第六十一話 筋肉男爵と十八の誓い
青く澄んだ空の下、馬車がゆっくりと男爵領の坂道を登っていく。その窓から顔を出したアドリアナは、一週間ぶりの景色に目を細めた。
「やっぱりここの空気が一番ですわね。筋肉が喜んでいますわ」
王都での滞在を終え、ようやく帰ってきたガティネ男爵領。見慣れた丘の畑、回る水車、そして働く村人たちの姿。それらすべてが胸に染みる。
馬車が広場に差し掛かると、待ち構えていた村人たちが歓声を上げた。
「おかえりなさいませ、アドリアナ様!」
「筋肉男爵、ばんざーい!」
子どもたちは花の冠を手に、走ってくる。その中心には、ローラン、マティアス、エティエンヌの三人がいた。
「ただいま戻りましたわ!」
アドリアナが笑顔で答えると、マティアスが慌てて眼鏡を直した。
「お、おかえりなさい、アドリアナ様。えっと、その、あの……お誕生日、おめでとうございます!」
「アドリアナ殿がご不在でしたので少し遅くなりましたが、今日の夕方、みなで祝いの場を設けました。」
マティアスとエティエンヌの言葉に、アドリアナは目を丸くした。
「まあ、嬉しいですわ! みなさま、準備してくださったのですの?」
「……もちろんです」
ローランの声には、どこか照れが混じっていた。
夕暮れ。村の広場には灯りがともり始めていた。木の机には料理が並び、周囲には花の飾り。子どもたちがリボンを結び、女性たちは笑いながら果実酒を運んでいる。
「な、なんとか間に合いましたね…」
マティアスが額の汗を拭いながら、最後の帳簿を閉じる。
「間に合ったどころか、見事だ。これならアドリアナ殿もきっと喜ばれる」
エティエンヌがマティアスの肩を叩く。その横で、ローランは木槌を持って黙々と作業していた。
「……椅子、三脚目」
ギシギシと音を立てながら、彼の腕が動く。だが力を入れすぎて、出来上がった椅子の脚はほんの少し曲がっていた。
「ローラン殿、それは……力が強すぎでは?」
「……だが丈夫だ」
「……ええ、確かに。永遠に壊れそうにありませんね」
ローランとエティエンヌがそんなやりとりをしている間に、村人たちの笑い声が響く。陽が落ち、すべての灯火がともる頃、アドリアナが姿を現した。
濃いピンクのドレスに、頭には村の子どもたちが編んだ花の冠。その姿を見た瞬間、ローランの眉がわずかに動き、マティアスは顔を真っ赤にした。
「みなさま…こんなにも素敵な宴を、ありがとう!」
拍手が起こり、音楽が流れる。アドリアナは一人一人の顔を見渡し、感慨深げに言った。
「十八歳――領主として、そして一人の人間として。みなさまと過ごせることが何よりの喜びですわ」
その言葉に、村人たちは『おめでとうございます!』と声を揃えた。
宴の中盤、三人の仲間が順にプレゼントを渡した。
「まずは、ぼ、僕から…!」
マティアスが差し出したのは、皮の装丁に包まれた厚い帳簿だった。
「こ、これ、領地の経済記録をまとめたものです。あと、アドリアナ様専用のペンも…!」
「まあ、素晴らしいですわ! このペンで、未来を記しますわね」
次はローランが、無骨な木箱を手渡した。
「……開けてみてください」
アドリアナが蓋を開けると、中には彼女そっくりの木彫り像が入っていた。筋肉のディティールまで妙に精密だ。
「あら! これは私ですのね!」
「……お守り代わりに」
「ええ。とても心強いですわ!」
最後にエティエンヌが小さな冊子を渡す。
「これは『功労帳』です。領地に尽くした人々の名を記しています。あなたがこの地を育ててきた証ですね」
アドリアナは静かに受け取り、胸に当てた。
「……みなさま、本当に、ありがとうございます」
その瞬間、ローランが短く呟いた。
「……祝いの言葉を」
マティアスとエティエンヌが頷き、三人が声を揃えた。
「――アドリアナ・ガティネ様! 十八歳の誕生日、おめでとうございます!」
拍手と歓声が広場を包み、アドリアナは笑顔のまま深く頭を下げた。
***
夜も更け、宴が終わる頃。広場から少し離れた場所で、アドリアナは静かに星空を見上げていた。王都で見た星よりもずっと近く、輝いて見える。
「……筋肉も、領地も、私のすべてがここにある…」
そのとき背後から、静かな声が聞こえた。
「おつかれさまです、アドリアナ殿」
エティエンヌがワインを持って現れる。少し遅れて、マティアスとローランもやってきた。
「そろそろ宴の後片付けの時間かしら?」
「ええ。でも、もう少し休んでいきましょう」
三人は並び、静かに夜空を見上げる。アドリアナは微笑んで言った。
「十八歳になりましたのね。領地も私も、まだまだ鍛えがいがありますわ」
「これからも一緒に鍛えていきましょう」
マティアスの言葉に、アドリアナは頷く。
そのとき、空を流れる光が一筋――流れ星だった。アドリアナは手を胸に当て、そっと目を閉じる。
「領地も、筋肉も、恋も……全部、私の大切な『筋』ですわ」
穏やかな風が吹き、四人の髪を揺らす。新しい季節の始まりを告げるように、夜空の星が一層煌めいたのだった。




