第25話『ここにいる理由』
復興の槌音が、昼過ぎになっても途切れなかった。壊れた街が、ゆっくりと息を吹き返していく音だった。
アウラムの東側、スタンピードで最も被害を受けた区画では、石工たちが崩れた壁を積み直し、大工たちが骨組みだけになった建物に板を打ちつけている。道端に積まれた瓦礫の山は昨日より少し低くなっていた。少しずつ、確実に、街が元の形を取り戻そうとしていた。
ケイはリナと並んで、その様子を眺めながら歩いていた。特に行き先があるわけではない。ギルドに用があるわけでも、採取に出るわけでもない。ただ、部屋にいると、考えたくないことまで浮かんでくる気がして、外へ出た。リナも特に理由を聞かなかった。
「ねえ」
リナが歩きながら言った。
「なんだ」
「そろそろちゃんとしましょう」
ケイは少し間を置いた。「……何を」
「借金よ。何を」
リナが立ち止まり、腰のポーチから小さな手帳を取り出した。革表紙の、几帳面に使い込まれた帳簿だ。パラパラとめくると、細かい文字がびっしりと並んでいる。どの数字にも迷いがなく、リナの几帳面さがそのまま刻まれていた。
「入街税、小銀貨三枚。登録料、小銀貨一枚。初日の宿代と飯代、大銅貨三枚。薬代、大銅貨三枚。翌日以降の宿と飯、大銅貨三枚が十二日分で大銅貨三十六枚——小銀貨三枚と大銅貨六枚。スタンピード中の魔力回復ポーション二本、大銅貨六枚。……合計、小銀貨七枚と大銅貨十五枚。大銅貨十枚で小銀貨一枚だから、総額は小銀貨八枚と大銅貨五枚」
ケイは黙って聞いた。相場師の癖で、頭の中では既に計算が終わっていた。数字が並ぶと、条件反射のように頭が動く。
「ツキミソウの分は引いてある。スタンピード前に採れた三本分、小銀貨四枚と大銅貨二枚。私が預かって充当したわ」リナが帳簿をめくった。「差し引きの残債が、小銀貨四枚と大銅貨三枚」
「……早いわね」リナが帳簿から顔を上げ、ケイを見た。
「それだけが取り柄だった」
リナが帳簿を閉じた。「あなたの手元は今、小銀貨四枚と少し。残債が小銀貨四枚と大銅貨三枚。まだ足りないわ」
「分かってる」
「分かってるのね」リナが繰り返した。呆れでも責めでもなく、ただ確認するような口調だった。「それで、どうするの」
ケイは少し歩いてから、崩れかけた石壁の残骸に腰を下ろした。リナが隣に立ったまま、腕を組んで待っている。
「採取を続ける。ツキミソウが一番効率がいい。森が落ち着いたら、また境界の森へ入る」
「ダンジョンが見つかった森に」
「そうだ」
リナが少し黙った。「……バルドが調査隊を出したのは、あくまで偵察だ。一般の冒険者が軽々と入れる場所じゃないわよ、あの奥は」
「採取なら森の入口付近で十分だ。奥には入らない」
「それが守れるといいわね」リナが言った。皮肉ではなく、本当にそう思っているような声だった。
石工の鎚が一際大きく鳴った。崩れた壁の一角に、新しい石が嵌め込まれる。周囲の石より色が明るい。時間が経てば、同じ色に馴染んでいくのだろう。
「リナ」
「何」
「……俺が内壁の上で叫んでいた夜、なんで信じた」
リナが少し動きを止めた。「……バルドの前で言ったでしょう。あなたの解析は本物だって」
「そうじゃなくて」ケイは石壁を見たまま言った。「あの時点で、俺はまだGランクの採取者だ。森で拾った遭難者で、借金まみれで、金貨を見ると吐きそうになる男だ。それでも信じた理由が、解析だけとは思えない」
しばらく沈黙があった。
リナは腕を組んだまま、復興作業を眺めた。石工が汗を拭い、また鎚を振り上げる。
「……嘘をつかない目をしてるから」
低い声だった。
「解析がどうとか、情報が正確だとか、そういう話じゃない。あなたが叫んでいた時、嘘をつく余裕なんてない目をしてた。それだけよ」
ケイは何も言えなかった。
「勘違いしないでよ」リナが続けた。「信じたのはその一回だけ。次も信じるかどうかは、あなたの積み重ね次第ね」
「分かった」
「本当に分かってるの?」
「分かってる」
リナが小さく鼻を鳴らした。それ以上は言わなかった。
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夕方、二人はギルドの近くの広場に差し掛かった。スタンピードの前まで露店が並んでいた場所だ。まだ半分以上は空いているが、端の方に二、三軒、店を出している商人がいる。パンを売る老婆、干し肉を並べた男、それから——薬草を束にして並べている女がいた。
ケイの足が自然に止まった。
薬草の束の中に、見覚えのある葉の形があった。ツキミソウだ。
「……あれ、いくらで売ってる」
リナが値段を確認しに行った。戻ってきて言った。「大銅貨五枚」
「通常の相場より高いな」ケイは束から目を離さず言った。「……少し待ってくれ」
こめかみに熱が灯る。薄く、解析を展開した。虹色の揺らぎが、弱い。魔力の残りが薄い。質の低い個体だ。
「……質が落ちてる。魔力の残りが薄い。値段だけ見て買う客には分からないが」
「解析を使ったの」リナが低い声で言った。
「少しだけ」
「痛みは」
「出なかった。右目の奥が少し熱いだけだ」
リナがまた少し黙った。「……それはそれで、普通じゃないわよ」
「そうらしい」
ケイは露店の女を一瞥してから、リナに向き直った。
「あの店のツキミソウ、質が低い。魔力の残りが薄いから売れ残ってる。でもスタンピード後はまだ薬草の需要が高い——ギルドの薬剤師なら質が低くても買い取るはずだ。あの女に、ギルドへ持ち込むよう教えてやれば売れるんじゃないか」
リナが少し間を置いた。「……それを教えてあげるの?」
「損はしない。あの女も売れる。ギルドも仕入れられる。俺は——」
「あなたは?」
「次に採取に出た時、ギルドへの卸し方が分かってる」
リナはしばらくケイを見てから、小さく笑った。声に出るような笑いではなく、口の端がわずかに動いた程度だった。
「……どこでも買い値と売り値を探してるのね」
「染み付いてる」ケイは言った。「どこにいても、買い値と売り値を探してる」
「癖だ。抜けない」
リナが歩き出した。ケイも並んで歩く。夕暮れが街を橙色に染め始めていた。復興の槌音が、少しずつ遠くなっていく。
「ねえ、ケイ」
「なんだ」
「帰りたいと思う? トウキョウとやらに」
ケイは少し間を置いた。
「分からない」正直に答えた。「帰り方も分からないし、帰っても待ってるものがある。帰る場所があるかどうかも怪しい。……ただ」
「ただ?」
「ここにいる理由は、少しずつ増えてる気がする」
リナが前を向いたまま、何も言わなかった。——待ってるものって、人なのか。聞こうとして、やめた。
しばらく歩いてから、ぽつりと言った。
「借金が増えてるだけじゃないの」
「そうとも言う」
リナが息を吐いた。呆れと、それ以外の何かが混じった息だった。
夕暮れの街を、二人で歩いた。槌音が響き、灯りが増え、子供の声が戻ってきている。壊れたものを直す音が、まだ続いていた。
ケイの右目の奥に、微かな熱がある。解析の眼は、まだここにある。未解放の項目が、まだ開かれていない。総本部からの返答は、まだ来ていない。ダンジョンの石の門は、今も森の奥で口を開けている。
何もかもが、まだ途中だった。
しかしケイは、初めてそれを——悪くないと思った。ここにいる自分を、少しだけ肯定できた気がした。
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【借金メモ・25話終了時点】
前話(24話)終了時:手元小銀貨4枚と少し・残債加算継続中
25話収入:なし
25話支出:なし(リナ帳簿による正式集計回)
残債充当:ツキミソウ3本売却分(小銀貨4枚・大銅貨2枚)を充当
ケイの手元:小銀貨4枚と少し(充当後残り)
残債:小銀貨4枚・大銅貨3枚
※リナ帳簿確定:総額小銀貨8枚・大銅貨5枚、ツキミソウ充当(小銀貨4枚・大銅貨2枚)後残債小銀貨4枚・大銅貨3枚




