Ⅱ 堕天の光【第3幕 闇への扉】
北の通りは、昼なのに薄暗かった。
風が止まり、花びらも落ちない。
いつもは子どもたちの笑い声が響くこの道に、今は、沈黙だけがあった。
「こっちです!」
案内してくれた青年の声も震えている。
路地裏に入ると、二人の女性が地面に倒れていた。その肌には、黒い紋のようなものが浮かんでいる。
「また……この模様」
あたしは跪き、手を伸ばした。
けれど、掌が触れる前に、胸の奥で“何か”が反応する。
どくん。
「……違う。さっきの光じゃない」
脈が早い。
光ではなく、熱。
まるで誰かの怒りのような感情が、あたしの心臓を通して流れ込んでくる。
「リリカ!」
諒介が肩をつかんだ。
「離れろ、今のは……」
その言葉の途中で、空気が変わった。
バチッ――
鋭い音とともに、遠くの建物が揺れた。
黒い煙が立ちのぼり、風に乗って灰が舞う。
「何だ……爆発か!?」
哲平が叫ぶ。
「諒介、急いで!」
あたしは立ち上がり、揺れる街を見つめた。
その煙の向こう――黒い外套の影が、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。
胸の鼓動が跳ねる。
見覚えがある。
歩くたび、灰の上に足跡が残る。
風が吹いても、その影だけは消えない。
「……誰?」
あたしの声は、かすれていた。
その影は足を止め、ゆっくりと顔を上げた。
フードの奥、暗く沈んだ瞳。
それなのに――あたしは確かに、知っていた。
「……慧吾……?」
光のない街で、その名を呼ぶ声だけが、痛いほど響いた。
あたしの声が風に吸い込まれた。
灰の中に立つその人影は、わずかに顔を上げた。
でも、その瞳には、あの日の温かさがなかった。
外套の裾が揺れ、その奥に見えたのは、胸の中央に埋め込まれた黒い装置。
「……刻印…?」
諒介が小さく呟く。
まるで“心臓”の位置をなぞるように、小さな装置が低く脈動していた。
「やめて……」
あたしは一歩踏み出した。
「そんなの……あなたじゃない」
「……分析完了。対象確認」
低く、機械のような声。
あたしの足元に、黒い光が走った。
地面を割って、黒い結晶のようなものがせり上がる。
「やめて!」
でも、彼は動かない。
指先をわずかに動かすだけで、闇の結晶が一斉に弾けた。
「くっ!」
諒介が剣を抜き、辰彦と哲平が両側に構える。
「全員、離れろ!」
黒い光が爆ぜ、花の街を包み込む。
空気が歪む。花びらが一斉に枯れて、色が抜けていく。
「慧吾っ!!!」
叫んだあたしの声が反響する。
黒い光が爆ぜる。
風が止まり、すべての音が消えた。
その中で――
彼の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「……リ……」
かすれた声。途中で切れた名前。
でも、その一音に、あたしの全身が凍りついた。
覚えてる。あたしを、呼ぼうとした。
その瞬間、胸の奥の光が、痛いほど跳ねた。
しかし、すぐに――装置が赤く点滅する。
「……撤退、命令……」
彼は苦しそうに頭を押さえ、背後の黒い影に飲み込まれた。
灰が渦を巻き、闇が閉じる。
その姿が完全に消えるまで、あたしは動けなかった。
手を伸ばしても、届かない距離。
それでも、胸の奥の光だけが、確かに震えていた。
――慧吾。どこにいるの。
あなたの“鼓動”は、ここにあるのに。
夜のソムニウムは、不自然なほど静かだった。
風も止み、草花の揺れる音すら消えている。
「……聞こえる?」
諒介が囁く。耳を澄ますと、どこか遠くで低い“唸り”のような音がした。
「発電の音……?」
辰彦が眉をひそめる。
「馬鹿言うな、あそこはもう2年も前に止めてる」
それでも、確かに聞こえた。
夜の闇の向こう――封鎖されたはずの“管理棟”の窓に、ぼんやりと明かりが灯っていた。
「……あれ、誰がつけたの?」
哲平が呟く。
あたしの胸の奥で、光の欠片が脈を打った。いつもより、強く。
「行こう」
諒介の声に、あたしは頷いた。
建物の前に立つと、空気が違った。
湿って、重い。扉の前には古い錠前がかかっている。
錆びた扉が、低い音を立てて揺れた。辰彦が拳で叩くたび、鉄の表面が鈍く響く。
「開かねぇ……!」
「どけ、たっつぁん!」
哲平が肩で勢いをつけて蹴り込む。
金属の軋みとともに、扉の蝶番が悲鳴を上げた。
三度目は辰彦の足と哲平の体当たりの衝撃で、ようやく鍵の部分が折れる。
冷たい空気が、閉ざされた空間から吹き出してきた。
「……なんだ、この臭い」
「薬品? いや、焦げたような……」
扉の向こうは暗闇。
懐中灯の光が、床をかすかに照らす。
壁には、文字のようなものが刻まれていた。焼け焦げた机。割れた瓶。
そして、黒く染まった床の中央に円形の焦げ跡。
「……ここで、何かが燃えた?」
哲平が低く呟く。
「違う」
諒介の声が静かに響いた。
「ここで“何かが生まれた”んだ」
その瞬間、机の上の装置がカチリと音を立てた。
かすかな光が点滅し、壊れかけたスクリーンが勝手に作動する。
ノイズ混じりの映像が、暗闇に浮かび上がった。
『……実験、は……成功した……』
低い声。顔は見えない。ただ、その響きに誰もが息を呑んだ。
『……ソムニウム……内部への……侵入……』
辰彦が僅かに震える。
「……今の声……」
影が、ゆっくりとこちらを向く。逆光で、顔は見えない。だけど、その輪郭は……。
『……“光の心臓”の反応を……確認……』
『次の実験体は――彼女だ』
バチッ。
映像が途切れ、機械が煙を上げる。
重たい沈黙が部屋を満たす。
辰彦の背筋に寒気が走る。
その声は、“誰かを失った日の記憶”を呼び起こすようだった。
「……違和感があるな」
諒介が小さく呟く。
「声のトーンが……」
ガタン!!その時、背後でドアを蹴破るような轟音がした。
あたしたちの中に、緊張がはしった。




