第15話『死線を越えて』
地下広間の北側。地上へと続く唯一の階段から、獣の咆哮が階段を伝って流れ込んでくる。
重い鉄扉の向こうから、無数の爪が石を引っかく音と、低く唸る獣の気配が滲み出してくる。そしてもう一つ——ずしり、ずしりと規則的に刻まれる、別の足音。ウルフとは明らかに違う。何か、もっと大きなものがいる。
南端の避難民たちの前に立つケイは、階段の向こうの気配を読みながら即座に判断した。扉の外には逃げ遅れた人間もいる。しかし大型が来ている。このまま扉を開け続ければ——相場師として叩き込まれた損切りの論理が、冷酷に答えを弾き出した。
「来るぞ! 扉が開いた瞬間、中央の油に火を放て! ……それから、何があっても五秒後に扉を閉めろ!」
ケイの非情な指示に、扉の取っ手を握る男たちが息を呑む。階段には逃げ遅れた数人の足音が響き、そのすぐ背後には追撃する数体の爪音が迫っていた。
外から叩きつけられる衝撃で鉄扉が倒れ込んだ瞬間、三匹のウルフが突入する。
「今だ、火を!」
ボォォォォッ!!
中央で燃え上がる炎の壁。パニックを起こしたウルフ二匹を壁際の班が仕留め、残る一匹は炎に怯んで階段へ逃げ戻った。
「……っ、外にまだ人が……!」
「開けるな! 一匹でも入り込んでみろ、この狭い広間は逃げ場のない殺戮場になるぞ!」
ケイは叫び、自らの罪を上書きするように二本目の魔力回復ポーションを喉に流し込んだ。苦い薬液が喉を焼き、魔力がわずかに戻る感覚。
だが、炎すら意に介さない規格外の暴力が、階段の奥から迫っていた。
ドォォォォン!!
炎を突き破り、扉ごと吹き飛ばしてワイルドオークが突入してきたのだ。
「バリケードを捨てろ! 南の石柱へ退がれ!」
粉砕された扉の破片が、逃げ遅れて扉のすぐ内側にいた老人たちを襲う。さらにオークがこじ開けた穴から、フォレストウルフ二体が、南側の弱者たちを目掛けて猛スピードで走り出した。
「槍組、前へ! ケイさんを守れ!」
ケイの目の前で、フォレストウルフの牙が、逃げ遅れた人々を庇おうとした若者の肩を食いちぎった。南側の袋小路は、一瞬で地獄と化した。
「……解析」
激痛をこらえながら、ケイはワイルドオークへ意識を向けた。その瞬間、これまで見たことのない項目が視界に浮かび上がった。
【死角:足元・半径一メートル】
(……っ、こんな項目が——!)
「ガッシュ、テオ! 戻ってこい、奴の懐に潜り込め! そこしか道はない!!」
中央付近にいた二人が、南へ進撃しようとするオークの股下へと滑り込む。一方で、ケイのすぐ目の前では、残りの男たちがフォレストウルフと泥泥の乱戦を繰り広げ、老人たちを守るために肉壁となっていた。
「脇腹を突け! 重心を乱せ!」
ガッシュたちが必死に剣を突き立てる。狂乱したオークが、自分を引き剥がそうとする二人を振り払おうと、南側の壁に向かって、自重を制御できず猛然とのめり込んできた。
ズゥゥゥゥン!!
巨大な肉塊が、ケイの数メートル先で石畳を砕いて停止する。その、狂乱の末に生じた一瞬の隙。
「そこまでよ!」
北側の壊れた扉から、閃光のごとくリナが飛来した。彼女は広間を一気に横断し、前のめりになったオークの無防備な首筋へ、空中から一閃を叩き込んだ。
ドォォォォン!!
崩れ落ちる巨体。リナは着地と同時に、礼拝堂の扉へ向かって突進していたフォレストウルフを一閃で両断した。返す刃で振り向きざまに残る一体の首筋を捉え、それもまた石畳に崩れ落ちた。静寂が戻った広間に、血の香りが立ち込める。
リナが剣を振り、血を払ってケイに歩み寄る。
「……リナ。……ハァ、ハァ……借金、踏み倒さなかったな」
「当たり前でしょう。……ひどい顔ね。質の悪い魔力回復ポーションを二本も? 死ぬ気?」
「……これしか、なかった。……俺が、扉を閉めろと言ったんだ……」
ケイの声が震える。リナは黙ってケイの肩を強く掴んだ。
「……立ちなさい、ケイ。犠牲を数えるのは後よ。ケイが扉を閉めなければ、この広間は今ごろ死体袋になっていたわ。……まだ、生きている人たちがいるでしょう?」
リナの言葉に、ケイは奥歯を噛み締めて顔を上げた。
「……ああ。……神父、南の通路を開けてくれ。ここはもう持たない。……別の避難所へ移動するぞ」
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【借金メモ・15話終了時点】
前話(14話)終了時:残債小銀貨2枚・大銅貨5枚
15話収入:なし
15話支出:なし
残債充当:なし
ケイの手元:0枚
残債:小銀貨2枚・大銅貨5枚




