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鉄の線路は国境を越えて ~売国奴と蔑まれた令嬢は、敵国の天才技師と未来への架け橋を築く~  作者: ぱるめりあ
第4章:夜明けの汽笛

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最終話:世界の果てまで

 蒸気の白煙が、高いガラス張りの天井へと吸い込まれていく。


 国境の街グレンデル。

 かつて泥と鉄屑に埋もれ、殺伐とした空気に支配されていたこの場所は、今や大陸有数の交通の要衝へと変貌を遂げていた。


 新設された「グレンデル中央駅」のホームは、今日も人々の熱気で溢れかえっている。

 帝国の貴婦人と共和国の商人が談笑し、両国の若者たちが新しい流行の服を着て行き交う。

 改札口の上には、巨大な時計塔が設置され、その下には両国の国旗と――そして、この駅のシンボルである『握手する手』の紋章が掲げられている。


 私は駅長室のバルコニーから、その喧騒を見下ろしていた。


「……随分と賑やかになったものね」


 呟く声は、汽笛の音にかき消される。

 数年前、ここで私に向けられていたのは、憎悪と嘲笑の視線だけだった。

 石を投げられ、罵声を浴びせられ、泥棒猫のように扱われた場所。

 それが今では、平和と繁栄の象徴と呼ばれているのだから、歴史というのは皮肉で、そして愛おしい。


「エリザベート様、そろそろ出発のお時間です」


 背後から秘書官が声をかけてきた。

 私は振り返り、優雅に頷いた。


「ええ、ありがとう。……荷物の積み込みは?」

「完了しております。それと、例の『特注品』も」

「ふふっ、抜かりないわね」


 私はガラス窓に映る自分の姿を一瞥した。

 身につけているのは、泥だらけの作業着でも、ボロボロのドレスでもない。

 最高級のシルクで仕立てられた、濃紺のトラベリング・ドレス。

 胸元には、帝国の外交官であることを示す銀の記章が輝いている。


 今の私は、「予算喰いの魔女」ではない。

 帝国と共和国、そして周辺諸国を結ぶ経済同盟の特別代表。通称「鉄の伯爵夫人」だ。

 ……まあ、未婚なのだが。


 私はコツコツとヒールを鳴らし、専用ホームへと向かった。

 そこには、今日の主役が待っている。


 ***


 専用ホームに滑り込んでいたのは、流線型のフォルムを持つ最新鋭の蒸気機関車だった。

 漆黒のボディに、金色のライン。

 かつての『夜明け号』のような継ぎ接ぎだらけの無骨さはない。洗練され、力強く、そして美しい、工芸品のような車両だ。


 その前輪の横で、一人の男が懐中時計を見ていた。


 仕立ての良いフロックコートに身を包み、革の手袋を嵌めた長身の男。

 整えられた黒髪には白いものが少し混じり始めたが、その琥珀色の瞳の鋭さは、出会った頃と少しも変わっていない。


 クロード・ガーランド。

 今や大陸全土にその名を轟かせる巨大鉄道会社「ガーランド・エンジニアリング」の社長であり、伝説の天才技師。


「……遅いぞ、エリザベート」


 彼が顔を上げ、不機嫌そうに時計を閉じた。


「出発時刻まであと三分だ。お前の支度はいつも時間がかかる」

「あら、待たせたお詫びに見惚れてくれてもよくてよ? 今日のドレスは新作なの」

「……知るか。どうせすぐ煤で汚れる」


 彼はぶっきらぼうに言いながらも、自然な動作で私の手を取り、ステップへとエスコートした。

 その掌は、社長になった今でも硬く、分厚い。

 インクと紙ではなく、鉄と油を愛し続けている証拠だ。


「……久しぶりね、クロード。最後に会ったのは?」

「先週の王都での調印式だろ。ボケるにはまだ早いぞ」

「ふふっ。私にとっては一年ぶりのように感じたわ」


 私たちは客車ではなく、あえて機関室へと乗り込んだ。

 社長と外交官が乗る場所ではない。

 けれど、私たちにとっては、こここそが「特等席」なのだ。


 機関室の中は、懐かしい熱気に満ちていた。

 釜の炎が爆ぜる音。蒸気の圧力計が震える音。

 そして、機関士たちが緊張した面持ちで直立不動の敬礼をしてくる。


「しゃ、社長! 準備完了しております!」

「うむ。……今日は俺がやる」


 クロードは上着を脱ぎ捨て、ワイシャツの袖を捲り上げた。

 そして、機関士から白い手袋を受け取ると、慣れた手つきでレバーを握った。


「おい、エリザベート。お前もだ」

「ええ、わかっているわ」


 私はドレスの上から、使い込まれた革のエプロンをつけた。

 そして、隅に置かれていた「特注品」――銀メッキされたスコップを手に取った。


 機関士たちがギョッとして目を剥く。

 無理もない。国を動かす要人二人が、自ら運転と釜焚きをしようというのだから。

 でも、これが私たちの儀式。

 新しい旅に出る時は、必ずこの手で鉄の心臓を動かすと決めている。


「……行くぞ」


 クロードが私を見た。

 その瞳に、悪戯っぽい少年の色が戻る。


「今回の路線は難所だぞ。北方の山脈を越えて、未開の氷雪地帯まで突っ走る」

「望むところよ。……暖房の準備は完璧なんでしょうね?」

「俺の設計を舐めるな。常夏にしてやるよ」


 彼はニヤリと笑い、汽笛の紐を引いた。


 ポオオオオオオオオオッ!!!


 高く、澄んだ音が、ドーム状の駅舎に響き渡る。

 それは、かつて戦場で鳴らした、あの野太い咆哮とは違う。

 平和と、希望と、そして冒険への高揚感を乗せた、美しい和音。


 ホームの人々が歓声を上げ、帽子を振るのが窓越しに見える。

 その中には、駅長として立派な制服を着たハンズや、整備工場の工場長になったガストンの姿もあった。

 彼らもまた、私たちと共に戦い、そしてそれぞれの場所で幸せを掴んだのだ。


 ガタンッ。

 車輪が動き出す。

 滑るように、振動もなく、列車は加速していく。


 私たちは、グレンデルの街を抜け、そして――「あの場所」へと差し掛かった。


 グレンデル大鉄橋。

 かつて「竜の顎」と呼ばれた死の峡谷に架かる、巨大な銀色のアーチ。

 数百の傷跡と、無数の補修跡が残るその橋は、今や両国の絆の象徴として、堂々たる威容を誇っていた。


 眼下を流れる激流。

 かつて私たちが命がけで飛び越えた、あの中央部の継ぎ目。

 今は綺麗に舗装され、何の変哲もないレールが続いている。


「……あの日を、思い出すわね」


 私が呟くと、クロードは前を見たまま頷いた。


「ああ。……無茶苦茶だったな」

「貴方がね」

「お前もな」


 機関車は橋の中央――国境線を通過する。

 あの時、急停車して演説をした場所。

 今は止まらない。

 風のように駆け抜けていく。


 私たちはもう、立ち止まって証明する必要はないのだ。

 この橋を毎日行き交う何千もの人々、何万トンもの貨物が、私たちの正しさを証明し続けてくれているから。


 橋を渡りきり、列車は広大な平原へと躍り出た。

 地平線の彼方まで続くレール。

 その先には、まだ見ぬ国々、新しい市場、そして解決すべき困難が待っている。


「……ねえ、クロード」


 私はスコップを置き、彼の隣に立った。

 彼はハンドルから片手を離し、私の腰を抱き寄せた。


「次はどこへ線路を伸ばす?」


 私の問いに、彼は地図を見ることもなく即答した。


「世界の果てまで」


 まるで、明日のランチの場所を決めるような気軽さで。


「砂漠だろうが、凍土だろうが、お前が行きたいと言うなら、どこへだって架けてやる。

 ……俺の技術とお前の金があれば、行けない場所なんてねえだろ?」


「ふふっ、傲慢ね」


 私は彼の胸に頭を預けた。

 ドクン、ドクンという力強い鼓動。

 この音が、私の帰る場所。


「ええ、そうね。……行きましょう、世界の果てまで」


 私は左手を上げた。

 薬指には、無骨な鉄の指輪が嵌まっている。

 あの日、特級鋼の端材で作った、世界に一つだけの指輪。

 ダイヤモンドよりも硬く、決して錆びることのない誓いの証。


 クロードも左手を重ねてきた。

 彼の手にも、同じ指輪が光っている。


「……もちろん、あなたと共に」


 私たちは顔を見合わせ、微笑んだ。

 言葉はいらない。

 視線だけで通じ合う、絶対的な信頼と、深すぎる愛情。


 列車は速度を上げ、未知の地平線へと突き進んでいく。

 煙突から吐き出される白い煙が、青空に一本の道を描いていた。


 私たちの旅は、まだ終わらない。

 いいえ、始まったばかりだ。

 この命が燃え尽きるその瞬間まで、私たちは走り続ける。

 愛という名の、終わらないレールの上を。


 汽笛が、高らかに鳴り響いた。

 それは、世界で一番幸せな音色だった。


(完)

 『鉄の線路は国境を越えて ~売国奴と蔑まれた令嬢は、敵国の天才技師と未来への架け橋を築く~』を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


 この物語は、「魔法が存在しない世界で、令嬢はどうやって世界を変えるのか?」という一つの問いから始まりました。

 チート能力も魔法もない。あるのは、蒸気機関の轟音と、鉄の冷たさ、そして人間の泥臭い意地だけ。

 そんな重厚で煤けた世界観の中で、主人公のエリザベートには、ドレスを泥まみれにしながら戦ってもらいました。


 彼女は、私が当初想定していたよりもずっと強く、そして魅力的な「悪女」に育ってくれました。

 資金を集め、理不尽な軍人に啖呵を切り、最後には機関車で空を飛ぶ。

 そんな彼女の隣に立つことができたのは、やはりあの不器用で偏屈な天才技師、クロードだけだったと思います。


 執筆中、特に思い入れが深かったのは、やはりクライマックスの第35話から第38話にかけての展開です。

 物理法則をも無視するような機関車の跳躍と、その後の静寂。そして、武器ではなく「経済と法」で戦争を止める結末。

 「力(暴力)」に対抗するのは、それを上回る力ではなく、「知恵と信頼」であってほしい。そんな願いを込めて書かせていただきました。


 ハンズやガストンといった作業員たちも、書いているうちに勝手に動き出し、物語を支える太い柱となってくれました。彼らの「ボス!」と呼ぶ声が、今でも聞こえてくるようです。


 本作はこれで完結となりますが、エリザベートとクロードの旅は、エピローグにある通り「世界の果てまで」続いていきます。

 二人が敷く新しいレールが、またどこかで誰かの希望になることを祈って。


 最後になりますが、連載中、皆様から頂いた応援、感想、そして温かいご声援が、何よりの執筆の原動力となりました。

 この物語が、少しでも皆様の心に「熱」を残せたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。


 本当に、ありがとうございました!

 また、次の物語でお会いしましょう。

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