第32話『疑惑の緑』
翌朝、第二鐘が鳴り終わる前に作業場の扉を押す。
薬品の匂いがまた鼻をつく。昨日より慣れた気がする。先客は一人だけ——昨日の中年の女性だ。火にかけた土鍋をかき混ぜながら、こちらに目を向ける。
「また来たね」
「お世話になります」
女性は小さく頷いて作業に戻る。それだけだ。
端の作業台に道具を並べる。今日は昨日と違う。目的が決まっている。
(条件を変えて、もう一度比べる)
一本目は昨日と同じ手順でやる。弱火、じっくり加熱、成分をゆっくり溶け出させる。手順が分かっている分、昨日より手が迷わない。
石臼でシロクサの葉を磨り潰す。繊維を断ち切るようにハコネソウを刻む。清水を土鍋に入れて火にかけ、沸騰させずに素材を加える。
室内にふわりと薬草の匂いが広がる。昨日の焦げた匂いとは違う、青臭くて少し甘い匂いだ。
三十分後、澄んだ緑色の液体ができる。
保存瓶に移す前に解析を展開する。魔力反応——薄い。昨日と同じだ。
瓶に移して脇に置く。一本目、完了。
次だ。
二本目は意図的に条件を変える。火を少し強くする。加熱時間を短くする。昨日の失敗作に近い方向で、ただし焦がさない程度に。
火を強めると、鍋の中身が早く動き始める。薬草の匂いが濃くなる——昨日とは少し違う。より刺激的な、鼻の奥を刺すような匂いだ。成分が早く出ているのかもしれない。
十五分ほどで色が変わり始める。初級ポーションの色ではなく、濁った黄緑色だ。見た目は失敗に近い。
火を止める。
解析を展開する。こめかみに軽い痛みが走る。三回目だ。
魔力反応——濃い。
昨日の初級ポーションとは明らかに違う。有効成分の反応が、くっきりと強く出ている。
(やはり逆だ)
二本を並べる。初級ポーションと、濁った初級ポーション。
世間の常識では澄んだ方が上等品だ。昨日リナもそう言っていた。作業場の女性も「澄んだ色は良いものだよ」と言っていた。
ただ解析が見せる数字は逆転している。澄んでいる方が薄く、濁っている方が濃い。
(偶然じゃない)
昨日の失敗作の残滓でも同じ傾向があった。今日は意図的に条件を変えて再現した。二回では少ない。だが方向性は見えた。
ゆっくり加熱すると色素がきれいに溶け出すが、有効成分は飛ぶか変質する。速く加熱すると色は濁るが、有効成分は濃いまま残る——おそらくそういう仕組みに見える。
中年の女性がこちらをちらりと見る。「濁ったね」
「ええ」
「惜しかったね。火が強すぎたかな」
「そうかもしれません」
女性は何も言わずに作業に戻る。俺も何も言わない。
これは独りで抱えておく情報だ。今の段階では。
解析を閉じると目の奥がじんと痛む。四回目。今日はここまでにする。
残り素材で、あと二本作れる計算だ。今度は世間の基準通り——初級ポーションを丁寧に仕上げる。資金が必要だ。売れる品を作る方が先だ。
三本目と四本目は手順通り、弱火で丁寧に。どちらも澄んだ緑色に仕上がる。解析は使わない。
保存瓶が四本並ぶ。初級ポーションが三本、濁った初級ポーションが一本。
三本を袋に入れる。ガッシュたちへの分け前と、売る分だ。
濁った初級ポーションを手に取る。見た目は失敗品だ。ただ中身は一番濃い。これは手元に残す。
作業場を出ると昼前の街がざわめいている。
冒険者ギルドの受付に初級ポーション一本を出す。「買取で」
「大銅貨七枚になります。スタンピード後は需要が増えてますので」硬貨を受け取る。
食堂に入るとガッシュがいつもの席にいる。ミーナとテオも一緒だ。
「できた」
ガッシュが顔を上げる。「ポーションか」
「初級ポーションが二本。お前たちへの分け前だ」
ミーナが目を輝かせる。「本当に作ったんだ」
「約束だから」
瓶を受け取り光にかざしながら「きれいな色だ。ちゃんと効くのか」とガッシュが聞く。
「初級ポーションだ。軽い切り傷や打撲なら効く」
ガッシュが「テオ、お前持っとけ」と言う。テオが無言で瓶を受け取り、懐にしまう。
「ありがとよ」ガッシュが短く言う。「次の採取、いつにする」
「明日か明後日。素材の補充もしたい」
「了解だ」
「私のは」とミーナが手を伸ばす。「テオが持ってた方が確実に使えるだろ」とガッシュが返す。「なんで私が信用されてないの」とミーナがむくれる。テオが小さく息を吐く。
食堂を出る。袋の中に残った濁った初級ポーションを手で確かめる。売れない色だ。ただ中身は一番濃い。
(これをどう使うか)
まだ答えはない。ただ、手放す気にはなれなかった。
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【借金メモ・32話終了時点】
前話(31話)終了時:手元大銅貨3枚・残債小銀貨10枚
32話収入:初級ポーション(作澄:緑)1本売却(大銅貨7枚・スタンピード高騰3割増)
32話支出:宿+食事1日分(大銅貨3枚)
残債充当:大銅貨7枚→残債小銀貨9枚・大銅貨3枚
ケイの手元:大銅貨7枚
残債:小銀貨9枚・大銅貨3枚
【所持アイテムメモ】
ポーション類
初級ポーション(作濁:黄緑) × 1本(手元保留・検証手段未定)
道具類
調合道具一式(借り物) × 残8日
保存瓶 × 0本
■ 32話あとがき
検証の回です。
一本目を昨日と同じ手順で作ります。澄んだ緑、成分薄い。再現確認。
二本目は火を強めて加熱時間を短くします。濁った黄緑になりました。成分は濃い。解析で確認済みです。
「澄んでいる=薄い、濁っている=濃い」という法則が見えました。ケイだけが知っています。
中年の女性には失敗作だと思われています。ケイは否定しません。今は独りで抱えておくと決めています。
澄んだポーション一本をギルドに売って大銅貨七枚、二本をガッシュたちへ渡します。濁った一本は手元に保留中です。
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