同じですから」
アリスの言葉。リィラは、ため息を吐いた。
この人は、全てを一人で抱え込んでいる。背負ってしまっている。だけど、自分には何もできない。できやしない。
ならば、せめて。
「大丈夫やよ、中尉」
「…………?」
「中尉は死なへん。ウチの隊長はな、普段はあんなやけど……絶対に、部下を見殺しにすることはあらへん。それが指揮官としてええんかはわかりませんけど、だからウチは信頼しています」
だって、とリィラは言った。
「中尉には話してへんかったかもしれませんね。――ウチは、三年前、アルツフェムで死ぬはずやったんです。睨み合いが続いていた戦線に突然乱入してきた大日本帝国の部隊に、殺されるはずやった。せやけどその時、決定的な敗北の中、27人の要人を救い、百人の仲間を救った無名指揮官がいたんです」
英雄とはきっと、彼のことを指すのだと思う。
勝敗など知らない。人を殺して英雄?――笑わせるな。本物の英雄は、人を救った者だ。
「だから、中尉。……辛いことばかりですけど、生きましょう」
「……はい」
アリスが呟くように頷く。リィラは、ふう、と息を吐いた。
彼女が何かを抱えているのは知っている。だが、踏み込むのはダメだ。話してくれるなら聞くが、それまでは待つしかない。
――いつか、そのうち。
秘密も、話してもらえたらええなぁ……。
呟きは。
声にならず、溶けていく。
◇ ◇ ◇
同刻。首都より東の村で。
一個中隊の戦闘が始まった。
そこには――黒白の鎧武者の神将騎がいたという。
戦乙女と武者の激突が――迫る。
というわけで最新話です。とりあえず、今回は小隊の方を描写してみました。ソラ・リィラ・変態の三人はやはり、この作品においてほとんど唯一の気を抜ける場所ですね。
ではでは、感想などお待ちしております。
ありがとうございました。