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元トレーダー、金アレルギーなのに金本位制の異世界に翻弄される  作者: 夜明け一葉
第1章

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第12話『黄金の檻』

「森の状況を報告しろ!」

門をくぐった直後、警備兵の一人がリナに詰め寄った。


「スタンピードの前兆よ。百に近い数の魔物が街道側へ殺到してる。原因は不明だけど、森の深部で何かが起きてる。上位魔獣が動いたか、それとも別の何かか……今は判断できないわ」

「……確かか」

「私の目に狂いはないわ」


警備兵は一瞬だけリナのシルバーのギルドカードに目を走らせ、即座に振り返った。

「門を閉めろ!」


轟音とともに巨大な城門が内側から閉じられた。外界との道が、完全に断絶される。警戒の鐘が鳴り響き、城壁の上に兵士たちが次々と駆け上がっていく。


リナに半ば引きずられるようにして、ケイは城壁の内側に立った。足元がふらつくのをこらえながら、深く息を吸い込む。


「おい、今のを見たか。森の様子が完全におかしいぞ」

「ああ、東の監視所からの狼煙も上がった。……よりによって、こんな時期にかよ」


城壁の上を走る警備兵たちの切実な会話が、ケイの耳にも届く。彼らの顔は一様に強張っており、手に握られた槍の先が微かに震えていた。街全体が、巨大な檻に閉じ込められたような、言いようのない圧迫感に包まれている。


「リナ、これって……」

「スタンピードの初期段階ね。街を囲う防壁があるからすぐにどうこうはならないけど、当分、門は開かないわよ」


リナは吐き捨てるように言うと、ケイを急かすようにギルドへと向かわせた。


ギルド内は、森から命からがら逃げ帰った冒険者たちでごった返していた。

「傷薬をよこせ! 金ならある!」「治癒師の空きはまだか!」

叫び声と怒号が充満し、空気は淀んでいる。ケイはその凄惨な光景に胸を締め付けられた。……だが、それと同時に、かつての「相場師」としての視界が、目の前の混乱を冷徹なデータとして捉え始めていた。


(……負傷者の数に対して、カウンターに並んでいる薬瓶が少なすぎる。供給が止まった瞬間に、需要が爆発してるな。……これ、明日の薬価は今の比じゃないぞ)


無意識に需給バランスから今後の物価推移を予測してしまう脳。納品カウンターにリナが三本の『ツキミソウ』を置くと、職員は血走った目でそれを確認し、すぐさま奥からコインの袋を取り出した。


「ツキミソウ三本、確かに受領した。……今、森が閉まって通常の薬草が全く入ってこないんだ。代用になるこの手の魔導草は喉から手が出るほど欲しい。通常なら一本につき大銅貨七枚ほどだが……今は品質と緊急事態を加味して二倍の大銅貨十四枚、三本で小銀貨四枚と大銅貨二枚で買い取ろう!」


「小銀貨四枚と大銅貨二枚……」


ケイはその数字を聞いた瞬間、喜びよりも先に背筋に冷たいものが走るのを感じた。通常時の何倍にもなる額。地下倉庫での重労働なら一か月分近い金額が、たった三本の草で手に入ったのだ。


(……品質込みで通常の何倍か。一見、ボロ儲けに見える。だが、これは供給不足の初期衝動だ。……市場が歪み始めてる)


リナは周囲の殺気立った視線を避けるように、手早くコインを受け取ると、ケイの肩を叩いて促した。


「ぼさっとしない。今は金を持っているだけで目立つのよ。……隅のテーブルへ行くわよ」


リナに促され、二人は比較的静かな席へと腰を下ろした。


「リナ。これ、手放しで喜べる状況じゃない。一本十四枚なんてレートがつくってことは、この街にあるあらゆる『生存に必要なもの』の価値がこれから跳ね上がる予兆だ。小銀貨四枚と大銅貨二枚も、明日にはパン数個分の価値しかなくなるかもしれない。……利益が、インフレに食いつぶされる」


「……インフレ? また変な言葉を使って。……要するに、同じ銅貨を握っていても買えるものがどんどん減るってことでしょ。新人のくせに、鼻が利くじゃない」


リナは皮肉げに笑ったが、その瞳には同様の懸念が浮かんでいた。


「その通りよ。薬屋も卸売も、手元の商品を出し渋り始めてる。あなたが飲む魔力回復薬も、さっきまでは大銅貨三枚だったのが、今夜には九枚……明朝には大銅貨で買えるかどうか怪しくなるわね。結局、いくら稼いでも、生きていくだけで精一杯になるのよ」


「特定の物資だけが跳ね上がってるんじゃない。需要と供給のバランスが完全に崩壊して、誰も銅貨という記号を信じられなくなってるんだ。……リナ、このままじゃ、どんなに銅貨を積み上げても、借金の返済なんて夢のまた夢だぞ」


「そうよ。だから、みんなが最後に信じるのは一つ。……金よ。有事の際に、唯一絶対に価値が揺らがないのはゴールドだけ」


「…………え?」


ケイの思考が、その単語を聞いた瞬間に白濁した。

銅貨も銀貨も、ずっと目の前にあった。なのに、異世界に放り込まれてからというもの、命を繋ぐことと借金のことで頭が一杯で、考える余裕すらなかった。森での戦闘、スタンピードの恐怖、頭痛と疲弊——その全てが重なり、当たり前の事実に今の今まで気づかなかったのだ。

心臓が跳ね上がり、ドクドクと不快な鼓動が耳の奥で鳴り響く。喉の奥が焼け付くように乾き、全身から嫌な汗が噴き出した。


(金……ゴールド……?)


脳裏にフラッシュバックするのは、青白いディスプレイ。

無慈悲に垂直落下していく金のチャート。一瞬で人生を、未来を、そして「5億」という数字を負債へと変えた、あの金属的な冷たさと絶望の輝き。


「おい、どうしたの? 急に顔色が……」

「……は、はは……」


ケイは口元を押さえ、激しく込み上げてくる吐き気を必死に堪えた。

指先がガタガタと震え、机に置かれた銅貨に触れることすらできなくなる。


「リナ。……今、なんて言った。……金? この世界は金本位制なのか……?」


「金本位……? よく分からないけど、そうよ。王家が保有する金の量で、すべての貨幣の価値が決まってる。それが当たり前じゃない」


リナの「当たり前」という言葉が、ケイには死刑宣告のように聞こえた。

この世界では、彼を破滅させた元凶である「金」が、経済の心臓部として君臨している。物理的な「金」の重さだけがすべてを支配する、剥き出しの現物主義。


(よりによって……あの忌まわしい「ゴールド」が支配する世界に来ちまうなんて……!)


「……っ、う、ああ……」


ケイは椅子から崩れ落ちそうになりながら、自分の目を覆った。

解析の瞳。魔力を見通し、価値を暴くこの瞳が、今、この世界の最も残酷なルールを映し出していた。


城壁の外から、地響きのような魔物の咆哮が届く。

スタンピードはまだ、始まったばかりだ。混乱の極致にある街の中で、ケイは自らを破滅させた「金」という呪いと、逃れられない戦いの予感に打ち震えていた。



---

【借金メモ・12話終了時点】

前話(11話)終了時:残債小銀貨5枚・大銅貨2枚

12話収入:ツキミソウ3本売却(スタンピード緊急価格2倍・大銅貨14枚/本 → 3本合計小銀貨4枚+大銅貨2枚)→リナが受取り充当

12話支出:なし(スタンピード対応中)

残債充当:小銀貨4枚・大銅貨2枚 → 残債へ充当

ケイの手元:0枚

残債:小銀貨2枚・大銅貨3枚

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