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元トレーダー、金アレルギーなのに金本位制の異世界に翻弄される  作者: 夜明け一葉
第2章

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第28話『第二鐘の朝』

朝、宿の一階でリナと合流した。


リナはすでに装備を整えており、片手剣を腰に佩いていた。俺が階段を降りてくるのを見て、杯に残っていた水を飲み干した。


「遅い、もう第二鐘の半よ」


「……第二鐘の半、とはなんだんだ?」


「時間のことよ」


「それが分からない。教えてくれ」


リナが少し間を置いて、呆れたように言った。「……今更?」


「ああ」


「この世界は一日二十六刻ある。それを十二の鐘で区切って知らせる。第二鐘は夜明けから二番目——夜明けから一時間くらいね」リナが淡々と言った。


「……思ったより早いな」


「当然よ。今日は錬金術師ギルドに寄ってからクエストにも行く。いい薬草は他の採取者より早く動かないと取られるし、クエストだって早い者勝ちなの。だからぐずぐずしてたら時間が足りなくなるわよ」


「…………」


言い返す言葉が出なかった。リナが立ち上がり、「行きましょ」と短く言った。俺はその後についた。


外は曇っていた。石畳の路地に、朝の湿気が残っている。


宿を出て大通りに入ると、街はもう動いていた。通りの脇でパン屋の女将が店先に籠を出している。焼きたての黒パンの匂いが漂ってくる。路地の角で子供が二人、何かを地面に並べて言い合いをしていた。片方が「それは俺が先に見つけた」と言い、もう片方が「でも俺が拾った」と言い返している。石か何かを巡って争っているらしい。スタンピードから十日が経って、街の空気はもとに戻っていた。あの夜のことが嘘のように、人が動いて声が飛んでいる。


西へ向かって歩き始めながら、俺はリナに聞いた。


「錬金術師ギルド——何人いるんだ、あそこ」


「アウラムの支部は少ないわ。常駐は一人か二人。支部長が一人と、助手がいるかどうか」


「どういう仕事をしてる」


「ポーションの調合と素材の加工が主。あとは依頼があれば魔道具の補修もやる。でも」リナが少し間を置いた。「商業ギルドの監視が厳しいから、街中で大きな顔はできない。目立つことはしない組織よ」


「商業ギルドと対立してるのか」


「対立というより——警戒されてる。錬金術師が本気を出せば貴金属の純度を変えられるかもしれない。金貨の純度を操作できるなら、偽造に近い行為ができるってことよ。この国の通貨は金の量で価値が決まってるでしょ。そこに手を出せる連中を、商業ギルドが野放しにするわけがない」


金、という言葉が耳に入った瞬間、胃の奥がわずかに収縮した。顔に出ていないといいが。


「……だから街外れか」


「そういうこと。目立たない場所に、目立たないようにある」


薬屋の並ぶ通りに入ると、空気が変わった。乾燥した薬草の香りと、油の焦げた匂いが混ざっている。路地の奥へ進むにつれ、石畳が少し荒れてくる。手入れが行き届いていない。


通りの突き当たり近く、低い石造りの建物が見えた。煙突が一本、先が変色した煙を吐いている。煙は白でも黒でもない、くすんだ黄緑色をしていた。入り口に近づくと、鼻の奥を刺す薬品の臭いがした。看板には蛇が自分の尾を噛む紋章が彫られており、腐食して端が変色している。


「ここね」リナが言った。


「登録料、自分で払えないでしょ」


「……頼む」


リナが小さく息を吐いた。「小銀貨三枚。後で借金に入れておくから」


「……分かってる」


リナがこちらを一瞬見た。「珍しい。先に言わないのね」


「たまにはな」


リナが唇を結んで、先に扉を押した。俺はその後に続いた。


中は薄暗かった。天井が低く、棚が壁一面に並んでいる。棚には瓶が整然と並び、それぞれ異なる色の液体が入っていた。澄んだ青、透明に近い緑、鮮やかな赤——どれも見た目はきれいだった。カウンターの奥に、四十代ほどの男が書類を広げていた。白衣に近い作業着を着て、丸眼鏡をかけている。指先に薬品の染みが染みついており、爪の端まで変色していた。長年この仕事をしてきた手だと分かった。


「見慣れない顔だな」男が顔を上げずに言った。「新規登録か」


「そうだ。あと、書庫の閲覧も頼みたい」


男がようやく顔を上げた。俺のギルドカードを見て、眉を少し動かした。「Gランク採取者が、錬金術師ギルドに登録しに来るのは珍しい」


「調合を学びたい」


男が少し間を置いてから、カウンターに登録書類を置いた。書類を置く手つきに迷いがない。何度もやってきた動作だ。「登録料は小銀貨三枚。書庫の閲覧は、登録後に基礎調合書の三章までが無料で読める。それ以上は別途費用がかかる」


「初級ポーションとポーションの調合方法が載っている本は三章以内か」


「初級は一章。ポーションは二章に入っている」


「十分だ」


リナが書類を引き寄せ、代わりに記入した。迷いなく、慣れた手つきで。この世界の文字は俺には書けない。読むことも、まだできない。こういう場面のたびに、じわりとした重さが積み重なる。男がちらりとリナを見たが、何も言わなかった。こういうことには慣れているのかもしれない。


男が登録証を差し出した。「ランクはノービス。新規登録者は全員ここからだ。基本的な調合しか認められていないし、素材を購入する場合はギルドの監督が必要になる。覚えておけ」


「分かった」


登録を済ませ、小銀貨三枚を払った。財布の中がまた軽くなった。


書庫は建物の奥、木製の扉の向こうにあった。広くはない。本棚が四列並び、それぞれぎっしりと書物が詰まっている。リナが指定された棚から基礎調合書を引き抜き、窓際の椅子に腰を下ろした。俺はその隣に立って聞いた。


一章の内容を、リナが読み始める前に俺は上着のポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。転移前からの癖で、常にポケットに入れていた。異世界に来てからも、なぜかそのままだった。


「……それ、何」リナが手元を覗き込んだ。


「メモ帳と、筆記具だ」


「その棒で書けるの」


「ああ」ボールペンで紙に一本線を引いて見せた。


リナが目を細めた。「インクがどこにも見えないけど」


「中に入ってる」


「……変わった道具ね」じっと見ている。触りたそうだったが、何も言わなかった。


「読んでくれ」


リナが視線をページに戻した。一章の内容——初級ポーションの調合手順。素材の性質、温度管理、混合順序。構造としては現代の化学実験に近い。温度・分量・順序を守れば、誰がやっても同じ結果が出る。そういう設計になっている。俺は聞きながら、頭の中で工程を組み立てていった。採取、乾燥、粉砕、溶解、濾過——各工程の時間とコストが自然と計算できた。


(思ったより筋道が立ってる)


感情論じゃない。手順を守れば結果が出る。それなら俺にも入っていける。


二章に進んだ。ポーションの調合は初級よりも工程が増える。素材の数も多く、混合のタイミングに幅がある。難度が上がる分、買取価格との差も広がるはずだ。コストと工程数と売値の関係を頭の中で並べると、やはり初級より利幅が出る。まず初級から始めて、安定したら上を狙う。そういう話だ。


本の中に、注意書きがあった。リナが読み上げる。


「『調合の良否は完成品の色で判断できる。澄んだ色に仕上がったものは成分が均一に溶け込んでいる証拠であり、効能が高い。濁りのある液体は成分の分離や変質が起きている可能性があり、廃棄を推奨する』」


(澄んだ色が、良い)


棚に並んでいた瓶を思い出す。澄んだ青、透明な緑、鮮やかな赤——どれも見た目がきれいなものばかりだった。市場で高値がつくのも、見た目のいいものだとリナが言っていた。


理屈としては分かる。澄んでいる=成分が均一=品質が安定している、という論理は一見正しい。


ただ——何かが、引っかかった。


化学では「透明=安全」とは限らない。むしろ有効成分が濃いほど色が出ることも多い。本に書いてあることをそのまま飲み込む気になれなかった。今はまだ、それが何なのか分からない。


残りのページをリナに読んでもらいながら、俺はその都度「そこ、もう一度」と繰り返させた。区切りのいいところで日本語で要点を書き留めた。調合に必要な道具の一覧、素材の保存方法、失敗した場合の廃棄手順——。


「その文字も変わってる」リナがまた覗き込んだ。


「俺のいた国の文字だ。俺しか読めない」


「……まあ、いいけど」


一通り終えたとき、リナが本を閉じた。


「これで足りる?」


「十分だ。ありがとう」


リナが立ち上がった。「じゃあ行きましょ。私もクエストがあるから、冒険者ギルドまで一緒に行く」


薬屋通りを抜けて、メイン通りへ向かう。冒険者ギルドの石造りの外壁が見えてきたところで、リナが足を止めた。


「私は受付に直接行くから。クエスト終わったら報告よろしく」


「分かった」


「調合道具一式、揃えないといけないわね。乳鉢、土鍋、瓶……小銀貨二枚は見ておいて。また借金に入れるから」


「……分かってる」


リナが軽く手を上げて、ギルドの扉へ向かった。


そのとき、聞き覚えのある声がした。


「ケイ!」


振り向くと、ガッシュが立っていた。隣にミーナとテオもいる。三人とも採取道具を背負っており、今から出るところらしかった。ミーナが俺を見つけて大きく手を振っている。テオは相変わらず無口だが、軽く顎を引いた。


「採取か」俺は言った。


「ツキミソウのクエストを狙ってたんだが、最近街の外から来た冒険者が増えててな。先に取られちまった」ガッシュが苦笑した。「今から別のを受注するところだ。あんたも行くのか」


「ちょうどクエストを受注しに来た」


ガッシュが少し笑った。「なら一緒に行くか。人数が多いほど安全だ。それに——」と声を低くした。「スタンピードのとき、ケイの解析に何度か助けられた。魔物の動きの読みが正確で、あれがなければ俺たちも危なかった。採取でも役に立つだろう」


「悪くない」


「決まりだ、じゃあ一緒に申請しよう」ミーナが弾んだ声で言った。テオは何も言わず、すでに扉を押して中に入っていた。


俺はその後に続きながら、頭の中で今日の収支を整理した。錬金術師ギルドの登録料で小銀貨三枚が出た。残債は小銀貨九枚・大銅貨二枚。クエスト報酬がいくら戻るかはまだ分からないが、焼け石に水だろう。調合道具が小銀貨二枚、これもまた借金に乗る。


(また減った……分かっていたが、胸が重い)


それでも今日、一歩は踏み出した。調合書を読んだ。登録した。動いた。


それだけは確かだった。


---

【借金メモ・28話終了時点】

前話(27話)終了時:残債小銀貨6枚・大銅貨7枚・手元大銅貨数枚

28話収入:なし(クエスト翌話精算)

28話支出:錬金術師ギルド登録料(小銀貨3枚・リナに借用)

残債充当:なし

ケイの手元:小銀貨1枚

残債:小銀貨9枚・大銅貨7枚


転移してから一ヶ月近く経つのに、今更時間の単位を知らなかったケイです。リナの「今更?」が刺さります。


錬金術師ギルドに登録して小銀貨三枚が飛びました。残債更新です。文字が書けないので書類はリナに代筆してもらっています。このシーン地味に毎回つらい。


ボールペンとメモ帳、転移前からポケットに入っていた癖でそのまま異世界に持ち込んでいます。リナが触りたそうにしていましたが何も言いませんでした。次回以降また出てくるかもしれません。


調合書の「澄んだ色が良い」という記述、ケイが引っかかっています。まだ言葉にならない段階です。


次回、採取クエストへ向かいます。

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