プロローグ 灰の彼方にて
風が、灰を運んでいた。
夜の終わりを告げるように、空の端がかすかに白みはじめている。
崩れた街を、二つの影が歩いていた。
慧吾は無言のまま、瓦礫を踏みしめていた。
外套の裾が風に翻り、灰を巻き上げる。
その横で、ジャックが手をポケットに突っ込んだまま、軽い調子で口を開く。
「……で、どこへ行く気だ」
「風の向くまま」
「ふーん。相変わらず詩人だな、坊や」
慧吾は返事をしない。
風の中、わずかに目を細めただけだった。
少し歩いて、慧吾が低く言う。
「俺と一緒に、行かない方がいい」
「Ha. そんなの聞けねぇが──理由があんなら聞くぜ」
足を止めた慧吾の横顔に、灰がふわりと積もる。
ほんの一瞬、言葉を選ぶような沈黙があった。
「……俺には“魔”が植え付けられている。
そいつが目覚めたら、お前を殺すかもしれない」
ジャックは驚かなかった。ただ、煙草を探すみたいに指が動く。
「なるほどな。……だから“ひとり”で行く気だったわけか」
慧吾は視線を落とす。風が二人の間を抜け、灰を散らす。
「俺自身、いつまで保てるか……わからない」
ジャックは鼻で笑った。その笑いは軽くて、不思議と温かい。
「危ねぇのは昔っから知ってたろ。
だから何だよ。置いて行けってか?」
慧吾は顔を上げる。その瞳の奥で、闇と光が揺れていた。
ジャックは肩をすくめて、続ける。
「お前が暴れそうなら止めりゃいいし、
倒れそうなら支えりゃいい」
「…………」
「誰かを見殺しにするのは、もうこりごりなんだよ。
たとえそれが、お前自身でもな」
慧吾は答えず、ただジャックの靴跡を見つめた。自分の足跡が、いつの間にかそれと重なっている。
「優しさ、か」
「やめろよ、似合わねぇって」
慧吾が小さく息を吐く。
「お前は、俺と同じだ」
ジャックは苦笑した。
「俺の闇のほうが深ぇぞ」
慧吾が一瞬だけ視線を上げる。
「……競うな」
「冗談さ」
沈黙。風が通り抜け、遠くで金属が軋むような音がした。
慧吾がそっと顔を上げる。
「……聞こえたか」
「Yeah. まただな。……エコーズか」
灰色の空に、金属の擦れるような声が反響する。風が止まり、音が消える。
声が重なり、歪み、機械のノイズに変わる。
灰の向こう、倒れた鉄塔の影の中に、人の形をした“何か”が立っていた。
輪郭が曖昧で、空気のように透けている。だが、その中心にはΣの刻印が光っていた。
「エコーズ……“残響”って呼ばれてる奴らだ」
ジャックの声が低くなる。
「死んだ人間の声を、機構が拾って作った。
知性も意思もねぇ。ただ、生きてる匂いに反応する」
慧吾が長剣をスラリと抜き、一歩前に出た。
その瞬間、エコーズの“顔”がこちらを向いた。
空洞のような目の奥で、光が瞬く。風が鳴り、金属音が広がる。
「……来るぞ」
「Yeah. 分かってる」
ジャックの手が迷わずナイフに伸びた。
慧吾は背丈ほどもある剣を片手で構える。
灰の大地を揺らして、影たちが動き出した。
「生きてる奴らを、もう誰も置いてかねぇようにな」
慧吾の目が、一瞬だけ柔らかくなる。
「お前、変わったな」
「光の連中と付き合うと、染まるもんさ」
風が二人の外套をはためかせた。
遠くで、残響が呼んでいる。
「行くぞ」
「Yeah yeah… lead the way, partner」
二つの影が、灰の地平へと跳び込んだ。
風が裂け、闇が揺れ、光のない世界に、戦いの前触れだけが震えていた。




