第35話『撤退』
採取と調合の繰り返しが三日続く。森に入り、素材を確保し、錬金術師ギルドの作業場でポーションを仕上げる。手順は体に馴染んできた。解析を使わなくても、シロクサのある地形が目で読めるようになっている。ガッシュの歩調に遅れることも減った。
一日に仕上がる本数はまちまちだ。素材の確保量に左右される。仕上がった分の一部はガッシュたちに分け前として渡し、残りを冒険者ギルドへ納品する。三日で合計七本を仕上げる。うち四本を売り、三本を渡す。
ある夜、食堂でガッシュが「ポーション、ちゃんと役に立ってるぞ」と言う。
「戦闘でも採取でも、手元にあると安心感が違う。スタンピード後は稼ぎが読みにくいからな」ガッシュが湯気の立つ器を持ちながら続ける。「ミーナも喜んでる。テオは口にしないが、懐に入れてるのは見てる」
「今はスタンピードの影響で買取価格が上がってる。大銅貨七枚になる」
ガッシュが少し考える。「七枚か。スタンピード前の倍近いな」
「どれぐらい手元に必要だと思う」
「緊急用で一人一本あれば十分だ。それ以上は置いといても仕方ない」ガッシュが続ける。「余剰分は自分たちで売るか。お前が作ったもんをお前抜きで売るのも気が引けるが」
「俺も同じように売ってる。気にしなくていい」
「そうか。なら遠慮なく」ガッシュが短く言う。
帰り道、ミーナが「ケイって錬金術師になるの?」と聞いてくる。
「なるかどうかは分からない。今は調べてることがある」
「もったいないなあ」ミーナが続ける。「ポーション安定して作れる採取者って少ないし、需要あるよ」
テオが小さく頷く。
四日目、静寂の森に入ったのは第三鐘を少し過ぎた頃だ。
採取は順調に進む。シロクサを規定量と余剰分、イヤシゴケも確保した。帰り道に差し掛かったとき、視界の端で何かが動く。
(いる)
解析を使ったわけじゃない。ただ、いる。しかも一匹じゃない。
「ガッシュ」と声を落とす。「右前方。複数だ」
ガッシュが即座に周囲を見回す。鼻を動かす。二秒も経たないうちに「急げ。逃げるぞ」と言う。
全員が走り始める。
「何匹だ」テオが走りながら言う。
「三匹以上だ。散開してる」
ガッシュの顔が一段と引き締まる。散開しているなら、退路を読んでいる可能性がある。
茂みが揺れる。右から一匹が飛び出す。
「右!」
ガッシュが剣を抜いて弾く。一匹を抑えながら「走れ!止まるな!」と叫ぶ。テオが左側をナイフで牽制しながら後退する。ミーナが転びそうになる。
「ミーナ、俺の後ろ!」
前を走りながら腕を引く。ミーナが後ろにつく。
後ろで唸り声が上がる。振り返るとガッシュの左腕から血が出ている。それでも走っている。止まらない。
「ガッシュ、右に曲がれ!開けた場所に出る!」
解析は使えない。足を止めた瞬間に死ぬ。前に来た道を思い出しているだけだ。
右に折れた瞬間、真後ろから風圧がくる。
(ミーナに当たる)
考えるより先に体が動く。横に入る。爪が左の脇腹を引っ掻く。痛みより先に衝撃がきて、体が流れる。木に背中をぶつけて止まる。
「ケイ!」ミーナの声が遠い。
立ち上がろうとして、脇腹の引っ掻き傷が熱く痛む。深い。ただ動ける。
「走れ!まだ終わってない!」
また走り始める。
開けた場所に出た瞬間、前方から声が上がった。別の冒険者たちだ。四人組、武装している。状況を見て即座に前に出る。
「下がれ!俺たちが引き受ける!」
後ろを振り返る余裕はない。ガッシュに引っ張られて木の陰まで下がる。
剣と爪の音が続く。唸り声が一つ、また一つと途切れる。
静かになる。
「終わった」冒険者の一人が言う。「怪我は?」
「ある」ガッシュが息を整えながら答える。「助かった」
「運が良かったな。この時期に三匹は多い」
礼を言って別れる。冒険者たちは特に何も言わずに去っていく。
ガッシュがその場に膝をつく。左腕を抑えている。テオがすぐ横にしゃがんで傷を確認する。ミーナが震えた手で荷物を開ける。目が潤んでいる。
「生きてるか」ガッシュが一人ずつ見る。「テオ」
小さく頷く。
「ミーナ」
「……うん」声が掠れている。
「ケイ」
「生きてる」脇腹を手で押さえる。走っている間は感じなかった痛みが、止まった途端に押し寄せてくる。傷口が熱を帯びてじりじりと広がっていく。
ガッシュが俺の手元を見る。「深いか」
「動ける。問題ない」
「嘘つけ」ガッシュが短く言う。「ミーナ、ポーション」
ミーナがポーションを取り出してこちらに差し出す。
飲めばすぐ楽になる。それは分かってる。ただ——今がチャンスだ。ガッシュの傷と俺の傷、初級ポーションと濁った初級ポーション、同じ状況で見比べられる機会はそうない。痛みより先にその計算が来る。
「ガッシュが先に使ってくれ。俺は自分のを持ってる」
「お前の方が深いだろ」
「いいから。ガッシュが先だ」
歯を食いしばる。脇腹が熱を持ったように痛む。呼吸するたびに引っ掻いた傷が引きつる。それでも待つ。データを取る方が先だ。
少し間を置いてからガッシュが受け取る。傷口に当てながら飲む。
俺は見る。ガッシュの腕の傷が、ゆっくりと塞がっていく。標準的な回復だ。この速度が基準だ。
袋から濁った初級ポーションを取り出す。
「それ、色が変だよ」ミーナが眉を寄せる。
「研究中のやつだ」
「大丈夫なの?」
「問題ない」
ガッシュが少し目を細める。何か言いかけて、止める。
口に運ぶ。
——苦い。それだけじゃない。泥と草を一緒に煮詰めたような、奥から込み上げてくる不快さだ。飲み込むのに力がいる。
「……顔色が悪いぞ」テオが言う。
「味の問題だ」
傷口に意識を向ける。痛みの引き方が、さっきのガッシュとは違う。もう少し速い。
数分後、ミーナが「ちょっと待って」と口を開く。「ケイの傷、塞がるの早くない?」
テオも傷口を見ている。
「……そうか?」
「早い。絶対早い」ミーナが俺とガッシュを交互に見る。「ガッシュより全然早い。ガッシュの方が浅いのに」
ガッシュが腕を確認してから俺を見る。「研究中と言ったな」
「ああ」
「それ以上は言えないか」
「今は言えない。まだ途中だ」
少し間を置いてからガッシュが「分かった。深くは聞かない」と言う。
テオがガッシュの腕に布を巻く。ミーナがようやく息を吐く。
しばらく誰も喋らない。
先に口を開いたのはミーナだ。「……ケイ、かばってくれたんだよね」
「たまたま近かった」
「たまたまじゃないよ」ミーナの声が少し震えている。「体が当たってたの見てた」
「お前がいなかったらミーナはまずかった」ガッシュが言う。「ありがとよ」
何か言おうとして、口を閉じる。礼を言われ慣れていない。視線をどこに向ければいいか分からなくて、草の上に落とした。
「三匹は無理だ」ガッシュが立ち上がりながら言う。「今日みたいな状況になったら、次も同じ判断をする。逃げることに迷うな」
「分かった」
「ケイが気づいてくれたから逃げられた。それがなかったら全員やばかった」
テオが小さく頷く。
帰り道は静かだ。ミーナがいつもより俺の近くを歩いている。テオがガッシュの荷物を黙って持つ。
宿に戻って部屋に入る。脇腹の傷口を確認する。傷は塞がっている。ただ皮膚の下がまだ痛む。
窓際に初級ポーションの空き瓶を置く。
(効能はある。ただ飲めたものじゃない)
改良が必要だ。
■ 35話あとがき
撤退の回です。三匹に散開されて逃げます。
ケイが気配を察知して「右前方、複数だ」と警告します。解析は使っていません。森に慣れてきた体がそれを拾っています。
逃走中にミーナを庇って爪が脇腹に入ります。計算より先に体が動いた場面です。そのまま走り続けて、別パーティに助けてもらいます。
止まってから、持っていた濁ったポーションを飲みます。ガッシュの澄んだポーションとの回復速度の差をその場で確認します。ミーナが先に気づいて「塞がるの早くない?」と言います。
データは取れました。ただ一回では足りない。ケイはそう判断して「まだ途中だ」とだけ言います。
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