第10話『境界の森と隠れた価値』
リナが「行くわよ」と言ったのは、まだ夜が明けきらぬ薄暗い時間だった。
ケイの肩の傷は、薬草のおかげで表面こそ塞がっていたが、腕を大きく動かすたびに引きつるような鈍い痛みが走る。筋肉痛も完全には引いておらず、階段を降りるだけでも膝が笑う状態だった。
「……リナ、まだ少し傷が……」
「借金、一日でどれだけ増えてるか忘れたの?」
リナは振り返りもせず、冷淡に言い放つ。
「痛みが引くのを待ってたら、あなたは利息で死ぬわよ。……ほら、これ」
彼女が手渡したのは、水筒と、一本の安っぽいナイフだった。
「護身用よ。まあ、あなたが戦う場面になったら、その時はもう手遅れでしょうけど」
アウラムの門をくぐり、数日前、死に物狂いで逃げてきた「静寂の森」へと足を踏み入れる。朝露に濡れた草木が、ケイの履き古した靴を容赦なく濡らした。
「……で、今日は何を採取するんだ? 薬草か?」
「普通の薬草なんて、アイアンランクが毎日採り尽くしてるわよ。この森の近辺にはもう残っていない。私たちが探すのはこれ」
リナが足元の茂みを剣先で分けた。そこには、どこにでもあるような、平べったい三つ葉の草が生えていた。
「『ツキミソウ』。夜になると魔力を帯びて光るけど、昼間はただの雑草にしか見えない。でも、質の高いものは昼間でも微かに魔力を残しているわ。品質次第だけど、一本大銅貨五枚から八枚ほどで売れる。中級ポーションの素材になるから、ギルドの需要も安定してる」
「大銅貨五枚から八枚……」
地下倉庫の一日の報酬が、一本で軽く超える。ケイの目に、わずかに光が宿った。
「ただし、偽物が多い。そっくりの毒草が隣り合って生えていることもあるし、魔力が抜けたカスを掴めば買い叩かれる。……ケイ、使いなさい。その、使い物にならない魔力三の『眼』を」
ケイは息を整えた。立ち眩みを抑え、目の前の草むらを見つめる。
(視るんだ。ノイズを探せ……)
視界を一点に凝らし、脳の奥に意識を集中させる。すぐに、こめかみを焼くような熱が襲ってきた。一昨日の頭痛がフラッシュバックする。それでも、視線を外さなかった。
不意に、世界の輪郭が揺らめいた。
緑一色の視界の中で、一箇所だけ、水面に油を垂らしたような虹色の歪みが見えた。
「……あれか」
ケイはよろめきながら歩み寄り、その草を摘み取った。
「……どう? 当たり?」
リナが覗き込む。ケイは答える余裕もなく、ただ激しい動悸に耐えながら、摘んだ草をリナに突き出した。
リナはそれを手にとり、指先で感触を確かめると、驚いたように眉を上げた。
「……本物。それも、かなり濃い魔力残りだわ。……やるじゃない、新人」
リナは不敵に笑い、ケイの肩をポンと叩いた。その衝撃で、塞がりかけた傷がズキリと疼く。
「……痛っ……」
「あら、ごめん。……でも、休んでる暇はないわよ。あと五本は見つけなさい。今日の宿代二枚、飯代二枚、それにその頭痛を抑える薬代三枚……最低でも大銅貨七枚は稼がないと、あなたは明日も赤字なんだから」
ケイは脂汗を拭った。
(一本で大銅貨七枚は狙える。五本なら三十五枚。コストを引いても、今日初めてプラスになる)
相場師だった頃の癖で、頭が自動的に損益を弾き出した。地下倉庫で死ぬ思いをして稼いだ大銅貨一枚と比べれば、破格の効率だ。
(だが……脳への負担がデカすぎる。五本も視たら、本当に意識が飛ぶぞ……)
かつての相場師としての直感が、リスクとリターンを天秤にかける。
しかし、ここで「損切り」して帰る選択肢はない。ケイには帰る場所も、貯えも、そしてリナへの返済を拒否する力もないのだ。
「……分かった。……やるよ」
ケイは再び「歪み」を探して、森の奥へと目を向けた。
視覚の代償は重いが、初めて「数字」を自分の力でプラスに動かせる実感が、彼の足を前に進ませていた。
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【借金メモ・10話終了時点】
前話(9話)終了時:手元0枚・残債小銀貨4枚・大銅貨9枚
10話収入:ツキミソウ1本採取(単価大銅貨7枚・未売却・翌話に続く)
10話支出:宿・食事(大銅貨3枚・リナ立替)
残債充当:なし
ケイの手元:0枚
残債:小銀貨5枚・大銅貨2枚




