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元トレーダー、金アレルギーなのに金本位制の異世界に翻弄される  作者: 夜明け一葉
第2章

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第38話『冒険者の財布』

審査通過の書類は朝一番に届いた。受付の老人がそれをこちらに差し出す。

「今日から使えます」


書類を受け取る。文字は読めない。ただ天秤の紋章と、受付印の形は分かる。


「ありがとう」


老人がすでに次の帳簿に目を落としている。それだけだ。外に出ると冷えた朝の空気が顔に当たる。


冒険者ギルドの正面、角の区画に木箱を置いてひっくり返す。それが台だ。台の上に布を敷いて、六本を並べる。


淡く濁った初級ポーション、五本。初級ポーション、一本。


並べてから少し離れて見る。淡く濁った初級ポーション五本が、朝の光を透かしている。「悪くない失敗作」に見える色だ。ただ見慣れた初級ポーションの緑より、ほんの少し重みがある気がする。


気がするだけだ。証明はできない。


昨夜リナに頼んで書いてもらった木の板を台の端に立てかける。「初級ポーション・大銅貨6枚」と書いてあるらしい。中身は読めないが、リナが「これで伝わる」と言った。板の端が少し欠けている。拾い物の板だ。それで十分だ。


広場の石畳を行き交う人の足音が、少しずつ増えていく。荷車の軋む音、どこかで鉄を打つ音、遠くで子供の声。街が動き始めている。


第三鐘が鳴る。


---


最初の一時間、誰も止まらない。


通り過ぎる人間はいる。ちらりと見て、足を速める。淡く濁った色が「外れ品」に見えるのは分かっている。予想の範囲だ。それでも、五人目が目も向けずに通り過ぎたとき、腕を胸の前で組む。


待つしかない。


第四鐘を少し過ぎた頃、若い男が立ち止まる。装備が薄い。革鎧の肩が擦り切れ、剣帯の留め具が歪んでいる。駆け出しだろう。板をじっと読んでから、顔を上げる。


「六枚?これ、初級ポーションにしては安いな」


「三割安で出してます」


「なんで安いんだ」男が台の上の瓶を一本手に取る。光にかざして、眉を寄せる。

「……色が変だ。失敗作か」


「見た目はそう見えます。ただ効きます」


「効くって言っても」男が瓶を戻す。戻してから、またちらりと見る。

「普通のやつはいくらだ」


「市場だと大銅貨八枚が相場です」


男が少し黙る。視線が板と瓶の間を往復する。財布を取り出して、中を確認する。音を立てないように、そっと開ける。


「……二枚の差か」


「はい」


「でもこれ、本当に効くのか。色がこんなんじゃ」男が再び瓶を手に取る。今度は下から光にかざして、角度を変えながら見る。

「ポーションって澄んでるほど良いって聞いたぞ」


「それはダンジョン産の話です。地上で作ったものは別の見方をする必要がある」


「別の見方」男が眉を寄せる。

「何それ」


「今は詳しく説明できません。ただ自分で使って、通常品より傷の塞がりが速かった。それが根拠のすべてです」


男がしばらく黙って瓶を見ている。唇を一度内側に巻き込んで、また戻す。財布を握り直す。


「……もし効かなかったら」


「初級ポーションを次に試してください。八枚です。ただ損はさせない、と思っています」


「思ってる、か」男が小さく息を吐く。苦笑いとも取れる表情だ。

「……一本だけもらう」硬貨を一枚ずつ指で数える音がする。六枚を差し出す手が、わずかに固い。


瓶を渡す。男がそれを懐の奥にしまって、歩いていく。二、三歩進んでから一度だけ振り返る。何か言いかけて、やめる。そのまま行く。


肩の力が、少し抜ける。


---


昼前にさらに二本出る。


どちらも似た顔つきの若い冒険者だ。装備が軽い。靴の踵が減っている。「安いから」という理由が先で、効能の話はあまり聞いていない。それでいい。


第五鐘の音が広場に響いて消える頃、装備のしっかりした男が二人で立ち止まる。腰の剣が上物だ。鞘に細かい細工が入っている。ランクはそこそこある。


一人が台の上を見下ろして「なんだこの色」と言う。


「淡く濁った初級ポーションです。大銅貨六枚で」


「六枚?」もう一人が短く鼻で笑う。

「安いわけだ。これ、見た目からして効かないだろ」


「通常品より効きます。自分で使って確認しました」


「自分で使った」最初の男が繰り返す。口の端が上がっている。

「採取者が自分の作った失敗ポーション飲んで『効いた』って言ってる、そういうことか」


「傷の塞がりが速かった。比較対象もある」


「比較対象」男が連れと顔を見合わせる。軽い笑いが漏れる。

「素人が自己申告で『効いた』と言っても根拠にならないだろ。俺たちはダンジョン行くんだ。命に関わる場面で使うものに、そんな怪しい話は聞けない」


反論はない。言っていることは正しい。ただ正しいかどうかと、効くかどうかは別の話だ。


「初級ポーションは八枚です。そちらの方が見た目は良い」


「普通のがあるなら最初からそっちを出せ」男がため息をつく。

「失敗作を混ぜて売るな。信用問題だぞ」


二人は初級ポーションを見もせずに歩いていく。笑い声が遠ざかって、広場の雑踏に溶ける。


台の前に立ったまま、少し息をつく。


(分かっていた)


信じてもらえる根拠が、今はまだない。言葉だけでは届かない相手がいる。それだけだ。腹は立たない。ただ、胃の辺りがわずかに重い。


---


午後、再び駆け出しが二人来る。二人で台を覗き込んで、小声で何か話している。片方が瓶を手に取り、もう片方が「色おかしくないか」と言う。「でも安い」と返す声がする。しばらくそのまま迷ってから、「安い方でいい」と言う。二本が出る。


これで淡く濁った初級ポーションは五本全部出た。


夕方近く、初級ポーションが一本残っている。台の上に一本だけ立っている。風が出てきて、板が少し揺れる。手で押さえる。


中年の行商人ふうの男が立ち止まる。革の鞄を肩に下げている。荷物が重そうだ。


「これだけか」


「今日はこれが最後です。大銅貨八枚」


「……まあいい」男が硬貨を出す。慣れた手つきだ。

「補充はいつ」


「明後日には」


男が無言で頷いて去る。足音が石畳に吸い込まれていく。


---


木箱を畳んで布をたたむ。


台の上が空になった区画を、少し見る。風が布の端をめくって、また戻す。


(明日また並べる)


手元の計算をする。今日の収入は小銀貨三枚と大銅貨八枚。宿と食事で三枚出る。


数字は悪くない。ただ在庫が切れた。今夜仕込みを始める必要がある。ハコネソウがまだある。シロクサは補充が要る。


それと——信じてもらえなかった冒険者の顔が、頭の隅に残っている。笑い声も。


正しいことを言っても届かない相手がいる。次に必要なのは言葉ではない。


---


宿に戻ると食堂の喧騒が廊下まで漏れている。いつもより声が多い。見慣れない顔が増えている。


ガッシュが隅のテーブルで食事をしている。


ガッシュが顔を上げる。

「出た日に完売か。早いな」


「駆け出しが安さで買ってくれた。通常ランクの冒険者には刺さらなかった」


「そりゃそうだ」ガッシュが椀を置く。

「見た目が失敗作なら、金に余裕のある奴は買わない。当然だろ」


「分かってる」


「……なのに売りに出したのか」


「リピーターを作るには先に使ってもらうしかない。今は駆け出しでいい」


ガッシュが少し考える。

「使ったやつが『効いた』と言い出せば、口が広がるってことか」


「その流れを待つ」


「気長だな」ガッシュが短く言う。

「ミーナが興味持ってたぞ。例の淡く濁った初級ポーション、いつか自分も使ってみたいって」


「今日の分は全部出た。次は言う」


ガッシュが頷く。

「ところで」と続ける。

「街が変わってきてるの、気づいてるか」


「外から来た冒険者が増えた」


「増えたどころじゃない。他の街どころか他の国からも来てる。ダンジョン解禁の話が広がるのが早かった」ガッシュが声を少し落とす。

「宿が足りなくなってきてる。俺も今朝、見慣れない連中が広場で夜を明かしてるのを見た」


食堂の奥から聞き取れない訛りの声が飛んでくる。笑い声と、硬貨がテーブルを叩く音。


「治安は」


「悪くなってる、という話だ。噂の段階だが、昨夜ちょっとした揉め事があったと聞いた。酒と金と見知らぬ顔が増えれば、まあそうなる」


頭の中で数字が動く。冒険者が増えれば怪我人も増える。ポーションの需要はさらに上がる。ただ治安が崩れれば露店を出すリスクも変わってくる。


「露店の場所は大丈夫か」


「冒険者ギルド正面だろ。ギルドの目が届く範囲だ。今のところは問題ない」ガッシュが腕を組む。

「ただ油断はするな」


「分かった」


---


夜、リナと向かい合う。


食堂の端のテーブル。周りの声がいつもより高い。知らない言語が混ざっている。


テーブルの上にメモ帳を広げる。昨日の五文字を書く。角度が昨日よりマシだ。手が少しだけ覚えている。


「売れた?」とリナが聞く。


「全部出た。駆け出し中心だ」


「通常ランクには?」


「信用してもらえなかった。失敗作を売るなと言われた」


リナがペンを持ったまま少し止まる。

「……そう」


「想定内だ」


「そうね」リナが静かに言う。

「証明できないうちは、そういうもの」


「使った駆け出しが戻ってきたとき、初めて話が変わる」


リナが小さく息を吐く。

「横の線、まだ長い」


メモ帳に視線を落とす。言われた通り、横の跳ねが長すぎる。


「もう一度」


「そう。手の力を抜いて」


書き直す。昨日より少し近い気がする。リナが「悪くない」とだけ言う。


窓の外で第八鐘が鳴る。重い音が夜の空気を揺らして、遠ざかっていく。食堂の声がしばらく静まって、また戻る。


メモ帳を手元に引き戻す。文字の練習に戻る。力を抜いて、跳ねを残す。


明日、在庫を仕込む。


---

【借金メモ・38話終了時点】

前話(37話)終了時:手元大銅貨九枚と小銅貨二枚・残債小銀貨四枚+銀貨一枚

38話収入:初級ポーション(作淡濁:緑)5本(大銅貨六枚×5=大銅貨三十枚)+初級ポーション(作澄:緑)1本(大銅貨八枚)=大銅貨38枚

38話支出:宿+食事1日分(大銅貨三枚)

残債充当:大銅貨三十枚→残債小銀貨一枚+銀貨一枚

ケイの手元:大銅貨十四枚と小銅貨二枚

残債:小銀貨一枚+銀貨一枚

---

【所持アイテムメモ】

ポーション類

 初級ポーション(作濁:黄緑) × 大瓶1本分(保管中・用途未定)


素材類

 シロクサ乾燥葉 × 約5枚(補充要)

 ハコネソウ生葉 × 約10枚

 イヤシゴケ乾燥粉 × 約9g


道具類

 調合道具一式(借り物) × 残13日

 保存瓶 × 2本


登録済み

 商業ギルド「天秤座」露店区画(審査通過・使用開始)

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次回もよろしくお願いします!

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