第2話『静寂の森』
頬に、何かが当たっていた。冷たく、硬い。地面だ。
サトウはゆっくりと、水底から浮かび上がるように意識を取り戻し、目を開けた。鼻の奥をついたのは、土の匂いだった。エアコンの乾いた空気ではない。もっと生々しい、むせ返るような草の香りが、胸の奥まで染み込んでくる。
身体を起こすと、見覚えのない空が広がっていた。静かだった。あのアラート音が、どこにもない。代わりに風が草を撫でる音だけが、耳に届いていた。
やがて少しずつ、記憶が戻ってきた。モニター。チャート。クリック音。そして、あの数字。
だが、ここはどこだ。なぜ、草の上に倒れている。何が起きた。
(死んだのか。それとも、まだ生きているのか)
答えは出なかった。絶望が深すぎて、恐怖すら感じない。ただ、「5億」という数字の重みだけが、サトウの両肩にのしかかっていた。
草を踏む音が、三方向から同時に聞こえた。
サトウはまだ地面に座ったままだった。立ち上がろうとしたが、膝が笑って言うことを聞かない。脳がようやく現状を処理し始めていたが、導き出された答えは「5億払えないまま野垂れ死ぬのか」という、救いようのないものだった。
そのとき、妙な感覚があった。上手く説明できない。ただ、本能が「見るな」と囁いていた。視線を向ければ、それが合図になる——そんな確信があった。
息を殺し、身体を固めたまま、サトウはゆっくりと耳だけを澄ませた。風の音。葉の擦れる音。そして——規則的すぎる、草を踏む足音。
だが、耐えきれなかった。恐怖に突き動かされた瞳が、制止を振り切って動く。吸い寄せられるように、左の茂みを——見てしまった。
灰色の体躯。低く構えた四肢。品定めをするような、冷えた目。一匹ではない。視線を動かさないまま気配を辿ると、右にも、正面の草むらにも、同じ息遣いがあった。
三匹。いや、それだけではない。背後の空気が、音もなくわずかに重くなった。直感した。逃げ場を完全に塞ぐように潜む、四匹目の存在を。
(ああ、そうか)
サトウは妙に冷静な頭で、そう思った。
(俺の人生、ここで強制決済されるんだな)
絶望というより、納得に近かった。5億の借金を背負ったまま見知らぬ森に転がり込んで、得体の知れない狼に囲まれて死ぬ。金利を払う手間も、取り立てに怯える夜も、すべてがここで帳消しになる。それはそれで、筋が通っている気がした。
リーダー格と思われる正面の一匹が、サトウの諦観を見透かしたように、低く唸りながら半歩前に出た。
その瞬間、世界が動いた。
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【借金メモ・2話終了時点】
前話終了時:-(転移直後)
2話収入:なし
2話支出:なし
残債充当:-
ケイの手元:なし(この世界の通貨を持っていない)
残債(日本):5億482万1,500円




